仙台地方裁判所 平成22年(行ク)1号 決定 2010年5月14日
主文
1 甲県公安委員会が申立人に対して平成21年8月26日付けでした運転免許取消処分の効力は,本案事件の第一審判決の言渡しの日から起算して15日後まで停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用はこれを4分し,その1を申立人の負担とし,その余を相手方の負担とする。
理由
第1申立て
甲県公安委員会が申立人に対し平成21年8月26日付けでした運転免許取消処分(以下「本件処分」という。)の効力は,本案訴訟に関する判決が確定するまでこれを停止する。
第2事案の概要
本件申立ては,申立人が,処分行政庁から受けた本件処分の取消しを求める訴えを本案として,その判決確定まで同処分の効力の執行停止を求めるものである。
申立人は,本件処分について,前提となる被害者の治療期間を誤認した違法があるから取り消されるべきものであり,申立人の仕事,生活及び家族の状況等からみて,同処分によって生ずる「重大な損害を避けるため緊急の必要がある」旨主張するのに対し,相手方は,申立人の上記主張を争うとともに,「本案に理由がないとみえるとき」に当たる旨主張している。
なお,特に明示すべき当事者の具体的主張は,後記第3の「当裁判所の判断」の各該当箇所に記載するとおりである。
第3当裁判所の判断
1 本件事案の経緯
(1) 本件疎明資料(疎甲1ないし3,疎乙2の1ないし4,3の1及び2,5の2,6,10,11)によれば,本件事案の経緯は,以下のとおりであることが一応認められる。
申立人は,平成21年6月3日午前7時25分頃,甲県乙市内道路において,軽四輪乗用自動車(以下「申立人車」という。)を運転して走行中,進行方向を注視せず,対向車線を前方から走行してきた普通乗用自動車(以下「対向車」という。)に申立人車を衝突させたことにより,対向車の運転者A(以下「被害者」という。)に,本件処分時までに被害者を診断した医師の診断によれば加療約106日間を要する見込み(ただし,後記のとおりその治療期間の診断については争いがある。),対向車の同乗者2名に加療約2週間及び同約1週間を要する見込みの各傷害を負わせる交通事故(以下「本件事故」という。)を発生させた。
(2) 処分行政庁は,被害者の傷害についての治療期間が加療約106日間(3か月以上)であることを理由に,申立人が道路交通法(以下「法」という。)70条の規定に違反したことから道路交通法施行令(以下「施行令」という。)別表第2の一の表による違反行為に付する基礎点数が2点となるところ,本件事故が傷害事故のうち治療期間が3月以上で,専ら申立人の不注意によって発生したものであることから施行令別表第2の三の表による違反行為に付する付加点数13点を加えると,累積点数が15点となり,施行令38条5項1号イ,別表第3の一の表の第1欄「前歴がない者」の区分に応じた第6欄(15点から24点まで)に該当したとして,申立人に対する意見の聴取を経た上で,申立人に対し,平成21年8月26日付けで,法103条1項5号に基づき,運転免許を取り消し,同条7項に基づき,運転免許を受けることができない期間を同日から1年間と指定する処分をした。
申立人は,被害者の治療の期間や程度についての認定の疑問を理由に,処分行政庁に対して本件処分を不服として異議を申し立てたが,これを棄却する旨の決定を受けたため,本案に係る訴えの提起に至ったものである。
2 「重大な損害を避けるため緊急の必要」があるか否かについて
(1) 申立人は,申立人の家族はその生計を申立人の賃金収入に依存しているところ,本件処分の効力が認められれば,通勤手段としてタクシーを利用するか実母の送迎に頼るしかなく,タクシーの利用はその負担(1日約9000円の出費の見込み)から経済的に困難である一方,申立人の実母による送迎も,同人が高齢であることやその生活状況,健康状態等に照らし,同人の生命身体を脅かす危険が極めて高いことからすると,いずれにしても申立人に回復し難い重大な損害を生じる旨主張するのに対し,相手方は,現時点で申立人が自動車の運転をしていないことによる損害は発生しておらず,仮に損害が発生しても金銭賠償によって回復できるものである旨主張して,申立人の主張を争っている。
そこで検討するに,疎明資料(疎甲1,4,8,疎乙3の1及び2,11)によれば以下の事実を一応認めることができる。
