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仙台地方裁判所 平成16年(わ)288号 判決 2004年11月01日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中110日をその刑に算入する。

押収してあるカッターナイフ1本(平成16年押第47号の1)及びカッターナイフの刃3枚(同号の2ないし4)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

1  被告人の身上等

被告人は,宮城県塩竈市内で出生し,高等学校卒業後,ビル等の施工工事を行う仙台市内の会社(以下,便宜上「ガラス工事会社」という。)に就職して,施工部門でガラス工として10年くらい稼働したものの,平成14年8月に退社し,その後,上記ガラス工事会社から独立した先輩の会社等で臨時アルバイトのガラス工として稼働していたが,平成15年7月初めころ,ガラス工事業を営んでおり,かつて上記ガラス工事会社の先輩であったA(以下「被害者」という。)と再会し,仕事があるけどやらないかなどと被害者に誘われ,同月下旬ころから被害者の下でも働くようになり,少ないときでも週に二,三日は被害者の仕事をし,平成16年2月以降はほとんど被害者の下で働いていたが,その間の平成12年10月に妻と婚姻し,本件当時,妻は被告人の子を妊娠していた。

2  被害者の身上等

被害者は,昭和26年に仙台市内で出生し,高等学校を卒業後,約2年間自衛官として勤務し,次いで,前記ガラス工事会社に就職して営業部門で働いていたが,平成8年ころに退社し,その後,A建具店の屋号でガラス工事業を行うようになり,本件当時,脳梗塞の症状が悪化した父を仙台市内の病院に入院させ,痴呆症の母と2人で事務所兼自宅で生活していたが,被害者の母は,本件犯行当時,介護サービスを受けて外出していた。

3  犯行に至る経緯

(1)  被告人は,高校1年生のころ,初めて遊んだスロットで勝ち,以後スロットに夢中になり,小遣いの範囲内で遊んでいたが,就職してから本格的にスロットで遊ぶようになり,当初は勝つことも多かったものの,その後はなかなか勝てず,そのために給料を使い,20歳のころから,いわゆる消費者金融から借り入れた金員をつぎ込み,返済できずに次第に借金をふくらませ,さらに,勧誘されるままにローンで商品を購入するなどして合計約450万円の債務を抱えてしまい,平成10年2月ころには,東京都内の弁護士事務所を訪ねて自己破産の手続を依頼し,勤務先の前記ガラス工事会社から120万円もの金員を借りて同弁護士事務所に預けるなどした。

(2)  しかし,被告人は,このようなことがあってもスロットをやめられず,時間があればスロットで遊び,給料のほか,実母や消費者金融からの借金などをスロット遊びにつぎ込む一方,前記婚姻した妻には,自己破産したからもう借金はできないなどと言って,消費者金融等から借り入れていることを隠してきたが,平成14年10月ころには,返済に行き詰まり,高利貸しから金を借りたことが妻や義父の知るところとなり,義父の怒りを買い,娘と離婚するように迫られ,妻や被告人の両親のとりなしで何とか怒りを収めてもらったものの,義父からは今後同様のことがあれば娘と離婚させる旨申し渡された。

ところが,被告人は,それでもスロットをやめられず,平成15年3月ころからは前記臨時アルバイト先の会社から仕事の依頼が少なくなり,同年夏ころには仕事が全くなくなってしまっても,それまで行っていたように,妻名義で消費者金融から借金をして生活費等に充てる一方,実家の両親から借金したり,前記臨時アルバイト先の代表者からも合計31万円を借りるなどして,暇にまかせて昼間からスロット遊びをし,被害者の下で稼働するようになっても,相変わらずスロット遊びを続けていた。そして,仕事の予定がない日にも,妻には仕事に行く旨嘘をついてスロット店に赴いていたことから,その嘘を取り繕うため,その分の日当相当額も妻に渡さなければならず,これをスロットで稼ごうなどと考え,ますますスロットにのめり込み,同年8月には,受け取った日当をスロットで費消してしまったのに,ナイフで自己の右肩を自ら傷つけた上,強盗に襲われて日当約17万円を取られたなどと妻に嘘をつき,これを信じた妻が警察に通報したところ,結局,嘘が発覚してしまい,警察官に厳重に注意されたものの,離婚を恐れた妻が,義父に事の次第を話さなかったために,妻との離婚は免れたということもあった。

