仙台地方裁判所 平成9年(ワ)1282号 判決 2002年3月18日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1原告の請求
1 被告は各原告に対し,金4230万9239円及び内金3845万9239円に対する平成8年12月20日から,内金385万円に対する平成9年11月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2事案の概要
本件は,宮城県A高校の生徒であった亡Bが,柔道の授業において練習試合をした後に気管支喘息の発作を原因として死亡するに至ったのは,同人がアレルギー性喘息の持病を有していたにもかかわらず,A高校の教師が,Bに対し心身に急激な負担をかけることが明らかな柔道の試合をさせたこと,ないしは柔道の試合後,柔道場を退出したBに付添いを付ける措置を怠ったことなど注意義務に違反したことが原因であるとして,Bの両親である原告らが,A高校を設置する被告に対し,国家賠償法1条1項に基づいて損害賠償を請求している事案である。
1 当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(以下「争いのない事実等」という。)
(1) 当事者
原告らは,Bの両親であり,Bは,平成8年12月19日当時,A高校の1年生であった。
被告は,A高校の設置者である。
(2) Bの体質とA高校への届出
Bは,6歳のころにアレルギー性喘息を発病し,以後死亡時までその治療を受けていたものであり,原告らは,A高校入学時にBの当時の病状等を記載した「届」と題する書面を同校に提出していた。
(3) 学校事故の発生(以下「本件事故」という。)
ア 平成8年12月19日,Bが所属するクラスはその2限目が体育の時間であり,柔道の授業が行われた。当該柔道の授業では,生徒をチーム毎(合計6チーム)に編成し,団体戦形式での練習試合が行われることとなった。Bは,その練習試合に出場し,時間一杯(1試合2分間)まで戦った。Bは,試合後,柔道の担当教諭であるC教諭に対し,トイレに行かせて下さいと申し出て一人で柔道場を退出した。上記の授業は,Bが柔道場に戻らないまま,午前11時ころに終了した。
イ 上記授業の終了直前の同日午前10時58分ころ,A高校のD教諭が,同校の北校舎1階西トイレ前で仰向けに倒れているBを発見した。D教諭及びこれを聞いて駆けつけたC教諭など他の教師が,Bに対し人工呼吸,心臓マッサージなどを行ったが回復せず,救急車を要請した。Bは,E病院に搬送され,同病院で救命処置を受けたが,午後2時15分ころ,気管支喘息の発作を原因とする窒息により死亡した(甲2,3)。
(4) 災害給付金の給付
A高校は,本件事故に関し,平成9年7月15日,日本体育・学校健康センターより災害共済給付金として2100万円の送付を受け,同月18日,原告らにこれを交付した。
2 争点
(1) C教諭には,Bの死亡について過失が存在するか。
(2) 上記の過失とBの死亡との因果関係の有無
(3) 原告らの被った損害
3 争点に関する当事者の主張
(1) C教諭には,Bの死亡について過失が存在するか。
ア 原告らの主張
C教諭は,原告らが提出した「届」と題する書面により,あらかじめBの病状について知っており,同人の健康状態,特に体育の授業を受けさせるにあたっては細心の注意を払うべき注意義務があった(喘息の生徒に激しい運動を行わせれば呼吸障害を起こす可能性があることは特段の医学的知識がなくとも十分予見可能であったからである。)。
具体的には,柔道の授業を担当したC教諭は,特に心身に急激な負担をかけることが明らかな柔道の試合(しかも団体戦となれば責任感から自身の体調を忘れて相当の無理をすることは想像に難くない。)をBにさせるべきではなく,仮にさせたとしても無理をさせないよう試合内容に十分気を配り,また気分を悪くして柔道場を出た可能性の高いBに対して自ら付き添うか,最低限生徒に付き添わせる(本件事故当日は見学の生徒も存在した。)などの措置を講じるべきであった。またそうでなくとも,同教諭は,Bがなかなか授業に戻ってこないことに注意を留めて誰かに様子を見に行かせるなどの措置を講ずべきであった。
しかるに,C教諭はBに対し,そのような配慮を一切行うことなく,健常な生徒と全く同じように授業を受けさせ,しかも帰ってこないBを30分以上も放置していたのであるから,C教諭には上記の注意義務に違反する過失が存在することは明らかである。
なお,被告は,C教諭において,本件事故が発生することについて予見可能性や結果回避可能性は存在しなかったと主張するが,以下のとおり,それらの可能性は存在したものである。
(ア) 予見可能性について
まず,Bは,校内の運動などに参加していたことは事実であるが,学校行事である栗駒山登山では一番軽いコースを苦しみながら踏破したものであり,長距離走も他の生徒の半分程度を走ったに過ぎない。柔道の授業中においても,Bは,乱取りないし寝技の練習の際に咳き込んでいたことがあった。このうち,栗駒山登山や柔道の授業については,C教諭がその場に立ち会っていた際の出来事であった。
また,Bは,A高校に入学した後も,F小児科医院の主治医のところに,平成8年7月19日,10月23日,12月6日の3回通院しており,うち7月と12月は吸入用気管支拡張剤の処方も受けている。したがって,Bには,客観的にみて,いつ喘息発作が生じても不思議ではない状況が存在したのである。さらに,上記のとおり,BからA高校に「届」と題する書面が提出されており,C教諭らはあらかじめBの病状について知っていたものである。
本件事故当時は,12月という寒い時期で,喘息発作が起きやすい状況にあったものであり,かつ柔道の試合という激しく,つい無理をしやすい運動であった。
さらに,死亡に至るほどの重篤発作が発生する前には何らかの前駆症状が生じるのが通常であると思われるが,C教諭が,Bの持病を考慮に入れた上で,同人を十分に観察していれば,これに気づくことは容易であったはずである。現に,Bは,「具合が悪い」という趣旨の発言をして柔道場を退出しているのである。
以上からすれば,本件事故当時,柔道の指導に当たっていたC教諭は,Bに喘息の発作が起こり本件事故に至ることを当然に予見すべきであり,かつ予見することは可能であったというべきである。
(イ) 結果回避可能性について
