仙台地方裁判所 平成21年(行ウ)11号 判決 2010年7月22日
主文
1 原告の訴えを却下する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告の請求
被告が平成19年7月13日付けで原告に対してした退職金減額率を80パーセントと決定した処分を取り消す。
2 被告の本案前の答弁
原告の訴えを却下する。
3 被告の本案の答弁
原告の請求を棄却する。
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は,原告が,合資会社A(以下「訴外会社」という。)を退職したことを理由に,被告に対し,中小企業退職金共済法(以下「法」という。)による退職金共済制度に基づき,退職金の給付を請求したところ,被告が退職金の80パーセントを減額することとしてその旨を原告に通知したこと(以下,被告による退職金減額の判断及びその通知を「本件決定」という。)から,本件決定が社会通念上著しく妥当性を欠き裁量権を濫用した処分に当たると主張して本件決定の取消しを求めた事案である。
2 前提事実(争いがない事実並びに後掲の証拠等により容易に認められる事実)
(1) 原告は,昭和48年7月に訴外会社に入社し,平成17年5月14日に同社を退職するまで訴外会社の従業員として勤務していた。
被告は,法に基づき設立された独立行政法人であり,主たる業務として退職金共済制度の運営を行っている。
訴外会社は,法2条に定める中小企業者として,被告と退職金共済契約を締結した事業主である共済契約者であり,原告は,同契約により被告から退職金を受給すべきものとされた被共済者である。
(2) 原告は,平成17年7月15日,訴外会社から懲戒解雇する旨の意思表示を受けた。その理由は,要旨,原告が訴外会社と無関係の依頼者に対して私的に調律を行いその報酬を受領したことが,会社の売上金の着服に当たるということにある。[甲1,弁論の全趣旨]
原告は,同日,訴外会社を退職したことに伴い,被告に対し,退職金共済契約に基づき退職金請求書を提出した。[甲1]
(3) 訴外会社は,平成17年7月22日付けで,厚生労働大臣に対し,法10条5項に基づく被共済者として,退職金減額認定申請書を提出し,これに対し,厚生労働大臣は,平成18年6月29日付けで退職金を減額して支給することが相当である旨の回答をした。[甲1]
(4) 訴外会社は,平成18年7月5日付けで,被告に対し,原告の退職金減額割合を100分の80とする旨の申出を行った。[甲1]
(5) 被告は,法10条2項に定める退職金の額として,訴外会社が被告に納付した掛金の額を基に算出された535万6335円につき,その100分の80を減額した107万1267円を支給することを決定し,その旨を平成19年7月13日付け通知書により原告に通知し,同月14日,同通知書は原告に到達した。[甲1,甲2の1及び2,乙1]
(6) 原告は,平成19年7月15日付けで,労働保険審査会に対し,本件決定に対する不服審査の申立てを行ったが,同審査会は平成20年10月17日に上記不服審査の申立てを棄却する旨の裁決をし,原告は,同月19日,同裁決を受領した。[弁論の全趣旨-原告の主張に対し被告が明らかに争わない]
(7) 原告は,平成21年4月14日,本件決定は社会通念上著しく妥当性を欠き,裁量権を濫用した違法な処分に当たると主張し,本件決定の取消しを求める行政訴訟として本件訴訟を提起した。[顕著な事実]
3 関係法令の定め
本件に関係する法令の定めは別紙のとおりである(なお,同別紙記載の略語は,以下においても適宜使用する。別紙省略)。
4 争点及び争点に関する当事者の主張
(本案前の答弁について)
(1) 本件決定の「処分」性
ア 原告の主張
以下の事情によれば,本件決定は,行政事件訴訟法3条2項にいう「処分」に該当する。
(ア) 法84条1項は,被共済者による退職金減額率決定に対する審査請求を認めている。そして,本件決定は,既に行政不服審査法の対象事案として扱われているところ,「処分」性を有しない事案はそもそも行政不服審査法における審査請求の対象にならない。
(イ) 法84条4項の「直ちに訴を提起する」という文言が,取消訴訟の提起を示していることは明らかである。
(ウ) 賃金の後払い的性格を有する退職金の支払は,被共済者の生存に直結することから,退職金の減額認定基準は厳格に定められており,厚生労働大臣の認定等が必要とされている。
(エ) 被告は,原告に対して交付した書面(甲2)において,本件決定が取消訴訟の対象となり,「処分」性を有していることを認めていたにもかかわらず,本件訴訟の答弁書においては,本件決定が退職金共済契約に基づくものであるから「処分」性を有しないと主張しており,これらは明らかに一貫性を欠くものであって,信義則に反するものであるから許されない。