(3)  被告人は,同年12月初めころ,被害者に対し,「日当をスロットで使ってしまいました。女房に生活費を入れなきゃならないので貸して下さい。」などと言って借金を頼み,平成16年1月末までに返済する約束で10万円を借り受け,さらに,同月中旬ころには,新たに35万円を被害者から借り受け,先の借金と合わせて合計45万円を同年3月20日ころまでに返済すると約束したが,これらの金員の一部は妻に渡したものの,残りはスロットに使うなどして全て費消してしまい,上記約束の期日までに返済金を用意することができず,被害者から同月末まで返済期日を延ばしてもらった。しかし,被告人は,同月末までにも返済金を用意できなかったことから,1か月くらい返済期限を延ばしてもらうおうと考え,「今,親に相談してますから,4月20日ころまで待って下さい。」などと被害者に頼んで了承を得たものの,同月5日に被害者から日当を受け取った際,金のありがたみが分からないのだから,借金を返済するまで金のない生活をしてみろなどときつく言われ,同日以降は,被害者から,それまで日払で受け取っていた日当の支払を止められてしまった。なお,被告人は,同年3月末までの返済ができなかったときに,被害者に,日当の一部を天引きして返済に充てて欲しい旨申し入れ,その後日当を受け取った際,被告人の計算によれば,稼働した日数と比べて渡された日当が2万円くらい少なめだったことから,被告人の申し入れのとおり,被害者が2万円くらいを天引きし,借金の返済に充ててくれたものと考えていた。

ところで,被告人は,被害者に借金をしていることやその返済をしないために被害者から日当の支払を止められたことを妻に話しておらず,また,前記のとおり,仕事に行くと称してスロットに興じていたので,妻に渡さなければならない金員が嵩み,そのため,同年4月中,給料をまだもらっていないなどと言って,実母から合計約18万円,義父から五,六万円をそれぞれ借りるなどし,そのうちの一部を日当と言って妻に渡したが,残りの金員をスロットに費消するなどしてしまい,妻から給料を早く持ってきてよなどと厳しく迫られて困ったものの,借金を返さない状態のまま日当の支払を要求すれば,被害者から怒られるのが目に見えているなどと考えて,被害者に日当を支払って欲しいとは言い出せないでいた。

(4)  被告人は,同月20日,被害者から電話で借金の返済を催促された際,ほとんど所持金がなく,金策の当てもない上,これ以上実家や義父から金を借りることもできないと考えていたのに,被害者に対し,「今日は遅くなる。親には話しているので,明後日でもいいですか。」などと嘘を言って同月22日まで支払期限を延期する了承を得たことから,何とかしてその日までに45万円を作らなければならないと焦り,同月21日には,3000円くらいを使ってスロットをしたが,金を増やすことはできず,2人の叔母にも借金を申し込んでみたものの,断られてしまい,さらに,電話で被害者と仕事の話をした際,金は明日できるんだろうなどと言われ,ますます焦りを募らせた。

そして,被告人は,翌22日,前日に相談した叔母のうちの1人に直接会うなどして,再度借金を申し込み,仕事上の取引先の営業社員にも借金を申し込むなどしたが,いずれも断られ,さらに中学時代の同級生にも電話をかけて借金を申し込むなどしたが,結局,返済金を用意することはできなかったものの,被害者に対しては,金の用意ができたような振りをして,電話で「今日はもう遅いので,明日でもいいですか。」などと言って,翌23日朝までの支払猶予の了承を得た。しかし,被告人は,かねてから妻に対しては,被害者の都合で日当がもらえないなどと話していたため,同日帰宅後,日当分の金員を持ってこなかったことについて怒った妻から,「どうしてもらってこないのよ。」などと言って厳しく叱責され,「社長だって大変なんだから仕方がないよ。」などと嘘を言いながらも,妻の叱責に重圧を感じていた。

