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仙台地方裁判所 平成22年(ワ)1314号 判決 2013年8月29日

主文

1  被告(反訴原告)らは,原告に対し,連帯して110万円及びこれに対する平成21年10月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の本訴請求及び被告(反訴原告)らの反訴請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,本訴反訴ともに,これを10分し,その7を被告(反訴原告)らの負担とし,その余を原告の負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  本訴請求

(1)  被告らは,原告に対し,連帯して1100万円及びこれに対する平成21年10月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  被告らは,原告に対し,被告Aを代表とする「原告の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)」のホームページにおける別紙1「記事目録」の1(1)及び(2)に記載した文言並びに同別紙の2中に「大学宛再告発文」として引用,記載した文言を削除せよ。

(3)  被告らは,前項のホームページに,別紙2「謝罪文目録」記載の謝罪文を同別紙記載の条件で掲載せよ。

2  反訴請求

原告(反訴被告)は,被告(反訴原告)らに対し,それぞれ622万0562円並びにうち72万0562円に対する平成22年6月25日から支払済みまで年5分の割合による金員及びうち550万円に対する同年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

1  本訴事件は,金属材料科学分野の研究者であって,国立大学法人E大学(以下「E大学」という。)の総長であった原告が,被告Aを代表者とする「原告の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)」のホームページ(以下「本件ホームページ」という。)上において,原告が過去に発表した金属材料科学分野に関する論文にねつ造ないしは改ざんがあるとしてE大学に対し原告を告発する旨の被告ら作成の文書が掲載された結果,原告の名誉が毀損されたと主張し,被告らに対し,不法行為に基づく損害賠償として,連帯して1100万円及びこれに対する不法行為日(上記文書が最初に本件ホームページ上に掲載された日)である平成21年10月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに,名誉回復処分(民法723条)として,本件ホームページ上における上記文書記載の記事の削除及び謝罪文の掲載を求める事案である。

反訴事件は,被告(反訴原告)らが,①原告による本訴提起が被告らからの研究不正疑惑の追及を阻止するために行われた不当提訴に当たるとともに,②本訴提起の理由等をマスコミに公表した原告の行為が被告らに対する名誉毀損に当たると主張し,原告(反訴被告)に対し,不法行為に基づく損害賠償として,それぞれ622万0562円(被告ら4名分合計2488万2248円)並びにうち72万0562円(①に基づくもの)に対する不法行為日(本訴提起日)である平成22年6月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金及びうち550万円(②に基づくもの)に対する不法行為日(マスコミに対する公表日)である同年7月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

2  前提事実(争いがない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実―争いがない事実及び当事者が争うことを明らかにしない事実については特に根拠を明記しない。)

(1)  当事者

ア 原告は,金属材料科学分野の研究者で,平成18年11月から平成24年3月までE大学の総長(学長)を務め,同年4月から平成25年3月まで同大学総長特別顧問の職にあった(甲29,弁論の全趣旨)。

イ 被告Aは,平成21年3月までE大学大学院経済学研究科教授であった経済学の研究者で,現在は同大学名誉教授である。被告Bは,同大学大学院経済学研究科の元教授で,現在は同大学名誉教授である。被告Cは,同大学大学院国際文化研究科非常勤講師(元教授)である。被告Dは,仙台弁護士会に所属する弁護士である。

(2)  原告による論文発表の経緯

ア 平成8年(1996年)における論文発表(甲2の1及び2,甲21,弁論の全趣旨)

原告は,平成8年2月,自らを筆頭著者として,F(現北京航空航天大学教授)とともに,「Fabrication of Bulk Glassy Zr55Al10Ni5Cu30  Alloy of 30mm in Diameter by a Suction Casting Method(吸引鋳造法による直径30mmのバルクガラス Zr55Al10Ni5Cu30合金の作製)」と題する論文(以下「96年論文」という。)を公益社団法人日本金属学会(以下「日本金属学会」という。)発行の欧文誌「Materials Transactions」(以下「本件欧文誌」という。)37巻2号に発表した。

この96年論文(ただし,後記(4)イの訂正前のもの)は,吸引鋳造法により,200gの合金インゴット(原料となる合金を鋳型に入れて固めた鋳塊)を溶融,冷却して,直径30mm,長さ50mmの円柱形状をしたジルコニウム基の Zr55Al10Ni5Cu30  バルク金属ガラス合金(原子数がジルコニウム55%,アルミニウム10%,ニッケル5%,銅30%の割合(以下「本件組成」という。)から成る金属ガラス合金。以下「本件金属ガラス」という。)を作製することができた旨を報告する Rapid Publication(特に速報する価値のある短い論文(4頁以内)で,新規性のある顕著な研究成果,技術開発に関する新知見,新アイディア,提案などのうち,未発表のものを発表するもの)である。

イ 平成19年(2007年)における論文発表(甲1の1及び2,甲21,原告本人8頁,弁論の全趣旨)

原告は,平成19年11月,G(E大学金属材料研究所の准教授であり,材料科学分野の研究者)を筆頭著者とし,H(ドイツのドレスデン所在のIFW研究所からの留学生),原告及びIを共同著者とする「Production of Zr55Cu30Ni5Al10  Glassy Alloy Rod of 30mm in Diameter by a Cap-Cast Technique(キャップ鋳造法による直径30mmの Zr55Cu30Ni5Al10ガラス合金棒の作製)」と題する論文(以下「07年論文」といい,96年論文と併せて「本件各論文」という。)を本件欧文誌48巻12号に発表した。

この07年論文は,傾角鋳造法を改良したキャップ鋳造法により,直径30mmの本件金属ガラスを作製することができた旨を報告するRapid Publicationである。

(3)  研究不正に関するガイドラインの定め(乙11,12)

ア 科学技術・学術審議会内の「研究活動の不正行為に関する特別委員会」作成のガイドライン

文部科学省に設置された科学技術・学術審議会の「研究活動の不正行為に関する特別委員会」は,文部科学省及び研究費を配分する文部科学省所管の独立行政法人の競争的資金を活用した研究活動における不正行為につき,平成18年8月8日付けで「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」(以下「文科省ガイドライン」という。)を定めた。文科省ガイドラインには,下記の内容が含まれている。

(ア) 不正行為とは,研究者倫理に背馳し,研究活動及び研究成果の発表において,その本質ないし本来の趣旨を歪め,研究者コミュニティの正常な科学的コミュニケーションを妨げる行為であり,具体的には,得られたデータや結果のねつ造,改ざん,及び,他者の研究成果等の盗用に加え,同じ研究成果の重複発表,論文著作者が適正に公表されない不適切なオーサーシップなどが代表例である。なお,科学的に適切な方法により正当に得られた研究成果が結果的に誤りであったとしても,それは不正行為には当たらない。

(イ) ねつ造とは,存在しないデータ,研究結果等を作成することをいう。

(ウ) 改ざんとは,研究資料・機器・過程を変更する操作を行い,データ,研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工することをいう。

(エ) 不正行為の疑惑への説明責任

① 調査委員会の調査において,被告発者が告発に係る疑惑を晴らそうとする場合には,自己の責任において,当該研究が科学的に適正な方法と手続に則って行われたこと,論文等もそれに基づいて適切な表現で書かれたものであることを,科学的根拠を示して説明しなければならない。そのために再実験等を必要とするときには,その機会が保障される。

② 上記①の被告発者の説明において,被告発者が生データや実験・観察ノート,実験試料・試薬等の不存在など,本来存在するべき基本的な要素の不足により証拠を示せない場合は不正行為とみなされる。ただし,被告発者が善良な管理者の注意義務を履行していたにもかかわらず,その責めによらない理由(災害など)により,上記の基本的な要素を十分に示すことができなくなった場合等,正当な理由があると認められる場合はこの限りではない。また,生データや実験・観察ノート,実験試料・試薬などの不存在が,各研究分野の特性に応じた合理的な保存期間や被告発者が所属する,又は告発等に係る研究を行っていたときに所属していた研究機関が定める保存期間を超えることによるものである場合についても同様とする。

③ 上記①の説明責任の程度及び上記②の本来存在するべき基本的要素については,研究分野の特性に応じ,告発等に係る調査を行う調査機関(被告発者所属の研究機関等)が設置する調査委員会の判断に委ねられる。

イ E大学研究推進審議会研究倫理専門委員会作成のガイドライン

E大学研究推進審議会研究倫理専門委員会は,E大学構成員に対し,研究活動における不正行為に関する相談,告発,調査手続等のガイドラインを示し,広くこれらの手続について周知することを目的として,平成19年3月1日付けで「研究活動における不正行為への対応ガイドライン」(以下「E大学ガイドライン」という。)を定めた。E大学ガイドラインには下記の内容が含まれている。

(ア) 本ガイドラインの対象とする不正行為は,発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等のねつ造と改ざん及び盗用である。ただし,意図しない誤謬や実証困難な仮説など,故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない(なお,ねつ造,改ざんの意義については,文科省ガイドラインと同一である。)。

(イ) 告発等の受付

① E大学に所属する研究者による研究活動の不正行為を発見したり不正行為が存在するという強い疑惑を抱いたりした者は,通報窓口に相談あるいは告発する。

② 相談は,書面,電話,ファックス,電子メール,面談等により,匿名によっても行うことができるが,告発については,不正とする科学的合理的理由が示されている証拠を添えて書面により行う。

(ウ) 告発等に対する調査体制・方法

① E大学が調査を行う事案については,部局長が,告発を受け付けた後速やかに,告発内容の合理性,調査可能性等について予備調査を行う。部局長は,しかるべき調査能力を有する者による予備調査委員会を設置する。

