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仙台地方裁判所 平成20年(ワ)2328号 判決 2010年9月30日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,500万円及び平成20年12月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,1400万円及び平成20年12月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

1  本件は,原告Aが,被告が経営するCクリニック(以下「被告クリニック」という。)において,精管結さつ術(パイプカット)による断種治療を受けたにもかかわらず,その手術後に,原告Aの妻である原告Bが,原告Aの子供を妊娠したことから,同治療に関する施術上の過失及び被告の説明義務違反を理由として,原告らが,それぞれ債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償(ただし,原告Bについては被告から受領した200万円を控除した残金)を請求するとともに,各原告の請求に係る損害金に対する訴状送達の日の翌日である平成21年12月10日を起算日とした遅延損害金を請求する事案である。

2  前提事実(争いがない事実並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1)  原告Aと原告Bは,平成15年6月23日に婚姻した夫婦である。

原告らは,第1子及び第2子の2人の子供とともに家庭生活を営んでいた。

被告は,a県b市内で被告クリニックを営んでおり,泌尿器科を専門とする医師である。[被告本人1頁]

(2)  原告らは,家庭生活を営むためには原告Aに加えて原告Bも稼働しなければならなかったことや,原告Bの過去2回の出産がいずれも帝王切開によるものであったこと等の諸事情を考慮した結果,今後は子供をつくらないこととして,原告Aが断種治療を受けることになった。[甲2,原告B本人1頁ないし2頁]

原告Aは,平成18年4月17日,被告クリニックを受診し,被告から断種治療についての説明を受けた。[甲1,原告A本人1頁]

原告らは,平成18年4月20日,再び被告クリニックを受診し,被告から断種治療についての説明を受けた後,精管結さつ術(パイプカット)の実施につき同意したことから,被告は,同日,原告Aに対して上記手術を実施した(以下「本件手術」という。)。[乙1の5,原告A本人2頁ないし3頁]

(3)  原告Bは,平成20年2月,腰痛及び発熱の症状が見られたことから,産婦人科を受診したところ,妊娠7か月であることが判明した。[甲2,原告B本人2頁]

原告らは,平成20年3月頃,被告クリニックを訪れ,被告に対し,原告Bが妊娠したことについて説明を求めたところ,被告は,原告らに対し,その子供は99.9パーセント原告Aの子ではないといった趣旨の発言をした。[甲2,乙12,原告B本人5頁,被告本人12頁ないし13頁]

原告Bは,原告Aから不貞を疑われたことから,自身の潔白を証明するため出産を決意し,平成20年6月11日,第3子を出産した。[甲2,原告B本人7頁]

(4)  原告らは,同人らと第3子の親子関係を確認するため,DNA鑑定を実施したところ,平成20年7月23日,第3子は原告らの子供であることが確認された。

(5)  被告は,原告らに対し,平成20年5月12日に出産費用及び今後の生活費等として100万円を,同年6月19日に出産に際して産婦人科に支払う必要のある費用相当額として18万1520円を,同年8月4日に上記DNA鑑定の結果を受けて200万円を,それぞれ交付ないし原告B名義の口座に振り込む方法により支払った。[乙3,乙4,乙5の1ないし3,弁論の全趣旨]

3  争点

(本案前の争点)

(1) 原告Bに当事者適格及び訴えの利益が認められるか否か(争点(1))。

(本案の争点)

(2) 手術の不適切による債務不履行又は不法行為(過失)の成否本件手術が,医学的に見て不適切なものとして,被告に債務不履行又は不法行為が成立するか否か(争点(2))。

(3) 手術の際の説明義務違反による債務不履行又は不法行為(過失)の成否被告が,本件手術の際,原告らに対し,同手術の内容,危険性及び精管が再開通することによる妊娠の可能性などについて十分な説明をしなかったことが,債務不履行又は不法行為に当たるか否か(争点(3))。

(4) 妊娠発覚後の説明義務違反による債務不履行又は不法行為(過失)の成否

被告が,原告Bの妊娠が発覚した際,原告らに対し,本件手術が失敗であった可能性などに言及せず,かえって99.9パーセント原告Aの子供ではないといった見解に執着するなど不十分な説明をしたことが,債務不履行又は不法行為に当たるか否か(争点(4))。

(5) 債務不履行又は不法行為による以下の損害の発生の有無及びその損害額

ア 原告Aの損害(争点(5))

(ア) 本件手術が不適切なものであったことによる身体的,精神的苦痛

(イ) 婚姻生活の平穏が害されたことによる精神的苦痛

イ 原告Bの損害(争点(6))

(ア) 三度目の帝王切開による出産をすることによって,生命の危険と身体への著しい負担を強いられたことによる身体的,精神的苦痛

(イ) 婚姻生活の平穏が害されたことによる精神的苦痛

(ウ) 第3子の出産及び育児によって仕事を辞めざるを得ず,収入を失うことになった財産的損害

ウ 原告らの各損害について,被告の債務不履行又は不法行為との間にそれぞれ因果関係が認められるか否か(争点(7))。

(6) 損害填補の有無(争点(8))