(5)  被告人は,同月23日朝,車で自宅を出発し,消費者金融の自動契約機から妻名義で5000円を借りようとしたが,カードの暗証番号を間違えたために引き出すことができず,わずか100円余りの所持金しかないまま,何とかして金策して被害者に借金を返し,日当を支払ってもらおうなどと考え,仕事上の取引先の代表者に借金を申し込んだが,断られ,さらに,前日に借金を申し込んだ中学時代の同級生からも借金を断られてしまったため,被害者から,同日に返済できないことで怒られるとともに,今後は仕事を回してくれなくなるかもしれない,そうすると生活できなくなるが,それは避けたい,しかし,もはや金策することもできない,日当がないまま自宅に帰っても妻から怒られるなどと思い悩んで追い詰められた気持ちになり,被害者から2度にわたって携帯電話に電話がかかってきてもこれに出ないでいたが,何とか被害者に謝って,返済を延期してもらうか,分割払にしてもらい,日当については少しでも払ってもらうしかないなどと考え,被害者に電話をかけ,まだ自宅にいるように装って,「今起きて,今から支度していきます。」などと被害者方へ行く旨を伝えたが,その際,被害者から,切るものがあるのでカッターを持ってくるよう言われた。

そこで,被告人は,被害者方に着く前に一旦車を止め,着用していた仕事用のズボンを車に積んであったチノパンに履き替え,被害者方付近に到着して車から降りると,仕事の際に着用する安全帯に差し込んであったカッターナイフを取り出し,ズボンの右ポケットに入れて,被害者方に入った。

(6)  被告人は,被害者方茶の間において,テーブルを間にして被害者と向かい合わせに座り,被害者に対し,返済金を用意できなかったことを話した上,両親に頼んでいたが,金員を用意できなかった,返済を延期するか,分割払にして欲しい,生活できないので,日当も幾分かでももらいたい旨頼んだところ,被害者は,「なんだ,返すもの返さないで日当欲しいなんて。」などと強く怒って,テーブルの上に置いてあった被害者の財布をつかみ,「日当だらこんなもんだべ。」などと言いながら,被告人の方にその財布を放り,さらに,「もうおめえで話になんねえから,親のとこ行って話すっから。」と言って立ち上がり,茶の間を出ようとした。

そのため,被告人は,被害者が実家に行けば,被告人が被害者から借金をしていたことが両親や妻に発覚し,今度こそ義父に知れて妻と離婚させられてしまう,また,被害者への返済について,親に相談している旨の嘘が被害者に露見すると思い,被害者を止めようと立ち上がったが,その際,財布を投げつけられたことから馬鹿にされたという思いで立腹していたものの,どうしても金員が欲しいという切羽詰まった気持ちから,左手で受けとめて持っていた被害者の財布をとっさにズボンのポケットに入れた。

これを見た被害者は,被告人に対し,「それはおめえ泥棒だべ。払うもの払わねえで日当欲しいっていうのは。」などと言い,さらに続けて,「おめがそんなことすんのは,親の育て方も悪いんだべ。おめえの女房も若くたってだめ。おめえたちの子だって,生まれてきてろくなもんになんねえべ。」などと言ったため,被告人は,被害者に事情を話して謝れば,支払期限を延ばしてくれたり,日当の一部でも払ってくれるのではないかと期待し,被告人がこれだけ金策に努力したことは,被害者も分かってくれると思っていたのに,被害者が,そのような被告人の気持ちを全く理解しないばかりか,被告人を泥棒呼ばわりした上,両親や妻やまだ生まれてもいない子供を罵るなどしたのは許せないなどと考えて激高し,「こんな奴に借金なんて払わなくていいや。なしにしてやる。財布も奪ってやる。もうこんな奴死んでしまえ。」などと考えて,被害者を殺害して財布を奪うとともに借金を免れることを決意し,被害者の腕をつかんでいた両手を離し,左手で被害者の右肩の辺りを強く突いて押し,右手でズボンのポケット内のカッターナイフを握り,カッターナイフの刃を押し出した。

