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仙台地方裁判所 平成9年(ワ)340号 判決 1998年11月30日

原告

甲野花子

外三名

原告甲野次郎及び原告甲野三郎法定代理人親権者母

甲野花子

右四名訴訟代理人弁護士

斉藤基夫

被告

乙山冬男

右訴訟代理人弁護士

日下俊一

主文

一  被告は、原告甲野花子に対し、金五〇〇〇万円及び内金四八五〇万円に対する平成八年七月二日から、内金一五〇万円に対する平成九年四月一九日から各完済まで年五分の割合による金員を、原告甲野太郎、同甲野次郎、同甲野三郎に対し、それぞれ金一六六六万六六六六円及び内金一六一六万六六六六円に対する平成八年七月二日から、内金五〇万円に対する平成九年四月一九日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

亡甲野春男(以下「亡春男」という。)は原告甲野花子(以下「原告花子」という。)の夫で、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)、同甲野次郎(以下「原告次郎」という。)及び同甲野三郎(以下「原告三郎」という。)の父親であり、株式会社A(以下「A」という。)の代表取締役であった。

被告は、亡春男を殺害したAの元従業員の乙山夏男(以下「夏男」という。)の父親、乙山秋子(以下「秋子」という。)は夏男の母親、乙山五男(以下「五男」という。)は夏男の兄である。

2  殺人事件の発生

夏男は、平成八年七月二日、宮城県多賀城市町前三丁目<番地略>所在のAの駐車場で、亡春男の腹部をナイフで刺して死亡させた(以下「本件殺人事件」という。)。

3  夏男の責任無能力

夏男は、本件殺人事件当時、精神分裂病により心神喪失の状態にあった。

4  保護者の選任

被告は、本件殺人事件に先立つ平成六年八月一六日、仙台家庭裁判所から、精神保健法(後に精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に改正)二〇条に基づく夏男の保護者として選任されていた。

5  亡春男死亡による損害

(一) 逸失利益

九四九九万五三四五円

(1) 亡春男は昭和二二年一一月九日生まれの健康な男性で、平成七年度にはAの代表取締役の給料として一二一四万三〇〇〇円の年収があり、また、株式会社Bの取締役も兼務して、その給料として六〇万円の年収があった。

(2) Aと株式会社Bの役員定年は共に満六〇歳であった。しかし、Aでは定年後も嘱託として雇用されることになっていたし、仮にそうでなくても、亡春男は、満六〇歳以降も就労可能年限である満六七歳までは稼働して、少なくとも自動車対人賠償責任保険支払基準相当額の平均年収があったと考えらえる。したがって、いずれの場合であっても、定年後も亡春男には満六七歳に達するまで三九万〇五〇〇円の月収があったと考えられる。

(3) 以上によれば、亡春男の満六〇歳までの逸失利益は、基礎収入を年額一二七四万三〇〇〇円(一二一四万三〇〇〇円+六〇万円)、生活費控除率を三〇パーセントとして新ホフマン係数で現価計算すると、次式のとおりとなる。

(1214万3000円+60万円)×(1−0.3)×9.2151=8219万9613円

また、亡春男の満六〇歳から満六七歳までの逸失利益は、基礎収入を年額四六八万六〇〇〇円(三九万〇五〇〇円×一二か月)、生活費控除率を三〇パーセントとして新ホフマン係数で現価計算すると、次式のとおりとなる。

(39万0500円×12)×(1−0.3)×(13.1160−9.2151)=1279万5732円

したがって、これらを合計した九四九九万五三四五円が亡春男の死亡逸失利益である。

(二) 慰謝料 五〇〇〇万円

亡春男は妻及び子三人を扶養し、一家の支柱として稼働していたところ、何ら責められるところがないのに突然夏男に殺害されたもので、同人及び遺族らの無念は甚だしいものがあり、精神的損害の慰謝料としては総額五〇〇〇万円を下ることがない。

(三) 葬儀関係費用

八五万四七一五円

亡春男の葬儀はAの社葬として施行されたが、原告らは内八五万四七一五円を負担した。

(四) 原告各自の請求額等

以上を合計すると一億四五八五万〇〇六〇円となるが、原告らは法定相続分に従って相続ないし負担した。

(五) 弁護士費用 三〇〇万円

原告らは、右(四)の内合計で金九七〇〇万円を請求するところ、本訴の提起、追行のために弁護士である代理人を選任し、弁護士費用についても、右(四)の割合で負担することとしたが、そのうち被告に負担させるべき弁護士費用としては合計金三〇〇万円が相当である。

6  よって、被告に対し、原告花子は、不法行為に基づく損害賠償金の内金五〇〇〇万円及び内金四八五〇万円に対する不法行為の日である平成八年七月二日から、内金一五〇万円に対する訴状送達の日の翌日である平成九年四月一九日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、その余の原告らは、それぞれ不法行為に基づく損害賠償金の内金一六六六万六六六六円及び内金一六一六万六六六六円に対する不法行為の日である平成八年七月二日から、内金五〇万円に対する訴状送達の日の翌日である平成九年四月一九日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の各事実は認める。

