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仙台地方裁判所 昭和43年(行ウ)1号 判決 1972年3月03日

原告 村上孝一

<ほか七名>

右原告八名訴訟代理人弁護士 東城守一

同 山本博

同 平田辰雄

被告 仙台郵政局長 広瀬弘

右指定代理人 村重慶一

<ほか八名>

主文

本件各訴はいずれもこれを却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

1  被告が昭和四二年一〇月一七日付で原告らに対してなした別紙目録記載の各懲戒処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

1  本案前関係

主文第一、二項同旨の判決。

2  本案関係

(一) 原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

との判決

第二、当事者の主張

一、原告らの主張

1  請求原因

(一) 原告村上孝一、同村上善喜、同小山、同小松、同伊東、同津島はいずれも仙台郵政局所轄大島郵便局(以下単に大島局という。)に、原告西条、同桜田は、同所轄気仙沼郵便局に勤務する郵政職員である。

(二) 被告は、昭和四二年一〇月一七日付をもって、原告らを「昭和四二年七月二〇日、宮城県大島郵便局長の再三に亘る就労命令を無視し、勤務を欠くなどして長時間にわたり同局員等数名とともに執務中の同局長に対し執拗に話合いを強要し、暴言を浴びせ、あるいは同局長のメモを取上げて破棄し、また同局長の職務の執行を妨害する等して著しく職場の秩序を紊乱した」との理由で、国家公務員法(以下単に国公法という。)第八二条および人事院規則一二―〇により別紙目録記載の各懲戒処分(以下本件各懲戒処分という。)をした。

(三) しかし、右懲戒処分は次に述べるとおり労働組合法(以下単に労組法という。)第七条第一号および第三号に違反する違法な処分として取消さるべきものである。

(1) 原告らは、いずれも全逓信労働組合宮城地区本部気仙沼地方支部の組合員であって、一組合員として、あるいは別紙目録記載の組合役員として熱心に組合活動を行っていたものである。

(2) ところが、被告は、原告らの組合活動を嫌悪し、組合活動を抑圧する目的で、しかも後記のように正当な組合活動として行われた職場交渉そのものを懲戒の理由にして本件各懲戒処分を行ったものである。

被告の右意図は、次の事実に照らして、十分窺えるところである。即ち、

イ 原告らの組合活動およびこれに至るまでの経過

(イ) 特定郵便局制度は、元来郵便事業の創始者前島密が「実費を掛けず虚栄を利用して斯業を発展させる一つの方略」として創設した郵便役所制度にはじまり、古くは(ⅰ)局長の局舎、備品提供義務(ⅱ)これと結びついた局長自由任用制、世襲制、(ⅲ)経費の渡し切り制により運用され、そのため施設の整備はなおざりにされ、局員は郵便事業という公務を職務としながら、局長の私的使用人の性格を有し、低劣な労働条件の下で家事労働にまで使用されるありさまで、局員の労働条件、労働環境は劣悪であり、戦後間もなく多少の改善はされたものの、昭和三七年三月当時においても、国有局舎九二三に対して局長私有局舎一〇、四七四と局長の局舎私有の事実には見るべき変化はなく、このような局長の局舎私有の事実と局長自由任用制の結びつきの上に局長世襲制も事実上行われ、労使関係はなお前近代的な性格を濃厚に残していた。そこで、原告らの所属する全逓信労働組合(以下単に全逓という。)は昭和二一年五月三一日結成当初より特定郵便局制度の撤廃を組合運動の課題としてとり上げ、引続き今日まで組合大会での反対決議、中労委に対する特定郵便局制度撤廃に関する調停申請、郵政省、特定郵便局長会との特定郵便局制度特別委員会の開催、右三者間で特定郵便局舎を漸次国有局舎に切換えることを基本方針とする協定締結、議会に対する陳情、人事院に対する行政措置要求、特定郵便局における点検闘争、地域における反対署名運動等の反対闘争を行なってきた。

大島局も右のような特定郵便局の一つで、局舎所有者は本件各懲戒処分当時の局長の伯父にあたる小野寺譲平であり、局舎の敷地は小野寺義一自身の所有に属する。局長は、小野寺譲平の大島郵便局長在任中の昭和一九年五月二五日大島局に採用され、昭和三三年九月一日同局主任、昭和四一年三月一日同局主事を経て、主事昇格後僅か三ヶ月余の昭和四一年六月二七日主事在任一〇年の村上彰を差し置いて局長に就任したものである。

大島局舎は、昭和一三年一〇月に建築された木造瓦葺平家建のバラックで、その後三〇年の間に事務量の増大、定員の増加に対応するために数次の増築や補修を重ねて一時を糊塗して来たものの、局舎の老朽、狭隘、施設の不備は蔽うべくもなく、もともと不適当であった立地条件も一層その度を強めるに至った。

そこで、全逓気仙沼地方支部(以下単に支部という。)および大島分会(以下単に分会という。)では局員の労働環境を改善し、その機会に前記のような弊害の甚しい私有局舎を国有ないし公有局舎に切換えるという見地から、昭和四〇年一〇月以来当時の大島郵便局長に対して国費あるいは郵政互助会資金による局舎の新築を要求し、昭和四一年六月小野寺義一の局長就任後は同人と交渉を続けて来た。

