仙台地方裁判所 平成17年(ワ)980号 判決 2008年5月20日
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求める裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告らは,原告に対し,連帯して,7852万2158円及び内金7138万3780円に対する平成15年2月19日から支払済みまで,内金713万8378円に対する平成17年8月12日から支払済みまで,それぞれ年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は,被告らの負担とする。
(3) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第2事案の概要
1 本件は,宮城県警察の警察官である被告A,同B及び同C(以下,上記被告ら3名を併せて「被告Aら」といい,被告宮城県と被告Aらを併せて「被告ら」という。)の亡Dに対する不必要に強度な制圧行為によって,Dが急性循環不全により死亡したとして,Dの実母であり,唯一の相続人である原告が,被告宮城県に対し,国家賠償法1条1項により,被告Aらに対し,民法709条及び710条により,連帯して,損害賠償として7852万2158円及びうち弁護士費用を除く損害の合計7138万3780円に対するDの死亡した日の翌日(違法行為の翌日以降)である平成15年2月19日から支払済みまで,うち弁護士費用相当額の損害713万8378円に対する本訴状送達の日の翌日以降である平成17年8月12日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実(証拠等を掲げたものの他は,当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告は,平成15年2月18日に死亡したDの実母であり,唯一の相続人である(甲1,2)。
イ 被告Aらは,いずれも宮城県警察に所属する警察官であり,被告宮城県の公権力の行使にあたる公務員である。
ウ 被告宮城県は,宮城県警察の警察官の職務執行について責任を負う地方公共団体である。
(2) 本件の経過
ア Dは,床下換気扇等の販売設置を業とする株式会社E仙台営業所に勤務していたが,平成15年2月17日の午後8時ころから,営業所長のF,社員のG,H及びIとともに,仙台市宮城野区榴ヶ岡a丁目b番c号所在のJビル2階の焼肉店「K」において飲食した。
イ Dは,同僚らと同日午後9時半ないし午後10時ころから,前記Jビル1階のカラオケパブ「L」(以下「本件パブ」という。)において2次会を行っていた。
本件パブには,先客のM,N及びOの3名がおり,Mが,後から来たDらが大声で騒いでいたことから,「うるせえな。」などと文句を言った。
その後,Mらが店を出たことから,これを見たFは,店外までMらを追いかけ,DらもFの後を追いかけるように店外に出て,Jビル東側路上において,Dらのグループ5名とMらのグループ3名がもみ合いとなった。もみ合いの際,FがMに暴行を加えた。その後,Dらは店内に戻った。
ウ その後,Jビル付近に,P巡査部長らが駆け付け,本件パブから出てきたFに対して職務質問を開始し,そのころまでに,被告Aらが上記Jビル前に到着した。
エ その後,Fに対する職務質問に不満を抱いたHが暴れ出したため,警察官らはHを路上に制圧した。
さらに,警察官らは,DをJビル北側にあるフェンスまで連れて行って押さえ付けたが,Dは,一旦フェンスから離れてHの方へ向かった。
オ その後,被告Aは,Dを路上に倒してうつぶせにし,被告A及び被告Bが,Dの背中を膝で押さえ付けるなどし,被告CがDの両足を掴むなどして,Dを制圧した(以下「本件制圧行為」という。)。
