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仙台地方裁判所 昭和24年(行)55号 判決 1957年12月11日

原告 高橋寿三郎

被告 宮城県知事

補助参加人 斎藤勘蔵

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が別紙目録(一)、(二)記載の各農地について昭和二十四年七月二日付でした買収処分及び同年十月二日付でした売渡処分は、いずれも無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

その請求の原因として、

「第一、

一、(一) 別紙目録(一)記載の農地は原告の所有であつた。又別紙目録(二)記載の農地は元蛇田村の所有であつたところ、政府は自作農創設特別措置法(以下、法とよぶ。)に基き字新西境谷地十五番の田を昭和二十二年十二月二日、字新下沼七十七番の田を同二十三年三月二日、それぞれ蛇田村から買収し、右農地の耕作人であつた原告に対し字新西境谷地十五番の田を昭和二十三年三月三十一日、字新下沼七十七番の田を同年十月二日それぞれ売り渡し、右土地は結局原告の所有となつたものである。

(二) ところが蛇田村農地委員会は、別紙目録(一)記載の農地につき、原告の保有反別が法三条一項三号に基く保有反別二町六反歩を超えるものとして、之が買収計画を樹て昭和二十四年六月九日之を公告し、被告は、買収の時期を同年七月二日とする買収令書を原告に交付して買収処分をした。

(三) 右農地委員会は、別紙目録(二)記載の農地についてなされた前記昭和二十二年十二月二日及び同二十三年三月二日付の各買収処分及び昭和二十三年三月三十一日及び同年十月二日付の各売渡処分は、耕地整理実施中であつた右農地につき、換地未確定のうちになされたものであるから当然無効であるとの訴外宮城県農地委員会の決議に基き、昭和二十四年七月一日右各処分を取り消し、改めて、右農地の所有者を蛇田村と認めてこれが買収計画を樹立し、同年六月八日これを公告し、被告は、同年十二月二十六日、買収の時期を同年七月二日にする買収令書を右村に交付して買収処分をした。

(四) 原告は同年六月十八日右(二)(三)の各買収計画を不服として、右村農地委員会に対し異議を申立てたところ、同月二十八日これを却下され、同年七月六日その告知を受けた。原告は、同月十六日更に県農地委員会に対し訴願を提起したが、同年八月二十五日之を棄却する旨裁決がなされ、同年九月六日頃右裁決書の送達を受けた。

二、蛇田村農地委員会は、別紙目録(一)記載の農地につき、同目録第一の農地の耕作者を訴外高橋銀蔵、同第二の農地の耕作者を訴外黒須夫信、同第三の農地の耕作者を訴外高橋新男、別紙目録(二)記載の農地につき、その耕作者を訴外斎藤勘蔵と認めて、同人等を右各耕作農地の売渡の相手方とした売渡計画を定めて昭和二十四年九月二日之を公告し、被告は売渡の時期を同年十月二日とする売渡通知書を、昭和二十五年一月十日高橋銀蔵、斎藤勘蔵に、同月二十日黒須夫信、高橋新男に各交付して売渡処分をした。

第二、前記第一の一の(二)、(三)の買収処分並びに第一の二の売渡処分は、いずれも、次のとおり重大な瑕疵があるから当然無効である。

一、買収処分について

(一)  原告は、別紙目録(一)記載の農地の買収処分当時、農地二町三反八畝二十歩を自作していたが、村農地委員会は、原告の姉木村なつゑを原告と同居する親族と認め、なつゑ自ら耕作していた農地一町二反四畝二十八歩を原告の耕作反別に合算して、法第三条第一項第三号に基く蛇田村の保有反別二町六反歩を超えるものとして、別紙目録(一)記載の農地に対し前記のように買収計画を樹立し、被告はこれに基いて買収処分を行つたものである。

