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仙台地方裁判所 平成17年(わ)602号 判決 2007年3月15日

主文

被告人を懲役28年に処する。

未決勾留日数中400日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,

第1  平成17年4月2日午前9時4分ころ,業務として普通貨物自動車を運転し,仙台市a区bc丁目d番e号先の信号機により交通整理の行われている交差点を,f方面からg方面に向かい時速約40キロメートルで直進するに当たり,対面信号機の表示に留意し,これに従って進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,対面信号機が赤色信号を表示しているのを看過して漫然と前記速度で進行した過失により,同交差点手前で,同交差点に設置された横断歩道上を青色信号表示に従い横断歩行中の歩行者の存在に気付いて急制動の措置を講じたが及ばず,自車を同交差点内に進入させ,折から青色信号表示に従い同横断歩道上を右方から左方に向かい横断歩行中のA女(当時42歳)及びB女(当時48歳)に自車前部を衝突させ,さらに,その衝撃でA女を,同横断歩道上を横断歩行中のC女(当時69歳)に衝突させて同人らを路上に転倒させ,よって,A女に頭蓋骨骨折,内頚動脈損傷及び脾破裂等の傷害を負わせ,同日午後9時5分ころ,同市h区ij丁目k番l号所在のP医療センターにおいて,A女を上記傷害により死亡させるとともに,B女に加療約3か月間を要する急性硬膜外血腫及び左右多発肋骨骨折等の傷害を,C女に加療約3か月間を要する左肘頭骨折及び左下腿骨折の傷害を,それぞれ負わせた

第2  同日午前9時4分ころ,同市a区bc丁目d番e号先道路において,前記自動車を運転中,前記のとおりA女らに傷害を負わせる交通事故を起こしたのに,直ちに車両の運転を停止して同人らを救護する等必要な措置を講ぜず,かつ,その事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を,直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかった

第3  同日午前9時4分ころ,同区bc丁目m番n号先の車両通行禁止道路に指定されたアーケード商店街内の道路に前記自動車を運転して乗り入れ,同所において,同所を通行中のD女(当時44歳)及びE男(当時42歳)に対し,同人らが死亡する危険があることを認識しながら,あえて,前記自動車を時速約60キロメートルで走行させてその前部を同人らに衝突させていずれも路上に転倒させ,よって,E男に対しては101日間の入院加療を要する外傷性クモ膜下出血及び脳挫傷等の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至らなかったが,D女に対しては左肋骨骨折,下顎骨折,頭蓋底骨折等の傷害を負わせ,同日午前10時20分ころ,同区o町p番q号所在のO病院において,頭蓋底骨折により死亡させて殺害した

第4  同日午前9時4分ころ,同区bs丁目t番u号先の車両通行禁止道路に指定されたアーケード商店街内の道路に前記自動車を運転して乗り入れ,同所において,同所を通行中のF男(当時28歳)及びG男(当時24歳)に対し,同人らが死亡する危険があることを認識しながら,あえて,時速約50キロメートルで走行中の自車前部を同人らに衝突させていずれも路上に転倒させた上,路上に転倒したG男の背部等を轢過し,よって,F男に対しては全治約2か月間を要する頭蓋骨・上顎骨骨折等の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至らなかったが,G男に対しては多発外傷の傷害を負わせ,同日午前9時8分ころ,同所において,同傷害に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害した

第5  自己が賃借したQ株式会社(代表取締役H男)所有の普通貨物自動車内で焼身自殺をして同車を焼損しようと企て,同日午前9時5分ころ,同区bs丁目t番v号先路上に停車中の同車内において,被告人が着ていたトレーナーに軽油約370ミリリットルを掛け,所携の発炎筒(自動車用緊急保安炎筒)で同トレーナーに点火して燃え上がらせ,引き続き,同車を約17メートル東進させて同区bs丁目t番w号先路上に駐車中のI男所有の普通特種自動車に衝突させ,同車に接して前記普通貨物自動車を停車させた上,同車内において,トレーナーをダッシュボード上のメーターパネル付近に脱ぎ捨て,その炎をダッシュボードに燃え移らせて放火し,よって,ダッシュボード等を燃え上がらせて同車を焼損し,そのまま放置すれば,前記普通特種自動車及び同所付近建物等に延焼するおそれのある状態を発生させ,もって,公共の危険を生じさせた

ものである。

(事実認定の補足説明及び弁護人の主張に対する判断)

弁護人は,判示第1ないし第5の外形的事実や判示第1の過失は争わないものの,被告人には殺人や建造物等以外放火の故意はなかったとして,判示第3及び第4の各殺人・殺人未遂及び判示第5の建造物等以外放火について無罪を主張するとともに,本件各犯行当時,被告人は統合失調症による幻聴等を生じていたため,心神喪失あるいは心神耗弱の状態にあった旨主張するので,以下,これらの点について検討する(なお,以下において,医師J及び同K共同作成の精神鑑定書を「J・K鑑定」,医師L及び同M共同作成の精神鑑定書を「L・M鑑定」という。)。

第1関係証拠により認められる事実

1  被告人は,平成17年4月2日午前9時4分ころ,普通貨物自動車(登録番号○○***○****号,車両重量3620キログラム,幅2.24メートル,高さ2.48メートル,長さ8.49メートル。以下「本件トラック」という。)を運転して,R通りの片側4車線の第3車線付近をg方面に向けて走行し,S通りとの交差点にさしかかり,同交差点内の横断歩道手前で,ハンドルを右転把しながら急制動の措置を講じたが及ばず,本件トラックを判示第1の横断歩道上(以下「第1現場」という。)に進入させ,本件トラックが同所を青色信号に従って横断していた歩行者らに衝突した後,対向車線に進出し,対向右折車用の第5車線の停止線付近で停止した。被告人は,ハンドルを左に切りながら,本件トラックを横断歩道の中央部付近まで後退させて再度停止し,更に右にハンドルを切って前進し,歩行者専用道路であるS通り内に進入した。

S通りは,幅約11メートルで,両側にビルが建ち並び,天井部分にアーケードが設置され,車両通行禁止の交通規制が行われている歩行者専用の直線道路である。被告人は,第1現場からS通りをV駅方面に向かい,時速約58キロメートルないし66キロメートルで約150メートル直進し,同日午前9時4分ころ,判示第3の犯行現場(以下「第2現場」という。)において,同所を徒歩で通行していた被害者らに本件トラック前部が衝突して,被害者らを路上に転倒させた。さらに,被告人は,本件トラックを停止することなく,第2現場からT通りの交差点を越えて,時速約55キロメートルで約250メートル直進し,同日午前9時4分ころ,判示第4の犯行現場(以下「第3現場」という。)において,同所を徒歩で通行していた被害者らに本件トラック前部が衝突して被害者らを路上に転倒させ,被害者1名の背部を本件トラックの右前輪で轢過した。