その制圧方法は,警察官2名が相手の左右から,その両腕とズボンの後ろのベルト辺りを掴み,2,3歩前に進んで相手をうつぶせに地面に倒して,背中(後ろ稲妻,第12肋骨下端の辺り)を膝付近で押さえ,その両腕を上にとって肩関節をきめ,更に暴れるときには,もう一人が両足を押さえて制圧するという,後ろ固めと呼ばれるものであった(乙5)。
カ 被告Aらは,Dの制圧を続けたが,Dの抵抗が弱くなったため,Dにあてがっていた膝を外した。
その後,Dの反応がなくなったことから,被告AらはDに対する本件制圧行為を解除して救急蘇生を実施し,救急車を要請してDを国立仙台病院に搬送したが,同月18日午前1時15分,Dは死亡した。
キ 原告は,平成15年9月22日,被告AらがDを死亡させたとする特別公務員暴行陵虐致死罪の被疑事実で,被告Aらを仙台地方検察庁検察官に告訴した。
同検察官は,平成16年12月14日,被告Aらについて,上記制圧行為が正当業務行為等に該当し,嫌疑不十分との理由で,被告Aらを不起訴処分にした。
ク 原告は,同検察官が,被告Aらを不起訴処分にしたことを不服として,仙台地方裁判所に対し,付審判請求をした。
仙台地方裁判所は,平成17年5月30日,上記付審判請求につき,刑事訴訟法266条1号により,請求をいずれも棄却する決定をした(乙1)。
3 争点
(1) 公務員個人である被告Aらが損害賠償責任を負うか。
(2) 被告Aらの制圧行為に関する違法性(国家賠償法1条1項)及び過失の有無。
4 争点に関する当事者の主張
(1) 公務員個人である被告Aらが損害賠償責任を負うか。
ア 原告の主張
(ア) 被告Aらは,自らの重過失行為によりDを死に至らしめた者であるから,民法709条及び710条により,損害賠償責任を負うべきである。
(イ) 国家賠償法は,公務員個人が被害者に対して損害賠償責任を負うか否かについては規定しておらず,これを禁止する定めはないのであり,解釈に委ねられている。
そして,公務員の行為により一般国民に被害を与えた場合,その責任の重さを公務員個人に自覚させるためにも,故意又は重大な過失による行為に基づく場合は,公務員個人にも責任を負担させることが相当である。
(ウ) 民法の原則によれば,公務員の個人責任が認められなければならず,国家の責任を認めさせる国家賠償法が制定されたことにより,公務員の個人責任の原則が排除されるものではない。
イ 被告Aらの主張
(ア) 原告の請求は,被告Aらが,公権力の行使にあたる公務員としてなした職務を,違法・不当なものとして,被告Aら個人を請求の対象としているが,これは国家賠償の請求と解すべきであって,被告Aらが賠償の責任を負うものではない。
(イ) 国家賠償法1条の損害賠償責任について,公務員個人は責任を負わないことは,最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁等によって判例上確立している。
故意又は重過失ある場合に,公務員個人の責任を認めるべきとする制限的肯定説についても,公務員が損害賠償請求訴訟を提起された場合の萎縮効果等に鑑みると,妥当ではない。
(ウ) また,民法上の賠償責任についても,公務員個人は責任を負わないことは,最高裁平成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3850頁からして明らかである。
(2) 被告Aらの本件制圧行為に関する違法性(国家賠償法1条1項)及び過失の有無。
ア 原告の主張
(ア) 事実経過
a 警察官らが本件パブを訪れて,Dらに事情聴取を求めた後,Fはパトカーに乗って交番へ行き事情聴取を受け,Dらは本件パブの店外で警察官らから事情聴取を受けた。
b そのうちに,酔っていたHが興奮して暴れ出し,警察官らとつかみ合いになった。DはJビル南側所在のサンクス前で警察官らに囲まれていたが,Hが暴れているのを見て「警察官に手を出すな。」と声をかけた。
c その後,Hは再び暴れ出し,警察官に取り押さえられた。Dはそれを見て,Gに対して「Hを寮に連れ帰ってくれ。」と叫んだ後,被告A及び被告Bに道路上に倒され,被告Aらに押さえ付けられた。
