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仙台地方裁判所 平成20年(行ウ)17号 判決 2011年1月20日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  A県教育委員会が,平成18年6月16日付けで,原告に対してなした懲戒処分(戒告)を取り消す。

2  被告は,原告に対し,100万円及びこれに対する平成18年6月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

1  事案の概要

本件は,A県B郡C町立D小学校(以下「本件小学校」という。)の教諭であった原告が,担任する児童の通信表の作成に際し,同校の校長及び教頭から下書きの事前提出及び記載内容の修正を指示されたにもかかわらずこれに従わなかったこと及び通信表のコピーを無断で校外に持ち出したことを理由に,被告代表者から,地方公務員法29条1項1号及び2号に基づく懲戒処分として戒告(以下「本件処分」という。)を受けたところ,上記指示は教師の教育の自由を侵害する違法なものであり,また,通信表のコピーを無断で校外に持ち出したのはA県教職員組合(以下「県教組」という。)に相談するためであり正当な理由があったなどと主張して本件処分の取消しを求めるとともに,上記指示が違法なものであることを認識したにもかかわらず被告代表者が適切な対応を取らなかったことを理由として,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償及び本件処分の日を起算日とした遅延損害金を請求した事案である。

2  前提事実(争いがない事実,明らかに争わない事実については証拠番号を付さない。)

(1)  原告は,平成17年当時,本件小学校において,2年生の担任教諭であった者である。

E(以下「本件小学校校長」という。)は,平成17年当時,本件小学校の校長であった者である。

(2)  本件小学校校長は,平成16年1月5日に同校に着任したが,平成15年度及び平成16年度については,本件小学校の教員に対し,通信表の下書きを指示したことはなかった。[証人E2頁]

(3)  平成17年当時,本件小学校の教頭であったF(以下「本件小学校教頭」という。また,「本件小学校校長」と「本件小学校教頭」を併せて「本件小学校校長ら」と総称する。)は,同年9月8日に実施された朝の打ち合わせ会において,本件小学校校長の指示に基づき,原告を含む学級担任全員に対し,余裕をもって通信表の下書きを提出するよう求める発言をした。[甲1・8頁,乙2,証人E4頁,5頁]

同月29日に開催された同年10月分の職員会議において,通信表の下書きの提出期限は同年10月3日,下書きの添削を踏まえた通信表の原本の提出期限は同月5日とそれぞれ定められた。[乙3,証人E4頁,5頁,原告本人21頁]

原告は,同月3日,本件小学校教頭に対し,原告が担任をしていた学級の児童21名に関する氏名,成績及び基本的な生活習慣等の10項目を3段階評価した生活の様子,学習と生活の様子を知らせる担任からの所見等が記録された平成17年度1学期の通信表(以下「本件通信表」という。なお,本件小学校は2学期制を採用している。)について,清書した原本を作成した旨報告したのみで,下書きを本件小学校校長らに提出しなかった。[乙1の1,証人E5頁,6頁,原告本人21頁ないし24頁,弁論の全趣旨]

(4)  本件小学校校長らは,平成17年10月4日,原告に対し,本件通信表の下書きを同日中に提出するよう指示する文書(乙1の1)を交付した。

原告は,同日の退勤時に,本件小学校の教務主任に対し,本件通信表の原本とそのコピーを提出した。[証人E6頁,7頁]

本件小学校校長らは,原告が提出した本件通信表のコピーを点検し,同月5日,本件通信表の記載内容のうち,修正を求める部分及び修正すべき内容を示した文書(乙1の2)を作成して原告の机上に置いた(なお,本件小学校校長らが修正を求めた部分及びその具体的内容については,別紙のとおり(別紙省略)である。)。

本件小学校校長らは,同月6日,同人らの指示に従って本件通信表を修正した上,本件小学校教頭まで提出するよう記載した文書(乙1の3)を作成し,原告の机上に置くとともに,同校校長室において,原告に対して下書きの提出及び修正指示に従うように指導したところ,原告は,本件通信表を修正する必要がないことを説明した上で,最終的には1名の児童の通信表を書き直し,もう1名の児童の通信表には「暈かす」という表現にルビ(「ぼかす」)を振って,本件小学校教頭に提出した。

本件小学校校長らは,同月7日,原告の本件通信表の修正が不十分であることから,再度修正するよう指示した文書(乙1の4)を作成し,原告の机上に置いた。

原告は,本件小学校校長らから上記指示を受けた後も,本件通信表の修正を行わなかった。[甲4(乙5)・2頁,証人E8頁]

本件小学校校長は,同日,本件通信表のうち,同人が修正すべきであると判断した箇所を自筆で修正して認印を押し,原告は,本件小学校校長が修正した後の本件通信表を児童に交付した。[乙1の5,証人E8頁]

(5)  原告は,平成17年10月5日,本件小学校校長らの許可を得ずに,本件通信表を校外に持ち出し,県教組の事務局においてコピーを作成し,児童の氏名等を消さない状態のまま,そのコピーを県教組の書記長(当時)に交付した。[甲4(乙5)・5頁,証人E11頁,12頁,原告本人24頁,25頁]

上記書記長は,同月6日,被告代表者教職員課を訪れ,原告から交付された通信表のコピーを同課職員に提示した。[甲1・9頁]

(6)  被告代表者は,平成18年5月26日,原告に対する懲戒処分の是非について検討するため,G教育事務所所長及び同教育班長を聴取者,C町教育委員会教育長及び同教育総務課長を立会人として,原告に対し,事情聴取を実施した(以下「本件事情聴取」という。)。[甲4(乙5)]

