仙台地方裁判所 平成18年(ワ)172号 判決 2007年12月27日
主文
1 被告が原告Aに対して平成17年11月29日付けをもってした懲戒処分の意思表示が無効であることを確認する。
2 被告が原告Bに対して平成17年11月29日付けをもってした懲戒処分の意思表示が無効であることを確認する。
3 被告は,原告Aに対し,55万円及びこれに対する平成18年3月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は,原告Bに対し,55万円及びこれに対する平成18年3月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
6 訴訟費用は,これを3分し,その1を原告らの負担とし,その余は被告の負担とする。
7 この判決は,第3項及び第4項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告が原告Aに対して平成17年11月29日付けをもってした懲戒処分の意思表示が無効であることを確認する。
(2) 被告が原告Bに対して平成17年11月29日付けをもってした懲戒処分の意思表示が無効であることを確認する。
(3) 被告は,原告Aに対し,100万円及びこれに対する平成18年3月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 被告は,原告Bに対し,100万円及びこれに対する平成18年3月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(5) 訴訟費用は,被告の負担とする。
(6) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(1) 本案前の答弁
原告らの請求の趣旨第1項及び第2項に係る訴えをいずれも却下する。
(2) 本案の答弁
a 原告らの請求をいずれも棄却する。
b 訴訟費用は,原告らの連帯負担とする。
c 仮執行免脱宣言
第2事案の概要
1 本件は,被告の従業員である原告らが,宿泊先の施設内で飲酒したことを理由として,被告から懲戒処分を受けたことから,被告に対し上記懲戒処分の無効確認を求めるとともに,この懲戒処分をした被告に対し,不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。
2 前提事実(証拠援用部分を除き,争いがない。)
(1) 原告Aは,昭和60年6月10日,被告に入社し,3か月間の試用期間を経てバスの運転士として正式採用された。
(2) 原告Bは,平成2年4月16日,被告に入社し,3か月間の試用期間を経てバスの運転士として正式採用された。
(3) 被告は,肩書地に本店を置き,自動車運送業(バス事業),貨物運送取扱業等を行う株式会社である。
(4) 被告が平成17年7月16日に定めた就業規則(以下「本件就業規則」という。)には,懲戒に関し,次の定めが置かれている(乙1)。
(社員の義務)
第3条第3項 社員は,この規則のほか会社の定めた諸規定を遵守し,上長の指示に従って職場の秩序を保持し,互いに協力して誠実にその責務を遂行しなければならない。
(服務規律)
第17条 社員は法令及び会社の諸規定にしたがって誠実に勤務し,次の事項を遵守しなければならない。
(1) 会社の営業方針を基調とする職務上の指示・命令を守り,その効果的実施に努めること。
(懲戒)
第114条 社員に関する懲戒は,別に定める懲戒規程による。
(5) 被告が平成11年3月16日に定めた懲戒規程(以下「本件懲戒規程」という。)には,従業員の服務規律及び懲戒に関し,次の定めが置かれている(乙2)。
(目的)
第1条 この規程は就業規則に基づき社員が諸規則に違反し,あるいは不都合な行為があったときその懲戒処分を厳正公平に行い,もって社内秩序を保持し社業の適正な運営を図ることを目的とする。
(規程の適用)
第2条 社員に適用される諸規程,規則ならびに労働協約に定められたもののほか,すべてこの規程による。
(懲戒の種類)
第3条 社員の懲戒は次の5種類とする。
(1) 譴責,始末書をとり将来を戒める。
(2) 減給,始末書をとり1回について平均賃金の1日分の半額以下を減ずる。
但し,2回以上に亘る場合でも総額においてその月の総収入の10分の1以内とする。
算定は懲戒決定の月の賃金より控除する。
(3) 休職,始末書をとり一定期間の出勤を停止し,その期間賃金を支払わない。
(4) 降職,始末書をとり職を格下げ又は職を換える。
(5) 解雇,行政官庁の許可を得て即時解雇する。