(罪となるべき事実)

被告人は,A(当時53歳)から合計43万円を借りていたものであるが,同人を殺害して金員を強取するとともに,同人に対する債務の返済を免れようと決意し,平成16年4月23日午前10時30分ころ,仙台市a区b町c番d号所在の同人方において,同人に対し,その頚部等を所携のカッターナイフ(平成16年押第47号の1ないし4・なお,カッターナイフの刃3枚(同号の2ないし4)は,カッターナイフ(同号の1)に装着されていた刃の一部が犯行中に折れたもの)で多数回にわたり突き刺したり切り付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同人を右総頚動脈切断により失血死させて殺害した上,同人所有に係る現金約18万8000円ほか37点在中の財布1個を強取するとともに,上記債務の弁済を免れて財産上不法の利益を得たものである。

(証拠の標目) 省略

(事実認定の補足説明)

1  被告人は,本件犯行当日である平成16年4月23日の午後,警察に出頭し,殺意をもって被害者を殺害したが,金品強取や債務免脱の意思(まとめて「強取の故意」という。)はなかった旨供述し,その後も強取の故意を否認していたが,同年5月9日から,これを認める供述に転じて,その後自白を維持し,第1回公判期日における罪状認否の際にも,事実はそのとおり間違いないと述べた。しかし,第2回公判期日における被告人質問において,強取の故意及び殺意を否認する供述(以下,これを単に「被告人の公判供述」という。)をし,弁護人も被告人の公判供述に基づいて,強取の故意を争うので,以下検討する。

2  被告人は,捜査段階の当初から,判示「犯行に至る経緯」記載の事実経過については,概ね一貫してこれに沿う供述をしており,特に,被害者から再三借金の返済を催促された上,日当の支払を止められ,他に借金の当てもなくなり,金銭的に追い詰められていたこと,被害者に返済の猶予を申し入れるとともに,日当の支払を頼んだこと,被害者が放り投げた財布をズボンのポケットに入れたこと,これを見た被害者から,泥棒呼ばわりされた上,妻や両親,妻が妊娠した子供のことまで悪く言われて激高したことなどについては,終始これらを認める供述をしている。そして,前記強取の故意を認める被告人の供述調書(乙10,13,19,23,25)を見ると,前記のような事実経過から強取の故意を抱くに至った経緯やその時々の心情について,説得力に富み,体験した者でなければ供述しがたいことが具体性をもって述べられている。また,被告人は,強取の故意を自白した理由について,「初めは,Aを殺したのは,親や妻や妻のお腹の子の悪口を言われて頭に来たからであって,お金がほしかったわけではないし,自分がAから借りていたお金の返済をなしにしたいという気持ちがあったわけではないと話したが,それは嘘でした。逮捕された時の容疑が強盗殺人と聞いてびっくりした。Aを殺す時に,財布をとってやるという気持ちがあったことを話してしまえば,計画的な強盗殺人だと思われるのではないかと心配でたまらなかった。自分かわいさで自分に都合のいい話をしているということは,自分でもよく分かっていたが,自分がこの先どんな処罰を受けることになるのかと思うと,不安でたまらなくて,本当のことが話せなかった。逃げていたのだと思う。私が本当のことを話さないでいつまでも現実から逃げていては,Aに申し訳ないという気持ちになった。そこで,いろいろ考えた末,嘘をついていた部分についても話すことにした。」などと述べて(平成16年5月9日付け検察官調書,乙19),その心情を吐露しているのであって,これらに照らせば,被告人の上記強取の故意の自白は,極めて信用性が高い。