d Gの証言によれば,被告Aは,左腕でDの首辺りを押さえ,膝をずっとDの肩甲骨の辺りに置いて制圧しており,被告Bは,Dの腰辺りに両膝をつき,両手をついて全体重をかけるようにして制圧しており,被告Aらの制圧行為は,非常に強度のものであった。そして,上記の状態が20分ないし30分ほど経過した後,Dの容態が急変し,心臓と呼吸が停止し,Dは死亡した。
e Dは,被告Aらに対して,暴言を吐いたり,暴行を加えたことはない。
f 鑑定書に,Dの上背部に比較的高度な出血が存在すると記載されていることからすれば,被告Aが,膝によりDの上背部を圧迫していたことは明らかであり,また,Dの後頭部左側に皮下出血が存在すると記載されていることからすれば,被告Aにより,Dの後頭部の圧迫がなされた可能性が高い。
さらに,鑑定書に,Dの左右肩に広がる皮下出血が存在し,右肩甲骨の下角から下方にかけて筋肉出血が存在すると記載されていることからすれば,被告Bが,Dの背中右側の肩甲骨下辺りを,膝で制圧したことは明らかである。
(イ) 被告Aらの制圧行為は,不必要に強度のもので,違法・不当なものであり,被告Aらには,下記のとおり重大な過失が認められるから,被告宮城県は国家賠償法1条1項により賠償責任を負う。
a Dは,被告Aらに対して暴言を吐いたり,暴行をしたりしたことはなく,Hを制止しようとしただけであるから,被告Aらの本件制圧行為は,警察官職務執行法5条の制止の要件を備えていない。
b 仮に制止の要件があったとしても,制止行為は警察比例の原則により,社会通念上必要かつ相当な程度のものでなければならず,過剰な警察力の行使は違法である。
被告Aらによる後ろ固めによる制圧行為は,寒さの厳しい2月の深夜に,酒に酔っていることが明らかな相手に対して行うときは,窒息の危険を伴うものであるから,制止の限度を超えている。
上記(ア)の事情の下でDを後ろ固めで制圧したことは,明らかに過剰な警察力の行使にあたり,違法というべきである。
c 被告宮城県は,後ろ固めによる制圧行為が,訓練どおりの適切な方法で行われたと主張するが,Dの上背部の第7頚椎並びに第1胸椎棘突起部周囲に皮下出血が生じていることからすれば,この位置を中心に被告Aの制圧がなされ,右肩甲下角から下方に筋肉出血が生じていることなどからすれば,この位置を中心にして被告Bの制圧がなされたことは明らかであり,これはDの胸郭ないしその上部を圧迫し,Dの呼吸を制限するおそれが大きいものであるから,制圧の態様自体不適切であった。
本来,被告Aらは,Dの腕を押さえて制圧すべきなのであり,膝による制圧を長時間継続すべきではなかった。特に,被告Bは,Dの右腕を固定した後も左膝でDを押さえ付けており,制圧の方式として不適切である。
また,被告Cは,被告B及び被告Aによる不適切な制圧行為を認識しつつ,特に注意をすることなく,ともにDを制圧していたものであり,不適切な制圧行為を認識しつつその継続を認容した点において,被告A及び被告Bと同様の責任を負う。
d 仮に,被告Aの膝が動いて,Dの上背部の第7頚椎及び第1胸椎棘突起部付近に膝が位置したとしても,その位置で制圧を継続したこと自体,過失があるといわざるを得ない。
e 被告Aらとしては,Dが飲酒していることが明らかな本件において,Dに対して後ろ固めによる制圧行為を行うことが危険であることを認識して然るべきであり,Dが死亡するという結果の予見可能性はあった。
f 仮にDが公務執行妨害行為を行っていたとすれば,Dを制圧した直後に逮捕し,手錠をかけた上パトカーに収容すれば,Dの生命が奪われることはなかったのであり,制止の継続にこだわった被告Aらの判断は誤っていた。
(ウ) 因果関係
鑑定書によれば,Dの死因は頚部圧迫による窒息の可能性が高く,体位性窒息の可能性も否定できないとされているが,これらはいずれも外力の作用を原因とするものである。
