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仙台地方裁判所 昭和44年(行ウ)6号 1980年10月22日

原告

橋本正道

右訴訟代理人弁護士

斎藤忠昭

(ほか二名)

被告

建設省東北地方建設局長川本正知

右指定代理人

延沢恒夫

(ほか二名)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告

被告の原告に対する昭和三七年一〇月二〇日付懲戒免職処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二原告の請求原因

一  原告は昭和三七年一〇月当時、建設事務官として建設省東北地方建設局福島工事事務所に勤務していた。

ところが、被告は昭和三七年一〇月二〇日に原告を国家公務員法八二条に基づいて懲戒免職処分にした。

二  しかし原告は被告から右処分を受けなければならない理由はなく、この処分は違法なものである。

三  原告は人事院に対して不利益処分審査請求をしたが、人事院は昭和四四年一〇月七日に本件懲戒免職処分を承認する旨の判定をしてこれが同月二七日に原告に通知された。

そこで本訴請求に及んだ。

第三請求原因に対する被告の答弁と主張

一  請求原因一項は認める。同二項は否認する。同三項は認める。

二  原告は、昭和三七年四月一九日当時、建設省東北地方建設局福島工事事務所に所属する建設事務官で、全建設省労働組合(以下「全建労」という。)東北地方本部「以下「東北地本」という。)の執行委員であった。

原告に対する処分の理由は、昭和三七年四月一九日午前一一時三〇分頃から翌二〇日午前一時一五分頃までの間、秋田工事事務所において、原告が多数の組合員や労務者とともに同工事事務所長日下勝に対し、不当な要求をかかげ長時間にわたってその認容を迫ってこれを吊し上げるとともに、同所長の耳をひっぱる、襟元をつかんで頭を柱にぶつける、髪毛をねじあげる等の暴行をくり返し行ったが、これは国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行であり、国家公務員法八二条に該当する、というものであるところ、以下に詳述するとおり原告についてはこの懲戒処分に該当する事実があった。

三  東北地方建設局(以下「東北地建」という。)秋田工事事務所茨島出張所においては、昭和三六年一〇月から「茨島護岸補修工事」を昭和三七年三月末日竣工の予定で労務者二二ないし二三名の雇用により直営で実施した。そして、翌三七年度においても右労務者を雇用して堤防の天端(堤防の頂上部分)を補修する予定をしていたところ、昭和三七年二月頃になってこの天端が県道に認定されて秋田県において堤防の維持管理を引き継ぐことになった関係上、昭和三七年四月一日以降における右出張所の直営工事はなくなった。そこで東北地建秋田工事事務所長日下勝は、右の労務者を同年三月三一日限り解雇する旨の解雇予告通知書を同年二月二八日に茨島出張所長から労務者に交付せしめた。そして、同年三月七日に茨島労務者組合(以下「労務者組合」という。)代表と日下所長との話し合いが行われ、同所長は、解雇が止むを得ないものであることと解雇後の就職あっせんに努力すること等を説明した。

これに対し、茨島出張所労務者と全建労東北地本および同秋田支部は、労務者の解雇撤回および直営工事の継続を要求し、四月五日頃までの間、右労務者と全建労秋田支部組合員による秋田工事事務所内すわり込み、組合員や組合幹部のほかに外部団体構成員までも含めての管理者への抗議、交渉要求、庁舎内ビラ貼りデモ行進などが行われた。

四  秋田工事事務所における異常な事態を収拾するため、日下所長と同事務所管理者は、同年四月七日から同月一二日午前中まで全建労中央本部書記次長秋田泰治と予備折衝し、(1)全建労支部との交渉には労務者組合員を参加させないが労務者組合との交渉には全建労のオブザーバーの出席を認める、(2)組合側の交渉委員は拡大闘争委員の一九名とし、免職者を含めない、(3)同じことを何度もくり返す場合は時間の浪費であるから打ち切り、また午後五時以降の時間外にわたらないようにすること、という交渉条件を整えたうえで同月一二日午後から同月一四日まで全建労支部および労務者組合との本交渉を行った。ところで、同年四月一一日に東北地方建設局から日下所長に対して、昭和三七年度も茨島出張所の直営工事を継続することになった旨の伝達があったので、同月一三日の交渉の際に日下所長はこれを組合側に伝えるとともに、すわり込みによって中断していた茨島護岸工事について四月一六日から労務者を就労させること、その後の工事についてはその間に検討して決めること、を申し述べて組合側もこれを了承した。そして、翌一四日の交渉において、右の秋田書記次長から労務者のすわり込み期間中の賃金も支払ってもらいたい旨の要求が出されたが日下所長がこれを拒否し、組合側もやむを得ないことと了承した。また、組合では「不当な賃金カットを撤回せよ」という要求をしており、これは三月二六日以降の労務者組合のすわり込みに秋田工事事務所職員が勤務時間中同調して参加したことに対する賃金カットを撤回してほしいというもので、これも右の一四日の交渉内容になっていた。そして、これについては賃金カットの根拠となる減額時間数について次回に資料を持ち寄って検討することとし、その次回期日を四月一九日午前一〇時、場所を秋田工事事務所新庁舎所長室とする、ということで双方の意見が一致した。従って、四月一九日の交渉は、賃金カットの時間が正しいかどうか確認するという議題につき前記交渉条件により行うことになっていたものである。

