大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 平成17年(ワ)1631号 判決 2008年7月31日

原告

X1

同法定代理人親権者父

同法定代理人親権者母

原告訴訟代理人弁護士

佐久間裕

三瓶淳

被告

Y1

被告兼上記被告Y1法定代理人父

Y2

被告兼上記被告Y1法定代理人母

Y3

同三名訴訟代理人弁護士

中谷聡

被告

富谷町

上記代表者町長

若生英俊

同訴訟代理人弁護士

阿部長

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金三三一三万五七三三円及びこれに対する平成一四年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金五〇七〇万七七九六円及びこれに対する平成一四年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要等

一  事案の概要

本件は、原告が、中学校の教室内において始業前の時間帯に、同じクラスの生徒から箒を投げつけられ、その結果、右眼を損傷し、視力低下、視野欠損、続発性緑内障による視神経萎縮などの後遺症を負ったとして、箒を投げつけた生徒に対しては民法七〇九条に基づき、同生徒の親権者らに対しては監督義務違反があるとして民法七一四条一項ないし民法七〇九条に基づき、中学校を設置管理している町に対してはその雇用する校長や学級担任等の教員について安全配慮義務違反があるとして国家賠償法一条一項ないし民法七一五条一項に基づいて、治療費等の損害金合計五〇七〇万七七九六円の支払とこれに対する不法行為日である平成一四年一二月二〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  争いがない事実

(1)  当事者

ア 原告(平成○年○月○日生)は、平成一四年一二月二〇日当時、被告富谷町が設置管理している富谷町立a中学校(以下「被告学校」という。)△年△組(以下「本件クラス」という。)に在籍していた者である。

イ 被告Y1(平成○年○月○日生)は、原告と同様、平成一四年一二月二〇日当時、本件クラスに在籍していた者であり、被告Y2は、被告Y1の親権者父であり、被告Y3は、被告Y1の親権者母である(以下、被告Y1、被告Y2及び被告Y3を併せて「被告Y1ら」といい、被告Y2及び被告Y3を併せて「被告Y2ら」という。)。

ウ 訴外Cは、平成一四年一二月二〇日当時、被告富谷町に、被告学校の教員として雇用され、被告学校の校長を務めていた者であり(以下「C校長」という。)、訴外Dは、同日当時、被告富谷町に、被告学校の教員として雇用され、本件クラスの担任を務めていた者である。

(2)  事故の発生

平成一四年一二月二〇日(以下「当日」又は「事故当日」ということがある。)、午前七時四二分ころ、本件クラスの教室(以下、単に「教室」という。)内において、被告Y1の放り投げた箒が原告の右眼にあたり、原告は右眼に傷害を負った(以下「本件事故」という。)。

三  争点

(1)  本件事故の態様

(2)  被告Y1の不法行為責任

(3)  被告Y2らの不法行為責任

(4)  被告富谷町の国家賠償法上のまたは使用者責任に基づく不法行為上の責任

(5)  損害の発生とその数額

(6)  過失相殺

四  争点に対する当事者の主張

(1)  争点(1)(本件事故の態様)について

ア 原告の主張

事故当日、被告Y1は、原告に対し、一方的に言いがかりをつけ始め、原告の腹を殴るなどしてきた。

そのうち、被告Y1が、座敷箒と自在箒を一本ずつ持ち出し、座敷箒を使って原告をつついてきた。この際、被告Y1は、教室内にいた他の生徒から注意されたが、なお原告に対する箒による威嚇を続けた。

その後、原告が座敷箒を取り上げると、被告Y1は、もう片方の手に持っていた自在箒を約二mという至近距離から、原告の顔をめがけて投げつけた。

イ 被告Y1らの主張

(ア) 原告と被告Y1とはクラスメイトであり、本件事故以前に、学校でしばしばふざけあいをしていたことがあったが、それは、被告Y1が一方的に原告に対して暴力を振るっていたというようなことではなかった。実際には、原告は柔道をしていて、体格の点でも腕力の点でも被告Y1に勝っており、被告Y1は、原告から首を絞められたり叩かれたりしたことがこれまでにも何度かあった。

(イ) 本件事故は、上記のようなふざけあいの中で生じたものである。すなわち、原告から追いかけられ、原告から攻撃を受けては敵わないと考えた被告Y1は、教室内を走って逃げながら自在箒を持ち出し、原告に対し、「こっち来たらこれ(自在箒)投げるから」と言ったところ、原告がさらに被告Y1を追いかけて来た。そのため、被告Y1は、「捕まったらまた痛めつけられる」と考え、自分の身を守るためにとっさに原告がいる方向へ自在箒を投げたところ原告に当たってしまったものであり、不幸にして生じてしまった偶然の事故である。

被告Y1は、原告の方向に自在箒を投げはしたものの、原告の体に当てるという意図は全くなく、ましてや原告の顔に当てるという意図もなかった。また、被告Y1は、自在箒を投げると同時に教室から廊下に逃げたため、箒が原告に当たったかどうかも実際には見ていない。

なお、被告Y1が二本の箒を同時に持っていたことはなく、事故直前の被告Y1と原告との間の距離は二メートルよりも遠かった。

ウ 被告富谷町の主張

被告Y1と原告とは、同じバトミントン部に所属するクラスメイトであり、被告Y1は、柔道をしており力も強い原告に日頃から頭を叩かれたり首を絞められたりすることが多かった。

当日、原告と被告Y1とはふざけあっており、被告Y1は、原告をからかったところ、原告が被告Y1を捕まえようと近づきかけたため怖くなり、箒を持ち出して、原告に対し、「こっちに来たら箒で叩くからな」と言ったが、それでも原告が近寄って来たので箒を投げ、それがたまたま原告の眼に当たってしまったのである。

エ 原告の反論

(ア) 原告は、被告Y1から、日常的に、一方的に言いがかりをつけられ、それに対して、原告が言い返すと、被告Y1から一方的に暴力を振るわれるなど、粗暴なことをされていたのである。

被告Y1は、日常的に、原告以外の多くの生徒に対しても、粗暴な行動を取っていたが、特に原告に対しては頻繁に行っていた。

したがって、原告と被告Y1とは、ふざけあいをするような関係ではなく、原告が本件事故前に被告Y1の頭を叩いたり、首を絞めたりしたことなどは一度もなかった。

(イ) 当日、原告は、被告Y1を捕まえようとしたことはなく、本件事故はふざけ合いをしていた中で被告Y1が原告に対し箒を投げざるを得なくなったという状況下で発生したものではない。

(2)  争点(2)(被告Y1の不法行為責任)について

ア 原告の主張

被告Y1は、故意又は過失により、箒を原告の顔をめがけて投げつけ、原告の右眼に当てて、傷害を負わせたのであるから、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

イ 被告Y1の主張

本件事故の発生経緯は、上記(1)イ(イ)に主張したとおりであり、その経緯からすれば、本件事故はクラスメイト同士のふざけあいの過程で生じたものというべきであって、違法性がない。

なお、被告Y1の責任能力については、特段争わない。

(3)  争点(3)(被告Y2らの不法行為責任)について

ア 原告の主張

(ア) 被告Y1は、事故当時、一三歳と一三日であって、自己の行為の結果が違法なものとして法律上非難され何らかの法律的責任が生じることを認識しうる精神能力を具備していたと即断することはできない。

被告Y2らが、被告Y1に対する一般的な指導監督義務を怠っていたことは、後述のとおりであり、被告Y2らは、民法七一四条一項に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