ところが、局長は、昭和四一年一〇月頃分会に対して局舎私費建築の意向を表明するに至った。そこで支部および分会は局長との数次の団体交渉において局舎私費建築計画の撤回、郵政互助会資金による局舎建築を要求して交渉を重ねたが、局長の決意が固く、支部および分会は昭和四一年一二月初め頃から局舎私費建築反対闘争に入り、全逓宮城地区本部(以下単に地区本部という。)の指導の下に昭和四一年一二月一〇日頃から闘争を強化して職場におけるリボン闘争、腕章闘争、ビラ貼り闘争、地域における街頭宣伝、戸別訪問、署名運動、ハガキ戦術、寄せ書きその他の宣伝活動を活発に展開し、昭和四一年一二月一八日までに大島住民の世帯数九〇六の九割にあたる八〇〇余世帯、有権者数三、二九一の七割に当る二、三〇〇余名の賛成署名を得て、その頃仙台郵政局に対して局舎の国、公費による早期建築の要求を行った。

その後も局長は、局舎私費建築の態度を変えなかったため地区本部では闘争を強化し、同時に仙台郵政局に対して大島局の公費建築を要求し、昭和四二年六月一三日には「小野寺局長の希望もあり昭和四二年中に私費建築をする。」という郵政局の計画を、「局長の真意を再確認した上で郵政局としての態度を決めたい」というところまで後退させた。

これと並行して現地においては支部および分会が地区本部の指導の下に職場における反対闘争を展開し、この間昭和四二年五月頃には局長に対して退陣要求書を突きつけるなどのこともあって、局長も、昭和四二年七月中旬頃「私の一存ではどうにもならない。五、六人の人達と相談したうえで七月二二日に回答する」と確約するに至った。

このように強力に展開された私費建築反対闘争に対抗して、仙台郵政局は昭和四二年七月二〇日以降人事部管理課長補佐等数名を現地に派遣して局長の支援を試みたが、組合側の強硬な決意の前に七月二五日なすところなく引上げた。

ところが、局長は七月二二日に回答するという前記の約束に反し、組合に対して態度を明らかにしないまま、昭和四二年七月末頃郵政局に対して秘かに私費建築承認の上申をした事実が判明したため、反対闘争は一段と激化し、昭和四二年九月一九日付全逓中央本部から指導文書(全逓組第二三号)が発出されるにおよんで、大島局舎問題は局地的な闘いの枠を超えて全国の組合員に支援された闘争へと発展して行った。

その結果、仙台郵政局は昭和四二年一〇月四日全逓東北地方本部に対して、「大島局の私費建築承認を撤回する。」と通告するにおよんで私費建築反対闘争に終止符が打たれた。

(ロ) その他、小野寺義一局長は前述のように情実によって局長に就任したものであって、局長としての能力において局員の信頼を得られず、同人の局長在任中は労使の紛争が絶えなかった。

そして、昭和四一年一二月一六日には局長の違法あるいは不当な職務執行について支部から厳しく責任を追求され、これを全面的に認めて、支部に対し文書で謝罪した。

(ハ)a 本件各懲戒処分の理由となった事実は、前記(イ)のような局舎私費建築反対闘争中の昭和四二年七月二〇日に行われた職場交渉中の出来事である。当時、大島局においては緊急解決を要する問題が組合側の再三の要求にもかかわらず局長の怠慢によって未解決のままに放置され、局員の不安、困惑は甚しかった。例えば、

(ⅰ) 気仙沼市において登録機動車のナンバープレートが昭和四二年六月一五日から同月二九日までの間に切替えられ、七月一三日当時においては大島局を除いてすべて切替えを終えていたのに対し、ひとり大島局のみが切替手続に着手せず、また旧ナンバーのままで運転した場合の取扱いについても何等確めることもしていなかった。

(ⅱ) 局員の便所は屋外に設けられているが、男子局員の小便所は囲いのない板壁に便器を取付けただけのお粗末な代物であり、また女子局員の便所には施錠の設備および便器の蓋がなくて女子局員の困惑は一方ならぬものがあった。

(ⅲ) 宿直者各自に当然貸与さるべき敷布、掛布が局長の怠慢によって全員に行きわたらなかった。

そこで、支部および分会は昭和四二年七月一三日局長との団体交渉の際、右の事項について早急な解決を要求し、局長も緊急性を認めて同月一五日までに解決する旨確約しながら、七月一八日の団体交渉を経て七月二〇日の団体交渉当日に至っても全然手をつけることなく放置していた。

b このようにして本件各懲戒処分の対象となった昭和四二年七月二〇日の原告らと局長との職場交渉が行われたのであるが、当日の職場交渉の経過および原告らの行動を時間を追って記述すると次のとおりである。

(ⅰ) 午前九時頃から同九時五〇分頃まで

分会は前記要求のために、午前九時頃から同九時五〇分頃まで、勤務に支障を来たすことのないように配慮しながら、局長との間で団体交渉を行った。

ところが局長は何ら局員の不安を除去する処置をとらなかった。

そこで分会では九時四五分頃交渉が長時間にわたっては勤務に支障を来すので、局長に対し、一旦交渉を打切って勤務に支障のない午後三時から交渉を再開するよう申入れたが、局長は窓口締切りその他で局長の事務多忙となるはずの午後四時再開を主張して譲らず、結局、組合側が折れて午後四時再開ということにして九時五〇分頃午前の交渉を終えた。