イ 被告の主張
以下の事情によれば,本件決定が,行政事件訴訟法3条2項にいう「処分」に該当するということはできない。
(ア) 被告は,共済契約者から掛金として受領した金員を運用し,補助金を付加した上で被共済者に対して退職金を給付するものであって,専ら事務取扱いをしているに過ぎないのであるから,公権力の行使主体ないし優越的地位にあるものとはいえない。
(イ) 退職金共済契約は,共済契約者たる中小企業者の申込みと被告の承諾によって成立する私法上の行為であって,雇用保険と異なり,共済契約者たる中小企業者が退職金共済契約を申し込むか否かは自由である。また,共済契約者たる中小企業者は,被共済者の同意があれば,被告の同意を得ることなく退職金共済契約から自由に離脱できる。
(ウ) 退職金共済契約が成立したことによって,共済契約者たる中小企業者に雇用されている従業員が当然に被共済者の地位を取得するわけではない。
(エ) 退職金共済契約の掛金は1か月あたり5000円以上3万円以下の範囲において共済契約者たる中小企業者が自由に定めることができる。また,上記の掛金に不払いがあったとしても,被告は解除権を行使できるに止まるのであって,強制徴収等の権限は付与されていない。
(オ) 支給される退職金の額は退職金共済契約の内容によって決まるものであって,被告の権限によって定まるものではない。
(カ) 被告は,退職した被共済者に対して支給すべき退職金の額を文書で通知しているところ,これは退職金共済契約の規定により算出された金額を通知するものであり,この通知によって被共済者の退職金請求権が発生するものではない。また,退職金支給の前提として,被告の何らかの処分や決定等は必要とされていない。
(キ) 法10条5項は退職金の減額支給を許容しているところ,これは退職金共済契約に係る契約条件の一つにすぎない。退職金を減額支給した場合とそうでない場合に退職金支給の法的性質が変わるとすることは相当でない。
(ク) 退職金の減額支給に関しては,厚生労働大臣の関与が認められているところ,これは公正さを担保することを目的としているのであって,これにより「処分」性が直ちに具備されるものではない。
(本案について)
(2) 本件決定の違法性
ア 原告の主張
以下の事情を考慮すれば,本件決定は,社会通念上著しく妥当性を欠き裁量権の濫用に当たる。
(ア) 原告は,長年にわたって訴外会社に貢献してきたのであって,その功労は多大なものである。
(イ) 原告が訴外会社の金銭を着服した事実はなく,仮にそうであったとしても訴外会社に損害を与えていないのであるから帰責事由は相当程度小さい。
(ウ) 原告が私的調律によって得た報酬は,本来原告が受領できるはずの退職金総額の約7パーセントにすぎず,原告の得た利益は極めて小さい。
(エ) 仮に,私的調律によって得た報酬が金銭着服に該当するとしても,その損害は5年間で36万5000円であり,極めて小さい。
(オ) 訴外会社は,原告と同様に私的調律を行っていた同僚については懲戒解雇や退職金減額の申し出をしていないのであって,原告に対してのみ差別的取扱いをしている。
イ 被告の主張
原告主張の事実はいずれも否認し,主張は争う。
第3当裁判所の判断
1 本案前の答弁に関する争点について
(1) 抗告訴訟の対象となる「処分」とは,公権力の主体である国又は公共団体の機関が行う行為のうち,その行為により直接に国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいう(最高裁昭和39年10月29日第一小法廷判決・民集18巻8号1809頁参照)。
そして,本件決定をした主体である被告は独立行政法人であるが,独立行政法人の行為であっても,それが法律によって認められた優越的な地位に基づき一方的に行われ,かつ,直接的に国民の権利義務に影響を及ぼすものである場合には「処分」に当たるものと解される。
そこで,本件決定が上記のような「処分」に当たるか否かについて検討するに,本件決定の根拠である法10条5項は,被共済者がその責に帰すべき事由により退職し,かつ共済契約者の申出があった場合において,厚生労働省令で定める基準に従い厚生労働大臣が相当であると認めた場合に,厚生労働省令で定めるところにより,退職金の額を減額して支給すること(以下,この減額支給の判断を「減額決定」という。)ができると定め,これを受けて,同法施行規則(以下「規則」という。)は,退職金減額の認定基準について具体的に規定する(規則18条1号ないし3号)と共に,退職金の減額について,共済契約者が申し出た額によって行うものとする旨規定し(規則19条1項),減額が被共済者にとって過酷であると認める場合には,その額を変更することができる旨規定している(同条3項)。