ア 申立人(昭和43年生)は,平成10年に離婚した後,長女(平成4年生)を養育して現在に至っており,上記離婚に伴い,配偶者から養育費や慰謝料等の支払は受けておらず,申立人の長女の生活も,申立人の賃金収入に依存している。申立人の長女は,平成22年3月に高校を卒業し,丙市内の短大に進学しており,その学費も申立人において確保する必要がある。[疎甲1,4,8]
イ 申立人は,平成13年から現在に至るまで,株式会社Bファーム(以下「勤務先」という。)において勤務し,養鶏作業等に従事している。申立人の勤務の状況は,月の半分は早出で午前7時までに出勤し,その他の日においても午前7時半までには出勤し,その後,午後5時まで養鶏作業を行った後,事務所においてデータ入力作業を行ってから退社するのが通例となっている。上記勤務を通じて,申立人の収入は,月額20万円を超えることはほとんどなく,年収にして220万円程度である。[疎甲4]
ウ 勤務先は,甲県乙市内の山中にあり,申立人の自宅(甲県乙市丁町)付近から勤務先付近まで公共交通機関を利用することは困難であるから,交通手段として自家用車がなければ生活に著しい不便が生じる。申立人は,本件処分により運転免許が取り消された後,65歳になる申立人の実母に勤務先まで送迎してもらっているところ,仮に,申立人の自宅から勤務先までタクシーを利用した場合には,往復1回につき8500円程度の料金がかかる。[疎甲4,8,疎乙3の1及び2,8,11]
エ 申立人の祖母は日常生活上の介助が必要であるところ,現在は申立人の実母が申立人の祖母の自宅まで赴いて介助を行っているが,申立人の実母自身も,高血圧の治療等のため,週に1日,病院に通院している状況にある。このような状況の下で,申立人の実母は,冬場の運転の際には脱輪しかけたこともあるなど運転技能に衰えが見え始めており、特に冬場の運転については避けるようになっている。[疎甲4,8,疎乙3の1]
オ 他方,申立人は,普通自動車運転免許を取得してから本件事故を起こすまでの間,無事故・無違反であった。[疎乙3の2]
カ 申立人は,本件事故の原因について,警察官による取調べ及び本件処分に対する異議申立てにおいて,毎日のように通勤で通っている場所で慣れており,他の通行車両もいなかったことから,多少脇見をしながら運転しても,対向車線にはみ出すことなく,また,他の車とぶつかることなく進行できると油断したなどと供述している。[疎乙3の2,11]
(2) 以上の事実を基に検討するに,上記(1)アの事実によれば,申立人が現時点で職を失った場合には,その生活が困窮し,申立人に生計を依存している長女の学校生活にも支障をきたす可能性が高く,昨今の経済状況や申立人の年齢等に照らせば,申立人の生活にとって,勤務先での仕事を継続する必要性は高いといえる。
そして,上記(1)アないしウの事実によれば,申立人の勤務先への通勤手段としては自家用車を用いるほかないところ,申立人の長女に送迎を期待することは現実的に困難とみられることから,申立人の免許が取り消されている現状においては,申立人の実母が申立人の送迎を毎日行わざるを得ない状況にある。
このような状況の下で,上記(1)エの事実のとおり,申立人の実母は,申立人の祖母の介助を行いながら日常生活を送っているのであって,65歳という年齢に加え,高血圧で通院中であることを考慮すると,同人が毎日早朝及び夕方に申立人の送迎を継続することとなれば,疲労の蓄積により,高血圧を原因とする脳疾患や心疾患等に罹患することもあながちあり得ないことではない。さらに,申立人の実母について,加齢に伴う運転技能の低下がみられ,特に冬場の運転は避けるようになっていた状況も考え併せると,申立人の実母にとって,冬場に限らず,自動車の運転によるストレス等の負荷が相当程度高まることは容易に推測されるところであって,これは脳疾患や心疾患等への罹患のリスクを一層高める要因となりうるものといえる。
そうすると,申立人は,本件処分により,勤務先での勤務を断念するか申立人の実母の生命身体への悪影響を受忍するかの二者択一を迫られている状況にあるといえるのであって,いずれを選択するにしても,申立人にとって金銭による事後的回復が困難な損害を生じ得るものと認められる。