(ⅱ) 午後四時頃から同七時頃まで

分会では、支部から派遣されてきた支部長金沢哲夫、原告西条、および同桜田をまじえて局長の主張どおり午後四時から団体交渉を再開しようとしたところ、局長は分会に何の通告もなしに突然交換台勤務についたため、約束どおり団体交渉を再開することができなくなったので、交換事務の終了する午後七時過ぎまで団体交渉を延期する旨通告して待機していた。

(ⅲ) 午後七時一〇分頃から同九時三〇分頃まで

ところが局長は、午後七時一〇分頃交換事務を終えると、待機している原告ら組合員を無視して直ちに金銭の勘定にとりかかり一向に団体交渉に応じる態度を示さないので、金沢支部長が局長に対し「四時の約束を局長の都合に合わせて今まで待っていたのであるから、誠意を以て直ちに交渉に応じられたい。」と申し入れたが局長は、「金勘定していても聞こえる。」と挑戦的な返答をしたまま金銭勘定を止めようとはしなかった。そこで組合側は止むなく金銭勘定中の局長と団体交渉を開始したが、局長は依然として不誠意な態度を続け、前記の緊急な要求事項を早急に解決する意思があるかどうか、という組合側の質問に対しても黙して答えず、交渉は一向に進展しなかった。

このような局長の不誠意極まる態度に対しても、原告ら組合員は自制力を失わなかった。

その後九時二〇分頃仙台郵政局管理課から局長に団体交渉の状況を尋ねる電話があり、これに対して局長が「別に大したことはありません」と答えた後、組合側の金沢支部長が代って電話に出て交渉の経過を報告し、午後九時三〇分頃右電話報告をすまして当日の団体交渉を終えた。

ロ ところで、全逓宮城地区本部気仙沼地方支部大島分会(分会)は、固有の団体交渉権をもつ労働組合である。

即ち分会は、単一組合である全逓の支部としてそれ自体一個の労働組合である全逓気仙沼地方支部(支部)規約第一〇条に基づいて設けられた分会であって、支部に所属する組合員のうち原則として大島郵便局従業員を以って組織され、支部規約第一三条に基づいて定められた分会規約を有し、主として分会組合員の納入する組合費を以って分会財政を賄い(分会規約第一三条)支部の統制の下に分会独自の議決機関および執行機関によって分会の組合運営を行っているものであるから(支部規約第一一条、分会規約第三ないし第八条)疑いもなくそれ自身一個の労働組合であって、憲法第二八条に基づく固有の団体交渉権(職場交渉権)を有する。

またこのことは、公労法第一一条に基づいて締結された郵政省と全逓との間の「団体交渉の方式およびその手続に関する協約」に関する「議事確認事項」第一項には「(支部交渉に関する協約)第一条第二項の場合において団体交渉の場は支部交渉であるのゆえをもって、一の局所においてその局所限りの必要とされる問題について折衝が行われることを否定するものではない」旨確認されており、「一の局所においてその局所限りの必要とされる問題についての折衝」とは分会交渉に他ならないから、右「議事確認事項」からも明らかである。

ハ また、勤務に支障を来さない限りでの勤務時間内団体交渉は、当時の大島局においては慣行として認められていたところであり、当日の団体交渉は正当な職場要求の解決のための団体交渉であるから正当な組合活動の範囲に属する。

二  而して本件各懲戒処分は、昭和四二年七月二〇日の団体交渉の際の原告らの行動を理由とするものであるが、右の行動はすべて正当な団体交渉を組成する行動であって、被告の主張するような行過ぎはなかったのであるから、結局正当な組合活動を理由とするものといわなければならない。

特に、大島局の私費建築計画が、支部、分会の反対闘争により阻止され、また大島局において労使間の紛争が絶えなかったところから、正当な組合活動にほかならない局舎私費建築反対闘争および職場闘争を、仙台郵政局長および局長において嫌忌し、両者一体となって正当な組合活動を抑圧する目的で前記昭和四二年七月二〇日の職場交渉出席者全員に対し、本件各懲戒処分をなしたものである。

2 被告の本案前の主張に対する反論

(一)  本訴は、いずれも行政事件訴訟法(以下単に行訴法という。)第一四条第一項第四項に則り適法な出訴といえる。

(1) 取消訴訟の出訴期間が原則として「処分があったことを知った日から三ヶ月」であることは被告主張のとおりであるが、処分につき審査請求ができる場合には、右期間は「裁決があったことを知った日」から起算するものと定められている(行訴法第一四条第四項)

(2) 右にいう審査請求および裁決は、行政不服審査法に定められた審査請求および裁決に限られず、他の法律に定められた行政不服の申立およびこれに対する行政庁の行為を含むことは行訴法第三条第三項の文言上明らかである。

そして現業国家公務員の公労委に対する不当労働行為の救済申立は行訴法第一四条第四項にいう審査請求にあたる。

(3) 本件の場合、不当労働行為の救済申立という審査請求はできるが、審査前置の定めがないから、不当労働行為を理由とする処分取消訴訟の出訴期間は、「処分があったことを知った日」(行訴法第一四条第一項)を始期とし、「裁決があったことを知った日」から三ヶ月目を終期とするものといわなければならない(同条第四項)。

ところで、右不当労働行為の救済申立期間は、「行為の日から一年」(公労法第二五条の五労組法第二七条第二項)であり、本件各懲戒処分のあった日は昭和四二年一〇月一七日であるから、本件各懲戒処分に対する不当労働行為の救済申立の終期は、同四三年一〇月一七日である。

