仙台地方裁判所 平成21年(ワ)716号 判決 2011年2月24日
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告らは,原告に対し,連帯して4421万8686円及びこれに対する平成20年5月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は,原告が,A市B区C所在のD球場(以下「本件球場」という。)の3塁側内野席でプロ野球の試合を観戦中,打者の打ったファールボールに直撃されたことにより右眼眼球破裂等の傷害を負ったことから,本件球場の所有者である被告E及び同球場を管理,運営していた被告Fが適切にファールボール等から観客を守るネット等の安全装置を設置する義務を怠ったことなどを理由として,被告Eに対しては国家賠償法2条1項に基づき,被告Fに対しては民法717条1項,同709条に基づき,連帯して損害賠償金及び不法行為の日を起算日とした遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提事実(争いのない事実,明らかに争わない事実については証拠番号を付さない。)
(1) 原告は,平成20年5月18日,本件球場内3塁側内野席のC-14列-5番の観客席に着席して,同日13時試合開始のGチーム対Hチーム戦(以下「本件試合」という。)を観戦していた。
(2) 原告は,本件試合の2回裏,Gチームの攻撃中,観客席を歩きながらビールを販売していた販売員を呼び止めてビール(紙コップ入り)を購入し,座席の前に装着されたコップホルダーにその紙コップを置いた後,顔を上げた瞬間に,右眼をファールボールに直撃された(以下「本件事故」という。)。
(3) 原告は,観客席から担架に乗せられ,本件球場内で出血を拭き取るなどの応急措置を受けた後,救急車でI病院に運ばれた。
原告は,同日,J病院に転院し,同病院にて眼球破裂,眼瞼裂傷と診断された(以下「本件傷害」という。)。
(4) 原告は,平成20年5月18日から同年6月4日までの18日間J病院に,同年10月15日から同月20日までの6日間K病院にそれぞれ入院し,その後も同21年3月23日まで,本件傷害の治療のため,K病院,L眼科診療所及びM眼科に通院したが,右眼の視力は回復せず,同日に症状固定とされた。
症状固定時における原告の右眼は,眼球が萎縮し,機能を失い縮小した状態(眼球癆)であり,その視力は0.03(矯正後)とされ,具体的には検査者の手の動きの方向が分かる程度の状態である。
(5) 被告Fは,原告に対し,平成20年5月18日から同21年2月24日までの間に,見舞金として,合計50万6561円を支払った。[乙A19ないし27]
3 争点
(1) 本件球場の3塁側内野席フェンスについて,「設置又は管理の瑕疵」(国家賠償法2条1項)及び「設置又は保存の瑕疵」(民法717条1項)があるといえるか(争点1)。
(2) 被告Fには,観客が安全に試合を観戦できるように施設を管理,運営する注意義務を怠ったことにつき,不法行為上の違法な過失があるといえるか(争点2)。
(3) 損害の発生及びその額(争点3)
(4) 過失相殺の可否(争点4)
4 争点に対する当事者の主張
(1) 争点1(本件球場の「瑕疵」の有無)
ア 原告の主張
本件球場が通常有すべき安全性を備えていると評価されるためには,本件球場の観客席の中で,どの席がどのくらいの確率でファールボールが飛んでくる可能性があるのか,ライナー性でスピードも出ていて観客が避けきれない可能性のあるファールボールがどのくらいの確率で飛んでくるのかなどという点を把握した上で,通常予想される危険を防止するのに必要かつ十分なネットフェンス等を設置する必要がある。
ところが,ファールボールは,直線的に飛んでくるものよりもスライスして曲がって飛んでくるもののほうが多いにもかかわらず,本件球場のバックネットや内野席フェンスの設置に際しては,スライスして曲がって飛んでくるファールボールについての計算,分析が全くなされておらず,バッターボックス付近から3塁側の観客席に直線的に飛んでくるファールボールにしか対応していない。
