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仙台地方裁判所 平成4年(ワ)908号 判決 1994年2月01日

原告

佐藤學

右訴訟代理人弁護士

佐藤優

被告

三浦幸雄

右訴訟代理人弁護士

増田隆男

半澤力

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、三八〇万円及びこれに対する昭和六三年一二月二七日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  被告は、昭和六三年九月二九日、当庁昭和六三年(ヨ)第四二四号不動産仮処分事件(本件仮処分事件)において、処分禁止等の仮処分決定(本件仮処分決定)を得、原告所有の別紙物件目録記載の不動産(本件不動産)に対し執行した。

2  被告は、原告から本件不動産の贈与(本件贈与)を受けたとして、昭和六三年一二月二七日、本件仮処分事件の本案事件として、原告に対し、本件不動産の所有権移転登記手続きを求める訴えを提起し、この訴えは、当庁昭和六三年(ワ)第一三五七号所有権移転登記手続請求事件(本訴)として係属した。

3  原告は、平成元年三月三日、被告に対し、所有権に基づき、本件不動産のうち建物の明渡しを求める反訴を提起し、この訴えは、当庁平成元年(ワ)第一八〇号建物明渡等反訴請求事件(反訴)として係属した。被告は、反訴においても、本件贈与を主張した。

4  本訴反訴事件の受訴裁判所は、平成二年五月一一日、被告の本件贈与の主張を排斥して、本訴反訴とも被告敗訴の判決を言渡し、被告は控訴、上告したが、平成四年三月三日上告棄却となり、両事件の判決は確定した。

二原告の主張

1  責任

(1) 仮処分の過失

本訴が原告の勝訴で確定したことにより、被告の本件仮処分申請には過失があるものと推定され、被告は、本件仮処分申請につき不法行為責任を負う。

被告は、本件仮処分事件において、本件贈与を疎明する証拠として、被告本人の陳述書を提出しただけで、本件贈与を直接立証できる書証を提出していない。

被告は、株式会社北清産業(会社)入社の際、本件不動産の所有名義について、登記簿等により確認をしておらず、原告の「自分の出来ることはこれだ。」という言葉から一方的に「土地建物を頂いた」と判断したにすぎず、本件贈与を文書にすることもなく、会社入社後も、原告に本件不動産の名義変更はまだ早いと言われて、それ以上名義変更を要求せず、本件不動産が会社債務の担保に供されていたことも、意に介していなかった。このような経緯に照らすと、被告は、本件贈与を受けたことはなく、本件仮処分申請についても過失がある。

(2) 本訴の過失

被告は、本訴で本件贈与を主張するについて、その事実的法的根拠を欠くことを知りながら、また通常人であれば容易にそのことを知り得たのに、敢えて本訴を提起したのであるから、本訴提起につき不法行為責任を負う。

2  損害

(1) 弁護士費用

原告は、本件仮処分事件、本件反訴事件について、原告訴訟代理人に委任し、その報酬として、日本弁護士連合会報酬等基準規程に定める最高額の着手金および報酬を支払う旨約し、その額は、着手金及び報酬とも一四〇万円を超える。

原告が本件仮処分決定に対し異議申立てをしなかったのは、異議申立ての理由が被保全権利の不存在にある場合、異議事件の審理に先行して、本案の審理が行われることが通例であるためである。

(2) 慰謝料

本件仮処分決定の執行により、本件不動産は係争物件の外観を呈することとなり、その所有者である原告は、精神的苦痛を被った。

原告は、被告の前記訴訟活動により、本件仮処分申請から本訴反訴の確定まで、約三年六月間応訴を余儀なくされ、これによる精神的苦痛を被った。

これら原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、一〇〇万円を下らない。

3  よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づき、損害賠償金三八〇万円およびその遅延損害金を請求する。

三被告の主張

1  責任

(1) 本件贈与の存在

本訴反訴の判決において、被告の本件贈与の主張は排斥されたが、本件贈与は実際に存在したので、被告の本件仮処分申請および本訴提起は、不法行為とならない。

被告は、昭和五八年から昭和六〇年の間、三和銀行(銀行)仙台支店に勤務し、会社を実質上経営していた原告と、融資取引を通じて知り合った。原告は、会社の事業規模拡大に伴って、早急にその経理部門を整備すべく、有能な銀行員であった被告を、会社に入社させたいと考えていた。

被告は、当時、銀行を退職すべき事情はなく、転職を考えていたわけでもなかったうえ、会社は、勤務条件において銀行と格段の差があったことから、原告は、被告に対し、本件贈与を提示し、これにより転職の決断を迫った。被告は原告と交渉した結果、銀行在職中と同程度の年収を実質的に保証するという条件で、会社への入社を承諾した。