(7)  被告代表者は,平成18年6月16日,平成17年度第1学期の担任する児童の通信表の作成に当たり,下書きの提出及び記載内容の変更を求める職務命令に従わなかったこと(以下「本件懲戒事由1」という。)及び原告が本件通信表のコピーを無断で校外へ持ち出したこと(以下「本件懲戒事由2」という。)を理由として,原告に対し,地方公務員法29条1項1号及び2号並びに県費負担教職員の任免,分限及び懲戒に関する条例(昭和31年A県条例第36号)の規定に基づく懲戒処分として本件処分を行った。

(8)  原告は,本件処分を不服として,平成18年8月10日付けでA県人事委員会に対して不服申立てを行った。[甲1]

A県人事委員会は,平成20年3月24日付けで原告の不服申立てを棄却するとの裁決をし,同裁決の裁決書は,同月28日,原告に送達された。[甲1,弁論の全趣旨]

(9)  原告は,平成20年9月28日,本件訴訟を提起した。

3  争点

(1)  本件処分の適法性

ア 本件処分を基礎付ける職務命令違反(本件懲戒事由1に該当する事実)の有無(争点1)

原告が,本件小学校校長らから,本件通信表の下書きの提出及び本件通信表の記載内容を別紙の内容で修正するよう職務命令を受けたにもかかわらず,それに従わなかったことが職務命令遵守義務違反(地方公務員法32条)として懲戒事由(同法29条1項1号)に該当するか。

イ 本件処分を基礎付ける守秘義務違反(本件懲戒事由2に該当する事実)の有無(争点2)

原告が,本件通信表のコピーを,本件小学校校長らに無断で校外に持ち出した上,県教組書記長に交付した行為が守秘義務違反(地方公務員法36条1項)として懲戒事由(同法29条1項1号)に該当するか。

(2)  被告の以下の損害賠償責任(国家賠償法1条1項)の成否(争点3)

G教育事務所所長及び同教育班長が,本件事情聴取の際,本件小学校校長による違法行為を認識しながら,C町教育委員会に対して適切な指導,助言を怠った結果,原告に対し,本件処分による損害を与えたとして,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任が成立するか。

4  争点に対する当事者の主張

(1)  争点1(本件処分を基礎付ける職務違反(本件懲戒事由1に該当する事実)の有無)について

ア 原告の主張

(ア) 本件小学校における通信表の下書きの提出についての慣行は,所見欄の記載内容に自信がない教諭に限り,教務主任や教頭に下書きを任意に提出し,助言を求めるというものであり,原告は,本件小学校校長が赴任した平成16年1月以降も,下書きを提出せずに清書した通信表を提出していたが,同校長から何ら指導等を受けることはなかった。

上記のような慣行を変更して,通信表の下書き提出が義務化されたとすれば,ワープロによる下書きの作成という新たな職務が追加されることになるのであるから,下書きの提出を義務化することについては,その必要性及び労働条件への配慮等に関し,職員会議における提案,討議が必要であるというべきである。

しかるに,被告は,本件小学校においては,平成17年9月8日の朝の打ち合わせ会ないし同月27日の職員会議における教頭の発言をもって,下書きの提出が義務化されたと主張するところ,これらはいずれも十分な討議を経ていない。

しかも,原告は,同月8日の朝の打ち合わせ会は欠席しており,同月27日の職員会議においても本件小学校校長らから通信表の下書きの提出が義務であることについて明確な説明はなかったのであるから,通信表の下書きの提出に関する職務命令は,原告に対して明確に伝達されていない。

以上の事情を総合すれば,下書き提出についての職務命令は,少なくとも原告に対する関係においては存在していないというべきであり,本件処分は前提を欠いた違法なものである。

(イ) 通信表所見欄は,教師の創造的,主体的な活動の中核をなす授業教育活動を保護者に伝達するものであり,授業教育活動と不可分一体のものであるから,校長の職務権限から,自由で独立した教師の権利ないし自由が保障されなければならない領域である。

そうであれば,通信表所見欄の修正については,指導ないし助言といった形で意見を述べるべきであって,その性質上,職務命令の対象とはなり得ない。

また,職務命令の対象にはできない通信表所見欄の修正指示を行うことを目的としてなされた下書きの提出指示も,同様に,職務命令の対象外であることは明らかである。

したがって,本件処分は前提を欠いた違法なものである。

(ウ) 通信表所見欄の修正指示が職務命令の対象となるとしても,本件通信表所見欄は原告が教師として児童を指導教育し,全教科学習及び全学校生活を通じて感得された児童の取り組みの様子や成長の過程を保護者に正しく伝えるために熟慮して記載したものであり,教員の教育実践の反映という側面を有しているから,子供の学習権(憲法26条)に対応する教師の教育権ないし教育の自由(以下「教育の自由」と総称する。)に基づき記載されたものというべきである。

もっとも,教師の教育の自由も無制約なものではありえず,通信表所見欄が明らかに不合理,不適切なものであれば,校長ら上司による修正指示がなされる必要もあるのであって,このような場合には,通信表所見欄の修正指示も,教師の教育の自由に対する合理的な制約であると解する余地があるが,本件小学校校長らの職務命令は,国語的な誤りを含む不合理なものであるか,若しくは職務命令という強制的な手段ではなく助言及び討論の対象とすることで解決すべきものであり,いずれも合理的な制約であるとは認められない。

以上の事情を総合すれば,本件通信表所見欄の修正指示は,職務命令たる性質を有していたとしても,教師の教育の自由を侵害するものであり,違法,無効であるから,上記職務命令に従わなかったことをもって懲戒事由とした本件処分は違法である。

イ 被告の主張

(ア) 職務命令は,上司が部下を指揮監督する上でその職務を遂行させるために発する命令をいうところ,これは不要式行為であるから,書面,口頭を問わずに認められるものであり,職員会議における討議を経た上で発せられなければならないという手続的な制約もない。