また,チケット裏面の注意文言の記載や,注意喚起を促す看板の設置,電光掲示板の画像放映,場内アナウンス及び警笛の鳴動などの各措置は,抽象的にファールボールが観客席に飛んでくる危険性を告げ,ボールの行方に注意を促す程度のものにすぎず,観客に具体的な危険を告知するものではないことに加え,そもそも,観客がアナウンスや警笛などを聞いてから回避行動に出ても間に合うような危険であればともかく,そうではない危険については,バックネットや内野席フェンス等の安全設備によって本来的に回避されなければならない。
したがって,チケット裏面の注意文言の記載や,注意喚起を促す看板,電光掲示板の画像放映,場内アナウンス及び警笛の鳴動などの各措置が講じられていることを加味しても,本件球場が通常有すべき安全性を備えているとはいえない。
これに対し,被告らは,本件球場における内野席フェンス等の高さについて,プロ野球で使用される他の球場と比較し,平均的な高さを有していることをもって通常有すべき安全性を備えていると主張するが,土地の工作物の「瑕疵」の有無は,当該施設それ自体が通常予想される危険の発生を防止するに足りる安全性を有しているか否かという観点から判断されるべきであるから,他の球場との比較は意味をなさない。
また,被告らは,バックネットや内野席フェンスで視界を遮られることなく臨場感を味わいたいという希望にも応える必要があるから現状でも問題はないといった趣旨の主張をするが,観客全員がそのような考えではないことは明らかであり,また,現在ではアクリル板などの素材を用いて視認性と安全性を両立させている球場もあるのであって,防球ネットやフェンスを設置することで直ちに視認性が低下するわけではないから,上記主張は失当である。
イ 被告らの主張
プロ野球の球場の設置に当たって,統一的ないし法的な意味での安全基準は存在しないところ,財団法人日本体育施設協会の「屋外体育施設の建設指針」においては,内野席フェンスの高さは3メートル程度が基準とされている。
また,本件球場が通常有すべき安全性を備えているか否かを判断するに当たっては,バックネットや内野席フェンスの構造等(ハード面)及び観客に対する注意喚起対策等(ソフト面)について,プロ野球の試合が開催されている主な他球場の状況と比較検討することが有益であるところ,本件球場においては,グランド面から内野席フェンスの上端部までの高さが約5メートルであり,これは他球場との比較においてほぼ平均的な高さであるといえ,さらに,本件球場においては,ファールボール等による事故防止対策として,チケット裏面の注意文言の記載や,注意喚起を促す看板の設置,電光掲示板の画像放映,場内アナウンス及び警笛の鳴動などの安全対策が講じられているところ,これは他球場と比較して手厚い方法といえる。
そもそも,プロ野球の興行が開催されている野球場を見ても,全観客席をネットで覆う構造にはなっていないところ,これは,観客が打球に注意を払いさえすれば,多くの座席においては危険を回避することができることに加え,バックネットや内野席フェンスで視界を遮られることなく臨場感を味わいたいという観客の希望にできる限り応える必要があるからである。
以上の事情を総合すれば,本件球場が,野球場として通常有すべき安全性を備えていることは明らかである。
(2) 争点2(被告球団の不法行為責任)
ア 原告の主張
被告Fは,本件事故のように,バックネットや内野席フェンスでは防ぎきれないファウルボールなどの飛球によって,観客が怪我をすることについて当然に予見することが可能であった。
そして,被告Fは,観客から観戦料を取っている試合の興行主として,観客の生命,身体の安全を確保すべき義務が課せられているから,その予見された危険を回避すべき注意義務があるというべきである。
しかるに,上記(1)ア(争点1における原告の主張)のとおり,本件球場は通常予想される危険を防止するに足りる安全設備を設置しておらず,また,チケット裏面の注意文言の記載や,注意喚起を促す看板の設置,電光掲示板の画像放映,場内アナウンス及び警笛の鳴動などの各措置は,バックネットや内野席フェンス等の安全設備を代替するものではない。
以上の事情を総合すれば,被告らは,上記の注意義務を履行したとはいえず,その義務違反の結果,原告に対して損害を発生させたといえるから,原告に生じた全ての損害について損害賠償責任を負う。
イ 被告Fの主張
ファールボールが観客に当たる危険性については,被告Fはもちろんのこと,自らチケットを入手して球場で試合を観戦する観客であれば誰もが予見すべきものである。