ただし、精神保健法二〇条所定の保護者(以下「保護者」という。)の監督義務は、精神障害者の医療・保護のため、精神障害者が自傷他害行為に及ばないよう監督する公法上の義務にとどまり、保護者は民法七一四条の監督責任を負うものではない。

2  同5の事実はいずれも知らない。

三  抗弁

1  注意義務の履行

精神障害者の監督には治療と人権保障、本人の社会復帰などの問題があって種々の制約がともなうのであるから、保護者が現実になしうる監督行為は、精神障害者の病状観察、医師との相談、本人に治療を継続させること、入院措置、周囲の者への注意の喚起などに限られる。

夏男は精神分裂病を患っていたものの、長い間被告と別居して一人暮らしをしており、十分な収入があったのに対し、被告は多額の負債を抱えて長男の家に身を寄せて世話を受けていた。被告及びその家族は、このような困難な状況の中でも、次のように可能な範囲で精一杯監督を尽くしてきたのであり、被告の監督に落ち度はなかった。

(一) 夏男は、平成五年一一月二七日、亡春男を殴打して傷害を負わせる事件(以下「殴打事件」という。)を起こした。そこで、被告は、平成六年八月九日、数名の警察官に夏男を連行してもらって東北会病院に入院させた。入院当初、主治医の西尾幸一医師(以下「西尾医師」という。)が行った診断では三か月の入院が必要だとされており、被告はもっと長い期間入院させることを考えていた。ところが、夏男は、二か月足らずの期間入院しただけで同年一〇月一日、東北会病院から退院させられた。夏男の退院が早まったのは、本人の治療よりも人権保障と社会復帰が優先されたからであり、被告の努力ではどうしようもなく、被告は病院の判断に従わざるを得なかった。退院に当たって、被告は西尾医師から夏男に通院を続けさせるよう指示されたが、同時に、薬を飲んだかとか、病院に行ったのかなどと何度も聞いて、干渉し過ぎないようにとも注意された。

(二) 夏男は、退院後小松島のアパートで一人で生活した。被告は、事業が倒産して長男の家に身を寄せて世話を受けている身で長男の家も手狭であった一方、夏男は、退院してからも、エンジニアの仕事を続けて一人で自活することができ(西尾医師は夏男が仕事を続けることを特に制限しなかった。)、警備員をしている被告よりも収入があった上、被告は西尾医師から干渉し過ぎないよう注意されていたため、夏男が同居を拒んだ以上別居を認めざるを得なかった。

(三) 被告は、退院後しばらくしてから夏男が通院していないことを薄々知るようになったものの、西尾医師から過度な干渉を注意されていたため、控えめに言って通院を促すことしかできなかった。

(四) 被告は夏男が通院しなくなったことに気づいて、夏男に通院や薬の服用を勧め、東北会病院にも事情を確認しに行っている。ところが、その頃になると、夏男は前回強制入院させられたことを恨んで、被告のみならず家族全員を敵視するようになり、夏男を説得して治療を続けさせることは極めて困難になっていた。前回の入院は、被告が保健所や警察官に何度も足を運んで苦労の末やっと実現できたのであったが、苦労して入院させたにもかかわらず早期に退院させられて逆に夏男から恨まれる結果となり、被告は対処に困って途方に暮れるようになった。

(五) その後、平成八年四月頃になると、夏男の被害妄想は強くなり、水道に毒を入れられているなどと口に出すようになった。被告は、Aからも怪文書が届いていることを何度か伝えられ、夏男を無理やり病院に連れて行くことも考えていたが、その矢先に本件殺人事件が発生したものである。

(六) 被告もAの関係者も、まさか夏男が殺人事件まで起こすとは考えてもいなかったのであり、本件の殺人事件は誰も予測していなかった。また、Aでは夏男の来訪に備え、昼でもシャッターを降ろしたりして警戒を続けていたのであり、被告の方でAへの注意喚起が不十分だった点もない。

2  結果回避の不可能性

本件では、たとえ、怪文書がAに送付されたり、夏男が妄想を口にすることがあったとしても、前回の殴打事件のときとは異なって暴力事件は現実には起きておらず、夏男の自傷他害のおそれは、あくまでも想像の域を出ないものであって、具体的危険性はなかった。現在の精神保健行政においては社会の保安よりも、精神障害者の治療と保護、人権保障が重視されていることから、単なる想像や懸念だけで、被告が簡単に警察官の協力を得て夏男を入院させることができたとは考えられない。また、前回被告が夏男を入院させることができたのは、殴打事件から八か月を越える期間が経過してからのことであって、再び被告が夏男を入院させることができたとしても、妄想が強くなった平成八年四月頃から短期間のうちに実現することは不可能であった。

