仙台地方裁判所 平成21年(ワ)554号 判決 2012年7月19日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,3000万円及びこれに対する平成21年3月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要等
本件は,原告法定代理人親権者母であるA(以下「原告母」という。)が双生児を懐妊し,被告の開設する東北大学病院(以下「被告病院」という。)産婦人科において診療を受け,出産したところ,第1児である原告が重度の脳障害を負って出生したため,上記脳障害は,被告病院の担当医師であるB医師(以下「被告担当医師」という。)が原告の胎児心拍を確認して直ちに帝王切開により分娩し,あるいは,胎児心拍の監視を継続して異常を発見した際には直ちに帝王切開により分娩すべきであるのに,これらの義務を怠ったことによるものであるとして,原告が,被告に対し,診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償(損害額合計5991万3658円)の一部として,3000万円及びこれに対する訴状送達日の翌日である平成21年3月31日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提事実(争いがない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実―争いがない事実及び当事者が争うことを明らかにしない事実については特に根拠を明記しない。)
(1) 当事者
原告は,その法定代理人親権者父であるC(以下「原告父」という。)と原告母との間に生まれた双生児の第1児である。
被告は,被告病院を設置,管理する法人である。
(2) 原告の出生に関する経過
ア 原告の出生日(平成15年2月10日)以前の経過
原告母は,平成14年8月20日に被告病院産科外来を受診し,「一絨毛膜二羊膜性双胎(一卵性双生児のうち,各胎児が1つの胎盤を共有しつつ,個別の羊膜を有している状態。以下「MD双胎」という。後記第3の1(1)参照),妊娠12週」との診断を受け,平成15年1月6日,被告病院に管理入院し,同年2月10日に被告病院において帝王切開により分娩することとなった。
原告については,上記入院時から継続的に超音波検査(エコー)が実施され,同年1月9日の時点で徐脈(脈拍数が異常に減少する状態)が一時的に認められたものの,その後,心拍数モニタリングの結果が正常なパターンを示したため,被告病院において,エコーのほか,分娩監視装置によるノンストレステスト(NST。後記第3の1(3)参照)を毎日,状態に応じて原則として最低30分実施することにより経過を観察することとなった。なお,原告及び第2児ともに,その後の心拍数モニタリングの結果は同年2月9日まで基本的に正常なパターンを示していた。
イ 原告の出生日(平成15年2月10日)における経過(日付は省略)原告母については,午前8時54分から午前10時24分まで,分娩監視装置が装着されてNSTが実施された。
さらに,原告について,午前9時18分には胎児振動音刺激試験(VAST。後記第3の1(3)ウ参照)が実施されたが,反応がなかった。
原告母は,午後3時30分に手術室に入室し,帝王切開術により,午後4時11分には第1児として原告を出産し,午後4時12分には第2児を出産した。
原告は,出生時体重が2716g,アプガースコアが1分後2点(心拍のみ),5分後4点(心拍100以上,呼吸1点,皮膚色1点)であり,筋緊張が認められなかったため,新生児仮死と診断され,NICU(新生児集中治療管理室)に入院した。他方,第2児は,出生児体重が2944g,アプガースコアが1分後8点,5分後9点であり,特に異常は認められなかった。
ウ 出生後から現在に至るまでの経過(乙A2,証人A2頁,弁論の全趣旨)
