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仙台地方裁判所 平成18年(わ)401号 判決 2006年10月23日

主文

被告人を懲役10年に処する。

未決勾留日数中60日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成18年6月16日午後2時ころ、宮城県黒川郡富谷町a町b丁目c番地d所在の被告人方において、父親であるA(当時56歳)に対し、殺意をもって、その右背部等を洋出刃包丁(刃体の長さ約15.7センチメートル)で多数回突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を肝臓及び腎臓刺創に基づく失血により死亡させて殺害したものである。 (事実認定の補足説明及び弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人には殺人の故意がなく、また、被告人がA(以下「被害者」という。)を包丁で突き刺したのは、同人から腕で首を絞められたため、やむを得ずした正当防衛行為であるから、被告人は無罪である旨主張するので、以下、これらの点について順次検討する。

第1  殺意について

1  被告人は、捜査段階及び公判段階を通じて殺意を否認するとともに、公判廷において、被害者を1、2回刺しただけで、その背中を刺した憶えはなく、特定の部位を狙ったり、力を込めて刺した感覚もないなどと供述している。

2  しかしながら、関係証拠によれば、

凶器の洋出刃包丁(刃体の長さ15.7センチメートル)は、被告人が、被害者と同居している自宅台所から持ち出したもので、鋭利で殺傷能力が極めて高いこと、

被害者の遺体には、胸部に4か所、背部に4か所の合計8か所の刺創があり、胸部の刺創は最も深いもので約8センチメートル、また、致命傷となった刺創のうち、1つは、背部右側から右肺と横隔膜を貫通して肝臓に深さ5センチの創を形成し、他の1つは、背部右側から右腎臓を貫通していること、

被告人は、自宅の階段や1階廊下で、被害者を上記洋出刃包丁で刺したこと自体は争っていないこと、

被告人は、被害者を刺した後、全く救護措置を講じなかった上、ビニール袋、シーツ、ベッドカバーで遺体を梱包し、さらに、床面の血を拭き、血の付いた壁面のクロスをカッターで切り取り、これらを前記洋出刃包丁等と一緒に自宅1階の便所内に隠匿したことが認められる。

3  そして、被告人は、検察官調書(乙5)において、犯行状況につき、「自宅の階段で、被告人の頸部に被害者の左腕を巻き付けられ、抱え込むようにしてヘッドロックされたので、前屈みになった被告人が、左手に持った包丁で被害者の胸辺りを1、2回力任せに突き刺したところ、被害者がなおも被告人の頸部をヘッドロックしたまま階段を下り始めたので、包丁を右手に持ちかえて、被害者の背中を力を込めて2、3回突き刺したが、被害者が1階まで降りてもヘッドロックを外そうとしないので、力を入れてその背中を1回突き刺し、さらに、利き手の左手に持ち替えた包丁で1、2回被害者の胸を力強く刺すと、被害者が頭を床にぶつけるようにして倒れた。」旨供述している。

4  被告人の上記供述は、遺体に残された傷の状況や本件現場の状況等の客観的事実と良く符合していて、格別不自然不合理な点が見当たらない上、被告人は、警察官に対し、当初は、刺突の状況や回数について曖昧な供述をしていたものの、犯行再現を行うなどして記憶を喚起し、これに基づいて、検察官に対して上記供述をしたと認められる(被告人の警察官調書、乙6。証人Bの公判廷における供述、以下「B証言」という。)から、殺意を否認する点はともかくとして、犯行状況に関する上記供述は、十分信用することができる。

5  これらの事実を総合すれば、被告人は、極めて殺傷能力の高い洋出刃包丁を使用して、被害者の胸部及び背部を連続して多数回突き刺して殺害したもので、明確な殺意をもって本件犯行に及んだことを優に認定することができる。

6  これに対し、被告人は、公判廷において、取調べ状況につき、「被害者の背中を刺したことは記憶になかったが、B警察官から、客観的な傷と行動を合わせて調書を作成した方がいいと言われた。殺意や犯行の経緯について、何度も訂正を申し立てたが、B警察官から、裁判で不利になる、せっかく自首しているのに、自分をかばう供述ばかりしていると、台無しになってしまうと言われた。C警察官から、いちいちそんな細かいところは訂正させるな、と怒鳴られた。それでも訂正を求めると、裁判で不利になるからと何度も強調されたので、そのまま署名した。検事調べの前に、B警察官から、検察庁で警察と違う話をすると不利になってしまうので、警察の調書のとおりに説明しろよ、と念押しされた。検事には、そういわれたことは話さないで、警察官のときと同じ話をした。」旨供述し、弁護人も、被告人の公判供述に基づき、前記被告人の検察官調書(乙5)による供述は、警察官による不当な欺罔や誘導による影響が継続した状況下でされたもので、任意性及び信用性を欠く旨主張する。