四  抗弁に対する認否

抗弁1及び2の事実は否認する。

理由

一1  請求原因1ないし4の各事実は当事者間に争いがない。

2  なお、被告は、精神保健法二〇条所定の保護者は民法七一四条にいう監督義務者には当たらない旨主張する。

しかし、精神保健法二二条は、保護者の義務の一環として自傷他害の防止のために必要な監督をすべき義務を明定している。そして、保護者は、精神障害者本人にとっては強制入院となる医療保護入院の同意権を与えられているとともに(同法三三条)、同法二三条の診察を申請することにより、自傷他害のおそれのあるときに措置入院を促すこともでき、一定の範囲で精神障害者の自傷他害を防止するための実質的な手段も与えられているということができる。なるほど、精神障害者の監督は、多くは、十分な意志疎通が困難で、訓戒や説諭によって行動を統制することができない等の困難を伴い、また、本人が精神障害者になったことについて家族には責任はない。しかし、民法七一四条但書の免責事由の判断において、保護者と精神障害者の関係の実際や、保護者が実際にどの程度の監督が可能であったか等を考慮することで、個別具体的な事案における結果の妥当性をはかることは可能であり、これらの点は、一般的に保護者が監督義務者に当たることを否定すべき根拠とはならない。

したがって、被告の主張は失当であり、被告は精神保健法二〇条にいう保護者であるから、民法七一四条にいう法定の監督義務者に当たる。

二  抗弁1(注意義務の履行)について検討する。

1  括弧内掲記の関係各証拠によれば以下の事実が認められる。

(一)  夏男は、昭和六〇年八月二六日頃Aの幹部社員であったSの面接を受けて同社に入社し、平成四年一月二〇日、同社を退社した。入社当初夏男は、被告宅に同居していたが、平成元年頃から一人暮らしをするようになった(甲二一、二二、乙一、S証人、五男証人)。

(二)  夏男は、A在勤中宇宙人が攻めてきたというような訳の分からない話を口走って夜中に同社の事務所と隣室との間の壁を手と足でぶち破ったり、同社の従業員の車を蹴飛ばす等して細かい傷やへこみを付けたことがあり、また、誰かに監視されているようだ、昔付き合って思っていた人が出向先にいて、その人が自分を無視する、その人が別の人と付き合っているなどということをSに話して精神的に不安定な、ノイローゼ気味な様子をうかがわせたり、さらに、勤務状態も、昼過ぎに出社したり、午後から夕方にかけて出社して夜中まで仕事したり、無断欠勤が何日か続くなど、勤務態度が非常に悪いものであった(甲二三、乙一、S証人、五男証人)。

(三)  退職後も夏男は、テルミックという名称で、Aからの仕事を請負っていたが、夏男の自宅に電話をかけても連絡がつかなかったり、打合せをしようとしてもできず、納期も守られないなどの問題があった上、平成五年六月頃には突然所在不明となって家族にも行方がわからない状態になったため、Aはその頃夏男との取引を打ち切った(甲二三、乙一、S証人、五男証人)。

(四)  夏男は、平成五年一一月二六日午後三時少し前に、突然Aの本社を訪れ、亡春男との面談を申し入れて同人と会議室で面談中、突然亡春男に殴りかかり、顔面などを殴打したため、駆けつけた社員に取り押さえられた。その後、女子事務員の一一〇番通報を受けた塩竈警察署の警察官が事情をよく聞かないと行けない等と応答している内に、夏男は、「話分かるまで何回でもくっからな。」と捨て台詞を残して立ち去ってしまった(甲二四の一・二、甲二五)。

(五)  被告ら夏男の家族は、平成五年四月頃から夏男の居場所を全く知らず、右の殴打事件の後にAから事件の発生と夏男の所在の連絡を受けて、初めて夏男の所在を知った。五男が夏男の許を訪ねたところ、夏男は非常に高ぶっており、五男は、夏男が精神的に参っていると考え、何とかしなければならないと思い、青葉保健所や塩竈警察署に相談に行った(乙一、五男証人)。

(六)  殴打事件以後、Aでは、事務員や設計の女子職員が怖がるので、同様の事件が起きる可能性を考え、会社の玄関に常時鍵を閉めて、来客時には顔を確認してから鍵を開けるようにしていた。また、Aとしては、塩竈警察署の殴打事件への対応に大変不満を感じており、平成六年一月二四日には、Sにおいて、同署の担当捜査員に対し、一一〇番通報の際の対応の適否、警察官通報・検察官通報をしなかった理由、夏男の責任能力を判断する資格の有無、殴打事件についての警察の対応の経過等についての回答を求める書面を郵送した。しかし、これに対して、同署は、亡春男に対して、告訴の取り下げを勧告するとともに、Sが郵送した右の書面を返還し、その一方で、五男らが塩竈警察署に相談に行った際には、被害者から正式に告訴されていないから民事事件として取り扱わざるを得ず、民事事件には介入できないと応答した(甲二四の一・二、乙一、S証人、五男証人、被告本人)。