また,本件小学校校長らは,平成17年9月8日に実施された朝の打ち合わせ会において,原告を含む担任教員に対し,通信表の下書きを提出するよう指示したことに加え,同月29日の職員会議において確認された10月の行事予定には,通信表の下書きについての提出期限が明記されていたのであるから,通信表の下書きを提出することについての職務命令は,原告に対して明確に伝達されている。

以上の事情を総合すれば,本件において,通信表の下書きを提出することについての職務命令が存在することは明らかである。

(イ) 校長は,校務をつかさどり,所属職員を監督するものとされているところ,校務とは,教諭のつかさどる教育を含む,学校教育の事業を遂行するために必要とされる全ての仕事を意味することから,校長は,教育活動に関しても,適宜,指揮命令をとおして,教師を監督できるものと解される。

したがって,校長は,通信表の下書きの提出や,通信表所見欄の修正についても,職務命令の対象とすることができるというべきである。

(ウ) 公務員関係において,部下が上司の職務命令に従わないことができるのは,その職務命令に重大かつ明白な違法性がある場合に限られるというべきところ,本件のように国語的表現や表記の正当性について見解の相違が見られる場合には,議論をしなければ結論が出せないという事柄の性質上,職務命令に重大かつ明白な違法性が認められないことは明らかである。

また,本件通信表所見欄の修正指示は,国語的表現の誤りを指摘したり,常用漢字の使用を指示したりするものであり,いずれも形式的事項に関するものであって,後見的な立場から適切と考えられる修正を求めたにすぎないから,教師の教育の自由を侵害することにはならない。

以上の事情を総合すれば,本件通信表所見欄の修正指示は,教師の教教育の自由を侵害するものではなく,部下である原告には上記職務命令に従う義務があったというべきであるから,これに従わなかったことをもって懲戒事由とした本件処分は適法である。

(2)  争点2(本件処分を基礎付ける守秘義務違反(本件懲戒事由2に該当する事実)の有無)について

ア 原告の主張

原告は,本件小学校校長らの違法な職務命令に対する対応に苦慮しており,A県教育委員会の窓口に問題を持ち込む以外に方法はなかったところ,本件小学校校長の職務命令の違法性は,修正を命令された部分だけでなく,文脈全体を見なければ判断できないものであるから,県教組書記長に本件通信表のコピーを交付したことは,民法上の緊急避難に該当するから,違法性は阻却される。

また,原告は,本件通信表のコピーを県教組の書記長に委ねたにすぎないのであって,教育に無関係の第三者に児童の個人情報が漏洩する危険性はなかった。

以上の事情を総合すれば,原告が,本件通信表のコピーを校外に持ち出したことにつき,守秘義務違反は認められないというべきであるから,原告の上記行為をもって懲戒事由とした本件処分は違法である。

イ 被告の主張

原告は,児童の個人情報が記載された通信表を,本件小学校校長らの許可を得ないまま,県教組書記長という第三者に提示したのであるから,その行為が守秘義務違反に当たることは明らかである。

本件小学校校長らの職務命令の不当性を主張したいのであれば,その職務命令の内容,同命令に対する原告の考え,その考えを伝えたときの本件小学校校長らの対応などを口頭で説明すれば足りるのであって,本件職務命令の違法性の判断に関連しない部分も含む通信表全体のコピーを県教組書記長に提示する必要はない。

以上の事情を総合すれば,原告が,本件通信表のコピーを校外に持ち出したことにつき守秘義務違反が認められることは明らかであり,原告の上記行為をもって懲戒事由とした本件処分は適法である。

(3)  争点3(国家賠償法1条1項に基づく被告の損害賠償責任の成否)について

ア 原告の主張

被告代表者教育長は,本件事情聴取を通じて,本件小学校校長及び教頭の原告に対する職務命令が,明らかな国語的な誤りや教育の自由に対する不当な介入を含むものであり,一見明白な違法があることを認識したのであるから,C町教育委員会に対し,本件小学校校長に対する指導を適切に行うよう指導,助言を行うべきであった。

しかるに,G教育事務所所長及び同教育班長は,本件事情聴取において,原告が本件小学校校長の職務命令の違法性を具体的に説明しようとした際にそれを遮るなどして,同職務命令の違法性について検討することを怠った。

したがって,被告代表者は,原告に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償責任を負う。

イ 被告の主張

都道府県教育委員会は,県費負担教職員の服務の監督について,市町村教育委員会に対し,技術的な基準を設定できるとされているものの(地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)43条4項),個々の教職員や特定の教育委員会に対して指示等を行うことは想定されていない。確かに,教職員の給与は都道府県費によって支給され,都道府県教育委員会が教職員の任免権を有しているが,これは県費負担教職員の給与の負担及び任免は都道府県教育委員会が,同職員の服務監督は市町村教育委員会がそれぞれ行うという立法政策上の権限の分掌の問題にすぎないのであって,これらの事情から,都道府県教育委員会の市町村教育委員会や,個々の教職員に対する指導,助言義務が当然に導かれるものではない。

また,本件事情聴取は,原告の懲戒処分を検討するために事実確認等を行ったものであるから,同事情聴取の場において原告が本件小学校校長の違法行為を主張したからといって,直ちに,被告代表者において原告の服務監督権を有するC町教育委員会に対し,技術的な基準を設定し,または何らかの指導を行う義務を負うことにはならない。

そもそも,本件事情聴取に現れた事実から,本件小学校校長の職務命令に重大かつ明白な瑕疵を認めることはできないから,被告代表者が上記職務命令を適法であると判断することに何ら問題はない。

以上の事情を総合すれば,被告代表者は,原告が主張するようなC町教育委員会に対する指導,助言義務を負わないから,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負うことはない。

