仙台地方裁判所 昭和38年(ワ)503号 判決 1965年12月25日
原告 成載門
被告 国
訴訟代理人 青木康 外三名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、原告の物件引渡請求(請求の趣旨一ないし三)について
原告は、被告に対し、その所有権または占有権に基づき、別紙(一)記載の図書一五冊、同(二)記載の文具類、笹原博子の捺印のあるコクヨ罫紙二枚、同(三)記載の電報頼信紙五通の返還を求めるところ宮城刑務所長が、みぎ物件中別紙(二)記載の番号12の赤青色インキ各一個とあるうち赤色インキ一個を除くその他の物件すなわち本件物件を所持していることは被告の認めるところである。同所長がみぎ赤色インキを原告から取り上げたという原告本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に証拠がないので、その返還を求める原告の請求はこの点においてすでに理由がない。
原告が昭和三八年五月二九日刑事被告人として盛岡少年刑務所から宮城刑務所に移監されたことは当事者間に争いがなく、公文書であるから真正に成立したと推定すべき乙第一号証、第二号証の一、証人小林利雄、森八郎、備栄彦の各証言によると、本件物件は、いずれも宮城刑務所長が監獄法第五一条第一項に基づき領置したもので、その後領置を解かれていないこと、同所長が本件物件の一部を一時原告に交付し、その使用を認めたものがあるがこれは領置物の仮出し(領置物の領置を解かずに在監者の一時使用を認めること)によつたものにすぎないことが認められ、みぎ認定を妨げる証拠はない。
ところで刑務所は、在監者の身柄を拘禁し戒護にあたる場所であるから、在監者が所持品を監房内に無制限に持ち込むことの許されないことは当然であつて、刑務所においては、処遇の平等、保安、紀律、衛生等行政上の要請に基づき、在監者の携有する特はすべて領置されるの建前であり(監獄法第五一条第一項)、領置物は釈放の際はじめて交付される(同法第五五条)のであるから、一たん領置されれば、刑務所長が在監者の占有する物を強制的に保管するという領置の効果が釈放まで続き、領置が解かれない限りその効果が消滅することはなく、領置物の仮出しにも占有移転の効果は伴わないものと解すべく、在監者は、たとい自己の所有物であつてもその使用がみぎ要請の限度で、かつ、在監者に著しい不便をきたさない限度で制限されるのもやむを得ないものとして容認せざるを得ない。そして在監者に所持品の使用を認めるか否かは、事柄の性質上、原則として刑務所長の自由裁量に委ねられているものと解すべく、裁量権の行使が特に著しくその範囲を逸脱していると認められる場合のほかは、違法の問題を生じないであつて、宮城刑務所長の処置がみぎ例外の場合にあたらないことについては、つぎに述べるとおりであるから、本件物件の所有権または占有権に基づき、その返還を求める原告の請求も理由がない。
二、原告慰謝料請求(請求の趣旨四)について
(一) 宮城刑務所長が別紙(二)記載の番番12の赤青色インキ各一個とあるうち赤色インキ一個を原告から取り上げたことは認められずその他の本件物件は、いずれも同所長が監獄法第五一条第一項に基づき領置したもので、その後領置を解かれていないことは前認定のとおりであり、原告本人尋問の結果によつても、原告主張のように一〇人位の看守が前記図書、罫紙を原告から強奪したとは認められない。また公文書であるから真正に成立したと推定すべき乙第三号証の一、前掲各証言および原告本人尋問の結果によると、宮城刑務所では、昭和三四年一二月二五日付「未決拘禁者の閲読図書について」と題する同所長の達示にしたがい、独居拘禁者に対しては、通常官本、私本の通じて図書三冊以内、冊数外として字典、経典、宗教、修養書は三冊以内の閲読が認められるのであるが、独居拘禁者である原告は、多数の民事訴訟(原告の主張によると、三〇件余りという。)