(イ) 被告Y1に責任能力が認められた場合、被告Y2らの民法七〇九条に基づく不法行為責任が問題となる。

a 親権者の子に対する監督義務の範囲は、原則として、子と共同生活を営んでいる限り、子の生活関係全般に及ぶとされ、親は、親権者として、子に対し、家庭の内外において、他人に対する加害行為に出ないよう保護監督する広範な一般的義務を負っている。よって、親権者の予見義務の範囲としては、「子がなした具体的な不法行為についての予見義務」ではなく、「抽象的な不法行為についての予見義務」であると解され、本件においても、被告Y1が他の者に対して暴力などの行為に及ぶことについての予見で足りる。

b 被告Y1は、学校内において、原告をはじめとする生徒に対し粗暴な行動に及んだり、授業中に妨害する行動に及んだり、服装に乱れを生じさせるなどしていた。

被告Y2らは、親権者として被告Y1と同居して共同生活を営み、毎日顔を合わせ、被告Y1の様子を把握することができたのであるから、被告Y1の学校生活上の問題行動ないしその背後にある被告Y1の粗暴な行動などの性癖を認識していたはずであり、少なくとも中学校とのやり取りを密にしたり、日頃から被告Y1の動静をきめ細かく継続的に観察し、頻繁に話したりするなどしていれば、被告Y1の粗暴な行動などの性癖に容易に気付くことのできる状況であった。

c 被告Y1の日頃の粗暴な行動は、規範意識や自己抑制力の低下の現れであって、本件事故は、そのような被告Y1の粗暴な行動の延長線上に位置するものというべきところ、規範意識や自己抑制力の低下が原因となって、他の問題行動に発展し進行する可能性が十分認められることはいうまでもなく、しかも、一定の悪性癖が認められた段階で、被告Y2らが他の問題行動への発展や進行を予測できないとは言い難く、その時点で、被告Y2らが、問題行動に対して改善指導を行うか、異種の問題行動などに発展しないよう、被告Y1の行動、交友関係などに注意し、継続的にきめ細かい監督を行えば、本件事故の発生を防ぐことも不可能ではなかったことは明らかである。

d しかるに、被告Y2らは、被告Y1の問題行動や悪性癖に気付いていながら、あるいは上記のとおり、容易に気付くことが可能な状況にありながら、被告Y1の動静を日頃からきめ細かく観察するなどの行動に出ることなどを怠り、被告Y1の問題行動や悪性癖を改善指導する措置を講じずに、被告Y1をして、本件事故を惹起させるところとなった。

e 以上から、被告Y2らは、被告Y1に対する指導監督義務を怠り本件事故を惹起させたことについて、損害賠償責任を負うべきである。

f 仮に、被告Y2らが、被告Y1の日頃の問題行動や性癖を認識しておらず放置していたとすれば、それ自体、重大な監護義務違反である。

なぜなら、被告Y2らは、被告Y1の親権者として、被告Y1の生活関係の全般にわたって、監護、監督義務を負っている以上、被告Y1の日頃の問題行動や性癖についても十分に把握して、善導すべき責任を負っているからである。

イ 被告Y2らの主張

(ア) 被告Y2らは、被告Y1の責任能力については、特段争わない。

したがって、被告Y2らの民法七一四条一項に基づく損害賠償責任については、争う。

(イ)a 親権者らが子の行為について民法七〇九条の不法行為責任を負う場合とは、一般的な監護教育義務を怠ったというのではなく、子が他人の生命身体等に対し危害を加えることがある程度具体的に予見されたにもかかわらずそれを阻止すべき措置を故意・過失によってとらず、それによって損害が発生したという場合に限定される。

b 被告Y1が、生徒に対し粗暴な行動に及んだり、授業の進行を妨害したり、服装に乱れを生じさせる等学校生活上問題を生じさせていたことはない。

また、被告Y2らは、被告学校から、被告Y1が給食の時間にふざけたことについて連絡を受けたことがあったものの、それ以外に学校生活上粗暴な行為をしているなど問題を生じさせているとして、指導を求められたり、呼出を受けたりしたことは一度もない。

c 被告Y1が、被告学校内で他人に「ちょっかい」を出していたとしても、そこでいう「ちょっかい」というのは、社会において暴行行為と評価される行為とはニュアンスを異にしており、被告Y1が他の生徒に暴行行為を繰り返していたという事実は存在しないものというべきである。

また、被告Y1が箒その他の道具を持ち出したのは、原告に対する関係でも、その他の生徒に対する関係でも本件事故が初めてのことであった。

d したがって、本件では、被告Y2らにとって、被告Y1が他人の生命身体等に対し危害を加えることが具体的に予見されるという状況にはなく、被告Y2らには監督教育義務違反はなく、生じた結果との間の因果関係も認められない。

e 原告は、仮に、被告Y2らが、被告Y1の日頃の行状を認識していなかったとすれば、それ自体、重大な監護義務違反であると主張するが、前述のごとく、親権者らが子の行為について民法七〇九条の不法行為責任を負う場合の要件は限定されており、原告が主張するケースは同条の射程外である。

(4)  争点(4)(被告富谷町の国家賠償法上のまたは使用者責任に基づく不法行為上の責任)について

ア 原告の主張

(ア) 被告富谷町は、被告学校を設置して、原告を入学させ、教育法規に則り、施設や設備を供するとともに、教員をして生徒に所定の課程の教育を施す義務を負い、他方、原告は被告学校において教育を受けるという関係にある。そして、被告学校の教員らは、生徒に所定の課程の教育を施すに際して、その付随義務として、原告に対して、信義則上、原告の生命、身体、健康等についての安全に配慮すべき義務(安全配慮義務)を負担している。

(イ) 本件事故は、中学校の「教室内」で発生した事故であり、しかも、本件事故の発生した午前七時四〇分ころには、学校の校門が既に開扉され、事故の起きた△年△組の教室には、原告と被告Y1のほか、生徒数名が既に登校しており、学校内にもそれ以外の生徒が既にいたという状況であった。

始業以前であっても、これからまさに学校の教育活動が始められるという時間帯であり、教員、生徒等にとっては休憩あるいは授業の整理、準備等をする時間であるから、生徒の登校のために校門が開扉された時点以降は、学校における教育活動と質的、時間的に密接な関係を有する時間帯として校長及び教員の安全配慮義務の範囲内であると解することが相当である。

なお、本件事故当時、既に校門は登校する生徒のために開扉されていて、生徒が学校に自由に出入りして活動を開始することができ、現実に、学校内に生徒がいた以上、教員の出勤時間の定めを考慮すべきではない。

(ウ) 前述の如く、被告Y1は、日常的に、学校内で、原告をはじめとする生徒に対して、粗暴な行動に及んだり、授業を妨害する行動に及んだり、服装について乱れを生じさせたりする等しており、C校長やD教諭等の被告学校の教員が、被告Y1のかかる問題行動やその背後にある悪性癖を認識していたことは明らかである。

本件事故は、被告Y1の日頃の粗暴な行動の延長線上に位置するものというべきところ、被告Y1が事故当時一三歳になったばかりの中学一年生という精神的に未熟で思慮分別の十分でない年齢であり、日頃の粗暴な行動がエスカレートして、故意あるいは過失により、他の生徒の生命や身体に被害を生じさせる可能性が存することは認識し得たはずである。

(エ) 上記の予見可能性を前提とすれば、C校長やD教諭などの被告学校の教員には、安全配慮義務の一内容として学校内での自己により他の生徒の生命、身体及び健康等に被害が生じるのを防止すべく、常日頃から被告Y1の動静に配慮して同人の問題行動や粗暴な行動などの性癖を放置することなく十分な指導監督を行うべき義務を負っていた。