Bの死因は,喘息発作に基づく窒息死であることが解剖所見からも明らかであるから,発作が起きたとしてもその後の速やかな吸入用気管支拡張剤の使用や救急処置等によってBを救命する可能性がなかったとはいい難い。
上記のとおり,C教諭がBの喘息発作の危険性を予見し,同教諭自らかあるいは生徒(本件事故当日は見学の生徒も存在した。)を付き添わせていれば,吸入用気管支拡張剤を吸入させる余裕のない重篤な発作が突然生じたとしても,すぐに救急車を呼ぶとともにその間救急処置を取ることが可能となり,大事には至らなかったと思われる。
また,そうでなくとも,C教諭が,Bがなかなか授業に戻ってこない点に注意を留めて(同教諭は遅くとも団体戦の2回戦を始める時点でBが戻っていないことを明らかに認識していた。),誰かに様子を見に行かせておけば,発見がより早まったことになり,蘇生の可能性も高まったはずである。
したがって,C教諭には,Bの死亡という結果回避に必要な措置を講ずることにより,その結果を回避する可能性はあったものである。
イ 被告の主張
(ア) A高校側の配慮について
A高校では,体育の授業中や部活動において担当教諭が激しい運動と判断したものについては生徒の安全と健康に十分注意するとともに,その時期と体調に応じて,また個々の場面に応じて配慮し,生徒本人の判断を尊重しながら対応していかなければならないと考え,Bに対しても同様な配慮をしてきた。
すなわち,A高校では,入学時における保健調査の結果並びに原告Gが持参した「届」と題する書面に基づいて,Bの担任教諭や体育担当の教諭(体育担当はH教諭,柔道担当はC教諭)にもそのことを了知させ,これを受けて柔道担当のC教諭は,Bに対し柔道の授業を受けることの意思を確認の上,無理をしないように,体調不良のときは必ず申し出るよう指導していた。
(イ) Bの体育の授業における様子と喘息の治療について
しかるところ,Bは,他の生徒と変わりなく体育の授業を普通に受け,本件事故が発生するまでの間,欠席や見学は全くなかった。柔道の授業についても同様であり,無欠席,無見学で週1回の授業を受け,身体の変調を訴えることもなく,10月から行った乱取り稽古や11月に実施した寝技の試合にも本人の意思で参加していた。
なお,喘息の治療においては,患者が自分で希望する運動やスポーツに参加して,しかも喘息症状が出現しないことを喘息管理の目標とし,運動やスポーツは喘息患者にとって禁忌どころか積極的に取り組むべき対象となっている。
(ウ) 本件事故当日について
Bは,本件事故当日,柔道の授業として練習試合に参加し,2分の試合時間すべてに出場し,結果として対戦相手に技有りを取られ,優勢負けとなった。Bは,試合後の午前10時25分ころ,C教諭に対し「トイレに行かせて下さい。」と言ってきたことから,同教諭はこれを許可した。このときもBは,普通の息遣いで顔色や歩き方も普通で特に変わった様子はなかった。
C教諭は,Bがしばらく戻ってこなかったため,お腹の具合が悪く用便に時間がかかっているのかなと気には留めていたが,柔道の試合が三か所で並行して続行中であり,競技上の危険防止のため目を離すわけにもいかず,Bの様子を確認することをしなかった(見学者は1名いたが,練習試合の時計係をしていた。)。
午前11時ころ,柔道の授業を終了させた時にもBは戻っていなかったことから,C教諭は授業終了後,保健室に向かったところ,その途中で他の教諭からBが倒れていることを知らされ,現場に急行した。なお,C教諭らが,現場に急行した時点では,Bは,失禁しており,呼吸,脈拍ともになく,瞳孔が完全に開いている状態であった。
A高校の教師らは,Bに対し人工呼吸,心臓マッサージを施すとともに救急車の出動を要請し,救急車の到着後直ちにBをE病院に搬送し,手当をしてもらったが,午後3時25分ころ,同病院の医師から,Bが午後2時15分に死亡したことを告げられた。
(エ) 注意義務の違反(過失)について
(a) そもそも学校事故における教師側の注意義務の具体的内容,程度は,一般に当該教育活動の性質,危険性と対象となる生徒の年齢,判断能力等に基づいて措定されるところ,上記のとおり,Bの体育の授業における様子や本件事故当日のBの様子(試合当時のBの様子には異常はなく,また柔道場を退出するときの様子も普通の息遣い,顔色,歩き方であった。)からして,本件事故は,授業内容そのものに内在する危険によって生じた事故と断ずることのできる要素は極めて希薄であり,本件事故は,授業内容そのものとは直接関係のない場面で生じた事故である可能性が高い。このような場合には教師側は原則として本件事故発生についての注意義務を負わず,同事故発生についての特別な予見可能性があったときにはじめて注意義務を負うというべきである。
(b) 特別な予見可能性について
そして,特別な予見可能性についても,C教諭は,Bが喘息に罹患していたことは知っていたが,原告らが提出した「届」と題する書面でのBの主な障害事由はペルテス病であり,喘息は副次的な注意事項であったこと,柔道を含む体育の授業中にBが喘息の発作を起こしたことは一度もなかったこと,運動会,栗駒山登山,秋季体育大会,一般の体育の授業,柔道の授業において,自分の体調をよくコントロールしながら,他の生徒と遜色のない活動をしていたこと,トイレに行くと言って退出するときのBの息遣い,顔色,歩き方に異常はなかったこと,Bは高校1年生であり,それ相応の自主的な判断能力と行動能力を持っていたこと,喘息の生徒の中にはバスケットボールなどの運動部で活躍している生徒もいたこと,以上のような理由から,C教諭には本件事故が発生することの特別な予見可能性はなかったというべきである。
(c) 結果回避可能性について
また,Bの死は,柔道場を退出した後に同人に生じた急激な変化などの特徴や医療関係者の所見などに照らしてみれば,軽症の喘息患者である同人が,柔道場を退出した後,運動誘発性以外の何らかの原因により突然の高度発作を起こし重篤な状態に至り突然死したと考えられ,誰にも予見できず,かつ結果回避の可能性も存在しなかったというべきである。
(d) 以上から,C教諭にはBの死について過失は存在しない。
(2) 上記の過失とBの死亡との因果関係の有無
ア 原告らの主張
A高校のC教諭が,上記の過失を怠ったことにより,Bは死亡したものであり,同過失とBの死亡との間には因果関係が存在する。
イ 被告の主張
仮にC教諭に過失が存在したとしても,以下のとおり,同過失とBの死亡との因果関係は存在しないというべきである。