4  争点に関する当事者の主張

(1)  本案前の争点について

ア 被告の主張

本件における診療契約(以下「本件診療契約」という。)の内容は,原告Aが精管結さつ術を受けるというものであるから,契約主体は原告Aであり,本件手術について原告Bの同意が要件とされていたとしても,これは,その手術の特殊性から,夫婦間での同意があることが望ましいとの配慮によるものにすぎない。

したがって,原告Bには,本件訴訟について,原告適格若しくは訴えの利益がないというべきである。

イ 原告らの主張

避妊の問題は,夫婦を単位として考えられるべきであり,配偶者の同意が必須の要件とされているところ,本件手術においても,原告Bが同意していることから,原告Bは本件診療契約の当事者であるというべきである。

したがって,被告の主張は前提を欠き,失当である。

(2)  争点(2)(本件手術が不適切なものであったか否か)について

ア 原告らの主張

精子が漏出する可能性が0.1パーセント未満と極めて低い確率であることからすれば,本件手術における精子の漏出は,本件手術が不適切なものであったことが原因であると推認するのが合理的である。

また,被告の過失ないし債務不履行が推認されないとしても,精管を長く切断するとか,切断部に十分な手当てを加えるなど適切な方法及び処置により,精管が再開通しないように精管切断手術をする義務があったにもかかわらず,その義務を怠ったことから,被告に債務不履行又は不法行為上の過失があることは明らかである。

イ 被告の主張

原告Bが妊娠した原因は,精管の結さつ部に肉芽腫が発生し,その破れやすくなった部位から精子が出入りするというものであり,このような現象が,精管結さつ術において,0.01ないし0.1パーセントの確率で発生することは医学的に常識である。そして,本件手術は,上記のとおり0.01ないし0.1パーセントの確率で妊娠可能性があることから,術後1か月後に精液検査を経ることによって手術が成功したか否かを確認する仕組みとなっており,被告はその旨原告Aに対して説明しているところ,原告Aは精液検査を受診して手術が成功したか否かを確認しないまま原告Bとの性交渉に及んだものである。

また,本件手術の内容は,患部の切開,精管の切断及び切断した各切り口を結んだ上でさらに折り返して再度結ぶというものであるところ,これらはいずれも簡単な措置であり,問題なく終了している。

したがって,本件手術に不適切な点はないのであるから,被告に債務不履行又は不法行為上の過失は認められない。

(3)  争点(3)(本件手術前後の説明義務違反の有無)について

ア 原告らの主張

被告は,原告らに対し,本件手術を行っても妊娠する可能性があることを十分に説明せず,かえって間違いなく子供ができなくなるといった断定的な表現を用いたことによって,本件手術後は確実に妊娠しないと誤信させた。

また,被告は,原告Aに対し,一定期間が経過すれば残存精子がなくなり妊娠しなくなるといった簡単な説明をしたにすぎず,精液検査の重要性について十分に説明していなかったことに加え,精液検査を受診しなかった原告Aに対し,さらに受診を促さなかった。

さらに,被告は,過去に同種の手術を施した自らの患者が妊娠した経験を有しており,医学的にも精管の再開通があり得ることを認識していたにもかかわらず,原告らに対し,それらを秘し,本件手術が成功したと誤信させた。

加えて,被告は,本件手術が30分程度で終了する簡単な手術であることを強調していたにもかかわらず,実際には2時間半の時間を要するとともに,痛みが生じたことにより追加の麻酔が使用された。

したがって,被告には,本件手術の際,原告らに対し,手術の内容,危険性及び精管が再開通することによる妊娠の可能性などについて,十分な説明をしなかった点で債務不履行又は不法行為上の過失が認められる。

イ 被告の主張

本件手術は,避妊術として一般的ではあるものの,100パーセント完全なものではないところ,被告は,原告らに対し,0.01ないし0.1パーセントの確率で妊娠可能性があることを説明した。具体的には,被告は本件手術について「99.9パーセント妊娠の可能性がない」といった趣旨の説明をしたが,それは同時に0.01ないし0.1パーセントの確率で妊娠する可能性があるという説明をしていることになる。

また,被告は,本件手術によっても0.01ないし0.1パーセントの確率で妊娠する可能性があったことから,術後1か月を経過した時点における精液検査により,手術が成功したか否かを確認しなければならないことを説明している。

さらに,被告は妊娠の可能性があることや,過去に同種の手術を施した自らの患者が妊娠した経験を故意的に隠していた事実はない。なお,医療現場において,医師自身が接した症例のうち極めて稀なケースをあえて他の患者に伝えることが説明義務の内容になるとは考え難い。