被告人は,本件トラックを停止することなく,第3現場からS通りを更に約100メートル直進し,U通りの交差点のS通り側出口に停車した冷蔵冷凍車の約17.6メートル手前の判示第5の犯行現場(以下「第4現場」という。)において,ブレーキを踏んで本件トラックを停止し,同日午前9時5分ころ,同所において,用意していたペットボトル入り軽油約370ミリリットルを身に着けていたトレーナーの上から振り掛け,発炎筒を用いて点火した上,本件トラックを再発進させ,上記冷蔵冷凍車に衝突させて焼身自殺を図ったが,熱さに耐え切れなくなり,火の点いたトレーナーを脱いで,ダッシュボード上のメーターパネルの脇に置き,運転席側ドアを開けて本件トラックから降りた。

2  被告人は,本件トラックを降りた後,第4現場付近で,上半身裸の状態で暫くうろうろしていたが,その後歩き出し,V駅西口のペデストリアンデッキに通じる階段を上り,同日午前9時10分ころ,デッキ2階に面した入口からV駅交番に入った。被告人は,同交番内のカウンター前に立ち,警察官から「どうしましたか。」と質問されると,小さい声で「車をぶつけた。」と答えた。そして,警察官から,中に入るように促されて交番内の長いすに座り,警察官の質問に対し,氏名,本籍,以前の住所を自分でメモに記載した上,運転免許の有無,生年月日,職業について説明した。さらに,警察官から,本件について確認されると「ぶつかったけれども,何にぶつかったか覚えていない。」,「目の前に白い車が見えてぶつかった。」と答え,さらに,警察官に促されて,焼身自殺するつもりで火を点けたなどと放火の状況を具体的に説明した。さらに,別の警察官に対し,本件トラックを1人で運転していたこと,精神病院への通院歴はないことを話した後,第1現場の状況を尋ねられると,最初は「いやー」などと視線を逸らしてうつむいていたが,再度確認されると,「そっちに曲がっときになにかさにぶつかったんだ。最初分かんねかったんだけど,ぶつかった後に止まったっけ,人だと分かったんです。」,「頭の中で,声がしてたから止まんねかったんだ。」,「いろいろな人がぶつぶつ言ってんだ。頭の中で声がすんだ。」などと説明した。

被告人は,同日午前9時37分ころ,W署へ任意同行された後,病院に行って火傷等の治療を受けたが,医師の質問に対し,興奮もなく落ち着いていたが,3か月前から体調が悪くなった,1か月前からは4から5人の男女から死ね,俺を批判する声が聞こえる,俺を殺そうと話している声がする,俺を殺せば100万円もらえるなどと応答していた。被告人は,同日午後2時33分ころ,第1ないし第3現場における各業務上過失致死傷及び道路交通法違反(救護義務違反,報告義務違反)の容疑で緊急逮捕された。

3  被告人は,同日,警察官から歩行者と何回衝突した記憶があるのかと問われて,「何回ぶつかったかについてははっきりしませんが,何人かとはぶつかっています。私は,歩行者と最初にぶつかった後,急いで事故現場から逃げたのですが,その時に何人かの歩行者とぶつかったのです。」(乙26)と供述し,翌3日には,警察官に対し,「X公園で一晩過ごし,翌朝早くになってから車を走らせてr方面に出て,それから市内中心部に車を走らせた。人を跳ねたときの状況は,前方が交差点になっていて,歩行者が横断しており,私の方の信号が赤になっていたことは覚えているが,この直後に次々と人を跳ね飛ばしてしまった。救急車を呼んだり,警察に110番しなければならないことは分かっていたが,この時の私は逃げたくなって逃げた。この逃げる途中にも,次々と人を跳ねたが,最後に止まっているトラックにぶつかって止まった。ここで死のうと思い用意していたペットボトルの軽油を自分の上着にかけ,車の発煙筒で火をつけたのですが,火があまり燃え上がらずチョロチョロとしか燃えなかったので,ガソリンにすればよかったと思った。」(乙9)と供述し,翌4日には,検察官に対し,「長年の間,色々な人に馬鹿にされたり,酷いことを言われ続け,つくづく生きていくのが嫌になりました。少し前まで千葉にいましたが,今回人を跳ねたりする3日位前に,故郷の仙台で死のうと思い,普通電車で仙台まで来ました。死ぬ前にトラックを運転したくなり,4月1日の朝,レンタカー会社に行きトラックを借り,行く当てもないままV新港の方に行って死ぬつもりでしたが,実行できませんでした。そのうち,X公園に行きなさいというような声が聞こえたので,その公園に行きました。朝になって,またトラックを運転し,特に何処に行くという目的はありませんでしたが,V駅方面に来てR通りを走り,次々に人を跳ねました。最後は,用意したペットボトルに入れた軽油を自分の服にかけて発煙筒を使って火を点けましたが,一気に火が大きくなると思っていたのに,そうならずに我慢できなくなったことで,服を脱いで車を降り,とにかく警察に行かなければならないと思って歩いて交番まで行きました。」(乙28)と供述した。

しかし,同月12日の検察官の取調べで,事件のことで覚えているのは,白い車があったために止まったところからである(甲83)などと供述し,同月18日には,警察官の「4月2日あなたは何をしましたか。」との質問に対し,「黙秘します。」と答えた(乙39)。さらに,同月20日には,検察官に対し,「何か急いでブレーキを踏んだこと,何かがあって逃げたことを思い出した。これらについては,そもそも2つの出来事の間に関係があるのか,そのとき直前に何があってブレーキを踏んだのか,何があってどうして逃げたのかということまでは,まだ思い出せない。」(乙41)などと記憶の減退を訴え,さらに,鑑定留置後の同年9月になると,「X公園を出発して,rの方に行った記憶が残っているが,気付いた時に,R通りを北に向かって走り,クリスロードとの交差点で人をはねる事故を起こしてしまった。その後,訳が分からず何処をどのように走ったのか覚えていないが,気がつくと目の前にトラック1台,白色パネルが見えたので,ブレーキをかけて止まった。」(乙13)などと一層記憶が減退し,公判廷では,ペットボトルに軽油を入れたこと,事件後に交番にいたこと,逮捕後に病院へ行ったことなどは覚えているが,犯行状況や取調状況についてほとんど記憶がないとの供述に終始している。

