仙台地方裁判所 昭和27年(ワ)135号 判決 1956年5月30日
原告
遊佐重志
被告
大村松雄
"
主文
被告は原告に対し、金四十万円及びこれに対する昭和三十年十月一日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求は棄却する。
訴訟費用は三分してその二を原告、その余を被告の各負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告において金十五万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。
事実
(省略)
理由
(一) 原告が荷馬車を挽業とするものであり、昭和二十六年二月二十七日荷馬車で登米郡佐沼町字小金丁二十五番地所在の被告の管理する同人所有の倉庫内に積んである麦俵の運搬に従事したこと、その際、被告は倉庫内に積んであつた麦俵を一俵づゝ取り上げて、原告の肩に担がせ、原告はそれを担いで倉庫入口に繋いであつた荷馬車まで運んで積み込む作業をしていたところ、午後一、二時頃、原告が被告から俵を担がせて貰つて、歩き始めた途端積んであつた俵が崩壊したことは当事者間に争いないところである。原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認められる甲第四号証の一ないし二十四(たゞし同号証の三ないし五は成立に争いがない)、成立に争いのない同第五号証、同第八号証の二、同第十一号証、原本の存在及び成立に争いのない同第七号証の二、三並びに証人高橋力雄の証言、同後藤長治の証言の一部及び原告本人尋問の結果(第一、二回)検証の結果を綜合すると、本件倉庫は、南北約七間、東西約三間で、床の中央部は土間、南端と北端は各二間板張になつていること、本件事故当時、右倉庫内に麦俵が東西に横に北側壁に接する部分は高さ約八尺に積み重ね南に行くに従つて次第に低く所謂杉垪(杉重ね)に積み重ねられた列が五列あり、各列の間は人が通れるくらいの間隔があり、西から第四列目は約二十俵、その余の列は各七、八十俵積んであつたこと、被告が第四列目の俵だけを取り上げ原告に指図して之を運び出させていたところ、原告が六、七俵目の俵を被告に担がせて貰つて歩き出した際突如第一列ないし第三列の俵が第四列の空間になつた部分に向つて横倒に崩れ落ち、原告は崩れ落ちた俵の打撃を受けて倒れ、俵と俵との間に全身を強くはさまれ夢中で助けを求めたので、傍にいた被告や隣の精麦工場で働いていた高橋力雄、後藤長治らが駆けつけて原告の周辺の崩れ落ちた俵を取り除いて救い出した。原告は二時間ほど倉庫内で休んでから、前記高橋らに手伝つて貰い、当日はふたゝび仕事を続けたが、右の打撃により胸腰部打撲症、第四、五背椎カリエス等の傷害を受けたことが認められ、この認定に反する証人後藤長治、同木村キヨノの証言はいずれも措信しない。
(二) しかして、原告は本件事故はまず、本件倉庫の設置又は保存の瑕疵によるものであると主張するので(請求原因(2)の主張)この点について判断する。
本件事故当時原告主張の精麦工場の電動機が運転中であつたことは当事者間に争いがない。検証の結果に証人高橋力雄の証言を綜合すると、本件倉庫は一見隣接する精麦工場と同一棟の建物のごとくであるが、両者は全く別棟をなしており、共通している柱、梁等はなく、単に屋根の部分の接続個所が雨樋を共通しているにすぎず、精麦工場内には一間おき位に柱があり、本件事故当時とほゞ同一の条件の下に工場内の諸機械を運転してもその入口の戸が僅かに振動し足に多少の震動を感ずる程度であり、本件事故当時も殆んど震動が感じられず、右電動機の運転は本件事故となんら関係がなかつたものと認められる。原告本人尋問の結果(第一回中右認定に反する部分)は措信できない。
然らば、本件事故は倉庫の設置又は保存の瑕疵によるものであるとは到底いゝえず、又上叙認定のとおりの倉庫の床面積からして危難のさい、避譲の余地がないものともいえないからこの点に関する原告の主張は理由がない。
(三) つゞいて本件事故が被告の過失によるものであるかどうか(請求原因(3)の主張)につき判断する。
成立に争いのない甲第十号証の一、二並びに証人上村新一郎(第一、二回)、同千葉登喜雄、同遠藤幸次郎、同松平由之助の各証言を綜合すると、杉垪によつて俵を積み重ねるときは俵の横転の慮れがあり、数列の杉垪としたときはその一列のみ特に搬出すると他列が支えを失い、空間になつた部分に向つて横転崩壊する危険があるので、麦俵を取り出す際その俵列の両側の列に支えをあてるとか、あるいは各列の俵を平均的に取り出すように留意する必要があることが認められる。
当時、本件倉庫内には麦俵が西から東にかけて五列に各列とも人の通れるくらいの間隔をおいて北側壁に接する部分を約八尺余の高さの頂点として南にかけて徐々に低く積み重ねてあり、第四列(約二十俵)を除き各列とも七、八十俵が積んであつたことは前認定の通りである。
以上の次第であるから、被告としては、かゝる大量の麦俵を杉重ねに積んだ場合において一列のみを取りくずしたならば、隣接する列が支力を失い、取りくずして空間となつた部分に向い横転崩壊する危険があることを容易に認識しうる状態にあつたものといわなければならない。しかるに、被告は原告に指図してもつぱら第四列目の麦俵のみを搬出させたため、第一列ないし第三列の俵が支点を失い第四列目の空間に向つて崩れ、その結果原告が傷害を受けたことは前認定のとおりであるから、原告の受傷は被告の過失に基因すること明かである。
被告が原告に指図して俵を搬出せしめたとはいえ、被告の指図は原告に対し強制力がなく、原告の自由な判断に基き被告の指図を拒否することができる立場にあつたのであるから、被告の指図に過失があつたとしても、本件事故とは因果関係がない旨の被告の抗弁(被告の抗弁(1)(イ)の主張)について按ずるに、原告は被告の指図に従つて俵を搬出したのであることは前認定のとおりであり、被告の指図がなくとも、原告が第四列の俵を搬出したであろうことを認めるに足る認拠がないから、被告の指図に従つたことに原告の過失があつたとしても、被告の指図と本件事故とは因果関係があるものと言わなければならない。