五  同年四月一九日、東北地建秋田工事事務所長日下勝ら事務所側と組合との交渉は、会場について組合側から変更の希望があったことや組合側の遅参により、午前一一時三〇分頃から秋田工事事務所合宿所食堂において開始され、事務所側は日下所長のほか庶務課長佐々木泰、工務課長斎藤辰英ら四名、組合側は原告のほか、東北地本書記長遠藤正義(以下「遠藤書記長」という。)ら約二〇名が出席した。

ところが、組合側出席者の中に労務者組合の組合員が居りこれは前記交渉条件に反するし、また当日の交渉議題に労務者の問題はなかったので、日下所長はこの旨を述べて労務者組合の組合員に退場を求めた。しかし、遠藤書記長は「参考人として自分が連れて来たのだから参加を認めよ。」「前の経過は知らない。労務者の一人や二人はたいしたことじゃない」などと述べ、原告もこれに同調して正午過ぎまでやりとりが続いた。そして、午後〇時二〇分頃になると免職者保坂次男ら支部組合員ら一〇名位が勝手に交渉の場に入り、組合側は約四五名になった。そこで日下所長は交渉員以外の者の退場を求めたが組合側はこれにも応じなかった。

そこへ突然、遠藤書記長は、約束議題と全く関係なく、「労務者の未就労期間に対する賃金を支給しろ、賃金ストップについての考え方について説明せよ」と不当な要求を始め、原告も、これに同調した。これに対して、日下所長は、「就労しない者に賃金を支給することは、国の工事であり、規定等からしても払えない。」と答えた。

その後、この問題について、日下所長と遠藤書記長および原告らとの間で押し問答が続いたけれども、結局同じことの繰り返しのため、午後一時一〇分頃、日下所長は、「いくら話しても、しようがないのでこれで打ち切る」と発言して沈黙した。

すると、遠藤書記長と原告は、日下所長に対し、「何言ってやがんだ」「話をしろ」「なんでこんなことできないのか」などと罵声を浴びせた。さらに遠藤書記長は、原告らと日下所長らとの間の「飯台」を「しゃべれ、返事しろ!」と言いながら、日下所長の方に数回、繰り返し押し付け、同所長の身体(胸と腹の境)にグウッと当った。同所長の両側におった、佐々木庶務、斎藤工務両課長は、所長より若干下がり気味であったので、飯台に近い所長は、まともに当った。そのほか、飯台の下から足をのばして、日下所長のももとかひざをこずいた。

午後一時三〇分頃、さらに遠藤書記長は、その飯台を取り去って、日下所長の前にすわり、同所長のシャツのえりをつかんで首をしめ、耳元に口を近づけて、どなるなどを行なった。

一方、原告は、日下所長の背後に回り、遠藤書記長が同所長の前に位置して、両者共同して、どなりながら足で押す、突くなどの行為を数回繰り返し行なった。

さらに原告は、前に回って、日下所長の顔に接近し、「黙っていないでしゃべれ!」などと、どなりながら、所長の顔にタバコの煙を何回か吹きかけた。

また、原告および遠藤書記長は、「いくらそんなことを言ったってとおらないぞ」「補償金を出せ」などと言っていたけれども、日下所長が返事をしないので、午後三時頃になって、遠藤書記長が、佐々木庶務課長に対し、「所長に、いくら言ってもわからないから、庶務課長、ひとつ休憩して所長と検討してみたらどうだ」と言ったので、佐々木庶務課長は、その旨、日下所長に聞いたところ、日下所長は「検討する余地なんかはない。これで打ち切りだ」と答えた。

それを聞いた遠藤書記長は、「長時間になったから疲れた。とにかく休むだけ休もうや」と発言したので、当局側としても、休むだけならということになり、日下所長ら管理者は食堂隣りの寮母室へ移り、組合側は、そのまま食堂に残って休憩になった。