をしている関係から、特にその必要を認められてみぎ制限によらず常時八冊以内の閲読が認められ、原告が希望するときはみぎ冊数内で他の図書との交換を自由に認められていること、原告は、毎日午前七時ごろから午後五時ごろまでという時間の制限はあるが、鉄筆、骨筆、Gペン、ペン先、鉛筆、消しゴム、青色インキ、カーボン紙、画鋲等の使用、交換を認められていること、前記罫紙(原告本人尋問の結果によると、みぎ罫紙は白紙委任状であつて、原告が委任事務を処理できなくなつたので笹原博子に返さねばならないというのであるが、同時にこのことを宮城刑務所長に言つたこともないし、みぎ笹原からその返還を求められたこともなく、原告から返還できないことを同人に知らせたこともないというのである。)、電報頼信紙は原告にとつて特に必要なものでないことが認められる。もつとも原告本人尋問の結果によると、みぎ図書の交換は毎日午前七時ごろから午後五時ごろまでしかできず、その交換に若干の時間を要するし、日曜日などは交換ができないとか、万年筆、筆、マジツクペン、色鉛筆、赤色インキ、墨、用紙はさみ、ホツチキス等の使用が認められないので不便だというのであるが、すでに述べたように刑務所においては、前記要請の限度で、かつ、在監者に著しい不便をきたさない限度で、在監者の所持品の使用が制限されるのもやむを得ないものとして容認せざるを得ないのであり、みぎ図書の冊数の制限、文具類の一部使用禁止は一一説明するまでもなく前記要請に基づくものとして一応肯定でき、図書交換の際の多少の不便はやむを得ないし、原告には前認定のように他の文具類の使用が相当程度認められているのであるから、そのうえさらに万年筆、筆、マジツクペン等みぎ文具類があれば便利であろうが、原告にとつて特に必要なものということはできず、別紙(一)記載の文具類の一部は、原告が今後必要があつて願い出をすることによりその使用を認められるであろうことも明らかである。したがつて宮城刑務所長の処置は、上述に照らしていずれも違法ではない。
以上の次第で、物件引渡請求に関連する慰謝料の請求は理由がない。
(二) 原告が昭和三八年六月二四日宮城刑務所長に対し別紙(三)記載の電報頼信紙五通の発信の取次ぎを依頼したのに、同所長がこれを拒否して電報局に発信を依頼せず、みぎ電報頼信紙を領置していることは当事者間に争いがない。
原告は、みぎ宮城刑務所長の処置は、同所長が原告の実弟金文珠の病状を隠避して過少に評価し、裁判所に対し事実に反する意見を具申して同人に対する勾留および刑の執行を継続させ、その生命を危険にさらしていることを、原告が同人の救済を求める電報を裁判官や弁護士等に発信することによつて、一挙に露見するのをおそれたためであると主張するが、そのように認めるべき何らの証拠もなく、成立に争いのない甲第一号証の一、二、第四八ないし第五三号証(原本の存在およびその成立を含む。)、証人森八郎、斎藤順治、備栄彦の各証言および原告本人尋問の結果によると、(1) 原告の実弟金文珠は、昭和二一年ごろから、肺結核症に罹患していたが、昭和三八年二月一六日ごろ盛岡少年刑務所から宮城刑務所に移監された当時、レントゲン写真上、両側上肺野繊維乾酪巣、多房性空洞が認められ、難治症状であつたが、血沈等も正常で落ち着いた状態にあり、その後もレントゲン写真上、ほとんど動きが見られなかつたこと、(2) みぎ電報頼信紙には、金文珠の病状につき「カツケツ」、「キトク」、「ビヨウキチユウタイ」等の記載がみられるところ、同年六月二四日当時同人にはそのような病状が全くなく、ただ同月二一日に同人が口腔より出血した事実があり、後に医師が出血の報告をうけたけども、血液の状況からみて喀血と認定するまでにいたらなかつたこと、(3) 当時金文珠は、執行停止を得ようとするためか従来と異なる症状がないのに拒食を行なつていたため鼻道給与をうけており、その器具による損傷出血、薬剤の副作用による出血または自傷行為による出血ということも十分に考えられたこと、(4) 金文珠は、その後も何ら異状なく経過していること、(5) 宮城刑務所における結核治療は、決して一般の病院におけるそれに劣るものでなく、患者に対する食事は二、〇〇〇カロリーを与え、栄養にも十分に注意し、断層写真を撮つたり喀痰の培養をする設備を有し、薬剤は一般の病院よりもむしろぜいたくな位の投与をしている程であり、日直医がいるほか、夜間危急の際はいつでも医師を呼び得る状態にあつたこと、(6) 原告は、みぎ二四日宮城刑務所の渡辺市郎係長から、金文珠の病状が原告が思つているようなものでなく、危篤でも何でもない旨を教えられたこと、(7) 本件発言不許可の理由は、およそ被告主張のとおりであつたことが認められ、みぎ認定を妨げる証拠はない。