Dの死因がいずれであるとしても,本件当時,Dの身体に加えられた外力は,被告Aらによる制圧行為以外には存在しないのであり,かつ,制圧行為が非常に強度のもので,Dの呼吸を困難にする態様で行われていることから,被告Aらによる制圧行為とDの死亡との間の因果関係の存在は明らかである。
(エ) 原告の損害
a 逸失利益 4038万3780円
Dは死亡時31歳であり,平成15年度の賃金センサスの全労働者の年額平均賃金である488万1100円を逸失利益の算定基準とし,Dの就労可能年数を67歳までの36年間,Dが独身であったことから生活費控除を5割として計算すると,Dの逸失利益は以下のとおりである。
488万1100円×(1-0.5)×16.547(就労可能年数36年のライプニッツ係数)=4038万3780円(1円未満切捨て)
b 葬儀費用 100万円
原告が負担したDの葬儀費用のうち,被告らが負担すべき金額は100万円を下らない。
c 慰謝料 3000万円
Dは,被告Aらの違法な制圧行為により多大な苦痛を被りながら死亡したものであり,原告はDの上記死亡慰謝料を相続している。
また,原告は,長男であるDを自分よりも先に失ったことにより大きな精神的苦痛を被っており,その苦痛に対する慰謝料は,Dの上記死亡慰謝料と併せて少なくとも3000万円を下らない。
d 弁護士費用 713万8378円
本件訴訟遂行のためには,弁護士への依頼が必要不可欠であり,損害額の1割相当の弁護士費用は,被告らの違法行為と相当因果関係のある損害である。
e aないしdの合計額は,7852万2158円となる。
イ 被告宮城県の主張
(ア) 事実経過
別紙被告宮城県の平成17年10月27日付け準備書面写しの第1の2ないし4記載のとおりである。
(イ) 国家賠償責任における違法性とは,公権力の主体がその行為をするにあたって遵守すべき規範ないし職務上の義務に違反していることをいうというべきである。
本件における被告Aらの職務質問及び制圧行為などの職務行為は,以下のとおり,本件現場における具体的状況に照らし,社会通念上,必要最小限度の実力行使と認められるものであり,何らの違法性もない。
したがって,被告Aらが,公務員としてなした本件制圧行為に違法,不当な点はなく,国家賠償法1条の要件を欠く。
a フェンスでの制圧から逃れた後のDが,被告Aに対して体当たりを加えるなどし,被告Bに対して両手でその胸を突いた行為は,公務執行妨害罪に該当する違法な行為である。
b また,Dの行為は,約20分間にわたり,多数の警察官に対し暴言を吐きながら体当たりしたり,警察官を突き飛ばすなどしており,容易には制止し難いほど強力かつ執拗なもので,同僚が説得してもその説得に応じることは期待できず,しかも,これを直ちに制止しなければ更に公務執行妨害行為が継続されるのみならず,警察官,通行人,店舗等第三者の生命・身体・財産に対して危害を及ぼすおそれがあったのであり,被告Aらの本件制圧行為は,警察官職務執行法5条の要件を充足するものであった。
c 一方,警察官らは,最初は口頭での警告と軽度な方法での制止を繰り返し,効果がないことから制止の程度を強化し,Dが抵抗をやめたときにすぐに制止を解き,また,Dを路上に制圧した後においても,何度もDの説得に努めるとともに,事態を収拾するために,Dの同僚や上司を呼んでDを説得させようと努めるなど,終始,強制力の抑制的な行使に努めていた。
また,①Dを路上に倒す直前には,Dが,制止していた警察官を引きずりながら被告A及び被告Bに暴行を加えており,②その前には4名の警察官がDをフェンスに押さえ付けるなどの方法で制圧しようとしたが,それでもDは激しく暴れ,警察官の制止を振り払おうとしていること,③Dは,職務質問を受けてから約20分間にわたり,多数の警察官が出動していることを承知しながら,警察官の再三にわたる制止にもかかわらず,警察官に対し暴行を繰り返すなどの興奮状態にあったこと,④この間,警察官は繰り返し口頭で説得・警告し,Dの腕や肩を掴んだり,抱きとめるなどの軽度な制止方法を繰り返し,それでもDが暴れ続けるため,フェンスに押さえ付けるという強度な方法を取ったが,それでもDを制圧することはできなかったことなどからすれば,Dを立たせたままでの制圧は不可能であって,暴れているDを制止させるには,地面にうつぶせにする逮捕術の制圧技しかなかったのであり,本件制圧行為はやむを得ずに行われた行為である。
