仙台地方裁判所 昭和34年(ワ)54号 判決 1961年4月11日
原告 吾妻重吉
被告 国
訴訟代理人 松浦養治郎 外二名
主文
被告は原告に対し金六〇万円およびこれに対する昭和三四年二月九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負指、その余を被告の負担とする。
この判決は第一項に限り原告において被告のため金二〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和三四年二月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のように述べた。
(一) 訴外高橋功三は米国駐留軍の被用者であり自動車運転者として勤務していたものであるが、同人は、昭和三一年八月一五日、その職務として駐留軍大型トラック(TMP第二三五号)を運転し、午後二時四五分頃、宮城県黒川郡大和町吉岡糸繕地区内国道を時速約二四粁で南進中、同町吉岡志田十字路北方約二〇〇米附近の道路中央部において佇立中の原告に、右訴外人の過失により右トラックの右前部を接触させて原告を転倒させ、その結果、原告に右側頭部打撲傷、後頭部擦過傷、右腰部挫傷、蜘蛛膜下出血等の傷害を負わせた。
(二) 右衝突事故により原告は意識不明となり、直ちに黒川病院に収容され、二か月間同病院で治療をうけたのち、東北労災病院に移り同三一年一二月一日退院し、通院・治療に務めたが病状悪化のため、同三二年五月再び同病院に入院、同三三年一一月一応退院したがその後、現在まで通院して治療を続けている。
ところが、原告は現在なお常時激して頭鳴、耳鳴のため苦痛甚だしく更に右膝関節痛、左膝関節部膜力感あり、歩行に困難な状態である。
(三) 原告は本件衝突事故により次のような損害をこうむつた。
<1> 財産上の損害額約一六二万円のうち金八〇万円
(イ) 原告は本件事故当時、日本道路株式会社の技術嘱託として勤務し、一日平均六二〇円八七銭の賃金(月給制であるが休業補償の基礎となる平均賃金)を得ていたところ、本件事故により、右収入を失い事故の翌日から昭和三三年一二月二九日までの八六六日間は、右平均賃金の六割に当る一日金三七二円五二銭の割合により合計金三一万八、八八〇円の労働者災害補償保険法(以下単に「労災法」と略称する。)による休業補償費の支給をうけたほか無収入だつたので、右期間中は平均賃金の四割にあたる一日金二四八円(円未満切捨)の割合による金額、合計二一万四、七六八円相当の得べかりし利益を失つた。
(ロ) 原告は、昭和三三年一二月三〇日以降は自宅療養を続けているが、前記(二)で述べたとおりの症状で就労できるまでに回復する見込は全くないないから、本件事故により全く労働能力を喪失し、右休養補償費の支給打切以後は右平均賃金の全額を失うことになるが、その一年間の総額は、金二二万六、三〇〇円であつて、原告は前記休養補償打切当時満六七才で、その平均余命年数は約一〇年であるから、その間労働能力を失わないものとして、その間に得べかりし利益の総計額は約二二六万三、〇〇〇円でありこれよりホフマン式計算法により中間利息を控除した金額一五〇万円(万未満切捨〕が損害となるところ、原告はその後、昭和三四年五月下旬、労災法による障害補償費として金八万六、九二一円の支給をうけたので、これを控除した金約一四二万円(万未満切捨)相当の得べかりし利益を失うこととなる。
そして、右(イ)(ロ)の合計額約一六二万円(万未満切捨)が原告のこうむつた財産上の損害であるが、そのうち本訴においてまず金八〇万円を請求するものである。
<2> 慰藉料額金五〇万円のうち金二〇万円
原告は明治四三年東京工手学校採鉱冶金科を卒業後、昭和一三年日本道路舗装株式会社に就職し、同二一年同社(後に会社名は日本道路株式会社に変更された。)仙台営業所長、同二六年同社を停年退職すると同時に同社技術嘱託となり工事主任として現場監督の任に当つていたが、本件事故により前記のような傷害を受け、前記のように長期間の療養を続けて、なお常時激しい頭鳴、耳鳴のため現在まで懊悩・煩悶の日々を過し、その精神的苦痛は絶大であるが、それ以上に原告は老後の唯一の楽しみであつた技術者としての仕事を失つたことによる精神的打撃は大きく、これら苦痛を慰藉すべき金額は金五〇万円と見積るべきところ、そのうち金二〇万円を本訴においてまず請求するものである。