なつゑは原告の姉ではあるが、同人は宮城県牡鹿郡女川町訴外木村徳吉に嫁し、徳吉が死亡したため、昭和八年八月頃原告方に転住し、転籍したもので、同人の居住すべき家屋は他に賃貸中のため、その明渡を受けるまで一時原告方家屋に同居しているにすぎず、原告とは独立の生計を営んでいるものであつて、原告の世帯の一員ではない。ところが、村農地委員会は、右事実を無視し、原告となつゑを同一世帯にあるものと認め、法第三条第一項第三号の保有反別を超えるものとして、別紙目録(一)記載の農地につき買収計画を樹立し、被告もこれに基いて右買収処分をしたものであるから、その違法なことは明らかである。

(二)  別紙目録(一)記載の農地は前記のように原告が耕作して来たものであるが、昭和十九年九月二十六日原告の長男高橋慶一が大東亜戦争に応召し、原告自身も病床に臥したため、原告方稼働力は婦女子のみとなつたので、原告はその頃、原告方の労働力が回復するまで、という条件で、高橋銀蔵に対し同目録記載の第一の農地を、黒須夫信に対し同目録記載第二の農地を、高橋新男に対し同目録記載第三の農地をいずれも一時的に各賃貸した。その後原告方労働力も増加したので、原告は昭和二十二年四月頃、右三名に右各賃貸農地の返還を求め、同人らとの間に、同年度の耕作期間終了後、その返還をうける契約が成立し、同年秋各土地の返還をうけて原告において自ら耕作するに至つていた。従つて、右農地はこれに対する買収処分当時、小作地ではなかつたのに、被告は右農地につきこのような事実を無視し、これを小作地として前記のような買収処分をしたのであるから無効である。

(三)  別紙目録(二)記載の農地は、元蛇田村の所有であつたところ、政府は字新西境谷地十五番田を昭和二十二年十二月二日、字新下沼七十七番田を同二十三年三月二日、それぞれ買収した上、原告に対し前者を昭和二十三年三月三十一日、後者を同年十月二日それぞれ売り渡し、その代金も徴収して完全に原告の所有に帰したものである。然るに蛇田村農地委員会は、右買収並びに売渡処分は当時右農地が耕地整理実施中の土地であつて換地未確定のものであつたことを理由として、右買収並びに売渡処分を取り消し、改めて前記第一の一の(三)記載のように買収計画を樹立し、被告はこれによつて買収処分をした。

しかし、右農地の買収売渡が換地処分前になされたとしても、右農地については、換地処分の前後を通じ、地番に変動がなかつたから、換地処分前の買収売渡であることは取消の正当事由とはならない。

また、農地の買収並びに売渡処分は、いずれも、村農地委員会によるその計画の樹立及び公告、県農地委員会の承認、知事による令書の交付等の相互に連続した一連の手続によつて行われるものであつて、買収並びに売渡処分の完了後においては、村農地委員会にはこれを取り消す権限がない。

仮りに、右処分が取り消し得るものであつても、取消によつて受ける原告の損害は莫大なものがあり、その影響するところも大きいから、取消に当つては、取り消されることによつて生ずる原告の利害、取消後再度の買収並びに売渡処分によつて生ずる利害得失等を比較考量して慎重に決すべきものであるにかかわらず村農地委員会はこれらの事実を何等考慮することなく、簡単にこれを取り消したものであるから、右取消処分は無効である。

以上の如く右村農地委員会の取消処分には重大な瑕疵があるから、右取消処分は当然無効である。従つて、別紙目録(二)記載の農地は、第一の一の(三)の買収処分当時依然原告の所有であつたにもかかわらず、被告が、右農地につき、無権利者蛇田村を所有者と誤認してなした前記買収処分は、当然無効であるといわななければならない。

二、売渡処分について

(一)  このように別紙目録(一)、(二)記載の農地についてなされた前記第一の一の(二)、(三)の買収処分は当然無効であるから、ひいて、被告がこれに基いてなした右農地の前記第一の二の各売渡処分もその瑕疵を承継し、当然無効である。