加えて,本件手術が30分で終了すると発言した理由は,比較的短時間で終わる手術であることを教示することにあり,手術の容易さを強調するものではない。

したがって,被告に,上記説明義務違反による債務不履行又は不法行為上の過失を認めることはできない。

(4)  争点(4)(妊娠発覚後の説明義務違反の有無)について

ア 原告らの主張

被告は,原告らに対し,原告Bの妊娠が発覚し,原告Aの精液検査によって運動精子が認められた後も,本件手術が不適切であったことによる妊娠の可能性については全く言及せず,かえって本件手術は成功したのであるからそれは原告Aの子供ではないといった趣旨の発言をすることによって,原告Aをして原告Bの妊娠した子供が自分以外の男性の子供であると誤信させた。

したがって,被告には,原告Bの妊娠が発覚した際,原告らに対し,本件手術が失敗であった可能性などに言及せず,かえって99.9パーセント原告Aの子供ではないといった見解に執着するなど,手術後の説明が不十分であった点で債務不履行又は不法行為上の過失が認められる。

イ 被告の主張

被告は,本件手術により99.9パーセント妊娠の可能性はないことから,原告Aの子供である可能性は極めて低いといった趣旨の発言をしたものの,原告Aの子供ではないと断定した事実はない。原告Bの妊娠が発覚した後に実施した原告Aの精液検査によれば,運動精子の数は顕微鏡1視野当たり1ないし2個と極めて少なく,医学的に見て通常妊娠することは考えられなかったのであるから,被告が99.9パーセント妊娠の可能性がないといった趣旨の説明をしたことは医師として何ら非難されるものではない。

したがって,被告に,上記説明義務違反による債務不履行又は不法行為上の過失を認めることはできない。

(5)  争点(5)及び(7)(被告の債務不履行又は不法行為上の過失による原告Aの損害の有無及び額)について

ア 原告Aの主張

原告Aは,本件手術が不適切であったことにより,長時間にわたる本件手術を受けて不必要な身体的,精神的苦痛を受けた。

また,原告Aは,本件手術が不適切であったこと,被告が本件手術前後及び原告Bの妊娠発覚後に十分な説明を尽くさなかったことにより,原告Bが妊娠したことを巡って同人の不貞をなじり,同人に暴力を加えるなどして夫婦間の信頼関係を破壊する言動を繰り返してしまい,婚姻生活の平穏の維持という法的利益を侵害され,精神的苦痛を受けた。

これらの損害を慰謝するものとして必要な金額は,500万円を下らない。

イ 被告の主張

(ア) 本件手術について,不適切な点はなく,当初の予定よりも手術に時間を要した原因は,原告Aの患部に予想外の炎症があったことにあるから,原告Aが本件手術において不必要な身体的,精神的苦痛を受けたということはできない。

(イ) 被告が本件手術前後に十分な説明を尽くしていたとしても,原告らは結論として本件手術を受け,同様の結果を招来していたものと考えられるから,本件手術前の被告の説明義務違反と,原告Aの主張する各損害との間には因果関係の基礎となる条件関係がない。

(ウ) また,原告Aが,原告Bに対して暴行を加えたり,家庭不和に陥ったことは,もっぱら夫婦間で解決すべき問題についての原告Aの対応に起因するものであるから,本件手術の不適切又は本件手術前後の説明義務違反と,婚姻生活の平穏の維持という法的利益の侵害との間に相当因果関係は認められない。

(6)  争点(6)及び(7)(被告の債務不履行又は不法行為上の過失による原告Bの損害の有無及び額)について

ア 原告Bの主張

(ア) 出産による身体的,精神的苦痛

原告Bは,本件手術が不適切であったこと,被告が本件手術前後及び原告Bの妊娠発覚後に十分な説明を尽くさなかったことにより,原告Aの子を妊娠,出産するに至り,原告Aから夫以外の男性との子に違いないとなじられて暴力を振るわれ,夫婦関係が破綻の寸前に至るなど婚姻生活の平穏の維持という法的利益を侵害されたほか,三度目の帝王切開手術という生命の危険を冒したことにより,身体的,精神的苦痛を被った。

これらの損害を慰謝するものとして必要な金額は,1000万円を下らない。

(イ) 第3子の出産による逸失利益

原告Bは,本件手術が不適切であったこと,被告が本件手術前後及び原告Bの妊娠発覚後に十分な説明を尽くさなかったことにより,第3子を出産することになったところ,その育児により,少なくとも5年間は従前のような稼働が困難になっており,この逸失利益は報酬を月額10万円として600万円となるところ,既払金200万円を差し引いた損害額は400万円である。

イ 被告の主張

(ア) 出産による精神的,身体的苦痛について

帝王切開による精神,身体の変化は,出産という尊い行為に当たって不可避的なものであるから,帝王切開に伴う精神的,身体的苦痛を損害とみることは適切でない。

(イ) 第3子出産による逸失利益の有無について

子供が生まれた場合に,子育てに相当程度の時間を費やすことは親として自然な責務であるから,原告主張の逸失利益を損害とみることは適切でない。

(ウ) 各損害との因果関係の有無について

被告が本件手術前に十分な説明を尽くしていたとしても,原告らは結論として原告Aが本件手術を受けることとし,同様の結果を招来していたものと考えられるから,本件手術前の被告の説明義務違反と,原告Bの主張する各損害との間には条件関係がない。