3  これに対し,弁護人は,上記の自白は,被告人が捜査官の強い誘導により押しつけられた擬似的認識のもとにしたものであって,信用性がないなどと主張するが,上記公判供述によっても,被告人の意に反する誘導や押し付けが捜査官によりなされたことを具体的にうかがわせる事情は何ら供述されていないし,上記供述調書中には被告人の申立てにより訂正された部分があること(乙19),被告人は,被害者方に凶器のカッターナイフを携帯した理由について,捜査官から繰り返し追及されながら,最後まで自己の言い分を通していること(乙12,22)に照らすと,被告人はきちんと主張すべきところは主張していたと認められるのであって,弁護人の上記主張は採用できない。また,弁護人は,妻らのことを悪く言われて興奮状態となっていた被告人が,突如強取の故意を抱くのは不自然であると主張するが,前記のとおり,被告人が,被害者から再三借金の返済を迫られた上,日当の支払を止められて金に困っていたこと,金策に必死で頑張った被告人の苦労や努力を被害者が全く理解してくれないことについて,被告人が怒りを感じていたこと,妻らのことを罵られた直前に,財布をポケットに入れたことを被害者に見咎められ,泥棒呼ばわりされたことに照らせば,被告人が被害者の殺害を決意するとともに強取の故意を抱いたことは十分理解できることである。さらに,弁護人は,被告人が犯行後,被害者方内の金品を物色していないことも,強取の意思がなかったことからすれば自然な経過であると主張するが,関係証拠によれば,被告人は,犯行後,床に染みついた血痕をふき取り,カーペットで遺体を巻いて運び出そうとするなどの罪証隠滅工作をしていたところ,保険集金人が被害者方を訪ねるなどしたことなどから,これを断念し,前記財布をポケットに入れたまま逃走したものであって,犯行後に金品を物色していないことが,強取の故意の認定に疑問を生じさせる事情とはならないことは明らかであって,強取の故意を認めた被告人の捜査段階の自白調書の信用性に疑問はない。

4  これに対して,被告人の公判供述は,上記の自白に反する上,「被害者に妻らの悪口を言われて,カーッとなり,その勢いで被害者を殺してしまった。自己の借金をなくそうとか財布を奪おうという気持ちはなかった。」などというのであるが,他方で,「財布をポケットに入れた際,金が欲しいという気持ちが全くなかったとは言い切れない。無意識というか,そういう感じで財布をポケットに入れた。取調官から強取の故意がないというのは嘘だなどと言われて,自分でも後から考えればそうかなと思うようになって自白調書が作成された。」などとも供述しているのであり,その供述は極めて曖昧である。また,上記自白及び第1回公判期日における判示事実を認める供述を変遷させた理由は明らかではなく,さらに,捜査段階から一貫して認めていた殺意についても,突然否認するなどして責任を回避していることは明らかであって,到底信用できない。

5  なお,被告人は,当公判廷において,殺意もなかった旨供述するが,関係証拠によれば,被告人が犯行に使用したカッターナイフの刃は大のものであり,刃体の幅約2センチメートル,刃体の厚さ約0.5ミリメートルであって,十分殺傷能力を有すること,被害者の頚部に多数の創が認められ,頚部に創が集中しており,前頚部前方から左側頚部にかけては,長さ約18センチメートルにわたる創があり,左胸骨舌骨筋,左胸骨甲状筋がほぼ完全に切断されているほか,前頚部右から右側頚部,後頚部右側にかけては,長さ約18.5センチメートル,創洞の深さは深いところで約3センチメートルに及ぶ創があり,右胸鎖乳突筋が切断され,右胸骨舌骨筋も一部切断されている上,右総頚動脈が完全切断され,これが被害者の失血死の原因となっていること(甲4),被告人は,被害者の頚部を狙ってカッターナイフの刃を突き刺したり,切りつけたりしており,その際,カッターナイフの刃が3度折れたのにもかかわらず,その都度,力を入れやすいようにカッターナイフの刃を短く押し出して重ねて被害者を攻撃したこと(甲4,15ないし35,乙19,23等),前記のとおり,被告人が,本件犯行当日の午後,警察に出頭した当初から,一貫して殺意を認める供述をしていたことに照らせば,被告人が殺意を有していたことは優に認められ,この点に何ら疑問はない。