d 本件の制圧方法である後ろ固めは,逮捕術の一つであり,相手に与える打撃を最小限度にとどめながら,安全かつ効果的に制圧・逮捕するためのものである。被告Aらは,訓練どおりのやり方・方法で制圧しており,Dを路上にうつぶせに制圧した行為は,具体的状況に応じた適正な制圧方法で行ったものである。
Dの路上制圧時間が約14分に及んだことも,①倒されたDが抵抗を続けていたこと,②警察官らがDに対して何回も説得したが,Dは説得に応じなかったこと,③被告Aらは,終始強い力でDを押さえ付けていたものではなく,Dの抵抗の強弱に応じて,適宜力を加減するなどして制圧を続けていたものであること,④Dは,体に力を入れずにいる時間が長くなり,抵抗が強くなくなってからも,警察官の説得に対して怒鳴り返し,制止から逃れようとするなどの抵抗を続けていたこと,⑤Dがフェンス付近で制圧された際,被告AがDの抵抗が弱まったとみて手を放したところ,間もなく,Dが暴れ出したことから,Dの抵抗が少なくなった後であっても,Dの制圧を解いた場合,再度Dが暴れるおそれがあったことなどからすれば,Dの執拗かつ強力な反抗を制圧するには他に方法がなかったことによるものであり,警察比例の原則に適合している。
e なお,後ろ固めを行う場合,制圧される者がうつぶせに倒れた後,その後ろ稲妻(第12肋骨下端)を脛骨前面及び膝で圧することになっており,制圧される者が上下あるいは前後左右に動いて暴れている場合には,訓練どおりに制圧しても,制圧部位が動いて一定せず,その時々の状況によっては,制圧する者の膝が上背部第7頚椎及び第1胸椎棘突起部付近に移動する場合もあり得る。なお,上記の位置で制圧を継続したものではない。
f Dをうつぶせの状態にして制圧を開始してからの8分間は,Dは怒鳴って体を動かしていたのであって,Dの呼吸を妨げたものではなく,制圧方法に不適切なところはなかった。
g 後記のとおり,Dは被告Aらの本件制圧行為によって死亡したものではないが,仮に,Dの死亡の原因が窒息死であり,その死因が,本件制圧行為により,Dの胸郭運動が制限され,呼吸運動が阻害されたことにあるとしても,被告Aらが,本件制圧行為によりDが窒息死に至る具体的危険があることを予見することは不可能であり,被告Aらには,Dの死亡について予見可能性がなく,他に代わるべき制圧方法もなかったのであるから,結果回避義務違反も認められない。
したがって,被告Aらに過失は認められない。
h 犯罪が行われようとするときは,それが犯罪となるまで待つよりは,それ以前に予防の措置を行って,犯罪の成立を未然に防止することの方が望ましい。
制止は,その後の犯罪の継続,発展を予防し,危害を除去するという行政目的のものであり,行政目的のために,刑事上の手段を利用することは不当である。
したがって,本件においても,Dを逮捕することは妥当性を欠く状況であった。
(ウ) 被告Aらの行為と,Dの死亡との因果関係は否認する。
(エ) 損害については不知。
第3争点に対する判断
1 公務員個人である被告Aらが損害賠償責任を負うかについて
前記前提事実によれば,被告Aらは,宮城県警察に勤務する地方公共団体の公務員であり,また,本件における被告Aらの本件制圧行為は,被告Aらが個人として行ったものではなく,公務員の職務として行ったものであると認められる。