また,原告Aが原告Bに対して暴行を加えたり,原告らが家庭不和に陥ることはもっぱら夫婦間で解決すべき問題に対する原告Aの対応に起因するものであるから,本件手術の不適切又は本件手術前後の説明義務違反と,婚姻生活の平穏の維持という法的利益の侵害との間に相当因果関係は認められない。

さらに,妊娠発覚後において法律上妊娠中絶が可能であったことからすると,本件手術の不適切又は本件手術前後の説明義務違反と,三度目の帝王切開手術を受けることにより生命の危険を冒したという損害及び原告主張の逸失利益との間に相当因果関係は認められない。

(7)  争点(8)(損害填補の有無)について

ア 被告の主張

仮に,被告の債務不履行又は不法行為上の過失が認められたとしても,被告は,原告らに対し,前記前提事実(5)のとおり,合計318万1520円を支払っており,その結果,被告の原告らに対する損害賠償債務は弁済により消滅した。

イ 原告らの主張

金員交付の事実は認めるが,弁済の結果,損害賠償債務が消滅するとの主張は争う。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(本案前の争点)について

原告Bが本訴において審判の対象とする訴訟物は,原告B自身に帰属すべき権利としての被告に対する債務不履行に基づく損害賠償請求権ないし不法行為に基づく損害賠償請求権であると解される。

したがって,上記請求権の主体である原告Bに,給付訴訟である本訴の当事者適格及び訴えの利益が認められることは明らかであるから,被告の主張は失当である。

2  原告Bの法的地位について

(1)  本案の争点を検討する前提として,原告Bが,本件手術に関していかなる法的地位を有しているかが問題となるので,まずこの点について検討する。

(2)  診療契約は,患者が医師に対して診療や療養指導などを求め,医師がこれに応じることをその本質的内容としているところ,本件は,原告Aが被告に対して精管結さつ術の実施を申し込み,被告においてそれを応諾するというものであるから,当該手術を行うという行為自体の債権,債務という観点からすると,被告及び原告Aが本件診療契約の当事者であるということができる。

しかし,子供を産む,産まないという選択は,男女間のライフスタイルを決定する上で重要な意味を持つものであり,人生の質(Quarity of Life,以下「QOL」と表記する。)という観点から,男女それぞれの自己決定の自由が尊重されるべきであることに加え,避妊手段のうち,精管結さつ術は,これを実施すれば,将来にわたって子供が生まれなくなる可能性が高く,家族計画(いつ,どのようなタイミングで子供をもうけるかという点についての男女間における計画)に及ぼす影響は極めて大きいことにかんがみると,当該手術を実施するか否か,また,それが適切に実施されるか否かについては,実際に施術を受ける男性のみならず,その手術に対する同意を通じて関与が認められた配偶者(届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)も法的保護に値する利益を有するというべきである。

そうであれば,男性と医師の間で締結された精管結さつ術に関する診療契約は,同手術について同意をした配偶者である女性に対し,医師に適切な手術の実施を求めたり,必要に応じて手術の内容などについて説明を求める法的利益ないし地位を付与する旨の第三者のための契約を包含するものと解するのが相当である。

(3)  そうすると,本件において,被告は,原告Bから本件手術についての同意書の提出(乙1の5)を受けて,原告Aと本件診療契約を締結し,本件手術を実施したものであるから,原告Aのみならず,原告Bに対する関係でも,原告Aに対して,適切な治療を行うとともに,必要に応じて手術の内容等について説明を行うことを内容とする債務を負い,原告Bは,本件診療契約に基づき被告が原告Aに対して行うべき治療やこれに伴う説明について,原告Aと同様の法的利益ないし地位を有するものと認められる。

(4)  そこで,以下,このような原告Bの地位を前提に,争点(2)ないし(7)について検討する。

3  争点(2)(本件手術が不適切なものであったか否か)について

(1)  医師は,診療契約上,臨床医学の実践における医療水準に従った治療行為を行うことが義務付けられるところ,通常の診療契約における医師の債務は,一定の結果を保証するものではなく,治療に当たって最善を尽くすことが求められるという意味において手段債務であると解される。

もっとも,避妊手術は,通常の治療行為とは異なり,それを実施しなければ身体,生命に害悪が生じるという意味における緊急性や必要性は乏しいのが通常であるところ,それにもかかわらず避妊手術を求める患者は,QOLないし家族計画という観点から子供をもうけないという自己決定権の行使の一環として避妊という結果を求めていることが容易に推認できる。そして,避妊手術を実施する医師としても,そのような経緯や事情を十分認識した上で避妊手術を実施しているものと考えられる。