すなわち,Bは,柔道場の直近のトイレではなく,そこからは遠く離れたトイレ(自分のクラスの生徒用ロッカー)の前で倒れていたこと,発見時,Bは失禁しており,呼吸,脈拍ともになく,瞳孔が完全に開いた状態であったこと,同人の死体検案書によれば,発病(発症)又は受傷から死亡までの期間は推定20分くらいとされていること,さらに結局喘息の発作がいつどこで起きたのかは不明であること,このようにBの急変状態の有無及びそれが発生したとしても何時どこで外部から覚知しうるものとなったかが全く分からないのであり,直ちに医療行為を行っても救命できたかどうかさえ分からないものである(現に,上記死体検案書の解剖欄の主要所見として,急性死の所見が見られるということであり,Bは,柔道場を退出した後,喘息発作が急に発症し,発見されたときには既に死亡していた可能性すら認められる。)。したがって,上記過失とBの死亡との間の因果関係は少なくとも不明というべきであり,認められないといわざるを得ない。
(3) 原告らの被った損害
ア 原告らの主張
(ア) 逸失利益 各自2295万9239円
Bは死亡時16歳であり,賃金センサス平成6年産業計・学歴計男子平均賃金557万2800円を基礎として,生活費控除を5割,中間利息の控除としてライプニッツ係数を用いて(67歳までの就労可能期間51年に対応する同係数から就労開始18歳までの2年に対応する同係数を引いたもの)計算すると同人の逸失利益は下記のとおりとなる。
557万2800円×(18.3389-1.8594)×0.5=4591万8478円原告らは,Bの死亡により上記金額を相続により各自2295万9239円を取得した。
(イ) 葬儀費用 各自50万円
Bの死亡により原告らは葬儀費用の支出を余儀なくされたが,その損害は各自50万円とするのが相当である。
(ウ) 原告ら固有の慰謝料 各自1500万円
Bは原告らの一人息子であって,同人の死亡により原告らが受けた精神的損害は計り知れないものであり,同損害を金銭に見積もれば各自1500万円を下らない。
(エ) 弁護士費用 各自385万円
原告らが被告に対し訴訟を追行するに要する弁護士費用としては,各自385万円が相当である。
イ 被告の主張
損害のてん補
争いのない事実等(4)のとおり,原告らが受領した災害共済給付金は,日本体育・学校健康センター法の規定に照らせば,損害のてん補としての性質を持つものであることは明らかであるから,損益相殺の対象となると解すべきである。
第3当裁判所の判断
1 本件の事実経過について
争いのない事実等に加え,証拠(甲2,5,7ないし11,14,15,乙1ないし6,7の1・2・3・5・6,8ないし11,13,証人C,同I及び同Jの各証言,原告G本人尋問の結果,鑑定人Kの鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) BのA高校入学前の日常生活と喘息治療について
Bは,昭和55年9月3日,両親である原告らの長男として出生した。Bは,4歳ころ,ペルテス病(大腿骨骨頭部壊死)を発病し,また6歳ころ,アレルギー性喘息を発症し,以後,喘息についてF小児科医院などの医師により治療を受けていた。Bは,F小児科医院の医師から運動には特に注意するように指導され,また同医師の指示により,吸入用気管支拡張剤を常に持参し,必要に応じて吸入していたが,中学時代においては,長距離走など走る種目以外の体育の授業については特に他の生徒と異なる扱いはなされていなかった。Bは,平成7年には,F小児科医院へ合計5回通院し,平成8年1月11日にも前日に発作を起こしたことから通院し,抗アレルギー剤,抗炎症剤,吸入用気管支拡張剤が処方されたが,吸入用気管支拡張剤(ベロテックエロゾール,ホクナリンエロゾール)の処方を除いては,定期的な薬の服用は指示されていなかった(A高校の入学試験前や後記の栗駒山登山などの行事の前に抗炎症剤が念のために処方された。)。また,Bの喘息が重篤になったこともなく,同医師からは気管支喘息の軽症ないし中等症と診断されていた。
(2) BのA高校入学時において
Bは,平成8年4月8日(以下,特に明示のない時は平成8年を指す。),A高校に入学し,1年1組に所属することとなった。原告Gは,入学日当日,Bに,A高校に宛てた「届」と題する書面(甲5)を持参させ,Bは,これを自身の所属するクラスの担任であるL教諭に手渡した。
なお,「届」と題する書面には,Bは,ペルテス病(大腿骨骨頭部壊死)及びアレルギー性喘息の持病を抱え,いずれも現在治療中であるが,ペルテス病については,医師の指示により激しい運動が禁止され,特にジャンプを伴うものは固く禁止されているから,種目によっては体育の授業を見学させてもらうことになるとし,アレルギー性喘息については,吸入用気管支拡張剤を常に持ち歩き,必要に応じて吸入していると記載され,さらに最後に,高校生活の中では予測のつかない様々なことがあると思われるが,そのときの身体の状態は本人(B)が一番よくわかっているので,決して無理強いをせず,活動をそれ以上続けるか否かの判断は本人に任せていただきたいと記載されていた。
(3) A高校のBに対する対応について
ア 体育担当の教師による対応
L教諭は,翌4月9日,体育担当のH教諭と柔道担当のC教諭に対し,上記「届」と題する書面の写しを渡した。
これに対し,H教諭は,「無理をさせないことを前提に考える。体育は跳躍を伴う種目を制限するなど考慮する。」旨の返答を行い,C教諭は,「柔道はジャンプを伴う種目ではないが,無理をさせないことを前提として本人の意思を確認して見ていきたい。なお,柔道の授業は,運動会が終わるまでは行わないので,柔道着を購入する時に本人の意思を確認する。」旨の返答を行った。その後,「届」と題する書面は,A高校の体育教官室の黒板に掲示された。
体育担当のH教諭は,Bに対し,体調の変化があるときは申し出るように話した。
柔道担当のC教諭は,4月の体育の時間に,生徒に対し5月の連休後に柔道着を購入してもらうことになると口頭で話をし,さらにクラス担任のL教諭が,4月下旬,Bに対し,柔道着を購入するかどうかの意思を確認した。翌日,Bは,L教諭に対し,両親である原告らとも相談した結果,購入することにしたと返事し,L教諭は,このことをC教諭に伝えた。
イ 養護教諭による対応
平成7年度から平成9年度までの間において,A高校が実施した保健調査の結果,配慮を要する喘息の生徒と判明した数は次のとおりである(下記の括弧内は,吸入用気管支拡張剤を常時携帯している生徒数である。)。