入社によって、被告の賃金は、月額五五万円から四五万円へと、一〇万円減少するが、年間一二〇万円の減収が二四年間継続すると、その減収額は現在価値に引き直し一六五五万円となる。また、被告は、銀行にあったような社宅や低利貸付制度等の福利厚生の恩恵を失い、この面でも不利益を受ける。したがって、銀行在職中と同程度の年収を実質的に保証するという条件は、本件不動産の贈与を受けることで、初めて充足されるものである。

本件不動産は、リフォームの必要があったが、被告に貸与するのであれば、リフォーム不要な物件を借り受け、借上社宅として賃料を支払う方が会社には有利である。

被告は、入社後、原告に本件不動産の名義変更を求めたが、原告は、これを拒絶したことはなく、単に、先延ばしにしてきたに過ぎない。

(2) 本件仮処分申請の無過失

仮に、本件贈与契約が認められなくても、右事実によれば、被告には、入社の際に本件贈与を受けたと信じたことにつき、やむを得ない事情があり、被告には、本件仮処分申立につき過失はない。

(3) 本訴提起の無過失

訴えの提起が不法行為になるのは、原告主張の権利等が事実的法律的根拠を欠くことを知りながら、または通常人であれば容易に知りえたのに、敢えて訴訟を提起した場合であり、本件は、このような場合にあたらないから、本訴提起は不法行為にならない。

2  損害

(1) 弁護士費用

原告訴訟代理人の行った訴訟活動は、本訴の応訴と反訴の遂行であって、本件仮処分決定の早期取消のために、特段の法律事務を行っていない。仮処分を至急取消す必要のある事案では、本案に先行して異議の審理が進められるが、本件では、異議申立てはされなかった。

(2) 慰謝料

本件不動産が係争物件の外観を呈することにより、原告が精神的苦痛を被ったとしても、これは財産権侵害に伴う通常の精神的苦痛であり、財産権侵害が回復されることによって回復されるので、慰謝料の対象とならない。

3  消滅時効

原告は、遅くとも、反訴を提起した平成元年三月三日までに、不法行為による損害を知ったから、被告は、その消滅時効を援用する。

第三裁判所の判断

一責任

1  仮処分申請

(1) 本件贈与の存否

本訴が原告の勝訴で確定した(争いがない)ことにより、本訴を本案訴訟とする被告の本件仮処分申請には、過失があるものと推定される。そこで、本件贈与の有無につき判断する。

被告は、被告本人尋問の結果中、本件贈与を受けた旨述べ、<書証番号略>も同趣旨である。また、会社を実質上経営していた原告が、被告を入社させたいと考えていた事実、被告は、原告と交渉した結果、銀行在職中と同程度の年収を実質的に保証するという条件で、会社への入社を承諾した事実も認められる(<書証番号略>、被告本人)。

しかしながら、原告本人尋問の結果中、原告が本件贈与の存在を否定しているうえ、本件不動産の価格が一千数百万円にのぼるにもかかわらず、本件贈与契約の契約書が存在しない事実、被告の要求にもかかわらず、結局被告に対する本件不動産の所有権移転登記はなされず、かえって、本件不動産が会社債務の担保に供された事実(<書証番号略>、原告本人、被告本人)を併せ考慮すると、右証拠および認定事実から、本件贈与の存在を認定するには不充分であり、他に同事実を認定するに足る証拠は存在しない。

また、被告は、被告の会社入社による減収は一六〇〇万円を超え、銀行の福利厚生の恩恵も失うから、本件贈与があって初めて、銀行在職中と同程度の年収を実質的に保証するという条件が満たされると主張する。しかしながら、被告が転勤やこれに伴う子供の教育問題から、地方永住を希望しており、転職を考えていた事実(<書証番号略>)に照らすと、銀行在職中と同程度の年収という条件は、さほど厳密なものではなかったと認められるし、本件不動産の使用貸借により、被告がかなりの賃料負担を免れる事実を併せ考慮すると、被告主張の減収から、本件贈与を認定するには不充分である。

更に、被告主張のとおり、本件不動産は、リフォームの必要があった事実が認められる(<書証番号略>)が、一般に、社員に貸与する不動産を、会社が買受けるか、借受けるかは、単に資金繰りの問題にとどまらず、その総合的な経営判断によるから、右事実から、本件贈与の事実を認めるには不充分である。