(二)  仮りに、右買収処分が有効であるとしても、別紙目録(二)記載の農地は、原告が祖父時代から四十年余にわたつて賃借耕作して来たのである。そして、原告は、右農地につき前記のような買収処分があることを知り、昭和二十四年九月頃村農地委員会に対し書面をもつて右農地の買受の申込をしたにもかかわらず、右農地委員会は、右農地につき、耕作者でない斎藤勘蔵を相手方として、売渡計画を定め、被告も、これに基いて、前記第一の二の売渡処分をしたものである。従つて、右売渡処分は、売渡を受ける適格のない者を相手方としたものであるから、当然無効である。

以上のように、本件買収並びに売渡処分はいずれも重大な瑕疵があつて当然無効であるから、その確認を求めるため本訴に及ぶ。」

と述べ、

被告の主張事実に対し、「被告主張のように、昭和二十四年六月八日、別紙目録(二)記載の農地の換地処分につき知事の認可の告示のあつたことは否認する。」と述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、

「原告主張の第一の事実のうち、別紙目録(二)記載の農地が昭和二十三年三月三十一日及び同年十月二日の売渡により、耕作人であつた原告の所有に帰したことは否認するが、その余の事実は認める。

原告の主張の第二の一の(一)の事実のうち、木村なつゑが原告とは別世帯で独立の生計を営むものであることは否認する。同女が女川町から移住した年月日、同女が原告方に同居するに至つた事情等は知らない。その余の事実(但し、原告及びなつゑの耕作反別を除く)は認める。同(二)の事実のうち、高橋銀蔵外二名に対する農地の各賃貸借は、原告主張のような事情による一時的な賃貸借であること、同人等と原告との間に合意解約がなされ、返地のあつたことは否認するが、その余の事実は認める。同(三)の事実のうち、その主張のような理由のもとに、先にした買収並びに売渡処分を取り消し、改めてその主張のような買収処分をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告主張の第二の二の事実のうち、原告がその主張の頃別紙目録(二)記載の農地につき買受の申込をしたこと及び右農地が斎藤勘蔵に売り渡されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

なつゑは、本件買収処分当時、六十二歳の老齢で営農能力なく、農耕に従事していなかつた。そして、原告方に同居し、生活も原告に依存して居り、原告主張のなつゑ耕作田も、実際は原告が耕作していた。従つて、同女は原告の同居の親族に該当する。

また、別紙目録(二)記載の農地はいずれも耕地整理を経た土地である。右農地は、宮城県牡鹿郡蛇田村字西境谷地十六番田一反四畝三歩、同五十八番田三畝二十五歩、同五十九番田一畝一歩、同九十番田一反二十四歩、同村字新下沼七十八番田七畝十六歩、同八十三番田一反十二歩、同八十四番田九畝二十歩とともに、従前の同村字閘門二十番田四畝歩、同二十二番田八畝三歩、同二十二番の一田二反六畝二十一歩、同二十二番の二田二反二十歩、同二十二番の四田二畝十二歩に対して耕地整理によつて換地されたものである。

ところが、政府は、別紙目録(二)の字新西境谷地十五番については昭和二十二年十二月二日、字新下沼七十七番については同二十三年三月二日、蛇田村から買収し、前者を同年三月三十一日、後者を同年十月二日、いずれも原告に売り渡した。

しかし、右耕地整理による換地処分について、知事の認可の告示があつたのは、同二十四年六月八日であるから、右買収及び売渡の手続のなされた当時は、告示前であつた。従つて、換地処分の行われる前であるから、右買収及び売渡の手続は、換地前の地番によつてなさるべきであつたにもかかわらず、換地処分によつて生ずることを予定されていた地番(別紙目録(二)記載の地番)によつてなされたものであるから当然無効である。この事実を知つた宮城県農地委員会は、昭和二十四年六月頃、右買収及び売渡処分を取り消すべき旨蛇田村農地委員会に指示し、同委員会は、同年七月一日、これに基き右各買収及び売渡処分を取り消し、この旨関係人に通達した。従つて、別紙目録(二)記載の土地は、これに対して再度本件買収処分がなされた当時においても、依然として蛇田村の所有であつたのであるから、同村からこれを買収した本件買収処分は、完全に有効である。