(七)  五男は、平成五年一二月上旬から月一ないし二回の割合で青葉保健所に相談に行き、同所の担当官から、夏男は病状的には被害妄想である旨の説明と対応策の助言を受けていた。しかし、入院に関しては、家族などに病院につれてきてもらわなければならず、警察に頼んで入院させることは難しいという説明であった。(乙一、五男証人、被告本人)。

(八)  平成六年六月八日ないし九日、Aの駐車場に止めてあった社用車に、ひっかき傷のような形で「オレにメーワク掛げっからだ」、「シャブ中」、「有志でツブしてもいーんだど」、「死ね」、「ブッコロスど」、「水道に毒入れでタダで済むが死ね」といった危害を加えるような言葉や卑わいな中傷文言等が多数刻まれるということがあった。五男は、Sからこの件で相談を受けてこれらの損傷部分を見分して、夏男がやったものと考え、修理をするから内聞にして欲しいと申し出るとともに、いよいよ夏男を入院させる必要があると決意を固め、青葉区役所からの紹介で青葉病院のケースワーカーと一度打合わせをし、同病院の病室が空くのを待つこととした(甲二七の一・二、S証人、五男証人)。

(九)  夏男は、平成六年八月一日、一人で文句を付けにAを訪れたが、Aは夏男を社屋内に入れず、五男を呼んだ。これを受けて、五男は、夏男を入院させることを決意し、青葉保健所に相談して東北会病院に空きがある事を聞いた。この頃青葉保健所の依頼を受けた警察からも協力する旨の電話があり、五男や被告らは、同年八月九日、警察官二名と保健所職員に同行してもらって、東北会病院に診察に行くという名目で夏男を連れ出した。同病院で西尾医師から保護入院を宣告された夏男は暴れ出し、家族に向かって「うそつき」「裏切り者」などと罵声を浴びせ、警察官らに押えつけられながら病室まで連れて行かれた。被告や五男ら夏男の家族は、夏男が長期間入院するものと考えていた(調査嘱託の結果、S証人、五男証人、被告本人)。

(一〇)  夏男には、右入院時、自分の行動に干渉したり、からかったり、商売の邪魔をするといった内容の幻聴や車や自宅の中に侵入されて、食べ物や飲み物に毒を入れられたり、機械に傷を付けられたりするという関係妄想や被害妄想があり、また亡春男がそういう行為をさせ、更には、同人は夏男が小学校の時から嫌われ者となるように本人につきまとってきたという被害妄想及び妄追想を抱いており、また、家族に対しても被害妄想を抱いていた。西尾医師は、このような病的体験から夏男を精神分裂病と診断し、三か月の入院加療を要すると診断した。そして、夏男は、日常生活面では被毒妄想によって食べ物が食べられなくなって痩せてきており、一方被害妄想によって殴打事件を起こした上、Aの社用車に傷を付けたり、同社へ文句を付けに行ったりしていたことから、右のような加害行為を繰り返すおそれがあるが、本人は病気であるとの自覚はなく、治療を拒否するため、精神保健法三三条の医療保護入院によって入院治療することにした。被告らは、入院当初に、西尾医師から、夏男が精神分裂病で、被害妄想があるようだとの診断結果を聞かされた。また、東北会病院等からの教示によるものと窺われるが、被告は、同年八月一一日頃、仙台家庭裁判に自己を保護者として選任するようにとの申立てをし、同月一六日、その旨の審判を得た(調査嘱託の結果、乙三ないし八、五男証人、被告本人)。

(一一)  被告と秋子は、夏男の姉を伴って同年九月七日に西尾医師の立会いのもとで夏男と面接した。この日の面接の目的は、夏男と家族の和解、関係修復であったが、被告らが入院させざるを得なかった事情を説明したのに対し、夏男は、両親も姉も亡春男とグルになっている、小さいときから友人と不仲になるように仕向けた、家の食事にも毒を入れられたなどと被害妄想を語り、西尾医師は、被告らに改めて話合いの機会を持つことを指示した。なお、夏男は、入院を人権侵害であるとして人権擁護委員に申し立てており、被告は人権擁護委員から東北会病院で事情を聞かれたことがあった(調査嘱託の結果、五男証人、被告本人)。

(一二)  その後、平成七年九月二一日と同月二七日に五男が西尾医師の立会いのもとで夏男と面接した。同月二一日の面接では、五男が入院までの経緯を話したが、夏男は、これを途中で制止し、喉がつまる、呂律が回らない等と訴えたので、面接は短時間で中止された。同月二七日の面接では、五男が無理矢理受診させなければならなかった経緯を説明したところ、夏男は、五男の気持ちを誤解していたと謝罪した(調査嘱託の結果)。