平成7年度 合計22(1)人
1年生6(1)人,2年生12(0)人,3年生4(0)人
平成8年度 合計20(2)人
1年生4(1)人,2年生5(1)人,3年生11(0)人
平成9年度 合計15(1)人
1年生7(0)人,2年生3(0)人,3年生5(1)人
なお,これらの生徒の症状には軽重があり,A高校は,それぞれの生徒の家庭や本人の希望を尊重しながら対象となる生徒に学校生活を送らせていた。
入学時における保健調査の結果,I養護教諭は,Bを特に健康面で配慮しなければならない生徒の1人と考え,学年を通じて1年生を担当する教師や体育担当の教師に対しても,そのことを伝え,日常の健康管理にも配慮していた。
(4) BのA高校での学校生活及び喘息の治療について
Bは,A高校に入学した後の学校生活において,健康な生徒と比較しても特に変わった様子はなく,傷病により保健室を利用したこともなかった。また,Bは,本件事故当日まで,無遅刻,無欠席であった。
4月12日に実施された健康診断(循環器検査)においては,Bの心電図,心音図ともに異常所見はなく,血圧も正常であった。5月15日及び同月23日に実施された健康診断(口腔歯科,内科,耳鼻科,眼科)においても,同人の眼にアレルギー性結膜炎の所見があったほかは特に異常所見はみられなかった(乙3,4)。
Bは,A高校に入学してから,F小児科医院に,7月19日,10月23日,12月6日に通院し,7月19日にはベロテックエロゾール2本,12月6日にはサルタノールインヘラー2本(いずれも吸入用気管支拡張剤)を処方してもらった(但し,その他にも抗炎症剤なども処方されている。)。Bは,中学生のときには吸入用気管支拡張剤を常に持ち歩いていたが,A高校入学後は主に生徒用ロッカーの中に同薬剤を入れていた。
(5) Bの体育の授業などについて
ア 体育の授業は,4月11日から開始されたが,Bは他の生徒と同様に授業を受けていた。
イ 4月27日には,運動会が行われ,Bは,希望して「玉入れ」に参加した。また,Bは,全校生徒が演技する「マスゲーム」にも参加したが,体育担当のH教諭の事前の指導により,前半の二人組の種目だけの演技を行った。このときには,Bに特に異常は見られなかった。
ウ 5月21日,5月23日,5月28日には,栗駒山登山に備えて長距離走が行われたが,5月21日及び同月23日には,Bは,3周で完走するところを1周半ぐらいしたところで授業が終了し,また5月28日には,5周で完走するところを3周ぐらいしたところで授業が終了した。Bは,上記の長距離走の途中で走るのを止めてぜいぜいと苦しそうにしたりしていたが,途中で長距離走自体を止めて見学することなどはほとんどなかった。Bは,長距離走の後,息が苦しいときなどに吸入用気管支拡張剤の吸入を行っていた。
エ 6月に行われた体力や運動能力を調査するスポーツテストにおいては,Bは,全部の種目(50メートル走,走り幅跳び,ハンドボール投げ,1500メートル走,懸垂,反復横跳び,垂直跳び,背筋力,握力,伏臥上体そらし,立位体前屈,踏台昇降運動)についてテストを受けた(乙5)。
オ 7月22日から同月24日にかけて,A高校の学校行事として栗駒山登山が実施された。A高校では,事前に参加生徒の保護者から参加承諾書を提出してもらう扱いとしていたが,Bの保護者である原告らからも参加承諾書が提出された。上記の登山については,生徒の体力等に応じて7つのコースが用意され,Bは距離の長いコースを申し出たが,A高校は,事前に学年及び体育科などの関係職員において,特に健康面で配慮しなければならない生徒の健康管理について協議し,Bについては,同人の体力等を考慮して一番負担の軽いコース(7コース,7.1キロメートル)に変更させた。
上記の登山においては,C教諭がBの属した班に付き添ったが,Bは,上記の登山の途中,特に下りにおいて,汗をかき,息をゼーゼーさせて苦しそうにしながら歩くようになった。休憩時には,C教諭がBに声をかけたが,Bは咳をしながら苦しそうに座り込んでいた。しかしながら,Bは,同じ班の人たちに遅れることなく行動を共にし,無事に下山した。
カ 6月以降の体育の授業においても,Bは,すべて出席し,欠席や見学をしたことは一度もなかった。
キ 10月9日に実施された秋季体育大会においても,Bは,「なめんなよ」という種目(予選である「長縄跳び」を経て,「腕相撲」,「ドッジボール」,「ソフトボール」の順で勝ち抜き形式で優勝を競うもの)に参加したところ,Bが所属するクラス(1年1組)は,「長縄跳び」を勝ち抜き「腕相撲」で敗退したが,Bは,「長縄跳び」の際,縄の回し手を担当した。
(6) Bの柔道の授業について
C教諭は,5月16日の最初の柔道の授業の際に行ったオリエンテーションにおいて,Bを呼び,同人に対し「中学校の体育はどうやっていた。」と聞いたところ,BはC教諭に対し,「普通にやっていました。」と答えた。C教諭はBに対し,「年間にわたって見学してもいいんだぞ。」と話したが,Bは,「やります。」と返答し,C教諭が「無理はするなよ。」と言ったところ,Bは,「はい。」と答えた。
C教諭は,その後の授業においても,生徒に対し,体調不良のときは必ず申し出るように指導していた。
Bは,柔道の授業においても,本件事故当日まで,無欠席,無見学で週1回の授業を受け,他の生徒と同じ内容をこなし,10月から行った立ち技の乱取り稽古や11月に実施した寝技の試合,さらには12月11日に実施した立ち技を含めた試合形式の授業にも自身の意思で参加していた。
但し,C教諭は,Bが,11月に実施した寝技の試合の際に息が上がり,苦しそうにしていたのを目撃し,同人に「大丈夫か」と声をかけたが,Bは,「はい」と答え,しばらくしてBの状態は回復した。なお,Bは,柔道の授業の際には,たいてい吸入用気管支拡張剤を柔道場に持参していた(但し,Bは,本件事故当日の柔道の授業の時には,下記のとおり吸入用気管支拡張剤を持参していなかった。)。
(7) Bの本件事故当日の行動について
ア Bは,寒くなってから,同人の父親である原告Mに自動車で送ってもらっており,本件事故当日である12月19日(以下,(7)及び(8)のなかにおいて,特に明示のないときは「12月19日」を指すこととする。)も同様であったが,Bは特に具合の悪そうな様子もなく,朝のショートホームルーム(SHR)や1校時(午前8時40分から午前9時45分まで)の数学の授業の際にも特に異常は認められず,B本人からも何らの申告もなされなかった。なお,Bは,この日も吸入用気管支拡張剤を持参しておらず,生徒用ロッカーの中に吸入用気管支拡張剤を入れていた。
