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仙台地方裁判所 平成24年(ワ)172号 判決 2012年11月09日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,53万9173円及びこれに対する平成23年9月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,タクシー運送業等を営む会社である原告が,そのタクシー乗務従業員である被告に対し,被告が乗務中にタクシーを故障させたのは不法行為に当たるとして,その修理代金及びこれに対する事故発生の日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による金員の支払を求める事案である。

1  前提事実(認定根拠を示すほかは,当事者間に争いがないか,又は,明らかに争いがない。)

(1)  当事者

原告は一般乗用旅客自動車運送事業等を営む株式会社であり,被告は原告に雇用されるタクシー乗務員である。

(2)  事故の発生

平成23年9月21日午後9時55分ころ,原告管理の事業用普通乗用自動車(ナンバー省略)(以下「本件車両」という。)に乗務していた被告が,(住所省略)で本件車両のエンジン部に冠水させ,エンジンが損傷し走行不能となる事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(3)  事故の経緯

ア 本件事故当日は,台風の影響により,A市内での1時間当たりの降雨量は,午後8時ころ27.5㎜,午後9時ころ48.0㎜,午後10時ころ38.5㎜であり,特に,事故発生時の午後9時からの1時間は激しい雨が降っていた。事故当日の降雨量は9年から29年に1度降るような記録的な雨であり,アメダスによれば,2時間の降雨量は100年に1度という猛烈なものであった(甲3,乙3,8の1)。

なお,1時間当たりの雨量が20㎜以上30㎜未満では,ワイパーを速くしても見づらい状態となり,側溝や下水,小さな川があふれ,30㎜以上50㎜未満となると,都市では下水管から雨水があふれるとされている(甲4)。

A市東部においては,本件事故前日の午後5時46分から本件事故翌日の午前8時46分まで大雨警報が発令されており,本件事故当日の午前4時40分から本件事故翌日の午前6時50分までは土砂災害警戒情報が発令されており,本件事故当日の午後1時21分から本件事故翌日の午前6時12分までは洪水警報が発令されていた。また,A市西部においては,本件事故前日の午後5時46分から本件事故翌日の午前8時46分まで大雨警報が発令されており,本件事故当日の午前1時45分から本件事故翌日の午前3時45分まで土砂災害警戒情報が発令されており,本件事故当日の午前8時28分から本件事故翌日の午前6時12分まで洪水警報が発令されていた(乙8の2)。

イ 被告は,A市(以下住所省略)のB営業所から4名の利用客を乗せ,何か所か廻って利用客を下ろした後,最後の乗客を降車させた(原告代表者2頁,被告3頁以下)。

ウ 被告は,最後の乗客が降車後本件車両を前進させたが,エンジン内に雨水が入り込み,エンジンが停止して走行が不可能となった。

(4)  原告による車両保険契約の未締結

本件事故発生当時,原告は41台の車両を保有していたところ,すべての車両に車両保険を付保した場合,保険料が高額となること,事故率・事故金額との比較でメリットがないこと,資金的ゆとりがないこと,付保が義務ではないことから,原告は,本件車両について車両保険契約を締結していなかった。

2  争点

(1)  過失

(原告の主張)

被告は原告から貸与された車両を善良な管理者の注意義務をもって扱う責任があるところ,被告が乗客を降車させた場所は,車両を転把するのに十分なスペースがあり,自車前方に相当の範囲にわたって滞留している雨水があることを認識できたのであるから,乗客を降車させた後そのまま進行した場合には,滞留水に突っ込んで車両が損傷する可能性があることを容易に予想し得たにもかかわらず,できるだけ滞留水の場所を避けて慎重に進行させたり,自車に追随する車両の通過を待って後退したり,転把するなど滞留水を回避して進行することが容易であったにもかかわらず,漫然,滞留水中に本件車両を突っ込ませてエンジン部に雨水を浸入せしめ,もって,本件車両をエンジン停止により走行不能ならしめて故障させた。

(被告の主張)

本件事故は,極めて短時間の未曾有の豪雨によって,急激な道路の冠水がもたらされたものであり,タクシー乗務員である被告が本件事故発生時間帯において,エンジン停止を招来するほどの急激な増水が発生することを具体的に予見することは不可能であった。また,本件事故現場は,現場の標高や排水状況等の性質からして,急激な冠水をもたらす現場であるところ,一般のタクシー乗務員が逐一現場の性質の詳細を把握することは困難であるし,本件事故発生時は夜間であり,被告が詳細な冠水状況を把握することはできなかったという事情もある。さらに,このような夜間で見通しのつかない中,本件事故直前に本件事故現場を通過した車があったのであるから,本件車両も同様に通過できるものと考えるのは自然であり,エンジンを停止させるほどの浸水を被ることを予見するのは困難である。

これらに加え,道路運送法に基づく旅客自動車運送事業運輸規則20条によれば,異常気象時等における措置として,「旅客自動車運送事業者は,天災その他の理由により輸送の安全の確保に支障が生ずるおそれがあるときは,事業用自動車の乗務員に対する必要な指示その他輸送の安全のための措置を講じなければならない」とし,さらに同運輸規則の解釈・運用によれば,この「必要な指示」とは,暴風警報等の伝達,避難箇所の指定,運行の中止等の指示をいうところ,旅客運送業を行う原告としては,「必要な指示」として,警報等の伝達のほか,道路の冠水状況を他のタクシー乗務員や公務所等から適切に情報収集するなどして,迅速にタクシー乗務員に情報提供した上で,道路の冠水が報告されている地域への輸送については,必要に応じて運行の中止等を指示しなければならず,また,原告事務所前の道路が冠水していたにもかかわらず,「いつものことですから」と被告に対して何ら注意を促すことなく出庫させた上で,無線にて営業活動するよう漫然と営業指示を行ったのであり,被告には,本件事故の予見可能性がなかった。