(一三)  西尾医師は、同年九月二七日以降病棟内の生活で夏男に幻聴や被害妄想など病的体験によると思われる言動が認められず、食事も普通に食べられるようになったこと、表情も明るく気分も安定しており、両親や兄に対して謝罪して和解し、退院に当たっての指示を受け入れるようになったことなどから、病的体験はかなり消褪して現実的な判断力を回復してきたと判断し、以後は外来通院に切り替えて薬物療法を継続することとして、入院から二か月弱の同年一〇月一日、東北会病院を退院させた。退院に際し、西尾医師は、被告と秋子を同席させ、夏男に対して、外来通院して服薬を続けること、家族との交流を保つため実家に定期的に顔を出すこと、仕事は無理をせず気楽にやることを指示し、被告らに対しては、通院、投薬、食事に配慮するよう指示する一方、あまり細かいところまで干渉しすぎないよう注意を与えた(乙一、調査嘱託の結果、五男証人、被告本人)。

(一四)  夏男の退院後の住居について、五男は自分の家に同居させるか、近くにアパートを借りて住まわせることを考えていたが、夏男が「三〇にもなって兄の世話になっていられない。」といったので、一週間に二回くらいは被告らのもとに顔を出すことを条件に、青葉区小松島にアパートを借りて一人で暮らさせることになった。なお、夏男の生活費については、五男も被告らも一切援助しておらず、把握していなかった(乙一、五男証人、被告本人)。

(一五)  夏男は、退院後同年一〇月七日から一二月二日にかけて五回通院したのみで、その後は全く通院しなくなった。また、同年一二月頃までは五男の家に週二回程度顔を出していたが、その後は顔を出さなくなった。この間の同年一一月七日頃、被告と秋子が、夏男が時々考え事をしていて様子が気になると言って西尾医師を訪ねたことがあったが、当時はまだ夏男が通院を続けていたため、西尾医師は、関係を壊すような刺激をしないようにして経過を見るよう指示するにとどまった(乙一、二、調査嘱託の結果、五男証人、被告本人)。

(一六)  平成七年一月以降は、主に秋子が電話を掛けて様子を聞いていたが、被告らがアパートへ訪ねて行こうとしても、不在だったり、都合が悪い等と断られて会えないこともあり、五男も、平成七年四、五月頃を最後として、夏男のアパートの中に入れてもらえなくなった(五男の供述中には、最後に夏男のアパートに入ったのは平成八年四、五月であったかのような供述があるが、その後にAにファックスが届いて善処を求められた等の供述の前後関係に照らして、平成七年の誤りと考えられる。)。夏男が通院しなくなったことを知って、被告ら家族は、それとなく夏男に通院を勧めたことはあったが、医師から、あまり細かいところまで話をしないように指示されており、夏男を刺激することをおそれて、強く勧めることはしなかった(乙一、二、五男証人、被告本人)。

(一七)  夏男は、平成七年五月二九日頃、Aに対し、「犯罪を起こすのが好きな甲野さんへ」「あんたらは人の物を何だと思っているのか」、「本人が触らなくても無数に増えていく傷」、「気が付かないように徐々に傷を増やしてやろうという魂胆だろうが、所有者が気が付かないとでも思っているのか。」、「別件も含め他の事を犠牲にして働いてやった者に対して何事か」、「謝罪・弁償しろ」、「あんたの犯罪の被害者乙山より」といった内容の文書をファクシミリで送り付けた。Sは警察に通報するとともに、五男に連絡し、病気の兆候が出ているので夏男本人のためにも何か処置をとった方がよいのではないかと促すとともに、このような行為をやめさせるよう要請した。五男は、警察からも連絡を受け、精神分裂病による被害妄想が生じたものと考えて同年六月一日に夏男と会い、受診を勧めたが、夏男はこれを拒否し、毒を入れられると話した。同年六月五日頃、夏男から再び先と同文のファックスが送信され、Sから善処を求められた五男は、同月六日、西尾医師に面接して事情を説明するとともに夏男に服薬させるための五日分の薬の処方を受けた。しかし、その後も夏男は通院しようとせず、服薬に応じた形跡もなかった(甲二八、二九、調査嘱託の結果、乙一、五男証人、被告本人)。

(一八)  この頃には、夏男は、再び家族を亡春男の手先であるなどと言って敵視するとともに水道に毒が入れられている等と言い出しており、これ以降は、被告ら家族は、夏男に連絡がつかなくなったり、アパートを訪ねても居留守を使われるなどして、対話が困難な状態となっていた。また、夏男が飲食店で食事の代金を払わず、五男に連絡が行ったこともあった(乙一、五男証人)。