第3当裁判所の判断

1  争点1(本件懲戒事由1に該当する事実の有無)について

(1)  職務命令の根拠及び対象

ア 職務命令とは,公務員がその職務の遂行に当たって,上司から部下の公務員に対して発せられる命令をいい,教師は,地方公共団体の職員として,その職務を遂行するに当たって校長や教頭など上司の職務上の命令,すなわち職務命令に忠実に従わなければならない(地方公務員法32条)。

他方,法令上,小学校校長は校務をつかさどり,所属職員を監督するものとされ(学校教育法37条4項),また,小学校教頭は校長を助け,校務を整理し,必要に応じて児童の教育をつかさどるものとされているところ(学校教育法37条7項),児童の教育が,校務において最も重要な部分であることにかんがみると,小学校校長及び教頭は,児童の教育について最終的に責任を負い,或いはそれを補佐する立場にある者として,個々の教師の教育指導についても,その職務の遂行が法令や学校において定める教育方針に反しないよう総括的に監督するとともに,その権限を行使するために必要かつ相当な範囲で職務命令を発することができると解するのが相当である(なお,校長らの職務命令が無制限に認められるわけではなく,教師の教育の自由との関係において制約される場合があることは,後記(3)のとおりである。)。

イ これに対し,原告は,通信表への記載を含む個々の教師の教育指導については,校長の職務権限から自由で独立した教師の権利ないし自由が保障されなければならないから,本件通信表の下書き提出指示及び所見欄修正指示は,その性質上,職務命令の対象とはなり得ないなどと主張して,職務命令違反の存在を争っている。

しかしながら,学校は,個々の教師の創意工夫を尊重しつつも,組織体として教育を行う機関であって,個々の教職員の教育指導について校長の職務命令が一切及ばないとすれば,このような学校の組織体としての教育を阻害するおそれも否定できないことから,原告の上記主張は採用できない。

(2)  本件通信表の下書き指示の職務命令違反の有無

ア 原告は,本件通信表の下書き提出指示について,その手続及び原告に対する伝達という観点から,そもそも職務命令に該当しないと主張して,職務命令違反の存在を争っている。

そこで,この点について検討するに,先にみたように,教師が職務命令遵守義務を負う理由は,学校が,一定の教育目標の実現に向け,各構成員が一体となって活動していくという性質をもった組織体であることから,その組織の運営上必要とされる一定の秩序を維持するための内部規律として,個々の教師が上司の指揮監督に服して勤務する必要があることに求められる。

そうであれば,職務命令は,その性質及び目的にかんがみ,特定の形式に依拠することが要求されるものではないといえるのであって,訓令,通達,文書,口頭など適宜の方式によって発することができるというべきである。また,通信表の性質に照らして見ても,その作成は,特に法令に明文の根拠を有するものではないことからすれば,その作成の手続などに関しては,当該学校の校長に裁量が認められるものと解される。

もっとも,職務命令は,上司の部下に対する意思表示をその内容とするものであるから,職務命令遵守義務が課される前提として,その意思表示の内容が,明確に部下に伝達されていなければならないことはもとより当然であり,この理は,通信表の作成手続に関して発せられた職務命令についても同様に妥当するものである。

イ(ア) そこで,上記見地に照らして検討するに,本件小学校教頭は,平成17年9月8日に実施された朝の打ち合わせ会において,出席者に対し「通信表は余裕をもって下書きを全員提出のこと」と発言しているところ(乙2,証人E4頁,原告本人20頁,弁論の全趣旨),平成16年度の学期末までは通信表の下書きの提出は教員の義務ではなく(証人E2頁),従前どおり通信表の任意提出を促すのであれば,あえて全員提出といった表現を用いる必要はなかったのであるから,上記の発言は,職務命令であることが明示されていなかったとしても,単なる事務処理上の示唆や注意喚起にとどまらず,上司である本件小学校教頭が,担任を持つ各教師に対し,通信表の下書きの提出を命じた職務命令であると容易に理解することができたというべきである。

そして,原告は,上記の打ち合わせ会に出席していたのであるから(甲1,原告本人20頁,弁論の全趣旨),本件小学校教頭の「通信表は余裕をもって下書きを全員提出のこと」という発言を聞いていたと考えるのが自然である。

したがって,同日における本件小学校教頭の発言により,原告に対する関係においても,通信表の下書きの提出を指示する職務命令が発せられたと認められる。

(イ) また,平成17年9月29日に実施された平成17年度10月分の職員会議の議題として「10月の行事予定について」との項目が挙げられていたところ,10月の行事予定には,同年10月3日の欄に「通信表下書き提出」,同月5日の欄に「通信表提出」と明記されていたのであるから(乙3),同職員会議の出席者間において,これらの予定が確認されたことは容易に推認できる。

そして,原告は,上記職員会議に出席していたのであるから(原告が争うことを明らかにしない),通信表の下書きの提出期限が,同月3日であることを認識していたものと認められる。

そうであれば,本件小学校校長らが,同月4日,原告に対して交付した文書において「通信表所見の下書きを提出するようにという指導を無視して清書したことについて,厳重に注意します」と記載されているにとどまり,職務命令であることが明示されていなかったとしても,同文書は,その実質においては,単なる注意や指導にとどまらず,定められた提出期限までに通信表の下書きを提出しなかった原告に対し,上司である本件小学校校長らが,あらためて通信表の下書きの提出を指示した職務命令であると理解することができたというべきである。

したがって,同日付けで本件小学校校長らが作成し,原告に交付した文書は,原告に対し,通信表の下書きの提出を指示する職務命令に当たると認められる。

ウ これに対し,原告は,通信表の下書きの提出を義務化するためには,職員会議における提案,討議が必要であるところ,本件小学校においては十分な討議を経ていないことから,原告を含む教員は,通信表の下書きを提出する義務を負わないと主張するが,上記アで説示したとおり,職務命令は特定の形式に依拠することが要求される性質のものではないことに加え,学校教育法37条4項により,校長が学校における最終的な意思決定を行い,また最終的に責任を負うと定められていることに照らせば,職員会議における提案,討議を経ていなかったとしても,それをもって職務命令であることは否定されないというべきである。