7  確かに、B警察官の証言によれば、同人が被告人に対し、「8か所も刺しておいて、殺す気はなかったで済むか。ましてや、手袋を掛けてるんだぞ。なおさら、情状が悪くなるぞ。」「この記録は、検事さんも見てるんだから、ころころ変えるようなことはするなよ。反省していないぞと思われるぞ。裁判で情状悪くなるから、そこを考えて、よく話してこい。」などと言ったことは認められるものの、被告人は、被害者の背中に傷があったことを警察官から告げられる以前から、「途中、背中も刺したような気がします。」と供述していたこと(B証言。被告人の自首調書、弁5)、このような供述が録取された理由について、被告人が、調書に署名した時には気付かなかった、警察官が勝手に書いたと思うなどと不自然な説明をしていること、一連の刺突行為のうち、致命傷となった背中の刺突のみ記憶がないというのは不自然であるから、警察官がこの点について追及するのは当然であること、さらに、被告人は、捜査段階で弁護人を選任していたのであるから、意に沿わない供述を強要されたのであれば、接見の際にその弁護人に相談するのが当然であるのに、全く相談していないこと、その理由について、被告人は、刑事事件のことではなく、会社の弁護士を選任したと思っていたなどと不可解な供述をしていること、被告人は、警察官から、再三にわたり、殺意があったのではないかと追及されても、一貫して殺意を否認していたこと(B証言)などを総合すると、被告人の捜査段階の供述の任意性及び信用性に疑問を差し挟む余地はない。

第2  正当防衛について

1  関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

被告人は、被害者と母Cの間に長男として出生し、両親の下で養育され、高校を卒業してカナダの語学専門学校に留学するなどした後、平成10年ころから、被害者の経営する、土木建築工事等を目的とする株式会社D産業(以下「D産業」という。)で稼働し、平成13年ころから、同社の専務取締役の地位に就いていた。

被害者は、昭和55年に有限会社D産業を設立し、代表取締役として業績を拡大する一方、家庭内では、自分の意に沿わないことがあると、家族に暴言を吐き、度々酷い暴力を振るったため、娘(被告人の姉)2人は実家を出て寄りつかなくなり、平成17年9月には、被害者の暴力や浮気に愛想を尽かした妻Cが家出して、本件当時は被害者に居場所を知らせないまま別居していた。

被告人は、20歳のころ、乗用車の改造等に浪費して、消費者金融会社等から約2000万円に上る借金をし、平成13年ころでも、約1700万円の借金が残って返済に窮し、うち1社の約100万円のローンが被害者に露見して肩代わり弁済してもらい、その際、被害者から叱責されて追及されたものの、残りの借金については隠していた。被告人は、平成14年に結婚して被害者と別居し、妻との間に1女を儲けたが、その後も、知人や取引先の複数の社員から借金を重ねていたところ、平成17年9月ころ、これが被害者に露見し、激怒した被害者から、実家に戻って生活し、家賃分を借金の返済に回すように命じられたため、妻子と共に実家で生活するようになった。平成18年3月ころ、被害者に隠していた別の消費者金融会社からの借金約350万円が被害者に発覚し、被告人は、その借金を再び肩代わりして弁済した被害者から、被告人名義の預金通帳を取り上げられた。被告人は、被害者が再三にわたり家族に暴力を振るった上、被告人の妻や長女にまで暴言を吐いたり、暴力を振るったことに憎悪の念を抱いていた上、預金通帳まで管理されるようになったことに憤りを募らせていた。その後、被告人は、被害者に隠していた別の知人からの借金の返済に充てるため、会社の工事代金を着服するようになり、その金額が約439万円に達していたが、同年5月末ころから、不審を抱いた被害者から度々催促を受け、その都度、顧客が支払金を準備できないなどと嘘をついて追及をかわしていた。

被告人は、平成18年6月16日朝、現場に向かう振りをして外出したが、被害者に呼び戻されて、昼過ぎに自宅に戻り、妻子を外出させた上、1階居間で、被害者と向かい合って座ると、被害者から工事代金の回収状況について問い詰められた。被告人は、工事代金を着服して自己の借金の返済に充てたことを打ち明け、激怒した被害者から頬を平手打ちされた上、着服した金員をCに渡したのではないかと疑われ、同女の居場所を突き止めようとした被害者から、同女が被害者との離婚調停を依頼している弁護士に電話を掛けさせられ、また、被害者が、二女(被告人の次姉)に電話を掛けるなどした。