第2殺意の有無

1  第1において認定した事実及び関係証拠によると,・※S通りは,見通しのよい歩行者専用の直線道路であり,本件犯行時刻ころ,同所を通行中の歩行者の動きがはっきり確認できる状況であったこと,・※被告人は視力が1.0で,本件トラックの運転席からの視界を妨げるものはなかったこと,・※S通りの第1現場から第4現場までの間には,一定間隔でアーケードの支柱が設置され,その内側に,第1現場からT通りの手前までの間に21本の植栽が設けられていたこと,・※S通りとT通りの交差点の東西出入口付近の中央部分2箇所に,幅1.03メートル,高さ1.09メートルの車止めが設置されていたこと,・※被告人は,本件トラックを時速55ないし66キロメートルで約500メートル走行させたが,上記支柱,植栽及び車止めには接触していないこと(尤も,検察官が主張するような,2つの車止めと直近の支柱の間の幅が狭い南側部分を通過したことを認めるに足りる証拠はない。),・※本件当時,S通りには,少なくとも数十名の歩行者が通行していたところ,本件トラックは,第2,第3現場で,4名の歩行者と衝突し,被害者らを前方に撥ね飛ばした上,衝突の衝撃により,フロントガラスの左右が大きく蜘蛛の巣状に割れて凹損し,さらに,路上に倒れた第3現場の被害者1名を右前輪で轢過したこと,・※被告人は,本件直後に自ら警察に出頭し,少なくとも同月4日ころまでの間は,第1から第4現場までの間に,本件トラックで通行人を撥ねたことを認める供述をしていたこと,・※被告人は,仙台市内で生まれ育ち,同市内で数年間に亘りトラック運転手や配送業に従事したことがあり,また,本件直前の3月28日から4月1日まで,S通り近くのホテルに宿泊したり,付近で飲食するなどして,S通りが歩行者専用のアーケード街であることを認識していたこと,・※被告人は,第1現場の横断歩道の手前で,赤色信号を見て急制動の措置を講じた上,適宜ハンドルを切り返しながら本件トラックを後退,前進させ,また,第4現場に停止した冷凍冷蔵車の手前で,ブレーキを踏んで本件トラックを停止しているところ,第2,第3現場における犯行は,第1現場から第4現場までの約1分余の間における一連の出来事であることが認められる。

2  以上の事実を総合すると,被告人は,第1現場における事故の後,第4現場に至って停止するまでの間,進路前方の状況を認識し,これに応じて本件トラックの運転操作を行っていたもので,被告人が,その間の第2,第3現場において,本件トラックの進路前方を通行している被害者らを認識していなかったことを窺わせるような事情は見出し難い。そして,本件トラックの前記走行状況や,被告人がこの間ブレーキを踏んだり警笛を鳴らすなどの回避措置を全く講じていないことを併せ考慮すると,特段の事情がない限り,被告人が被害者らに対して殺意を有していたものと推認される。

弁護人は,L・M鑑定において,「被告人が,人を轢いてしまうとか,その結果としてけがを負わせたり死亡させるかもしれないというほどの具体的認識を持ち得ていたかについては,鑑定人としては高い蓋然性をもって推測ないし判断することはできなかった」旨,また,J証人が,公判廷で,「精神医学的立場で,明確に殺意があったという根拠がつかめなかった」旨述べた部分を指摘して,被告人の殺意の存在を否定している。しかし,各鑑定において,殺意の有無は鑑定事項となっておらず,この点に関する問診等は十分には行われていないこと(M証言),被告人は,各鑑定人の問診でも,第2,第3現場の犯行状況のみならず,アーケード街を暴走した目的や当時の認識について,ほとんど記憶がない旨の供述に終始していることを総合すると,各鑑定人の上記指摘は,その前後の文脈を見れば,精神医学者としての立場から,通行人を積極的に殺害するといった明確な殺意があった旨の被告人の供述等が得られなかったことを述べているに過ぎないもので,前記殺意の認定に疑問を生じさせる事情とはいえない。

3  もっとも,本件では,殺人の犯行は,歩行者専用道路であるアーケード街を本件トラックで暴走して次々に通行人に衝突させるという特異な態様で行われていること,被告人から殺意の有無に関する供述が得られないばかりでなく,犯行の動機や当時の心理状態及び見当識等についても,覚えていないという理由で,被告人がほとんど供述しないことから,前記推認を妨げるような特段の事情が存するか否かについては,責任能力に関する考察を踏まえて慎重に検討する必要がある。そして,後記第4で説明するとおり,被告人は,もともと有していた自殺念慮や幻聴に加え,判示第1の事故を起こしたことに驚いて咄嗟に逃走を図ったため,認識能力や注意力が相当程度障害されていたことは認められるものの,なおその程度が著しいとはいえないのであって,殺意の推認を覆すような特段の事情があるとは認められない。

他方,第2現場,第3現場の被害者らは,S通りのほぼ中央部分に設けられた視覚障害者用モール付近をV駅方面に向けて歩行中に,後方から暴走してきた本件トラックに衝突されたもので,これに対して,被告人が道路の端を歩行中の通行人や逃げようとした通行人を狙って,殊更に本件トラックを走行させるなどした状況は認められないこと,被告人と各被害者との間には,全く面識がなく,何らの利害関係もないこと,当時被告人に自殺念慮はあったものの,不特定多数の通行人を自殺の道連れにして殺害する動機があったとまでは,証拠上認められず,各鑑定によっても否定されていることなどを総合すると,被告人が被害者らに対する確定的殺意まで有していたと認めることはできず,殺意の程度は,未必的なものに止まるというべきである。

第3建造物等以外放火の故意

第1で認定したとおり,被告人は,本件トラックの運転席に座った状態で,焼身自殺を企て,着ていたトレーナーに,ペットボトル入り軽油約370ミリリットルを振りかけ,発炎筒を用いて火を点けた上,熱さに耐え切れなくなると,トレーナーをダッシュボード上のメーターパネルの脇に脱ぎ捨てて同所付近を焼損させたもので,また,少なくとも,J・K鑑定の問診を受けた平成17年6月ころまでは,火を点けた具体的な状況に関する記憶を一応保持していたのであって,トレーナーに火を点けた時点で,本件トラックに放火する故意があったことが優に認められる。

弁護人は,被告人が自殺しようとしてトレーナーに火を点けただけであって,本件トラックを燃やそうとする意図はなかったと主張し,被告人の捜査段階の供述にもこれに沿う部分があるが,前記の火を点けた状況に照らし,極めて不自然かつ不合理な主張内容であって採用できない。