これらの規定によれば,被告は,共済契約者である事業主の申出に対し,法10条5項,規則18条1号ないし3号及び規則19条1項等の規定に基づき,退職金の減額決定あるいは退職金の減額の範囲の変更を行うことができ,その限度において,被共済者である従業員が被告から支給を受ける退職金の範囲に影響を及ぼすことは否定できない。
しかしながら,被共済者である従業員の被告に対する退職金請求権は,共済契約者たる中小企業者が被告との間で締結した退職金共済契約に基づき発生するものであり,この退職金共済契約は,中小企業者の申込みに対する被告の承諾によって成立する契約(法7条1項)である点で,私人間の契約と異ならない性質を有するものと解される。法も,このような性質を前提として,共済契約者たる中小企業者において,被共済者の同意を得れば,同契約を解除することができるとしているところであり(法8条),被共済者の被告に対する退職金請求権について,被告の一方的な権限の行使によって発生又は消滅するものとはしていない。
また,退職金の支給額についてみても,法は,原則として共済契約者たる中小企業者が被告に対して支払う掛金及びその掛金の納付月数に従って形式的に算定されるものとした(法10条2項)上,上記掛金について5000円から3万円の範囲内で共済契約者たる中小企業者が自由に決定できるとしていること(法4条)からも明らかなように,退職金の支給額の算定に当たっては,共済契約者であり,従業員との雇用契約の当事者でもある中小企業者の意思を不可欠の要素としている。
そもそも,法が中小企業者における従業員に対する退職金支給について退職金共済制度を設けた趣旨は,一般に独力では退職金制度を維持することが困難とみられる中小企業者について,その掛金を主たる原資とする共済制度の利用を可能にすることにより,掛金拠出に対する税法上の措置(拠出時に損金として計上することが認められる。)と相まって,中小企業における退職金制度の整備及び運用の促進を図ることにあると解される。
上記のような規定及び制度の趣旨に鑑みれば,退職金共済制度は,法の規定に基づくものではあるものの,中小企業者の従業員に対する退職金支給の前提となる雇用契約関係を基礎とし,その内容を補充するものとして中小企業者が被告との間で締結した退職金共済契約を中核とするものということができる。
これに対し,法は,退職金減額の認定基準について具体的に定めるとともに(法10条2項,規則18条1号ないし3号),退職金の減額決定に際しては減額を相当とする旨の厚生労働大臣の認定を必要としている(法10条5項)ところ,他方において,退職金共済契約につき,中小企業者において,その雇用する従業員の意に反して当該従業員を被共済者とする共済契約の申込みを行ってはならず(法6条1項),被告及び共済契約者において,被共済者(従業員)の同意なくして契約を解除することができないと規定していること(法8条)に照らすと,上記減額決定に関する法の規定は,いずれも被共済者の意思とその退職金受給権の保護に配慮し,減額決定に至る過程において慎重を期したものと解されるから,前記退職金共済契約の契約としての性質に本質的な変更を加えるものとは解されない。
また,法は,退職金の減額について,共済契約者である中小企業者の申出により,その申し出た額によって行うものと規定するとともに(法10条5項,規則19条1項),退職金減額の認定基準を具体的に規定している(規則18条1号ないし3号)ところ,これらの規定により退職金の減額を行うこと自体が退職金共済契約の内容を構成するものと解することができるのであって,上記減額の認定基準についても,従業員との雇用契約上退職金の減額が認められてしかるべき退職事由を列挙したものとして,退職金共済契約の内容を構成するものとみることができる。
以上の検討によれば,被告による減額決定は,法の規定に基づくものではあるものの,それが法により認められる根拠は,共済契約の当事者である中小企業者が従業員との雇用契約関係において退職金共済制度により退職金の支給を行うこととして,被告との間で法の定めた内容による退職金共済契約を締結したことにあるというべきである。
したがって,法が,被告に対し,退職金共済契約の内容を超えて,一方的に,退職金の内容を形成又は確定する権限を認めたものと解することは相当でない。