また,原告は,平成17年9月8日に実施された朝の打ち合わせ会には出席していないから,通信表の下書きの提出を指示する職務命令は,原告に伝達されていないと主張するが,原告はA県人事委員会における審理では上記の打ち合わせ会において本件小学校教頭から通信表の下書きを提出するよう指示された旨主張していること(甲1・2頁)に加え,当裁判所における尋問においても上記の打ち合わせ会に出席したか否かという点については記憶が曖昧であること(原告本人20頁,21頁)に照らせば,原告の上記主張は採用できない。

その他,原告は縷々主張するが,いずれも上記イにおける認定を左右するものということはできない。

エ 以上の検討によれば,本件小学校校長らが,平成17年9月8日及び同年10月4日に本件通信表の下書きを求めたことは,原告に対する職務命令に該当し,原告は同職務命令に違反したものと認められる。

(3)  本件通信表所見欄の修正指示の職務命令違反の有無

ア 上記(1)によれば,原告は,本件通信表所見欄の修正指示に従わなかったことにより,形式的に職務命令に違反したこととなるところ,これを本件処分を基礎付ける事実として認めるためには,更に教師の教育活動の性質等に照らして検討することが必要である。

そこで検討するに,教師の教育活動は,教育の創造性,専門性,自主性という本質に照らし,その裁量が十分に尊重されなければならないことから,個別具体的な教育活動の性質によっては,不当な上司の職務命令や公権力行使から法的に保護されるべき領域があるものと解される。

このような見地から,教師が,通信表所見欄への記載を通じて行う教育活動について見るに,通信表は,学期ごとの児童の学習状況などを児童及びその保護者に知らせるものであり,児童には学習への励みを与え,保護者にはそのための協働を促す機能があり,特に,所見欄は,教師が児童の学習や生活の状況などを自らの表現で具体的に記載するものであるから,児童及び保護者と教師の連携にとって重要なものであるといえる。

そして,通信表の記載は,教師による教育評価の一内容を構成すると解されるところ,教師による教育評価は,教師に対し,自ら行った学習指導や生活指導が適切であったか否かにつき,一定の期間を区切って自己点検する機会を与えるとともに,児童若しくは保護者に対し,学習の到達度や学校生活の状況を知らせ,課題を把握してその克服に取り組むことを可能にするものであり,児童の発達可能性を引き出すための重要な手段といえるから,教師の教育活動の中でも,教師の裁量を尊重すべき要請が相対的に大きいというべきである。

以上のような,教師による教育評価の重要性及び通信表の機能などを考慮すれば,通信表所見欄に児童の学習状況や生活状況を記載する権利ないし自由(以下「原告主張の権利」という。)は,不当な上司の職務命令や公権力行使から法的に保護されるべきものであると解するのが相当である。

イ 他方,前記(1)のとおり,本件小学校校長らが原告に対し本件通信表所見欄の修正を指示したことは職務命令に該当するから,当該職務命令と原告主張の権利が対立することになる。

そこで,両者の対立をどのように調整するかという見地から検討するに,一般に,学校は,一定の教育目標を実現するため各構成員が一体となって活動する有機的な組織体であるところ,とりわけ公教育においては児童の側に学校選択の余地が乏しいことの反面として,一定の水準を維持する要請が強いと解されることに照らせば,教育目標の実現に必要とされる秩序の維持を目的として,本件小学校校長らが合理的な手段,方法をもって原告主張の権利に制約を加えることは,公教育の制度の本質に照らして許容されるものと解される。

また,原告主張の権利は,児童がその学習要求を充足するための教育を自己に対して施すことを大人一般に対して要求する権利(以下「子供の学習権」という。最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参照)を充足することを目的として法的に保護されるものということができるから,原告主張の権利が子供の学習権と矛盾,対立するような場合には,本件小学校校長らが,子供の学習権を充足することを目的として合理的な手段,方法をもって原告の上記権利ないし自由に対する制約を加えることも,原告主張の権利に内在する制約として許容されるというべきである。

したがって,上記の観点から,本件小学校校長らの職務命令が法的に許容できる範囲内のものであると評価される場合には,原告は,上記職務命令に従うべき義務を負うから,上記職務命令に従わなかったことをもって職務上の義務に違反したとの評価を免れないことになる。

これに対し,被告は,職務命令を拒否した場合,当該職務命令が客観的に重大かつ明白に誤っていると認められない限り,職務命令違反に当たるものとして,地方公務員法29条1項1号及び2号に基づくに基づく懲戒処分の根拠となると主張する。

確かに,一般的な公務員関係について見れば,公務員関係の自律性ないし一体性を維持するために,上命下服の指揮指令体系を維持することが重要であると解されるから,被告の主張も理解できないではない。

しかしながら,上記アで説示したとおり,教師には教育の本質に照らしてその自主性が尊重されるべきであり,とりわけ原告主張の権利は教育活動の中でも重要なものであることにかんがみれば,本件通信表の記載に関して,本件小学校校長らと原告を一般的な公務員関係と同視して,上命下服の指揮指令体系にあると解することは,原告主張の権利を損なうことになり相当でないから,被告の主張は採用できない。

ウ 上記解釈を踏まえて検討するに,本件小学校校長らは,原告に対し,本件通信表所見欄のうち,別紙「職務命令違反とされた表現(主張)」欄の表現を,「職務命令として示された表現(主張)」に修正するよう職務命令を発している(争いがない)。