② 部局長は,予備調査の結果を研究担当理事に報告する。研究担当理事は,告発を受け付けた後,やむを得ない場合を除き,30日以内に本調査を行うか否かを決定しなければならない。

③ 研究担当理事は,本調査を行わないことを決定した場合,その旨を理由とともに告発者に通知する。この場合,部局長は,予備調査に係る資料等を保存し,資金配分機関や告発者の求めに応じ開示する。

④ 本調査は,指摘された研究に係る論文や実験・観察ノート,生データ等の各種資料の精査や,関係者のヒアリング,再実験の要請などにより行われる。この際,被告発者の弁明の聴取が行われなければならない。

(4)  本件各論文に対する告発に関する経緯等

ア 匿名の投書提出とこれに対するE大学の対応(乙14ないし16)

平成19年5月25日から同年12月17日までの間,原告が著者として関与している96年論文を含む4つの論文について研究不正の疑いがあるなどと記載された匿名の投書が,E大学関係者,文部科学省,報道関係者等に複数回送付されたため,E大学は,匿名投書に関する対応・調査委員会(委員長は同大学研究・国際交流担当理事のJ。以下「対応・調査委員会」という。)を立ち上げ,予備調査を実施した。その結果,E大学は,上記各投書の内容には合理的根拠がないため本調査を実施する必要はないとする対応・調査委員会の調査報告書を文部科学省に提出し,これを公表した。その後,対応・調査委員会は,平成20年1月31日,上記公表後のFによる記者会見や07年論文の内容なども踏まえ,上記各投書において指摘された4つの論文や07年論文についてそれぞれ再現性が認められるとする追加報告書を公表した。

イ 被告らの日本金属学会に対する告発の経緯(乙21,22,24,25,52の1及び2)

被告らは,平成21年7月9日,日本金属学会に対し,本件各論文を含む3つの論文につき,研究不正の疑いがあるとして原告及び上記3つの論文の他の執筆者(以下「原告ら」という。)を告発したが(告発内容については,後記ウのE大学に対する告発内容と同内容である。),同年8月17日,被告らの告発内容はいずれも科学的合理的理由があるものとは認められず,原著者に問い合わせをして回答を得れば解決できる範囲の内容であるとして,不受理とされた。これに対し,被告らは,不受理決定の撤回を求めて抗議したが,認められなかった。

なお,同学会は,上記回答において,関連事項として,96年論文を含む2つの論文に試料重量に関する曖昧さが見られるため,原著者である原告らに対し,適切な対応を採るよう要望した。これを受けて,原告及びFは,「Erratum(訂正)」を発表し,96年論文につき,作製した試料の長さを「50mm」から「約50mm」と,溶融した合金インゴットの重量を「200g」から「おおよそ200g」と,それぞれ訂正した。

ウ 被告らのE大学に対する告発(甲4,7,9,乙26,27)

(ア) 被告らは,平成21年10月9日,上記イの3つの論文について,看過できない学術的問題があり,論文の著者である原告らから他の研究者が十分納得できる科学的視点からの説明がなされない限り,データの改ざんやねつ造が疑われ,研究不正の問題があるとして,E大学に告発文(以下「大学宛告発文」という。)を提出した。

(イ) 大学宛告発文には,本件各論文について,以下のような記載が含まれている。

① 07年論文について

同論文で,キャップ鋳造法で作製された直径3.0cmの試料の断面であるとして掲載された写真(図4(b)の写真)について,明らかに4つの部分を組み合わせたものに見える旨の記載がされた上で,別紙1「記事目録」の1(1)記載の文言(以下「本件記事1」という。)が記載されている。本件記事1は,上記写真は,中心を定めることができないので,中心部分を削除するなどして編集した写真を使用している疑いがあるとした上で,「論文著者は,図4(b)のオリジナル(実物)を示し,図4(b)の画像が正確に切断面を再現した画像であることを証明する必要があります。論文の著者によってこの証明がなされない限り,この論文には捏造ないしは改竄があると断定せざるを得ません。」との文言で締めくくられている。

② 96年論文について

同論文で報告された方法により作成されたと報告されている大きさの金属ガラスを作製するためには,特殊なアーク溶解装置を使用することが必要であると考えられる旨の記載がされた上で,別紙1「記事目録」の1(2)記載の文言(以下「本件記事2」という。)が記載されている。本件記事2は,上記論文ではどのようなアーク溶解装置を用いたのか理解不可能であるとした上で,「この問題は,論文著者にしか説明できない問題です。もし著者から学術的に明解な説明がない限り,この論文には捏造ないしは改竄があると断定せざるを得ません。」との文言で締めくくられている。

(ウ) これを受けて,E大学は,研究活動における不正行為の告発等に係る対応委員会(委員長は東京理科大学長のKであり,8名の委員のうち委員長を含む5名が外部委員である。以下「本件対応委員会」という。)を設置し,原告らの見解を記載した書面等も参照した上で,同年11月19日,上記各論文に不正行為があったとする科学的合理的理由は認められないため,被告らの告発を不受理とする旨回答した。これに対し,被告らは,同月23日,上記回答に対する質問書を送付したが,本件対応委員会はこれに回答しなかった。

エ 被告らのE大学に対する再告発(甲5,乙28,29)

(ア) 被告らは,平成21年12月28日,上記ウの告発を不受理としたE大学の決定は,手続的にも実質的にも無効であるとして,上記告発に係る3つの論文の研究不正問題について改めて告発を行う旨の再告発文(以下「大学宛再告発文」といい,大学宛告発文と併せて「本件各告発文」という。)をE大学に提出した。この大学宛再告発文は,前回の大学宛告発文を添付した上で新たな補足説明を加えたものであり,「他の研究者が十分納得できる科学的視点からの説明がなされない限り,データの改竄や捏造が疑われる内容です。」という文言などの別紙「記事目録」の2記載の文言(以下,「本件記事3」といい,本件記事1及び本件記事2と併せて「本件各記事」という。)が含まれている。

(イ) 本件対応委員会は,平成22年1月19日,被告らに対し,上記再告発は前回の告発と同様のものであり,前回の告発について既に回答していることを理由に再告発を不受理とした旨を回答した。

(5)  被告らによる本件ホームページの開設と記載内容

ア 本件ホームページの開設(甲3,弁論の全趣旨)

被告Aを代表者とする「原告の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)」は,本件ホームページを開設し,「最新情報」として,継続的に本件各論文に係る上記(4)の各告発の経過等を含めた一連の経過を逐一掲載,公表し(最新情報として掲載された記事は新着のものから順に本件ホームページ上に連続して掲載されている。),平成21年7月13日には,被告らが日本金属学会に対して原告らを研究不正(ねつ造,改ざん)で告発した旨の記事を掲載し,その後も同年10月11日までの間,日本金属学会による告発不受理が暴挙ともいうべき不公正な対応であること,L(当時のE大学大学院工学研究科・応用物理学専攻教授で,現在は同大学名誉教授)が07年論文について投稿した原稿に記載された疑問点に対して,原告らが真摯に回答しているとは思えないことなどを記載した記事を掲載した。

イ 被告らによるE大学宛ての告発文の掲載(甲3,4)

被告らは,平成21年10月11日,本件ホームページ上に,被告らが同月9日付けでE大学に対し原告らを研究不正疑惑により告発したこと(上記(4)ウ参照)を記載した記事に添付して,大学宛告発文を掲載して公開した。なお,被告C及び被告Dは,本件ホームページの運営には関与していないと主張するが,その主張を前提としても,本件ホームページに掲載された記事の内容や弁論の全趣旨によれば,大学宛告発文を作成した被告ら全員が,明示又は黙示に承諾することなどにより,これを本件ホームページに掲載する行為を共同して行ったものと認められる。

ウ 被告らによるE大学宛ての再告発文の掲載(甲3,5,乙73,弁論の全趣旨)

被告らは,平成21年12月28日,本件ホームページ上に,被告らがE大学に対して同日付けで原告らを研究不正疑惑により再度告発したこと(上記(4)エ参照)を記載した記事に添付して,大学宛再告発文を掲載して公開した。本件各告発文は,現在まで本件ホームページ上に公開されている。

(6)  原告らによる本訴提起及びマスコミへの発表(乙1,顕著な事実)

原告は,Gとともに,平成22年6月25日,本訴を提起するとともに(なお,Gは後日本訴を取り下げた。),Gと連名で,原告らのコメントを要請した一部のマスコミに対し,下記の記載を含む同日付け「名誉毀損行為に対する提訴について」と題する書面を配布し,本訴を提起したことを発表した。

「今回,提訴に踏み切りましたのは,A氏らの行為が,ホームページ上に内容虚偽の告発文の掲載を続けるなどして,原告及びG両名が論文不正を行ったかの虚偽情報を不特定多数人に印象づけ,研究者たる原告及びGの社会的評価を著しく失墜させるものであると考えたことによります。

原告及びGは,これまで学術的な論争に対しては研究者コミュニティにおける科学的コミュニケーションをもって真摯に対応してまいりましたが,上記のとおり,学術論争の次元をはるかに逸脱したA氏らの執拗な行為は極めて問題であってもはや看過できるものではなく,断固たる姿勢で的確な措置を講じなければならないという判断に基づき,このたび,司法上の救済を求めるに至ったものであります。」

3  争点及び争点に関する当事者の主張

本件の争点は,①被告らの本件各記事の掲載行為による原告の社会的評価の低下の有無(争点1),②被告らの上記掲載行為についての目的の公益性の有無(争点2),③被告らが摘示した事実についての真実性の有無(争点3),④被告らが摘示した事実が真実であると認めるに足りない場合における,被告らが当該事実を真実であると信じたことについての相当の理由の有無(争点4),⑤原告の本訴提起及びマスコミに対する公表行為の不法行為該当性の有無(争点5),⑥本訴請求及び反訴請求に係る各損害等(争点6)であり,これらの争点に関する当事者の主張は,後記第3において特に摘示するもののほか,以下のとおりである。