6  以上のとおり,被告人及び弁護人の主張はいずれも採用できず,判示のとおり の事実が認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は,刑法240条後段に該当するところ,所定刑中無期懲役刑を選択して,被告人を無期懲役に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中110日をその刑に算入することとし,押収してあるカッターナイフ1本(平成16年押第47号の1)及びカッターナイフの刃3枚(同号の2ないし4)は,判示強盗殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収することとする。

(量刑の理由)

本件は,被害者の下で働いていた被告人が,被害者から,借金を返済しないで,日当を欲しいなどと言ったことを叱責された上,家族について罵られたことに激高し,被害者を殺害して金員を強取するとともに,被害者に対する債務の返済を免れようと決意し,被害者の頚部等を所携のカッターナイフで多数回にわたり突き刺すなどして殺害し,被害者所有の現金等を強取するとともに,債務の弁済を免れて財産上不法の利益を得たという強盗殺人の事案である。

犯行の動機を見ると,被告人は,判示「犯行に至る経緯」記載のとおり,被害者に借金の返済期日の延期や日当の支払を頼んだところ,怒った被害者から財布を放り投げられ,日当欲しさにこれをポケットに入れたことについても泥棒呼ばわりされた上,家族を罵られるなどして激高し,「もうこんな奴に借金なんて払わなくていいや。なしにしてやる。財布も奪ってやる。もうこんな奴死んでしまえ。」などと考えて,本件犯行に及んだというのである。しかし,被告人は,スロット遊びに耽り,妻に無断で日当や生活費を使い込んで消費者金融等から多額の借金を抱え,東京都内の弁護士事務所に自己破産の手続を依頼し,その手続のために勤務先からも多額の借金をしたり,高利貸しからの借金を義父に知られ,今後同様のことがあれば妻と離婚させる旨申し渡されたりするなど,スロットをやめる機会が十分にあったのにもかかわらず,相変わらずスロット遊びに金員をつぎ込んで,さらに多額の借金を重ねていたのであり,このような被告人の生活態度こそが,被告人の被害者からの借金と,この借金を返済できなかったことのそもそもの原因なのである。確かに,被告人は,何もしないで被害者に返済期限の延期を求めたわけではなく,判示のとおり,本件犯行当日も友人等に借金を頼むなどして返済金を調達しようとしていたことがうかがわれるが,しかし,肝心の妻には,事の次第を打ち明け,助けを求めることなどせず,かえって,嘘を言い続けて協力を求めていないのであるから,判示のとおり,友人等に借金を断られて金策の当てもなくなったと考え,追い詰められた気持ちになったとしても,酌むべき点は乏しい。まして,被害者に対しては,借りる時にはスロットで使ってしまったなどと日当を遊興に使ってしまったことをそのまま話しながら,返済するときになり,親に相談しているなどとその場しのぎの嘘を重ね,日当からの天引きのほかには被害者に全く借金を返済していないことなどに照らせば,返済期限を何度も延ばしてやっても返済しないで,もらえる物は欲しいという被告人の態度に被害者が立腹したというのもやむを得ないというべきであり,そのことに思い至らずに本件犯行に及んだという被告人の犯行動機は,あまりに短絡的で,身勝手かつ自己中心的というほかなく,酌むべき事情は全くない。

