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仙台地方裁判所 昭和32年(行)12号 判決 1960年2月29日

原告 斎藤文久 外一名

被告 色麻村村長

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告らは「被告が昭和三二年三月三一日原告らに対しした退職処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める旨申し立て、その請求の原因として、原告斎藤は昭和二七年二月、同鈴木は昭和二八年二月いずれも宮城県加美郡色麻村技術吏員に採用され、爾来原告斎藤は同村村立病院の薬剤師、同鈴木は同病院のレントゲン技師として真面目に勤務して来た。ところで同村は、近代文明の恵に浴せず諸事万端立ち後れている東北地方の一寒村のこととて、村当局、議会議員、公平委員、病院運営委員等の間の派閥、軋轢激烈を極め互に利を追つて変節改派右往左往、反主流派または村外出身の役場、病院職員を白眼冷視擯斥し、病院の風紀乱れて麻のようで、運営委員、議会議員さては主流派役場事務吏員に至るまで、白昼病院事務室に乱入し、酒席の開催、看護婦の酒間のサーヴイスを強要し、院長、また、部下職員を指導監督すべき重責を打ち忘れ、若い未婚の看護婦を寵愛看護婦長に取り立て、院長室、当宿室等において寸閑または当宿に際しこれを抱擁これと情を通じ心ある部下職員を憤激嫉視させていた。他方院長の村長、議会議員、病院運営委員、公平委員らに対する奉仕は到れり尽せりで、これらの有力者、その家族の疾病治療、投薬に所定の料金を徴せず只管阿諛迎合していた。しかしこれらの悪評高まるに連れ来院診療を請う一般患者も日増に減つて来たことはいうまでもない。そこで原告らは痛くこれを憂えいかにかしてこの陰惨な空気を一掃して病院を明るくしようと考え有力者に諮つてみたがもとより容れられず、却つてその反感を唆り、院長また、自己の不行跡を毫も反省せず、これを批議する原告らその他の職員(副院長、看護婦二名)を疎んじ、果ては病院から追い払おうとするに至つた。時しも昭和三一年一一月初旬のある晩、原告鈴木が院長が院長室で件の看護婦と密会、折り重なつて情交している現場を目撃し、痛憤遣る方なく、その浅間しい姿態をそのままカメラに締め(同原告はレントゲン写真技術に長じている)、その頃原告斎藤が、その写真を院長の妻女に届けた。これはもとより院長らをしてその非行を止めさせ、病院の信用を回復させ、院長の家庭、看護婦の将来を拯うための誠意から出たもので院長の名誉を毀損するためにやつたものではない。しかるに院長及びこれと歓を通ずる被告村長、議会議員(特に総務委員長)、病院経営委員長、公平委員長らは、もとより、これを喜ばず、原告らを咎め、糾弾すること甚しく、竟に遁辞を設けて原告らを罷免しようと企てるに至つた。すなわちその後間もなく先ず被告村長は、「職員相互会(親睦及び権益擁護のため原告ら村外出身者をもつて結成されている病院内の一小団体でその会長が原告鈴木)」の解散を命じ、次いで同月一五日来院、職員一同を集め「本病院は創設以来、累年赤字が増え、経営が苦しくなつて来た。そこで、早急機構を改革し、病院を診療所に縮少したい。ついてはレントゲン技師、薬剤師、看護婦二名を整理しなければならないからその旨了承されたい」と申し渡した。なるほど、当時病院の経営が若干窮屈になつてはいたが、それは創設後日尚浅く、診療室、事務室、入院室、車庫等の新設、高級自動車、多量の医療機械器具薬品その他の材料の購入、東北大学附属病院有力者に対する年々歳々の巨万の貢物(この貢物は多年の宿弊でこれを怠るときは、これら有力者は地方病院の人事等に精神的協力をしない)、院長の村有力者に対する無料サーヴイス、院内風紀紊乱による患者の激減等に基因するもので、人件費膨脹の結果では断じてない。なお創設間もない病院が当分収支相償わないことは寧ろ常識である。