第4責任能力

1  被告人の責任能力に関する証拠として,捜査段階におけるJ・K鑑定,公判段階におけるL・M鑑定及びJ,L,M医師の各公判供述が存する。そこで,まず,各鑑定の前提となる被告人の精神疾患の有無,犯行に至る経緯,犯行当時の精神状態等について検討する。

2  各鑑定によると,被告人は,事件直後には,幻聴があったと述べていたが,同月12日に,J医師が簡易鑑定のために問診を行った際には,絶望感や自殺念慮は残存しているものの,幻聴や被害関係妄想は消失しており,その後の各鑑定人の問診時には,統合失調症等精神障害の症状は認められず,幻聴幻覚や自殺念慮は消失している,被告人に遺伝的負因や発達上の問題はなく,知能は平均的な水準であり,精神科の受診歴や治療歴もない,さらに,犯行状況等に関する記憶の著しい減退があるものの,詐病や意図的な虚偽の陳述をしている可能性はないという点で,意見が一致しており,これらの点は十分信用することができる。

3  関係証拠によれば,本件に至る経緯や被告人の精神状態について,以下の事実が認められる。

・※  被告人は,仙台市内で出生し,両親に養育され,高校卒業後,宮城県内で機械整備工,トラック運転手等として働き,平成8年9月に婚姻したが,当時勤務していた仙台市内の運送会社で,職場の人間関係を巡るトラブル等から年上の社員に殴りかかるなどして,同月に退職した。被告人は,平成10年4月,新潟県内の観光船を運行する会社に就職し,妻と平成9年2月に生まれた長男と3人で同県内に移り住んだ。ところが,被告人は,平成12年夏ころ,可愛がっていた長男が自閉症と診断されたことに衝撃を受け,同年12月ころ,上記会社を辞めて気仙沼市内の妻の実家で同居するようになったが,妻に対して長男の養育方法について文句を言うなどし,同居生活に嫌気がさすようになった。

被告人は,平成13年4月に単身仙台に出て来て,兄の紹介により運送会社に運転手として勤務するようになったが,その場にいないはずの様々な人の「声」が,「これを取って」,「その菓子おいしいか。」,「風呂の水を取り替えないなんて汚い。」などと被告人の行動に干渉,批判,指図してくる内容の幻聴が出現した。被告人は,幻聴が続いたため,仕事関係者が自分を監視し,声を聞かせて嫌がらせをしていると思い込み,さらに,上司に相談しても取り合ってもらえなかったことから,会社ぐるみで嘘をついているとして被害妄想を強め,「ストーカーみたいなことをされるのではやっていられない。」と訴えて数か月で退職した。また,事情を尋ねた兄に対し,「兄貴とは思ってないからいいよ。何言ったってわかんねえから。」などと言った。被告人は,その後,ほとんど実家に寄りつかなくなり,平成14年2月には,突然妻を訪ねて離婚を申し入れ,妻から離婚したら子供には会わせないなどと言われても翻意せず,離婚届を提出して,平成15年ころからは,妻や子供とも連絡を取らなくなった。

・※  被告人は,離婚後しばらくすると単身で上京し,千葉県内で,線路補修や土木工事の会社に就職し,仕事は真面目にしていたものの幻聴が続いていた。被告人は,周囲の人に「何か聞こえませんか。」と尋ねても,そんなの聞こえないなどと否定されて人間不信を募らせ,短期間で仕事を変えていた。平成16年になると,幻聴が激しくなり,被告人は,アパートの部屋の中でイライラして大声で叫んだり,壁の中から「声」が聞こえると思って壁に穴を開けるなどの異常行動を示した。さらに,同年8月には,被告人は,古書店を通りかかったが,その中にいた人が自分を見て馬鹿にしているように感じ,同店のガラスを蹴って壊す事件を起こして逮捕された。この事件で勾留されている間,被告人は,幻聴が消失していたか,気にならなくなっていたが,警察官には幻聴について話さないまま,罰金刑を受けた。

被告人は,同年11月から線路補修工事の会社に勤務し,年上の同僚と会社の寮の2人部屋で生活を始め,周囲からは,真面目な仕事振りで礼儀正しく落ち着いた人物として評価されていたが,他方で,ぶり返した幻聴に再び悩まされるようになった。被告人は,身の上話を打ち明けるなどしていた上記同僚に対し,同年3月ころ,「人が呼んでいる声が聞こえる。声聞こえませんか。」などと幻聴を訴えたが,同僚には取り合ってもらえず,かえって病院へ行くように勧められたため裏切られた気持ちになった。

・※  被告人は,同月11日,無断で寮を出て仕事を辞め,手持ちの現金10万円くらいを持って,Z駅近辺の漫画喫茶やカプセルホテルで寝泊まりし,同月26日には就職面接を受けたが断られてしまい,当てにしていた2月分の給料も銀行口座に振り込まれていなかった。被告人は,同月28日,再度確認しても給料が振り込まれていなかったことから,「会社も社長もグルか。」と思い,頭に来て同口座の通帳を道路に捨てた。被告人は,「俺に病院へ行けとか,どこまで馬鹿にすれば気が済むんだ。どうせ又仕事をしても,同じことを言われるだけだ。俺の人生,何もいいことがない。誰も自分のことを信用してくれない,信用できない。いつまでもこんな苦労するなら,いっそのこと死んでしまおう。」などと考えて自殺することを決意した。そして,「自分が人生を踏み外したのは,仙台の運送会社でいじめられたのが発端だ。仙台を嫌いになって新潟に行かなければ,子供が自閉症になることも女房と離婚することもなかった。子供の病気のことで心が痛んだころから,変な声が聞こえるようになり,そのころからみんながグルになって私を騙すようになった。どうせ死ぬなら自分の人生を狂わせた仙台で死のう。仙台の運送会社でいじめに遭ったときに運転していた憎き4トンラックの平ボディの運転席で火を点けて焼身自殺し,車ごと燃やしてやれ。俺の人生それで終わり。」などと考え,仙台に行ってトラック内で焼身自殺することを決意した。

・※  被告人は,O1線の各駅停車の電車に乗って仙台に向かい,同日から31日までa区bs丁目所在の第4現場の裏手通りにあるホテルに宿泊した。被告人は,同月29日,レンタカー会社に行ってトラックを借りようとしたが,その日は適当な車両がなかったため借りることができず,同年4月1日に平ボディのトラックを借りる予約をした。被告人は,3月31日は,アーケード街をぶらぶらして時間をつぶし,青葉区x所在の漫画喫茶で夜を明かし,翌4月1日午前10時ころ,前記レンタカー会社で,本件トラックを借り受けた。被告人は,本件トラックを運転してV新港に赴き,空き地に停めると,持っていたダウンジャケット,携帯電話,小銭を車外に捨て,ペットボトルを拾ってこれに本件トラックの燃料タンクから軽油を移し替えるなどして焼身自殺の準備をしたが,夕方近くなって,おかしな声が「X公園に行きなさい。」と何回も言ってきたため,同公園に行けば何かがあるかもしれないと思い,y区所在の同公園まで行ったが,何もなかったので同公園内に本件トラックを停め,車内で一夜を明かした。被告人は,翌2日早朝,本件トラックを発進させ,仙台市r区方面に出て,その後詳しい経路は不明であるが,市内中心部に戻って来て,z通りから左折してR通りに入った。