(四) よつて、原告は被告に対し駐留軍の被用者である高橋功三の不法行為に因り原告のこうむつた前記損害の賠償と、訴状送達の翌日である昭和三四年二月九日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。
このように述べ、抗弁事実を否認し、
本件衝突事故当時、事故現場附近の国道は、広範囲に亘つてその西側半分が舗装工事のため、路面堀さく、及び盛土工事が施され、かつ工事中のため一方交通に指定されており、工事箇所の南端及び北端にはバリケードが、同北方には徐行標示板が各設置されてあり、衝突地点の北方には自動大型ローラーが運転中で数人の人夫が稼働中であつた。このように衝突地点附近が道路工事中であることは一目瞭然であつたのみならず、原告が衝突地点附近道路の中央線の測定をしている間訴外小宮山崇之が、通行中の自動車に警告を与えるため、横約二尺五寸、縦約二尺の赤色の旗を持つていたのであり、従つて通行中の自動車に危険を回避するに充分な方法を講じていた。
しかも高橋功三は事故現場にさしかかつた際、衝突地点道路の中央部に原告と小宮山が向かい合つて対談中であるのを約五〇米手前で発見し、原告の背後(東側)を通過することとなつたが、このような場合、運転者たるものは警音器を充分に吹鳴して、佇立者に注意を与え、その動向に細心の注意を払い徐行のうえ、安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、高橋功三はこれを怠たり、単に速度を時速約一〇粁に減速したのみで、警音器を吹鳴せず、慢然進行した過失に基くもので、原告にはなんらの過失もない。
と述べた。
立証<省略>
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
請求原因事実中(一)は認める。(二)のうち、傷害の部位、程度、入院加療の事実はいずれも認めるが、現在なお加療しているとの事実は否認する、原告は昭和三三年一二月二九日、東北労災病院において神経障害を除いては全治したものと診断されている。
(三)の(イ)のうち、原告が本件事故当時、その主張のような平均賃金を得ていたこと、及びその主張の期間、主張する金額を休業補償費として受け取つたことは認めるが、原告が右休業補償費支給期間中無収入であつたとの点は争う。原告はその間日本道路株式会社から平均賃金の四割にあたる金員の支給をうけていた。
(三)<1>(ロ)のうち原告がその主張する金額を障害補償費として受け取つたことは認めるが、本件事故により原告が全労働力を失つたとの点および原告主張の就労可能年数は争う。
原告の職業、年令から考えて、平均余命年数の全期間について労働が可能ということはありえないし、しかも原告の現在の病名、症状から考えれば本件事故により原告の喪失した労働量の割合は全能力の約一四パーセント(労災法による障害補償保険給付は労働力を全く失つた場合の障害補償は第三級、平均賃金の一、〇五〇日分であることが窺われ、原告の現に受けた障害補償保険給付は第一二級、平均賃金の一四〇日分であるから、右基準日数の比率は後者は前者の約一四パーセントに当る)と見るべきである。原告が現に就労の機会に恵まれないのは、全労働力を喪失したからではなく老令という特殊事情によるものである。
(三)<2>のうち原告の経歴は認めるが、被告に慰藉料の賠償義務があることを争う。前記障害補償は被災者の財産上の損害のみならず精神上の苦痛をも填補するものであるから、このうえ被告に賠償の義務はない
と述べ、抗弁として、
仮に被告に損害賠償の義務があるとしても、本件衝突事故については、原告及び原告側に次のような過失がある。
(1) 高橋功三は前記トラックを運転して本件事故当時、南進しながら衝突地点にさしかかつた際、その約一〇〇米手前で、国道中央部に佇立していた対談中の原告と小宮山を発見したが、この国道は当時幅員九米二の砂利敷道路で南方に向い約一〇〇分の一の上り勾配であり、かつ右自動車は自動変速装置を備えていることと、意識的な減速の結果、次第に減速されて一時間当り約一〇粁の速力で原告の背後附近まで進行したところ、原告が突如後向きのまま急に東方に向つて後退し始めたので急停車も間に合わず、衝突するに至つたのであるが、右国道は一日一、〇〇〇台の交通量をもつ幹線道路であつて、原告は道路工事の現場監督としてかかる事情を知悉しながら、右自動車が微速をもつて接近して来るのを不注意によつて知らず、かつ、左右の安全を確かめることなく慢然後退した過失をおかしたものである。