また右土地は、もと蛇田村から原告が賃借して居たが、原告は昭和十九年頃、斎藤勘蔵にこれを転貸し、以来同人が耕作して来たものであつて、これに対する前記昭和二十三年三月三十一日及び同年十月二日付の売渡処分当時、斎藤勘蔵から買受の申込があつたのであるから右土地は同人に売り渡されるべきであつたにもかかわらず、原告に売り渡されたものであるから右売渡処分は売渡の相手方を誤つた点でも違法である。従つて蛇田村農地委員会の前記取消処分はこの点からも相当である。」と述べた。

(立証省略)

理由

一、蛇田村農地委員会は、原告の耕作地が法第三条第一項第三号の保有反別二町六反を超えるものとして、原告所有にかかる別紙目録(一)記載の農地につき買収計画を定め、昭和二十四年六月九日これを公告し、被告はこれに基き買収の時期を同年七月二日とする買収令書を原告に交付したこと、別紙目録(二)記載の農地は元蛇田村の所有であつたところ、政府は字新西境谷地十五番の田を昭和二十二年十二月二日、字新下沼七十七番の田を同二十三年三月二日、それぞれ買収し、右農地の耕作者を原告と認めて、同人に、前者を昭和二十三年三月三十一日、後者を同年十月二日、それぞれ売り渡したこと、当時右農地は耕地整理実施中で換地未確定のものであつたことを理由として、蛇田村農地委員会は、昭和二十四年七月一日右農地に対する買収並びに売渡処分を取り消し、改めて、右農地の所有者を蛇田村と認めて買収計画を定め、同年六月八日これを公告し、被告は買収の時期を同年七月二日とする買収令書を同年十二月二十六日、同村に交付して買収処分をしたこと、原告は右各買収計画を不服として、右農地委員会に対し同年六月十八日異議の申立をし、同月二十八日之を却下され、同年七月六日その告知を受け、更に宮城県農地委員会に対し同月十六日訴願を提起し、同年八月二十五日これを棄却する旨の裁決を受け、同年九月六日頃右裁決書の送達を受けたこと、右村農地委員会は別紙目録(一)記載の農地につき、原告主張のように高橋銀蔵外二名を、別紙(二)記載の農地につき、斎藤勘蔵を、それぞれ耕作者と認めて同人等をその売渡の相手方とした売渡計画を定め、昭和二十四年九月二日これを公告し、被告は、これに基いて、売渡の時期を同年十月二日とする売渡通知書を、原告主張の日に、高橋銀蔵外右三名にそれぞれ交付して売渡処分をしたことは当事者間に争いがない。

二、別紙目録(一)記載の農地に対する買収処分の適否について判断する。

(イ)  先ず、なつゑが原告と世帯を同じくする親族かどうかについて考えると、木村なつゑは、原告の姉であつて女川町から蛇田村に転籍、移住し、以来、原告と同一家屋に居住していることは当事者間争いがない。