そうであれば,被告Fとしては,ファールボールが観客に当たる危険に対して適切な防止措置を講ずることによって,本件球場が通常備えるべき安全性を有しているといえれば,興行主としての注意義務を尽くしているというべきであって,そこから先の個別の危険については,観客が打球に対する通常の注意を払うことによって回避されることが本来的に予定されているというべきである。
しかるに,本件球場が,通常備えるべき安全性を有していることは,上記(1)イ(争点1における被告らの主張)のとおりであるから,被告Fが原告の主張する注意義務に違反したとはいえない。
(3) 争点3(損害の発生及びその額)
ア 原告の主張
(ア) 治療費
43万7482円
(イ) 通院交通費
3万8420円
(ウ) 休業損害
81万2141円
(エ) 傷害慰謝料
150万円
(オ) 後遺症逸失利益
3093万5825円
(カ) 後遺症慰謝料
690万円
なお,原告は,被告Fから40万5182円の支払を受けていることから,上記(ア)ないし(カ)の合計額から上記金員を控除した残額は,4021万8686円となる。
(キ) 弁護士費用
400万円
(ク) 損害金合計
4421万8686円
イ 被告らの主張
上記ア(イ)の通院交通費については認める。その余は否認ないし不知。
(4) 争点4(過失相殺の可否)
ア 被告らの主張
観客は,通常の注意を払うことによって個々の打球から自己の安全を確保すべきであり,また,実際にも,チケット裏面の注意文言の記載や,注意喚起を促す看板の設置,電光掲示板の画像放映,場内アナウンス及び警笛の鳴動などの各措置がなされていたにもかかわらず,原告は,打球から目を離した結果,本件事故に遭ったものである。
また,原告がボールを注視していれば,顔を下に向けて背中を丸め,頭部を低くする姿勢を取ることは可能かつ容易であったのであり,そのような回避行動を取れば,本件傷害の発生を防ぐことは可能であった。
さらに,試合競技続行中(イン・プレー中)にビールを購入したのはあくまでも原告自身の判断によるものであるから,ビールの購入が本件事故の原因になったとはいえない。
以上の事情を総合すれば,本件においては,仮に被告らに責任原因があったとしても,過失相殺がなされるべきである。
イ 原告の主張
チケットを購入して球場に訪れたのであれば,常識や一般的なマナーを守っている限り,どのように楽しむかはその観客の自由であるから,観客において,常にボールに注視し,目を離さない義務を負うことはない。そもそも,本件において,原告がボールから目を離したのは,本件球場において販売されているビールを購入したことが原因なのであるから,原告がボールから目を離したことを不利益に考慮すべきではない。
また,野球の素人であり,しかも,自らの座っている席について具体的な危険性を知らされていないことから安全性を考えてバックネットや内野席フェンスを設置しているであろうと誤信している観客が,瞬時に飛んできたライナー性のファールボールに対してとっさに回避行動を取ることはおよそ期待できない。
さらに,本件球場では,試合競技続行中(イン・プレー中)に原告の座席付近でビールが販売されていたところ,原告は,そのビールの販売が契機となってボールから一瞬目を離すことを余儀なくされたのであって,これは,被告Fが,自らの利益となる本件球場内での販売行為によって観客の注意を逸らさせることで,観客の生命,身体に対してより一層の危険を与えたものであるから,損害の公平の分担という損害賠償制度の趣旨に照らしても,過失相殺をすることは許されない。
以上の事情を総合すれば,本件においては,いかなる意味においても過失相殺をすることは許されないというべきである。
第3当裁判所の判断
1 争点1(本件球場の「瑕疵」の有無)について
(1) 原告は,被告Fに対して民法717条1項に基づき,被告Eに対して国家賠償法2条1項に基づき,それぞれ損害賠償を請求しているところ,民法717条1項にいう「瑕疵」と,国家賠償法2条1項にいう「瑕疵」は同義であると解される。
上記各規定における「瑕疵」とは,通常備えているべき安全性を欠くことをいい,「瑕疵」の有無は,当該施設の構造,用法,場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合的に勘案し,個別具体的に決せられるべきである。