4  まず,本件前の被告人の精神疾患の有無について検討すると,J・K鑑定によれば,遅くとも平成13年7月以降に出現した前記注釈性幻聴が世界保健機構(WHO)監修の国際疾病分類第10版(ICD-10)の「幻聴が1か月以上継続すること」という診断基準を満たすとして,本件当時,被告人は統合失調症に罹患していたというのであるが,他方,L・M鑑定によれば,前記幻聴について,その当時,専門家が被告人から聴取して診断したことはなく,幻聴が消失した後から情報を得て判断せざるをえないので,診断の確定は困難である,上記ICD-10の診断基準を満たす可能性は高いが,明確な結論を下すことはできない,幻聴はあっても,幻覚,妄想,まとまりのない会話,緊張病症状,陰性症状が認められないため,P1学会編纂の診断と統計のためのマニュアル第4版(DSM-Ⅳ)の診断基準を満たすとはいえないが,詳細な情報が得られればその診断基準を満たす可能性はあるというのである。

両鑑定を比較すると,前記幻聴が1か月以上継続したか否か,また,前記幻聴による被害妄想が生じていたか,あるいは妄想様観念にとどまるのかという点で差異がある。この点について,検察官は,被告人の幻聴が1か月以上継続したと認める証拠はないから,被告人が統合失調症に罹患していたとする上記J・K鑑定は,その前提を欠いていると主張する。

確かに,前記幻聴について,被告人は,平成17年4月,検察官,警察官の取調べに対し,前記3の・※・※のように供述し,同年6月のJ・K鑑定の問診でも,ずっと「声」が聞こえていた,闘いみたいになるなどと答えているものの,被告人の説明は,全体としてみると具体性に乏しく,特に平成17年2,3月ころの幻聴の内容は極めて漠然としていて,曖昧な内容である。これに加えて,両鑑定が被告人の幻聴が状況依存的に出現,消失するという点で一致していること,前記認定のとおり,被告人が,同年3月上旬まで,線路補修作業の会社で勤務し,同僚との寮生活でも自活していたこと,仙台に来てから,ホテルに宿泊し,レンタカーを借りるなど目的に沿って合理的に行動し,特段異常な言動は現れていないことを考慮すると,被告人の訴える幻聴が1か月以上継続していたかについては,証拠上,これを確定するのは困難といわざるを得ない。しかしながら,被告人は,前記のとおり,警察官や検察官に対し,幻聴をきっかけにして,職場の人間に不信感を抱き,幻聴を訴えても周囲の人間に理解されなかったことから,孤独感や人間不信を募らせていたと述べているところ,平成13年以降,被告人が,短期間で転職を繰り返していること,妻子や親族と離れて単身で上京して生活するようになったこと,最後に勤務した会社でも,会社の同僚に「声が聞こえないか」などと繰り返し訴えていたこと,その後に突然会社を辞めて自殺を決意したことなどの犯行に至る経緯は,被告人の供述を裏付けている。そして,L・M鑑定においても,診断名としては統合失調症がもっとも疑われるとされていることに照らすと,本件当時,被告人が幻聴を主な症状とする統合失調症に罹患していた可能性があり,少なくともその疑いを否定することはできないというべきである。

一方,被告人の場合,・※幻聴が圧倒的に優位で,幻聴以外の症状が乏しいこと,・※統合失調症でしばしば見られる連合弛緩が少なく,思考のまとまりや会話の脈絡は保たれ,人格水準の低下も目立たないこと,・※幻聴が状況依存的に出現,消失する特異な特徴があること,・※身柄拘束により,何らの服薬,治療がなされないのに,幻聴が消失しているが,この現象は珍しいという点で,両鑑定が一致しており,この判断は関係証拠によっても十分に裏付けられた合理的なものであり,被告人の場合には,統合失調症に罹患していたとしても,その辺縁,境界に位置する症例であると認められる。

5  自殺を決意した動機

次に,被告人が自殺を決意した動機について検討すると,被告人は,捜査段階では,前記3・※のように供述し,この点は,L・M鑑定が,幻聴を苦痛に感じて逃れようと考えていた,(同僚から)幻聴の存在を否定されて,病院に行くように言われた,給与の振込みがなかった,再就職できなかったなどという総合的な要因から自殺を決意したのであって,幻聴そのものが絶望感を煽り自殺を教唆したわけではないと指摘しているのも,上記供述に即した合理的判断であり,十分信用できる。他方,J・K鑑定では,正体不明の「声」に苦しめ続けられるのは耐え切れないとの気持ちを募らせ,「死んだ方が楽だ」との観念が浮かんだと説明し,幻聴が自殺を決意した直接の原因であるかのように述べられ,これは被告人との問診の結果(同鑑定書37頁,46頁)に基づくものと考えられるが,この点は前記捜査段階の供述といささか趣旨を異にするもので,直ちに採用できない。

6  第1現場までの精神状態

3で認定したとおり,被告人は,仙台に到着した翌日の3月29日,焼身自殺をするためレンタカー会社でトラックを借りる予約をし,4月1日に本件トラックを借り受けると,V新港に向かい,その燃料タンク内の軽油をペットボトルに移し替え,ダウンジャケット,小銭,携帯電話を捨てるなどした。被告人は,本件犯行までの間に,具体的な自傷行為に出たことはなかったものの,自殺念慮は一貫して持続していたと認められ,4月1日に,X公園に行くように「声」に言われたと述べているのも,自殺念慮の影響によるものと考えられる。

J・K鑑定は,「被告人が,X公園を出発した後,r方面から南下途中までの状態は朧気ながら想起できるものの,z通りに入って第1現場に至るまでの出来事については,どこを走ったかすらも想起できない点が,それ以前の状態と大きく異なる」,「この変化の理由として,急な意識障害の出現,あるいは幻聴の活発化や自殺念慮が増大し,これにとらわれて周囲の事柄に注意を向け,認知する機能が著しく低下したというべきレベルに達していたため,当時の行動が記憶として定着せず,後に想起が困難となったものと考えるべきである」としている。