(2) 又、右小宮山崇之の佇立していた地点からは当然右自動車の進行を認めることができたのであるから、同人に原告が右のように後退するのを阻止しえたのであり、かつそうすべき信義則上の注意義務があるのに、同人がそうしなかつた過失は被害者たる原告側の過失というべきである。
以上のような原告ならびに原告側の過失は本件事故による被告の賠償額を定めるにつき斟酌されて然るべきである。
このように述べた。
立証<省略>
理由
一、不法行為の成否について。
訴外高橋功三が米国駐留軍の被用者であり、自動車運転者として雇われたものであること、同人が昭和二一年八月一五日、その職務として米国駐留軍保有の大型自動四輪車(TMP第二三五号)を運転し、同日午後二時四五分頃、宮城県黒川郡大和町吉岡糸繕地区内国道を南進中、同町吉岡志田町十字路北方約二〇〇米附近道路中央部において佇立中の原告に、前記自動車の右前部を接触させて原告をその場に転倒させた結果、右側頭部打撲傷、後頭部擦過傷、右腰部挫傷、蜘蛛膜下出血等の傷害を負わせるに至つたこと、はいずれも当事者間に争いがない。
そうすると、前記訴外人の無過失につきその主張立証のない本件において、被告は本件衝突事故により原告に生じた有形・無形の損害を、自動車損害賠償補償法第三条、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う民事特別法第一条により賠償すべき義務があることは明らかである。
二、損害額について
<1> 財産上の損害額
(イ) まず、原告の治療期間中の損害について判断するに、
原告が本件事故当時、日本道路株式会社に勤務し、一日平均金六二〇円八七銭の賃金を得ていたこと、及び本件衝突事故により、黒川病院、東北労災病院に各入院して治療を受け、昭和三三年一一月一三日東北労災病院を退院したが、まだ全治の状態ではなかつたこと、事故の翌日から同三三年一二月二九日までの八六六日間、右平均賃金の六割にあたる労災法に基く休業補償費の支給をうけたこと、は当事者間に争がなく、特別の事情がないので右休業補償費の支給期間が原告の本件事故による傷害の治療に必要な期間と認めるのが相当である。
そして証人佐藤義一の証言により真正に成立したと認める甲第八号証(証明書)と同証言ならびに原告本人尋問の結果によれば、右期間中、原告は日本道路株式会社より金九万四七九円を見舞金として受け取つたほかは、なんらの収入がなかつたこと、及び本件事故がなかつたならば、原告は引き続き同会社に勤務して、前記平均賃金を得ることができる状態であつたことをそれぞれ認めるに足り、右認定に反する証拠はない。
そうであるとすれば、原告は右治療期間中、その傷害の程度に拘らず、右平均賃金と同額の損害をこうむつたというべきところ、前記休業補償費は右損害から控除すべきであるから、結局原告は、前記平均賃金の四割に相当する一日金二四八円(円未満切捨)の割合による八六六日間の合計額金二一万四、七六八円の得べかりし利益を失つたこととなる。
(ロ) 次に治療期間後の財産上の損害について判断するに、
まず原告訴訟代理人は、原告は本件衝突事故によりその労働能力の全部を喪失したと主張し、証人山本昌夫の証言により真正に成立したと認める甲第七号証(診断書)と同証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告が前記東北労災病院神経科を退院した昭和三三年一一月当時の原告の症状は、神経系統に器質的な変化は見られなかつたが、頭鳴、耳鳴、時折両膝関節部に脱力感や疼痛があり、さらに歩行時によろめく等、機能的障害が固定化し、右は頭部外傷後遺症として治療を継続しても終生全治の見込がない旨診断されていること、原告はその後、右のような症状のため、同三五年三月頃まで通院して治療をうけたが、現在まで依然快癒の見込がなく、乗物に乗つたり、長時間に亘る起立を続けたり、計算等事務的な仕事を続けると、前記の症状が激化すること、本件事故のため、日本道路株式会社を退職して以来現在まで一度も就職していないこと、が認められこれらの事実によれば、原告は現在日常生活においてもかなりの苦痛を感じていることは窺えるけれども、この程度では原告が全く労働不能の状態にあるとは認め難いのみならず、かえつて、原告本人の尋問の際に原告が示した思考力ならびに記憶力の正確さと証人山本昌夫の証言によつて原告が高度の精神力を要しない事務的な仕事に従事することは現在も可能であると診断されていること(もつとも、これとて長時間に亘ることは不可能と推察するに難くないが)から見て、原告は本件事故にもかかわらず或る程度の労働能力を有していろものと考えることができ、そしてその程度は前記事情から見て、事故前に獲得しえた前記平均賃金の四分の一程度に減少したものと認めるのが相当である。