よつて、被告は本件事故により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務があること明白である。
(四) そこで、原告の蒙つた損害額について判断する。
(イ) 原告が本件事故により受けた傷害を治療するために請求原因(4)(イ)記載のように医療費として合計金七万六千七百四十八円を支出したことは当事者間に争いがない。
(ロ) 原告が治療のため、病院、医師への往復、湯治のための温泉までの往復の車馬賃五千円以上を支出したことは原告本人尋問の結果(第二回)により明らかである。
(ハ) 原告訴訟代理人は昭和二十六年四月一日から同三十年九月末日までの間原告が受傷のため稼働することができなかつたため月収八千円の割合による収益を失つた旨主張するから、案ずるに、成立に争いのない乙第二号証の一ないし十三並びに証人吉田憲一郎、同小野寺章、同千葉三郎、同後藤完治、同遊佐具也の各証言及び原告本人尋問の結果(第二回)を綜合すると、原告の受傷当時までの平均月収は少くとも八千円を下らないこと、原告は受傷後昭和三十年八月二十四日現在にいたるまでの間に於いて同二十六年四月頃から六月頃までの間人夫を頼んで荷馬車を挽かせ、自らは之に付添つて二十日位仕事をした外全く働くことができなかつたこと、右の人夫を雇つてした仕事の賃金は一日八百円で人夫賃として二百五十円を支払い実収五百五十円であつたことが認められる(昭和三十年八月二十五日以後も稼働できなかつたことについては認むべき証拠がない)。そうすると、昭和二十六年四月一日以降昭和三十年八月二十四日まで一ケ月八千円の割合による金員金四十二万二千百九十二円より一日金五百五十円として二十日分の実収金一万千円を控除した金四十一万千百九十二円(たゞし円単位で四捨五入)が原告に於いて稼働不能により蒙つた損害額といわなければならない。
(ニ) 原告訴訟代理人は原告の傷症は治癒の見込なく生涯重労働に服すことは不可能となり将来の収益が半減するものとして、これが損害の賠償を求めているが、果して、原告主張のように原告の受傷が将来とも全治の見込がないことについては鑑定人近藤文雄の鑑定の結果によつても明らかでなく、他になんらの立証がないから到底認めることができない。よつて、原告の受傷による病症が治癒の見込がないことを前提とする右損害賠償の請求は之を採用することができない。
(ホ) 次に、慰藉料の請求について案ずるに、成立に争いのない甲第一号証の一、二、原告本人尋問の結果(第二回)により成立の真正を認める同第二号証、成立に争いのない同第三号証、同第六号証の一、同第十一号証並びに証人後藤完治、同遊佐具也、同木村キヨノの各証言及び原告本人尋問の結果(第二回)を綜合すると、原告が本件事故により傷害を受けたために、昭和三十年一月頃まで医師の治療を受け、長期にわたつて療養生活を続け、その結果生活に困窮し生活の手段であつた馬や荷車までも売払つて生計費、医療費に当てたこと、昭和三十年八月に於いても尚背部に痛みを感じ力仕事ができないこと、被告が精搗業を営み、登米郡佐沼町小金丁二十七に床面積九十二坪七五の家屋を有し比較的富祐な生活を営んでいることを認めることができる。これらの事実と前に認定の諸般の事実に後記に認定するような原告の過失を考慮斟酌すれば、原告の受けた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料として金十万円が相当であると考えられる。
(ヘ) 次に、被告の過失相殺の抗弁について判断する。
原告は数年来、食糧配給公団宮城県支局佐沼支所の米、麦等の運搬の請負をしていたことは当事者間に争いのないところであるから、俵の積み方、又その取りくずし方等については、経験を有しているものと認められる。従つて、原告は本件の麦俵の取りくずし、搬出にあたつて、被告の指図に従つて第四列の麦俵だけを搬出することは危険であることは容易に認識しえた筈であるのにかかわらず、不注意にも被告の指示どおり慢然と搬出を行つた点において原告にもままた過失があつたといわなければならない。
被告訴訟代理人は、原告が受傷後完全な治療を受けなかつたばかりでなく、医師の注意を無視して重労働に従事した結果病状の悪化を来たし損害を著しく増大せしめた旨主張するけれども、上記のように原告が若干の労働に従事した事実は認められるが、これがため原告がとくに病状の悪化を来たして損害を増大せしめたと認めるに足る証拠はなく、他に被告主張の事実を認めるべき証拠はなんら存しないから、被告の右抗弁は採用することができない。
かようにして、原告の前記過失を斟酌すると、前認定の損害(イ)金七万六千七百四十八円、(ロ)金五千円、(ハ)金四十一万千百九十二円、合計金四十九万二千九百四十円の中金三十万円を被告をして原告に賠償せしめるのを相当とする。
よつて、原告の請求は右金三十万円及び慰藉料金十万円合計金四十万円及び之に対する損害発生の日の後であること前認定のとおり明らかな昭和三十年十月一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める部分は理由があるから認容し、その余の部分は理由がないので棄却することとし、なお、仮執行免脱の宣言は付さないのを相当と認め、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条、同第九十二条を、仮執行の宣言については同法第百九十六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 新妻太郎 桝田文郎 萩原金美)