(オ) また、学校において、生徒に、他の生徒の生命や身体に被害を生じさせる可能性が存し、担任をはじめ校長及び教員が、当該生徒を説諭するなどしても改善されない場合には、学校側には、学校教育以外の日常生活で生徒と密接に接触し、生徒の全生活関係において保護監督義務を負うべき親権者等に対し、その事実を報告し、親権者等と協力して、事故防止を図るべきことが要求される。

すなわち、C校長やD教諭などの被告学校の教員は、被告Y2らに対し、被告Y1の学校における生活状況等を報告し、被告Y2らと協力して、事故防止に努めるべき義務を負っていた。

(カ) しかるに、現実には、十分な指導監督をするどころか、その動静を十分に把握することや、親権者である被告Y2らに対して連絡、報告することを怠り、更には被告Y1に厳しく説諭するといった極めて容易な指導すら怠って、被告Y1をして、本件事故を惹起させるに至った。

これは、明らかに、C校長やD教諭などの被告学校の教員の安全配慮義務、監督義務の違反であり、それが本件事故の発生に繋がっていることは明らかである。

(キ) 仮に、被告学校の教員及びC校長において、被告Y1の生活状況等を把握していなかった場合、教員及びC校長には、被告Y1の生活状況等を日頃から十分に注意を払うべき義務を怠った過失がある。

(ク) なお、C校長やD教諭などの被告学校の教員の予見義務の対象として、被告Y1が教室内の掃除用具ロッカーから箒を持ち出して、原告に投げつけるという加害行為に及ぶということまでの予見が必要かどうか問題とはなりうるが、仮に、そこまでの予見を要求した場合、意外な物品を用いて暴行行為に及び傷害結果が発生したときなどは、常に予見不可能であったとして免責されることになり、極めて不当な結果となる。

そのため、本件事故においても、その手段を問わず、被告Y1が他の生徒の生命、身体、健康等に対して、被害を生じさせることのいわば抽象的な予見可能性で足りるというべきである。

(ケ) したがって、被告富谷町は、国家賠償法一条一項あるいは民法七一五条一項に基づき、本件事故により発生した損害の賠償責任を負うべきである。

イ 被告富谷町の主張

(ア) 本件事故は午前七時四〇分ころに発生したものであるところ、被告学校の教職員の出勤時間は午前八時一五分であって、当日予定されていた二学期の終業式も午前九時二〇分から行われることになっており、事故当時出勤していた職員は二名にすぎず、登校して教室にいた生徒も数名であった。すなわち、本件事故は、被告学校の教員及びC校長による管理可能な領域、時間帯に生じた事故ではない。

したがって、本件事故が、学校教育活動と質的、時間的に密接な関係を有するとみることは不可能であり、校長及び教員の安全配慮義務は及ばない。

(イ) 被告Y1は、本件事故当時普通の中学生であったもので、本件事故以前において、日常的に、原告をはじめとする生徒に対し粗暴に及んだり、授業を妨害したり、服装の乱れを生じさせたりすることはなく、問題とされるような事件を学校内外を通じて起こしたことはなかった。

小学校から中学校に対する申し送りの段階でも、「多少問題のある生徒」として挙げられていたが、「手に余る生徒」とは聞いておらず、実際、被告Y1が被告学校に入学してから本件事故までの間、被告Y1について、職員会議の話題になったことはないし、生活指導上で問題になったこともない。

(ウ) 本件事故の発生時間、発生経緯、原告と被告Y1との交友関係に照らし、被告学校の教員及びC校長にとって、本件事故の発生を具体的に予見できる可能性は全くなかった。

したがって、被告学校の教員及びC校長に保護監督義務違反は存在せず、被告富谷町も責任を負わない。

(5)  争点(5)(損害の発生とその数額)について

ア 原告の主張

(ア) 治療費関係 一二三万三九九〇円

原告は、本件事故後、東北大学医学部附属病院(現在の東北大学病院である。以下「東北大学病院」という。)において治療及び投薬を受け、診療料合計一一一万八八四〇円及び調剤料合計一一万五一五〇円を支払った。

(イ) 入院付添費 五二万六五〇〇円

原告は、合計八一日入院したところ、その入院に際しては、原告の父母が看護のために付き添っており、その一日あたりの付添看護費は六五〇〇円が相当である。

(ウ) 入院雑費 一二万一五〇〇円

一日あたり一五〇〇円が相当である。

(エ) 通院付添費 二九万三七〇〇円

原告は、本件事故により合計八九日通院したところ、その通院に際しては、原告の父母が付き添っており、その一日あたりの付添費は三三〇〇円が相当である。

(オ) 通院交通費 一四万二二八〇円

原告は、通院に際して、合計一四万二二八〇円を支出した。

(カ) 塾授業料 一七万六四〇〇円

原告は、本件事故により長期間にわたって入通院を繰り返し、学校の授業を満足に受けられない状態におかれた。そのため、塾による補習授業が必要であり、そのために一七万六四〇〇円を要した。

(キ) 後遺障害による逸失利益 三五〇九万三〇六四円

原告は、本件事故により、右眼球破裂、網膜剥離術後、無水晶体眼及び続発性緑内障の傷害を負い、その症状は、平成一九年一二月一九日に固定し、原告には、視力低下(従来右眼裸眼視力が〇・五あったところ、右眼矯正視力〇・〇五に低下)、視野欠損(右眼中心及び上方)、続発性緑内障による視神経萎縮などの後遺症が生じた。同後遺症は、後遺障害別等級八級に相当する。なお、医師からは、症状固定後も、点眼薬治療を要する旨診断されている。

原告は、事故当時、一三歳の男子であり、本件事故がなければ、一八歳から六七歳までの稼働可能期間中、男子の平均賃金程度の収入を得ることができたところ、上記傷害により、労働能力を四五%喪失した。

そこで、上記傷害の発生による逸失利益を計算すると、次のとおり合計三五〇九万三〇六四円となる。

a 平成一五年男子労働者学歴計全年齢平均賃金 五四七万八一〇〇円

b 就労可能年数六七歳までのライプニッツ係数 一八・五六五一

c 就労始期一八歳に達するまでのライプニッツ係数 四・三二九四

d 労働能力喪失率 四五%

(ク) 入通院慰謝料 三〇〇万円

原告は、本件事故により、合計八一日入院し、合計八九日通院をしたのであるから、その慰謝料としては、三〇〇万円が相当である。

(ケ) 後遺障害慰謝料 八三〇万円

原告には、後遺障害別等級八級に相当する後遺症が生じており、その慰謝料としては、八三〇万円が相当である。

(コ) 弁護士費用 三〇〇万円

原告は、原告代理人に本件訴訟の提起追行を委任し、その弁護士費用として、三〇〇万円を支払うことを約した。

(サ) 損害の一部填補

原告は、被告Y1らから、合計一一七万九六三八円の支払いを受けた。

イ 被告富谷町の主張

争う。

ウ 被告Y1らの主張

(ア) 入院付添費

原告の入院による母の付添は、宿泊を伴うものが一週間程度であったのであり、入院期間の全てについて付添看護費を認めることは相当ではない。

(イ) 通院付添費

通院交通費以外の通院付添費については、相当因果関係ある損害とは認められない。

(ウ) 塾授業料

本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。

(エ) 後遺障害による逸失利益

後遺障害の認定にあたっては原則として矯正視力を基準としており、原告の右眼については、矯正視力が〇・〇五であることを考慮する必要がある。

(オ) 入通院慰謝料

高額に過ぎる。

(カ) 後遺障害慰謝料

高額に過ぎる

(キ) 災害共済給付金

原告は、本件事故により、独立行政法人日本スポーツ振興センター(以下「スポーツ振興センター」という。)から災害共済給付金を受けているところ、スポーツ振興センター法三一条二項によると、同センターが災害給付金を給付したときは、その価額の限度において加害者に対する損害賠償請求権を取得するとされていることから、給付額について控除すべきである。