検察官は,被告人が,検察官調書(乙8)において,「この日,公園を出発するころは,誰かが話す声が聞こえていましたが,途中からは声が聞こえてこなくなりました。」と述べていることを指摘し,第1現場の直前まで幻聴が続いていたことを前提とするJ・K鑑定の判断を誤りであると主張する。しかし,この供述は,声が聞こえなくなった時期や理由が具体的に説明されていないこと,被告人が,本件当日,交番に出頭した直後から,「いろいろな人がぶつぶつ言ってんだ。頭の中で声がすんだ。」などと幻聴の存在を訴えていたこと,被告人の幻聴は内心の葛藤に大きく左右される性質のもので,当時被告人が自殺を思い詰めて相当に切羽詰まった状態であったと考えられることに照らすと,前記供述のみから幻聴が消失していたとまで認めることはできず,検察官の前記主張を直ちに採用することはできない。

なるほど,関係証拠によれば,被告人の犯行前日までの行動に関する供述が相当に具体的であるのに較べて,犯行当日の行動に関する供述は甚だ曖昧であって,両鑑定が指摘するとおり,被告人が自殺を巡る葛藤の中で精神的に疲弊し,幻聴が増大するなどして注意力が障害されていたことが認められる。しかしながら,被告人は,z通りに入ってから第1現場に至る直前までの運転経路のみならず,X公園を出発後,r方面へ北上し,更に市内へ南下したと言うが,その経路についてもほとんど記憶しておらず,説明できていないのであって,両者の間に,J・K鑑定が指摘するような明白な認知・記憶の差異は見出し難い。したがって,この点を主な根拠として急な意識障害が生じたとする前記判断部分は直ちに採用できない。

そして,被告人が,X公園から第1現場まで運転を継続中,交通事故を起こしたことがなく,信号無視等の異常な走行をしたような状況は,証拠上窺われないこと,第1現場の直前で急ブレーキをかけたこと,その理由について,被告人が,「前方が交差点になっていて,歩行者が横断しており,私の方の信号が赤になっていたことは覚えている。」(乙9,警察官調書)旨供述していることを総合すると,L・M鑑定が指摘するとおり,第1現場の直前で,被告人の判断能力や行動に影響を与える新たな精神症状が発生したとは考えられず,自殺を思い詰めて本件トラックを走行中,注意力・集中力が障害されていたため,注意力が散漫となって赤色信号を看過したものと認められる。

7  第1現場後の精神状態

まず,被告人は,判示第1の犯行により人を轢いたことを認識し,現場から逃げなければならないと思った旨本件直後からJ・K鑑定の問診を受けるまで一貫して供述しており,第1現場から逃走する意図があったことは明らかである。そして,逃走することについて,幻聴に指示されたりしたことはないという点でも供述が一貫し,両鑑定においても,第1現場から逃走したことに加え,第2,第3現場における各殺人行為,第4現場における放火行為は,いずれも被告人が抱えていた幻聴との間に直接の因果関係はないと判断されている。

J・K鑑定は,第1現場から第4現場に至るまでの間,被告人が,人を轢いてしまったこと,逃げなければと考えたことを除き,ほとんど記憶がないと述べていることを指摘し,「驚愕反応」という概念が当てはまると判断している。「驚愕反応」は,人間が爆撃,大地震,火事,大事故などの驚異的な出来事に突然遭遇した際に生じる特殊な心身の反応であり,意識野の狭窄,注意の狭小化,失見当識,まとまりを欠いた暴発的行動,顔面蒼白,心悸亢進,呼吸困難感,発汗等の自律神経徴候がよく見られるところ,その特徴が,被告人の記憶が欠落していることやアーケード街を暴走するという暴発行動に合致するというのである。

しかしながら,L・M鑑定によれば,被告人が,「驚愕反応」に陥ったとすれば,何らかの目的をもった行動やまとまりを持った行動は不可能になるので,運転席でパニックを起こし,運転不能となるか,建物に車を衝突させたり,その場にいた人を次々に轢くなどの現象が生じたはずであること,事故直後の被告人の言動を見ても,自律神経系の興奮による動悸,呼吸困難,発汗,切迫した不安が窺われないこと,被告人は現場から逃走するために,アーケード街を直進し,進路を塞いだ車両を見て車を停めるなど目的に従った行為をしていることから,「驚愕反応」という独立の概念には当てはまらないというのであり,この結論は,これまで認定した各事実に照らし,十分に首肯することができる。したがって,J・K鑑定のいう「驚愕反応」という概念のみで,被告人の精神状態を説明するのは困難であるといわざるを得ない。

そして,L・M鑑定によれば,第1現場以降の被告人の精神状態は,「自殺を思い詰めて精神的に疲弊していた者が,不注意で事故を起こしたことに対して,普通の意味で驚愕し,狼狽し,焦って現場から逃げ出そうとしたと考えるのが適切である。第1現場で対向車線側に自車の先頭を向けた形に停車した後,これを切り返すと必然的に前方にはアーケード入口が見えることから,被告人が熟考せずに焦燥感,切迫感などから逃走を行うとすれば,その目前のアーケードにむけて進行していくのはおおよそ自然なことであると思われる。」というのであり,J・K鑑定が,驚愕反応という診断は措くとして,「第1現場で誤って人を轢いてしまったことでハッと我に返り,気が動転して茫然自失となり,とっさに逃げなければという気持ちが生じ,目に入ったSに向かってハンドルを切り,無我夢中で逃走し,第2現場及び第3現場で人を轢いたことすらも意に介することができなかったが,前方に車が停まっていて進路を塞いでいるのを見て,それ以上の逃走をあきらめた。」としているのと概ね合致して,合理的な判断であると認められる。

最後に,判示第5の犯行時における被告人の精神状態を検討すると,被告人は,もともと自殺念慮があった上,進路前方が停止車両に塞がれて,それ以上の逃走が不可能になり,追い詰められた結果,焼身自殺を図ったものと推認される。そして,被告人が予め用意した軽油を上半身に振りかけるなどして短時間で火を点けていること,犯行直後に自ら警察に出頭し,その後,J・K鑑定の問診を受けたころまでの間は,火を点けた状況を記憶し,具体的に説明していたことに照らすと,第2,第3の犯行時よりも,意識状態や注意力は保持されていたと認められる。