(1)  争点1(被告らの本件各記事の掲載行為による原告の社会的評価の低下の有無)について

(原告の主張)

一般の読者の普通の注意と読み方を基準にすれば,本件各記事はいずれも「原告らの論文にねつ造ないし改ざんがあった」と主張するものと理解され,そのねつ造ないし改ざんの有無が,証拠等をもってその存否を決することが可能な,他人に関する特定の事項に該当することは明らかであるから,事実の摘示であって,論評ないし意見ではない。

説明責任や立証責任を負っていない者に,説明や証明がない限りねつ造ないし改ざんがあったと断定すると主張することは,何ら限定を付していないに等しい。また,単なる疑惑の摘示であっても,社会的評価は低下する。

被告らの疑問は何ら科学的合理性を有していないし,原告らは告発に対して合理的説明を行っているから,社会的評価の低下は被告らの責任に帰する。

(被告らの主張)

本件各記事は,いずれも原告らの論文に対する論評ないし意見,つまり評価であって,事実主張ではない。また,「原告らの説明ないし証明がなされない限り」という趣旨の限定を付けているから,ねつ造ないし改ざんがあると断定したわけでもない。

仮に,社会的評価が低下したとしても,それは原告らが学術的に当然の疑問に対して説明責任を果たさず,また,本件各告発等に対しても自ら説明をしなかったからである。

(2)  争点2(目的の公益性の有無)について

(被告らの主張)

被告らは,真実を明らかにして,研究不正があればその不正を暴き学問研究の阻害要因を排除し,研究不正がないのであれば,より正確な情報が提供されることによりバルク金属ガラスの研究の進展に貢献することを目的として,本件各告発等に踏み切ったのであって,目的の公益性があることは明らかである。

(原告の主張)

学内外の圧力に関する指摘は邪推に過ぎない。研究不正の告発ないし相談は研究機関に対して行えばよく,本件各記事を本件ホームページ上に掲載し,一般の閲覧者に対してねつ造,改ざんの事実摘示を行う必要は全くない。また,被告らは,研究機関によって研究不正がないとの判断がなされた後も本件各記事を掲載し続け,虚偽情報の事実摘示を継続している。

したがって,被告らが本件ホームページ上に本件各記事を掲載し続けている行為については,目的の公益性は認められない。

(3)  争点3(摘示された事実の真実性の有無)について

ア 真実性の証明の対象,判断の枠組みについて

(被告らの主張)

被告らが本件ホームページに本件各記事を掲載した行為は,原告らが研究者としての説明責任を果たさなければ研究不正に当たるという内容の意見・論評の表明であるから,被告らにおいて,被告らが原告らの論文に係る研究不正疑惑の根拠として指摘する事実が真実であり,かつ,それらの事実が研究不正を疑うに足りるだけの事実であることを証明すれば,被告らの行為は違法性を欠くというべきである。

そして,文科省ガイドラインでは論文著者に説明責任があるとされていること,本件ホームページの主たる読者層が研究者であること,被告らが科学的根拠を持った具体的な事実を指摘して研究不正疑惑を指摘していること,被告らの告発内容は原告らの説明ないし証明がなされない限り研究不正である趣旨の留保を付していることからすれば,一般の読者の普通の注意と読み方をもってしても,本件ホームページの記載から原告が研究不正をしていると断定的に読む余地はない。

以上によれば,本件における真実性の証明の対象事実は,①07年論文については,同論文の図4(b)は合成写真であり,かつ,円に中心がないからバルク金属ガラスの断面の全てが写っている写真とは判断できないという事実及びそのような事実から断面上の曇りなど金属ガラスの断面写真として都合の悪い部分を切り取って合成したのではないかという推論は合理的な疑問であるという事実であり,②96年論文については,アーク溶解装置で200g(実際には240g)もの大量のジルコニウム合金を溶融する方法について全く記載がないという事実及び実験室レベルのアーク溶解装置では鉄換算で200gもの大量の合金を溶融することは難しいと考えられているため,96年論文でアーク溶解法を用いて200gものジルコニウム合金を溶融できたことには疑問があるという事実であるというべきである。

(原告の主張)

被告らが原告らの論文について指摘するねつ造,改ざんの有無は,文科省ガイドラインにおけるねつ造・改ざんの意義や,被告ら自身が原告らに論文の記載内容の説明や証明を求めていることに鑑みると,証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項に該当するため,本件各記事は,事実の摘示であり,意見・論評の表明には当たらない。

そして,本件各記事は,「原告らによる説明ないし証明がなされない限り」という趣旨の留保を付してはいるものの,本件各論文につき「ねつ造ないし改ざんがあると断定せざるを得ません。」という極めて衝撃的な表現を用いているのであって,このような記事が,平成21年10月11日頃から現在に至るまで継続的に掲載され続けていることからすれば,一般の読者の普通の注意と読み方を基準とした場合には,被告らは,本件各記事により,本件各論文にねつ造,改ざんがあるという事実を断定的に摘示したものというべきであるから,本件における真実性の証明の対象は,本件各論文にねつ造,改ざんがあったという事実である。

これに対し,被告らは,上記ねつ造,改ざんの疑いがあったという事実を真実性の証明の対象として主張しているが,疑いの存在を摘示した場合であっても,一般の読者はその疑いの内容である事実が存在するものとして受け取るというべきであるから,被告らの主張は失当である。また,被告らは,文科省ガイドライン等を基に原告らの説明責任があることを指摘するが,同ガイドラインは研究者コミュニティの内部規律であるから,真実性の証明の対象事実の存否を判断するに際して考慮すべきではなく(特に,96年論文については,同ガイドラインの策定より10年以上前のものであり,遡及的に適用することは妥当でない。),仮に同ガイドラインを参考とするにしても,これに沿って被告らの告発を不受理とした日本金属学会及びE大学の判断は十分に尊重されるべきである。

イ 96年論文について

(被告らの主張)

(ア) 96年論文の吸引鋳造法により,直径30mmのバルク金属ガラスを作製することができることについては,再現がされておらず,実験担当者であるFも再現に失敗しているのであるから,上記鋳造法に再現可能性はなく,研究不正との評価を免れない。

(イ) 96年論文の再現性を認めている東京工業大学精密工学研究所のM准教授(当時)は,原告と極めて密接な関係にあるN教授の研究室出身者であり,その陳述の中立性には疑問がある。

(ウ) 作製した成果物の写真の掲載方法について

原告らは,96年論文において掲載したFig1の写真につき,英文上,「a bulk alloy」と単数形で記載し,同論文において一つのバルク金属ガラスを作製したと述べているにもかかわらず,その断面写真と外観(側面)写真とで異なる二つの試料を用いているところ,同論文における成果物の写真は,職人的手法でしか作製できない成果物を示すものであるから,同一の試料から断面写真と外観写真を撮影しなければ意味がないというべきであって,何らの説明なくこのような写真を用いたことからも研究不正が疑われる。

(エ) アーク溶解装置について

① 使用態様について

96年論文では「合金材料を完全に溶解した」と記載されているところ,これは母合金インゴットを一挙に溶解して完全な溶融状態にしたということを意味するものである。

② 同装置の性能について

96年論文の成果物を作製するためには,240g超の母合金インゴットを溶融して,完全な液体状態にした後,一挙に鋳型に流し込む必要がある(そうしないと原料を継ぎ足した境界付近に湯境(継ぎ足し前後の溶融金属が別々に固まることにより,同一の塊(バルク)ではなく,別々の塊を継ぎ足したようになった状態)が生成してしまうのを避けられない。)ところ,以下のとおり,その作製は不可能である。

ⅰ 冷却能力について

96年論文では240gの合金試料(体積は35.33cm3)が溶融されているところ,これが完全に溶融した状態で,ハース(炉床)に接触した場合には,182.6kWの熱量が銅を通じて冷却水に吸収されることになる。他方,水道水によって冷却されたハースが有する最大冷却能力は,毎分30lの水道水で冷却した場合でも,90kWの熱量分しかないため,合金試料の有する熱量(182.6kW)が大幅に上回る結果,銅製のハース自体が融点を超えて溶融してしまうので,受け皿として機能しなくなり,実験不能となるので,上記装置の冷却能力の観点からすれば,96年論文は実現不可能である。仮に,原告の主張するように,毎分60lの水量が確保できたとしても,最大冷却能力は180kWにとどまるので,いずれにしても,実験不能である(実際には,流体力学上の計算により,ハースが水に伝達できる熱量の上限は45.5kWとされているので,最大冷却能力は更に低くなる。)。

また,原告はハースの形状が平皿状ではなく,半球形状であると主張するが,この場合には,具体的な実験例によると1つの電極当たり直径0.8cmの半球形状をしたハースを用いることになるものと想定されるところ,アーク放電が直接当たる半球の頂上部分からハースの底まで約4cmの距離ができるため,平皿状のハースに比べ,均一な溶解ができないこととなるから,母合金を完全な溶融状態にすることは不可能となる。

そして,過冷却については,液体状態が乱れた場合には自然現象として一挙に結晶化が起こることが知られており,職人的な手法によって刺激を受けたり,溶融金属をハースから鋳型に落とす際の鋳型との接触による刺激を受けたりすれば,過冷却液体状態であった合金試料が結晶化すると考えられるので,原告の主張は失当である。