(6)  争点(6)(過失相殺)について

ア 被告Y1らの主張

仮に不法行為が成立するとしても、上記四(1)イ(イ)で述べた本件事故の発生経緯によれば、大幅な過失相殺が認められるべきである。

イ 原告の主張

争う。

第三当裁判所の判断

一  争点(1)(本件事故の態様)について

(1)  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 当日は、第二学期の終業日であり、業務員が午前七時三〇分までに出勤して被告学校の門を開け、教員が午前八時一五分までに出勤し、生徒が各クラスにおける朝の学級活動が開始される午前八時二五分までに登校する予定となっていた。事故発生時、被告学校には、C校長の他、一年生の学年主任であったE教諭などの数名の教員と業務員が三人出勤していた。

イ 当日午前七時三〇分過ぎころに、原告が登校すると、教室には、三、四人の生徒が登校していた。

原告が、教室の窓際のヒーターのところで訴外F、訴外G、訴外Hと一緒にいると、被告Y1が近づいてきた。被告Y1は、体を寄せる形で原告に突っかかって来て、「でぶ」などの原告の体に関する悪口を言ったり、原告の足を軽く蹴ったりするなどして、原告をからかい始めた。原告は、被告Y1からの悪口などを嫌がって無視し、被告Y1の体を押し返した。

すると、被告Y1は、更に体を原告に寄せて、拳で原告の腹部を殴ってきた。それにより、原告としては腹部に痛みを感じたが、その場にうずくまるほどの強さではなかった。

原告は、被告Y1に対して、「やめろ」と言ったが、なおも被告Y1がちょっかいを出してくるので、「もうしつこいな、もういいかげんやめてくれ」という気持ちで、被告Y1の体を押し返して、右足を使って同人の足を蹴った。

この間、原告と被告Y1とは、徐々にヒーターの付近から教室後方に設置してあるカバン入れ用の木棚(以下、単に「木棚」という。)の前辺りへと、壁伝いに移動していた。

被告Y1は、原告から足を蹴られ、普段以上に抵抗する原告の姿勢にやや驚き、原告には敵わないと思い、教室後方の中央辺りにあった原告の机を故意に蹴り倒し、教室後方左隅の掃除用具を入れてあるロッカーのところへ行き、ロッカーから二本の箒(座敷箒と自在箒を一本ずつで、いずれも一メートルから一・五メートルほどの長さのものである。)を取り出して、片方の手に一本ずつ持った。この間、原告は、倒された机を元に戻していた。

ウ 教室内にいた他の生徒は、被告Y1に対し、その行為を制止するような言動を取らなかったが、それは、被告Y1が他の生徒に危険性をほとんど感じさせない程度のちょっかいを出すことはいつものことであると考えていたからであった。

エ 被告Y1は、教室後方中央にいた原告の方へ近づき、腰がややひけた格好で、右手に持った座敷箒の柄を使って、原告の脇腹や腰辺りを、数回突いた。原告は、特段被告Y1に対し反撃をしなかった。

周囲にいて原告と被告Y1とのやりとりを見ていた生徒は、被告Y1が箒を取り出したことはいつもの悪ふざけと少し感じが違うもののその延長であると感じており、教室内の雰囲気も緊迫した状況ではなかった。

オ 原告は、被告Y1が突いてきた座敷箒を取り上げ、箒を近くに置いて被告Y1の方へ向き直ったが、積極的な反撃には出なかった。

被告Y1は、原告に箒を取り上げられ、再び普段とは違う原告の姿勢にやや動揺し後ずさりした。そして、被告Y1は、自分の方へ向き直った原告に対して「こっちに来るな」と言ったが、それでもなお原告がゆっくりと一歩近づいたので、もう一本の箒を、ブラシの部分を原告に向けて、やり投げのように肩の上に持ち上げて、原告に対して投げつけた。原告が座敷箒を取り上げてから被告Y1が自在箒を投げつけるまでは、約二〇秒程度の時間があり、その時の原告と被告Y1との間の距離は、約三メートルであった。

投げつけられた箒は、まっすぐに、眼鏡をかけていた原告の右眼の辺りに当たり、原告のかけていた眼鏡が割れ、そのガラス片が原告の右眼に入り、原告はその場に倒れた。

なお、証人Fは、被告Y1が原告に向けて投げたのは箒の柄の部分であったと供述するが、箒の向きに関する供述の経過には記憶が曖昧であることを窺わせる部分も存在し、瞬間的な出来事であったためにはっきりと見ることも難しい状況であったことを考慮し、かかるFの供述は採用しない。

カ 被告Y1は、箒を投げた後、教室の外に出たが、他の生徒が原告の周りに集まって「大丈夫」と声をかけているのが聞こえたので、再び教室の中に戻った。

被告Y1は、教室内に戻ると、Fと訴外Gとが、本件事故が発生したことを職員室にいる教員に報告すべく、教室を出たところであったので、両名に対して、「先生に言うな」などと叫び、周囲に向かって「俺、やってねえし」と叫んでいた。

事故発生の知らせを受けて、C校長や他の教員が教室に駆けつけると、原告も被告Y1も大変興奮した状態であった。

キ 被告学校の教員は、すぐさま、原告を救急車にて東北大学病院に搬送し、原告と被告Y1のそれぞれの保護者へ連絡をした。

ク 原告の父であるAは、当日午前八時三〇分ころ、原告が怪我をした旨の電話連絡を受け、東北大学病院へ向かい、原告の母であるB(以下、AとBとをあわせて、「X1ら」という。)も連絡を受けて病院へ向かった。

平成一五年一月ころ、X1らは、被告学校の教員に対して、本件事故に関する説明を求めた。その場には、C校長、D教諭、E教諭及び教頭がおり、被告学校からは、原告は悪いことはしていなかった旨、被告Y1は悪ふざけが過ぎるような子である旨が伝えられた。

ケ 被告Y3は、当日、E教諭からの連絡で本件事故のことを知り、そのまま被告学校へ向かった。被告学校には、被告Y2も既に来ており、被告Y2らは、C校長から、本件事故について、被告Y1が原告とふざけていて、箒で原告の眼に怪我をさせてしまったと説明を受けた。被告Y2らは、説明を受けた後、被告Y1と会ったが、被告Y1は、気が動転している様子であり、涙を流していた。その後、被告Y1らは、東北大学病院へ向かった。

(2)  被告らは、本件事故が原告と被告Y1とによるふざけ合いの中で生じたものであると主張するので、以下検討する。

ア 上記認定の事実等に《証拠省略》を加えれば、以下の事実が認められ、これらを覆すに足りる証拠はない。

(ア) 原告は、小学生のころからおとなしい生徒であり、被告Y1と同じ小学校に通っていたが、被告Y1と話したり、遊んだりしたことはなく、中学生になってからは比較的おとなしい生徒と一緒にいた。

原告と被告Y1は、被告学校のバドミントン部に所属していたが、被告Y1が部活動に出席することは少なく、両人は本件事故以前ふざけ合うような間柄ではなかった。原告は、小学生の六年間、スポーツ少年団に入って柔道を習い、事故当時は二級を保持していたが、学校の教室内で被告Y1に対し柔道のわざをかけることはなかった。