まず,上記職務命令の目的について見るに,原告が本件通信表所見欄において,別紙「職務命令違反とされた表現(主張)」欄の表現をしたことによって,本件小学校における教育目標の実現に必要な秩序が維持できなくなるとはおよそ考え難く,上記職務命令は,上記アで説示した通信表の機能に照らし,保護者に学校での児童の学習や生活の様子をわかりやすく伝え,学校と家庭の適切な連携を図ることにより,子供の学習権を充足するという目的を持つものであったと認められる(証人E9頁,弁論の全趣旨)。

そこで,次に,本件小学校校長らの職務命令が,子供の学習権を充足するという目的に照らして合理的な手段,方法といえるかを検討するに,上記職務命令は,概ね,国語的使用方法に照らした誤りないし不適切を指摘するもの(別紙の項番1,2,4,7,10,13ないし16,18ないし20,22ないし24,27,28,30ないし35,以下これらを「国語的使用方法に関する職務命令」と総称する。),記載内容が保護者に伝わりにくいとして表記ないし表現の修正を求めるもの(別紙の項番5,6,8,9,12,25,26,29,36,37,以下これらを「表現のわかりやすさに関する職務命令」と総称する。),その他の職務命令(別紙の項番3,11,17,21)に分類できる。

(ア) まず,本件小学校校長らの国語的使用方法に関する職務命令について見るに,原告は,本件通信表所見欄に薩摩芋やミニトマトの「生長」と記載したところ,本件小学校校長らは,「生長」という記載が学習指導要領にないことを理由として,これを「成長」に修正するよう職務命令を発している(別紙の項番2)。

しかしながら,学習指導要領は全国的な大綱的基準としての限度で法的拘束力を持つものであって(最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参照),その細目については指導,助言たる性質を持つにとどまるものであると解されることに加え,「生長」という表現が,一般的に見ても,教育に関する文書中で用いられていること(甲5)などの事情に照らせば,児童に「生長」ではなく「成長」を教えなければならないという合理的な理由はないのであって,本件通信表所見欄に「生長」という表現がなされたとしても,子供の学習権の充足という観点から不適切であるとはいえない。また,前後の文脈やその漢字の組み合わせを見れば,その記載の意味は容易に理解できると考えられるから,上記表現によって児童の学校での学習内容が保護者に適切に伝わらないなど,通信表に期待される機能に照らして問題が生じるとも考え難い。

次いで,原告は,本件通信表所見欄に「台詞」,「訊く」,「沢山」,「綺麗」,「貼る」,「嬉しさ」,「溢れる」,「蝶」と記載しているところ,本件小学校校長らは,これらが常用漢字表にないことを理由として,ルビを振るか,若しくは常用漢字表にある漢字に修正するよう職務命令を発している(別紙の項番4,14ないし16,18ないし20,22)。

しかしながら,常用漢字表は,法令,公文書,新聞,雑誌及び放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものであるところ(甲23の1),そもそも通信表は公文書たる性質を有するものではないし(甲22),また,同表はあくまで目安にすぎないのであって,日常の表記方法と完全に合致しているものではない(甲22,甲23の1及び2,原告本人14頁)。

実際の教育現場においても,原告は,現在勤務する小学校において常用漢字表にない漢字を使って通信表を作成しても何ら指導等を受けることはないのであって(原告本人1頁,2頁),児童に対して常用漢字表にある漢字しか使用してはならないということではないから,通信表所見欄に原告の上記の各記載があったとしても,子供の学習権の充足という観点から不適切であるとはいえない。また,上記の各記載は,いずれも前後の文脈やその漢字の組み合わせから,その記載の意味は容易に理解できると考えられるから,上記の各表現によって,児童の学校での学習内容が保護者に適切に伝わらないなど,通信表に期待される機能に照らして問題が生じるとも考え難い。

なお,原告は,本件通信表所見欄に「暈かす」と記載したところ,本件小学校校長らは,この漢字が難しすぎることを理由として(証人E24頁),ルビを振るよう職務命令を発している(別紙の項番34)。

確かに,「暈かす」という漢字は日常的に用いられることは少ないといえるのであって,上記の漢字を読み取ることができない保護者を想定する必要も認められる(甲22)から,ルビを振るという指摘それ自体は子供の学習権を充足するという目的に照らして合理的なものであるといい得る。

しかしながら,他方において,保護者がその漢字を読み取れなかったとしても,保護者が児童にその記載の意味を尋ね,児童が保護者に対して自らの体験を語ることで,保護者が児童の学習の状況や成長を把握するといった効果も期待できるのであって,このような教育実践も,通信表所見欄の機能を損なうものとはいえない(甲22)。

以上の事情からすれば,「暈かす」という漢字を読み取ることができない保護者を想定すべきではないかという問題提起や,上記のような教育実践の効果などについての指導,助言,討論などをすることは,子供の学習権を充足するという観点から,合理的な手段,方法と評価する余地があるといえるが,それらを超えて,職務命令によって「暈かす」という漢字にルビを振ることを職務上義務づけることは合理的な手段,方法であるとは認め難い。

その他,本件全証拠によっても,本件小学校校長らの国語的使用方法に関する職務命令が,子供の学習権を充足するという目的に照らして合理的な手段,方法であると認めるに足りない。

(イ) 次に,本件小学校校長らの表現のわかりやすさに関する職務命令について見るに,原告は,本件通信表所見欄に鮫の稚魚を「握り締める」と記載したところ,本件小学校校長らは,優しい表現にしたほうがよいとの理由で(証人E24頁,25頁),これを「さわる,触れる」に修正するよう職務命令を発している(別紙の項番12)。