ⅱ 熱源の供給能力について

96年論文で使用されたアーク溶解装置の電源は,タングステン不活性ガス溶接(TIG)に利用される電源を流用していることが判明しているところ,この溶接機の電源能力は,6kW程度であるから,溶解対象となる合金試料の大きさは直径20mm程度にとどまり,240g(体積35.33cm3)の合金試料を溶融することは不可能である。なお,原告の主張するようにアーク溶解装置の電源能力が最大20kWであるとしても,実際の運用ではその6割の12kW程度までしか使用しないこととされており,この場合に1本のアーク溶解装置で溶融できる母合金は26gにとどまるから,2本の溶解装置を用いても,240gの合金試料を溶融することは不可能である。

(オ) 二重投稿等の問題について

原告は,当時,E大学総長という重要な役職に就いていたにもかかわらず,二重投稿を繰り返しており(特許公報にも虚偽記載がされている。),その態様も悪質なものである(論文の掲載が伝えられた直後に別の雑誌に投稿するなど)上,他にも研究不正を行っていることからすれば,原告のこのような研究姿勢からしても,96年論文には研究不正があると推認される。

(原告の主張)

(ア) 96年論文の内容は,原理的に同等とみなし得る方法(どちらもアーク溶解装置で溶解した合金を鋳型に流し込んで冷却するというもの)で実験を行った07年論文によって,科学的に再現されているところ,同論文の成果物が現存しており,同論文にねつ造,改ざんがない以上,96年論文にねつ造,改ざんはない。なお,07年論文の成果が再現可能であることは,対応・調査委員会の調査報告書及び追加報告書でも認められている。

(イ) M准教授が,原告の研究室に派遣されていた1996年当時,実際に96年論文の成果物を見ており,その際,直径30mmのバルク金属ガラスの切断断面サンプルを見て,再現は極めて困難と推測されるが,確率的に直径30mmのサンプル作製も不可能とは考えられない旨述べている上,07年論文により96年論文と同じ組成を有する直径30mmのバルク金属ガラスが作製されている以上,装置や鋳造法が異なるとしても,07年論文によって96年論文も再現可能であると考えられる旨述べている。

(ウ) 作製した成果物の写真の掲載方法について

原告らは,Fig1の写真を撮影するに当たり,成果物を二つ作製した上で,そのうち一つは切断して断面写真に利用し,もう一つは横から撮影して外観写真に利用したものであるところ,後記ウ(ア)と同様,学術論文における写真は補助資料にすぎず,日本金属学会の論文投稿に関するルール上も,写真の撮影や掲載に関する規定は特段設けられていないのであるから,96年論文における成果物の断面写真と外観写真を掲載する際に何らかの説明を加える必要はなく,被告らの主張する点は特段,研究不正を疑わせるものではない。

(エ) アーク溶解装置について

① 使用態様について

96年論文には,「合金材料を完全に溶解した」という記載はそもそも存在しない。母合金インゴットを完全な溶融状態にした上で鋳型に流し込んだことは確かだが,溶融状態にするに当たって,母合金を一挙に溶解したということではない。

② 同装置の性能について

96年論文における吸引鋳造法では,被告らが主張するように,一挙に合金を溶かして完全に溶融状態にする必要はない(論文にもそのような記載はない。)。同論文はそもそも「完全な」バルク金属ガラスを作製したとは記載しておらず,成果物の外表面及び断面の観察・測定結果から明確な結晶相が認められなかったと論じたにすぎない(なお,コールドスポットの生成が見られても,金属ガラスの作製可能性は否定されない。)。

ⅰ 冷却能力について

96年論文で使用した冷却水は,水道水のみからではなく,循環式クーラントも併用しているので,毎分60lであるから,最大冷却能力は被告ら主張のものよりも大きくなる。

また,ハースの形状は,平皿状ではなく,半球形状に近い椀型であるから,合金試料とハースとの接触面積は,球の表面積(52.27m㎡)の40%(約21m㎡)と推定されるので,実際に合金試料からハースを通じて冷却水に伝わる熱量は,被告ら主張の数値の半分以下となる。

そして,被告らは,合金試料が850℃で溶融していると仮定しているが,この合金試料は過冷却(凝固点が融点よりも低いため,融点より低い温度でも凝固しない状態)になりやすく,結晶化することなく比較的容易に350℃ないし400℃程度まで冷却されるため,500℃程度までであれば液体状態を保持することが可能であるから,実験不能とはならない(融点である850℃以下に温度が低下すると合金試料が結晶化するという被告らの主張は前提を欠く。)。被告らは,過冷却液体状態にあったとしても,実験による刺激で結晶化する旨主張するが,大きなガラス形成能を有する合金では,鉄などと比べても,過冷却液体状態の安定性が著しく高いために,少ない熱量で液体状態を維持できるのであるから,被告らの主張は失当である。

また,被告らは,ハースの形状に関して縷々主張するが,そもそも被告らが主張する半球の大きさ(直径0.8cm)によって行われた具体的な実験例の存在自体が一切証明されていないから,これを前提とする被告らの主張には,何らの合理性も認められない。

ⅱ 熱源の供給能力について

原告が使用したアーク溶解装置のアーク電極の電源は,500Aの電極が2本存在する合計1000Aの直流アーク電源であるから,その電源能力は最大20kW程度であり,実際に使用されたのはそのうちの1本分(10kW)の電力であるといえるので,被告らの指摘は失当である。被告らは,アーク溶解装置の電源能力につき,実際の運用ではその6割程度しか使用しないこととされていることや,1本のアーク溶解装置で溶融できる母合金が26gにとどまることなどを主張するが,いずれも何ら科学的根拠を有しない。

(オ) 二重投稿等の問題について

被告らが指摘する点は,いずれも96年論文に研究不正があるか否かという問題とは関連性がない。

ウ 07年論文について

(被告らの主張)

(ア) 合成写真(図4(b))について

以下の事実からすれば,原告が,07年論文において,何らの説明なく合成写真を用いたことは,研究不正に当たる。

① 07年論文は,成果物の底から10mmの位置の断面が単一のガラス相を形成していること(結晶粒子や空洞がないこと)を証明するものであるから,上記断面の写真は基本的要素に当たる。

② 上記①のような重要な点に関する断面写真について,合成写真を掲載する以上,合成の理由や中心点が定まらない理由を説明する必要がある。

③ 原告が後記(ア)③で指摘する他の著者の論文は,断面が単一相であることを示す目的ではなく,粒径サイズや異なる相間の粒界を把握するためのもので,合成前の各写真の断面が同一断面でなければならないという前提を欠くから,本件で断りなく合成写真を用いることを正当化するものではない。

④ 直径30mmの被写体については,本来,正円であるべき試料であるにもかかわらず,円の中心点を導き出すことができないので,合成写真は中心部分を欠落させたものとして,断面が単一相であることを証明するものではない。

⑤ 07年論文の半年前に原告が発表した論文では,直径30mm超の被写体(合金インゴット)を撮影しており,当時販売されていた実体顕微鏡の撮影視野の形状は正四角形であるから,07年論文発表時においても,成果物の断面を1枚の写真に撮影することは可能であった。

⑥ 07年論文は試料の断面が単一相であることを示すためのものであるから,対物レンズが写り込むような顕微鏡を用いるのは不適切である。

(イ) 07年論文が示した結論の内容について

原告は,07年論文の結論として,「臨界サイズ」という表現を用いているところ,この「臨界サイズ」とは,多くの学術論文によれば,このサイズより小さい場合には完全なバルク金属ガラスを作製することができることを意味するものであるから,原告が07年論文において臨界直径30mmと記載した以上,同論文は,原告が直径30mm,長さ約50mmの円柱状バルク金属ガラスを作製することができたことを内容とするものということになる(成果物である試料の種々の部分をサンプリングしてガラスであることを確認したことは,当然の前提であり,一断面のみを調べて全体をバルク金属ガラスであると論じることはできない。この点は,同論文の執筆者であるGも書面(乙63)で認めている。)。

なお,「fully」と「completely」は「完全な」という同義語であって,原告の主張は失当である。また,結晶性クラスターが存在するとしても,それは,ナノ結晶というよりも,むしろアモルファス構造の構成要素として捉えるべきであり,試料全体がバルク金属ガラスであることと矛盾しないので,原告指摘の論文は,原告の理解を正当化するものではない。

(原告の主張)

(ア) 合成写真(図4(b))について

以下の事実からすれば,原告が07年論文において用いた合成写真は,論文の基本的要素には当たらず,仮に当たるとしても,合成写真を用いたことには合理的理由があり,合成前の写真を示して説明しているので,研究不正には当たらない。

① 学術論文では,成果物に関するデータが重要であり,写真は補助資料にすぎず,基本的要素に当たらない。

② 日本金属学会の論文投稿に関するルール(「投稿の手引き」,「執筆要領」,「投稿規程」)上,写真使用時において,組合せ写真を用いることは禁止されておらず,何らかの説明を加える必要があるともされていない。

③ 他の著者の論文上も複数の写真を組み合わせた写真が断りなく用いられている。

④ 原告が論文で用いた合成写真につき中心点を導き出すことができないのは,元となった合成前の写真4枚を組み合わせ,この写真データを論文の原稿ファイルに貼り付ける過程において,設定上,縦横比を固定しておくことを失念したために8%弱の縦横比の差が生じ,不正確なものとなったにすぎないので,同写真に欠落部分はない。

⑤ このような合成写真を原告らが用いた理由は,当時使用の撮影機材の視野に試料全体が収まらなかったからにすぎず,中心部を隠匿する目的などを疑わせるものではない。07年論文の半年前に発表した論文の写真は,一般的な市販のデジタルカメラによる接写モードで撮影したものであり,実体顕微鏡を使用したものではない。したがって,上記写真の存在は,原告らの「2007年当時,直径30mmの金属ガラスの切断面を撮影する実体顕微鏡を保持していなかった」との主張が虚偽である可能性を何ら裏付けるものではない(なお,07年論文の成果物の断面写真を1枚の写真に撮影することができる実体顕微鏡を保持していたか否かについては,撮影者であるGしか知らないので,不知である。)。