ところで同年一一月一〇日頃被告村長は突如原告鈴木を「全体の奉仕者としてふさわしくない非行があつた」として懲戒免職処分に附しなお、村議会議員、総務委員長らを通じ、原告斎藤にも頻りに退職願の提出を迫つた。しかし原告らはもとよりこれを峻拒し、同月一三日村公平委員会に対し被告鈴木罷免の当否の審査を請求したところ公平委員長は、これを受理しながら審査手続を進めず、かえつて原告らに退職願の提出を勧め、被告村長、村議会総務委員長、病院運営委員長らと通謀の上、入れ替り、立ち替り、原告らに対し「早く辞表を出せ。出さなくとも俸給を支給しないのだから」と迫つて已まないため、原告らは進退ここに谷まり、「どうせ頑張つてみても給料を貰えないならば辞表を出したと変らない」と諦め、竟に昭和三二年一月一日真に不本意ながら「今般、被告村長が病院機構の縮少案により希望退職を募るに際し、被告村長において大崎地区労評副議長高橋清氏の斡旋案を遵守することを条件として退職する」という昭和三一年一〇月三〇日附退職願各一通を作成被告村長に提出せざるを得ざるに至つた。

ここにいう「高橋清氏の斡旋案」は次のとおりである。

(イ)  原告鈴木に対する懲戒免職処分を取り消す。

(ロ)  昭和三二年三月三一日限り病院の機構を改革しこれを診療所に縮少する。

(ハ)  第一に退職希望者、第二に生活に困つていない職員に退職を勧告する。

(ニ)  退職確定者は昭和三二年三月三一日までは休職とし翌四月一日退職とする。

(ホ)  休職期間中給料扶養手当、時間外勤務手当、出張旅費を支給する。

(ヘ)  退職手当は定員改正條例によつて支給する。

(ト)  帰郷旅費及び餞別として原告鈴木に金四〇、〇〇〇円、原告斎藤に金三〇、〇〇〇円を支給する。

(チ)  他日診療所の機構を改革病院に拡充する場合には、原告らを優先的に採用する。

そして被告村長が昭和三二年三月三一日原告らに対し、原告らを解職する旨の辞令を送付よつてもつて原告らを罷免した。

然るに被告村長は毫も病院を診療所に縮少する手続を採らない。これすなわちなんら罷免理由がないにかかわらず、原告らを迫害強要欺罔して退職願を提出させ竟に罷免処分を敢てしたもので、原告らは無念遣る方なく、同年四月一四日同村公平委員会に不利益処分の審査を請求したところ、同委員会は、ろくろく審査をせず、その頃罷免処分は正当で審査請求が理由がないとして請求を棄却する旨の決定をした。しかしこの決定の違法、不当なことはいうまでもない。なお、被告村長は約定期限を過ぎること約三年、今もつて病院を診療所に縮少する手続を採らずかつてこの間事実上原告らの後任を補充勤務させている。また原告らに対し、まだ約定給与の一部を支払わない。これによつても原告らは被告村長の詐欺によつて退職願を提出させられたことは極めて明瞭である。よつて、ここに本件各解職処分の取消を求めるため本訴に及ぶと陳述し、被告の抗弁に対し、原告らが本件解職処分を受ける前約定給与の大部分の支給を受けたことはこれを認めるけれども罷免問題発生により生活費獲得の途を塞がれ露命を維持することができなくなつたため余儀なくこれを受領したにとどまり、もとより解職を承諾していたためではない。その余の事実を否認すると答えた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とするとの判決を求め、答弁として、原告らがその主張の日時に宮城県加美郡麻村に技術吏員に採用され、原告鈴木が同村立病院レントゲン技師、原告斎藤が同病院薬剤師として勤務していたこと、原告ら主張の退職願に基きその主張の辞令による解職処分をしたこと、右処分後その主張の公平委員会の決定があつたことはいずれもこれを認めるが、その余の事実を否認する。