(2) 本件において「瑕疵」の有無が問題とされているのは,プロ野球の試合がそのシーズンを通じて恒常的に行われることが予定された球場施設(以下「プロ野球の球場」ともいう。)であるから,そのような施設の一般的性質に照らして「瑕疵」の有無を考えることが必要である。
このような見地から検討するに,野球とは,1チーム9名からなる2チームが,所定のイニング(回)ごとに攻撃側,守備側に分かれて対戦する競技スポーツであり,攻撃側のバッターが,守備側のピッチャーが投げる硬式野球ボールをバットで打ち,規定のコースを走りホームベースに帰ることで得られる得点の多寡を競うものである。プロ野球は,こうした野球競技を専門的,職業的に行うプロ野球選手が所属するチームの間で一定数の試合を行って,その勝敗の成績を競い,観客が対価を支払い,球場で各試合を観戦することを基本として成立するものである。プロ野球の球場は,選手が属する複数のチームの間でプロ野球競技の試合を行い,観客がこれを観戦することを通常の用法とする場所及び施設であるということができる。
上記のようなプロ野球及びプロ野球の球場の性質に照らすと,ピッチャーはバッターの思い通りの打撃等をさせないことを目指して投球をするものであり,プロ野球の選手であってもバッターの打つ打球の方向や角度は予測困難であって,観客席にファールボールが入ることも予想できることであるから,球場の所有者や,管理占有してプロ野球の試合を興行する者は,観客席にファールボールが入ることについての危険をできる限り防止すべく,バックネットや内野席フェンスなど,一定の安全設備を設ける必要があることはもとより当然というべきである。
もっとも,プロ野球の球場において,どの程度の安全設備を設けることが求められるかという点については,更に検討する必要があるところ,先に判示したとおり,野球は,攻撃側のバッターが守備側のピッチャーが投げる硬式野球ボールをバットで打ち返すという競技スポーツであることから,実際に競技をしている選手はもちろんのこと,観客に対しても,本質的に一定の危険性を内在しているということができる。そして,プロ野球が日本国内において広く普及していることは公知の事実であって,ファールボールが観客席に入る危険のあることも,少なくともプロ野球の観戦に行くことを考える通常の判断能力を有する人にとって容易に認識し得る性質のものといえることにかんがみると,上記のような危険性を回避するためには,球場に設置された安全設備の存在を前提としつつ,観客の側にも相応の注意をすることが求められているというべきである。
また,プロ野球の観戦については,近時,選手に近い目線で野球観戦を楽しめるよう,内野席をグラウンドの最前線(ファウルゾーン)までせり出す形で観客席を設けている球場も複数見られ,それらの観客席が好評を博していること(乙A17,18)からすれば,臨場感もプロ野球の観戦にとっては無視することのできない本質的要素といえるであって,必要以上に過剰な安全施設を設けることは,プロ野球観戦の魅力を減殺させ,ひいてはプロ野球の発展を阻害する要因ともなりかねない。
以上の諸事情にかんがみると,プロ野球の球場の「瑕疵」の有無について判断するためには,プロ野球観戦に伴う危険から観客の安全を確保すべき要請と観客側にも求められる注意の程度,プロ野球の観戦にとって本質的要素である臨場感を確保するという要請等の諸要素の調和の見地から検討することが必要であり,このような見地からみて,プロ野球施設に設置された安全設備について,その構造,内容や安全対策を含めた設備の用法等に相応の合理性が認められる場合には,その通常の用法の範囲内で観客に対して危険な結果が実現したとしても,それは,球場の設置,管理者にとっては,不可抗力ないしは不可抗力に準ずるものというべきであって,プロ野球の球場として通常備えているべき安全性を欠くことに起因するものとは認められないというべきである。
(3) 以上の解釈を基に,本件で問題とされている本件球場3塁側内野席の安全設備について検討する。
ア まず,内野席フェンスの設置状況について見ると,その高さについては,建築基準法などの法令や,公認野球規則(プロ野球コミッショナー事務局内に設置された日本野球規則委員会が制定する野球の公式ルール)に具体的な定めが存在しない。