⑥ 断面写真に黒い斑点があるのは,表面に対物レンズが写り込んだためである。

(イ) 07年論文が示した結論の内容について

臨界サイズというのは,「fully glassy(十分なガラス状態)」として鋳造され得る棒材の最大直径を意味するのであって,「completely glassy(完全なガラス状態)」として鋳造され得る棒材の最大直径を意味するものではないから,このサイズよりも小さい場合には完全なバルク金属ガラスを作製することができるという被告らの理解は誤っている。現に,米国物理学協会発行の雑誌に掲載された論文では,高分解能電子顕微鏡観察によりX線回折では検出できないようなナノ結晶が確認された場合でも,バルク金属ガラスを作製したと論じられており,試料全体の中に結晶が混在していてもバルク金属ガラスと論じることは何ら問題ない。また,M准教授も,バルク金属ガラスができたか否かの判断は,代表的な冷却面から最も遠い箇所に結晶が析出しているか否かによって行われるものであり,円柱状の試料の場合は,円柱の中央付近の断面(特にその中心付近)を評価すれば十分であるとしている。

なお,被告らが指摘するG作成の書面(乙63)は,07年論文の科学的な正確性の不十分さを自認するものではあるが,これを理由に同論文にねつ造,改ざんがあるということはできない。

(4)  争点4(事実を真実と信じたことについての相当の理由の有無)について

(被告らの主張)

争点3で主張したところからすれば,少なくとも被告らにおいて,原告による説明や証明がないために,原告の96年論文及び07年論文に研究不正があると信じたことは相当である。

07年論文については,Gが過失により縦横比を変えて断面写真を掲載していたものであるから,被告らにおいて,同写真の被写体については中心点が定まらないことを理由に,原告が写真の一部を削除して合成したという疑惑を持つことには理由がある。

これに対し,原告は,被告らによる告発前に,原告らが新たな機材で試料断面を撮影して公開したとして,相当性を欠く旨主張するが,仮に新たな機材による断面写真が公開されたとしても,その断面が07年論文で作られたものか否か,同論文の成果物と新たに公開された写真とでどこが符合するのかを検証することができず,実際にも,07年論文では,Gの過失により縦横比が変更された断面写真が掲載されていたために中心点を導き出すことができなかったのであるから,被告らにおいて,原告が新たに公開した写真と07年論文に掲載された断面写真との同一性を判断することができない以上,上記公開をもって相当性がないとはいえない。以上より,被告らにおいて,原告が07年論文につき研究不正をしたと信じた点については相当性がある。

(原告の主張)

争点3で主張した点に加え,原告が,被告らによる告発前に,新たな機材を使用して,試料断面を1回で撮影した写真(合成写真ではないもの)を改めて論文上で公開したにもかかわらず,引き続きホームページ上の本件各記事を掲載し続けたことからすれば,被告らにおいて,96年論文及び07年論文にねつ造,改ざんがあると信じたことについて相当の理由があるとは認められない。

(5)  争点5(原告の本訴提起及びマスコミに対する公表行為の不法行為該当性の有無)について

(被告らの主張)

ア 本訴提起行為について

原告による本訴提起は,被告らによる原告の研究不正に対する追及を防ぐためにされたものであって,学問,研究及び表現の自由の抑圧を狙った極めて不当違法なものである上,その主張に係る権利又は法律関係が事実的法律的根拠を欠くものであるところ,原告は,そのことを知りながらあえて訴訟提起をしたものであるから,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとして不法行為に当たるというべきである。

イ マスコミに対する公表行為について

原告は,本訴提起に伴い,マスコミに対して提訴理由を公表し,その結果,被告らが内容虚偽の告発文を本件ホームページに掲載して原告の名誉を毀損しているとの事実を公然と摘示したものであるから,被告らに対する名誉毀損として不法行為に当たるというべきである。

(原告の主張)

ア 本訴提起行為について

原告は,何ら研究不正を行っていないので,被告らによる研究不正の追及を防ぐために本訴提訴したものではない。原告が本訴を提起したのは,日本金属学会やE大学において被告らの告発に理由がないことが確定したにもかかわらず,被告らが研究不正(論文のねつ造,改ざん)に名を借りた不当な名誉毀損行為を繰り返していることを防止するためであって,被告らの行為は学問,研究及び表現の自由としての保護に値しないものであるから,原告の本訴提起は不法行為に当たらない。

イ マスコミに対する公表行為について

本訴の請求内容は極めて正当なものであることは,争点1ないし4において既に主張したとおりであり,マスコミに対して配布した文書は本訴提起に至った経緯を記載したものにすぎないから,何ら不法行為に当たらない。

(6)  争点6(損害等)について

ア 本訴関係

(原告の主張)

(ア) 損害額             合計1100万円

① 慰謝料              1000万円

② 弁護士費用             100万円

(イ) 名誉を回復するのに適当な処分(民法723条)

被告らの不法行為は,本件ホームページ上での名誉毀損行為であるから,全世界に向けて継続的に原告の名誉を侵害するものであり,被告ら掲載の本件各記事を削除するとともに,本件ホームページの冒頭部分において謝罪文を掲載することが必要不可欠である。

(被告らの主張)

否認ないし争う。

イ 反訴関係

(被告らの主張)

損害額(ただし被告1人当たり) 合計622万0562円

(ア) 本訴に係る弁護士費用        72万0562円

(イ) 慰謝料              500万0000円

(ウ) 反訴に係る弁護士費用        50万0000円

(原告の主張)

否認ないし争う。

第3当裁判所の判断

1  本件に関連する知見

証拠(甲1の1及び2,甲2の1及び2,甲19,乙2,4,61,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の知見が認められる。

(1)  バルク金属ガラス

金属ガラスとは,金属元素を主成分とする非結晶性の合金(アモルファス金属)のうち,ガラス転移(ガラス状態への変化)が明確に観察される合金である。

一般に,固体の状態には,原子が規則正しく配列した結晶構造を有する結晶と,そうした結晶構造を有さずに原子が不規則に配列されたアモルファス(非晶質,非結晶性ともいい,ガラスなどに見られる。)があるところ,アモルファス金属は,溶融した金属を結晶に変化しないように急速に冷却することにより作製されるアモルファス状態の金属をいう。

このように,溶融した金属を冷却する場合,一般には冷却速度が一定の速度を下回ると固体になる際に結晶が生じてしまうところ,冷却時において結晶を生じさせずに非結晶性の状態にすることができる限界の冷却速度を臨界冷却速度といい,その速度は合金の組成によって大きく異なるといわれており,本件組成の場合,一般的なガラスと同程度の速度で冷却しても結晶化せずにアモルファス状態を得ることができる。

安定したアモルファス金属の場合には,臨界冷却速度が比較的小さく,母合金の急冷によりアモルファス固体とした後,温度を上げると,結晶相が生じるより先に過冷却液体状態(凝固点より低い温度になっても固体化せずに液体の状態を保持した状態)を示すため,この過冷却液体状態を利用すれば当該金属をガラスのように自由に加工することができる。このように過冷却液体状態を示し,ガラスのような加工が可能なアモルファス金属を特に金属ガラスと呼ぶ(本件金属ガラスもこれに含まれる。)。金属ガラスについては,従来,技術上の問題から,薄膜状又は細線状のものしか作製することができなかったが,その後の技術革新により,金属ガラスのうち一定程度以上の厚みを有するものの作製が可能となり,このような金属ガラスを特にバルク金属ガラスという。

(2)  バルク金属ガラスの作製方法について

バルク金属ガラスは,目的とする大きさに必要な金属原料を溶融し,液体状態にした上で,液体状態になった金属原料を目的とする大きさの空間(穴)がある鋳型に流し込んで冷却,凝固させるという原理に基づいて作製される。この原理に従った作製方法等はおおむね以下のとおりである。

ア 金属の溶融方法

金属の溶融はアーク溶解法で行われることが多く,これは,アークと呼ばれる放電現象を利用して,アーク電極棒と対象物との間にアークを飛ばし,その熱でハース上の金属を溶融する方法であり,その装置をアーク溶解装置という。

イ 溶融した金属の冷却,凝固方法

アーク溶解装置により溶融した金属を冷却する方法としては,当初,円柱状の石英管の中に,アーク溶解装置で溶融した合金を入れ,その管を水中に入れることにより溶融合金を急冷する水焼入れ法が主流であったが,その後,改良が進み,以下のような方法が開発された。

(ア) 吸引鋳造法

吸引鋳造法とは,アーク溶解装置のハースの下に円柱状の冷却鋳型(穴)を設け,その鋳型をピストン(水冷ロッド)で完全に塞いだ状態とした上で,ハース上に合金インゴットを置き,アーク放電により同インゴットが溶融したら,ハースの底面の一部となっていたピストンを手動で急速に下方に引き抜くことにより,合金インゴットを鋳型に落とし込んだ上で急冷する方法であり,96年論文で採用された方法である。

(イ) キャップ鋳造法

アーク溶解装置のハースの湯口と横向きにした円柱状の冷却鋳型の鋳込口が接着するように接続して固定し,アーク溶解装置によりハース上の合金を溶融させたら,ハースを冷却鋳型が接続されている方向に傾け,鋳型内にハース上の溶融合金が流れ込む直前に別のアーク電極棒を用いて溶融合金を完全な溶融状態にした上で鋳型に流し込んで急冷するという方法(傾角鋳造法)を改良したもので,傾角鋳造法により鋳型に全ての溶融合金を流し込んだ後,鋳型の上から銅ポンチと呼ばれるキャップをして溶融合金を鋳型の上部から圧迫,冷却することにより急冷する方法であり,07年論文で採用された方法である。