犯行の態様を見ると,被告人は,所携のカッターナイフの刃を押し出し,被害者の喉元を狙ってその刃を突き出し,その刃が折れるとその都度,力が入りやすいようにカッターナイフから刃を短めに出し,被害者が抵抗しなくなるまで,被害者の頚部を多数回にわたり切り付けたり,刺したりしているのであって,確定的殺意に基づく執拗かつ残忍な犯行であり,また,強取した現金及び免れた債務の金額も多額であって,極めて悪質な犯行である。

犯行の結果,被害者は,いまだ53歳で,突然無惨にも生命を奪われたのであり,その肉体的,精神的苦痛,死に至る恐怖感等は筆舌に尽くしがたい。殊に,被害者は,被告人に仕事の世話をし,頼まれるまま多額の金員を貸し付け,地道な生活をさせたいとの親心から,さまざまな助言や指導を続けて面倒を見てきたのに,こともあろうに,その被告人から殺害された上,前記のような病状の両親の面倒を最後まで見ることを生き甲斐に仕事に励みながら,充実した生活を送っていたのに,両親が被害者から世話を受けることを最も必要としているその時期に,両親を残して突然人生を終えることを余儀なくされたのであるから,その無念さは察するに余りある。被害者の母は,本件犯行により老人介護施設への入所を余儀なくされた上,一時は被害者の死を告げられて悲嘆に暮れていたものの,現在では痴呆症状の進行により被害者の死すら理解できなくなっており,被害者の父は被害者の死を知ることもできない状態であるというのであるから,いずれも誠に哀れである。さらに,被害者の異母姉らが,本件犯行により深刻な精神的衝撃を受けるなど被害者の親族らに与えた苦痛は計り知れず,また,上記異母姉が,被告人側からの被害弁償の申入れを断るなどしているのであって,被告人に対する処罰感情は厳しい。

加えて,被告人は,本件犯行後,飛び散った被害者の血液を拭き取るなどの罪証隠滅工作を行い,被害者の死体を被害者の自動車内に隠すなどして犯行を隠蔽しようと考えていたというのであり,被害者方を尋ねて来た者がいたことから罪証隠滅を断念した後も,逃走するか,死ぬしかないなどと考えて現場から立ち去ったというのに,被害者から奪った金員をスロットにつぎこむなどしているのであって,犯行後の事情も悪い。

そして,被告人は,当公判廷において,前記のとおり,強取の故意や殺意を否認し,責任回避的な弁解を重ねているのであって,真摯に反省しているとは認められない。

以上によれば,被告人の刑責は誠に重大である。

そうすると,本件が計画的な犯行とは認められないこと,被告人が,本件犯行後,妻に犯行を打ち明ける中で自首を決意し,犯行当日に自首しており,その自首により,本件に関する捜査等が一定程度容易になった側面があることは否定できないこと,被告人が,本件について被告人なりに反省の情を示すとともに,被害者の冥福を祈っていること,被告人が,被害者の遺族に対し,被害弁償を申し入れたこと,被告人はガラス工としては,これまで真面目に稼働してきたこと,被告人は31歳と若年であり,前記「犯行に至る経緯」記載の強盗被害を装った軽犯罪法違反の前歴1件を有するほかには,前科前歴はないこと,本件後に被告人の妻が中絶を余儀なくされたこと,被告人の実父が,社会復帰後の被告人の監督を誓約していることなど,被告人に有利ないし斟酌すべき事情を最大限考慮してもなお,被告人の刑責には,その生涯をかけて償いをすべき重さがあるというべきであり,被告人を無期懲役に処するのが相当であると判断した。なお,弁護人は,被告人には自首が成立するから,自首によって刑を減軽し,有期懲役刑を選択するのが相当である旨主張するが,前記の諸事情を総合すれば,自首によって刑を減軽して有期懲役刑を選択するのは相当ではなく,この点の弁護人の主張は採用できない。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役,押収してあるカッターナイフ1本及びカッターナイフの刃3枚の没収)

(裁判長裁判官 本間榮一 裁判官 菅原暁)

裁判官 齊藤啓昭は海外出張のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 本間榮一

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