(4) そして、原告らはいずれも右期間経過前の昭和四三年二月中に本件各懲戒処分につき公労委に対して不当労働行為の救済申立をなし、その係属中の同年三月三日に本件取消訴訟を提起したのであるから、行訴法第一四条第一項、第四項に則り適法な出訴と言うべきである。

(二)  処分の取消訴訟において、不当労働行為を違法事由とすることは何等差支えない。

(1) 国公法第八九条第一項に規定する処分については、原則として行政不服審査法による不服申立てができるまで(同法第九〇条第一項)右処分が不当労働行為に該当する場合には例外としてこれに対する行政不服の申立は不当労働行為の救済申立という方法のみによるべく、行政不服審査法による不服申立は許されない(公労法第二五条の五第二項、労組法第二七条第二項、公労法第四〇条)。

右のように行政不服審査法による不服申立の対象たる処分と、不当労働行為救済申立の対象たる行為との区分は、国公法第八九条第一項に規定する処分のうち、不当労働行為に該当するものと然らざるものとの区分にほかならず違法性の有無による区分とする被告の主張には何の根拠もない。

(2) ところで、国公法第八九条第一項に規定する処分の取消訴訟は、行政不服審査法による不服申立の対象たる処分については審査前置の定めがある(国公法第九二条の二)ので、右審査を経た後でなければ提起できないが、不当労働行為救済申立の対象たる処分については審査前置の定めはなく、処分の取消訴訟は、不当労働行為の救済申立と無関係に提起することができる(行訴法第八条第一項本文)。

被告は「法は不当労働行為については、処分の取消訴訟を予定していない。公労法第四〇条第三項はこのことを裏書きしている。」旨主張するが、公労法第四〇条第三項は単に不当労働行為に該当する処分については、不当労働行為の救済申立という方法による不服申立の途が開かれていることを理由に、行政不服審査法による不服申立を禁止したに過ぎず、取消訴訟を禁止する趣旨は右条文の解釈からは出て来ないし、他に不当労働行為に該当する処分の取消訴訟を禁ずる趣旨の規定は見当らない。

3 処分理由に対する答弁

(一)  処分理由(一)の事実について

(1)の事実中

イについて、被告主張の日時に、原告らが団体交渉を行ったこと、および原告村上孝一が午前九時五分頃から同九時五〇分頃まで右団体交渉に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

大島局における団体交渉は慣行として職務に支障のない限り、勤務時間中にも行われていた。

原告村上孝一は、外勤員であるが、外勤は、通常午前八時三〇分出勤、同八時四五分頃まで室内清掃、同九時二〇分頃まで道順区分作業を終え、同九時四〇分頃までに機動車掃除、その後休憩して同一〇時頃外勤に出発する。当日、原告村上孝一は、午前九時五分頃道順区分を終えた後前記団体交渉に参加して同九時五〇分頃交渉を打切って平常通り同一〇時に外勤に出発しており、何等勤務を欠くことはなかった。

ロについて、原告らが午後七時五分頃から同九時頃まで団体交渉を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

ハについて、否認する。

(2)の事実中

イについて、被告主張の日時に団体交渉を行ったことおよび原告村上善喜が午前九時すぎから同九時五〇分頃まで団体交渉に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

ロないしホについて、いずれも否認する。

(3)の事実中

イについて、原告らが午後七時五分頃から同九時頃まで団体交渉を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

ロ、ハについて、いずれも否認する。

(4)の事実中

イについて、原告らが午後七時五分頃から同九時頃まで団体交渉を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

ロ、ハについて、いずれも否認する。

(5)の事実中

イについて、午前八時五〇分頃から同九時五〇分頃まで原告小山が団体交渉に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

ロについて、否認する。

(6)の事実中

イについて、被告主張の日時に原告らが団体交渉を行ったことおよび原告小松が午前九時すぎから同九時五〇分頃まで右交渉に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

ロ、ハについて、いずれも否認する。

(7)の事実中

イについて、午前八時五〇分頃から同九時五〇分頃まで原告伊東が団体交渉に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告伊東は、電報、速達取集を担当する外勤員であって、当日は午前八時三〇分頃出勤、八時四五分頃まで車輛掃除、八時四六分頃取集開函に出発して同九時七分頃帰局し、交渉に参加したものであって何等勤務を欠いた事実はない。

ロないしニについて、いずれも否認する。

(8)の事実中

イについて、被告主張の日時に団体交渉を行ったこと及び原告津島が午前九時すぎから同九時五〇分頃まで団体交渉に参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

ロについて、否認する。

二、被告の主張

1  本案前関係

(一) 本件各訴えは、行訴法第一四条第一項の出訴期間を徒過している。

すなわち、原告らは、不当労働行為であることを事由として、本件各懲戒処分の取消しを求めているのであるが、人事院の事前審査を要しないとしても、その訴提起の期間は、原告らが本件処分があったことを知った日(昭和四二年一〇月一七日)から三ヶ月以内でなければならないのに、その期間を経過した昭和四三年三月三日に本訴を提起しているので不適法たるを免かれない(行訴法第一四条第一項)。