ウ 作製された試料がバルク金属ガラスか否かの確認方法

代表的な方法としてDSC(Differential Scanning Calorimetry)測定(示差走査熱量測定)及びX線回折測定がある。

前者は,目的となる試料と基準物質(測定の温度範囲で熱的異常を示さない物質)を一定の温度上昇率で加熱し,両者の温度が等しくなるように加えた単位時間当たりの熱エネルギーの差から,試料が持つ各種の変化に伴う発熱や吸熱を検知する測定法であり,これによって得られるDSC曲線(示差走査熱量曲線)において,ガラス転移に伴う吸熱反応や,過冷却液体領域及び結晶化領域の発熱ピークが明瞭に見られるか等により当該試料が金属ガラスといえるかを判別することができる。

後者は,波長が一定のX線を物質に当てて,特定の角度において波が増幅されているか否かを観測することにより,原子の規則配列のパターンを割り出す方法であり,これにより,原子が規則的に配列された結晶であるか,不規則に配列されたアモルファスであるかを判別することができる。

2  争点1(本件各記事による原告の社会的評価の低下の有無)について

(1)  判断の枠組み

一般に,文書による特定の表現の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは,一般の読者の普通の注意と読み方を基準に判断すべきであるところ(最高裁昭和29年(オ)第634号同31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁),文書に記載されたある記事を読む一般の読者は,通常,当該記事のうち,名誉毀損の成否が問題となっている記載部分のみを取り出して読むわけではなく,記事全体及び記事の前後の文脈から当該記事の意味内容を認識ないし理解し,これに評価を加えたり感想を抱いたりするものであると考えられるから,ある記事が他人の社会的評価を低下させるものであるか否かを判断するに当たっては,名誉毀損の成否が問題とされている記載部分の内容のみから判断するのは相当ではなく,当該記載の記事全体における位置付けや,表現の方法ないし態様,前後の文脈等を総合して判断するのが相当である。

また,ある表現行為に関し,事実の摘示による名誉毀損と意見ないし論評による名誉毀損をどのように区別するかについては,当該表現が証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的又は黙示的に主張するものと理解されるときは,当該表現は,上記特定の事項についての事実を摘示するものと解するのが相当である(最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁)。

(2)  判断の枠組みに照らした検討

本件各記事は,本件ホームページ上にリンクが貼られた本件各告発文の一部であって,インターネットにアクセス可能な者全てが閲覧することのできる文書である(前記前提事実(5))から,本件各記事による名誉毀損の成否は,研究者に限定されない通常人の普通の注意と読み方を基準に判断すべきであるところ,本件各記事は,一般読者に対し,原告が著者である本件各論文にねつ造ないし改ざんがあるとの印象を与えることは明らかである。本件各記事には「原告らによる説明ないし証明がされない限り」という趣旨の留保が付されているものの,①本件各記事の内容と同内容の日本金属学会宛告発が科学的合理的理由があるものとは認められないとして,原告らによる説明や証明がされることなく不受理とされていること(同(4)イ),②その後に,被告らがE大学に対して日本金属学会宛告発と同内容の本件各告発文を提出するとともに本件ホームページ上にその内容(本件各記事)を掲載したこと(同ウ,エ,同(5)イ,ウ),③上記①から②までの間に,本件ホームページ上で,上記①の不受理が暴挙であり,L教授の疑問点に対して原告らが真摯に回答していないことなどの指摘がされていること(同ア),④上記①ないし③の経緯については本件ホームページ上に連続的に掲載されていること(同前)を踏まえると,本件各記事をその前後の文脈と併せ読めば,本件各記事は,実際には今後も「原告らによる説明ないし証明」がされる見込みがない状況下で掲載されているとの印象を一般読者に与えるものといえるから,上記の留保が付されていることは上記の結論を左右しない。

被告らは,本件各記事の内容が意見ないし論評の表明に当たる旨主張するが,本件各論文にねつ造ないし改ざんがあるか否かは証拠等をもってその存否を決することが可能であるから,被告らの上記主張は採用することができず,本件各記事は,事実を摘示して原告の社会的評価を低下させるものであるというべきである。

3  争点2(目的の公益性の有無)について

民事上の不法行為としての名誉毀損については,その行為が公共の利害に関する事実に係り,専ら公益を図る目的で行われた場合において,摘示された事実がその重要な部分について真実であると証明されたときは,当該行為は違法性を欠き,不法行為に当たらないと解される(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁)。一般に,当該行為が専ら公益を図る目的に出た場合に該当するというためには,事実摘示の表現方法や事実調査の程度等の事情を考慮の上,事実を摘示した主たる動機が公益を図ることにあればよいものと解するのが相当である(最高裁昭和60年(オ)第1274号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁参照)。

そこで検討するに,被告らが本件各記事において指摘する内容が,原告の個人的な事情を取り上げたものではなく,日本金属学会に提出された学術論文自体の問題性を指摘するものであること(前記前提事実(4)イないしエ,同(5)イ,ウ)に加え,被告らがインターネット上に本件各告発文等を掲載するに先立って日本金属学会に対する告発を行っていること(同(4)イ,同(5)アないしウ)などを踏まえると,被告らの主たる動機は原告が執筆に関与した本件各論文における研究不正の有無を明らかにする点にあると見るのが相当であるから,被告らによる本件各記事の掲載行為は,公益を図る目的で行われたものであるということができ,これに反する原告の主張は採用することができない。

4  争点3(真実性の有無)について

(1)  判断の枠組み

前記2,3で見たとおり,本件各記事は,被告らが,本件各論文につき,ねつ造,改ざんがあるという事実を摘示したものであるから,当該事実がその重要な部分について真実であることが証明された場合に限り,被告らによる本件各記事の掲載行為は違法性を欠くこととなる。そして,上記真実性の有無については,事実審の口頭弁論終結時において客観的な判断をすべきであり,名誉毀損行為の時点で存在しなかった証拠を考慮することも許されると解されるので(最高裁平成8年(オ)第576号同14年1月29日第三小法廷判決・裁判集民事205号233頁),以上の解釈を踏まえ,本件各論文について以下検討する。

(2)  96年論文について

96年論文(訂正後のもの)は,吸引鋳造法により,約200gの合金インゴットから直径30mm,長さ約50mmの本件金属ガラスを作製することができた旨を報告するものであり,作製された試料がバルク金属ガラスであることの根拠として,作製された試料の表面及び断面の様子や,断面中央部のX線回折結果,光学顕微鏡での観察結果等を挙げているところ(前記前提事実(2)ア,甲2の1及び2),被告らは,同論文にねつ造,改ざんがあることを疑わせる根拠として,①報告内容につき再現可能性がないこと,②作製された試料の写真の掲載の方法に問題があること,③上記報告に係る大きさの試料を実際に作製し得る性能を有するアーク溶解装置が存在しないこと,④原告が現在まで生データ等を示した説明や証明を行っていない上,本件各論文以外の論文についても二重投稿を繰り返すなど研究不正を行っていること等を挙げて主張するので,以下検討する。

ア 再現性の有無について

(ア) 被告らは,96年論文の吸引鋳造法により直径30mmのバルク金属ガラスを作製できることについては再現がされておらず,原告による実験の原理の説明も虚偽であって再現可能性もないなどと主張する。

そこで,文科省ガイドラインやE大学ガイドラインにおけるねつ造,改ざんの意義(前記前提事実(3)ア(イ),(ウ),同イ(ア))を踏まえて検討するに,ある論文に掲載された実験方法につき再現実験ができなかったとしても,それが直ちに存在しないデータ,研究結果等を作成したり研究資料等を変更する操作を行って実験結果等を真正でないものに加工したりしたことを示すものではないから,再現可能性がないことをもって直ちに本件各論文にねつ造,改ざんがあるということはできない。

(イ) これに対し,被告らは,原告による96年論文の吸引鋳造法の説明には虚偽があり,実際には吸引鋳造法によって本件金属ガラスを作製することはできない旨主張し,これに沿う証拠として,L教授,北見工業大学名誉教授のOらの意見を記載した陳述書を提出する。

しかし,96年論文の再現性については,原告のみならず,M准教授及びE大学の外部の専門家も構成員に含まれている対応・調査委員会も認めている上(甲16,18,乙14,原告本人50頁,51頁),同委員会のJ委員長も,同論文の手法(吸引鋳造法)はアーク電極棒により合金インゴットを溶融した上で,重力による落下を利用して鋳型に流し込んで急冷するという点で,07年論文の手法(キャップ鋳造法)と共通の原理に基づくものであると認めているのであるから(乙15),96年論文の再現性は専門家によって是認されているといえる(被告らは,甲第16号証,第18号証の作成者であるM准教授が原告と親しい教授の研究室出身者であるなどとしてその中立性に疑問がある旨主張するが,M准教授は具体的な論拠を示して96年論文に再現性がある旨供述しているのであって,被告ら指摘に係る一般的抽象的な関係のみからその供述の信用性を否定することはできない。)。そして,被告らの指摘を踏まえても,上記再現性の有無については見解が対立しているにとどまり,原告と被告らの主張内容のいずれが学術的に正当であるかについては学術論争において決着が図られるべきものであるから,少なくとも,被告らの主張やこれに沿うL,O両教授の意見のみをもって,96年論文の手法(吸引鋳造法)が再現性のない虚偽のものであるということはできない。

(ウ) また,被告らは,実験担当者であるF自身が再実験に失敗していることなどを指摘するが,文科省ガイドラインによっても,学会における調査において被告発者が告発に係る疑惑を晴らすために再実験等を必要とするときには,その機会が保障されるにとどまり,再実験に成功しなければ研究不正であるとみなされるわけではないから,被告らの上記主張は採用できない。