原告については,平成15年2月11日以降,筋緊張の低下が持続したものの,同月14日に自発呼吸が出現し,同年5月6日には,被告病院のNICU(新生児集中治療管理室)から小児科へ転科し,同年6月24日には被告病院から国立成育医療センターへ転院した。同年12月26日時点では「重症新生児仮死後脳性麻痺,精神発達遅滞,胃食道逆流,胃瘻増設後,痙攣発作」と診断され,現在も四肢体幹障害,最重度の精神発達遅滞があり,視覚・聴力がないことから,身体障害者1級と認定されている。
2 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は,①被告担当医師には,平成15年2月10日午前9時18分の時点において,NST記録を確認の上,胎児ジストレスと診断して帝王切開により分娩させるべき注意義務に違反した過失があるか(争点1-1),また,仮に同時点で帝王切開により分娩させるべき注意義務がないとしても,被告担当医師には,同日午前10時25分以降も,胎児心拍の監視のため,NSTを継続し,かつ,異常時には直ちに帝王切開をすべき注意義務に違反した過失があるか(争点1-2),②争点1に係る各過失と原告の脳性麻痺との因果関係の有無(争点2),③損害発生の有無及びその数額(争点3)であり,これらの争点に関する当事者の主張は,後記第3において特に摘示するものを除き,別紙「争点整理表」記載のとおりである。
第3当裁判所の判断
1 本件と関連する医学的知見
後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の医学的知見が認められる。
(1) MD双胎の特色(乙B6・85頁ないし87頁,乙B7・679頁ないし681頁,証人B16頁,17頁)
MD双胎の場合,胎盤の血管吻合により双生児の間で不安定な血流移動が生じやすく,この血流移動により血圧の低下や虚血などを来し,いずれの児にも病変を引き起こす可能性があり,合併症として,血管吻合に伴う双胎間輸血症候群(TTTS。一方の双胎児から他方の双胎児へと血管吻合を通じて一方通行の血流移動が生じるもの)がある。
MD双胎では,脳性麻痺や長期的な神経学的障害の発症リスクが有意に高く,この点で予後が悪いとされている。周産期脳障害の発生頻度を見ても,単胎であれば0.1%ないし0.2%であるが,双胎では1%ないし2%とされている上,神経学的後遺症(脳性麻痺等)の発生頻度に関しては,双胎の中でもMD双胎では5.5%ないし16.4%とされ,二卵性双胎(1.7%ないし2.4%)に比較してもハイリスクであるとされている。
また,詳細不明の原因を契機に急激な多血・貧血を生じたり,もとに復帰したりを繰り返すこともあるため,MD双胎では分娩まで特に問題なく経過した場合であっても,長期予後が不良な症例が存在するとされている。
(2) 胎児健康状態の評価等(胎児ジストレス,胎児アシドーシス等)(甲B4・120頁,131頁,268頁,乙B14・29頁)
胎児健康状態の評価は,胎児心拍数モニタリング(以下「心拍数モニタリング」という。)をはじめとして,バイオフィジカル・プロファイル・スコアリング(BPS。後記(4)参照)や超音波ドプラ法(後記(6)参照)などの複数の検査結果から総合的に判断するとされている。
胎児が様々な病態から健康に問題がある状態を胎児機能不全といい,中でも,急速遂娩が必要と考えられる胎児の状態のことを胎児ジストレスという。胎児ジストレスの要因となる病態としては,胎児の低酸素症や胎児アシドーシス(高度又は長期の胎児低酸素状態)などが挙げられる。
(3) 心拍数モニタリングの意義,特色,評価等
ア 意義等(NST,CST)(甲B3・204頁ないし216頁,甲B4・119頁,268頁)
心拍数モニタリングとは,母体腹壁に分娩管理装置(陣痛計)を装着し,胎児の状態を評価する検査であり,ノンストレステスト(NST。胎児への子宮収縮による低酸素ストレスを人為的に加えない状態で心拍数をモニタリングするもの)とコントラクションストレステスト(CST。胎児への子宮収縮による低酸素ストレスを人為的に加えた状態で心拍数をモニタリングするもの)の2種類がある。
NSTは,妊娠中(子宮収縮がない時期)の胎児健康状態を評価する指標として,胎動などに伴う胎児心拍数陣痛図(CTG)を判読する方法によって胎児健康状態を判定する方法である。