(一九)  その後も夏男は、平成七年一二月六日頃には、Aに電話し、亡春男宛に「食べものに毒を入れるのをやめて欲しい」と伝えるように告げたり、平成八年二月二〇日には、Aに「薬物中毒のいがれまったへ」「食品、水道の汚染ばれないと思っていい気になってんじゃねーぞ」との文面をファクシミリで送り付けるなどし、また、同年三月初め頃には、夏男が、アパートの住人に水道に毒が入っているので飲まない方がよいといった内容のチラシを回すなどの行動に及んだ。

右のような夏男の異常な言動がある度に連絡や抗議を受けた五男や被告ら家族は、夏男のアパートを訪れているが、平成七年一二月九日には五男がアパートを訪れたところ、表札がなくなっていたことから留守にしているものと判断したり、あるいは、平成八年三月中旬頃には、夏男から、亡春男から金をもらって来たんだろう等と被告らを敵視する発言をインターホン越しに繰り返されたり、また、玄関先で門前払いされる等して、それ以上の対応策をとることは諦めていた(甲三〇、三一、乙二、S証人、五男証人)。

(二〇)  以上のような状況が続いていたにもかかわらず、被告ら家族が、平成七年六月六日を最後として東北会病院には相談に行かず、警察や保健所にも相談しようとせず、他の病院に相談に行くこともしなかったのは、前回は警察の方からの援助申出があったが、今回はそれもなく、自分たちで入院させなければならないと考えて、どのように入院させるか迷っていたからであった。それとともに、今回入院させたところで、前回同様すぐに退院させられ、夏男に恨まれるだけであると考えていたことにもよるものであった。そもそも被告自身は、殴打事件の頃からずっと、夏男は、本当の精神病というよりも、亡春男との対人関係に問題があり、亡春男が夏男と対話してくれさえすれば夏男の精神状態は落ち着くものと考えており、亡春男にそのように申し入れたこともあった。なお、被告ら家族は、Aに対しても、夏男が退院したことすら知らせず、その後も夏男が通院しなくなったことや表札がなくなって所在不明となった可能性があることを初め、退院後の経過やその後の様子について告げて注意を促すといったことも全くしなかった(五男証人、被告本人)。

(二一)  本件殺人事件の発生後、警察が捜索で夏男のアパートに立ち入ったところ、窓ガラスに電線のようなものが碁盤の目のように張り巡らされる等異様な状況であった(S証人、五男証人)。

2  以上の認定事実によれば、夏男は、平成六年一二月二日以降は通院しておらず、平成六年一二月頃からは五男の家にも顔を出さなくなって、西尾医師が、通院治療の前提として夏男に指示した事項が守られない状況となり、最後に五男が東北会病院へ相談に行った平成七年六月の時点では、被告らは、夏男が六か月近くにわたって投薬等の治療を全く受けていないことを知悉していたものと窺われる。また、同年五月二九日頃と同年六月五日頃には、夏男は、Aへ亡春男への敵意に満ちあふれた到底常人の書いたものとは思えない内容の文書を送り付けており、水道に亡春男によって毒が入れられているなど入院前に生じていた妄想と同一趣旨の発言を繰り返していたことをも考え合わせると、この時点で夏男の被害妄想は相当に悪化しており、遅くとも五男が最後に東北会病院に行ってから相当期間が経過した平成七年七月の時点では、自傷他害の危険性が生じていたと言わざるを得ない。そして、その後も夏男は、被告らを亡春男の回し者と敵視して、通院、服薬に応じようとせず、被害妄想に基づくと思われる電話をした後にアパートの表札を外し、五男や被告らは夏男が留守となったと思っていたのであるが、先の殴打事件も夏男が所在不明となった後に発生していることに鑑みると、この時点では、自傷他害の危険性は、相当強いものになっていたということができる。そして、平成八年三月中旬頃までには、夏男は、Aに対してファックスを送り付けたにとどまらず、無関係のアパートの住人にまで水道に毒が入っているといった回覧を回す等の行動にまで及んでおり、これを受けてアパートを訪れた五男に対しても、インターホン越しに、亡春男に金をもらってきたのだろう等と、被害妄想に基づく発言を繰返しており、夏男の亡春男に対する被害妄想は、第三者を巻き込むまでに悪化していたということができるから、遅くともこの時点までには、夏男の自傷他害の危険性は際めて強いものになっていたというべきである。

3(一)  右認定を前提として、平成七年七月頃から本件殺人事件までの間に被告ないし五男を初めとする被告の監督義務の履行補助者らが民法七一四条の監督義務を果たしたといえるかどうかを検討する。