イ 本件事故当日の柔道の授業について
2校時(午前9時55分から午前11時まで)は,柔道の授業であり,Bは従来どおり柔道の授業に参加したが,この日は,吸入用気管支拡張剤を柔道場に持参していなかった。そして,上記の授業は次のような順序で進められた。
まず体操を行い,見学生徒の確認がなされた後,サーキットトレーニング,回転運動,回転受身がひととおり行われた。その後,自由稽古として,寝技の乱取り稽古を30秒を1本として合計5本行い,さらに立ち技の打ち込みとして,1人5本ずつ交替で,5本目に1本投げる練習を5分程度行った。
午前10時14分ころ,柔道担当のC教諭は,生徒に集合をかけ,点呼,欠席や見学生徒の確認を行い,団体戦の練習試合を行うために,生徒を合計6チームに編成した。その際,1チーム6名ずつに分かれたが,人数の少ないチームがあったことから,Bがそのチームに移動した。その上で,C教諭は,練習試合の指示(チームごとの団体戦として1回戦,2回戦を行うことなど)やルールの説明を行い,さらに危険防止の指示を行った。同練習試合は,6チームの団体戦で,柔道場内に三か所設けられた各試合場に分かれて対戦することとなった。
Bは,団体戦1回戦の4試合目に出場し,前半に対戦相手から大外刈りで技ありを取られ,その後反撃したが,そのまま試合終了となった。なお,試合時間は2分間であったが,上記の試合は相当程度激しいものであり,Bは,疲れ切った様子で試合後の礼の際にもふらふらして真っ直ぐ立っていられないような状態であった。
ウ Bが柔道場から退出したときの様子
Bのチームが1回戦6試合目に入った午前10時25分ころ,BはC教諭に対し,「ちょっと具合が悪いのでトイレに行かせてください。」と言ってきた。C教諭は,これを許可し,Bは,1人で柔道場を退出した。なお,このときのBの様子は,試合が終わって間がないこともあり,息が荒く,苦しそうな様子であった(Bの試合内容,試合終了時の様子並びに試合後間もないという時間的状況からして,上記認定のとおり推認される。)。
エ Bが柔道場を退出した後の状況
午前10時30分ころ,1回戦が終了したところで,C教諭は,1回戦の反省や気づいた点を生徒に述べ,10時40分ころ,団体戦の2回戦を開始した。Bは,柔道場を退出した後,しばらく経っても戻ってこなかった。C教諭は,Bが戻ってこないことについて,お腹の具合が悪く用便に時間がかかっているのかな,と気には留めていたが,柔道の試合が三か所で並行して行われており,競技上における危険を防止するために目を離すわけにもいかないと判断し,Bの様子を自ら確認するようなことはしなかった。
団体戦2回戦の6試合目には,Bが出場する予定であったが,その時になってもBは柔道場に戻ってこなかった。C教諭は,Bが戻ってこないことに気を留めていたものの,なお柔道場を離れるわけにはいかないと考え,Bに代わって他の生徒を出場させて試合を続行した。
なお,この練習試合には見学者が1名いたが,C教諭は,その生徒に試合の時計係を務めさせており,また,他の生徒にBの様子を見に行かせるなどの行為には及ばなかった。
午前10時58分ころ,同練習試合はすべて終了した。C教諭は,生徒に整理体操をさせ,集合させて怪我の有無を確認し,挨拶をして午前11時1分ころ,柔道場を退室した。
なお,Bは,柔道の授業を終了する際にも,柔道場に戻っていなかったが,C教諭は,用便に行った生徒がそのまま保健室に向かうこともあるから,Bも保健室に行っているかもしれないと考え,保健室に向かった。しかるところ,その途中で,N教諭と出会い,Bが倒れていることを知らされ,現場である別紙図面(図面添付省略)記載の北校舎一階西側のトイレに急行した。
(8) 倒れているBを発見したときの状況及びその後の状況について
午前10時58分ころ,D教諭は授業を終えて,廊下に出たところ,図面記載の北校舎一階西側のトイレの前で,Bが仰向けに倒れているのを発見した。なお,Bが倒れていた現場の近くには,Bの所属する1年1組の生徒用ロッカーがあったが,倒れていたBの脇に生徒用ロッカーの鍵が落ちており,同ロッカーには,サルタノールインヘラー(吸入用気管支拡張剤)1本が未使用のまま残っていた。
D教諭は,直ちに近くの1年3組の教室で授業していたO教諭に連絡して,Bを見守っておいて欲しい旨依頼し,I養護教諭に連絡するために保健室へ急行した。I養護教諭は,生物準備室に行っていたため,D教諭は,事務室に行って同養護教諭を呼び出してもらい,再び保健室に行って担架を持って現場に戻った。
その頃,柔道担当のC教諭,体育科の教師も現場に駆けつけ,直ちにO教諭が人工呼吸を,体育科の教師が心臓マッサージをそれぞれBに施し,D教諭とC教諭はBの脈拍の確認を続けた。I養護教諭も駆けつけ,直ちにBの状態を診たところ,同人は,すでに自発呼吸,脈拍ともになく,手指にチアノーゼがあり,意識がなく尿失禁をしており,また瞳孔が散大している状態であった。
I養護教諭は,午前11時4分ころ,直ちに電話で救急車の出動を要請し,午前11時13分ころ,救急隊が現場に到着した。担任のL教諭は,Bの主治医であるF小児科医院の医師に連絡して,同医師からE病院の紹介を受け,その旨救急隊に連絡した。救急車は,午前11時20分ころ,Bを乗せてE病院へ向けて出発し,午前11時25分ころに同病院に到着した。なお,救急車には,Bの担任のL教諭が同乗して付き添ったが,搬送中の午前11時21分ころのBの状態は,意識,呼吸,脈拍及び瞳孔の対光反射はいずれも無く,顔色は蒼白,瞳孔は散大し,血圧は測定不能,心電図はフラット,血中酸素飽和度は0パーセントであった。Bは,E病院に到着後,直ちに外来処置室に運ばれ手当を受けたが,Bは午後2時15分ころ死亡した。
なお,午後12時30分ころ,A高校の校長や事務室長,C教諭,さらにP教諭など関係職員が同校の校長室において待機して,E病院からの連絡を待つとともに,C教諭が本件事故の状況を説明しながら,今後の対応などを含めた検討協議がなされた。また,午後2時5分から,A高校の教頭が全職員を前に本件事故の状況を説明した。C教諭,D教諭,O教諭は,午後2時45分,E病院からの要請により同病院に向かった。
(9) Bの死亡後の原告らとA高校側のやりとり
Bは,死亡後,Q警察署に運ばれ,死因の特定などのため,翌12月20日,司法解剖に付された。