(イ) 被告Y1は、小学生のころから幼稚な悪口を言うことがあり、中学生になってからもふざけた態度や幼稚な言動をすることがあったが、中学校に入学して一か月くらい経過したころから、周囲の気をひいて仲間に入れてもらおうとして、休み時間になると、原告や同じクラスの他の生徒ほぼ全員に対し、「ばか」「でぶ」「ぶす」などの悪口を言ったり、男子生徒に対しては軽くお腹を殴ったり足を蹴ったりし、女子生徒に対しては髪を引っ張ったりするなどのちょっかいを出すようになった。被告Y1が本件事故前に教室内で物を投げたり、掃除の時以外に箒を持ち出したりすることはなく、ちょっかいの内容も相手に怪我を負わせる程のものではなく、周囲の生徒が危険性を感じることはなかった。被告Y1からのちょっかいへの対応は、無視をする生徒もいれば、「やめろ」「悪口を言わないで」などと軽く応答する生徒もいるなど生徒により様々であったが、強く止めようとする生徒はいなかった。

(ウ) 被告Y1は、生徒の中でも特に原告に対しては、頻繁にちょっかいを出しており、その内容も原告の頭を叩いたり脇腹の辺りを回し蹴りしたりするなどのやや攻撃的なものであったが、原告は、被告Y1からの行為を手で払いのけたり、無視したりするように対応しており、被告Y1のからかいが度を超したときにやり返す程度であった。被告Y1のからかいが原因となって、被告Y1と原告とがけんかしたことはなかった。

被告Y1は、本件事故の前日にも、掃除の時間帯に、原告を、X1菌等という言葉を盛り込んだ内容の替え歌を歌いながらからかっていた。そこで、D教諭は、被告Y1を呼んで注意した。

(エ) 被告Y1が普段一緒に遊ぶ生徒は、被告Y1からのちょっかいに慣れているおとなしい生徒であり、クラスの中に数名程度であった。

イ 以上の事実を前提とすると、被告Y1は、本件事故以前において、他の生徒との間にクラスの一員という意味での仲間意識も乏しく、クラスの中でやや浮いた存在となっており、他の生徒に対して気をひいて仲間に入れてもらおうとして、わざと悪口を言ったり、男子生徒のお腹を叩いたり、女子生徒の髪をひっぱたりするなどしていたものの、結局、他の生徒からまともに相手にされることが少なく、無視されてしまうことも少なくなかったという状況を認めることができる。本件事故も、そのような被告Y1による一方的なからかいに端を発して生じたものであり、事故の発生に至る経過の中で原告は被告Y1からのちょっかいをかわすことに終始し、被告Y1の身体を押し返したり、足を一回蹴ったりしたことも、被告Y1による一方的なからかいという様相を崩す程度のものではなく、逃れる程度での行為であったということができる。

原告と被告Y1とが、本件事故以前において、それほど親しい間柄ではなかったことをも考慮すれば、本件事故が原告と被告Y1とのふざけ合いの中で生じたものであるということはできない。

よって、被告らの主張を採用することはできない。

二  争点(2)(被告Y1の不法行為責任)について

(1)  被告Y1は、事故時一三歳と一三日という年齢であって、自在箒のブラシの部分を原告の体に向けて、やり投げのようにして自らの肩よりも高い位置から投げつけたのであるから、その行為態様などに照らし、被告Y1が、故意又は過失により原告に箒を投げつけており、その行為について何らかの法的責任が生ずることを認識しえたということができ、民法七〇九条に基づいて、原告に生じた損害を賠償する責任を負う。

(2)  被告Y1は、本件事故が原告と被告Y1とのふざけ合いの中で生じたものであり、違法性がないと主張するが、前述の如く被告Y1が主張するような事実を認定することはできず、前記認定の事実によれば、被告Y1が箒を原告に投げつけた行為について違法性が認められることは明らかであるから、被告Y1の主張は採用できない。

三  争点(4)(被告富谷町の国家賠償法上の又は使用者責任に基づく不法行為責任)について

(1)  前記認定した事実等に、《証拠省略》を加えれば、以下の事実が認められる。

ア 本件事故以前における被告Y1の生活状況について

(ア) 授業中の態度など

被告Y1は、一年生のときは、二〇二日の授業日数のうち四日間欠席したのみであり、ほぼ毎日登校していた。

被告Y1は、授業中に、教員に向かってヤジを飛ばしたり、茶々をいれたり、CMソングを大きな声で歌ったり、居眠りしたりするなどして、授業を妨害し、教員から歌うのを止めるように注意されても歌い続けるなど、妨害行為を通して教員達のリアクションを楽しんでいた。

被告Y1による授業妨害は、I講師による授業の時が特に激しく、本件事故が起きる前には、同講師がその妨害のために、授業中に怒ったり、泣いて教室から出て行ったりして、授業が中断したこともあり、他のクラスの生徒にも被告Y1と教員とが口げんかした話が伝わっていた。

もっとも、E教諭による授業のときは、同教諭が厳しい教員であったため、被告Y1は普通に授業を聞いているか、騒がずに居眠りしており、E教諭から起きるように注意されるとおとなしく従っていた。

また、被告Y1は、面倒くさい授業のときに保健室などに行ったこともあった。

(イ) 服装

被告Y1は、本件事故の前、上靴のかかとを踏んで歩いたり、ズボンを腰まで下げて履くいわゆる腰パンの状態であったり、ワイシャツの裾をズボンの中に入れずに出していたり、ワイシャツの第一ボタンや第二ボタンを開けてネクタイをとめたりするなどの格好をしていた。髪の毛の色は黒色のままであった。

(ウ) 交友関係

被告Y1は、本件事故が起きる前、上級生の中でも素行の良くない上級生一〇人ぐらいと午後七時ないし八時ころまで公園やゲームセンターにたむろして遊ぶなどの付き合いがあった。その付き合いの中では、先輩からタバコを勧められることもあった。

また、被告Y1は、訴外Jや他の友人と、意見が食い違ったときには、本気で殴り合ったりするけんかをしたこともあった。

(エ) 家庭での様子

被告Y1は、毎日午前七時一〇分ころに自宅を出て自転車で通学しており、家を出るときにはヘルメットをかぶり制服をきちんと着ていることもあったが、ほとんどの場合通学の途中で、服装を乱していた。

被告Y1は、遅くとも午後八時ころには自宅に帰って、自宅で晩ご飯を食べていた。被告Y3は、被告Y1の帰りが遅いときには、携帯電話を使って早く帰ってくるように連絡を入れていた。

被告Y1は、自発的に農業の手伝いをし、家庭内で、暴力を振るったことはなかった。

(オ) 原告のラケットを壊したこと

被告Y1は、本件事故前、木棚の上におかれていた原告のケース入りのバドミントン用ラケットを、原告に無断で振り回し、木棚の角付近にぶつけてしまい、ラケットを壊したことがあった。

被告Y1は、原告のラケットを壊したことについて、X1らに対し謝罪したことはなく、また、被告Y2らに対しても、本件事故前、被告Y3に対して、例えば友達のラケットを壊してしまったらどうすれば良いのなどと尋ねる程度にしか報告しておらず、事実を詳細に報告したのは、本件事故後であった。

(カ) 反対証拠の検討

証人Cは、I講師の件は、二年生に対する授業中に起きたものであったと聞いている旨供述し、E教諭作成にかかる陳述書にも同趣旨の内容が記載されているが、I講師は、平成一四年一月ころ、当時産休に入った被告学校の社会科の教員の後任として赴任した講師であり、平成一五年三月までの約一年三か月の間、被告学校において、社会科の教鞭をとっていたところ、平成一四年四月からの一年間は原告及び被告Y1が一年生であった時期に該当し、実際、原告の一年生の時の社会科の担当教員はI講師であったのであるから、証人Cの前記供述を信用することはできない。