そして,公権力の行使にあたる地方公共団体の公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には,当該公務員が属する地方公共団体が賠償責任を負うのであって,公務員個人はその責任を負わないと解するのが相当であるから(最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁),その余の点を判断するまでもなく,原告の被告Aらに対する損害賠償請求はいずれも理由がない。
2 被告Aらの本件制圧行為に関する違法性(国家賠償法1条1項)及び過失の有無について
(1) 前記前提事実に関係証拠(甲1ないし3,5,8ないし11,14,15,乙1ないし13,被告A本人,被告B本人,被告C本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められ,この認定に反する証人Gの供述は採用することができず,他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
ア Dは,本件当時31歳の男性で,身長169.5センチメートル,体重85.9キログラムで,本件当時,中等度酩酊状態であった。
イ Dは,平成15年2月17日午後11時40分過ぎころ,Jビル東側の歩道において,現場に駆け付けたQ巡査部長に対し,「告訴したんか。民事じゃろが。」などと怒鳴りながら,体当たりした。また,Dは,その後も,現場にいた警察官の警告や説得に応じることなく,被告Aに対しても,「何も関係ないやんか。相手は告訴したんか。民事やろ。国家権力で俺を連れて行くんか。」などと怒鳴りながら,両手で突き飛ばし,胸ぐらを掴み,足蹴りを加えようとするなどの暴行を加えた。
ウ さらに,Dは,Hが警察官に制圧されたことに興奮して暴れ出したため,同日午後11時56分ころ,Jビル北側のRパーキングにおいて,被告A及び被告B他3名の警察官により,同駐車場のフェンスに押しつけられるなどの制止行為を受けたが,その間も,その制圧を振り切ろうと抵抗していた。
エ 翌18日午前0時ころ,Dは制圧を一旦解かれたものの,近づいてきた被告Aに対し,警察官2名に両腕を押さえられながら,「1対1でやるんか。」などと怒鳴りながら体当たりし,その胸を突くなどし,間に入った被告Bに対しても胸を突くなどしたため,同日午前0時3分ころ,被告A及び被告Bにより,Jビル東側の歩道上にうつぶせの状態で倒され,後ろ固めと呼ばれる手技で本件制圧行為を受けた。このとき,被告Aは,Dの左側におり,左手でDの左手を掴み,右手をDの左手の付け根にあて,右膝でDの肩甲骨の下辺りを押さえ,右すねでDの後ろ稲妻(第12肋骨)辺りを押さえようとした。被告Bは,Dの右側におり,右手でDの右腕を掴み,左手をDの右肩口にあて,左のすねでDの後ろ稲妻辺りを押さえようとした。その際,Dが怒鳴りながら抵抗して体を激しく動かしたたため,被告A及び被告Bは,数分くらいの間,膝でDの後ろ稲妻を正確に押さえ付けることができず,同被告らの膝がDの肩,背中,脇腹などに移動することもあった。そのころ,被告Cは,Dの右側から両手で両足首を押さえた(本件制圧行為)。
オ Dは,本件制圧行為の間,被告Aや被告Bから暴れるのを止めるように説得されたにもかかわらず,「離せ。ぶっ殺してやる。」などと怒鳴り,顔を左右に振るなどして激しく抵抗しており,倒されてから10分くらいの間は,休んでは暴れるという抵抗を繰り返していたが,その後はだんだんおとなしくなっていった。そのため,被告A及び被告Bは,同日午前0時14分ころ,膝による後ろ稲妻に対する制圧を止めて腕だけを押さえるようにしてDに対する制圧を継続し,被告Cは,引き続きDの両足を押さえていた。
Dは,上記のように制圧方法が変わってからも騒いでおり,苦しいなどと身体の異常を訴えてはいなかった。Dは,被告A及び被告Bから膝を外された直後は荒い呼吸をしていたが,その後は呼吸が落ち着いた。制圧方法を変えて数分後,被告AはDの体から力が抜けるのを感じ,間もなくDの脈がないことに気が付き,同日午前0時17分ころ,制圧行為を中止した。Dは,平成15年2月18日午前1時15分ころ,搬送先の国立仙台病院において死亡した。