もっとも,日本国内における体育施設の充実とその効果的な運営を目的とする財団法人日本体育施設協会が定める「屋外体育施設の建設指針」(乙A15資料①,以下「建設指針」という。)には,球場における内野席フェンスの高さに関し,バックネットの延長上に外野席に向かって高さ3メートル程度の防球柵を設け,また,打球の速さなどを考えた処置を要するとの記載がある(なお上記資料は,平成7年8月25日発行の改訂第3版及び平成11年5月10日発行の平成11年改訂版であるが,これらの改訂の間に内野席フェンスの高さについての記載は何ら変更されておらず,また,本件全証拠によっても平成11年改訂版以降に,これらの記載が変更されたとは認められないから,本件球場設置時及び本件事故時においても,上記資料①と同様の記載があったというべきである。)。そうであれば,建設指針において記載されている3メートルという高さをもって,内野席フェンスにおいて要求される安全性の一応の目安とすることにも合理性があるといえる。
上記建設指針の記載に照らしてみると,本件球場における内野席フェンスの高さは,ダッグアウト及びカメラマン席がある部分については4.79メートル,それらよりも外野寄りの部分については4.29メートルであり(乙A1,乙A6-対称となっている1塁側内野席フェンスの外観,乙A15資料⑥),建設指針において記載された3メートルという数値を満たしている。
また,打者が打ったライナー性の打球の角度や,その打球が内野席フェンスに到達した時点における高さをシミュレーションした結果(乙A15資料⑥,2枚目)に照らせば,上記判示の4.29メートルないし4.79メートルという内野席フェンスの高さは,通常想定されるライナー性の打球を防ぐために十分な高さであるといえる。
さらに,球場のバックネットや内野席フェンスの高さについて法令等に具体的な定めがないこと自体,その安全性を高さの数値だけで評価することが困難であることを示す事情ともいい得ること(例えば,遊戯施設については建築基準法138条,同法施行令144条に安全性に関する具体的な規定が置かれている。)から,球場における内野席フェンスの安全性を検討するに当たっては,他のプロ野球の球場との比較検討をすることが,プロ野球の球場に求められている社会通念上の安全性を考える上で有用といえる。このような見地からみると,平成20年において,プロ野球の公式試合が開催された13球場の内野席フェンスの高さの平均(なお,内野席フェンスの高さが一定でない場合には,その平均値を計算の基礎とする。)が約4.59メートルであり(乙A12),これに対し,本件球場の内野席フェンスの高さは,4.29メートルないし4.79メートルであるから,他の球場との比較において平均的な高さを保っているということができ,この点からは,本件球場は,プロ野球の球場に求められている社会通念上の安全性を備えているということができる。
イ 次いで,本件球場において採られている安全対策について見ると,本件球場においては,以下の措置が講じられている(乙A13)。
(ア) チケットの裏面に「ファールボール等で負傷した場合,応急措置は致しますが,その後の責任は負いません。十分ご注意ください。」との注意文言が記載されている。
(イ) 内野席には1塁側と3塁側を合わせて合計約30枚,球場外の外周エリアには約20枚の「ファールボールにご注意ください」と記載された看板が設置されているほか,イニング間において「ファールボールにご注意ください」と記載されたプラカードを持った職員が観客席を巡回している。
(ウ) 試合開始約30分前にファールボールへの注意喚起を促す動画を電光掲示板で放映し,試合中においては,ファールボールが観客席に入った場合の全てにおいて,電光掲示板に「あぶないっ!ボールの行方には十分ご注意下さい。」との静止画像を示すとともに,注意喚起のアナウンスを実施している。
(エ) ファールボールが観客席に入る際には,警笛(ホイッピー)を鳴動させる。
上記(ア)ないし(エ)の対策の合理性について検討するに,試合競技続行中(イン・プレー)の状態では1つのボールしか使用されないのであるから,観客としては投球動作に入るごとにボールの行方に注意を向ければファールボールによる危険は回避し得るのが通常であり,また,観客は,上記(ア)ないし(エ)の対策によって,視覚及び聴覚によってファールボールの危険性を試合前及び試合中を通じて認識できるのであるから,上記(ア)ないし(エ)の対策は,本件球場における内野席フェンスによる安全対策を補うものとして有用で合理的な措置ということができる。