成立に争いのない甲第九号証並びに証人佐々木清助、木村文五郎、渡辺勉、木村なつゑの証言を綜合すると、なつゑは、宮城県牡鹿郡女川町出島、漁師木村徳吉のもとに嫁していたが、昭和七年十二月十一日、同人の死亡により同町所在の家屋敷等を整理処分の上、昭和八年頃、娘やちよ一人を連れて原告方に同居するに至り、以来、原告の家族と同一家屋にあつて起居炊事、食事を共にしていること、別紙目録(一)記載の農地の買収処分当時、なつゑは満六十一歳で、老齢のため、殆んど農耕に従事することなく、主として炊事等の家事労働に従事していたこと、同人の娘やちよも足が不自由なため、あまり農耕には従事していなかつたこと、従つて、なつゑ名義の農地の農耕は、専ら原告及びその家族の手によつて行われていたことを認めるに充分であり、証人小沢慶蔵、武山熊蔵、斎藤三太郎、齊藤ヨシの証言並びに原告本人尋問の結果(第一、二回)中、以上認定に反する部分は、これを措信することができない。もつとも成立に争いのない甲第七号証の一、二、第八号証の一ないし二十、第十一、十二号証、証人佐々木清助の証言によれば、家庭用品購入通帳、所得税その他諸税の賦課徴収、耕地整理組合費農業共済組合費の負担等は、原告とは別個になつゑを名義人としていたこと、なつゑは昭和二十三年三月二十五日以降、蛇田村農業協同組合の組合員であり、昭和二十三年度産米の供出は、なつゑ、原告両名に対し、別々に割当てられたことが認められる。しかし、右各種の名義人の表示は、概ね当事者の申告等によつて形式的に定められ、実際上の納税者、負担者が何人であるか、名義人が実質的に、他と独立の世帯を構成しているものであるかなどにつき、充分の審査を経た上で定められるものでないことは、その性質上明らかであるのみならず、証人佐々木清助の証言によれば、供出割当は、昭和二十四年度産米に関しては、なつゑ、原告両名一括して割当てられているのであるから、右のような事情があつたからといつて、直ちになつゑが原告から生計上独立していたとは認め難い。

別紙目録(一)記載農地の買収処分当時におけるなつゑの原告に対する関係が右のようであつた以上、同女は、法第四条にいう原告の「同居の親族」であつたと認めるのが相当であるから、法第三条の保有面積の算定には、原告の所有農地に、なつゑの所有農地を加算して算出すべきである。

(ロ)  次に、原告は、昭和二十二年秋、小作人から右農地の返還を受け、爾来これを自作しているのに、これを小作地として買収したのは違法である旨の原告の主張について判断する。

原告が昭和十九年九月頃、別紙目録(一)記載の第一の農地を高橋銀蔵、同第二の農地を黒須夫信、同第三の農地を高橋新男にそれぞれ賃貸したことは当事者間争いなく、証人小沢慶蔵、木村なつゑ、斎藤三太郎、斎藤ヨシの証言並びに原告本人尋問の結果(第一回)を綜合すると、原告は元来、別紙目録(一)記載の農地を自作して来たが、昭和十九年秋頃、原告の長男慶一が大平洋戦争に応召し、同人方雇人二名もまた相次いで応召したうえ、原告は眼病、筋肉炎にかかつて農耕に従事できなくなり、同人方の労働力は婦女子のみとなつて極度に弱体化するに至つたので、原告は、右農地を前記のように、高橋銀蔵外二名に対し慶一の復員その他により、原告方において自ら耕作することができるようになるまでの間賃貸したものであることが認められるけれども、証人斎藤ヨシの証言、原告本人尋問の結果(第一回)その他の証拠をもつてしても、昭和二十二年四月頃、右農地に対する賃貸借契約が合意解約され、原告が右農地の返還を受けた旨の原告主張事実を認めるに足りない。従つて、別紙目録(一)記載の農地は、本件買収処分当時、小作地であつたことが明らかである。

そして、右農地の賃貸借が一時賃貸借であつても、これを法第三条第一項第三号のいう「小作地」として買収の対象とすることは何ら違法ではないが、当時、原告の所有農地は二町三反八畝二十歩、なつゑの所有農地は一町二反四畝二十八歩、両者の合計三町六反三畝十八歩であつたことは原告自ら認めるところであり、且つ、原告及びなつゑの居住地である元蛇田村の法第三条第一項第三号の保有反別が二町六反歩であることは当事者間争いないから、別紙目録(一)記載の農地を、法第三条第一項第三号により買収した本件買収処分は相当であつて、右処分には、何らの違法も存しない。

三、別紙目録(二)記載の農地に対する本件買収処分の適否について判断する。

冒頭記載のとおり、右土地につき一旦買収並びに売渡処分がなされた後、蛇田村農地委員会は、右買収並びに売渡処分が耕地整理の換地未確定のうちに換地予定地に対してなされたことを理由としてこれを取り消し、再び本件買収並びに売渡計画を樹立し、被告がこれに基き、本件買収並びに売渡処分をしたことは当事者間争いがない。