但し,情状によって諭旨解雇とすることがある。諭旨解雇の場合,退職金の一部を支払うことができる。
(譴責事項)
第4条 次の各号の1に該当するときは譴責に処する。
但し,情状によっては戒告及び厳重注意にとどめることがある。戒告および厳重注意は文書によって訓戒する。
(1) 正当な理由なしに遅刻,早退又は欠勤が重なったとき。
(2) 勤務に関する手続きその他の届出を詐ったとき。
(3) 許可なく私物を作り,もしくは修理し又は他人にこれをさせたとき。
(4) 諸規程,規則に違反し,又は職務上の指示命令を守らないとき。
(5) 注意を怠り業務上の事故を惹き起こしたとき。
(6) その他各号に準じ勤務に関する違反行為をしたとき。
(減給,休職,降職事項)
第5条 次の各号の1に該当するときは,減給,休職,降職に処する。
但し,情状によっては譴責にとどめることがある。
(1) 業務上の重大な過失によって会社に相当の損害を与えたとき。
(2) 業務上の怠慢又は監督不行届によって災害,傷害,その他の事故を発生させたとき。
(3) 不正不義の行為をなし社員としての体面を汚したとき。
(4) 諸規程,規則に重大な違反をし,その情状が重いとき。
(5) 諸規程,規則又は職務上の指示命令を守らず,よって事故を惹き起こしたとき。
(6) 他人に対し暴行・脅迫を加え,あるいはその業務を妨害したとき。
(7) 公金を無駄で流用したことが判明したとき,又は公金の取扱いについて所定の手続きを怠ったとき。
(8) その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき。
(懲戒手続)
第14条 所属長は所属従業員に懲戒に付すべき事項があると認めたときは,該当者の職・氏名及び事実を書面にするほか始末書を添付し社長に報告しなければならない。
社長は,この報告があったときは懲戒委員会に諮問する。懲戒委員会に関する規程は別に定める。
(懲戒の通知)
第15条 懲戒を行う場合は社長は発令前に当該従業員に対し,懲戒されるべき事由及び処分の内容を決定書をもって本人に通知する。
(上告)
第16条 懲戒の決定に不服な者は,通知を受けた日から7日以内に社長に再審議を上告することができる。
(再審の方法)
第17条 社長は上告を受けたときは懲戒委員会に再審を命ずる。
(懲戒の発令)
第18条 懲戒処分の発令は通知後7日を経過した日とする。
懲戒者(戒告および厳重注意処分者を含む)はその都度社報に掲載する。
(6) 被告は,原告Aに対し,平成17年11月29日付けで「休職3日とする。」旨の懲戒決定書(決定日平成17年11月24日)を送付した。上記決定書(以下「本件A懲戒」という。)には,以下のとおりの記載がある。(甲1の2)
ア 事実
平成16年6月26日(木),都市間高速バス仙台成田空港線を運行後,7時45分にD観光バスE営業所で終業点呼を実施し,仮眠場所のD観光バス寮で8時30分頃より10時15分頃まで同僚と食事を取る際,飲酒が禁止されている宿泊先の施設内で同僚と350mlの缶ビール1本と焼酎の水割りを1杯程飲酒した事実。
イ 決定理由
会社は,過去に社員が起こした飲酒運転の不祥事以来,グループ社員の家族と共に「飲酒運転は絶対にしない」誓いを立て,再発防止と会社の信頼回復のため全社員一丸となって様々な取組みを実施してきた。点呼時のアルコール検知において酒気帯び反応は出なかったものの,当社では宿泊先の施設内においての飲酒を禁止しており,宿泊先として借りている他社の施設内で同僚と飲酒したことは許されるものではなく猛省を促すものである。
よって,懲戒規程第5条に照らし次の処分とする。
ウ 主文
休職3日とする。
エ 決定月日
平成17年11月24日
(7) 被告は,原告Bに対し,平成17年11月29日付けで「休職3日とする。」旨の懲戒決定書(決定日平成17年11月24日)を送付した。上記決定書(以下「本件B懲戒」という。)には,以下のとおりの記載がある。(甲2の2)
ア 事実
平成16年3月30日(火),都市間高速バス仙台大阪線を運行後,FバスG営業所で終業点呼を実施し,仮眠場所で8時30分頃より9時30分頃まで同僚と食事を取る際,飲酒が禁止されている宿泊先の施設内で同僚とビール3本と缶焼酎2本を飲酒した事実。
イ 決定理由
会社は,過去に社員が起こした飲酒運転の不祥事以来,グループ社員の家族と共に「飲酒運転は絶対にしない」誓いを立て,再発防止と会社の信頼回復のため全社員一丸となって様々な取組みを実施してきた。点呼時のアルコール検知において酒気帯び反応は出なかったものの,当社では宿泊先の施設内においての飲酒を禁止しているにもかかわらず,同僚と飲酒したことは許されるものではなく猛省を促すものである。