ウ さらに,上記(2)で判示したとおり,プロ野球においては観客にとっての臨場感を確保するという要請も考慮する必要があるところ,本件球場では,バックネットや内野席フェンスにおいて,できる限り細いフェンスやネットを使用していたにもかかわらず,本件球場が開設された平成17年の4月から7月までの間に,内野席を中心として1日数件程度,視線障害についての苦情があり,また,同年のシーズンオフの年間購入席の契約更新時においても,視線障害を理由とした解約が14件,購入席の移動が39件あるなど,ネガティブな反響があったこと(乙A16)からすれば,これ以上,観客の安全性の確保を目的として,内野席フェンスの高さを上げる等の措置を講じることは,かえってプロ野球観戦の本質的要素である臨場感を損なうことにもなりかねない。
エ 以上の検討を総合的に勘案すると,上記ア,イのとおり,本件球場において,内野席フェンスの構造,内容は,本件球場で採られている安全対策と相まって,観客の安全性を確保するために相応の合理性があるといえるから,本件球場における内野席フェンスは,プロ野球の球場として通常備えているべき安全性を備えているものと評価すべきである。
(4) 小括
以上によれば,本件球場について,「設置又は管理の瑕疵」(国家賠償法2条1項)及び「設置又は保存の瑕疵」(民法717条1項)が存在するとは認められない。
したがって,原告の被告Fに対する民法717条1項に基づく損害賠償請求及び被告Eに対する国家賠償法2条1項に基づく損害賠償請求は,いずれも理由がない。
2 争点2(被告球団の不法行為責任)
(1) プロ野球の試合の主催者は,観客との間で,観客から球場への入場料を徴収する一方,観客に対して安全に野球を観戦させることを内容とする契約を締結しているものであり(野球協約165条参照),このような契約の内容等に照らせば,プロ野球の試合の主催者は,観客に対し,試合中,ファールボール等の危険から観客を守るべき契約上の安全配慮義務を負っているものと解される。
もっとも,上記1(2),(3)で検討したとおり,試合の観戦に際しての臨場感はプロ野球観戦の本質的要素の1つであるというべきところ,上記の安全配慮義務の履行を過度に厳格に求めるならば,このような臨場感を損なうことにもなりかねないから,プロ野球の球場における観客に対する安全配慮義務は,プロ野球の球場として通常備えているべき安全性を備えた安全設備の設置及びその設備を前提とした安全対策によって観客の安全に相応の注意を払うべきことを内容とする義務であると解するのが相当である。
そして,不法行為責任と債務不履行責任が競合する場合には,不法行為上の注意義務の内容は,契約上の注意義務の内容と重なり合うものと解されるから,被告Fは,原告に対し,不法行為上も,上記安全配慮義務と同内容の注意義務を負っていたものと認められる。
(2) 被告Fが上記のような不法行為上の注意義務に違反したと認められるかについて検討するに,本件球場に設置された安全設備としての内野席フェンスの構造,内容及び同フェンスの存在を前提として被告Fが行っていた安全対策の内容(前記1(3)イ)にかんがみれば,被告Fは観客の安全に相応の注意を払うべき義務を履行していたものと認められるから,被告Fにおいて上記不法行為上の注意義務に違反したとは認められない。
したがって,原告の,被告Fに対する民法709条に基づく損害賠償請求は理由がない。
3 原告の主張についての検討
原告は,争点1及び2に関連して,以下のとおり主張していることから,その主張の当否につき検討する。
(1) 原告は,内野席フェンスの設置に当たっては,スライスしてくるファールボールを十分に考慮すべきであったとか,どの席がどの程度の確率でファールボールが飛んでくる可能性があるのかといった点を具体的に計算,分析して内野席フェンスの高さを決めるべきであったのに,被告Fはそのような計算,分析を全くしていないことから,本件球場3塁側内野席フェンスには「瑕疵」があり,また,被告球団は不法行為責任を負うと主張する。