原告らは、公労委に対する不当労働行為の救済申立が行訴法第一四条第四項にいう「審査請求」に当ることを前提として立論しているようであるが、同条項にいう審査請求は、司法審査前に、当該行政処分の当否につき一応行政庁に反省の機会を与え、その自主的解決を期待し、同時に行政手続による解決を計るために設けられているものであり、従って、審査権限を有する機関に対し当該処分の適否ないし当、不当を直接判断の対象とするものでなければならないのに対し、公労委に対する不当労働行為の救済申立は、不当労働行為を受けた労働者または労働組合のために不当労働行為がなかったと同じ状態を再現するため、当該事件について最も適切妥当と考えられる現状回復の具体的措置を求めるものであって、両者は全く法的性質を異にし、前者に対する裁決においては当該行政処分の効力が判断されるのに対し、後者に対する救済命令にはその判断が示されないのである。このように、公労委に対する不当労働行為救済の申立およびこれに対する公労委の救済命令は、制度の沿革、体系から判断しても抗告訴訟の前置手続たる審査請求および裁決の実体を有しないものである。

なお、原告らの公労委に対する救済命令の申立は、公労委において審査開始にいたらないうちに原告らが昭和四三年八月一九日付で取下げている。

(二) 現行法上、抗告訴訟という形態で不当労働行為を原因とする現業の国家公務員に対する懲戒処分の取消しを求めることは許されない。

(1) 現業の国家公務員に対して懲戒処分その他意に反する不利益処分が行われた場合に、その不服申立事由が当該処分自体の違法を理由とする場合と不当労働行為を理由とする場合とでは、その救済手続は判然と区別されている。

まず、処分自体の違法を理由とする場合、すなわち法の定めた処分手続に違背し、あるいは処分要件を欠くような違法事由を理由とするときは、人事院に対し不利益処分の審査請求をすることができるものとされている。人事院は、審査請求を受けたときは、処分の成立要件、有効要件につき、その違法性の有無を直接判断の対象として、処分を行うべき事由が認められる場合には処分を承認し、認められない場合には処分を取消してその効果を失なわせるのである(もっとも行政手続であるから処分の当、不当にも審査が及ぶ。)。

そして、人事院の判定に不服がある職員は、不利益処分について抗告訴訟としての取消訴訟を提起することができるのである。

他方、不当労働行為を理由とする場合には、不利益処分を受けた職員又はその職員を組合員とする職員組合は公労委に対して救済の申立をすることができる。

不当労働行為について特に公労委による救済制度を設けたのは、労働委員会の広範な裁量により、事態に即した弾力的な救済を与え、労働基本権保護の実効を確保しようとするにある。

けだし、労組法第七条に規定する不当労働行為の態様は種々雑多であって、その手段、方法も事実行為、法律行為行政処分を介して行われる等複雑多岐にわたるので、行為の適法、違法を判断基準としてその法律効果を確認、形成する機能を果す裁判制度をもってしては到底処理しうるものではなく、またその中には支配介入、団交拒否のごとく、本来司法審査に親しまないものも含まれているのである。救済申立に対する公労委の判断は侵害行為の適否、効力の有無の観点を離れて、専ら不当労働行為の成否の点からなされ、その救済命令は、原状回復を基準として再雇用、原職復帰、賃金相当額の支払い等具体的措置を内容としている。そして、公労委が申立を認容し、あるいは棄却した命令に対して不服のあるいずれの当事者も公労委を被告として行政訴訟を提起することができることとなっている。

(2) 現業の国家公務員についても、公労法が労組法と同様の不当労働行為制度をとっている以上、不当労働行為に該当する行為は、取消訴訟をまたずにその効力が否定さるべきであり、その意味において不当労働行為については、原処分を対象とする取消訴訟を法は予定していないと解されるところであって、公労法第四〇条第三項が、不当労働行為に該当するものについては、人事院に対する審査請求の手続を排除しているのも、このことを裏書きしているものである。

このように現行法制上不当労働行為を理由とする場合と処分自体の違法を理由とする場合とでは、全く別個の救済制度が法定されており、しかも両制度ともそれぞれ行政救済から司法救済に至る自己完結的な救済制度として整備されているばかりか、両者は制度の趣旨を異にしている。このことからみて不当労働行為に対する救済手続においては、処分自体の違法事由を主張することは許されず、また処分自体の違法を理由とする救済手続においては不当労働行為の主張は許されないとするのが現行法制の趣旨とするところである。

それ故、不当労働行為を原因として抗告訴訟という形態で本件各懲戒処分の取消しを求める本訴請求は不適法である。

2  請求原因に対する答弁

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 請求原因(二)の事実について

原告村上孝一の処分理由は原告ら主張のとおりであるが、その他の原告らに対する処分理由は右村上と全く同一のものではなく後記(三)の違法行為を処分事由としてなされたものである。

(三) 請求原因(三)の事実について

(1) の事実中、原告らが原告ら主張のとおりの組合員であったこと、本件各懲戒処分当時原告村上孝一、同小松、同伊東を除いていずれも原告ら主張のとおりの組合役員であったこと(但し、原告小山は分会書記長であった)は認めるが、熱心に組合活動を行っていたことは不知。

(2) の事実中、冒頭の主張は争う。イの(イ)の事実は、大島局が特定郵便局であること、大島局の局舎敷地の所有者が小野寺譲平であること(但し同人は局長の実父の従兄弟である。)局長が昭和四一年一一月仙台郵政局からの局舎改善計画の照会に対し、局舎新築を行ないたい旨回答し、以後同局長は私費による同舎新築のため鋭意努力してきたが、これに対し支部および分会等が私費建築反対闘争をおこなったことは認める。イの(ロ)の事実については、昭和四一年一二月一六日勤務指定表の周知、非常勤職員の賃金、支払年次有給休暇付与計画および年末年始の業務計画の作成がそれぞれ事務手続上若干おくれたことがあり、そのことについて支部から追求された際、局長が今後は充分注意して局務にあたる旨の局長所感を文書で表明したことは認めるが、その余は否認する。