よって,懲戒規程第5条に照らし次の処分とする。
ウ 主文
休職3日とする。
エ 決定月日
平成17年11月24日
(8) 平成17年11月30日,H営業所長は,同営業所のコントロール(被告の各営業所の運行管理者の中で,乗務員等に対して乗務ダイヤ及び休日の割当を行う者)に対し,本件A懲戒及び本件B懲戒の原告両名に対する実施日の指定につき,原告両名の意向を参考にしつつ,同営業所の車両全体の運行に支障がないように定めるよう指示し,上記各懲戒処分の具体的な実施期間の決定を同営業所のコントロールに委ねた。この指示を受け,H営業所のコントロールは,原告両名の意向を参考にしつつ,原告両名に対する本件A懲戒及び本件B懲戒の実施期間を,同年12月4日ないし同月6日とする乗務ダイヤを作成し,同乗務ダイヤはそのとおり実施された。
しかるに,同年12月7日以降,H営業所長が,懲戒処分通知日・指導結果報告書の職名,氏名,通知日,懲戒種別の各欄に所要の記載をした上,原告両名に対し,同報告書の確認印欄に捺印するよう求めたところ,原告両名は,本件A懲戒及び本件B懲戒に不服の意向を示し,捺印を拒否した。
被告は,原告両名の上記意向に加え,原告両名の代理人から本件A懲戒及び本件B懲戒の撤回を求める書面が送付されていたことを考慮し,本件A懲戒及び本件B懲戒の実施を差し控え,原告両名の代理人が送付した上記書面に対する対応を先行させることとした。
そこで,被告は,原告両名につき,同年12月4日ないし同月6日の3日間を有給休暇扱いとして処理することとし,具体的には以下のような処理を行った。原告Aの乗務ダイヤは,もともと,原則として月曜日と火曜日が連続して公休となるように組まれていたため,H営業所長は,原告Aの同月4日(日曜日)については有給の欠務として取り扱い,同月5日(月曜日)と6日(火曜日)は通常どおり公休として取り扱うこととした。原告Bの乗務ダイヤは,もともと,原則として日曜日と月曜日が連続して公休となるように組まれていたため,H営業所長は,原告Bの同月4日(日曜日)と同月5日(月曜日)は通常どおり公休として取り扱い,同月6日(火曜日)については有給の欠務として取り扱うこととした。
また,被告は,平成18年7月,原告両名に対して夏季賞与を支給した際,本件A懲戒及び本件B懲戒が実施されたことを前提として誤った控除をした金額を支払ったが,同年10月25日,原告両名に対し,誤って控除した金員(原告Aについては1万0402円。原告Bについては9725円)を支払い,原告両名はこれを受領した。(甲3の1,乙10,証人K)
3 争点
(1) 原告らの主張
ア 本件A懲戒の違法性
(ア) 本件A懲戒の対象となった具体的行為
原告Aは,都市間高速バスを運転して仙台市から千葉県に向かい(成田線),平成16年6月26日午前7時半前後にD電鉄E営業所に到着し,同日午前8時45分ころまで食事をしながら若干の飲酒をしたが,その後,同日午前9時には就寝した。原告Aがその際に飲酒したのは,コンビニエンスストアで購入した350ミリリットルの缶ビール1本と焼酎1杯であった。そして,一緒に飲んだ相手である同僚の訴外I(以下「I」という。)に対し,それ以上飲まないようにとの注意を与えて先に就寝した。しかし,原告Aが就寝した後,Iが,原告Aの知らない間に起き出して再び飲酒した。Iは,自分の鞄の中に自分で作ってきた水割り焼酎の500ミリリットル瓶を持参していたが,原告Aと一緒に飲酒していた際には,そこから1杯だけ飲んで就寝したので,原告Aにはその後のことは分からなかった。原告Aは,同日午後7時過ぎころに起床して,簡単な食事を済ませた後,バス乗車前にアルコール検知器によるアルコールチェックを受けたが,上記飲酒後10時間以上が経過しており,原告Aにはアルコール反応は検出されなかった。しかし,Iからはアルコール検知器によるアルコール反応が検出されたことから,被告は,Iに代わる運転手を派遣する一方,原告Aに対しては,友部までワンマンで運転するよう指示した。原告Aは,同日午後8時ころからワンマンでのバス運転を開始し,友部で代替運転手と合流した。
(イ) 本件A懲戒の違法事由
被告は,原告Aの上記(ア)の行為(以下「原告Aの本件行為」という。)を,本件懲戒規程5条4号「諸規程,規則に重大な違反をし,その情状が重いとき。」に準ずる不都合な行為があったことにつき同条8号を適用したと主張する。しかし,本件A懲戒は,以下の理由により違法であり,無効というべきである。
a 本件懲戒規程5条8号の適用の前提となる同条4号に言う「諸規程,規則」は明らかではない。