なお付言するに,退職金減額決定の判断は,被共済者について規則18条1号ないし3号に規定する減額事由の有無及び程度に関して個別の事情を基に行われるものであり,その判断について大量かつ画一的処理の要請が大きいとは言い難いことに加え,法が,被告に対し,減額事由の有無に関して調査権限等を付与しておらず,また,被共済者に対し,減額決定前における告知聴聞等によって手続に関与する機会を与えてもいないことに照らすと,手続的にみても,退職金の減額決定を,被共済者に対する関係で被告の優越的な地位に基づく一方的な「処分」と解するのは相当でない。
かえって,退職金の減額決定が「処分」に当たるとすれば,その決定に取消事由があったとしても,取消訴訟によらなければ効力を否定することができない通用力(公定力)が認められ,また,取消訴訟の出訴期間(行政事件訴訟法14条-原則として処分があったことを知った日から6箇月)に服することとなって,減額決定の内容や効力を争う被共済者の救済に欠ける場合も生じ得るところ,そのような効力を認めてまで共済契約者たる中小企業者と被共済者間の法律関係の安定を図ろうとすることが法の趣旨とは解されない。
(2) もっとも,法84条1項及び4項は,退職金共済契約上の権利義務に関する事項につき異議のある共済契約者又は被共済者は労働保険審査会に対して審査を申し立てることが可能である旨を規定するとともに,上記事項についてこれらの審査を経ることなく直ちに訴えを提起することも妨げないと規定しており,これらの規定から,立法政策上,退職金の減額決定に「処分」性が認められていると解することができるようにも考えられるところである。
しかしながら,立法政策上,ある行為につき,行政上の不服審査手続の対象となるものとして「処分」性が肯定される場合には,法令の規定中に当該行為について「処分」や「取消しの訴え」といった文言(地方自治法231条の3,土地改良法87条等参照)が用いられるのが通例であるところ,本法の規定には,そのような文言が用いられていないことからすれば, 法84条1項及び4項の規定にいう「訴え」は,民事訴訟を意味するものと解することが文理上可能である。
そして,先にみたとおり,退職金の減額決定について「処分」性を肯定した場合には,被共済者において出訴期間が制限される結果,民事訴訟の利用が一定程度制限されるところ,その制限を受けた場合に当該被共済者が受ける不利益は重大であることに加え,法が,労働保険審査会に対し,退職金共済契約を巡る紛争解決のために特段の調査権限を認めた規定を設けていないことに照らせば,法84条1項及び4項の規定は,退職金共済契約上の権利義務に関する事項について,共済契約者又は被共済者に対し,司法手続だけでなく,行政不服審査手続である労働保険審査会における審査手続の利用を認めることにより,退職金共済契約上の権利義務を巡る問題の簡易迅速な解決に資することを企図したものと解される。そうであるとすれば,これらの規定は,退職金の減額決定を受けた被共済者に対し,民事訴訟の利用を制限する趣旨とは解し難く,むしろその利益の保護を図る見地から民事訴訟の提起の余地を認めたものと解するのが相当である。
したがって,法84条1項及び4項の規定から,退職金の減額決定について「処分」性を認めることはできず,他に上記減額決定の「処分」性を認めるに足りる法的根拠は見当たらない。
(3) なお,原告は,被告が原告に対して交付した書面(甲2)において本件決定が「処分」性を有し,取消訴訟の対象となることを認めていたにもかかわらず,本件訴訟において「処分」性を争っていることが,信義則に反するものであるから許されない旨主張するが,その主張に係る事実をもってしても行政訴訟として不適法な本件訴訟を適法とすることはできないから,原告の主張は失当といわざるを得ない(その主張にかかる事実については,後記2のとおり,訴訟費用の負担において考慮すべきである。)。
(4) 小括
以上に検討したところによれば,本件決定は,行政事件訴訟法3条2項にいう「処分」に該当するとは認められないから,本件訴訟は訴訟要件を欠くものといわざるを得ない。
2 結論
よって,その余の点について判断するまでもなく,本件訴えは,不適法であるから却下すべきである。
なお,甲第2号証及び弁論の全趣旨によれば,被告が原告に対し,本件訴訟を提起できるかのような誤った教示をし,その誤りを是正する措置を講じることのないまま本件訴訟が提起されるに至ったことが認められるところ,上記教示の誤りがなければ本件訴訟が行政訴訟として提起されることはなかったと考えられることに照らせば,訴訟費用についてはこれを全部被告に負担させるのが相当であるから,行政事件訴訟法7条及び民事訴訟法62条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 本多哲哉 裁判官 佐藤雅浩)