しかしながら,原告は,水族館における校外学習において,鮫の稚魚を握り締め,その手の中で稚魚が力強く身をもがく様子から,生命を感じ,感動したという児童の体験のありのままを保護者に伝えようと意図して上記記載をしたと認められる(甲21)ところ,これを「さわる,触れる」に修正すれば,その記載の意味が変わってしまうことは本件小学校校長自身も認めるところであり(証人E26頁),その結果,教師が児童の学習成果や生活の状況を保護者に伝えるという通信表の機能が減じられることになって,かえって子供の学習権を充足するという目的に逆行するものといえる(甲22)から,上記職務命令が合理的な手段,方法とはいえないことは明らかである。

その他,本件全証拠によっても,本件小学校校長らの表現のわかりやすさに関する職務命令が,子供の学習権を充足するという目的に照らして合理的な手段,方法であると認めるに足りない。

(ウ) さらに,上記(ア),(イ)以外の職務命令について見ると,原告は,本件通信表所見欄に「理解を深めたようです」と記載したところ,本件小学校校長及び教頭は理解を深めたかどうかを見極めることが教師の大切な仕事であることを理由として(乙4),これを「理解を深めました」と修正するよう職務命令を発している。

しかしながら,通信表所見欄に「理解を深めたようです」という記載がなされた場合に,保護者からその教師が児童を適切に見ているのかという疑問を抱かれるとは通常考え難く,これにより,教師が児童の学習成果や生活の状況を保護者に伝えるという通信表の機能が損なわれるとも考え難いから,子供の学習権を充足するという目的に照らして合理的な手段,方法であるとはいえない。

その他,本件全証拠によっても,上記(ア),(イ)以外の職務命令が,子供の学習権を充足するという目的に照らして合理的な手段,方法であると認めるに足りない。

エ これに対し,被告は,保護者の理解力を個別に調べることは困難であるから,通信表所見欄の記載にあたっては,常用漢字の使用にとどめることを命ずることも合理的であることや,本件小学校校長の職務命令はいずれも本件通信表所見欄の内容の実質的変更を生じさせるものではないことなどを理由に本件処分を適法と主張する。

しかしながら,上記ウ(ア)で説示とおり,常用漢字表にない漢字であっても日常的に使用されているものは少なからず存在しているのであるから,常用漢字表を絶対的な基準として,職務上,通信表の記載について,常用漢字表にある漢字のみを使用するよう義務付けることが合理的であるとは言い難い。また,上記ウ(イ)で説示したとおり,本件小学校校長らの職務命令によって,記載された意味内容が変わってしまうこともあったのであるから,職務命令によって本件通信表所見欄の内容の実質的変更を生じさせるものではないとの主張は採用できない。

オ 総括

以上の検討によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告が本件通信表所見欄の修正を命じた職務命令に違反したことを,本件処分を基礎付ける事由とすることはできないというべきである。

2  争点2(本件懲戒事由2に該当する事実の有無)について

(1)  原告は,本件小学校校長らの違法な職務命令に対し,A県教育委員会の窓口に問題を持ち込む以外に方法はなかったことから,本件通信表のコピーを県教組の書記長に交付したことは,民法上の緊急避難若しくは正当な権利行使であるとして,違法性が阻却されると主張する。

(2)  そこで検討するに,民法上の緊急避難(民法720条2項)は,他人の物より生じた急迫した危難を避けるために,その物を毀損した場合に違法性が阻却されるものであるところ,本件において,原告が本件通信表のコピーを県教組の書記長に交付したことによって侵害される利益は,違法な職務命令を発した本件小学校校長らの利益ではなく,児童がみだりに通信表の記載内容を他人に知られないという第三者の利益であると考えられるから,緊急避難は成立する余地がない。原告の主張は失当である。

(3)  また,正当な権利行使であるとの主張が,上記行為に正当防衛(民法720条1項本文)が成立するとの主張であると解したとしても,原告が本件通信表のコピーを実際に持ち込んだ県教組の事務局は,G市H区内に所在しているところ(原告本人25頁),A県教育委員会も同様にG市H区内に所在している(争いがない)のであるから,原告が,本件小学校校長らの違法な職務命令に対する対応に苦慮していたとしても,本件通信表を直接A県教育委員会の窓口に持ち込むことが十分に可能であったといえるのであって,原告が,あえて県教組の書記長に本件通信表のコピーを交付しなければならない緊急性,必要性は認められない。

加えて,原告は,本件通信表の記載部分の全てをコピーし,県教組の書記長に交付しているところ(原告が争うことを明らかにしない。),本件小学校校長らの違法な職務命令は,通信表所見欄の記載に関するものであって,氏名欄,成績評価欄など,所見欄以外の部分は無関係なのであるから,これら無関係な部分を含め,本件通信表の記載部分の全てをコピーし,それを県教組の書記長に交付したことは,違法な権利侵害に対する対抗手段として,必要な限度を超えた不相当なものであるといえる。

以上の事情を総合的に勘案すれば,原告が本件通信表のコピーを県教組の書記長に交付にした行為が,自己の権利を防衛するためやむを得ずにした行為であるとは評価できないから,正当防衛は成立しない。

(4)  これに対し,原告は,本件小学校においては,ほぼ全ての教師が同校校長の指示に屈服させられている状態であり,校内で議論することは不可能な状態であったことから県教組に援助を求める以外に方法がなかったことや,本件小学校校長らの職務命令は,修正指示部分だけではなく文脈全体を見なければ,その違法性及び不当性を判断できないものであることなどを理由として,違法性が阻却されると主張する。

しかしながら,原告はA県教育委員会の窓口に相談することを意図していたと主張しているところ,同委員会に直接相談するのではなく,あえて県教組に援助を求めた合理的な理由は示されていないから,上記主張は採用できない。また,文脈全体を見なければ違法性及び不当性を判断できなかったとしても,それは本件通信表所見欄に関してのことであって,氏名欄や成績評価欄までコピーし,それを県教組書記長に交付する必要性は認められないから,上記主張は採用できない。