(キ) 小括

以上の事実によれば、被告Y1は、事故当時中学一年生とはいっても、精神的に幼い部分が残っており、意志が弱くその場の雰囲気に流されやすい性格であったのであり、前記認定の如くクラスの中で浮いた存在となっていたことも原因となって、授業中に教員による授業の進行を妨害したり、休憩時間中に悪ふざけをして他の生徒の気をひこうとしたり、素行の良くない上級生と付き合って夜遅く公園やゲームセンターで遊んだりしたなどの行動に及んでいたものと考えられ、悪ふざけをする際には度を越しやすく抑制がきかなくなる危険性を内包しており、本件事故もその内包していた自己抑制力の不足という危険性が発現したものということができる。

イ 被告学校における被告Y1に対する指導状況

(ア) 生徒指導体制

被告学校には、生徒指導主事が置かれている他、学年会、職員会議、生徒指導委員会、生徒指導問題対策委員会において、生徒指導に関する問題を扱っていた。なお、被告学校内において授業妨害が起きた場合、学年主任、教頭、校長の順に報告が上がってくるのが筋であるが、各教師の判断如何によっては、校長まで報告が上がってこない場合もある。

学年会は、各学年の教員のみによって構成され、毎月一回ないし二回程度開催されていた。

職員会議は、全教員によって構成され、毎月一回開催されていた。

生徒指導委員会は、主として各学年の代表教員と教頭が中心となって、毎月一回、校長室において、放課後約一時間半ほどの間、開催されていた。生徒指導委員会では、毎日の生徒の教育活動について、部活動も含めた全般的な内容を話し合っていた。

生徒指導問題対策委員会は、学校内からは校長、教頭、教務主任、生徒指導主事、教育相談担当、学年主任、生徒指導学年担当、養護教諭が、学校外からはPTA本部役員、地区捕導員二名がメンバーとなって組織構成されている委員会で、平成六年一二月に設置された。生徒指導問題対策委員会では、主に巡回指導の体制や夏休みの生活についてなど総合的な生徒指導に関する協議が行われており、回数もそれほど多くは開催されず、本件事故の前に、生徒指導問題対策委員会が開催されたことはなかった。

本件事故当時、被告学校では、生徒指導上大きな問題は扱われておらず、それ以前に五人くらいいた不登校の生徒も徐々に減ってきていた状況であって、本件事故以前において、本件と同様、箒を使ったふざけ合いや、事故はなかった。

(イ) 被告Y1らに対する教員による指導状況

a 被告Y1本人に対する指導状況

D教諭やE教諭が、本件事故以前に、被告Y1の服装について、被告Y1を見かけた際に、同人に対して、「ちゃんと服着ろよ」と注意し、又、授業中の私語について、二、三回、被告Y1を呼び出して注意していたことはあった。

しかし、被告Y1が騒いでいても、それを止めさせたり、教室から出て行くように注意する教員はおらず、教員の中には、被告Y1の機嫌を取るようにして授業を妨害されないようにしていた者もいた

訴外Kは、本件事故が起きる前の秋ころに、他の二、三名の女子生徒とともに、D教諭やL教諭に対して、被告Y1から理由もなく少し叩かれたり、髪を引っ張られたり、暴言を吐かれたりするなどされていて迷惑している旨を相談しに行った。その際、D教諭からは、幼稚な人だと思って接してあげてくれなどと言われた。相談した後に被告Y1の態度が変わったということはなかった。

なお、原告は、被告学校の教員や友人、それから原告の両親に対し、被告Y1からちょっかいを受けていたことについて相談したことはなかった。それは、相談したことによって、被告Y1からのちょっかいがエスカレートすることを危惧したからであった。

b 被告Y2らとの連絡状況

本件事故以前、D教諭が、被告Y3に対し、電話にて、被告Y1が給食中にふざけているのを注意したところすねて給食を食べなかった、お腹がすいていると思うのでたくさん食べさせて欲しい旨を伝えたことはあったが、それ以外に、授業態度など生活状況について指導をするように連絡したことはなかった。被告Y2らは、被告Y1が本件事故前日の掃除の時間に原告をからかった事実についても、事故当日、東北大学病院において、D教諭から伝えられたにすぎなかった。

(ウ) 被告Y1に対するC校長による指導状況など

a C校長による指導状況

証人Cは、本件事故以前において、被告Y1について、学級担任や学年主任から報告を受けたことはなく、教師が見ていないところで何か悪いことをやっている可能性があるなどの話を聞いたことはなかった。

事故後のC校長作成による富谷町教育委員会教育長宛の報告書の中には、本件事故について、相手をからかうことが発端で発生した事故であるが、このようなケースは生徒たちの生活には多々見受けられる、お互いふざけ合っているうちについカッとなり怪我させるケースであると記載されている部分があった。

なお、本件事故後、警察へ通報はされなかった。

b 生徒指導委員会などによる協議状況

本件事故以前に、被告学校の職員会議、生徒指導委員会などにおいて、被告Y1の名前が出てきたことはなかった。

(エ) 小括

以上の事実によれば、被告学校の教員は、被告Y1を、甘えん坊で目立ちたがり屋であって、比較的幼い生徒として認識していたが、それ以上に問題のある生徒としては把握しておらず、被告Y1に対する指導状況も被告Y1を見かけたときに注意し、たまに呼び出して授業中の態度について指導する程度であって、被告Y2らに対しては、被告Y1の生活状況に対する注意を喚起させ、家庭内での指導を求めるまでの必要はないと判断していたと認定することができる。

なお、証人Cは、学級担任は、専ら自己の判断に基づいて、生徒を職員室などに呼び、指導した場合には、電話などにより、当該生徒の両親に指導内容などを話していたと供述するが、その供述は一般的な内容を含むものであり、証人C自身、D教諭が被告Y2らに連絡していたのを見たことはなかった旨供述しているから、D教諭又はE教諭が被告Y2らに連絡を取っていた事実を認めるに足りるものではない。

(2)  検討

以上認定した事実に基づいて検討する。

ア 本件事故当時、原告は、被告学校に在学していた生徒であり、被告学校のC校長及び当時の学級担任教諭であったD教諭は、学校教育法上、あるいは在学関係という生徒と学校との特殊な関係上生ずる一般的な安全配慮義務として、生徒である原告の生命、身体などの安全について万全を期すべき義務を負っていたというべきところ、それが学校教育活動の特質に由来する義務であることから、その義務の範囲も学校における教育活動及びこれと密接に関連する学校生活関係に限られるべきものであり、特に教育活動上は在外的危険というべき生徒間事故において校長及び担任教諭の具体的な安全配慮義務が生ずるのは、当該事故の発生した時間、場所、加害者と被害者の年齢、性格、能力、関係、学校側の指導体制、教師の置かれた教育活動状況などの諸般の事情を考慮して、何らかの事故が発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような場合に限られるというべきである。

イ 本件事故は、午前七時四二分ころに発生したものであるところ、被告学校の門は午前七時三〇分までには開けられ、それ以後は生徒が登校することは可能となるのであって、実際に事故発生時には原告や被告Y1以外にも登校してきていた生徒はいたのであるから、被告学校としては、事故発生時、生徒の登校を受け入れる状況にあったということができる。また、当日の朝の学級活動は午前八時二五分から開始される予定であったのであるから、始業開始時刻からわずか約四五分前に事故が発生したものであり、その時間帯は、出勤した教員や登校した生徒にとって、開始される教育活動の準備期間に相当する時間帯であるといえる。さらに、本件事故は、本件教室内において発生したものであって、被告学校の教員にとって目がとどく場所で発生したということができる。これらの事情を考慮すれば、本件事故は、学校教育活動と質的、時間的に密接な関係を有する学校生活関係の中で生じたものと認めるのが相当である。