イ NSTの特色と基線細変動の評価(甲B3・212頁,214頁,217頁,218頁,甲B4・268頁ないし272頁,甲B9・248頁,乙B1・114頁,乙B5・719頁,乙B13・178頁)
NSTは,心拍数モニタリングにより得られた胎児心拍数陣痛図(CTG)から,①胎児心拍数基線(胎児心拍数図上の一過性変動のない部分の10分間程度の平均的な心拍数のこと。以下「基線」という。)の高さ,②基線細変動(基線の細かい変動で,1分間に2サイクル以上見られる振幅・周波数ともに規則性のない変動のこと)の有無,③一過性変動の有無及び波形の3点を判読し,胎児の健康状態を評価するものである。
NSTの最も優れている特色は,①正常な基線,②基線細変動の正常,③一過性頻脈の存在,④一過性徐脈の不存在が全て認められる場合に胎児の状態がほぼ100%良好であると判断できる点にあるとされている。
また,NSTの結果についての判読の対象である基線細変動の減少・消失は,胎児アシドーシス(高度又は長期の胎児低酸素状態)の最も重要な指標とされており,特に,子宮収縮のない妊娠中の心拍数図では一過性徐脈の不存在が認められることが多いため,基線細変動の評価は一層重要となるとされている。
ウ NSTの限界とその他の胎児の状態の検査方法(VASTを含む。)
ただし,NSTの結果のうち,基線細変動の波形のパターンによって判定される胎児ジストレスであるとの診断は精度が低く,胎児ジストレスと診断されたもののうち50%については酸素化が正常である(すなわち胎児アシドーシスではない)ため,NSTによる心拍数モニタリングは,胎児アシドーシスの診断に関しては不正確な基準であると指摘されている。
そこで,NSTにより胎児健康状態が確認できない場合には,CST,胎児振動音刺激試験(VAST),BPS,超音波ドプラ等の胎児血流計測などを行い,更に胎児の状態を確認することが必要となる。
もっとも,このうちVASTは,胎児に音響刺激を与え,それに対する反応として一過性頻脈の有無を確認する手法であるが,その有用性は余り高く評価されていない。
エ NSTによる検査結果の判読方法(甲B3・204頁ないし215頁,甲B4・120頁ないし136頁,甲B6,証人B34頁,35頁,弁論の全趣旨)
NSTによる①基線,②基線細変動及び③一過性変動の有無及び波形の評価の方法は,以下のとおりである。①基線については,110bpm以上160bpm以下であれば正常脈とされ,110bpm未満が徐脈(脈拍数が異常に減少する状態),160bpm超が頻脈(脈拍数が異常に増加する状態)とされている。
②基線細変動については,正常な胎児であれば,6bpm以上の振幅が見られ,その振幅が5bpmの範囲内にある場合には基線細変動が減少していると判断される。また,振幅が肉眼的に認められない場合には基線細変動が消失していると判断される。なお,胎児心拍数陣痛図(CTG)上では,胎動等によりノイズが混入することがあり,この場合には,基線細変動を示すドット(線)がうまく印字されなかったり,途切れたりする。
③一過性変動は,①で見た基線の中に見られる一時的な変化を指すもので,このうち,心拍数が30秒未満の時間内に,15bpm以上の振幅で急速に増加し,ピークから15秒以上2分未満の時間内に元の基線の高さに戻るものを一過性頻脈という。他方,一時的に心拍数が減少した後,元の基線の高さに回復するものを一過性徐脈という。この一過性徐脈は,子宮収縮に関連して起こることが多いところ,一過性徐脈の最下点と子宮収縮の最強点の時期が一致するものを早発一過性徐脈といい,子宮収縮の最強点に遅れて一過性徐脈の最下点を示すものを遅発一過性徐脈という。
オ 判読結果の評価(甲B4・131頁,甲B6,7,甲B9・248頁,乙B12・24頁,乙B13・178頁)
基線細変動を減少させる因子としては,胎児アシドーシスのほか,胎児睡眠,胎児頻脈などが挙げられている。