カ 鑑定書(甲3)によれば,Dの頚部の左胸骨舌骨筋裏面に外力作用により生じた可能性の高い限局性の出血がみられること,ただし頚部皮膚表面には扼痕の存在はないこと,上背部第7頚椎及び第1胸椎棘突起部周囲を中心として左右肩にかけて,鈍体による打撲,圧迫などによって生じたと考えられる皮下出血が,上背部左にも同様の原因によるものと考えられる筋肉出血があることが認められる。
キ また,鑑定書(甲3)によれば,Dの死因は強い急性循環不全であると考えられ,Dに器質性疾患の存在がなく,中等度酩酊であったこと以外に薬物の影響はないことから,その死因は頚部圧迫による窒息の可能性が高いと判断されるものの,虚脱時に頚部圧迫がないという状況において,循環不全を引き起こす原因としては,体位性窒息及び交感神経系の異常興奮も考えられるとされている。
ク なお,Gは,被告Aらが,路上に倒れたDの頭部を継続して押さえていたと供述(証人G,甲4)する。
しかし,Gは,警察官らが臨場した以降の一連の経過を目撃しているはずなのに,Dが警察官に対して暴行を振るったこと,路上に倒されて制圧された後も激しく抵抗していたことなど,Dに不利となる点について何ら述べていない点において,その供述内容は,被告Aらの陳述(乙11ないし13)及び供述に反するのみならず,本件の経緯に鑑みると極めて不自然であるといわざるを得ない。また,Gの供述は,本件後に制圧状況を再現した際には,警察官がDの頭部を押さえていたことには何ら言及していない(甲6)ことに照らし,その供述内容は曖昧といわざるを得ない上,Gが目撃した位置から,被告A及び被告Bの膝の位置をはっきり視認できるのかどうかについても疑問が残るといわざるを得ない。したがって,Gの上記供述は信用性に乏しく採用することはできないというべきである。
(2) 前記前提事実及び上記(1)の事実に照らし,本件制圧行為が違法と認められるかについて,以下検討する。
ア 警察官は,犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは,その予防のため関係者に必要な警告を発し,又,もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び,又は財産に重大な損害を受ける虞があって,急を要する場合においては,その行為を制止することができる(警察官職務執行法5条)。
Fに対する職務質問をきっかけとして,これに不満を抱いたHやDらが興奮して怒鳴りながら警察官に暴行を振るうなどした(HやDらによる上記行為は,公務執行妨害罪(刑法95条1項)に該当するということができる。)ため,被告Aらが口頭による警告や説得を行ったが,HやDらの上記行為が収まらず,約20分間にわたり,断続的に継続されていたことからすると,Dが,引き続き警察官に対して公務執行妨害罪に該当する行為を行うおそれがあり,また,Dの体格や複数の人物が酒に酔って興奮状態にあったという当時の状況に照らすと,Dの上記行為によって被告Aらの身体に危険が及ぶおそれがあったものと認められるばかりでなく,これを口頭による説得等の任意の方法によって防ぐことは困難であったというべきである。
そして,複数の警察官がDをフェンスに押しつけたという制止行為の態様は,Dの動きを一時的に制止させるための必要最小限度の手段であったといえるから,上記制止行為は,公務執行妨害罪に該当するDの暴行から警察官らの身体の安全を守るため,急を要する場合に行われた制止行為として,警察官職務執行法5条によって許容される範囲内のものと認めるのが相当であって,違法とは認め難い。