加えて、被告は、入社後、原告に本件不動産の名義変更を求めたが、原告は、これを拒絶したことはなく、単に先延ばしにしてきたに過ぎないとも主張し、<書証番号略>中には、右事実に沿う部分がある。しかしながら、原告は、原告本人尋問の結果中、本件不動産の名義変更は断ったと述べているうえ、被告がその後、再度名義変更を求めていない事実(<書証番号略>、原告本人)に照らすと、<書証番号略>から、右被告主張事実を認定するには不充分である。

(2) 仮処分申請の無過失

被告は、本件贈与が認められなくとも、被告には、入社の際に本件贈与を受けたと信じたことにつき、やむを得ない事情があり、被告には、本件仮処分申立つき過失はないと主張する。

確かに、会社を実質上経営していた原告が、被告を入社させたいと考えていた事実、被告は、原告と交渉した結果、銀行在職中と同程度の年収を実質的に保証するという条件で、会社への入社を承諾した事実が認められる(前記認定)。

しかしながら、他方で、本件不動産の価格が一千数百万円にのぼるにもかかわらず、本件贈与契約の契約書が存在しない事実、被告の要求にもかかわらず、結局被告に対する本件不動産の所有権移転登記はなされず、かえって、本件不動産が会社債務の担保に供された事実(前記認定)を併せ考慮すると、右認定事実から、本件仮処分申請についての過失推定を覆すには不充分であり、他に過失推定を覆すに足る証拠は存在しない。

2  本訴提起の過失

(1) 原告は、被告が、本訴で本件贈与を主張するについて、その事実的法的根拠を欠くことを知りながら、また通常人であれば容易にそのことを知りえたのに、敢えて本訴を提起したと主張する。

(2) 確かに、結果的には、被告の本件贈与の主張は排斥された(争いがない)が、被告が、本訴提起の時点で、本件贈与の主張が事実的法的根拠を欠くことを知っていたとか、通常人であれば容易にそのことを知り得たと認めるに足る証拠はない。

(3) したがって、被告の本訴提起に過失があるとは認められず、被告が、この点で不法行為責任を負うとは認められない。

二損害

1  右認定のとおり、被告の本件仮処分申請については過失が推定され、本訴提起については過失が認定できないので、以下、原告が本件仮処分申請によって被った損害について検討する。

2  弁護士費用

(1) 原告は、本件仮処分事件、本訴反訴各事件について、原告訴訟代理人に委任し、その報酬として、日本弁護士連合会報酬等基準規程に定める最高額の着手金および報酬を支払う旨約し、その額は、着手金および報酬とも一四〇万円を超えると主張し、確かに、<書証番号略>、原告本人尋問の結果中には、右主張に沿う部分がある。

(2) しかしながら、本件仮処分決定は、無審尋で発令され、その後の異議の申立もなされていない(原告本人)こと、原告訴訟代理人が、本件仮処分事件に関する法律事務を行ったと認めるに足る証拠がないことを併せ考慮すると、原告が原告訴訟代理人に対して約した弁護士報酬は、本訴の応訴と反訴の遂行に対するものである可能性が高く、他にこれが本件仮処分事件に関する弁護士報酬を含むと認めるに足る証拠はない。

(3) この点について、原告は、本件仮処分事件について異議申立てをしなかったのは、異議申立ての理由が被保全権利の不存在にある場合、異議事件の審理に先行して、本案の審理が行われることが通例であるためであると主張する。しかしながら、一般に、このような審理が通例であるとは認められず、また、原告がこのような判断から、異議申立てを行わなかったからといって、本訴反訴の弁護士費用を、本件仮処分事件に関するものであるとみなしうる根拠はない。

3  慰謝料

(1) 原告は、本件仮処分決定の執行により、本件不動産は係争物件の外観を呈することとなり、その所有者である原告は、精神的苦痛を被ったと主張する。

(2) しかしながら、本件不動産が係争物件の外観を呈したとしても、それによる精神的苦痛は、財産権侵害に伴う通常の精神的苦痛であり、財産権侵害が回復されることによって、その苦痛も回復される。したがって、原告の被った精神的苦痛が、財産権侵害に伴う通常の精神的苦痛を超えるか否かが問題となるが、このような通常の精神的苦痛を超えると認めるに足る証拠はない。

(3)  また、原告は、約三年六月間の応訴による精神的苦痛を主張するが、このような長期間の応訴は、本訴の応訴と反訴の遂行によって余儀なくされたものであるから、原告がこれにより精神的苦痛を被ったとしても、本件仮処分事件とは因果関係がない。

三以上のとおりであるから、本件仮処分事件については損害の立証がなく、本訴提起については過失の立証がないので、原告の本件請求を棄却することとする。

(裁判官長沢幸男)

別紙物件目録<省略>

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