イの(ハ)の事実については、次に述べるとおりである。

原告ら主張の各問題は、昭和四二年七月一三日局長と分会との話合いの中ではじめて出され、同年七月二〇日の話合いの強要の過程で再びもち出されたものであって、再三の要求にかかる懸案事項ではなかった。そして局長は次のとおり対処した。

(ⅰ) ナンバープレートの件

七月一三日の話合いの直後、局長は気仙沼市役所大島支所に照介したところ官公庁用非課税の車の更改用ナンバープレートは市役所から支部に配布され次第連絡するとのことだったので、これを待っていたのである。したがって七月二〇日当時、事業用機動車のナンバープレートは更改の対象になっていなかった。

ちなみにナンバープレートの更改を要する大島郵便局配備の車については同年一〇月一二日にナンバープレートが支所に配布された際遅滞なく更改の手続を行なった。

(ⅱ) 便所施設について

男子用は一般の小便所並みである。女子用はその出入口の扉に三角戸ばねをつけ扉が自然には開かないようにしており、昭和四〇年二月に設置して以来苦情がなかったが、なおその改善に努め、同年七月二三日には内側施錠および便器の蓋のとりつけを完了した。

(ⅲ) 宿直者への敷布等の貸与の件

局長は、宿直用敷布等の未貸与の者に対しては、貸与すべく同年六月三日郵政弘済会仙台地方本部にこれら物品を発注し購入したが枕カバーの現地調達がおくれたので、この貸与が若干おくれ同年七月二四日に交付した。

昭和四二年七月二〇日の原告らの行動は後記(三)の原告らの非違行為として述べるとおりであるが、当日の原告らがいう職場交渉なるものが、どのようにして行なわれたかを原告らの各自の行動とは別の全体の行動を時間を追って叙述すると次のとおりである。

(ⅰ) 午前八時五分頃から午前一〇時一七分頃まで

原告らは、同日午前八時頃から局長に対し、話合いを執拗に要求し、局長から「時間内は忙しいからできない。」と断られたのに対して、原告らは午後三時再開を固執して譲らずこの話し合い要求は、局長が午前一〇時一七分頃「上部の指示で時間内にはやれないから仕事につきなさい。」と就労を命じ原告らが就労するまで続いた。

その後、局長が交渉事務に従事したのは、当日午後七時五分まで勤務すべき電話交換要員が午後一時頃急用があるというので、同人に午後四時以降年次有給休暇を与えたが、その後補充ができなかったためであり、やむなくその時間電話交換事務に従事したのである。局長は組合と午後四時から話し合うと約束したことはなく、また、電話交換事務に従事することを組合に通告する必要はない。

(ⅱ) 午後七時頃から同九時四〇分頃まで

原告らは午後七時頃から再度局長に対し話合いを要求してきて、午後九時四〇分頃まで局長に執拗に話合いを強要し、その間局長の日締計算事務の執行を妨害し著しく職場の秩序を紊乱した。

ロ、ハ、ニの各事実は否認し、法律的主張は争う。

原告ら主張の如き、勤務時間内団体交渉は大島局の慣行として行われていたわけではなく、また郵政省における団体交渉は、公労法およびこれに基づいて締結された「団体交渉の方式および手続に関する協約」によって行われ、団体交渉の場、および交渉委員が定められているが、大島局局長は、右の交渉委員に任命されていないし、また同局には単独の交渉の場も設置されていない。

ところで、原告ら主張の労働協約に関する議事確認事項第一項には原告ら主張のとおりの確認事項が定められているが、それは二以上の局所をもって一支部を形成する全逓などの組合の組織形態から、一の局所においてその局所限りの問題を団体交渉とは異なる方法で、その局所の長とその局の職員との間で事実上の意思疎通をはかりながら、問題を当該局所限りで解決しようとするものである。この折衝については、団体交渉の場合のようにそのルールが明確に定められていないが、折衝もその趣旨に照らして秩序ある方法により円滑に行なわなければならないことは当然である。しかし原告らはこのような手続を経ることなく、突然執務中の局長のところへ押しかけ、執拗に話し合いを強要したのであり、これを目して正当な団体交渉ということはできない。

また交渉要求の真の目的は、局長が局舎を新築し、職場環境の改善と事業の発展を図ろうとしているのに対して、局長に報復的な威迫を加え、いやがらせをすることによって、私費による局舎新築計画を撤回させることにあったと見るべきで、この点からもとうてい正当な団体交渉とみることはできない。

3  処分理由

(一) 本件各懲戒処分の事由となった原告らの違法行為は次のとおりである。

以下はいずれも昭和四二年七月二〇日の行動である。

(1) 原告村上孝一

イ 当日午前八時五〇分頃から原告小山、同伊東らは大島局事務室において執務中の局長に対し、職場要求について話合いを執拗に要求していたのであるが、その際、原告村上孝一は午前九時五分頃から同一〇時一八分頃までの間、勤務を欠いてこれに参加して話合いを強要し、局長が就労を命じたところ「なにを、ばか、できるか。案山子のくせに何をいう。」と暴言を浴びせ、その就労命令に従わず、また局長は原告らに就労を命令した都度、氏名、命令時刻をメモ用紙に記録していたのであるが、原告村上孝一は午前一〇時頃局長が原告らに就労を命じ、これを記録せんとしたところ、やにわに局長の右脇から「何だ俺の名前を書いて」と言ってそのメモをとりあげ、これを破棄した。