A高校では,本件事故の翌日である12月20日,早朝に職員会議を開き,今後の対応などについて協議し,さらに1校時目に全校集会を開き,同校の校長が生徒に対し,本件事故の概要を知らせるとともに,健康管理について十分気を配るように指導した。
以上の事実が認められ,これを覆すに足りる証拠は存在しない。
(10) これに対し,被告は,柔道場を退出する時のBは,普通の息遣いで顔色や歩き方も普通で特に変わった様子はなく,また同人はトイレに行くと言っただけで具合が悪いとは言っていないと主張し,証人Cもこれに副う証言をする。しかしながら,2分間の柔道の試合を終えた後しばらくの間は,息が荒くなっているのが通常と思われ,さらにBが喘息の持病を抱えていたことに鑑みると,被告主張のような様子であったとは考えられず(鑑定人Kは,柔道の試合後,2,3分で息遣いが元に戻る旨意見を述べるが,Bの柔道の試合が相当程度激しいものであったことに鑑みると,この点の同人の意見は採用できない。),また本件事故当日のうちに作成された宮城県教育委員会宛の事故報告書(乙7の1・2)の「事故の概要」欄には,Bは具合が悪いからトイレに行かせて欲しいと言った旨記載されており,同報告書がC教諭の報告を受けてA高校側によって作成されていることに鑑みると(C教諭は,証人尋問において,このような報告をしていない旨証言するが,同報告書の記載内容や,前記(8)のとおり,同人が校長室で本件事故の状況を説明していたことに照らし,証人Cの証言は直ちに採用しがたい。),被告の主張は直ちに採用しがたいというべきである。
2 Bの死因及び死亡推定時刻について
証拠(甲3,4)によれば,Bは死亡後,R大学医学部法医学教室の医師により司法解剖がなされ,死体検案書が作成されたところ,平成8年12月20日作成の死体検案書(甲3)では,直接の死因は急性心不全とされ,急性心不全の原因は検査中と記載されていたが,平成9年5月15日作成の死体検案書(甲4)では,Bの死因は,気管支喘息発作による窒息死とされ,解剖の主要所見として,「急性死の所見がみられ,気管支に組織学的に気管支喘息に典型的な所見があり,気管支腔は粘液により閉塞していた。」と記載されたことが認められる。なお,いずれの死体検案書(甲3,4)においても,発病(発症)から死亡までは20分位(推定)とされ,Bの死亡時刻は,平成8年12月19日午後2時頃(推定)と記載されていることが認められる。さらに,上記の司法解剖の結果,平成9年4月27日に作成された鑑定書(甲6)によれば,Bの死因について,急死を示す所見並びに気管支喘息に典型的な所見が見られ,また気管支腔が粘液により閉塞しており,これによる窒息は致死的と考えられることなどから,同人の死因は気管支喘息発作による窒息と考えられると記載されていることが認められる。
また,Bは前記1(7)及び(8)のとおり,午前10時25分ころに柔道場を退出した時点では,呼吸が荒く,苦しそうにしていたものの,自力で歩ける状態にあったものであるが,わずか約30分後の,同人が発見された直後の午前11時過ぎころの時点では,すでに自発呼吸,脈拍及び意識がなく,チアノーゼ,尿失禁があり,瞳孔が散大している状態にあったものである。
このように上記の死体検案書や鑑定書の内容,さらには柔道場を退出してからBに生じた急激な身体的症状の変化などに鑑みると,同人は,柔道の試合を契機として運動誘発性喘息を惹起し,その後に比較的急激かつ強度な発作を生じ,これにより気管支が収縮し,さらに分泌物である粘液で気道が閉塞し,その結果窒息して死亡したものと推認される(なお,証人Sは,Bの死因について運動誘発性喘息により死亡したと証言し,また鑑定人Kも,Bは運動誘発性喘息により比較的短時間に死亡したとの意見を述べており,上記認定と一致するものということができる。)。
3 争点(1)について
(1) 学校の教師は,授業を行うにあたり生徒の安全に配慮するなどの注意義務を負っているところ,その注意義務の具体的な内容,程度は,一般に当該教育活動の性質,危険性と対象となる生徒の年齢,判断能力,病状などの素因等に基づいて判断するのが相当であるが,当該生徒が高校生の場合には,総じて健康面を含め,ある程度自己管理できる判断能力を備えているものと認められるから,特段の事情のない限り,当該生徒に自己申告させるなど自主性に重きを置いた対応を取ることで足りるものと解するのが相当である。
(2) そこで,上記1及び2に認定した事実をもとに,以下において,C教諭がBに対し安全に配慮するなどの注意義務を怠った過失が存在するかについて検討するが,原告らは,まず,(ア)そもそもBに柔道の試合をさせるべきではなかったと主張し,また,(イ)仮にさせたとしても無理をさせないよう試合内容に十分気を配り,また気分を悪くして柔道場を出た可能性の高いBに対してC教諭自ら付き添うか,最低限生徒に付き添わせるなどの措置を講じるべきであったと主張し,さらに,(ウ)そうでなくとも,Bがなかなか授業に戻ってこないことに注意を留めて誰かに様子を見に行かせるなどの措置を講ずべきであったと主張することから,これに対応して個別に過失の有無について検討する。
ア Bに柔道の試合をさせたことについて
一般に,柔道は,身体的な接触が多く,力を使って相手を投げたり,寝技で相手を押さえ込むなど,相当な体力を消耗し,また呼吸の乱れも相当程度引き起こす性質のものであり,かつ,その試合となれば,それ以上の体力の消耗や呼吸の乱れを招来することが予想される。したがって,柔道の授業を担当する教師は,一般的に,喘息の持病をもった生徒に対し,柔道の授業,特に柔道の試合をさせるに当たっては,他の生徒よりも十分な注意をもって試合に臨ませ,また試合後においても十分な配慮を行うように注意する義務があるが,上述のとおり,当該生徒が高校生であることに鑑み,試合をするかどうか,さらに試合中ないし試合後の動静についても,基本的には当人の自己申告に重きを置いた対応を取ることで足りると解するのが相当である。