(a) 被告が,上記諸規程又は規則にあたると主張する平成14年10月10日付けで社団法人日本バス協会が定めた「飲酒運転防止対策マニュアル」(以下「本件マニュアル」という。)及び平成15年9月11日付け社団法人宮城県バス協会飲酒運転再発防止全事業者集会における飲酒運転再発防止緊急決議(以下「本件決議」という。)は,いずれも被告社内に掲示されたことはなく,被告事業所所属の全従業員に周知徹底されたことはない。
(b) 被告とC労働組合は,平成15年12月1日付けで本件マニュアルを具体的に実施するための飲酒運転防止対策について協定書を取り交わした(その中には,飲酒運転防止対策として,行先地(高速バス)及び宿泊地(貸切)における飲酒の禁止が含まれていた。)が,この協定書が実際に取り交わされたのは平成17年3月9日であり,この協定書の内容が原告両名に知らされたのは同年10月15日の時点であるから,いずれにしても,平成16年6月26日に行われた原告Aの本件行為に遡って適用される余地はない。
(c) 原告Aの本件行為が行われた平成16年6月26日当時,被告の事業所においては,貸切業務や泊まりダイヤのときの飲酒は全面的に禁止されていたわけではなく,自分の立場や状況をわきまえて飲酒することとされているに過ぎなかったから,原告Aにおいても,寝酒程度は許されるという認識であった。したがって,原告Aの本件行為は上記諸規程又は規則に違反する行為には該当しない。
b 原告Aの本件行為は,その飲酒経過に照らしても原告Aにアルコール反応が出る余地はなく,現にアルコール反応は出なかったこと,被告がその後原告Aに対してワンマン運転を指示していること,被告は,平成17年11月2日に一旦原告Aに対する「休職7日」の懲戒処分を決定し,同月7日付けでその旨の懲戒決定書を原告Aに交付したにもかかわらず,当該処分を撤回した上,原告Aの本件行為から約1年半近く経過した後に本件A懲戒を行ったものの,未だにその休職処分を執行していないことに照らすと,処分事由は存在せず,その情状が重いとも言えない。
(ウ) 原告Aに対する不法行為
a 原告Aの本件行為は,原告Aが自制的に行動した結果であって,懲戒処分の対象とすべきものでないことは明らかであった。原告Aは,代理人弁護士を依頼して本件A懲戒が違法であることを被告に説明し,その撤回を求めたが,被告は,つじつまの合わない弁解に終始するのみで,処分の撤回には応じなかった。そのため,原告Aは本件訴訟の提起を余儀なくされた。また,被告からの報復処置の恐怖にもさらされるなど,原告Aの受けた精神的苦痛も甚大である。したがって,本件A懲戒は,原告Aに対する不法行為に該当する。
b 被告の上記aの不法行為により,原告Aは,慰謝料100万円及び弁護士費用42万円の損害を被ったところ,本訴においては,その内金として100万円を請求する。
c よって,原告Aは,被告に対し,本件A懲戒の無効確認を求めるとともに,不法行為に基づく損害賠償として100万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成18年3月8日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 本件B懲戒の違法性
(ア) 本件B懲戒の対象となった具体的行為
原告Bは,都市間高速バスを運転して仙台市から大阪府へ向かい,平成16年3月30日午前8時30分にFバスG営業所に到着した。原告Bは,その後,同所から自転車で10分程度の距離にある宿泊地の旅館において,食事をしながら同僚の訴外J(以下「J」という。)と共に若干の飲酒をした。原告Bとしては,最初から飲酒は控えめにするべきと考え,注文したビール大瓶3本のうちの1本(残りのビールはJが飲酒した。)と缶酎ハイ500ミリリットルを1本に止め,同日午前9時半ころまでに飲酒を終え,同日午前10時30分ころに就寝した。その後,原告Bは,同日午後6時過ぎに起床し,バス乗車前にアルコール検知器によるアルコールチェックを受けたが,上記飲酒後9時間以上が経過しており,原告Bにはアルコール反応は出なかった。しかし,Jからはアルコール検知器によるアルコール反応が検出されたことから,被告は,Jを仮眠室で休ませる一方,原告Bに対しては,富山の有磯海パーキングまでワンマンで運転するよう指示した。原告Bは,同日午後7時ころからワンマンでのバス運転を開始し,同パーキングで代替運転手と合流した。
(イ) 本件B懲戒の違法事由
被告は,原告Bの上記(ア)の行為(以下「原告Bの本件行為」という。)を,本件懲戒規程5条4号「諸規程,規則に重大な違反をし,その情状が重いとき。」に準ずる不都合な行為があったことにつき同条8号を適用したと主張する。しかし,本件B懲戒は,以下の理由により違法であり,無効というべきである。