(3) もっとも,上記損害のうち,申立人の実母の生命身体への悪影響による損害については,現時点で現実に発生しているものではないことから,損害を避けるための緊急の必要があるか否かについてはさらに検討する必要があるところ,上記(1)及び(2)でみた申立人の実母の生活状況,健康状態及び申立人の送迎のための自動車の運転によって高まり得るストレス等の事情を勘案すれば,現時点においても,少なくとも,申立人の実母の生命身体への悪影響が生じる相当程度の可能性があるということができる。そして,脳疾患や心疾患については,罹患すると回復が困難な場合もあり,事前の予防が重要とされているところであって,その疾病の性質等に照らせば,上記損害の未実現を理由に,損害を避けるための緊急の必要性を否定することは相当とはいえない。
(4) そして,本件事故の態様からみて,本件事故を引き起こした申立人の道路交通法違反の危険性は決して低いものではないものの,悪質であるとは言い難く,上記(1)オの事実のとおり,申立人がこれまで無事故,無違反で交通法規に違反したことがなく,申立人の交通規範に対する遵法精神が低いとまではいえないことからすると,本件処分により申立人を道路交通の場から排除する必要性が高いとはいえない。
(5) 以上の検討によれば,後記3で説示するように,本案に理由がないとはいえない可能性が相当程度認められるという本件事情の下においては,運転免許の取消処分による行政目的達成の必要性を考慮してもなお,申立人に生じる重大な損害を避けるため本件処分の執行を停止する緊急の必要があると認めるのが相当である。
3 「本案について理由がないとみえるとき」といえるか否かについて
(1) 相手方は,被害者から提出された診断書によると同人が約3か月の加療を要する傷害を負ったことは明らかであり,仮に申立人が主張するような誤診があったとしても,初診時に骨折を発見できたことによって治療期間が短縮するとは認められないことから,本件申立ては「本案について理由がないとみえるとき」に該当する旨主張するのに対し,申立人は,本件事故により被害者が受けた傷害(右手指骨折等)は,通常の診断であれば3週間で治癒するに至るものであったにも関わらず,同人を診断した乙市立病院整形外科のC医師(以下「C医師」という。)が,明白な骨折線が写っているレントゲン写真を2度も見逃したことにより治療期間が3週間を大幅に超過したもので,本件処分には前提となる治療期間を誤認した重大明白な瑕疵がある旨主張する。
そこで検討するに,疎明資料(疎甲4ないし6,疎乙3の1,7の1,9,10,12,13の2)によれば,以下の事実等が一応認められる。
ア 被害者は,本件事故直後の平成21年6月3日,乙市立病院整形外科を受診し,C医師より,本件事故による傷害について頸椎捻挫,胸部及び右手打撲で約3週間の加療を要する見込みであると診断された。[疎乙7の1]
その後,被害者は,同月19日,C医師より,右第5中手骨骨折,胸部及び右手打撲,頸椎捻挫で約3か月間の加療を要する見込みと診断された。[疎乙9]
なお,C医師が加療約3か月間を要する見込みと診断した根拠は,右手中手骨骨折が,通常,治癒までに3か月くらいの期間がかかることにある。[疎乙12,13の2]
被害者は,同年8月12日,C医師から,同月20日より就業可能である旨記載された職場提出用の診断書(疎甲5別添「診断書」)の作成,交付を受け,同月20日に仕事に復帰した。[疎甲4,5別添「診断書」]
イ 被害者は,平成21年6月3日以降,C医師の指示により,右手に包帯を巻いてこれを固定するとともに,本件事故から2週間の病休を取得したが,痛みが取れなかったため,同月8日,C医師に対して精密検査を依頼したものの,レントゲン撮影が行われたただけで,従前同様打撲と診断された。被害者は,その後も依然として痛みが取れなかったため,同月16日,C医師に対して再び精密検査を依頼したところ,C医師は同日にMRI検査を行い,同月19日,上記MRI検査の結果,右第5中手骨骨折であることが判明した。
しかし,被害者は,C医師から,ギブスによる右手の固定を勧められたのに対し,自動車の運転に支障を生じるとしてこれを受け入れず,同月22日に実施された実況見分の現場まで自ら自動車を運転するなどしていたが,同月24日,動かすと痛みがあるとしてC医師に対してギブスによる固定を希望した結果,ようやくギブスにより右手患部が固定されるに至った。被害者は,その後,同年7月22日にギブスを外し,同年8月12日のレントゲン写真の撮影を経て,同月20日から仕事に復帰可能との診断を受けている。[以上につき,疎甲5別添「経過表」,疎乙3の1]