8  責任能力

以上認定した事実に基づいて,被告人の責任能力について判断する。

・※  判示第1の犯行は,被告人が,自殺を思い詰めて本件トラックを運転中,注意力・集中力が障害されていたため,注意力が散漫となって,赤色信号を看過した過失によるものである。赤色信号看過の過失は,通常の運転者でも起こり得るものであって,特段異常な態様の過失とは認められず,また,被告人は,交差点の直前で,横断歩行者との衝突を避けるため,ハンドルを右に切りながら急制動の措置を講じるなど状況に応じた合理的な回避措置を講じている。被告人は,犯行前日に本件トラックを借り受けて以降,数時間に亘り,約98キロメートルの距離を走行している(甲59,捜査報告書)ところ,第1現場に至るまでに,交通規制に違反したり,交通事故を起こすなどの異常な走行をした形跡は窺われない。被告人は,幻聴が出現していた平成13年以降,自動車運転手としてトラックを運転し,平成17年3月まで勤務した会社でも,仕事で車を運転する機会があり,同乗していた同僚に幻聴を訴えたこともあったが,それでも事故を起こしたことはない。

L・M鑑定は,被告人が,第1現場では,病的体験による切迫感や焦燥感を主因として,自動車の安全な運行に必要な程度に注意を働かせるに十分な事理弁識能力及び行動制御能力が相当程度障害されていたものの,失うに至る程度ではなかったとしている。同鑑定書には,その程度について,「著しく障害されていたとはいいうる(25頁)」という記載もあるが,L医師の当公判廷における証言によれば,被告人の場合,幻聴によって命令されてやったという意味での直接の因果関係が欠如しているとして,鑑定主文のとおり,相当程度に止まると修正されている。他方,J・K鑑定では,是非弁別能力及び行動制御能力が「著しく減弱していた」と結論づけられているが,同鑑定は,本件直前に急な意識障害や認知機能の低下が生じたことを前提としているもので,その前提が採り得ないことは前記のとおりである。

以上の事実を総合すると,被告人が,判示第1の犯行当時,対面信号機や横断歩道等の道路状況に関する認識を欠いたり,その意味を理解して運転を行う能力を欠いていたとは認められない。そして,被告人の場合,幻聴という精神症状と赤色信号を看過した過失との間に一定の関連性があることは否定できないが,それは幻聴に指示・命令されるといった直接的なものではなく,被告人は,自殺を思い詰めて精神的に疲弊し,さらに幻聴が増大したことによって一層注意力が散漫な状態になったものであること,赤色信号に従って交差点手前で停止するのは,自動車運転者としては最も基本的な注意義務であり,それほど高度な判断力を要するとはいえないことを考慮すると,被告人は,判示第1の犯行当時,是非弁別能力及び行動制御能力を相当程度障害されていたものの,著しく障害されていたとまではいえず,なお完全責任能力を有していたと認めるのが相当である。

・※  判示第2の犯行は,被告人が,判示第1の事故を起こして一旦停止した際,人を轢く重大事故を起こしたことを認識し,現場から逃げようとして,被害者の救護や警察への報告をすることなく,第1現場から逃走したものである。また,判示第3,第4の犯行は,判示第2の犯行に引き続いて逃走を続け,歩行者専用道路であるアーケード街を本件トラックで暴走する最中に,2か所で次々に歩行者を撥ね飛ばしたものである。重大な人身事故を起こしたことを認識して,咄嗟に逃走しようとした心情は,通常人にあっても起こり得るもので,十分に了解可能である。他方,これに引き続く第2現場,第3現場の各殺人の犯行は,歩行者専用道路に本件トラックを乗り入れて高速度で暴走し,自車の進路前方を歩行していた被害者らに次々と衝突したという特異な態様であるが,重大事故に驚愕し,咄嗟に逃走を図るなどして,冷静な判断力,注意力を失うことはあり得ることであり,当時被告人が,自殺を思い詰めて相当に憔悴していた状態であったこと,本件トラックが第4現場で停止するまで約1分間余の連続した犯行であることを考慮すると,その動機や経緯が了解不可能であるとはいえない。そして,被告人の場合,幻聴そのものが逃走,殺人を命令したものではなく,判示第2から第4の犯行では,幻聴や自殺念慮との関連は間接的なものにとどまる。

L・M鑑定は,第2,第3現場では,判示第1の犯行の結果を自覚したことに由来する精神的負荷を主因とする切迫感や焦燥感から,事理弁識能力及び行動制御能力が相当程度障害されていたものの,失うに至る程度ではなかったとし,L医師は,「驚いたという正常人にも見られる心理が主たる要因としてかかわったという意味で,心神耗弱とは判断しがたいと考えた。」旨供述している。また,J・K鑑定においても,「驚愕反応」という判断が採り得ないとしても,一般論としては,驚愕反応が極めて一過性の反応であり,「気が動転して」,あるいは「無我夢中で」といった正常心理の延長線上でも十分理解可能であることは一致している。

弁護人は,L・M鑑定における「被告人は,遠方から継続して視認している位置から移動をしない車止めや樹木を避けることは可能であったが,比較的小さく,まばらにしか存在せず,かつ移動しつづける,つまり,進路を大きくふさぐような存在とは認識されないであろう人間をよけるほどの注意力を働かせるほどではなかった。」という指摘を取り上げ,この点はJ・K鑑定が被告人の意識野の狭窄を指摘するのと一致しているとして,被告人の注意力が著しく障害されていたと主張する。しかし,L・M鑑定では,被告人の心理状態について,上記のような推測をした上で,注意力が障害されていた程度を検討した結果,心神耗弱には当たらないと判断されているのであって,同鑑定の結論を左右するものではない。

判示第5の犯行は,被告人が,もともと有していた自殺念慮に加え,それ以上の逃走が不可能になり,追い詰められた結果,焼身自殺を図ったものである。犯行方法は,進路を塞いだ車両の手前で本件トラックを停止し,運転席に座ったまま,予め準備した燃料を自己の着衣に振りかけて点火するという目的に従った合理的なものであり,また,犯行後警察に自ら出頭して,具体的な犯行状況を説明するなど判示第1ないし第4の犯行と比較して,注意力や記憶力が保持されていたと認められる。

L・M鑑定では,被告人は,もともとの病的体験による影響により,当初から計画していた自殺を決行したもので,事理弁識能力及び行動制御能力は著しく障害されていたとされているが,他方,M医師は,公判廷において,判示第2から第4の犯行の延長線上で,もはや逃げ切れないと観念して自殺を図ったもので,判示第2から第5の犯行で責任能力の程度は変わらないと証言している。

以上の事実を総合すると,被告人は,判示第2ないし第5の犯行当時についても,それぞれ是非弁別能力及び行動制御能力を相当程度障害されていたものの,なお完全責任能力を有していたと認めるのが相当であって,弁護人の責任能力に関する主張は採用できない。

(量刑の理由)