この点に関し、被告訴訟代理人は原告の失つた労働力は僅かに一四パーセントに過ぎないと主張し、証人別府栄典の証言はこの主張に副うものであるが、労災法に基く障害補償等級は同法に定める保険給付の基準、これを更に遡れば業務上の災害に基く罹災労働者の不慮の損失について使用者(災害の原因が使用者の責に帰すべきものの存否を問わない)をして如何なる程度までこれを分担せしめるのが労働政策に適うかを考慮して定められた基準であつて右損害の原由が同時に他人の故意過失に因る不法行為をなす場合においてその損害賠償の範囲を定めるにあたつては加害者をして如何なる程度に被害者の損害を償わしめることが社会的にみて公平に適するかが考慮の中核となるのであるから前記保険給付の基準をそのまま、この場合に援用し得ないことは疑の余地がなく、労働力の喪失ならびに減少の程度を考えるにあたつては、労働者の年令・職業の種類、受傷の部位、転職の可能性等その労働者の特殊性を無視しえないのは当然であつて、これらの特殊性が賃金のもつ個人差のなかに解消されつくしたものとして、一般人としての障害の程度により劃一的に補償額を決定する前記障害補償等級は、ひつきよう本件損害賠償の範囲という特殊具体的な事例について、よるべきところとはなしえないものといわなければならないから右主張は採用する由もない。他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
次に、残存就労可能年数について考えると、
証人佐藤義一の証言と原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二六年日本道路株式会社を停年(満六〇才)退職したのち、本件事故当時まで同会社に引き続き臨時雇の形式で勤務していたが、同会社では技術者が不足しており、臨時雇には年令の制限がなく、健康の許す限り勤務できる建前であり、現に停年退職後臨時雇の形で七二-三才まで勤務した人が他に存すること、原告は事故当日まで非常に健康で、本件事故に遭遇しなければなお相当期間勤務を続けるつもりであつたこと、をそれぞれ認めるに足りるから、原告の残存就労可能年数は、前記休業補償費が打切られた昭和三三年一二月二九日から起算すれば、その後満四か年、すなわち原告が約満七二才に近い頃まで、と認めるのが相当である。
右認定を動かすに足りる証拠はない。
従つて、原告は、前記平均賃金の四分の三にあたる一日金四六五円(円未満切捨)の割合による損害を昭和三三年一二月三〇日より四年間に亘つてこうむることとなるわけであるが、右割合による一年間の合計額は一六万九、七二五円となり右一年間の合計額につき、各年毎に年五分の法定利息を控除するホフマン式計算法によるときは、右四年間の現在値として金六〇万四、九六〇円(円未満切捨)を得ることが計算上明らかである。
ここで損益相殺について考えると、原告が昭和三四年五月下旬労災法に基く障害補償費として金八万六、九二一円の支給を受けたことは当事者間に争がなく、右は後に述べるようにもつぱら将来の財産上の損害に対する補償と考えるべきであるからここで控除するに、原告の右損害額は金五一万八、〇三九円となる。
よつて、右(イ)(ロ)の合計額は金七三万二、八〇七円となるところ、次に過失相殺の抗弁について考えるに、成立に争のない甲第一、二号証、原本の存在ならびに成立に争のない乙第四号証と証人高橋功三、同小宮山崇之の証言ならびに検証の結果(第一、二回)を綜合すれば、