NSTの結果,基線細変動が減少している場合,基線の高さが正常脈(110bpm以上160bpm以下)の範囲内であれば,亜正常波形と判断し,経過観察又は監視の強化・保存的処置(体位変換,酸素投与等)の施行といった処置を行うこととされる一方,基線の高さが頻脈(160bpm超)の範囲に属するのであれば,異常波形レベルⅠと判断して,監視の強化・保存的処置の施行又は急速遂娩(帝王切開)の準備を行うこととされている。また,基線細変動が減少している場合で,基線の高さが頻脈の範囲に属し,更に軽度遅発一過性徐脈が認められるのであれば,異常波形レベルⅡと判断して,保存的処置の施行若しくは急速遂娩の準備又は急速遂娩の実行を行うこととされている。他方,基線細変動の消失がある場合には直ちに異常波形レベルⅢと判断し,急速遂娩を実行することとされている。
(4) バイオフィジカル・プロファイル・スコアリング(BPS)と胎児呼吸様運動(甲B8,乙B13)
NSTの所見と,超音波断層法(超音波検査)による胎児呼吸様運動,筋緊張等の所見を組み合わせてスコアリングし,胎児の状態を把握する検査法である。ここにいう胎児呼吸様運動とは,胸腹壁と横隔膜の規則的な運動で,常に認められるのではなく間欠的で,観察時間の20%に認められる胎動の一つとされており,この運動の有無が胎児の健康度の一つの指標となるとされている。健康な胎児では,30秒以上持続する運動が30分間に1回以上認められた場合に正常な呼吸様運動があったと評価され,胎児アシドーシスの状態にある胎児では,この運動が減少するとされている。
(5) 臍帯血液ガス分析と脳障害の発症時期(甲B9・370頁ないし372頁,乙B1)
臍帯血液ガス分析は,分娩時の心拍数モニタリングやアプガースコアとともに分娩時の胎児の状態を評価する大事な所見の一つであり,出生時における児の状態,特に胎児アシドーシスの有無を知る上で,最も信頼のおける指標の一つと考えられている。胎児アシドーシスの診断に当たっては,心拍数モニタリングは正確な手段とはいえず間接的な判定手段であるため,臍帯血液ガス分析による血液のpH値の測定が必要であるとされている。この臍帯血液ガスのpH値については,現在,pH7.00未満が新生児予後に重篤な影響を及ぼす病的なアシドーシスを示す異常値であると考えられている。
新生児が神経学的障害を残した場合,臍帯血液ガスが正常値の範囲内であれば,分娩開始以前から既に脳障害が発症していたということになり,異常値を示したのであれば,分娩時仮死の結果として脳障害が発症したことになるとされている。このように,臍帯血液ガス分析は,児の低酸素状態の評価,更には原因究明にも有用とされている。
(6) 超音波ドプラによる胎児血流計測と前負荷指標(PLI)(甲B5・175頁,176頁,178頁,甲B11,甲B12,証人B19頁,28頁,29頁,45頁,弁論の全趣旨)超音波ドプラによる胎児血流の評価には,動脈系のものとして臍帯動脈や中大脳動脈の血流を計測するものが,静脈系のものとして臍帯静脈や下大静脈の血流を計測するものがある。
動脈系の血流計測では血圧のかかっている状態(収縮期)の血流速度と血圧がかかっていない状態(拡張期)の血流速度から導かれる血流波形を基に胎児の血流の状態が判断される。
また,静脈系の血流計測のうち胎児下大静脈の血流計測により得られるPLI(心房収縮期の逆流速度と心室収縮期の流入速度の比のこと)は,胎児の心機能の指標となり,酸素血症,双胎間輸血症候群(TTTS),胎児水腫などが進行した場合には,PLIが上昇する(0.5以上の値が異常値であるとされている。)。PLIの異常値が見られた場合,心負荷が高まっている可能性があるとの判断は可能であるが,これだけでは直ちに心不全であるとの判断はできないため,心拍数モニタリングや超音波検査等により心不全の兆候が出ているか否かを確認することとなる。
2 争点1(過失の有無)について
(1) 認定事実等
上記1の医学的知見を前提に,まず,争点1について検討するに,前記前提事実のほか,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実等が認められる。
ア 前負荷指標(PLI)の数値については,原告及び第2児ともに平成15年2月5日までは正常値で推移しており,同月6日時点で原告が0.73(異常値),第2児が0.49,同月7日時点で原告が0.42,第2児が0.84(異常値),同月10日時点で原告が0.59(異常値)であった(乙A1,弁論の全趣旨)。