a 本件懲戒規程5条8号の適用の前提となる同条4号に言う「諸規程,規則」は明らかではない。
(a) 被告が,上記諸規程又は規則にあたると主張する平成14年10月10日付けで社団法人日本バス協会が定めた本件マニュアル及び平成15年9月11日付け社団法人宮城県バス協会飲酒運転再発防止全事業者集会における本件決議は,いずれも被告社内に掲示されたことはなく,被告事業所所属の全従業員に周知徹底されたことはない。
(b) 被告とC労働組合は,平成15年12月1日付けで本件マニュアルを具体的に実施するための飲酒運転防止対策について協定書を取り交わした(その中には,飲酒運転防止対策として,行先地(高速バス)及び宿泊地(貸切)における飲酒の禁止が含まれていた。)が,この協定書が実際に取り交わされたのは平成17年3月9日であり,この協定書の内容が原告両名に知らされたのは同年10月15日の時点であるから,いずれにしても,平成16年3月30日に行われた原告Bの本件行為に遡って適用される余地はない。
(c) 原告Bの本件行為が行われた平成16年3月30日当時,被告の事業所においては,貸切業務や泊まりダイヤのときの飲酒は全面的に禁止されていたわけではなく,自分の立場や状況をわきまえて飲酒することとされているに過ぎなかったから,原告Bにおいても,寝酒程度は許されるという認識であった。したがって,原告Bの本件行為は上記諸規程又は規則に違反する行為には該当しない。
b 原告Bの本件行為は,その飲酒経過に照らしても原告Bにアルコール反応が出る余地はなく,現にアルコール反応は出なかったこと,被告がその後原告Bに対してワンマン運転を指示していること,被告は,平成17年11月2日に一旦原告Bに対する「休職7日」の懲戒処分を決定し,同月7日付けでその旨の懲戒決定書を原告Bに交付したにもかかわらず,当該処分を撤回した上,原告Bの本件行為から約1年7か月が経過した後に本件B懲戒を行ったものの,未だにその休職処分を執行していないことに照らすと,処分事由は存在せず,その情状が重いとも言えない。
(ウ) 原告Bに対する不法行為
a 原告Bの本件行為は,原告Bが自制的に行動した結果であって,懲戒処分の対象とすべきものでないことは明らかであった。原告Bは,代理人弁護士を依頼して本件B懲戒が違法であることを被告に説明し,その撤回を求めたが,被告は,つじつまの合わない弁解に終始するのみで,処分の撤回には応じなかった。そのため,原告Bは本件訴訟の提起を余儀なくされた。また,被告からの報復処置の恐怖にもさらされるなど,原告Bの受けた精神的苦痛も甚大である。したがって,本件B懲戒は,原告Bに対する不法行為に該当する。
b 被告の上記aの不法行為により,原告Bは,慰謝料100万円及び弁護士費用42万円の損害を被ったところ,本訴においては,その内金として100万円を請求する。
c よって,原告Bは,被告に対し,本件B懲戒の無効確認を求めるとともに,不法行為に基づく損害賠償として100万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成18年3月8日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(2) 被告の主張
ア 本案前の主張
原告らの請求の趣旨第1項及び第2項に係る訴えは,いずれも,過去の事実について確認を求めているものに過ぎず,確認の利益を欠くから,却下を免れない。
イ 本案の主張
(ア) 本件A懲戒及び本件B懲戒は,以下のとおり,いずれも適法かつ妥当なものであるから,原告らの請求はいずれも棄却を免れない。
(イ) 被告は,バス事業を営むものであるが,多数の乗客の安全のため,バス事業者も,バス事業に従事する従業員等も,ともに,乗務員が業務中はもちろん,業務と密接に携わる時間帯に飲酒することがないように努めることは当然のことである。そのため,バス事業を営む事業者のすべてが会員として加入している社団法人日本バス協会は,平成14年10月10日付をもって,本件マニュアルを定めるとともに,下部機関たる各都道府県バス協会会長に対し,本件マニュアルを具体的に実施するための社内規定等の整備を早急に行うとともに,今後,全職員がそれぞれの立場で本件マニュアルに従って行動し,飲酒運転の絶無が期せられるよう会員事業者に周知徹底するよう求めた。本件マニュアルは,「3 飲酒に関する規制の強化」と題する箇所において,バス事業者に対し,全乗務員を対象として,以下の各施策を実施するよう求めていた。
① 勤務に支障を及ぼすおそれのあるような飲酒を禁止する。
イ 勤務時間前8時間は飲酒を禁止する。なお,飲酒後8時間を経過すればアルコール血中濃度が必ず平常値に戻るということではないことの指導を徹底する。