本件において,Bは,上記1(1)のとおり,A高校に入学した当初に同人の病状等を記載した「届」と題する書面を提出し,また入学時における保健調査の結果からして,Bが特に健康面において配慮を要する生徒の一人に掲げられており,C教諭もBの持病について周知を受けていたものであるが,C教諭は,柔道着の購入の有無を含めて柔道の授業を受けるかどうかの意思を確認し,これに対し,Bが柔道の授業を受ける意思を示したことから,同人に対し無理をしないように,気分が悪いときはいつでも休んでよいからと指示した上で,授業を受けさせることとしたものである。また,C教諭は,少しずつ段階を踏んだ練習を行った上で,柔道の練習試合を実施している。他方,Bは,体育の授業や柔道の授業においても,欠席や見学を一度もすることなく,他の生徒と同じ内容をこなし,途中で苦しそうにしていたことはあった(長距離走や栗駒山登山は特にそうであった。)ものの,特に明らかな喘息の発作を起こしたりしたことはなかったものである。さらに,Bは,12月11日,立ち技を含めた柔道の試合形式の授業を受けたが,特に喘息発作を起こすことなく無事にこなしていたものである。
このように,C教諭は,Bに対し柔道の授業を受けることの意思を確認し,同人の健康面に配慮した対応を行い,柔道の授業についても段階を踏んで無理のないように実施していたものであり,他方,Bは,喘息の持病を有していたとはいえ,他の生徒と同じように試合形式を含む柔道の授業を受け,これをこなしていたものである。さらにBが本件事故当時,高校1年生であったことに鑑みると,単なる授業以上に激しいことが予想される柔道の練習試合といえども,Bの様子から特に喘息発作を引き起こすことが予想される場合や,Bが自ら体調の不調を訴えたり,練習試合の内容からしてこれを行うことが危険であることなどを申告したような場合でない限り,練習試合を行わせるべきではなかったと認めることは困難というべきである(現に,アレルギー疾患治療ガイドライン(乙15)によれば,喘息患者は,運動,スポーツを避ける必要がなく,むしろ患者が自分で希望する運動,スポーツに参加して,喘息症状が出ないことを喘息管理の目標とすると記載されており,柔道についても,これを禁忌とすべき特段の事情は見られないというべきである。)。しかるところ,前記1(6)のとおり,Bの様子や同人から柔道の練習試合を見学させてほしいなどの特段の申告がなかったことからすれば,C教諭がBに柔道の試合をさせたことについて注意義務違反(過失)を認めることはできないというべきである。
イ Bが柔道場を退出するときに付添人を付けなかったことについて
次に,Bが柔道の試合後,C教諭に対し,トイレに行かせて下さいといって柔道場を退出したときに,C教諭が自ら付き添うか,他の生徒に付き添わせる注意義務が存在したか否かについて検討するに,前記1(7)ウのとおり,Bは,「ちょっと具合が悪いのでトイレに行かせてください。」と申告し,またこの時点で息が荒く苦しそうな状態にあったものであるが,同人は具合が悪いのでトイレに行くと言ったに止まり,喘息発作が発症したと申告したものではないことはもちろんのこと,保健室に行くといったものでもないこと,さらに同人の年齢や判断能力に鑑みると,上記アのとおり,一般的にBに対する配慮は必要であるものの,Bが息が荒く苦しそうな状態にあるという身体的症状や同人の申告内容だけから,C教諭が自らないし他の生徒をBに付き添わせる義務が存在したとまで認めることはできない(そのように解さなければ,具合が悪いと退出した喘息の生徒には,すべて教師自らなり他の生徒を付き添わせなければならないことになりかねず,妥当とは思われない。)。
ウ 授業に戻ってこないBの様子を見に行かせなかったことについて
(ア) 予見可能性について
Bは,午前10時25分ころ,柔道場を退出した後,なかなか戻ってこなかったものであるが,C教諭は,Bが喘息の持病を抱えていることを知っており,かつBが具合が悪いと申告し,また息が荒く苦しそうな状態にあったのを直接見て確認していた(C教諭は,この点を否定する証言をしているが,前記1(10)のとおり,これを採用することはできない。)ことに照らすと,遅くとも団体戦1回戦が終了し,引き続いて団体戦2回戦を開始した午前10時40分ころの時点で,Bが喘息発作を起こしたのではないかと予見することができたというべきであり,さらには,同人が柔道場に戻ってこないことをもって,同人の生命,身体への危険が及ぶような異変が生じたのではないかとの認識をもつことも可能であったというべきである。
なお,この点について,鑑定人Kは,運動誘発性喘息による死亡例が少ないことから,喘息患者が運動誘発性喘息により死亡することを高校の体育教師が有しているべき知識とは考えられないとし,また外国の文献において運動誘発性喘息の重症発作が予測できなかったとする調査結果がみられることから,高校の体育教師において,喘息患者が運動誘発性喘息により死亡する可能性があることを認識するのは困難である旨意見を述べるが,死亡例が少ないことが高校の体育教師の有すべき知識に直ちに影響すると解すべきではなく,また運動誘発性喘息の重症発作が予測できなかったとする調査結果についても,鑑定人Kの鑑定の結果によれば,同調査は,運動負荷テスト実施後の重症喘息発作の発生に対する運動前の事前予測に関するものであることが認められるのに対し,本件においては,Bが,柔道場を退出する時点で具合が悪いと申告し,息が荒く苦しそうな状態にあり,かつ,しばらく経っても戻ってこなかった時点を基準とした予見可能性の問題であるから,上記の調査結果と同列に論ずることはできず,同調査結果をもって上記認定を覆すことはできないというべきである。
(イ) 結果回避可能性について
上記のとおり,C教諭が,団体戦2回戦を開始した時点で,Bに生命,身体に危険が及ぶような異変が生じたことを予見し,その上で,団体戦2回戦の1試合目が終了した後,当該試合に出ていた生徒などに,Bの様子を見に行かせておけば,実際よりも早期にBが喘息発作を起こしていることを発見し得たと考えることができるところ,これによりBの死亡の結果を回避し得た可能性が存在するか否かについて検討する。
確かに,前記2のとおり,Bは,柔道の試合を契機として運動誘発性喘息を惹起し,その後に比較的急激かつ強度な発作を生じ,短時間のうちに死亡に至ったものと推認されるのであり,Bを現実よりも早期に発見していたとしても,同人を救命し得たかどうかについては,Bに付き添った人間の喘息についての知識量とBの喘息発作の程度,特に気管支の収縮の程度と分泌物の量に左右されるものであり,前記2のBの解剖所見を前提としても,なお不確定要素が多分に存在するといわざるを得ないものである。