六  休憩の間、日下所長は他の管理者と、いろいろ相談をしておったけれども、先の交渉の疲れがでて、横になっていた。

さらにこのあとの交渉で、既に長時間の暴挙で疲労こんぱいした日下所長の身体がもつものかどうか他の管理者は懸念した。

そこで、この際、当局側から積極的に事態収拾をはかってはどうかということになった。そこで、斎藤工務課長と長谷部本荘国道出張所長は、とにかく組合側の料見を打診してみようということで遠藤書記長および原告を食堂から呼び出し別室において折衝を行なった。その折衝は、午後三時四〇分頃から同六時三〇分頃までの間、三回行なった。

第一回目の折衝において組合側は、労務者の未就労期間における賃金を補償するよう要求したので、事務所側は寮母室で協議し、事態収拾のためにすわり込みを開始した三月二六日から解雇予告発効の四月一日までの間の五日分を何らかの形で考えること、ただし交渉の形を前記交渉条件の姿に戻し暴力的行為をしないようにという条件を付すること、ということで意見がまとまり、第二回目の折衝においてこれを伝えたところ、組合側は、五日分は少ないので一五日分はみてほしいという強い意見のほか職員の賃金カットをやめて零にしてほしいという申入れをして来た。そこで事務所側では再び寮母室において協議し、労務者の賃金については七日分を補償すること、職員の賃金カット問題については年次休暇願を提出した者についてカットしないことにする、という方針を決めて第三回目の折衝に臨んだ。

第三回目の折衝は、一、二回目と同様の別室で、事務所側から斎藤工務課長、佐々木庶務課長、長谷部本荘国道出張所長が、組合側から遠藤書記長、原告、伊藤秋田支部書記長が列席して行われ、事務所側から、(1)労務者の未就労期間に対する補償は七日分まで考えること、(2)休暇願を出した職員の賃金カットはしない、(3)三月二六日のすわり込み以降の闘争による混乱の責任は事務所側にないこと、(4)交渉において暴力的行為をしないこと、(5)従前取り決めた交渉条件を守ること、を順次説明して行った。そして、右の(1)から(3)までについては組合側では否定的な発言をしなかったが、(4)と(5)についての説明をしてこれにふれたところ、組合側の三名は「そういう交渉の問題については、団交の席上でやろう」といいだして立ちあがり、部屋をとび出して、三名で日下所長が休んでいた寮母室に飛び込んで行った。

七  このとき、原告ら三名に続いて、組合員一、二名が寮母室にはいった。そして半ばうつぶせになって横になっていた日下所長に対し、原告および遠藤書記長は相当殺気だったような声で、「交渉形式にこだわるな」「労働者の前で話し合え」「行かないといっても引っぱって行くぞ」とかわるがわるどなりながら、原告は同所長のえりと手をとり、遠藤書記長は背後から押し上げて無理やり食堂に引っぱって行った。時刻はおよそ六時三〇分頃であった。

それから、遠藤書記長は、「労働者をばかにするな」といいながら自分は上着をぬぎ、日下所長を壁の柱を背にして立たせ、「おれは、こんな役所に勤めなくてもいいんだ」「合宿の者が酔っぱらっているんで、出刃で殺すかもしれないぞ」「このままですむと思うのか、話し合いをしろ」と暴言をはき、えり元を押えて首をしめあげ、頭を柱にぶっつける、左右の足を両側から交互に数度ずつける、体をこずく、胸のあたりを繰り返し押すなどを行なった。

続いて、原告は、「今度はおれが代ってやる」と言って、上着をぬいで立ち上った。そのとき、斎藤工務課長が中腰位に立ち上って、「橋本君やめろ」と言って、原告に近づこうとしたけれども、組合幹部にうしろから押えられ、原告を制止するまでにはいたらなかった。

それから原告は、日下所長に対し、「話し合わないと、きょうは帰さないぞ」「午前二時頃から五時まで苦しめてやるのに一番いい時間だから徹底的にいためつけてやる。ぶんなぐってやる。殺してやる」など脅迫的言辞を弄しながら、次のような暴力的行為を行なった。