本件衝突地点は、北方約二〇〇米から見通すことのできる道路で、当時日本道路株式会社の請負にかかる舗装工事のため道路の西側半分の路面は堀さく中であり、そしてこの工事の安全を確保するための措置として処々にバリケートが設置され、又西側半分の路面の通行を禁止するため一方通行の制限がしかれ、北方に進行する車馬は通行が禁止されていたけれども、南方に進行する車馬は、道路の東側半分の路面を自由に通行できるようになつていたこと、そしてこれらの車馬に対しては「工事中」の標識と徐行標示板を設置して車馬に注意を促がし、右道路西側において施行中の工事の安全を期していたに過ぎないことが認められ、このように道路の片側路面が工事中でありながら、反対側の路面につきなお車馬の通行を許している場合においては、右工事に従事中の者といえども、車馬の通行している路面に出ようとする場合には一般人と同様左右の安全を確認して危険の発生を防止すべきが当然であるのに、前掲各証拠によれば、当時道路中心線の測定に当つていた原告は車馬の進行して来る道路の北方に注意を向けることなく、道路中央部より東側路面内に後向きのまま慢然一、二歩後退したため、折から原告の背後(東側路面)を通り抜けようとした高橋功三の運転する前記自動車に接触・転倒したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。
なお、被告訴訟代理人は小宮山崇之の過失を原告側の過失として主張するが、本件事故を惹き起すについて仮に同人に所論のような過失があるとしても、同人が原告と共に前記のような業務に従事していたというだけではその過失を原告側の過失として相殺するに由なきものといわなければならない。
そうであるとすれば、本件衝突事故を惹き起すについて、原告にも相当の過失があつたことは明らかで、この過失を考慮すれば前記(イ)(ロ)の損害額の合計を約三分の二弱に相当する金四八万円に減額するのが相当である。
<2>精神上の損害額
原告が本件衝突事故により右側頭部打撲傷、後頭部擦過傷、右腰部挫傷、蜘蛛膜下出血等の傷害をこうむり、約二年余の入院生活を経て、現在なお頭部外傷後遺症のため常時、頭鳴、耳鳴等の症状が残存し、快癒の見込がないと診断されていることは前記認定のとおりであり、これらの事実によれば、原告が本件衝突事故により多大の精神的苦痛をうけたことを推認するに難くない。
ところで被告訴訟代理人は労災法による障害障害補償は被災者の受けた精神的損害に対する補償でもあるから、前記補償費の支給により原告のこうむつた精神上の損害は填補されていると主張するけれども、労災法に・よる障害補償は、労働基準法第七七条に定める障害補償と同一のものであつて(労災法第一二条第二項)、これは被災労働者の労働力の維持を図るため、災害により将来の労働に支障を来たすような場合、失われた労働力の程度に応じてその被むるべき財産上の消極損害(得べかりし利益)を填補することを目的とするものである。
従つて原則として精神上の苦痛に対する慰藉を目的とするものではないと解すべく、ことに本件のように、財産上の損害を填補するに満たない場合において被告が右障害補償費の支払を行つたからといつて慰藉料の支払義務を免れるものではないといわなければならない。
よつて、その数額について考えるに、原告が東京工手学校を卒業後、昭和一三年から日本道路株式会社に勤務し、仙台営業所長の地位で同社を停年退職したのちも満六五才の本件事故当日迄引き続き同社に勤務していたことは当事者間に争がなく、原告本人尋問の結果によると、原告は現在その妻と二人暮しで不動産その他の財産はなく、妻が借家に下宿人を置いて僅かの収入を得ているほか、別居中の長男(福島大学勤務)と娘(二人とも他家へ出している)から生活費の援助を受けて生活していることが認められ、これらの事実と前記のような本件事故による受傷の経過及び前記原告の過失を綜合して考えれば、原告の本件受傷による精神的苦痛を慰藉すべき額は金一二万円をもつて相当と認める。
三、むすび
以上によつて明らがなとおり、被告は原告に対し前記二、#1#2の損害額合計金六〇万円と、これに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和三四年二月九日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で理由があるから認容するが、その余は理由がないから棄却すべきである。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 飯沢源助 蓑田速夫 小泉祐康)