ウ 本件事故後から申立人を診断していた乙市立丁病院整形外科医長D医師(以下「D医師」という。)は,申立人提出の意見書において,以下の医学的知見を明らかにしている。[疎甲5]
(ア) 平成21年6月3日に撮影されたレントゲン写真によれば,被害者の右第5中手骨に骨折線(ひび)が認められるものの,骨折の転位(ずれ)は認められなかった。この状態は,医学的に見て全治3週間ないし4週間と診断されるものである。
なお,包帯による固定は,強度の強い「弾力包帯」による固定であっても,打撲・捻挫の治療としては有効であるが,骨折の治療には有効ではない。
(イ) 平成21年7月15日に撮影されたレントゲン写真によれば,上記骨折部に,同年6月3日の時点ではなかった転位が認められた。この転位は,本件事故の後,被害者がギブスによる固定をした同月24日までの間に生じたものであり,このような転位が生じた原因は,骨折が見逃され,適切な治療がされなかったことにあるものと考えられる。
同年8月26日に撮影されたレントゲン写真によれば,被害者の右第5中手骨骨折につき,転位を生じたまま,約30度の屈曲変形を残して治癒したものと認められる。
(ウ) 仮に,上記の転位が本件事故によって生じたものであるとしても,医学的に見て,この程度の転位であれば,ギブスによる固定等の保存的治療により約2か月で治癒するものである。それが治癒まで3か月以上の期間を要した原因は,C医師において,平成21年6月3日から同月19日まで,被害者の骨折を見逃して,不十分な治療を継続したことにあるものと考えられる。
(エ) 被害者の上記骨折は,平成21年8月12日及び同月26日のレントゲン写真で治癒が確認できることから,同人が職場に復帰した同年8月20日をもって治癒したとみるべきである。
(2) そこで検討するに,上記(1)アないしウの事実及びD医師の医学的知見によれば,被害者の右第5中手骨骨折は,本件事故当初は転位が生じていなかったものの,ギブスにより患部を固定しなかったため日常生活の中で転位が生じたことにより,本来であれば1か月程度であった治療期間が3か月まで延びたという可能性が相当程度認められる。
また,上記(1)ウのD医師の医学的知見によれば,仮に,本件事故によって被害者の右第5中手骨骨折に転位が生じたとしても,現実に必要とされる治療期間は2か月程度であったという可能性が相当程度認められる。
これに対し,C医師は,疎乙第13号証において,前記診断は適切であるとの意見を明らかにしているが,その内容は,一般論の域を出るものではなく,先にみたD医師の意見が,被害者についての診察資料(カルテやレントゲン写真等)及び診断経過を踏まえたものであることに照らすと,上記の可能性の存在を否定するには足りないと言わざるを得ない。そして,以上のほか,現段階で上記の可能性を否定するに足りる事実,証拠はない。
以上によれば,本件処分に関し,申立人が,本件事故によって被害者に対して加療約106日(3か月以上)の傷害を負わせたとの認定については,疑問を差し挟む余地が多分にあると言わざるを得ない。
したがって,本件が「本案について理由がないとみえるとき」に該当するとは認め難い。
4 執行停止の期間について
申立人は,本件処分に基づく執行を本案訴訟に関する判決の確定に至るまで停止することを求めているが,本件に現れた事情を総合考慮すれば,本案に関する第一審判決の結論を踏まえて相当期間を経た上で,改めて各要件について判断すべきである。
したがって,執行停止の期間は,本案に関する第一審判決の言渡しの日から起算して15日後までとするのが相当である。
第4結論
よって,本件申立ては,本案に関する第一審判決の言渡しの日から起算して15日後までの間について停止を求める限度で理由があるから,その限度でこれを認容し,その余の部分は理由がないからこれを却下することとし,申立費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条及び同法64条本文を適用の上,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 本多哲哉 裁判官 佐藤雅浩)