その後、被告人が、被害者から離れようとして玄関に向かったところ、被害者の腕で首の辺りを押さえつけられて、1階居間へ連れ戻され、ソファーに座らされた。しかし、被告人は、被害者から執拗にCの居場所を問い詰められて、再び被害者から離れて玄関に向かおうとしたところ、被害者が後を追ってきたので、1階の各部屋から2階居間等を逃げ回り、その間に1階台所にあった洋出刃包丁を持ち出し、さらに、2階居間で、利き手の左手に革手袋をはめて、洋出刃包丁を持った。被告人は、2階居間で、洋出刃包丁に気付いた被害者から、「やる気か。この野郎。」などと怒鳴られたが、以前被害者が包丁を持ち出してCを追いかけ回したことがあったことから、「親父の真似をした俺を怒れっか。」などと怒鳴り返して、1階に向かおうとした。

ところが、被告人は、階段を数段下りたところで、追いかけてきた被害者から襟首を掴まれ、更に左腕を被告人の頭部や頸部付近に巻き付けてきた被害者から、前屈みになって抱え込むようにして押さえつけられた。そして、階段を1段下りた被害者が、被告人の左手を掴んでいた右手を離し、これを左腕に添えて力を加えて被告人の頸部を押さえつけたところ、被告人が本件犯行に及んだ。

弁護人は、家族に対して暴言、暴力を繰り返した上、預金通帳を取り上げるなどした被害者に対し、被告人が憎悪の念を抱いたことはないなどとして、被告人の検察官調書(乙5)の信用性を争っているが、被告人が本件以前に被害者を殺してやりたいとまで考えていたかどうかはともかくとして、被害者が、家族に対して暴言、暴力に及び、預金通帳を取り上げたことについては被告人も争っておらず、同調書のうち、被告人が被害者に対して憎悪の念を抱いていた旨の供述部分は十分信用することができる。

また、被告人は、公判廷において、被害者が被告人の使い込みの件をいったん納得し、5分か10分くらい沈黙が続いた後、被害者がCの悪口を言い出したため、聞きたくないので席を立った旨供述するが、被害者は、被告人が使い込んだ工事代金を、D産業の銀行借入れの返済に充てる予定であったと話していたこと(乙5)、これまでも、被害者に被告人の借金が発覚すると、厳しく叱責されていたこと、遅くとも同年5月末ころ以降、工事代金の回収を督促する被害者に対し、支払がされていない旨嘘をついていたことに照らすと、被害者が被告人の使い込みをいったん納得したなどという被告人の上記供述部分は信用できない。

さらに、被告人は、被害者を突き刺す直前の状況について、被害者に左腕で首辺りをヘッドロックされていた時は、被害者に自分の行動を押さえられているくらいだったが、被害者が右手を加えて両手で絞めた時には、息ができないくらいの状況で、本当に死んでしまうと思った(検察官調書、乙5。公判供述)などと供述する。しかしながら、被告人が供述するように、被害者がヘッドロックをするようにして被告人の頸部に腕を回して押さえつけた(警察官調書、乙6の末尾添付写真)とすれば、前屈みの態勢で頭に血が上ることはあっても、短時間で息ができなくなるほど絞め付けられるかは疑問であること、被告人は、被害者の両手と被告人の頸部との間に隙間を作ろうとしたり、あるいは被害者を突き飛ばそうとするなどして抵抗した具体的状況について、したと思うが余り記憶が定かでない、覚えていないなどと曖昧な供述をしていること(公判供述)、結果的に被告人も被害者も階段から転落していないこと(公判供述)、遅くとも本件の翌日、あるいは4日後の時点で、被告人の頭部や頸部に見るべき負傷はなかったこと(捜査報告書、甲16。身体検査調書、甲17)を考慮すると、被害者から頸部を押さえつけられた際に、息ができずに死んでしまうと思った旨の供述部分も容易く信用できない。

2  以上の認定事実によると、被害者が、最初に被告人の頸部を押さえつけて1階居間に連れ戻し、その後、再び自宅内を逃げ回る被告人を追いかけた行為は、使い込みを打ち明けられたことを契機として、被告人がその金員をCに渡したのではないかとの疑念を抱き、同女の居場所を問い糺すため、逃げ回る被告人を捕まえようとして行われたものと認められ、被害者が、被告人を1階居間に連れ戻しただけでいったん暴行を止めていること、凶器を所持していなかったこと、力自慢だったとはいえ、本件当時56歳で、身長171センチメートル、体重67.8キログラムの中程度の体格であり、当時28歳で、身長173センチメートル、体重約92キログラムの被告人が、体格的に被害者より優っていることも考慮すると、被害者が1階居間で被告人の頬を平手打ちした点で行き過ぎた感はあるものの、被告人の生命や身体に直ちに危険が生じるような侵害行為とまでは認められない。