ロ 午後七時五分頃、局長が電話交換事務を終り、局長席にもどって日締計算を行っていた際、原告村上孝一は他の原告らとともに午後九時四〇分までの間、局長に対し集団をもって話合いを強要し、局長が現金査算のため紙幣を数えると「一、二、五、八、一〇……」等と出鱈目の数を数えあげて局長の現金査算事務を妨害した。

ハ 原告村上孝一は、右ロ記載の時刻の間で、算盤を使用していた局長が算盤の手を休めているすきにこれを取上げて隠し、局長の職務の執行を妨害した。

(2) 原告村上善喜

イ 原告村上孝一と同じく、午前九時すぎから同一〇時二三分頃までの間、勤務を欠いて局長に話合いを強要し、局長から就労を命じられたところ、「職場要求に仕事をしろとはなんだ。」「時間外にやるのなら超勤を出せ。」等と言って就労命令に従わず、午前一〇時一五分頃局長が原告らに対し、さらに就労を命じたが原告村上善喜はこれにも従わず、局長席の電話を使用して支部へ電話し、午前一〇時二三分頃にいたりようやく就労した。

ロ 午後二時一〇分頃、局長が昼食のため局舎から外へ出るため外勤室を通ろうとしたところ、原告村上善喜は洗面所と外勤室の境に立って両手をひろげて局長の歩行を妨害した。

ハ 第(1)項ロと同じ

ニ 局長が第(1)項ロの時間の間で算盤を使い始めると、原告西条、同桜田とともにこぶしで局長の机をどんどんと叩き算盤の使用を妨害した。

ホ 局長はどうしても計算事務が続行できないので日締計算未了のまま計算事務を断念し、現金及び証拠書類を手提金庫に入れ、これを同室の大金庫に格納しようとしたところ、原告伊東とともにその通り道の大金庫及び鉄庫前に座ったまま動かないでこれを妨害した。

(3) 原告西条

イ 第(1)項ロと同じ

ロ 第(2)項ニと同じ

ハ 第(1)項ロの時間の間で、原告桜田と交互に一回づつ局長の机上にあった現金三万円ないし四万円入りカルトン二個を局長の制止を無視して隣の主事席へ持って行き局長の職務の執行を妨害した。

(4) 原告桜田

イ 第(1)項ロと同じ

ロ 第(3)項ハと同じ

ハ 第(1)項ロの時間の間で、局長が算盤の手を休めると、局長の制止を無視して算盤をとりあげ、これを隣の主事席に持って行って局長の職務の執行を妨害した。

(5) 原告小山剛

イ 午前八時五〇分頃から同一〇時一七分頃までの間、勤務を欠いて原告伊東らとともに執務中の局長に対し「職場要求があるからすぐ話合いすべ。」と話合いを申し入れ、局長が「勤務時間内はできない。」「職場要求なら分会長に話して集約してから要求させなさい。」と断ったところ、原告伊東らとともに口々に「今からできないのなら三時からやれ、それもだめなら正午からやれ。」と大声を出し、またその間局長の就労命令に従わず引続き話合いを強要した。

ロ 第(1)項ロに同じ

(6) 原告小松

イ 原告村上孝一と同じく午前九時すぎから同一〇時一七分頃までの間、勤務を欠いて局長の就労命令に従わず話合いを強要した。

ロ 第(1)項ロに同じ

ハ さらにポスターを丸めてこれで局長の机や机上の手提金庫を叩きながら「局長どうなんだ……」と繰り返し叫んだ。

(7) 原告伊東

イ 第(5)項イに同じ

ロ 第(1)項ロに同じ

ハ 第(1)項ロの時間の間で、局長が算盤を使用していた際、局長の机の腰板をどんと蹴とばして算盤を使用するのを妨害した。

ニ 第(2)項ホに同じ

(8) 原告津島

イ 第(2)項イに同じ

ロ 第(1)項ロに同じ

(二) よって被告は、昭和四二年一〇月二七日付で、原告らの右それぞれの違法行為の態様に応じて、国公法第八二条の規定により本件各懲戒処分を行なったものである。

第三証拠≪省略≫

理由

一、原告村上孝一、同村上善喜、同小山、同小松、同伊東、同津島は、いずれも仙台郵政局所轄大島郵便局(大島局)に、原告西条、同桜田は同所轄気仙沼郵便局に勤務する郵政職員であるところ、被告が原告らを昭和四二年一〇月一七日付で別表目録記載の各懲戒処分(本件各懲戒処分)に付したことは当事者間に争いがない。

二、そこで、先ず被告主張の本案前の抗弁について判断する。

(一)  原告らは、本件各懲戒処分が不当労働行為であるとして右処分の取消を求めているのであるが、法定期間内に人事院に対し右処分について審査請求を経ることなく、しかも本件各懲戒処分があったことを知った日(昭和四二年一〇月一七日)から三ヶ月以上経過した昭和四三年三月三日に本訴を提起したとの被告主張の事実を明らかに争わないところであるから、自白したものとみなす(但し本訴を提起した日が昭和四三年三月三日であることは本件記録上明らかである。)。