<イ>日下所長の両耳を交互に強く引っぱる。<ロ>後頭部を平手でなぐる。<ハ>ほおをげんこで押す。<ニ>上あごと下あごの間に指をふたまたにかけて持ち上げる。その時、同所長は「痛い!」と言ったら、原告は、「おめえ、しゃべれるじゃないか」と言った。<ホ>シャツのえり元をつかみ、首をしめあげるようにして、頭をうしろの柱に二、三回ぶっつける。<ヘ>腕組みして、胸を何度も強く押す。<ト>頭髪を指にからませてねじあげる。<チ>足の甲に、原告の体ごとあがる。<リ>無理やり同所長の手をもって、にぎりこぶしを作らせ、それに反動をつけ、同所長の胸とみずおちを何回もぶった。<ヌ>ひたいを指でこづき、頭を柱にぶっつける(はずみでメガネが落ちた)。<ル>柱の前に立っている所長を前にずらせて、保坂秋田支部長が同所長のズボンの折り返しに指をひっかけ、同時に原告が所長のえりのうしろを持って引っぱるため、所長はしりもちをつく。ということが何回か繰り返された。

さらに、原告は佐々木庶務課長に対し、「何もやらないんだからお前も同罪だ」などと言って、日下所長のそばに立たせた。

八  日下所長に対する暴挙は、合宿所に電話があった午後九時三〇分頃から漸減し午後一〇時三〇分頃になって、組合幹部が食堂から別の部屋に出て行き打合せを始めた。当局側はそのまま食堂に残っておった。日下所長はトイレに行こうとして廊下に出ると、途中から遠藤書記長が出てきて、所長について来た。その帰りぎわに、遠藤書記長は、同所長に対して、「きょうは、個人攻撃をし、だいぶいじめつけてすまなかった。これから話合いしないか、おれも、きょうは悪かったから、話合いしねえか」と歩きながら話しかけてきた。同所長は、「こんなにいじめつけられて、こんな空気で話合いはできない」と断わると、同書記長は、「それじゃあ、どうするんだ」、所長は、「帰る」、同書記長は、「それではすまないぞ、帰さないぞ」と言ったので、同所長はこれではとても帰れそうもないと考え、再び食堂に戻って、もとどおりに柱のところへ立った。

九  午後一一時頃、遠藤書記長が食堂にはいって来て、日下所長を除く管理者全員に対し、「この状態を早く解決したいと思わないか」と一人毎に詰問し、「各人の意見を統一しろ、別室で具体的に相談しろ」と詰め寄ってきたので、一刻も早く事態収拾を願っていた各課長、出張所長は、日下所長をまじえ、別室に移って協議した。そこへ、遠藤書記長が現われ、「どうだ、前に話しした当局側の案で話合いしてもいいんだ。うちでも頼むから交渉しないか」という申入れがあった。斎藤工務課長は、「あなたはそう言っても、組合員の人達を説得できるのか」と聞くと、同書記長は、「したらおれはやるよ。所長から『全建労を相手に交渉する』と発言してくれ」という趣旨のことを言って退室した。

各課長、出張所長の意見は、日下所長一人が午前一一時三〇分頃から原告らによって長時間にわたり、昼食および夕食をとる余裕すら与えられず(他の管理者も同じ)、交渉を一方的に強要し、多数の組合員および労務者らのつるし上げの中で、原告らから脅迫的言辞や暴力的行為が行なわれ、肉体的にも、精神的にも極度に疲労困ぱいしている様子で、この際、先の折衝で組合側に示した案で早急に事態収拾を図ろうということになった。

また、日下所長の意見は、原告らから暴力的行為を行なわれたから承諾するということも不本意であるが、この事態収拾のためにはやむを得ないということの結論に達した。

一〇  日下所長ら管理者全員は、交渉再開のため食堂へ戻り、前記遠藤書記長のいうとおり日下所長が発言すると、遠藤書記長から「休憩してくれ」という申入れがあって、原告ら組合幹部は、午後一一時三〇分頃から同月二〇日午前零時三〇分頃まで、別室において協議した。

そのあと、原告ら組合幹部が食堂に戻ってきた。

しかし、依然として、一二、三名の労務者が退場しないで残っているので、日下所長は、「労務者の方がおるのはどうしたんだ」と発言すると、遠藤書記長は「今回限り、二名は認めてもらいたい」と言って日下所長の同意を得ないで、直ちに「きょうのような事情だから労務者の方は二名残して退場してもらいたい」と発言し、約一〇名の労務者は退場した。

その後、組合側の申出で、日下所長を除く管理者全員と原告および遠藤書記長らとの間で予備折衝を行ない、双方の意見が一致したので、その旨、斎藤工務課長から日下所長に報告した。