そうであれば,避妊治療における医師の注意義務としては,治療に当たって最善を尽くすという手段債務の側面に加え,避妊という一定の効果を実現する結果債務の側面もあることは否定し難い。

したがって,被告は,本件手術において,原告らに対し,医療水準に従って最善の治療を尽くすことに加え,避妊という結果を実現する義務を負うというべきである。

(2)  そこで検討するに,被告は,本件手術において,原告Aの外膜及び皮膜を切開し,精管を持ち上げて取り出した上で,1ないし2センチメートル切除し,切除後に残った部分をそれぞれ結さつしたところ,これは,一般的に市販されている医学書に記載された手順と概ね一致している(乙11,被告本人2頁ないし3頁,同20頁,同33頁)。また,本件手術は,一般的に実施されている手術方法と比べて,断面を二重に結さつしている点で丁寧であるから,より妊娠の可能性が低い手法であったということができる(被告本人20頁ないし21頁)。

そして,医療水準に従って適切に精管結さつ術を実施した場合であっても0.01ないし0.1パーセントの確率で妊孕力(女性を妊娠させる可能性)が残存することは,医学的にも承認されている知見であるから(乙7,乙8の1,被告本人7頁),妊娠という結果が発生したとしても,それのみをもって治療内容が不適切であったとはいえない。

さらに,精管結さつ術によっても妊孕力が残存するメカニズムは,精管の断端に発生した肉芽腫によって脆弱化した精管壁から精子が飛び出し,その後,外膜を通り越して再び精管内に戻るというものであるところ(被告本人7頁ないし8頁,同32頁,弁論の全趣旨),このようなメカニズムによる妊娠を防止するための措置は一般的に実施されていないし,そもそも防止するためにはどのような措置を講じるべきであるかという点については医学的に明らかではない(弁論の全趣旨)。

以上の事情を総合すれば,被告は,本件手術において,医療水準に従った最善の治療を実施したと評価すべきであり,また,精管結さつ術の実施によって,0.01ないし0.1パーセントの確率で妊孕力が残存することは不可避的に発生する事態であって,被告のような個人で開業している病院や診療所において,その発生を防止することは困難であるから,被告が,原告Bの妊娠という結果を回避することは不可能であったというべきである。

(3)  これに対し,原告らは,本件手術を実施したにもかかわらず原告Bが妊娠したことをもって,被告の施術が不適切であったことが推認されると主張する。

しかし,精管結さつ術を適切に実施したとしても,不可避的に妊娠という結果が発生することがあり得ることは上記説示のとおりであり,原告Bが妊娠した事実をもって,直ちに本件手術が不適切であったと認めることはできないから,上記主張は採用できない。

また,原告らは,本件手術は精管を切断するものではなく,精管を持ち上げた上で2回結ぶという不適切なものであったと主張する。

しかし,原告らが主張するような精管を持ち上げて結ぶような術式は,医学的に見て一般的なものではない(被告本人3頁)。また,母体保護法2条1号及び同施行規則1条1号,同2号によれば,法によって許容されている術式は精管切除結さつ法及び精管離断変位法の2方式のみであり,これらはいずれも精管の切断を伴うものであるところ,本件において,あえてこれらの規定に反して精管の切断を伴わない避妊手術を行うべき理由があったとは認められないから,上記主張は採用できない。

さらに,原告らは,精管を長く切断するとか切断部に十分な手当てを加えるなど適切な方法及び処置をすべきであったと主張する。

しかし,精管を切断する長さによって手術の成否に影響を及ぼすことはないこと(被告本人3頁)に加え,原告の主張,立証するところによっても切断部にどのような手当てを加えるべきであったかという点については明らかでないから,上記主張は採用できない。

その他,原告らは縷々主張するが,いずれによっても被告の債務不履行又は不法行為上の過失を認めるに足りない。

(4)  以上によれば,本件手術が,医学的に見て不適切なものであるとして,被告に過失による債務不履行又は不法行為が成立するとは認められない。

4  争点(3)(本件手術前後の説明義務違反の有無)について

(1)  医師は,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失,予後などについて説明すべき付随義務を負うものと解される(最高裁判所平成13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁参照)。

そこで本件診療契約に即して具体的に説明義務の内容を検討するに,前記のとおり,避妊手術はQOLないし家族計画の実現に向けた自己決定権の行使の一環として,患者にとっては避妊が成功したか否かが最も重要な関心事であるといえることに加え,避妊手術は,通常の医療行為とは異なり,それを実施しなければ身体,生命に害悪ないし危険が生じるといった性質のものではなく,その実施に緊急性が求められるわけではない一方,以後,子供をもうけられなくという重大な結果を伴うことに照らせば,医師としては,避妊手術を受ける患者に対して,その手術の内容や危険性などについて,単に情報を提供するだけでは足りず,当該患者が正しく自己決定権を行使できる程度に説明を尽くすべきである。