(二)  原告らは、右について、まず、人事院は不当労働行為について救済の権限を有しないから、懲戒処分が不当労働行為であることを理由として取消訴訟を提起するには人事院に対し審査請求をしてその裁決を経るを要しないと主張し、さらに本件の場合、行訴法第一四条第四項に当る不当労働行為の救済申立を公労委に対してなすことができ、審査前置の定めがないから、処分取消訴訟の出訴期間は「処分があったことを知った日」を始期とし、「裁決があったことを知った日」から三ヶ月目を終期とするところ、不当労働行為の救済申立期間は、「行為の日から一年」であり、本件処分のあった日は昭和四二年一〇月一七日であるから、その終期は昭和四三年一〇月一七日であり、原告らは、いずれも右期間経過前の昭和四三年二月中に本件各懲戒処分につき公労委に対して不当労働行為の救済申立をなし、その係属中の同年三月三日に本訴を提起しているから行訴法第一四条第一項、第四項の期間内の出訴であると主張する。

(1)  公労法第四〇条第三項には、「第二条第一項第二号の企業及び同条第二項第二号の職員に係る処分であって労組法第七条各号に該当するものについては、行政不服審査法による不服申立てをすることができない。」と規定されており、この規定の趣旨は、公労法第二条第二項第二号に掲げる一般職に属する国家公務員(以下単に職員という。)に関する不当労働行為に関する救済は、労働関係の処理にあたる公労委に委ね、人事院には行わしめないことを定めたものと解されるから、職員はその受けたる懲戒処分につき不当労働行為を不服の事由として人事院に対し審査の請求をすることは許されないから勿論国公法第九二条の二の人事院に対する審査前置の適用はないと解される。

原告らは、前記のとおり郵政省職員であるから、公労法第二条第二号に掲げる職員であることは明らかである。従って原告らは、本件懲戒処分について不当労働行為を取消事由として人事院に対し審査請求をすることは法律上許されないので、原告らが本訴を提起するに当って人事院の審査手続を経ていないことは不適法なものではない。

(2)  しかしながら、原告らが本件各懲戒処分があったことを知った日(昭和四二年一〇月一七日)から、三ヶ月以上経過した昭和四三年三月三日に本訴を提起したことは前示のとおりであるところ、公労委に対する不当労働行為の救済申立とこれに対する公労委の救済命令がそれぞれ、行訴法第一四条第四項にいう「審査請求」および「裁決」に当らないことは次に説示するとおりであるから本訴は同法第一四条第一項の出訴期間を経過して提起された不適法なものと断ぜざるを得ない。

行訴法第一四条第四項にいう審査請求および裁決は、行政処分に対する司法審査をする前に、当該行政処分の当否につき、一応行政庁に反省の機会を与え、その自主的解決を期待し、同時に行政手続による解決をはかるにある。従って、同条項にいう審査請求とは当該処分の適否ないし当、不当を直接判断の対象とするものでなければならず、かかる審査の権限を有する機関に対してなされることを要するものと解すべきである。

しかるに、不当労働行為救済制度は、不当労働行為を受けた労働者または労働組合のためにできるだけ不当労働行為がなかったと同じ状態を再現するため、当該事件について最も適切妥当と考えられる原状回復の具体的措置を講ずることによってその救済を図らんとするものであって、行政行為の適否、従って、それに基づく効力の有無についての判断は公労委の権限に属しないものであり、このことは公労法第二五条の五第二項、労組法第二七条第四項に規定する救済命令の態様から考えても明白である。

従って、原告らの主張する公労委に対する救済の申立は、行訴法第一四条第四項の審査請求に当たらないのである。

右のとおりであるから、原告らの本訴提起についての出訴期間の終期は、行訴法第一四条第一項により本件処分があったことを知った日(昭和四二年一〇月一七日)から三ヶ月目に当る昭和四三年一月一七日であって、右期日を経過してなされた本訴提起は不適法である。

(3)  加えるに、≪証拠省略≫によれば、原告らの公労委に対する救済命令の申立は、公労委において審査開始にいたらないうちに原告らが昭和四三年八月一九日付で取下げしている事実が認められる。

公共企業体等労働委員会規則第一号、第二八条第一項、第四項によれば公労委に対する救済命令の申立は決定書の写の交付、または命令書の交付がなされるまではいつでも申立の全部または一部を取下げることができ、取下げられた事項については、申立がなかったものとみなす旨が定められているので、結局、原告らの公労委に対する救済命令の申立はなかったものとみなされる。

当裁判所は、前示(2)で判断したとおり公労委に対する救済命令の申立は行訴法第一四条第四項の審査請求に該当しないものと解するところであるが仮に原告ら主張のとおりそれが審査請求に当るとしても、前示(3)において認定したごとく原告らの公労委に対する救済命令の申立は、取下げにより遡及的に、申立はなかったものとみなされる結果、原告らの本訴提起についての出訴期間の終期は前段認定のとおり昭和四三年一月一七日となり、本訴提起は既に出訴期間を経過していることとなるのである。

(三)  したがって、いずれの観点から考えても、本訴提起は、行訴法第一四条第一項の出訴期間を徒過したものであり、この点に関する被告の本案前の抗弁は理由がある。

三、よって、原告らの被告に対する本訴請求は、本案の判断をするまでもなく、不適法として却下すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野進 裁判官 佐藤貞二 正木勝彦)

<以下省略>

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