イ 原告母に対しては,平成15年2月10日の午前8時54分から午前10時24分までNSTが実施されたところ,NSTデータ所見によれば,NST開始から終了までにおける原告の基線は160bpmないし180bpmの頻脈を示していた(甲A2)。
ウ 原告の基線細変動については,平成15年2月10日午前9時7分30秒から午前9時11分30秒までの間(甲A2・2頁)は,基線の振幅がほぼ見られず,ところどころ基線が途切れて印字されていない状態となっている(なお,原告のNSTデータには,上記時間帯以外の部分についても,ところどころに基線が途切れて印字されていない状態が認められる。)。
また,同日午前9時24分20秒から午前9時26分20秒までの間(甲A2・4頁)は基線細変動の減少が認められ,その他の時間帯についても,一定の振幅を有する基線細変動が記録され続けているものの,1か所を除いては,全体的に基線細変動の減少が認められる(以上につき,甲A2)。
エ 原告の心拍数モニタリングの結果上,平成15年2月10日午前8時54分から午前10時24分までの間,原告には一過性頻脈ないし一過性徐脈と見るべき所見はいずれも認められなかった。なお,被告病院は,同モニタリング実施中である同日午前9時18分に,原告母に対するVASTを実施したところ,第2児は反応を示したものの,原告については反応がなかった(以上につき,甲A2・証人B37頁,弁論の全趣旨)。
オ 原告について上記イのとおり頻脈が認められたことや上記エのとおりVASTに反応がなかったことから,被告病院は原告に対して超音波検査を実施した。その結果,原告には胎児呼吸様運動が認められた(乙A1・107頁,弁論の全趣旨)。
カ 平成15年2月10日時点における原告の臍帯動脈に関する超音波ドプラ検査の結果は,正常な波形を示していた(甲B5・175頁,乙A1・107頁)。
キ 平成15年2月10日における原告母の手術開始予定時刻は午後2時15分とされていたが,同じ手術室において先行していた手術が延長されたことを受けて,手術室入室時刻が午後3時30分となり,実際に手術が開始されたのは午後4時06分であった(前記前提事実(2)イ,乙A4ないし6,証人B11頁ないし14頁。なお,原告は,原告母の手術は同日の午前中に予定されており,その旨の説明を受けた旨主張するが,被告病院の麻酔・手術申込票,手術室予定表,手術部日誌(乙A4ないし6)の記載に照らせば,伝達ミス等の可能性は否定できないものの,被告病院において決定していた原告母の手術開始予定時刻は上記認定のとおりであると認められる。)。
(2) 争点1-1に係る過失(平成15年2月10日午前9時18分の時点において,胎児ジストレスと診断して,直ちに帝王切開すべき注意義務違反)の有無について
ア 上記(1)の認定事実を基に検討するに,原告については,同日午前8時54分から同日午前10時24分までの間,NSTの結果,継続的に頻脈及び基線細変動の減少が認められる(上記(1)イ,ウ)が,反面,明らかな基線細変動の消失というべき所見が認められず,一過性の頻脈ないし徐脈と見るべき所見も認められないところ,このような場合には,分娩管理に当たる医師において,異常波形レベルⅠと判断して,監視の強化・保存的処置の施行を行うか,又は急速遂娩(帝王切開)の準備を行うこととされており,直ちに急速遂娩をすることが義務付けられてはいない(前記1(3)オ)。
また,同日午前9時18分の時点において原告についてVASTに対する反応が見られなかったことが認められる(上記(1)エ)が,被告担当医師は,上記のような原告の基線細変動の状況等を踏まえて,同日午前10時24分までの間,NSTを継続しつつ,その間に超音波検査を実施するなどの監視の強化を行い,その結果,胎児健康状態を示す胎児呼吸様運動が確認されたこと(上記(1)オ)から,急速遂娩を実施しなかったものと見ることができる。
これらの諸点に加え,心拍数モニタリングが胎児の低酸素状態又は胎児アシドーシスの積極診断の方法としては精度が低く,不正確な基準であるとされているため,VASTや胎児呼吸様運動の確認等によるBPS等を実施して更に胎児の状態を確認するとされていること(前記1(3)ウ),このうちVASTについてはその有用性が余り高く評価されていないこと(同前)を考え併せると,同日午前9時18分の時点で被告担当医師が原告を胎児ジストレスと診断して直ちに帝王切開すべきであったということはできないので,争点1-1に係る過失は認められない。