その他,原告が縷々主張するところをもってしても,上記(3)における認定,判断を左右するに足りない。

(5)  以上の事情によれば,原告が,本件通信表のコピーを県教組の書記長に交付したことについて,違法性は阻却されないというべきである。

したがって,原告が,本件通信表のコピーを校外に持ち出したことは,守秘義務違反に当たるものとして,これを地方公務員法29条1項1号及び2号に基づく懲戒処分の事由とすることができるというべきである。

3  上記1,2において検討したところによれば,本件処分を基礎付ける事実として,本件懲戒事由1に該当する事実のうち本件通信表の下書きを提出しなかったことを理由とする職務命令違反及び本件懲戒事由2に該当する事実(本件通信表のコピーを校外に持ち出したことを理由とする守秘義務違反)が認められるので,以下,これらの事実を前提として,本件処分の適法性について検討する。

公務員に対する懲戒処分の適否を審査するに当たっては,懲戒事由に該当すると認められる行為の原因,動機,性質,態様,結果など諸般の事情に照らして,上記処分が社会観念上著しく妥当を欠き,懲戒権者の裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきと解される(最高裁判所昭和52年12月20日第三小法廷判決・民集31巻7号1101頁参照)。

このような見地から検討するに,本件通信表の下書きを提出しなかったことを理由とする職務命令違反の事実については,その違反の程度,態様と地方公務員法29条1項1号及び2号に基づく懲戒処分が原告に与える不利益を勘案すると,それのみでは本件処分を適法性を基礎付けるには足りないものといわざるを得ず,社会観念上著しく妥当を欠き,懲戒権者の裁量権の濫用にわたる可能性も否定できない。

そこで,本件通信表のコピーを校外に持ち出したことを理由とする守秘義務違反の事実と総合することにより,本件処分の適法性が基礎付けられる否かについて更に検討すると,本件通信表のコピーを県教組の書記長に委ねた原因の一つには,上記1で検討したとおり,本件小学校校長らの違法な職務命令があったというべきであるから,その原因ないし動機において情状酌量すべき余地が全くないわけではない。

しかしながら,本件通信表に記載された情報は,児童の氏名,性別,生年月日,成績,生活状況等の所見,保護者の氏名等であると考えられるところ,これらは一般にプライバシーとして保護する必要性が高いと考えられる上,特に成績や生活状況等の所見とりわけマイナス面に関わる評価については,当該児童及びその保護者において,他人に知られたくない情報であって,その情報が当該児童の教育に関わる教師以外の第三者に知られないことは,児童及びその保護者と,学校及び教師との信頼関係の基礎形成する上で極めて重要な意義を有し,これが,当該児童及びその保護者の意思によらず,教師の一存で第三者に開示されることが認められるとすれば,そうした信頼関係が損なわれるとともに,当該児童が必要以上に傷つき,その健全な成長発達を阻害されることにもつながり得るから,上記守秘義務違反の性質及び結果は重大であるといわざるを得ない。

そして,原告が,本件通信表のコピーを校外に持ち出したことが,職務上の守秘義務違反に当たり,懲戒処分の対象となることを認識していたこと(甲3(乙5)・6頁,7頁)からも明らかなように,本件処分は,原告にとっておよそ予期し得ないという性質のものではなかったといえる。

以上の事情に加え,地方公務員法29条1項1号及び2号に基づく懲戒処分の中では戒告が最も軽い処分であることを併せ考慮すれば,本件処分は,本件通信表の下書きを提出しなかったことを理由とする職務命令違反の事実と併せ,本件通信表のコピーを校外に持ち出したことを理由とする守秘義務違反の事実を基礎とする限りにおいて,社会観念上著しく妥当を欠き,懲戒権者の裁量権を濫用したとは認め難い。

したがって,本件処分は適法と認められるから,原告の請求のうち,本件処分の取消しを求める部分は理由がない。

4  争点3(本件処分についての国家賠償責任の成否)について

原告は,被告代表者教育長は本件事情聴取を通じて本件小学校校長らの職務命令に一見明白な違法があることを認識したのであるからC町教育委員会に対して本件小学校校長らに対する指導を適切に行うよう指導,助言を行うべきであったのに,これを怠ったことから,被告は国家賠償法1条1項に基づく責任を負うと主張する。

そこで検討するに,都道府県教育委員会は,県費負担教職員の任免その他の進退を適切に行うため,市町村教育委員会の行う県費負担教職員の服務の監督などについて,技術的な基準を設けることができるとされるにとどまり(地教行法43条),個々の教職員や特定の教育委員会に対する指示,指導等を行うべき立場にはない。また,教員の任免権が,都道府県教育委員会にあるとしても(地教行法37条,47条),そのことから当然に原告の主張するような都道府県教育委員会の義務が導かれるものではない。原告の主張は独自の解釈であって採用できない。

仮に,原告が主張する義務が発生する余地を認めたとしても,本件事情聴取は原告の懲戒手続の一環として行われたものであり,原告の言い分を聞くことを主たる目的としているのであるから,被告代表者教育長が,本件事情聴取において本件小学校校長の職務命令の問題性を認識したとしても,本件事情聴取の場において,本件小学校校長やC町教育委員会の言い分を聞かないまま,七ケ浜町教育委員会に対して助言,指導を行うべきであるとの作為義務を認めるのは相当でない。

そもそも,被告代表者が,C町教育委員会に対し,本件小学校校長らに対する指導を適切に行うよう指導,助言を行った場合において,それにより原告の被った損害を回避できた高度の蓋然性があったか否か(因果関係)については何ら主張,立証されていない。

したがって,原告の被告に対する損害賠償請求には理由がない。

第4結論

以上によれば,原告の主張はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用の上,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 本多哲哉 裁判官 佐藤雅浩)

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