ロ 社内規定で認める場合を除き,行先地・宿泊地における飲酒を禁止する。同乗運転者・バスガイドに対しても,そのチェックを要請する。
ハ 事業用施設内での一切の飲酒を禁止する。
② 飲酒運転に対する懲戒処分を強化する。
(ウ) また,社団法人日本バス協会の宮城県における下部機関たる社団法人宮城県バス協会は,平成14年10月11日付けをもって,被告を始めとする会員事業者に対し,本件マニュアルを具体的に実施するための社内規定等を早急に整備し,全職員が飲酒運転絶無に向けて行動するよう周知徹底をお願いする旨を伝えた。社団法人宮城県バス協会から上記通知を受けた被告は,本件マニュアルを具体的に実施するための社内規定等を早急に整備すべく,C労働組合(被告における唯一の組合であり,かつ,原告両名を含む組合員資格を有する全従業員が加入している労働組合。(以下「組合」という。)と共にその作業を始めたが,他方,直ちに本件マニュアルに沿って運行管理を行うことが必要であり,特に,上記(イ)①イについて周知し,かつ同ロ,ハを命ずることは喫緊の急務であると考え,同年10月16日,運行管理の責任者たる常務取締役営業部長名をもって,被告の全事業所の長に対し,全乗務員に上記(イ)①イを周知せしめるとともにロ,ハを命ずるよう指示した。上記指示を受けた全事業所の長等は,直ちに各事業所に勤務する全乗務員に対し,本件マニュアルのうち上記(イ)①イを周知し,かつ同ロ,ハを業務上の指示として遵守するよう命じた。その際,被告には,本件マニュアルのうち上記(イ)①ロと異なる社内規定が存在しなかったことから,端的に「行先地・宿泊地における飲酒を禁止する。」旨の指示がなされた。
(エ) その後,社団法人宮城県バス協会は,平成15年9月11日開催の飲酒運転再発防止全事業者集会において,全乗務員を対象として,勤務時間前8時間は飲酒を禁止すること及び行先地・宿泊地における飲酒を禁止すること等を内容とする本件決議をした。被告は,本件決議についてもその重要性に鑑み,全乗務員に周知し,かつその遵守を指示する必要性があると考え,本件決議がなされた直後に本件マニュアルの一部について行った上記(ウ)の方法と同様の方法で,全事業所に勤務する全乗務員に対し,本件決議を周知し,かつ,業務上の指示として遵守するよう命じた。
(オ) したがって,原告両名が本件マニュアルのうち上記(イ)①ロ,ハの部分(以下「本件マニュアル部分」という。)及び本件決議に基づく被告の指示を遵守すべきことは当然のことであり,これに違反して行先地・宿泊地等において飲酒した場合は,本件就業規則3条3項及び17条1号に違反したものとして,本件懲戒規程5条4号「諸規程,規則に重大な違反をし,その情状が重いとき。」に準ずる不都合な行為があったことにつき同条8号に該当するものである。
(カ) 原告Aの本件行為から本件A懲戒までに約1年半近く経過したこと,原告Bの本件行為から本件B懲戒までに約1年7か月が経過したことは事実であるが,それは,被告と組合が,本件マニュアルを具体的に実施するための社内規定等の整備作業に入るに際し,同作業が終了し両者間で協定が締結されるまでは,本件マニュアル部分や本件決議に基づく業務上の指示に違反した行為については,その懲戒手続を留保する旨の合意が成立していたためである。
被告と組合は,平成17年3月9日,本件マニュアルを具体的に実施するための飲酒運転防止対策について合意し,協定を締結したが,その際,社団法人宮城県バス協会から上記(ウ)の通知を受けた直後から協定締結に向けた努力を行っていたことを明らかにするため,上記協定(以下「組合との本件協定」という。)の締結日を平成15年12月1日付けに遡らせ,同日付けで組合との本件協定を締結することが合意されたので,組合との本件協定の締結日は平成15年12月1日付けとされた。
被告と組合は,組合との本件協定の締結後,さらに継続して,飲酒運転防止対策に違反した者等に対する懲戒処分の基準等について協議を行い,平成17年8月31日付けをもって,乗務宿泊先での飲酒の場合は休職30日とすることなどを定めた確認書を取り交わした。この確認書においては,平成17年8月末日以前に発生した事案については,休職日数を一律2分の1とし,算定総日数30を超える場合は,休職30日とする旨が定められていたが,その後,被告と組合との間で,上記基準を機械的に適用することはしないということについて合意が成立した。
組合との本件協定及び上記確認書取り交わし後,原告両名に対する懲戒手続が開始された。その際,被告と組合との間の上記合意により,原告両名に係る事案については,確認書の基準を機械的に適用すれば休職15日とすべきところ,原告両名に対する対する平成17年11月7日付けの懲戒処分は休職7日とすることになったものである。