イ 原告の主張に対する検討
(ア) これに対し,原告は,基線細変動の消失の有無に関して,少なくとも同日午前9時7分30秒から同日午前9時11分30秒までの4分間は基線細変動が消失している旨主張する。
確かに,NSTデータ上も上記4分間については基線細変動の振幅がほぼ見られない状態となっている(上記(1)ウ)が,被告担当医師は,同部分につき胎児である原告が動くなどしたためにデータがうまくとれていないものであって,判定不能であると述べており(証人B34頁),実際にも,同供述は,同部分についての基線がところどころ途切れて印字されていない状態となっていること(上記(1)ウ)や,他の時間帯におけるノイズと見られる部分も同様に基線が途切れて印字されていない状態であること(同前)とも整合するから,信用性を肯定できる。したがって,上記4分間のデータは,基線細変動の消失を示すものとは解し難いから,原告の上記主張は採用できない。
(イ) また,原告は,PLIの数値やVASTの結果等に関し,平成15年2月5日まで安定していた原告のPLIが,同月6日には0.73という異常値を示し,出生当日の同月10日にも0.59という異常値を示していたことから,原告には同日時点で心機能低下の可能性があり,これに基線細変動の減少やVASTへの無反応を併せ考慮すれば,原告については異常波形レベルⅡと判断して同日午前9時18分の時点で直ちに帝王切開すべきである旨主張する。
しかしながら,原告のNST検査結果は頻脈及び基線細変動の減少にとどまっており,遅発一過性徐脈も認められないので,異常波形レベルとしては,同レベルⅠにとどまるものであって,PLIの異常値が心負荷の高まりを示唆するとしても,異常波形レベルがCTGから判読される波形を基に判断されるものであることに照らせば,PLIの異常値が直ちに異常波形レベルの判断に影響するものということはできない。そして,PLIの異常値が直ちに心不全を示すものではないこと(前記1(6))も併せ考慮すると,PLIの異常値の存在をもって異常波形レベルⅡと判断することは相当とはいえず,本件全証拠によってもこのような判断を裏付ける医学的知見は認められない。
そして,前記認定のとおり,異常波形レベルⅠではその後の処置として監視の強化も選択肢の一つとされている(前記1(3)オ)ところ,被告担当医師もNST検査結果を踏まえた監視の強化として超音波検査を実施し,原告の胎児呼吸様運動を確認していること(上記(1)オ),原告の臍帯動脈に対する超音波ドプラ検査では正常な波形が認められていること(同カ)からすれば,同日午前9時18分の時点では帝王切開しないこととした被告担当医師の判断は医療水準に反するものとはいえないので,原告の上記主張も採用できない。
(ウ) なお,原告は,PLIが異常値を示している以上,超音波ドプラ検査の波形は正常なものではない旨主張するが,先に見たとおり,PLIは下大静脈についての血流計測の結果である一方,超音波ドプラ検査において確認された正常な波形は臍帯動脈に関するものであって(前記1(6)),下大静脈に関するPLIの異常値を理由に,臍帯動脈に関する超音波ドプラ検査の波形までもがその示した波形に反して異常であるということはできないから,この点に関する原告の主張も採用できない。
また,原告は,平成15年2月7日時点のPLI値につき,原告と第2児とを取り違えている旨主張するが,同主張を裏付けるに足りる事実及び証拠はない以上,原告の上記主張は採用できない(なお,以上に示したPLIの異常値に関する検討結果は,原告が取り違えを主張している同日の前後における原告のPLIの数値を踏まえたものである上,出生当日にも原告にはPLI値の異常値が認められていることを前提にしたものであるから,仮に原告の主張するように数値の取り違えがあったとしても,上記結論を左右するものとはいい難い。)。
その他,原告が縷々主張するところも上記結論を左右しない。