しかしながら,その発見の時期如何によっては,Bを発見した生徒がI養護教諭に連絡するなどした上,当該生徒やI養護教諭ほかA高校の教師が,Bの体の締め付けを除去して同人に座位を取らせ,水分を摂取させたり,場合によってはBに気管支拡張剤を吸入させたり,気道が閉塞している場合には人工呼吸を実施して蘇生させるなどの応急措置を講じたり,さらには早急に救急車を呼んで救命措置を講ずることにより,Bの気道の閉塞を阻止あるいは緩和できた可能性も存在するというべきであり,結果として同人の死亡を回避できた可能性は存在したというべきである(証人Sは,ゆっくり呼吸をさせて楽な体位を取らせ,水分を取らせることによりBの死亡を回避できた可能性があると証言し,鑑定人Kも,気管支拡張剤の使用や人工呼吸の実施などにより,Bの死亡を回避できた可能性があることを否定しておらず,上記説示に沿うものということができる。)。
以上からすれば,C教諭は,授業に戻ってこないBの様子を見に行かせなかったことについて生徒の安全に配慮すべき注意義務を懈怠した過失が存在するというべきである。
(3) これに対し,被告は,本件事故は,授業内容そのものに内在する危険によって生じた事故と断ずることのできる要素は極めて希薄であり,本件事故は,授業内容そのものとは直接関係のない場面で生じた事故である可能性が高く,このような場合には,当該教師に特別な予見可能性があったときにはじめて注意義務を負うというべきであるとした上で,特別な予見可能性について,C教諭は,Bが喘息に罹患していたことは知っていたが,原告らが提出した「届」と題する書面上,喘息は副次的な注意事項であったこと,柔道を含む体育の授業中にBが喘息の発作を起こしたことは一度もなかったこと,トイレに行くと言って退出するときのBの息遣い,顔色,歩き方に異常はなかったこと,Bは高校1年生であり,それ相応の自主的な判断能力と行動能力を持っていたことなどから,C教諭には本件事故が発生することの特別な予見可能性はなかったというべきであるとし,またBの死は,軽症の喘息患者である同人が,柔道場を退出した後,運動誘発性以外の何らかの原因により突然の高度発作を起こし重篤な状態に至り突然死したと考えられ,結果回避可能性も存在しなかったと主張する。
しかしながら,前記2のとおり,Bは,柔道の試合を契機として運動誘発性喘息を惹起して窒息死したものと認められるから,本件事故はBのアレルギー性喘息という持病に授業内容に内在する危険が加わって生じた事故というべきであり,またC教諭はBが喘息に罹患していたことを知り,現に栗駒山登山や柔道の授業で苦しそうにしていたのを見ていたのであるから,息が荒く苦しそうに退出したBがなかなか柔道場に戻って来なかった上記(2)ウ(ア)の時点において,Bの生命,身体に危険が及ぶような異変が生じたことを予見することは可能であったというべきである。結果回避可能性についても,上記(2)ウ(イ)に説示したとおりであるから,この点の被告の主張は採用できない。
4 争点(2)について
上記のとおり,C教諭には,注意義務に違反した過失が存在するというべきであるが,次に同過失とBの死亡との間に相当因果関係が認められるかについて検討する。
訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。
これは学校の教師が注意義務に従ってなすべき行為を行わなかった不作為と生徒の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく,全証拠を総合的に検討し,教師の同不作為が生徒の当該時点における死亡を招来したこと,換言すると,教師が注意義務を尽くして行動していたならば生徒がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば,教師の同不作為と生徒の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである(医療過誤訴訟における同旨の判例として最高裁判所平成8年(オ)第2043号同11年2月25日第一小法廷判決・民集53巻2号235頁参照)。
C教諭は,なかなか戻ってこないBに対し,誰かに様子を見に行かせるなどの注意義務(作為義務)を怠ったものであり,前記3(2)ウ(イ)のとおり,C教諭が上記の注意義務に則った対応を取っていれば,その時期の如何によっては,Bの死亡の結果を回避し得た可能性は存在するというべきであるが,Bを発見した生徒や連絡を受けたI養護教諭はじめA高校の教師が,Bの体の締め付けを除去して同人に座位を取らせたり,水分を摂取させたりすることでBの死亡を回避し得たか,さらに同人らが気管支拡張剤を使用できたかどうか,また使用できたとしても,Bの急激かつ重度な症状の変化に対し,気管支拡張剤が有効に作用しえたかどうか,また人工呼吸を行ったり簡易救急蘇生器(保健室に備置されていたもの)を使用したとして,これらが効を奏したか,同様に早急に救急車を呼んだとしてBを救命し得たかどうかなどについて,医学的見地はもちろんのこと(平成9年5月15日作成の死体検案書(甲4)の解剖の主要所見には,「急性死の所見がみられ」と記載されている。証人Sは,Bの死亡を回避できたかもしれないと証言するのみであり,その結果回避の蓋然性を認める証言までをしておらず,また鑑定人Kも同様の意見を述べている。),通常人の判断基準からしても不明といわざるを得ず,他方,上記の措置以外にBを救命できた高度の蓋然性を示しうる措置を想定しがたく,また上記の措置が効果を有するとしてもいつの時点までなら効果を有するのかについても同様に明らかでないことに鑑みると,前記3(2)ウ(イ)に記載したとおり,Bの死亡を回避できた可能性は存在するとしても,それを回避できた高度の蓋然性を認めるまでには至らないというべきである。
そうすると,C教諭が上記の注意義務に則った対応を取っていたならば,Bについて,死亡の結果を回避し得たであろうことを是認しうる高度の蓋然性は見い出し得ないといわざるを得ず,訴訟上の因果関係を認めることはできないというほかない。
したがって,C教諭の注意義務に違反した過失とBの死亡との間の因果関係を認めることはできず,これに反する原告らの主張は採用できない。
第4結論
以上からすれば,その余を検討するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとし,訴訟費用の負担については,民事訴訟法61条,65条1項により,原告らの負担とし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤紘基 裁判官 遠藤真澄 裁判官 日置朋弘)