イ Dは,フェンスに押しつけられて制止された後も,更に興奮して,被告Aや被告Bに対して暴行を加えるなどしており,この時点においてもなお警察官に対して公務執行妨害罪に該当する行為を行うおそれがあったといえる。また,それまでのDの行動態様に照らし,Dを立たせたまま制止するのは困難な状況であったと認められるから,それまでの制止行為よりも更に強度の手段を取る必要性があったといえ,Dを路上に倒して後ろ固めによる制圧行為を開始した点についても,公務執行妨害罪に該当するDの暴行から警察官らの身体の安全を守るため,急を要する場合に行われた制止行為として,警察官職務執行法5条によって許容される範囲内のものと認めるのが相当であって,違法とは認め難い。
さらに,被告Aらの本件制圧行為が10分を超えた点についても,Dが,倒された後も激しく抵抗を続けており,被告Aらの説得にも応じなかったこと,Dがおとなしくなってからは,膝による制圧を止めて腕だけを押さえるようにして制圧していたことなどからすれば,違法があったとは認められない。
ウ Dを逮捕しなかった点についても,身柄拘束を内容とする逮捕手続はあくまでも刑罰権の発動を前提とする手続であって,必要性等に厳格な要件の存在が求められることに照らせば,逮捕手続よりも予防措置によって犯罪の成立を未然に防止した方が望ましいと考えた被告Aらの判断(乙11ないし13)に違法な点は認め難い。
エ Dの頚部の左胸骨舌骨筋裏面における出血,上背部第7頚椎及び第1胸椎棘突起部周囲を中心として左右肩にかけての皮下出血,並びに上背部左の筋肉出血については,被告A及び被告Bが,後ろ固めによる制圧行為を開始してからDの後ろ稲妻を膝で制圧する際に生じたものと推認するのが合理的であるところ,その際にDに頚部圧迫による窒息,あるいは体位性窒息が生じた可能性を完全に否定することはできない。
しかしながら,被告A及び被告Bがその膝でDの後ろ稲妻を正確に押さえ付けることができず,同被告らの膝がDの肩や背中などに移動していた(その原因は,Dが抵抗して体を激しく動かしたことによるものであり,これを被告Aらの過失とみるのは相当ではない。)時間は数分程度の一時的なものであったこと,被告A及び被告Bが膝での制圧を止めた後も,Dは言葉を発し,呼吸を継続していたことが認められること,うつぶせ状態で後頚部のみを圧迫されただけでは,路上のように下が硬く平坦な面であれば頚部圧迫が生じにくいことに照らすと,Dが,本件制圧行為時点の頚部圧迫による窒息又は体位性窒息に陥り死亡したと認めるのは困難である。
そして,アルコールの影響下で,激しい運動をしている人が,制圧中,あるいは制圧直後に急激な虚脱,急死を引き起こすことがあり,それは心臓に特に病変がなくとも起こりうることが指摘されている(甲3)ことからすれば,Dが,交感神経系の異常興奮により急激な循環不全状態(心不整脈)に陥り死亡した可能性も否定することはできない。
オ 以上からすれば,Dが,被告Aらの本件制圧行為により,頚部圧迫による窒息又は体位性窒息に陥り死亡したと認めることは困難であり,Dが交感神経系の異常興奮により急激な循環不全状態に陥り死亡したとしても,被告Aらが,膝による制圧を外した後に,Dが交感神経系の異常興奮により急死することについて予見すること及びその結果を回避することは著しく困難であったというべきであるから,被告Aらの本件制圧行為の過程におけるDの死亡につき,被告Aらの過失及び相当因果関係を認めることは困難というべきである。
(3) 本件においては,上記認定・判断のとおり,一人の人間に対し,3名の警察官により,約10分間にわたり相当の力を用いて本件制圧行為が行われており,その際,一時的に後ろ固めとは異なる位置に膝が置かれるなど本来の手技とは異なる制圧行為が行われ,その過程でDが死亡するという重大な結果が生じたものではあるが,被告Aらの本件制圧行為については,上記のとおり,被告Aらの過失及び相当因果関係についてはいずれもこれを認め難いといわざるを得ないから,被告宮城県に国家賠償法上の賠償責任を認めることはできない。
3 よって,原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 潮見直之 裁判官 近藤幸康 裁判官 浅海俊介)
(別紙添付省略)