(3) 争点1-2に係る過失(平成15年2月10日午前10時25分以降,NSTを継続するとともに,異常が認められた場合には直ちに帝王切開すべき注意義務違反)の有無について
ア 上記(2)で見たとおり,原告については,同日午前8時54分から同日午前10時24分までの間,頻脈及び基線細変動の減少が認められている(上記(1)イ,ウ)ところ,この場合には異常波形レベルⅠとして監視の強化・保存的処置の施行又は急速遂娩の準備を行うこととされており(前記1(3)オ),NSTを終了した同日午前10時24分の時点でも原告の頻脈及び基線細変動の減少が解消されていなかった以上,同日午前10時24分の経過後も引き続き監視の強化を行うことが義務付けられるというべきである。
そして,NSTの継続中に超音波検査による胎児呼吸様運動が確認され,超音波ドプラにおいても正常な波形が認められたといった事情はある(上記(1)オ,カ)ものの,もともと本件がMD双胎というハイリスク分娩であること(前記前提事実(2)ア,前記1(1))に加え,PLIが異常値を示し,VASTでも原告からは反応が見られないなど胎児の状態不良を示唆する所見が少なからず存在していたこと(上記(1)ア,エ),原告母の帝王切開手術の開始予定時刻は同日午後2時15分であり(上記(1)キ),NST終了後から手術予定時刻までの時間が相当程度残存していたこと,その間に保存的処置の施行をしたと認めるに足りる証拠がないことからすると,被告担当医師としては,少なくとも同日午前10時25分の時点以降もNSTによる監視を継続すべき注意義務を負っていたというべきであるから,その限度において争点1-2に係る過失は認められる。
イ 被告の主張に対する検討
(ア) これに対し,被告は,MD双胎においては,心拍数モニタリングにおける頻脈や基線細変動の減少といった所見は,単胎の場合とは異なり,直ちに胎児の低酸素状態を示唆するものとはいえない旨主張するが,被告担当医師自身も,上記認定に係る心拍数モニタリング等の分娩管理やPLIに関する知見がMD双胎には当てはまらないというわけではないことを認めており(証人B39頁),MD双胎について前記1で認定した医学的知見が妥当しないと認めるに足りる証拠はないから,被告の上記主張は採用できない。
(イ) また,被告は,NST終了後も,超音波検査により胎児管理を継続し,平成15年2月10日午後3時50分,同日午後4時にも胎児心拍を聴取して正常範囲内であることを確認するなどしており,分娩開始までに急速遂娩すべき状況は認められなかったから,争点1-2に係る過失はない旨主張する。
確かに,本件では,NST終了時において頻脈及び基線細変動の減少等が見られるにとどまっており,その後のNST記録等がない本件の証拠関係の下では,分娩開始時までに直ちに帝王切開を実施すべき注意義務を認めることはできない。
しかしながら,胎児健康状態の評価に当たっては,第一次的にはNSTによる心拍数モニタリングを行い,そこで異常が見られた場合には超音波検査等を行って更に胎児の健康状態を確認することとされており(前記1(2),(3)),同日午前10時24分の時点においても原告に頻脈及び基線細変動の減少が見られたこと(上記(1)イ,ウ)からすれば,少なくとも監視強化が義務付けられる状態にあったといえる。
そして,本件がMD双胎というハイリスク分娩であること(前記1(1))に加え,NST終了後も,予定されていた分娩時刻である午後2時15分まで,なお4時間近くの時間があったこと(上記(1)キ)を併せ考慮すると,被告担当医師としては,超音波検査等にとどまらず,引き続きNSTを実施することにより原告の健康状態の評価を継続することが必要であったというべきである。
したがって,被告の上記主張のうち,NST継続に係る注意義務違反もないとする部分は採用できず,その他,被告が縷々主張するところも上記結論を左右するに足りない。
3 争点2(因果関係の有無)について