(二)  そもそも、精神保健法二二条にいう保護者が負う民法七一四条の監督義務は、被監督者である精神障害者が、多くは通常の意志疎通が困難で、訓戒や説諭で行動を統制することも難しいこと、精神障害の治療の観点からも精神障害者への働きかけには限界があること、明確な治療法が確立されておらず、場合によっては長期間の監督を要し、しかもその期間についても全く予測ができず、監督義務者にかかる精神的な負担が大きいこと、また、精神障害の存否、程度の判定は多くは困難を伴い、そのため、監督義務者が適切な監督手段を講じようとしても、社会的な圧力により、不可能になることがあり得ることから、その範囲にはそれ自体内在的に制約があると言わざるを得ない。

また、それだけではなく、我が国の精神医療ないし精神医療行政の実情、精神障害に対する情報の不足及びこれに起因する精神障害ないし精神障害者への誤った認識や偏見の存在等、精神障害者及びその監督義務者や家族を取り巻く環境には厳しいものがあり、監督義務の範囲については、前記の内在的な制約に加えて、右の社会的な環境による限界があることをも考慮に入れる必要があることは否定できない。

しかしながら他方、右のような制約があるにしても、保護者は、可能な限り、精神障害の具体的内容につき正しい理解をし、精神障害者の治療経過をよく観察し、主治医等の関係機関とよく相談するなどして、精神障害者の治療を援助するとともに、精神障害者の自傷他害の危険を防止するため必要な措置を模索し、できる限りの措置をとるよう努力することは可能であり、保護者は、最低限、右のような努力をする義務を負っているといえる。

(三)  そこで、本件についてみるに、前記1の認定事実によれば、被告自身は、殴打事件の頃からずっと、夏男の精神状態は、本当の精神病ではなく、亡春男との対人関係に原因があるという先入観を抱いており、亡春男が夏男と対話してくれさえすれば夏男の精神状態は安定するのではないかと考えていて、およそ夏男の精神障害について正しい理解をしていたとはいえず、事態の重大性、緊急性を殆ど認識していなかったといわざるを得ない。特に、当法廷においてまで、Aが夏男が中に入れないようにシャッターを閉めていたことを過剰防衛であり、夏男に対して刺激的で納得できないなどと、当時の夏男の病状や夏男による自傷他害の危険について到底認識しているとは思えない発言をして省みず、また、夏男の精神障害の内容等についての西尾医師からの説明についても、診断名程度しか覚えていないのであって、そもそも夏男の精神障害について、真摯に受け止め、理解しようとしていたかについて多大の疑問を抱かざるを得ない。

これに対し、被告の履行補助者である五男は、夏男の異常な行動が精神分裂病による妄想に起因するものであること、通院・投薬を要するものであることは理解していたものの、平成七年六月六日以降は、特に病院その他の関係機関に問合せないし相談等はしていなかったものである。

しかし、前記1のとおり、五男が東北会病院に行った後も、夏男は、被告らを敵視して通院、服薬を拒んでいたのであるから、遅くとも平成七年七月初めまでの時点においては、夏男は到底正常とはいえない状態にあり治療を要することは誰の目にも明らかであったにもかかわらず、もはや五男を初めとする家族だけで対応することは困難となっていた上、被告らは、Aからも夏男の異常な言動についての通報を受け、対処を求められていたのであるから、被告には、最低限夏男による自傷他害の具体的な危険を予見して、関係機関に相談に行くべき義務があったと考えられる。そして、夏男の状態は、その後も改善しないどころかますます悪化していたと認められ、夏男が、被害妄想に基づき、Aに電話したことを受けてアパートを訪れた五男が、夏男が表札を外した事を知った平成七年一二月九日か、遅くとも、夏男がアパートの住人に回覧を回した事を受けて五男がアパートを訪れ、夏男から、亡春男から金を貰ってきたのだろう等と言われた平成八年三月中旬の時点においては、被告には、夏男の再入院について関係機関と折衝して具体的に検討すべき義務が生じていたということができる。それにもかかわらず、被告や五男は、平成七年六月に東北会病院に行った後は警察、保健所、病院を始め、いかなる関係機関にも相談すらしていなかったのであるから、被告及び五男を始めとする被告の監督義務の履行補助者が、夏男の監督義務を尽くしていたとは到底認められない。

もっとも、本件についてみれば、殴打事件に対する塩竈警察署の対応が適切なものであったかには疑問の余地があるし、東北会病院からの退院についても、少なくとも被告らから見ていささか唐突の感を免れないものということができ、このような点から、被告らが、警察及び医療機関に対して不信感を抱き、苦労して再入院させたところで、早晩退院させられて、夏男の恨みを買うだけではないかとの無力感につながって対応を鈍らせた側面も完全には否定できない。しかし、精神障害の有無及び程度が全く分からなかった前回の入院時と異なり、夏男は既に一度殴打事件を起こして措置入院を受け、退院後も投薬治療を継続する必要があると診断されていた上、被告はその保護者に選任されていたのであるから、被告が関係機関に相談しさえすれば、適切な対応が採られた可能性が大きいということができる。してみれば、先の点をもって被告らが何らの相談すらしなかったことに正当事由があったとは到底いうことができず、本件において被告らが監督義務を果たしたとは到底認め難いというべきである。