第3当裁判所の判断
1 被告の本案前の主張について
前記前提事実によれば,原告らに対し,本件A懲戒及び本件B懲戒(以下,両者を併せて「本件懲戒処分」という。)が行われ,それが未だに執行されていない状況が継続していること,原告らは本件懲戒処分の効力を争っており,本件懲戒処分が執行されれば賃金及び賞与が減額されるという不利益を受ける可能性があることが認められるのであるから,原告らは,訴えをもって本件懲戒処分の無効を確認する法律上の利益を有するというべきである。
したがって,原告らは本件懲戒処分の無効を確認する利益を有しないとする被告の主張は採用できない。
2 本件懲戒処分の効力について
(1) 当裁判所は,本件懲戒処分は,いずれも,客観的に合理的と認められる理由を欠くものといわざるを得ないから,懲戒権を濫用するものとして無効というべきであると判断する。その理由は以下のとおりである。
ア 原告A本人の陳述(甲9)及び供述によれば,平成16年6月26日,原告Aが原告Aの本件行為を行った事実が認められ,原告B本人の陳述(甲10)及び供述によれば,同年3月30日,原告Bが原告Bの本件行為を行った事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。
ところで,被告は,バス事業を営むものである(前記前提事実)から,多数の乗客の安全のため,バス事業に従事する従業員としては,バスに乗務中はもちろん,乗務の直前等その業務と密接に関わる時間帯に飲酒することがないように努めることは,被告から特段の指示がなされなくても守るべき当然の義務であると解される。しかし,原告Aの本件行為は,バスに乗務する10時間以上前に食事をしながら若干の飲酒をしたというものであり,業務と密接に関わる時間帯に飲酒をしたとは言い難い。また,原告Bの本件行為も,バスに乗務する9時間以上前に食事をしながら中程度の飲酒をしたというものであり,やはり業務と密接に関わる時間帯に飲酒をしたとは言い難い。したがって,原告Aの本件行為や原告Bの本件行為を,本件懲戒規程5条4号「諸規程,規則に重大な違反をし,その情状が重いとき。」に準ずる不都合な行為があったとして同条8号に該当する懲戒処分の対象とするためには,これらの行為(行先地における飲酒)が全面的に禁止されていることを職務上の指示・命令として発するか又は被告の規則として定めた上,その内容を従業員全員に周知徹底することが必要であると解するのが相当である。
バス事業に従事する従業員に対し,業務と密接に関わる時間帯でなくても行先地(高速バス)における飲酒が禁止されるのは,アルコールの影響が解消するのに必要な時間が,飲酒時期や飲酒量ばかりではなく,本人の体調や飲酒とともに摂取した食事の種類や量等,様々な要素によって変わり得るものであり,したがって,従業員自身による自主的規制に任せていたのでは,遠距離都市間高速バスの安定的な運行が図り難い(行先地で交代要員を確保することは困難である。)という実質的理由によるものと考えられる(乙12)。したがって,行先地(高速バス)における飲酒の全面禁止を職務上の指示・命令として発し又は被告の規則として定めることは,遠距離都市間高速バス事業の安定的な遂行のために必要かつ合理的な使用者の指揮命令として許されると解される。したがって,本件における問題は,被告が,上記の職務上の指示・命令又は被告の規則に準ずるものとして従業員全員に遵守を指示したとする本件マニュアル部分及び本件決議を従業員全員に周知徹底させたか否かである。
イ 本件全証拠及び弁論の全趣旨を総合しても,原告Aの本件行為及び原告Bの本件行為がなされた平成16年3月及び同年6月当時,本件マニュアル部分及び本件決議の内容が従業員全員に周知徹底されていたとは認め難い。平成16年当時,被告H営業所長の地位にあった証人Kは,行先地における飲酒の全面禁止についての被告の指示は厳重なものではなく,従業員の自主規制に委ねられており,その自主規制は実際には厳格に守られていない実態であった旨を証言している。この証言内容は,原告Aが平成16年6月26日付けで作成した始末書(乙9)に,「常日頃寝酒程度になるようにと,先輩として指導しておりました」と記載している当時の原告Aの認識と符合し(原告Aは,被告の従業員の中でも先輩格に当たり,優秀で指導力や人間性も被告から高く評価されていた人物であった(証人K)。),その信用性は高い。