(1) そこで,上記2の検討結果を踏まえ,争点1-2に係る過失と原告の脳性麻痺との間に因果関係が認められるか否かについて更に検討するに,前記前提事実のほか,前記1の医学的知見並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 臍帯血液ガス分析については,分娩時の胎児の状態,特に,胎児アシドーシスの有無を知る上で,最も信頼のおける指標の一つと考えられており,胎児アシドーシスの診断に当たっては,心拍数モニタリングが不正確かつ間接的な判定手段であるため,臍帯血液ガス分析による血液のpH値の測定が必要であるとされている。この検査では,pH7.00未満が病的なアシドーシスを示す異常値とされている(以上につき,前記1(5))。
イ 新生児が神経学的障害を残した場合,臍帯血液ガスが正常値の範囲内であれば,分娩開始以前から既に脳障害が発症していたということになり,異常値を示したのであれば,分娩時仮死の結果として脳障害が発症したことになるとされている(同前)。
ウ 本件においては,原告の出生直後における臍帯血液ガス所見はpH7.34であり,他方で,第2児の所見はpH7.09であった(乙A1・22頁,24頁,弁論の全趣旨)。
(2) 上記(1)で認定した事実等を基に検討するに,本件患者については,出生直後における臍帯血液ガス分析の所見がpH7.34であり,病的なアシドーシスを示す異常値が認められない(上記(1)ア,ウ)ところ,このように脳性麻痺を患って出生した原告の臍帯血液ガスが正常値の範囲内であることからすれば,原告には,分娩開始以前から既に脳障害が発症していたと認められる(同イ)ので,争点1-2に係る過失と原告の脳性麻痺との間に因果関係(同過失がなければ原告に脳性麻痺が残らなかった高度の蓋然性)があるとは認められず,同過失がなければ原告に脳性麻痺が残らなかった相当程度の可能性があるとも認められない。
(3) これに対し,原告は,健康体で出生した第2児の臍帯血液ガス分析の結果がpH7.09であるのに対し,脳性麻痺で出生した原告の結果がpH7.34であるのは不自然であり,助産録上も第2児の分析結果は二重線で消されたまま訂正後の数字が記載されていないから,第2児と原告の臍帯血液ガス分析結果は取り違えて記載されたものである旨主張する。しかしながら,既に見たように,新生児が神経学的障害を残して出生した場合であっても,臍帯血液ガスが正常値の範囲内であることは医学的にも当然に想定されている(上記(1)イ)のであるから,原告に脳性麻痺が生じていることをもって,原告主張に係る分析結果の取り違えがあったと認めることはできない。加えて,助産録の記載についても,第2児の記載が二重線で消されたにすぎず,原告の分析結果については訂正等の痕跡が一切認められていないこと(乙A1・22頁,24頁)からすれば,分析結果の取り違えがあったとは認め難く,他に原告の主張を認めるに足りる事実及び証拠はない(仮に原告の主張を前提として,第2児の分析結果(pH7.09)が原告のものであると考えたとしても,病的なアシドーシスを示す異常値はpH7.00未満であるから,結局のところ,原告の脳性麻痺が分娩中に生じたものと認めることはできない。)。
他に原告が縷々主張するところも上記結論を左右しない。
4 また,原告は期待権侵害による損害賠償が認められるべき旨主張するので検討するに,被告病院における分娩管理については,NSTの継続に関する争点1-2に係る過失は認められるが,先に見たとおり,NSTが継続されていれば原告の脳性麻痺の発症を回避できた可能性の程度は,高度の蓋然性又は相当程度の可能性があると評価し得るものではなく,このような場合に,適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由として損害賠償責任を認めることはできないといわざるを得ない(最高裁平成23年2月25日第2小法廷判決・裁判集民事236号183頁参照)。
そうすると,原告及びその家族が置かれた現在の状況から見て,産科医療補償制度(平成21年1月1日施行)の適用対象外である本件について,原告が上記主張により救済を求める心情は理解することができるものの,法的に見て,原告の上記主張を採用することはできない。
第4結論
以上の検討によれば,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 小川理佳 裁判官 吉賀朝哉)