イ 作製した成果物の写真掲載方法について

被告らは,単数形で記載した成果物の写真の掲載に当たり,断面と側面とで別の試料を用いていることから,ねつ造,改ざんが疑われると主張する。

しかしながら,証拠(甲21,22)及び弁論の全趣旨によれば,日本金属学会における本件欧文誌の投稿規程上,論文に掲載する写真については,指定されたファイル形式の使用や,査読用ファイルと印刷用ファイルが同一のものであることの確認が要求されているにとどまり,原稿の執筆要領でも論文に掲載する図(写真を含む。)については,上記事項に加え,指定された大きさの図にすることや図説明を図の下に印字すること,コントラストがはっきりしており線・輪郭の鮮明なものを用いることなどが注意点として記載されているにとどまり,図説明においてどの程度の内容を説明すべきかについては明記されておらず,写真撮影の方法についても何ら定めがないことが認められる。

そして,96年論文が枚数制限のあるRapid Publicationであること(前記前提事実(2)ア)を併せ考慮すると,原告において,成果物たる試料の写真を掲載するに当たり,何らの説明なく断面と側面につき異なる試料を用いたとしても,それ自体が論文の投稿規程や執筆要領に違反したものということはできず,96年論文における写真の掲載方法が論文の実験結果を示すものとして不正確な面があることは否めないものの,このような事実から96年論文にねつ造,改ざんがあったということはできない(この点に関連して,被告らは,96年論文に掲載された成果物の写真が円柱状ではなく,きのこ状になっており,くぼんだ部分等も見られるとして,ねつ造,改ざんが疑われると主張するが,96年論文の成果物の外観に被告ら主張のような点があることは掲載された写真を見れば明らかであって,それが整った円柱の形状をしていなかったとしても,96年論文の学術論文としての質の高低を左右するにとどまり,ねつ造,改ざんの存在を示唆するものではないから,上記主張も採用することができない。)。

ウ アーク溶解装置について

(ア) 被告らは,96年論文が母合金インゴットを一挙に溶かして完全な溶融状態にしたと論じていることを前提に,同インゴットを一挙に溶融することは不可能であると主張する。

しかし,前記前提事実のほか,証拠(甲2の1及び2,乙52の1及び2)及び弁論の全趣旨によれば,96年論文(訂正後のもの)は,あらかじめ合金化したインゴット約200gをハース上で溶融した上で,鋳造直前にハース中央にセットされたピストンを高速で引き出し,同時にピストンの急速移動によって発生する吸引力を利用して溶融合金を銅鋳型に吸引したと論じるにとどまり,ハース上の合金インゴットを一挙に溶かして完全な溶融状態にした上で鋳型に流し込んだとは記載していないことが認められる。

このことに加え,実際にも,96年論文の手法(吸引鋳造法)では,E大学金属材料研究所2号館313号室設置の吸引鋳造装置(汎用金属ガラス鋳造試験装置)が用いられているところ(甲11,弁論の全趣旨),この手法は,ハース上で一定程度溶融させた合金インゴットを鋳型に流し込む際に,中空にある同インゴットを連続的に完全な溶融状態にして流し込んでいくというものであって,合金インゴット全てを一挙に完全な溶融状態にした上で鋳型に流し込むというものではない旨の説明を原告がしていること(前記1(2)イ(ア),原告本人50頁,51頁),07年論文においても同様に鋳型に鋳込む直前に合金インゴットを順次完全な溶融状態にして流し込む手法を採用して直径30mmのバルク金属ガラスの作製に成功していること(前記1(2)イ(イ),鑑定嘱託の結果,弁論の全趣旨)からすれば,被告らの指摘する点を踏まえても,96年論文にねつ造,改ざんがあったということはできない(被告らは,96年論文が吸引力を利用して溶融した合金インゴットを鋳型に落とし込むとしている以上,同インゴットを中空で完全な溶融状態にするという原告の説明は虚偽である旨主張しているが,この点についても,上記アと同様に,原告と被告らとの間で見解が対立しているにとどまり,被告らの主張やこれに沿うO教授らの意見を踏まえても,原告の上記説明が虚偽であると認めるに足りないから,被告らの上記主張も採用できない。)。

(イ) 被告らは,一挙に溶解しなければ原料となる母合金インゴットを継ぎ足した境界付近に湯境が生成してしまうのを避けられないなどと主張し,これに沿う証拠としてL教授の陳述書(乙65)等を提出するが,96年論文が成果物たる試料のある断面についてX線回折測定等を行ってバルク金属ガラスか否かを判断していることは先に認定したとおりであって,仮に他の断面に湯境が生成していたとしても,それは,後記(3)イと同様,一断面の検証結果からバルク金属ガラスを作製した旨論じてよいか否かという学術的な問題に帰着し,およそねつ造,改ざんを裏付けるものではないというべきである。)。

(ウ) また,被告らは,原告が他の論文(乙61)において2本のアーク電極棒を使用した場合に溶融することのできる合金は200g弱にとどまる旨論述していることからすれば,96年論文において溶融したと考えられる240gの金属を溶融することはできないと主張し,これに沿う証拠としてO教授の陳述書(乙103)等を提出する。

確かに,被告ら指摘に係る原告の論文(乙61)に掲載されている模式図(キャップ鋳造法に関するもの)では,2本のアーク電極棒をハース上の合金の溶融に用いているような形になっているが,キャップ鋳造法の溶融方法は傾角鋳造法と同じであるところ(前記1(2)イ(イ)),傾角鋳造法は,2本のアーク電極棒のうち1本をハース上での溶融に用い,もう1本を鋳型に鋳込む直前における溶融に用いるものであるから(乙4,原告本人28頁,29頁,38頁,39頁。なお,乙4は公開特許公報であり,そこに掲載されている図の方が乙61の模式図よりも正確なものであるといえる。),被告らが上記主張の前提としている上記模式図(乙61)に不正確な面があることは否定できないものの,原告の説明に虚偽があるということはできず,被告らの上記主張は採用することができない。

(エ) さらに,被告らは,96年論文のアーク溶解装置の冷却能力等についても縷々主張するが,被告らの主張は,96年論文に記載されていない実験の条件等について一定の仮説を立てた上で,実験不能であると論じるものであり,原告の主張,説明内容に照らせば,被告ら主張のとおりの条件等で実験がされたとは認め難いから,被告らの上記主張は前提を欠くものとして採用することができない。

この点に関し,被告らは,文科省ガイドラインが被告発者に説明責任を課していることを指摘した上で,96年論文が第三者による追試が可能となるように実験条件等を記載していない点などを問題としているが,そもそも同ガイドラインの定めから直ちに法的な説明義務が生じるとは解し難い上,同ガイドラインが説明責任の程度等は調査委員会において判断される事項であると定めていること(前記前提事実(3)ア(エ)),被告らの日本金属学会に対する告発が原告らに対して追加の説明,証明が求められないままに不受理とされたこと(同(4)イ)からすれば,被告らが指摘する点は学術的見地からしても説明責任の範囲外であると見るのが相当である。加えて,日本金属学会の投稿規程や執筆要領上,追試が可能な程度に実験条件等を記載しなければならないとする規定がないこと(甲21,22)を併せ考慮すると,被告ら主張に係る説明がなかったとしても,それが直ちにねつ造,改ざんの存在を示すものではないというべきである。

エ このほか,被告らは,原告が,現時点においても,被告らの指摘を踏まえて96年論文に係る生データ等を示した説明ないし証明を行っていないことなどをもねつ造,改ざんの疑いの根拠として主張するが,仮に被告ら指摘の点が説明責任の対象になり得るとしても,被告らの告発が96年論文の発表から13年経過した後に行われていること(前記前提事実(2)ア,同(4)イないしエ),日本金属学会の投稿規程上も実験データ等の保存期間が5年とされていること(甲22)等を考慮すると,原告らにおいてデータ等を示して説明ないし証明を行うことができない正当の理由があるということができるから,被告らの上記主張は採用できない。

また,被告らは,原告が平成5年(1993年)に執筆した論文の問題点や他の学術論文について二重投稿したことなどから96年論文に係るねつ造,改ざんが疑われる旨を主張するが,これらの点は,96年論文のねつ造,改ざんの有無と直接の関連性を有するものではないから,被告らの上記主張も採用できず,他に被告らが縷々主張する点についても,96年論文の学術論文としての質の高低に関する問題を指摘するにとどまり,同論文にねつ造,改ざんがあると認めるに足りるものではない。

(3)  07年論文について

07年論文は,キャップ鋳造法により直径30mmの本件金属ガラスを作製することができた旨を報告するものであり,作製された試料がバルク金属ガラスであることの根拠として,作製された試料の断面の写真を掲載するほか,同試料の底側から10mmの位置の断面のX線回折結果等を挙げているところ(前記前提事実(2)イ,甲1の1及び2),被告らは,同論文にねつ造,改ざんがあることを疑わせる根拠として,①上記の断面写真につき何らの説明なく合成写真を用いていること,②1か所の断面の検査結果のみを根拠に,直径30mmの試料全体が完全なバルク金属ガラスであると結論付けていることなどを挙げて主張するので,以下検討する。

ア 合成写真について

被告らは,作成された試料(成果物)の断面写真が07年論文の基本的要素に当たるとした上で,原告が,本来同一円(正円)であるべき試料の中心点が導き出せない写真を掲載し,その点についての説明もしなかったことから,中心部分をあえて欠落させた疑いを生じさせたと主張する。