また,平成14年10月11日付けで社団法人宮城県バス協会が,被告を始めとする会員事業者に対し,本件マニュアルを具体的に実施するための社内規定等を早急に整備し,全職員が飲酒運転絶無に向けて行動するよう周知徹底をお願いする旨を通知した(乙4の1ないし4,11,12)ことから,この通知を受けた被告は,本件マニュアルを具体的に実施するための社内規定等を早急に整備すべく,C労働組合(被告における唯一の組合であり,かつ,原告両名を含む組合員資格を有する全従業員が加入している労働組合。弁論の全趣旨)と協議を始めたが,行先地や宿泊地における飲酒の全面禁止については協議が難航していたことから,被告としては従業員に対し本件マニュアル部分及び本件決議の内容に従って指示したいとは考えていたものの,組合との上記協議が終了するまでは,従業員に対する厳格な指導を差し控えていたことが窺える(甲5,証人L,同K)。上記認定に反する証人Lの陳述(乙11)及び供述,証人Kの陳述(乙10,14)及び供述並びにMの陳述等(乙12,13)は,いずれも不合理であって採用することができない。
ウ 証人L及び同Kは,本件マニュアルや本件決議を被告事業所内に張り出し掲示した旨の陳述(乙10,11)及び供述をする。これらの陳述・供述は,原告A及び原告B各本人の供述内容に照らし,直ちに信用できるとは言い難いが,仮に上記掲示の事実があったとしても,上記イの認定と矛盾するものとはいえない。被告から,行先地や宿泊地における飲酒の全面禁止については,これまで通り自主規制に委ねる旨の指示がなされていたと考えられる(証人K)からである。この点,上記証人らは,朝礼や点呼の際に,行先地や宿泊地における飲酒の全面禁止についても徹底するよう指示した旨陳述・供述するが,やはり自主規制を徹底するようにとの趣旨で指示されていたものと理解するのが合理的であって,この認定に反する陳述・供述部分を採用することはできない。
エ 原告A及び原告B各本人は,平成16年3月及び6月当時,被告の事業所においては,貸切業務や泊まりダイヤのときの飲酒は全面的に禁止されていたわけではなく,自分の立場や状況をわきまえて飲酒することとされているに過ぎなかったから,原告らにおいても,寝酒程度は許されるという認識であった旨陳述(甲9,10)・供述するが,これらの陳述・供述は,上記イの事実に照らし,十分信用できるというべきである。
オ 上記認定・判断に照らすと,原告Aの本件行為及び原告Bの本件行為がなされた平成16年3月及び同年6月当時,被告から本件マニュアル部分及び本件決議に基づき行先地や宿泊地における飲酒の全面禁止が指示されていたとは認め難く,原告Aの本件行為及び原告Bの本件行為をもって,本件就業規則3条3項及び17条1号に違反したものとして,本件懲戒規程5条4号「諸規程,規則に重大な違反をし,その情状が重いとき。」に準ずる不都合な行為があったことにつき同条8号に該当すると認めるのは困難というほかない。そうすると,本件懲戒処分は,客観的に合理的と認められる理由を欠くものといわざるを得ないから,懲戒権を濫用するものとして無効というべきである。
(2) したがって,被告に対し,本件懲戒処分の無効確認を求める原告らの請求はいずれも理由があるから,これを認容すべきである。
3 不法行為に基づく損害賠償請求について
(1) 上記2の認定・判断によれば,被告は,原告らに懲戒に値する事由がないにもかかわらず,本件懲戒処分を行ったのであるから,この行為は原告らの名誉を毀損する不法行為を構成するというべきである。
(2) 被告の上記(1)の不法行為により,原告らは,それぞれ,その精神的苦痛に対する慰謝料として50万円に相当する損害を被ったことが認められ(原告A及び原告B各本人の陳述(甲9,10)及び供述),上記(1)の不法行為と相当因果関係の認められる弁護士費用としては,それぞれ5万円を認めるのが相当である。
(3) 以上のとおりであるから,原告らの不法行為に基づく損害賠償請求は,被告に対し,原告Aにおいて,55万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成18年3月8日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告Bにおいて,55万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成18年3月8日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるからこれを認容するが,原告らのその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。
4 よって,主文のとおり判決する(なお,被告の仮執行免脱宣言の申立ては,相当ではないからこれを却下する。)。
(裁判官 潮見直之)