ウ C校長やD教諭などの被告学校の教員は、原告に対し、その生命、身体などに危害が及ばないように配慮する義務を負っていたところ、前記認定のごとく、被告Y1は、本件事故以前において、精神的に幼い部分が残っており、意志が弱くその場の雰囲気に流されやすい性格であったのであり、悪ふざけをする際には度を越しやすく抑制がきかなくなる危険性を内包していたということができ、実際には、休憩中に他の生徒に対し悪口だけではなく叩いたり髪をひっぱたりするなど他害に発展しうる行為に及んだり、授業中に教員による授業の進行を妨害して、時には女性教員を泣かして教室から追い出す行為に及ぶなどしていたのであるから、被告Y1に内包していた自己抑制力の乏しさに随伴する危険性は本件事故以前にも時折発現しており、客観的にも明らかであったということができる。そして、被告学校の教員らも、前記認定のごとく、被告Y1を、甘えん坊で目立ちたがり屋であって、比較的幼い生徒として認識していたというのであり、被告Y1が被告学校に入学してから本件事故が発生するまでの間優に八か月が経過していたのであるから、被告Y1の性格に内包されていた自己抑制力の乏しさに伴う危険性及びそれによって他の生徒の生命、身体に危害が及ぶ危険性を具体的に認識していたというべきである。

エ 一般的に中学一年生といっても精神面での発達において小学生の域にとどまるいわば小学七年生ともいえるような行動に走ることがあることは社会通念上否定できず、上記のような被告Y1の性格に内包されていた危険性やその発現としての授業妨害なども、被告学校の教員としては通常想定すべき範囲内のものであったということができ、被告学校の教員としては、被告Y1に対しては、他の生徒の生命、身体などに危害が生じないようにするために、常日頃から被告Y1の動静に注意を払い、授業妨害などの行為を見かけたときにはその都度被告Y1に注意を与えて、教室、学校あるいは社会内で生活するために守ることの必要なルールを教え、ルールを逸脱しないような生活を送ることの重要性を認識させて、被告Y1自身の自己抑制力を高めるべく指導する義務を負っていたというべきである。

そして、D教諭やE教諭という学級担任や学年主任が指導を行ってもなお被告Y1の生活態度などに改善がみられない場合には、さらに被告学校の教員全体で指導にあたる体制を構築し、また、被告Y1の親権者である被告Y2らに対しても被告Y1に対する指導などの協力を求めるべきであり、具体的には、職員会議や生徒指導委員会において議題として提示し、被告学校の教員間で情報を共有し、被告Y2らに対しては被告Y1へ指導するつどその内容を連絡して学校での生活状況を伝え被告Y2らによる指導を求めるべき義務を負っていたというべきである。

オ D教諭やE教諭は、被告Y1を幼い生徒であると認識していたにすぎず、被告Y1に対しては同人を見かけたときに注意し、時折呼び出して授業中の態度について指導する程度であったというのであり、被告Y1の自己抑制力を高めるべき適切な指導を行っていたということはできない。

また、D教諭やE教諭による指導がなされても被告Y1の生活態度に改善が見られなかったにもかかわらず、被告Y1に対する指導体制は、専らD教諭やE教諭といった学級担任や学年主任レベルでの対応にとどまっており、他の職員が被告Y1に指導することはほとんどなく、職員会議や生徒指導委員会において被告Y1の生活状況について議題として挙がることもなかったのであるから、被告学校の教員が全体として被告Y1に対する指導に取り組んでいたということはできない。

さらに、被告Y2らとの関係でも、事故発生前には給食中に悪ふざけをした結果給食を食べずに帰宅したことを連絡したのみであり、その他に授業中の態度や他の生徒に対するちょっかいの事実について連絡することをしていなかったのであるから、被告Y2らに、被告Y1の精神的な幼さや自己抑制力の不足に対する注意喚起を行い、被告Y2らによる指導を要請したということはできない。

事故後、C校長が、報告書において、本件事故について「お互いふざけ合っているうちについカッとなり怪我させるケースである」旨記載していることは、C校長やD教諭などの被告学校の教員における被告Y1の性格に内包されていた危険性に対する認識不足を裏付けている。

カ 以上によれば、D教諭やC校長などの被告学校の教員には、被告Y1の自己抑制力を高めるべく適切な指導を行う義務を怠った過失があり、それにより被告Y1の自己抑制力の乏しさに伴う危険性の発現として本件事故が生じたのであるから、原告に対する安全配慮義務に違反したことは明らかである。よって、被告富谷町は、国家賠償法一条一項あるいは民法七一五条一項に基づいて、損害賠償責任を負うというべきである。

キ 被告富谷町は、本件事故の発生について、具体的に予見することはできなかったと主張するが、前記認定のように被告Y1には自己抑制力が不足しておりそのために度を超した悪ふざけに及びやすく、その結果本件事故のような他の生徒の生命、身体に危害を及ぼす行為に発展することを予見することは可能であり、実際に他の生徒に対して叩いたり髪をひっぱたりするなどの他害に発展しうる行為に及んでいたのであるから、箒を投げるという具体的な行為そのものについて予見することはできなかったとしても直ちに責任を免れることにはならないというべきである。

よって、被告富谷町の主張を採用することはできない。

四  争点(3)(被告Y2らの不法行為責任)について

(1)  前記認定した事実等に、《証拠省略》を加えれば、以下の事実が認められる。

ア 被告Y2らは、被告Y1に対して、本件事故以前、あまりふざけ過ぎもよくないと注意したことがあった。

しかし、被告Y2らは、本件事故前、被告Y1の学校での生活状況は家庭での様子と同じであると考えており、被告Y1と学校での生活について話すこともほとんどなく、被告Y1が授業を妨害するような行動をとり、I講師に対しては、同教諭が授業中に泣き出して教室を出て行ってしまう程の妨害行為をしたり、服装を乱していたり、不良な上級生と付き合いがあったりしたことなどを知らず、このような生活態度に対して注意をしたことはなかった。

イ 被告Y2らは、D教諭から、被告Y1が給食を食べずに帰宅した件についての電話連絡を受け、被告Y1に対して、人に対して迷惑をかけたり先生に心配をかけたりしてはいけないと話して聞かせたが、被告Y1に対して、給食を食べなかった経緯など具体的な事実関係を問い質すことはなかった。

(2)  検討

ア 被告Y1において本件事故についての責任能力が認められることは前記認定のとおりであるが、未成年者が責任能力を有する場合であっても監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によって生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、監督義務者につき民法七〇九条に基づく不法行為が成立するものと解するのが相当である。

イ 本件においては、前記認定のごとく、被告Y1には精神的に幼く自己抑制力の乏しい面があり、そのために度を超した悪ふざけに及び他の生徒の生命、身体などに危害を及ぼす可能性があったというべきであり、そのことは客観的にも周囲から明らかな状況であった。そして、被告Y2らは、日頃、被告Y1と一緒に生活をしており、被告Y2は、被告Y1に対し、あまりふざけ過ぎも良くないなどと注意を与えていたこともあったというのであるから、被告Y2らにとっても、被告Y1には幼さや自己抑制力の乏しさがあり、その性格のために他の生徒の生命、身体などに危害を及ぼす危険性があることを認識していたというべきである。