しかしながら,仮に原告の上記主張に係る計算,分析がされていなかったとしても,その事実から直ちに現在設置されている内野席フェンスの高さや形状が通常備えるべき安全性を欠いていたと評価することはできず,また,原告の上記主張に係る分析,計算がされていれば,本件球場に設置されるフェンスの場所や高さや形状等を考える上で有用であったとしても,そのことにより本件事故の結果を回避することができたかは不明といわざるを得ない。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
(2) 原告は,内野席フェンスの高さを数センチメートルから10センチメートル上げ,また,バックネットの幅を数十センチメートル拡げて原告が着席していた位置を覆っていれば本件事故を防ぐことは容易であったことから,本件球場3塁側内野席フェンスには「瑕疵」があり,また,被告Fは不法行為責任を負うといった趣旨の主張をする。
しかしながら,仮に原告の上記主張に係る方策を採れば,本件事故の結果を回避できた可能性が認められるとしても,前記1で検討したところに照らせば,原告主張に係る方策を採ることが,プロ野球の球場が通常備えているべき安全性の内容を構成するとは認め難く,被告Fにおいてそのような方策により本件事故の結果を回避すべき義務があったとも認め難い。
(3) 原告は,被告Fが実施している安全対策は,抽象的にファールボールが観客席に飛んでくる危険性を告げる程度のものにすぎず,実際に,原告は自らが座った座席については,バックネットや内野席フェンスによって十分な安全対策が採られていると誤解していたのであるから,本件球場3塁側内野席フェンスには「瑕疵」があり,また,被告Fは不法行為責任を負うと主張する。
確かに,原告が座っていた座席からバッターボックス方向を見ると,視界には内野席フェンスやバックネットが入る(乙A6)が,プロ野球の試合において,バッターの打球はその性質上方向や角度を常に予測し得るものではなく,観客席にいた原告の視界にバックネットや内野席フェンスが入っていたとしても,バックネットを超えるようなフライ性の打球やスライスしてくる打球など,ファールボールが観客席に飛び込む可能性が否定されるものではないから,ファールボールが飛んでこないと誤解していた旨の原告の主張は採用できず,その主張する事情が本件球場の「瑕疵」又は被告Fの不法行為上の過失を基礎付けるものということもできない。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
なお,原告は,チケットの裏面の注意文言について消費者契約法8条1項1号にいう不当条項に該当するなどと主張するが,本件において,被告Fは,上記注意文言の法的効果としての免責を主張していないから,原告の上記主張は失当である。
(4) 原告は,原告の座っていた座席の近くで販売されていたビールの購入が契機となって,ボールから目を離すことを余儀なくされたことから,本件球場3塁側内野席フェンスには「瑕疵」があり,また,被告Fは不法行為責任を負うと主張する。
しかしながら,ビールを購入するか否か,また,ビールをどのようなタイミングで購入するかという点は,観客の自由意思による選択に委ねられるべき性質のものであり,プレー中にビールを購入して飲もうとする観客の側にも,プレーの状況やボールの行方に注意を払うことが求められてしかるべきであるといえるから,原告の主張するように,ビールの購入が本件事故の契機になったとしても,ビールの購入について,原告の自由な意思による選択が妨げられるなどの事情が認められない本件においては,本件事故の結果は上記タイミングでビールを購入した原告の自己責任の範囲に属する問題であるというべきであるから,原告の上記主張は採用できない。
(5) その他,原告は縷々主張するが,いずれも上記1,2における認定を覆すには足りない。
第4結論
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は,いずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用の上,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 本多哲哉 裁判官 佐藤雅浩)