(四)  以上のとおり、被告ないしその履行補助者である五男らが監督義務を履行したということはできないから、抗弁1は理由がない。

三  抗弁2(結果回避の不可能性)について判断する。

前記二のとおり、夏男による自傷他害の危険が生じたと認められる平成七年七月から平成八年七月二日の本件殺人事件までは、なお一年近くの期間があり、右危険が極めて切迫したものとなった平成八年三月中旬から数えても、なお四か月近くの期間があったのであるから、この間に被告ないし五男ら被告の監督義務の履行補助者が、関係機関に状況を相談していれば、精神保健法ないし精神保健及び精神障害者福祉に関する法律所定の手続により、措置入院の前提たる診察の申請、医療保護入院等の手段を用いて夏男を入院させ、右危険の現実化を防止できたと認められる。

これに対し、被告は、殴打事件後に夏男を入院させるまで八か月以上を要しているから、今回においても迅速な対応は期待できなかった旨主張する。しかし、被告の主張は、前記二で指摘のとおり、前回入院時と今回とは夏男が継続治療の必要のある精神分裂病との確定的診断を得ているにもかかわらず自ら通院の見込みがない一方、被告がその保護者に選任されているといった点で状況が大きく異なることを看過したもので、妥当ではない。そもそも前回の入院についても、五男が夏男を入院させようと決意する直接のきっかけとなったのは殴打事件ではなく、右事件後の平成六年八月一日に夏男がAに押し掛けたことであって、その後夏男が入院した同月九日までは八日程度しか経っていないのであるから、被告の主張は前提を欠き、この点においても採用できない。

したがって、抗弁2も理由がない。

四  請求原因5(損害)について判断する。

1  請求原因5(一)の逸失利益について検討するに、証拠(甲一、七、八、原告花子本人)によれば同5(一)(1)の事実が認められるが、証拠(S証人)によれば、Aにおいては役員定年は設けられておらず、また、本件全証拠によっても、株式会社Bにおいて役員定年が存したとは認められない。

したがって、本件殺人事件がなかったならば、亡春男が少なくとも満六〇歳まではA及び株式会社Bに役員として勤務して平成七年度と同程度の収入を得ていたことが推認されるし、その後も満六七歳まで就労して、少なくとも原告の主張する月額三九万〇五〇〇円と同程度の月収を取得することができたものと認められる。

以上によれば、亡春男の本件殺人事件による逸失利益は、請求原因5(一)(3)の原告主張の計算のとおり、九四九九万五三四五円を下らないものと認められる。

2  請求原因5(二)の慰謝料について判断するに、本件殺人事件は、夏男の被害妄想によって引き起こされたもので、亡春男自身には、これに遭遇したことについて全く落ち度がないこと、その他同人の年齢、家族構成、本件殺人事件に至る経緯、本件殺人事件の態様等、本件訴訟に現れた一切の事情を考慮すると、同人の慰謝料としては、二六〇〇万円と認めるのが相当である。また、証拠(原告花子本人)によれば、亡春男の死亡によって、原告らが突如として敬愛する夫ないし父親を奪われて相当の精神的衝撃を受けたことが認められ、被告の当裁判所における言動その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、その金額は、原告花子について七〇〇万円、その他の原告らについて各二〇〇万円と認めるのが相当である。

3  請求原因5(三)の葬儀関係費用について見るに、証拠(甲一八、原告花子本人)によれば、亡春男の法名料として原告花子が三〇万円を支出したことが認められる。しかし、その余の甲三二号証記載の費用については、その詳細や支出の裏付けが明確でなく、本件と因果関係のある損害と認めるには足りない。

4  原告らが本件訴訟の提起、維持のために弁護士である原告訴訟代理人を選任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の性質、内容、審理の経過、その他諸般の事情を考慮すると、本件と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は、一二〇万円であり、原告らは、これを法定相続分と同じ割合で請求しているものと認められる。

5  以上によれば、亡春男の固有の損害の合計は、少なくとも一億二〇九九万五三四五円となるところ、原告らが法定相続分に従い相続したことは、弁論の全趣旨によって明らかである。これに前記2の原告らの固有慰謝料及び3の原告花子の負担した亡春男の法名料、4の原告らの弁護士費用負担分を加えて計算すると、原告らの損害額は、少なくとも原告花子において六八三九万七六七二円、その余の原告らにおいて各二二三六万五八九〇円(いずれも円未満切り捨て)となる。

五  結論

したがって、原告らの請求は、いずれもその請求額が右の原告らの被った損害額を下回り、また、遅延損害金も本件殺人事件の日及びその後の日を起算点としていることが明らかであるから、理由があるので認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官阿部則之 裁判官瀨戸口壯夫 裁判官杉村鎮右)

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