色麻村立病院は、昭和二七年発足以来業績頓に振わず、昭和二九年度に約金三、三〇〇、〇〇〇円、昭和三〇年度に約一、九二〇、〇〇〇円の赤字が出、その経営が困難になつたため、村条例を改正して冗員を整理することになり、まず定員条例を改正施行し、条例所定の給料、退職手当、帰郷手当等を支給することを条件として退職希望者を募つたところ、原告らはこれに応じその主張の退職願を提出したから、昭和三二年三月三一日原告らを退職処分に付し、同日原告らにその辞令を送達し、これより先既に同年一月一四日までに原告らに対し前掲諸給与を支給した。従つて本件退職処分は洵に合法妥当であつて、その間寸毫も違法不当の廉がないと陳述した。

(立証省略)

理由

原告らがその主張の日時に、宮城県加美郡色麻村技術吏員に採用され、原告鈴木は同村立病院レントゲン技師、原告斎藤は同病院薬剤師として勤務して来たこと、被告が原告ら主張の退職願に基いてその主張の退職処分をし原告らにその辞令を送達したこと、原告ら主張の公平委員会の審査決定があつたことは当事者間に争がない。

よつて先ず右退職処分の理由いかんについて按ずるに、成立に争がない甲第一ないし六号証、乙第一、二号証の各一、二、証人門屋喜八、高橋清、佐藤庄吉、大場茂、平井栄、伊藤徳衛、加藤秀蔵の各陳述、原告ら各本人尋問の結果に証人菅原正、高橋喜兵衛、早坂久右衛門、被告本人の各陳述の一部を参稽綜合すれば、色麻村立病院は、昭和二七年創設後一両年は、村当局の努力、院長以下職員の精励、和合により業績やや見るべきものがあつたが、昭和二九年頃から支出の膨脹、風紀の頽廃等により、収益が低下するに至つた。就中綱紀の弛緩が著しく、一部村議会議員、病院運営委員らが病院事務室に酒席を設けさせ、看護婦に酒間を給仕させる等公私を辨えない所業が少くなかつたばかりでなく、自ら垂範部下を監督指導し病院の品位を保持高揚しなければならない院長がこの重責を打ち忘れ診療補助に従事する若い未婚の一看護婦を寵愛看護婦長に引き立て、寸閑または当直を利用して、院長室または当直室等において、相抱擁醜行を演じ、病院の品位を穢し、原告ら心ある者の顰蹙するところとなつていたところ、たまたま、昭和三一年一一月初旬のある晩、原告鈴木が院長室で、折柄院長が件の看護婦と抱き合い、折り重なつて醜行を演じている現場を目撃、羞憤措く罷わずその姿態をそのままカメラに納め(同原告は職掌柄影写技術に長けている)その頃原告斎藤がその写真を院長の妻女に届けた。その後間もなくこの奇怪事が病院内外に知れ亘るや村議会議員、病院運営委員、被告村長らは原告らの仕打を喜ばず「部下のくせに上司の秘事を曝くとは何事ぞ、奥方にまで見せるとはもつての外、世間を騒がせるにも程がある」といきり立ち、時恰も病院の経営意の如くならず、赤字の銷却に四苦八苦していた折柄とて、ここに定員条例を改正して原告らを罷免せんことを企て、昭和三一年一一月上旬被告村長は先ず原告鈴木を全体の奉仕者たるふさわしくない非行があつたことを理由に懲戒免職処分に附し、村議会総務委員長らを介し原告斎藤にも「退職願を提出しなければ懲戒免職処分に附する」等申し向けた。そこで原告らは同月一三日同村公平委員会に事情を具し懲戒免職の理由のないことを主張して審査の請求をしたところ、公平委員長はろくろく審査手続を進めず、原告らに只管退職願の提出を勧告して已まず他方村長は病院職員定員改正条例の制定施行によりいよいよ自信を得、村議会総務委員長を介し原告らの退職願の提出を執拗に強要し、ここに原告らは昭和三二年一月一日その主張のように村立病院を昭和三二年四月一日から診療所にすること、その他条例所定の給与を支給すること等を条件として、退職する旨の昭和三一年一一月三〇日附書面各一通を作成被告村長にこれを提出するの己むなきに至り、被告村長がこの願書に基いて如上退職処分に出たことと、しかるに既に機構縮少期限たる昭和三二年三月三一日を疾うに経過している今もつて、病院が診療所に改められていないことを認めるに足り、証人菅原正、高橋喜兵衛、早坂久右衛門、被告本人の各陳述中認定に反する部分はとうてい措信し難く、その他被告の全立証によつても右認定を覆えすに足りない。