このような見地からすれば,被告は,原告らに対し,本件診療契約に付随して,本件手術の具体的内容や危険性などについての説明は当然として,とりわけ本件手術によっても妊娠の可能性を完全に排除できるわけではないことや,術後も切断した精管が再開通していないかを確認するために精液検査を受ける必要があることなど,妊娠のリスクに関する事項について,原告らが適切に自己決定権を行使し,手術後も対応できるよう十分な説明を尽くすべき義務を負っているものと解するのが相当である(なお,債務不履行と競合する不法行為上の注意義務の範囲は契約上の注意義務と重なると解されることから,上記診療契約上の付随義務である説明義務は,同時に不法行為上の注意義務を構成するものと解される。)。

(2)  上記解釈を踏まえて検討するに,被告は,原告らに対し,本件手術前において,本件手術は簡単な手術であるから30分程度で終了すること,本件手術の内容は精管を切断して各切り口を折り曲げて2回結ぶというものであること,本件手術が避妊術として100パーセント完全なものではなく術後に妊娠する可能性もわずかにあること,精液検査を実施して残存精子が無いことを確認した後でなければ妊娠しないとはいえないことなどを説明しているところ(乙12,被告本人8頁,同34頁,弁論の全趣旨),これは,本件手術の内容,危険性及び術後における妊娠の可能性などについて,一応の情報を提供するものということができる。

しかしながら,被告は,原告らに対し,本件手術によっても精管が再開通するメカニズムや精液検査を受けなかった場合における妊娠のリスクなどについて具体的に説明していない(被告本人8頁,同11頁)。

そして,専門家である医師の説明が,わずかに悪い結果が起こる可能性があるといった抽象的なものにとどまる場合に,患者において,自分にその悪い結果が生じるかもしれないと積極的に疑うことは通常考えにくく,かえって,そのような説明があれば,自分にはその悪い結果は生じないだろうと安心を覚える可能性が高いといえるから,被告としては,抽象的な説明にとどまらず,妊娠のリスクについて原告らが相当程度具体的に認識できる程度に説明を尽くす必要があったというべきである。

実際にも,原告らは,本件手術後は間違いなく妊娠しなくなると考えており(原告A本人2頁,同10頁,同19頁,原告B本人1頁,同12頁),術後の精液検査の意味についても,精管が再開通しているか否かを調べるための検査ではなく,残存精子の有無を調べるためのものであるから,残存精子が無くなる術後1か月間が経過すれば,性交渉をしても妊娠することはないと考えていた(原告A本人19頁,同21頁,弁論の全趣旨)。

このような原告らの認識は,原告らが本件手術における妊娠の可能性や予後などについて十分に理解していなかったことを端的に示すものであり,このような原告らの理解が特に不合理なものであったことを窺わせる事実,証拠はない。

以上のような被告の説明内容及び原告らの認識を総合すれば,被告が,妊娠のリスクに関する事項について,原告らが適切に自己決定権を行使し,手術後も対応できるよう説明を尽くしたとは評価し難く,その他被告が縷々主張するところをもってしても,上記判断を覆すには足りない。

(3)  以上によれば,本件手術前後における被告の説明が不十分であったことについて,被告の債務不履行又は不法行為上の過失が認められる。

5  争点(4)(妊娠発覚後の説明義務違反の有無)について

(1)  診療契約の法的性質は準委任契約であると解されることから,医師は,治療行為が不首尾な結果に終わった場合においても,患者に対し,治療の経過及び結果についての顛末報告義務を負うものと解される(民法656条,645条)。

そして,医療行為は基本的に高度の専門性を有するものであり,医師の説明なくして患者が不首尾な結果に終わった医療行為の影響などを把握することは通常困難であること,治療の内容及び結果は,自己の生命及び身体に直結する重要な情報として患者が本来的に把握すべきものであることや,不首尾に終わった当該治療行為の結果が患者の基本的な生活の在り方に及ぼす影響などにかんがみれば,本件のように当該治療の結果が患者の生活設計に重大な影響を及ぼす場合には,不首尾な結果に終わった治療に関し,単にその結果のみでなく,原因を踏まえ,その後の対応,基本的な生活設計やQOLの在り方などについて,自ら決定することができる程度に正確な情報や参考となる意見を提供するなどして説明を尽くすべきである。

したがって,本件において,原告らにとって避妊という結果がその後の基本的な生活設計に関わる重要な意味を持っていたことにかんがみれば,被告は,原告らに対し,原告Bの妊娠が発覚した時点で,原告Bの妊娠という結果に関し,原因を踏まえ,その後の対応,基本的な生活設計やQOLの在り方などについて,原告らが自ら決定できる程度に説明を尽くすべき診療契約上の顛末報告義務を負っていたものと解するのが相当である。

(2)  上記解釈を踏まえて検討するに,被告は,原告らに対し,原告Bの妊娠が発覚した時点で,原告Aとの性交渉によって妊娠することは医学的見地から99.9パーセントあり得ないといった趣旨の説明をしている(争いがない)。