本件は,被告人がいわゆる4トントラックを運転中,仙台市中心部の繁華街の交差点で,赤色信号を看過して進行した過失により,横断歩行者1名を死亡させ,2名を負傷させた業務上過失致死傷(判示第1),その事故現場から逃走して救護・報告義務を怠った道路交通法違反(同第2),歩行者専用道路であるアーケード街を同トラックで暴走し,歩行者に次々と衝突させた2名に対する殺人,2名に対する殺人未遂(同第3,第4),アーケード街に停めた同トラック内で焼身自殺を図り,同車両を焼損した建造物等以外放火(同第5)から成る事案である。

業務上過失致死傷の犯行についてみると,被告人は,かねてより幻聴等に悩まされ,本件当時は自殺を思い詰めて本件トラックを運転していたところ,注意力が散漫となって赤色信号を看過したもので,信号機の表示に留意し,赤色信号に従って停止するという最も基本的な注意義務に違反した過失は重大である。本件により,青色信号に従って道路を横断していた被害者3名が,本件トラックに衝突されたり,被衝突者に衝突されて転倒し,1名が死亡し,2名がそれぞれ加療約3か月間を要する重傷を負い,多大な肉体的,精神的苦痛を被ったもので,結果も重大である。死亡した被害者は,夫と2人で,幸福で平和な人生を送っていたのに,本件により突然その生命を絶たれたもので,肉体的精神的苦痛は甚大であり,その悔しさ,無念さは察するに余りある。夫は,伴侶の突然の死に強い精神的衝撃を受け,今なお癒えることのない心の傷に苦しみ続けており,その処罰感情は厳しい。

道路交通法違反の犯行は,被告人が第1の事故後,重大な人身事故を起こしたことに狼狽し,咄嗟に逃走しようと決意して敢行したものと認められ,被告人が前記のような精神状態にあったことを考慮しても,身勝手で卑劣な犯行であるといわざるを得ない。

殺人,殺人未遂の各犯行は,被告人の記憶の減退が著しいため,犯行動機の詳細は明らかではないが,被告人は,前記の経緯から,逃走の目的で咄嗟に目の前のアーケード街に進入して,本件トラックを暴走させたものと認められ,自己保身のみを優先し,多数の歩行者等の存在を全く無視した卑劣で身勝手かつ短慮な犯行動機に酌むべき事情は微塵もない。犯行態様は,歩行者専用道路であるアーケード街において,4トントラックを時速約50ないし60キロメートルもの高速度で走行し,回避措置を全く講じることがないまま,背後から被害者らに衝突し,うち1名の被害者を轢過したもので,甚だ危険で残虐な犯行である。各犯行により,何の落ち度もない被害者2名が生命を奪われ,また,被害者2名がそれぞれ入院加療101日間と全治約2か月間の重傷を負ったもので,その結果は誠に重大である。死亡した女性は,良き妻良き母であり,地域社会の世話役を積極的に務めるなど生き甲斐に溢れた人生を送っていたのに,本件犯行によって,突然その生命を絶たれたもので,遺された家族の喪失感,絶望感は深刻である。死亡した男性は,親しく交際していた女性がおり,社会人になって間もなく,将来を嘱望されて充実した日々を送っていたのに,未だ24歳の若さで,突然その生命を奪われたもので,その悔しさ,無念さは察するに余りあるものがある。遺された親兄弟の悲痛な言葉を聞いても,誠に惨く,無慈悲であるとしか言いようがない。遺族らが一様に深い憤りと峻烈な処罰感情を露わにしているのも当然というべきであり,重傷を負った被害者らも,今なお事件による後遺症や社会復帰の困難さに苦しみ続け,被告人に対する厳しい処罰感情を訴えている。

建造物等以外放火の犯行についてみると,被告人は,逃げ道を塞がれて追い詰められ,かねて準備していたペットボトル入り軽油を用いて焼身自殺を図ったものであるが,当時被告人が憔悴して追い詰められた精神状態にあったことを考慮しても,身勝手で独善的な動機に酌むべき点は存しない。犯行態様は,V駅近くの繁華街であるアーケード街に停車したトラックの運転席内で火を点け,熱さに耐え切れなくなると,燃えているトレーナーをダッシュボード上のメーターパネル脇に脱ぎ捨ててその場を立ち去ったもので,一歩間違えば,自車や冷凍冷蔵車の燃料タンクに引火したり,周囲の建物に延焼するなどしてアーケード内の火災に発展するおそれがあったもので,危険性の高い犯行である。本件により,レンタカーであるトラックの運転席やダッシュボード付近が焼損しており,財産的被害も軽視できない。

このように,本件による被害は甚大であるにも拘わらず,被告人は,いずれの被害者及び遺族に対しても,何ら見るべき慰謝の措置を講じておらず,今後ともその具体的見通しはない。

加えて,本件は,暴走してきたトラックに横断歩道やアーケード街を歩いていた歩行者が,撥ねられたり,轢かれたりして3名が死亡し,そのトラックがアーケード街で炎上,焼損した重大事件であり,全国に衝撃を与えたばかりでなく,その後,アーケード街に自動車で突っ込む同種の事犯が発生しており,社会に及ぼした影響も看過することができない。

以上によれば,被告人の刑事責任は誠に重大であり,検察官が主張するように,被告人を無期懲役刑に処して,終生に亘ってその罪を償わせることも考慮されるところである。

しかしながら,他方,被告人については,前記のとおり,本件各犯行当時,幻聴に苛まれ,自殺しようと思い詰める中で,注意力や判断力が相当程度阻害されており,その程度は必ずしも軽いとはいえないこと,長年に亘って幻聴に悩まされ,統合失調症に罹患していた可能性があり,その故もあって,離婚したり転職を繰り返す中で,治療を受ける機会もないまま,人間不信や孤独感を募らせ,ついには自殺を決意して故郷である仙台市に舞い戻り,本件に至ったもので,その経緯には,すべてを被告人の責任として責めるには酷な点も存すること,アーケード街の歩行者に対する殺意は,判示第1の事故に触発されて偶発的に生じたものであり,しかも未必的なものに止まること,放火の犯行は,幸いにして,付近に居合わせた人々の迅速な消火活動により大事に至らなかったこと,懲役刑や禁錮刑に処された前科はなく,仕事は転々と変えながらも比較的真面目にしていたことなどの酌むべき事情も認められる。

そこで,以上の諸事情を総合考慮し,被告人に対しては,有期懲役刑を選択した上,主文掲記の刑に処するのが相当と判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役)

(裁判長裁判官 山内昭善 裁判官 齊藤啓昭 裁判官 岸田航)

<編注:『※』部分は原文のとおり。>

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