成立に争いない乙第二ないし第四号証、証人渡辺勉、大場保、高橋忠志の証言を綜合すると、別紙目録(二)記載の字新西境谷地十五番、田九畝十七歩及び字新下沼七十七番、田九畝二十一歩は、原告主張のように、従前の地名、地番、地積ではなく、耕地整理による換地処分後の地名、地番、地積であり、右新西境谷地十五番は、耕地整理前の元蛇田村字閘門二十二番の一、田二反六畝二十一歩の内の一部に、右新下沼七十七番は、耕地整理前の同村字閘門二十二番、田八畝三歩及び同字番外地(面積不詳)の内の一部に、それぞれ対応する換地であること、右土地に対する最初の買収及び売渡処分は、この換地処分によつて新設せられるべき地番、地積の表示によつて行われたこと、右耕地整理処分につき宮城県知事の認可の告示のあつたのは、別紙目録(二)記載の農地に対する最初の買収及び売渡処分の完了後である昭和二十四年六月八日であることが認められる。耕地整理の換地処分は、知事の認可の告示によつて効力を生ずるものであるから、右買収及び売渡処分は換地処分の効力発生前に、換地処分完了後に予定されてはいるが、未だ現実には存在していない地名、地番、地積を表示して行われたものである。

そこで、右買収及び売渡は、その当時現在する地番のどの部分を買収、売渡するのかを確定することができるものかどうかについて考えてみると、右買収及び売渡は、果して、換地予定地の元地についてなされたものであるか、又は、整理完了後かように表示される予定の現地につきなされたものであるかを知り得ないのみならず、たとい元地の買収、売渡であるとしても、本件においては、前記のとおり、換地は、一筆又は数筆の元地の内のある部分に対して与えられているのであつて、元地と地名、地番はもちろん、地積も異つているから、元地のどの部分に対するものであるかを確定できない。又整理完了後かように表示される予定の現地についての買収、売渡であるとすれば、換地処分の効力発生後、右買収、売渡の効力は、右現地に対して与えられた換地上に移転することとなる筈であるが、この換地についても右現地に対応する部分を確定することはできない。従つて、結局、このような買収及び売渡処分は、その対象たる農地を確定し得ないものであるから、取消をまたず、当然無効というほかはない。

従つて、別紙目録(二)記載の農地は、これに対し再度、本件の買収処分がなされた昭和二十四年七月当時、依然として元蛇田村の所有であつたというべきであるから、同村を所有者と認めてなされた右買収処分は適法であつて、原告主張のような違法はない。

四、以上判断したように、別紙目録(一)(二)記載の農地に対する本件買収処分はいずれも適法且つ有効であるから、これが無効であり、その瑕疵を承継して、右農地に対する本件売渡処分もまた無効であるとの原告の主張もまた理由がない。

そこで、原告の第二の二の(二)の主張につき判断する。

証人小沢慶蔵、木村なつゑ、斎藤三太郎、斎藤ヨシの証言並びに原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、別紙目録(二)記載農地を所有者蛇田村から賃借耕作して来たが、前記別紙目録(一)記載の農地と同一の事情に基き昭和十九年秋頃から斎藤勘蔵に対し、転貸していたことが認められる。証人渡辺勉の証言中、これに反する部分は、たやすく採用し得ない。このように斎藤勘蔵が耕作者であつた以上、右のような事情による一時転貸であつても、蛇田村農地委員会が、同人を売渡の相手方と定めて右農地の売渡計画を定め、被告がこれに基いてした本件買収処分は、何ら法第十六条、同施行令第十七条第五号に反するものではなく、適法な処分であるから、この点の原告の右主張もまた理由がない。

五、従つて、原告の本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新妻太郎 枡田文郎 菊池信男)

(別紙省略)

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