しかし,避妊手術を受け,その手術が成功した旨の説明を受けている原告らに対し,上記のような説明をすれば,原告Aが原告Bの不貞を疑うことは容易に予想できることであり,その後の原告らの生活設計への影響の程度にかんがみると,上記説明が,診療契約上の顛末報告義務の履行として一面的で不十分なものであることは明らかである。

被告としては,本件手術によっても妊娠する可能性があることや,具体的にどのようなメカニズムによって妊娠に至るのかという点などについて十分な説明を尽くし,原告らが当該妊娠の結果に関し,考えられる原因を踏まえて,今後の対応や基本的な生活設計などについて自ら決定できるよう配慮すべきであった。

(3)  これに対し,被告は,原告Aの子供ではないと断定した事実はないと主張するが,仮にそうであったとしても,専門家である医師から99.9パーセントの確率であると説明されることは,一般の患者にとってはそれを断定されたに等しい意味を持つことは明らかであるから,被告の主張は失当といわざるを得ない。

また,被告は,原告Aの精液検査の結果にかんがみれば,被告が99.9パーセント妊娠の可能性がないといった趣旨の説明をしたことは医師として何ら非難されるものではないと主張する。

確かに,平成20年3月6日に実施された原告Aの精液検査において,1視野当たり1ないし2匹の運動精子及び5ないし6匹の不動精子が認められ,その検査結果によれば原告Aの妊孕力は低かったとみることができる(乙1の8,被告本人13頁ないし14頁)が,そのような原告Aの運動精子によっても妊娠する可能性は否定できないのであって,被告の前記説明が正確性に欠けるものであることは否定できないから,被告の上記主張によっても上記(2)の判断は左右されない。

その他被告は縷々主張するが,同様に,上記(2)における判断を左右するものとは認められない。

(4)  以上によれば,妊娠発覚後における被告の説明が不十分であったことについて,被告の債務不履行又は不法行為上の過失が認められる。

6  争点(5)及び(7)(原告Aの損害及び因果関係)について

(1)  原告Aの主張のうち,まず,本件手術が不適切なものであったことによる,身体的,精神的苦痛及び婚姻生活の平穏の侵害という損害の主張について検討するに,そもそも本件手術が債務不履行又は不法行為上の過失を構成する不適切なものであったとは認められないことは,前記争点(2)において判断したとおりであるから,原告Aの上記主張は認められない。

(2)  次いで,原告Aの主張のうち,本件手術前後の説明義務違反の結果,婚姻生活の平穏が害されたとの主張について検討するに,前記前提事実(2)のとおり,原告らは,経済的事情や原告Bの体調などを考慮して本件手術を受ける決断をしているところ,精管結さつ術は一度実施すれば基本的には子供ができないものであるから,その実施を決断するにあたっては,家族計画等について慎重に検討した末のことであると推認される。

そうすると,そのような検討の末に本件手術の実施を決断した原告らは,仮に,本件手術後の妊娠のリスクについて被告から十分な説明を受けていたとしても,結果的に本件手術を受けていた可能性が少なからず認められるというべきである。

したがって,被告の説明義務違反がなければ,原告Aの婚姻生活の平穏侵害という損害が発生しなかったといえるか疑問があるから,本件手術前後の説明義務違反と上記損害との間に因果関係があるとは認められない。

(3)  さらに,原告Aの主張のうち,妊娠発覚後の説明義務違反の結果,婚姻生活の平穏を侵害されたとの主張について検討するに,原告Bの妊娠が発覚した後に,専門の医師である被告から,原告Aとの性交渉によって妊娠することは医学的見地から99.9パーセントあり得ないといった趣旨の説明を受ければ,原告Aにおいて,原告Bの不貞を疑い,少なからず原告ら夫婦間の信頼関係が損なわれることは通常生じうる事態といえる。

しかし,原告Aは,原告Bが不貞行為により妊娠したものと誤解し,原告Bに対して暴言を吐いたり,一度に20回近く殴打することもあったところ(甲1,弁論の全趣旨),上記のような被告の説明があったとしても,妻である原告Bが,夫である原告Aから暴言及び暴行を受けることが通常生じ得る事態であるとは認め難く,そのような暴言及び暴行による損害を被告が特別に予見し得たと認めるに足りる事実,証拠はない。

以上によれば,妊娠発覚後の被告の説明義務違反と原告Aの婚姻生活の平穏侵害という損害の間には,社会一般に生じうる夫婦間の信頼関係への侵害の限度では相当因果関係があると認められるが,原告Aの原告Bに対する暴言及び暴行に起因する損害については相当因果関係を欠くというべきである。

そして,本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すれば,上記の損害を慰謝する額としては,150万円が相当であると認められる。

7  争点(6)及び(7)(原告Bの損害及び因果関係)について

(1)  損害の発生について

原告Bが主張する損害の発生が認められるか否かについて検討すると,まず,三度目の帝王切開による出産をすることによって,生命の危険と身体への著しい負担を強いられたことによる身体的,精神的苦痛については,帝王切開を複数回行うことによる母体への身体的危険が大きいことは公知の事実であることに照らせば,そのような危険に伴う身体的,精神的苦痛は法的保護に値するというべきである。