思うに、村がその経営に係る病院の収支相償わず累年缺損している場合において、冗費を省き運営を合理化せんがため条例を改正して職員定数を減少することはもとよりその所でこの場合村長が職員の意思に反しこれを解職することは洵に已むを得ないところで、成法も別段これを咎めているわけではないけれども、ある職員をなんら懲戒免職する理由がないにかかわらず公平な職務意識を麻痺させこの職員を罷免せんがため名を機構の縮少に藉り、これを欺罔して退職願を提出させ罷免するが如きは違法過当であることはいうまでもないところ、如上のように、自ら垂範他の職員を監督指導すべき地位にある村立病院長がこの重責を打ち忘れ未婚の看護婦と日夜情痴行動に浮き身をやつしている場合において、病院職員たるものなんらか効果的な方法によつて院長をして、これらの醜行を已めさせ病院の風紀を維持しその信用を回復したいと願うことは当然で、その手段として、その浅間しい現場を撮影これを院長の妻女に届けることはやや拙劣でもとより賞讃に値する方法ではないけれども、これを目して、単なる弥次馬気分ないし曝露戦術と断じ去ることは穏当ではない。原告らの所業は院長、その家庭、未婚の看護婦を拯い病院の綱紀を粛正し陰惨な空気を一掃してその信用を回復しその収入増を図る意図に出たものとも、また、観られないわけではない。方途は、もとより上乗ではないが事公共の利害に係り、その目的専ら公益を図るにあつたものともいえないわけではない。

また条例が改正されたといつても、原告らに支給されていた人件費は比較的僅少であり、現在なお病院が診療所に縮少されず現在既に原告らの事実上の後任者が配置されていることは原告ら各本人尋問の結果によつて明らかであるから条例改正の必要が殆んど存しなかつたものというべく、なおまた、定員の縮少により職員をその意思に反して罷免する場合においても、何人を退職させるべきかは事務の繁閑、軽重、職員の能力、勤務成績等諸般の事情を調査勘案して決すべき事実問題である所、被告村長はこれらの点についてなんらの思慮をも廻らさず唯単に、原告らの撮影ないし送届の一事に拘泥して軽々しく事を運んだ疑が十二分にあり、本件各解職処分は竟に違法不当であつて本来ならばとうてい取消を免れない。

しかしながら、不完全ながらも既に定員改正条例が制定施行されつつあり、また原告らは、その意に反してしたとはいえ、一旦退職願を提出したわけで本件罷免がこの願によつてなされたものであり、また、原告らは既に退職条件たる給与の大部分を受領していること、現在病院の院長も更迭し人事も安定し、職員相互間、職員と被告、村長、村議会議員、病院運営委員らとの間も円満で、病院ないし村の信用も回復し業績日に月に見るべきものがあることは証人早坂久右衛門、高橋喜兵衛、菅原正の各陳述、被告本人尋問を結果を綜合するによつて明かであり、なお、離職後既に約三年の歳月を閲した今日突如原告らを復職させてみても果して職場の平和を保つことができるか否か、また原告らに利益であるかどうかも疑義なしとしない。

してみれば、今原告らを復職させることによつて得られる公共の利益はそのさせないことによつて得べき公共の福祉よりも軽少であるものといわざるを得ない。果してしからば行政事件訴訟特例法第一一条に則り原告らに被告村長または色麻村に対する損害賠償の請求権を保留して、原告らの本訴請求を棄却する他がない。

しかし事情が叙上のとおりである以上訴訟費用は民事訴訟法第九〇条、第九三条に則り被告をしてこれを負担させなければならない。

よつて主文のように判決する。

(裁判官 中川毅)

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