原告本人尋問の結果によると、原告は、みぎ二四日宮城刑務所保安課長千葉辰柄が持つていたメモに「金文珠喀血」と書いてあるのを見た(なお原告の主張によると、原告はみぎメモを見て、金文珠が同月二〇日喀血したことを知つたという。)というのであるが、その真偽の程はしばらくおき、他に原告が金文珠の病状が重体であるとか、同刑務所の同人に対する治療処置が不当であると考えたことを肯定するにたりる何らかの資料根拠があつたとは認められず、かえつて成立に争いのない甲第六三号証、第六五号証、公文書であるから真正に成立したと推定すべき乙第四号証によると、原告は、昭和三八年四月三〇日ごろ樋口幸子弁護士から、同弁護士が宮城刑務所の斎藤順治医師に会つた結果、金文珠の病状は原告が心配する程悪くなく、勾留の執行停止の必要がないこと、同刑務所では同人に対しできるだけの治療を行なつている旨を聞いたことや、金文珠に会つた結果、同人も大変落ち着いた心境にあること等を書いた手紙をうけとり、また同年六月二〇日ごろには金文珠から、同人が宮城刑務所の処遇に満足し、拘置場長その他の職員に励まされている旨を書いた手紙(金文珠がこのような手紙を書いたことと、前認定(3) の事実中、同人が執行停止を得ようとするためか拒食を行なつていたとの事実は、やや矛盾するようであるが、人の精神状態の如何によつてにこのようなことともあり得ないことではない。)をうけとつているが認められるのである。
以上事実関係に基づき考えるに、みぎ二四日当時金文殊には電報を発信する程の重体の病状は全くなく、宮城刑務所の同人に対する治療処置も決して不備でなかつたものであり、原告がこれと正反対に考えたことを肯定するにたりる資料、根拠は認められないのであるから、電報頼信紙の記載内容は著しく事実に反する有害無用のものというべくかりに本件電報が発信されれば、被告主張の宮城刑務所の利益侵害の存否を度外視しても、いたずらに受信人たる裁判官や弁護士を因惑させ、あるいは金文珠の妻であるという菊地のぶ子をいたく心配させ同人に不必要な準備をさせること等が予想され、後に真相がわかつた際、原告は、場合によつては自己の社会的信用を失墜したであろうし、少なくとも自己の軽卒な行為により受信人に迷惑をかけたことを詑び恥じねばならなかつたものである。また本件電報が発信されなかつたことにより、原告が何らかの損失をうけたとも考えられないところである。原告は、前記二四日宮城刑務所の渡辺市郎係長から、金文珠の病状が原告が思つているようなものでなく、危篤でもない旨を教えられているのであるし、その際何らかの理由によりこれを全面的には信頼できなかつたとしても、本件訴訟において自己が本件電報の発信の取次ぎを依頼したことが軽卒な行為であつたことを十分に知つた筈であるし、成立に争いのない甲第六六号証、前掲乙第四号証によると、その後原告は、昭和三八年一二月二七日ごろ金文珠から、同人が医療上のことにつき一切主治医を信頼している旨を書いた手紙をうけとつていることも認められるのである。
このような場合、原告は、本件発信不許可により一体いかなる精神的苦痛をうけたのであろうか。かりに精神的利益は得ても、精神的損害が生じたことはないと考えざるを得ない。
したがつて本件発信不許可に基づく慰謝料の請求は、その余の争点についての判断を示すまでもなく理由がない。
三、よつて原告の請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 安達敬)
別紙(一)~(三)<省略>