また,婚姻生活の平穏が害されたことによる精神的苦痛が法的に保護に値することは問題なく,第3子の出産及び育児によって仕事を辞めざるを得ず,収入を失うことになった財産的損害についてみても,第3子の出産前後を比較した場合の経済的状態の差という見地からは,その差額分の損害があることは否定できない。

(2)  被告の債務不履行又は不法行為上の過失と各損害との因果関係について

ア そこで,さらに,本件手術の際の被告の説明義務違反と原告Bの上記各損害との因果関係の有無について検討するに,被告が本件手術前後に説明義務を果たしていたとしても,本件と同様,婚姻生活の平穏の侵害,帝王切開による第3子出産といった結果が発生した可能性があることは上記6(2)で説示したとおりであり,被告の説明義務違反がなければ原告Bの上記各損害が発生しなかったといえるかという点については疑問があるから,本件手術の際の説明義務違反と上記各損害の間に因果関係があるとは認められない。

イ 次いで,妊娠発覚後の被告の説明義務違反と原告Bの帝王切開の危険に伴う身体的,精神的苦痛及び第3子出産による財産的損害との因果関係について検討するに,上記説明義務違反の結果,性交渉に及び,第3子妊娠に至ることは通常想定される事態ということはできても,配偶者について避妊手術が実施されたにもかかわらず妊娠していることを知った女性が,出産と適法な中絶手術のいずれを選択するかについては,当該時点における生活状況,子供に対する考え方,夫婦間の家族計画を含む生活設計の在り方など,多種多様な考慮要素を総合的に判断して決定されるものと考えられ,本件においても,そのような原告Bの高度な意思決定が介在する以上,被告の説明義務違反から原告Bの第3子の出産という事態が通常生じ得るものであるとは認め難く,また,被告がその出産の結果を特別に予見し得たと認めるに足りる事実,証拠はない。

したがって,妊娠発覚後の説明義務違反と上記各損害の間に因果関係があるとは認められない。

ウ さらに,妊娠発覚後の被告の説明義務違反と原告Bの婚姻生活の平穏の侵害との因果関係について検討すると,被告の説明義務が尽くされていれば社会一般に生じうる夫婦間の信頼関係の侵害という結果は発生しなかったと考えられる点では,説明義務違反と婚姻生活の平穏の侵害という損害との間に相当因果関係が認められるものの,原告Aの原告Bに対する暴言及び暴行に起因する婚姻生活の平穏の侵害という損害については,上記説明義務違反と相当因果関係が認められないことは,上記6(3)で説示のとおりである。

(3)  小括

以上の検討の結果を基に,本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すれば,上記相当因果関係が認められる損害を慰謝する額としては,150万円が相当であると認められる。

8  争点(8)(損害の填補の有無)について

上記6及び7での検討によれば,被告は,債務不履行又は不法行為を理由として,原告Aに対して150万円,原告Bに対して150万円の損害賠償債務をそれぞれ負うことになるところ,被告は,前記前提事実(5)を基に,原告らに対し,平成20年5月12日に100万円,平成20年6月19日に18万1520円,平成20年8月4日に200万円をそれぞれ支払ったことにより,原告らに対する損害賠償債務が消滅した旨主張している。

そこで,これらの金員の支払と原告らに対する損害賠償債務の関係を検討するに,被告は,本件手術を実施したにもかかわらず原告Bが妊娠したことに対する道義的責任や,本件の早期解決及び原告らの救済を図る必要性から上記の金員を支払ったのであるから(乙12,被告本人15頁ないし18頁),被告としては,本件手術に起因する債務の弁済として金員を支払ったものと認められる一方,それ以上に,何らかの充当合意又は指定をする意思はなかったものと推認できる。

また,原告らも,本訴において,一貫して被告が原告らに対して上記金員を支払った旨主張していることから,被告から上記金員を受領するに当たり,原告Aもしくは原告Bのいずれかの個人に対する弁済として受領する旨の合意又は指定があったとは認められない(なお,乙3,乙4及び乙5の3は,いずれも金員の支払先が原告B名義になっているが,これは,原告ら夫婦の有する金員を原告B名義で管理するにすぎないとも考えられるから,上記結論を左右するものではない。)。

そうであれば,原告ら及び被告の合理的意思解釈としては,被告の債務不履行又は不法行為上の過失により原告A,原告Bに生じた各損害について,被告の支払った金員をそれぞれ等分をもって充当するという意思であったと解するのが相当である。

したがって,被告の上記金員の支払によって,原告A,原告Bに対する各損害賠償債務はいずれも全額弁済され,消滅したものと認められる。

第4結論

以上によれば,原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用の上,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 本多哲哉 裁判官 佐藤雅浩)

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