なお、弁護人は、被告人ら家族が、被害者から、突発的に見境のない激しい暴行を受け、いつかは被害者に殺されるのではないかとの恐怖を抱いていたなどとして、この点も正当防衛の要件の判断において考慮すべき事情であると主張する。しかしながら、前記認定のとおり、本件は、被告人の使い込みが被害者に発覚したことが端緒となっており、被害者が被告人を問い詰めて叱責したのには十分合理的な理由があること、被害者が被告人の生命や身体に関わるような激しい暴行には及んでおらず、被告人を1階居間に連れ戻すと、自ら暴行を止めていることなどに照らすと、突発的な見境のない激しい暴行とはおよそ認め難いものであって、弁護人の主張はその前提を欠くというべきである。

次に、その後、被告人が、被害者に追いかけられている間に、洋出刃包丁を持ち出して被害者に示した行為は、上記被告人を捕まえようとした被害者の行為に比べて、明らかに質的に過剰な行為であり、被告人が被害者の暴力癖を熟知していたことを併せ考慮すると、被害者が2度目に被告人の頸部を押さえつけた行為は、被告人にとって十分に予測可能なもので、いわば自らの行為によって招いた結果であるから、被害者の行為は急迫性を欠き、これに対する被告人の行為は、防衛のためにやむを得ずにした行為とは認め難い。

したがって、被告人の行為は、正当防衛にも、過剰防衛にも当たらないというべきであり、弁護人の主張は採用できない。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、父親を包丁で刺し殺した事案である。被告人は、判示の経緯で包丁を持ち出し、怒った被害者から追いかけられ、頸部を押さえつけられたことに憤激し、子供のころから家族に暴力を振るってきた被害者を憎む気持ちも加わって、とっさに被害者の殺害を決意したものと認められるが、本件のそもそもの原因は、被告人が、被害者から厳しく注意されていたにも拘わらず、無計画に借金を重ね、D産業の工事代金まで着服していたことが被害者に発覚したことに由来するもので、自己の不行状を顧みることなく、包丁まで持ち出し、実の父親を刺し殺した経緯、動機に酌むべきものはない。

犯行態様をみても、被告人は、自宅において、被害者の身体の枢要部である胸部や背部を、殺傷能力の高い鋭利な包丁で8回も突き刺しており、明確な殺意に基づく執拗で残忍な犯行である。本件により、被害者は、未だ56歳の働き盛りで、確執があったとはいえ、外国に留学させたり、多額の借金の後始末をしてやるなど、愛情を注いで養育してきた実の息子である被告人に殺害されたもので、その悔しさ、無念さは察するに余りある。被害者の高齢の母親が、孫である被告人に我が子を殺された悲しみを切々と述べている姿も哀れであり、本件の結果は重大である。犯行後、被告人は、被害者の遺体を被告人の妻子に見せたくないとして幾重にも梱包し、床面の血を拭き、犯行に使用した包丁や革手袋を、血の付いた壁紙や衣類と一緒に自宅内に隠すなどの隠蔽工作をしており、この点の情状も良くない。被告人は、その後、妻に犯行を打ち明け、同女に勧められて知人の警察官を通じて自首しているが、早晩被告人の犯行であることが明らかになる事案であり、自首したことをさほど重視することはできない。

その上、被告人は、公判廷において、被害者の背中を刺した記憶はなく、殺意はなかった、被害者に殺されそうになったなどとして、被害者に責任を転嫁する不自然な弁解を続けているのであって、自己の刑事責任を真摯に受け止めて内省を深めているとは認められない。

そうすると、被告人の刑事責任は誠に重大であるから、被告人が、被害者に対して謝罪の言葉を述べていること、上記の経緯で自首していること、前科がないこと、妊娠中の妻と幼い娘がいること、被告人の母(被害者の妻)や被告人の姉2人(被害者の娘)を始めとする親族や関係者が、被告人に同情して寛大な刑を嘆願していること、被害者も、家族に暴言や暴力を繰り返したため、一家が離散状態となっていた点で事件の遠因を作り出した面があり、全く落ち度がないとはいえないことなどの事情を被告人のために十分斟酌してもなお、主文掲記の刑に処するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑懲役12年)

(裁判長裁判官 山内昭善 裁判官 齊藤啓昭 裁判官 岸田航)

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