しかし,証拠(甲1の1及び2,甲23)及び弁論の全趣旨によれば,07年論文に掲載された上記断面写真については,一断面を撮影した4枚の写真を1つの写真に組み合わせた後,当該写真データを論文の原稿ファイルに貼り付ける過程において,縦横比の設定を固定することを失念したために,実際の断面と縦横比が8%弱異なる結果となったことが認められるところ,文科省ガイドラインやE大学ガイドラインにおけるねつ造,改ざんの意義(前記前提事実(3)ア(イ),(ウ),同イ(ア))に照らせば,上記写真の掲載は,故意に存在しないデータを作成したり真正でないものに加工したりしたものではないから,結果的に不正確な断面写真が掲載されたことは否定できないとしても,07年論文にねつ造,改ざんがあるとはいえない。

これに対し,被告らは,組合せ写真を使用したことに関する説明や使用した撮影機器の説明の欠如を問題とするが,上記(2)イで見たように,日本金属学会における本件欧文誌の投稿規程や執筆要領上,掲載する写真の体裁(組合せ写真の使用の可否)に関する定めや写真に付記する説明の内容,程度に関する定めがないこと(甲21,22)に加え,07年論文が枚数制限のあるRapid Publicationであること(前記前提事実(2)イ),実際にも複数の写真を1枚に組み合わせた写真を掲載しつつ,当該写真が組み合わせ写真であることや使用した撮影機器について何ら説明を付していない論文も複数存在すること(甲12)からすれば,被告らの上記主張も上記結論を左右しない。

イ 07年論文が示した結論について

被告らは,原告が,07年論文において,試料の下から10mm程度のところの断面についての検査結果のみを基に試料全体がバルク金属ガラスであると論じていることから,ねつ造,改ざんが疑われる旨主張する。

しかし,バルク金属ガラスであると論じるために調査すべき断面の高さや断面数について,日本金属学会その他の専門機関において明確な基準を定めたという事実は証拠上認められない上,原告のみならず,M准教授も,バルク金属ガラスが作製されたか否かは代表的な冷却面から最も遠い箇所に結晶が析出しているか否かを確認して判断するため,本件各論文で用いられている円筒型の鋳型の場合には,円筒の中央付近の断面の中心付近を評価すれば足りるとしていること(甲18,原告本人52頁)を併せ考慮すると,上記断面の検査結果のみをもって試料全体がバルク金属ガラスであると論じたとしても,そのことをもって07年論文にねつ造,改ざんがあるということはできない(この点に関し,被告らは,臨界サイズの意義等を基に,バルク金属ガラスの作製を論じるには複数の断面でX線回折測定を行ってガラスの生成を確認することが条件であるなどと縷々主張するが,被告ら主張に係る前提条件の存在を認めるに足りる専門機関(学会等)の基準は証拠上認められず,被告らが指摘する点は,いずれも07年論文の論理の正確さや当該論文の学術論文としての質の高低には影響するとしても,およそねつ造,改ざんの存在を裏付けるものとはいい難い。)。

ウ さらに,被告らは,Gが07年論文につき学術的に必ずしも十分な確信を持つことができないとして,本訴を取り下げたことなどを指摘して,07年論文につき,ねつ造,改ざんの存在が疑われる旨主張するが,Gは,07年論文にねつ造,改ざんがあることを認めたものではなく,同論文の学術的な正確さに疑念が生じたと述べているにとどまるから,この点も07年論文の学術論文としての質の高低に関する問題にすぎず,被告らの主張は採用できない。

(4)  このほか,被告らは,E大学における他の学術分野における告発事例に関する対応と比較するなどして,本件対応委員会の組織,運営実態,人選等について問題がある旨主張するが,上記事例は,本件とは事案を異にするものであって,直接の関連性を有するものではない以上,これに基づく被告らの主張は採用の限りでなく,他に被告らが縷々主張するところも,上記結論を左右するものとはいえない。

(5)  以上より,本件各論文にねつ造,改ざんがあるということはできず,被告ら作成に係る本件各記事が摘示する事実が真実であると認めるに足りない(なお,原告は,被告らによる乙第95号証ないし乙第104号証までの書証の提出及びこれに基づく主張が時機に後れた攻撃防御方法の提出であるとして却下すべきであると申し立てているところ,確かに,当該主張立証は,弁論準備手続を経て,集中証拠調べが実施された後に行われたものであるが,当該主張立証の当否については既に取調べ済みの証拠等に基づいた評価をすれば足り,訴訟の完結を遅延させるものとは認められないから,原告の上記申立てはこれを却下する。)。

5  争点4(相当の理由の有無)について

(1)  判断の枠組み

前示のとおり,民事上の不法行為たる名誉毀損については,摘示された事実が真実であることの証明がされなくても,その行為者において当該事実を真実であると信ずるについて,相当の理由があるときには,故意又は過失を欠くものとして,不法行為が成立しないと解される。そして,一般に,上記相当の理由の有無の判断に当たっては,名誉毀損行為当時における行為者の認識内容が問題になるため,行為時に存在した資料に基づいて検討することが必要であるが(最高裁平成8年(オ)第576号同14年1月29日第三小法廷判決・集民205号233頁参照),被告らは,平成21年10月11日から現在まで本件各記事を本件ホームページ上に掲載し続けている(前記前提事実(5)ウ)ため,同日から現時点までにおける各時点において存在している資料や説明等を基に,被告らにおいて,本件各論文にねつ造,改ざんがあると信じたことにつき,相当の理由があるか否かについて検討する。

(2)  判断の枠組みに照らした検討

被告ら作成に係る本件各記事により摘示された事実(本件各論文にねつ造,改ざんがあること)が真実であると認めるに足りないことは,前記4のとおりであるところ,①本件各記事の本件ホームページへの掲載に先立って行われた本件各記事と同内容の告発については,日本金属学会においていずれも科学的合理的理由があるものとは認められないとして不受理とされていること(前記前提事実(4)イ)に加え,②被告らが本件各記事において指摘している点(論文上における写真や使用機材に関する説明の欠如,再現性の有無等)について記載することが本件欧文誌の投稿規程や執筆要領上,要求されていないこと(甲21,22)などからすれば,被告らの指摘する点はいずれも学術論争において決着を図るべきものであって,本件各記事が最初に掲載された時点(平成21年10月11日)を基準としても,被告らが指摘するような事情をもって,本件各論文にねつ造,改ざんがあると信ずるにつき相当の理由があるということはできず,他に被告らが縷々主張するところも上記結論を左右しない。

6  争点5(原告の本訴提起,マスコミに対する公表行為の不法行為該当性の有無)について

(1)  本訴の提起行為について

訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られると解するのが相当である(最高裁昭和60年(オ)第122号同63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁)。

そこで検討するに,原告による本訴は,被告らによる本件各記事の掲載が原告に対する名誉毀損(不法行為)に当たるとして損害賠償を求めるものであるところ,前記2,4及び5のとおり,被告らによる本件各記事の掲載行為は原告の社会的評価を低下させる名誉毀損行為として違法なものであるから,原告による本訴の提起行為は,事実的,法律的根拠を有するものであり,被告らに対する不法行為を構成するものではない。

(2)  マスコミに対する公表行為について

被告らは,原告が本訴提起に伴いマスコミに対して提訴理由等を公表した行為が被告らに対する名誉毀損に当たる旨主張するが,原告による上記公表行為は,本訴提起の理由(被告らが本件各記事によって虚偽情報を印象付けて原告らの社会的評価を著しく失墜させていると考えたこと)を示すとともに,被告らの行為が学術論争の次元を逸脱したものであるという原告の見解を示したものであって,いずれも原告及びGと被告らとの間において見解の相違があることを明らかにしたにとどまり,それを超えて,被告らの社会的評価を低下させたものであるとはいえないから,不法行為を構成するものではない。

(3)  以上によれば,原告による本訴提起行為,マスコミへの公表行為は,いずれも不法行為に当たらず,これに反する被告らの主張はいずれも採用することができない。

7  争点6(損害等)について

本件各記事により,原告の名誉が毀損された結果,原告は精神的苦痛を被ったと認められる(甲29,原告本人)。そして,本件各記事が掲載された当時における原告の社会的地位(前記前提事実(1)ア)のほか,本件各記事が誰にでも閲覧可能な本件ホームページ上に掲載されていること(同(5)イ,ウ),被告らの指摘する点について,日本金属学会や外部委員を含むE大学の本件対応委員会において,本件各記事の内容を含む告発について科学的合理的理由があるものとはいえない旨の結論が出され,さらに,本件訴訟を通じて原告から一定の説明がされたにもかかわらず,被告らが現在まで継続して本件各記事を掲載し続けていること(同(4)イないしエ,同(5)ウ,弁論の全趣旨)等を考慮すると,原告が被った精神的苦痛は相当程度のものであると認められ,これに対する慰謝料は100万円とするのが相当である。

また,被告らによる上記不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は,認容額その他の事情を考慮すると10万円とするのが相当である。

原告は,不法行為に基づく損害賠償請求に加え,名誉回復処分(民法723条)として本件各記事の削除や本件ホームページへの謝罪文の掲載を求めているが,原告の不法行為に基づく損害賠償請求が上記のとおり認容されることにより,原告が被った損害の回復は図られると考えられるので,原告の請求に係る上記名誉回復処分については必要性があるとは認められない。

第4結論

よって,原告の本訴請求は,110万円及びこれに対する不法行為日(本件記事1及び本件記事2を含む大学宛告発文の掲載日)である平成21年10月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからその限度で認容し,原告のその余の本訴請求及び被告らの反訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64条本文,65条1項本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 市川多美子 裁判官 工藤哲郎)

裁判官吉賀朝哉は,差し支えのため,署名押印することができない。裁判長裁判官 市川多美子

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