ウ とすれば、被告Y2らは、常日頃から、被告Y1の動静を注意深く見守り、その動静の中で度を超した悪ふざけをするなどの自己抑制力の不足がみられた場合には、そのつど指導し、自己抑制力を高めるべき適切な指導を行うとともに、被告Y1自身と生活状況について話をしたり、被告学校の教員と連絡を密にとって被告Y1の学校での生活状況について、様子を把握すべき義務を負っていたと言うべきである。

エ しかるに、被告Y2らは、被告学校の教員から、給食を食べずに帰宅した件について連絡を受けた際にも、どのような事情によって給食を食べなかったのかなどの詳しい事情について、被告Y1自身にも又D教諭にも尋ねようとはせずに、単に被告Y1に対し、人に迷惑をかけてはならないと漠然と注意したにとどまり、被告Y1の帰宅時間が遅いときには連絡して早く帰ってくるように促すにとどまっていたのであり、それ以上に積極的に被告Y1と学校での生活について話をしたり、あるいは、被告学校の教員と連絡を取りあって被告Y1の生活状況について尋ねるようなことはしなかったのであるから、被告Y2らにおいて、被告Y1の学校での生活を含めた生活状況全般について注意を払い、被告Y1が有する精神的な幼さやその自己抑制力の乏しさを補うべく適切な指導を行ったと認めることはできない。

オ したがって、被告Y2らには、被告Y1の生活状況を把握し、その自己抑制力を高めるべく適切な指導を行う義務を怠った過失があり、それにより被告Y1の自己抑制力の乏しさに伴う危険性の発現として本件事故を生じさせ原告に損害を与えたのであるから、民法七〇九条に基づいて損害賠償責任を負うというべきである。

五  争点(5)(損害の発生とその数額)について

(1)  《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 治療状況

(ア) 原告は、当日、東北大学病院に入院し、同日午後四時ころから午後七時ころまで緊急手術を受けた。

原告は、緊急手術を受け、精神状態も幾分落ち着いていたが、担当医から眼球を摘出する可能性もあるとの説明があったため、回復の見通しに関して大変心配し、落ち込んだ状態であった。

(イ) 原告は、当日から平成一四年一二月三〇日まで、平成一五年一月六日から同月二四日まで及び同年二月一〇日から同月二四日までの間、それぞれ入院し、その間、同月一四日に、網膜冷凍凝固術、輪状締結術、レンズ切除術、硝子体手術を受けた。

病院からは、X1らに対して、原告の入院に際しては付き添っていただきたい旨が伝えられ、原告の入院中は、Bが、毎日付き添い、Aは、仕事を終えてからあるいは土日に一日付き添っていた。

(ウ) 原告は、退院後も平成二〇年三月五日までの間、東北大学病院に通院し、その間、平成一五年一二月一九日に、硝子体手術、シリコンオイル抜去を、平成一六年一二月三日に、超音波白内障乳化吸引術、眼内レンズ挿入術、線維柱帯切除、線維柱帯切開、毛様体冷凍凝固、毛様体光凝固を、平成一七年八月一二日と平成一八年三月二三日に、毛様体光凝固術の各手術を受けた。原告は、平成一五年一二月一九日の手術に際しては、同月一五日から翌一六年一月七日までの間、東北大学病院に入院した。通院には、Bが付き添っていた。

原告は、現在、一ないし二か月に一回の割合で通院している。

イ 症状

原告は、本件事故前、矯正視力で一・〇ぐらいであった。

ところが、原告は、本件事故により右眼に傷害を負い、平成一九年一二月一九日の症状固定時には、右眼の矯正視力が〇・〇五となり、眼圧二三mmHg、視野欠損(通常の人の視野の六割程度)、続発緑内障による視神経萎縮の障害を負った。

(2)  損害額について

上記認定の事実に、《証拠省略》を加えれば、以下の事実を認めることができる。

ア 治療費など

原告は、本件事故後、東北大学病院において治療及び投薬を受け、診察料を合計一一一万八八四〇円及び調剤料を合計一一万五一五〇円支払った。

イ 入院付添費

原告は、本件事故により合計八一日間入院したところ、その入院に際しては、Bが付添看護をしていたのであって、当時の原告の年齢、原告の症状及び病院からの指示などを考慮すれば、全期間における付添について、一日あたり六五〇〇円の付添看護費を損害として認めるのが相当である。

よって、入院付添費は五二万六五〇〇円が相当である。

ウ 入院雑費

一日あたり一五〇〇円が相当であり、合計一二万一五〇〇円である。

エ 通院付添費

原告は、本件事故により合計八九日間通院したところ、その通院に際しては、Bが付き添ったのであって、当時の原告の年齢及び原告の症状を考慮すれば、全日における付添について、一日あたり三三〇〇円の付添費を損害として認めるのが相当であり、合計二九万三七〇〇円である。

オ 通院交通費

原告は、本件事故により合計八九日間通院したところ、弁論の全趣旨及び本件で提出された各証拠によれば、一日あたりの通院交通費を少なくとも五〇〇円として計算するのが相当と認められるから、損害額は、合計四万四五〇〇円である。

カ 塾授業料

原告は、本件事故による損害として塾授業料一七万六四〇〇円を主張するが、かかる費目は、本件事故と相当因果関係にある損害ということはできない。

キ 後遺障害による逸失利益

原告の右眼視力は、本件事故により矯正にて〇・〇五まで低下しており、後遺障害別等級第九級に相当する。したがって、本件事故による労働能力喪失率は三五%である。

原告は、事故当時、一三歳の男子であり、一八歳から六七歳までの稼働可能期間中の男子平均賃金程度の収入を得ることが可能であったのであるから、その逸失利益を計算すると次のとおりとなる。

原告の主張にかかる平成一五年男子労働者学歴計全年齢平均賃金五四七万八一〇〇円に、就労可能年数六七歳までのライプニッツ係数一八・五六五から就労始期一八歳に達するまでのライプニッツ係数四・三二九を引いた一四・二三六と、労働能力喪失率〇・三五とを掛け合わせた額である二七二九万五一八一円である。

ク 入通院慰謝料

原告の入通院期間に照らし、一八〇万円が相当である。

ケ 後遺障害慰謝料

六九〇万円が相当である。

コ 小括

以上、アからケまでの合計額は、三八二一万五三七一円である。

六  争点(6)(過失相殺)について

被告Y1らは過失相殺の主張をするところ、前記認定の本件事故の発生経緯、事故態様、本件事故に至る原告と被告Y1との関係、両者の生活状況などに照らせば、本件事故が発生する過程において原告が被告Y1に対して足蹴りしたことがあるとしても、それは被告Y1からの攻撃的なちょっかいを避けるためにした行為というべきであって、その後に被告Y1が箒を持ち出し、原告に投げつけることのきっかけとなったとしても、原告に責められる事情として考慮することは相当でなく、被告Y1らの主張を採用することはできない。

七  損害の填補

原告が、本件事故につき被告Y1らから一一七万九六三八円の支払いを受けたこと及びスポーツ振興センターから災害共済給付金として六九〇万円を受領したことは当事者間に争いがないから、これを上記損害額から控除すると、三〇一三万五七三三円となる。

八  弁護士費用

弁護士費用については、本件に顕れた諸般の事情を考慮し、三〇〇万円を相当額と認定する。

九  結論

以上検討したところによれば、原告の主張は、三三一三万五七三三円及びこれに対する平成一四年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払の限度で理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 沼田寛 裁判官 伊澤文子 小川貴紀)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例