(2)  信義則上の責任制限

(被告の主張)

使用者が,気象警報発令時に,労働契約に基づき労働者を業務に従事させ,使用者の機器・備品等を使用させていた場合には,その警報の種類の災害によって事故が発生し,これによって使用者の機器・備品等が損壊する等の損害が生じたとしても,使用者は,信義則上,労働者に対し,その損害賠償を請求することはできないものと解すべきである(なお,被告は,上記のような状態で発生した機器・備品の損壊であっても,労働者に故意又は重過失がある場合にまで,使用者の労働者に対する損害賠償請求が認められないと主張しているものではない。)。

また,原告は,労働契約による支配従属関係にある被用者を,気象警報,すなわち重大な災害発生のおそれがあるとして警戒が呼びかけられている状況の中で労働に従事させているのであって,このような状況下の使用者には,労働者が使用する機器・備品が災害によって損壊するおそれがあるという予見可能性が存在している。したがって,機器・備品の損壊を回避するという措置は,まずもって使用者がとるべきであり,このような回避措置を執らないで,機器・備品損壊の責任を労働者に転嫁することは許されない。

(原告の主張)

タクシー乗務員の業務は,労働者が工場や作業場で集合的に作業する形態と異なり,各乗務員がそれぞれ貸与された車両につき,乗車管理・集金管理・運行管理等の一切を行う形態であるから,個々の場面に応じて乗務員の適切な判断が要求されるものであり,個々の場面における乗務員の判断に看過できない過失があった場合は,損害賠償請求の問題が生じてくるのは当然である。

(3)  損害

(原告の主張)

本件事故によって,原告は,以下の損害を被った。

ア 交換用エンジン本体取得費用   41万8950円

イ エンジン調整費用   8000円

ウ 不具合箇所修理費用   8万8095円

エ 不具合再修理費用   2万4128円

(被告の主張)

不知

第3争点に対する判断

1  認定事実

前記前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

本件事故当日,大雨警報,土砂災害警戒情報,洪水警報等が発令されていたが,原告は,客からタクシーの配車を要請する電話がたくさん来ていたことなどから,運行を中止する措置をとることはなかった(原告代表者1頁以下)。被告は,本件事故当日の午後8時ころ出勤し,午後8時半ころに出庫した(原告代表者2頁,被告1頁以下)。午後8時50分ころ,A市(住所以下省略)にあるB営業所から配車の要請があり,原告は,無線で被告が運転するタクシーを配車した(原告代表者2頁,被告3頁)。

被告は,別紙(省略)の①と手書きされている場所で最後の乗客を降ろした後,前方へ向けて進行したが,前方が冠水していたために別紙の①と手書きされている場所と②と手書きされている場所の中間ぐらいの場所で車を停止させ,後退を試みたが後続車からクラクションを鳴らされるなどしたため再び車を停止させたところ,後続車が本件車両を追い抜いて冠水箇所(別紙の②と手書きされている場所)を通り抜けていったため,本件車両も走行できると考えて前方へ進行したところ,別紙の②と手書きされている場所で本件車両のエンジン部に浸水し,故障して本件事故が発生した(被告4頁以下)。

2  判断

使用者が,その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により,直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被った場合には,使用者は,その事業の性格,規模,施設の状況,被用者の業務の内容,労働条件,勤務態度,加害行為の態様,加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし,損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において,被用者に対し損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきであるところ(最高裁昭和51年7月8日第1小法廷判決・民集30巻7号689頁参照),いわゆる危険責任や報償責任の法理に則り,当該被用者に故意又は重大な過失がない場合には,被用者の過失の程度や損害発生に対する使用者の寄与度等の事情を勘案し,信義則(民法1条2項,労働契約法3条4項)上,使用者の被用者に対する損害賠償請求権等の行使を否定する余地もあるとみるのが相当である。

これを本件についてみると,前提事実でみたように,本件事故当時の気象条件からすると,本件車両のワイパーを速くしても外の状況を確認しづらい状態にあったと認められ,かつ夜間という見通しの悪い走行条件であったにもかかわらず,被告は,冠水地帯を適切に発見し,後退しようとするなどの回避措置を試みており,結果的に後退や転把などの回避措置を完遂しなかったのも,後続車が迫っていたことや既にみた当時の走行条件などからすると,やむを得なかったといえる。そして,このような条件の下,被告を追い抜いた車両が冠水地帯を通過したために,本件車両も無事に通過できるだろうと判断することも不合理ではなく,本件における被告の過失は相当小さいというべきである。これに対し,原告は,前提事実にあるように車両保険契約を締結しておらず,また前提事実にあるような気象条件等の中で被告にタクシー乗務をさせたにもかかわらず,損害発生に対する有意な回避措置をとったと窺わせる証拠はない(原告代表者22頁以下,27頁以下,被告2頁以下参照)。

そうすると,本件は,被告の過失の程度,損害発生に対する原告の寄与度等の事情を勘案し,信義則上,原告の被告に対する損害賠償請求権の行使を否定すべき事案とみるべきであり,損害に関する点等その余に原告が主張する点を判断するまでもなく,原告の主張には理由がない。

第4結論

よって,本訴請求は理由がないからこれを棄却し,主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤和久)

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