その結果、食堂において正式交渉を開き、右予備折衝でまとまった件を日下所長から

(1)  四月上半期分の賃金カットについては、休暇願を出した者に対してはそれを認めざるを得ない。

(2)  労務者に対する賃金の補てんについては、七日分相当の残業を仕事として与える(実質的収入が得られるようにはかる)。

(3)  次回の交渉は四月二四日午前一〇時から行なう。と発言し、原告ら組合側もこれを了承するにいたって、同月二〇日午前一時一五分頃になって、ようやく不法事態を脱却することができたのである。

一一  以上のように、原告は四月一九日午前一一時三〇分頃から、翌二〇日午前一時一五分頃まで、長時間にわたり、多数の組合員および労務者とともに、不当な要求をかかげ、日下所長に対し執ようにその容認を迫って、同所長等をつるし上げ、さらに、同所長に対して耳をひっぱる、えりもとをつかんで頭を柱にぶっつける、頭髪をねじあげる等の暴力的行為を繰り返したのであって、原告のかかる行為は、国家公務員法第八二条第一号(同法第九九条)および第三号に該当することは明らかである。

一二  よって被告は、前記五記載の事実のうち午後一時一〇分以降の原告の行為、前記七および一一記載の原告の行為を処分事由とし、また情状として、前記五記載の午前一一時三〇分から午後一時一〇分まで、および前記六記載の第一ないし第三回の折衝におけるそれぞれの原告の行為を考慮して、昭和三七年一〇月二〇日に原告を本件の懲戒免職処分にした。

第四被告の主張に対する原告の答弁と反論

一  原告が昭和三七年四月一九日当時、建設省東北地方建設局福島工事事務所に所属する建設事務官で、全建労東北地本の執行委員であったこと、被告主張の日時場所および当事者の間で団体交渉が行われたこと、被告が昭和三七年一〇月二〇日に原告を懲戒免職処分に付したこと、以上は認めるがその余はすべて否認する。

二  公務員の勤務関係は私企業における使用者と労働者間の労働契約関係と同一の性質であり、公務員における上命下服の支配服従関係は私企業におけるそれと本質的に変らない。従って国家公務員も憲法二八条の「勤労者」の中に含まれ、団体交渉権を保障されている。そして、争議権と労働協約締結権を奪われている国家公務員にとって団体交渉権はその生存権充足の手段たる性格を有するものであるから、生活利益に直接、間接に関連し当局の裁量権限内の問題である限り交渉の対象となり得るもので当局はこれを拒んではならない。ところが当局はこのような事柄についても管理運営事項のため当局が専決するものであるとして団体交渉の対象にすることを拒んでいるがこれは公務員労働者の権利を奪うものである。また、東北地建と全建労東北地本においては従来から当局組合の幹部同士による交渉をすることは少なく、時間や人員に対する制限を設けずに職場職員全員が参加するところの集団交渉、大衆交渉という形式による団体交渉が多く行われてこれが労働慣行として確立して来たものであるから、これは尊重されなければならない。

建設省は、従来、河川護岸、道路整備などの事業を直営工事で実施して来たが昭和三六年頃からこれを民間業者に請負わせることによって直営工事を廃止する方針をとり、そのためにこれら直営工事に従事していた労務者が解雇される状況となった。全建労東北地本では、同じ建設省で働くこれら労務者の生活がおびやかされるのを黙過できず、労務者と共に反対闘争を組み当局に対し抗議をし、また右措置を撤回させるため団体交渉を求めるなどの行動をした。

右に述べたように、この問題は団体交渉の対象事項となるものであるし、また団体交渉に当って当局が右の労働慣行を尊重すべきであるにもかかわらず、東北地建はこの問題を交渉の対象にすることを拒み、また右の労働慣行を無視しようとした。このような背景のもとに行われた交渉の中で原告がとった行動をとらえて被告は原告を本件懲戒処分にしたものである。しかし原告は交渉中に時折言葉を荒げることはあっても被告主張のような暴行は一切していない。

三  原告は、昭和三七年四月一九日の本件事件当時は全建労東北地本執行委員であり、同年一〇月二〇日の本件懲戒処分当時は同副執行委員長で、執行委員長が病気のためこれを代行するなど組合活動家であった。

被告は、全建労を弱体化させるために、労務管理体制を強化し組合活動に種々の制約を加えまた第二組合を結成させるなど種々の方法を講じて来たものであるが、更に組合から活動家を失わせてその活動に打撃を加えることを意図して、原告を組合幹部の遠藤正義とともに懲戒免職処分に付した。これは、原告を他の組合員と区別して特に不利益な処分としたものであるうえに組合に対する支配介入でもあって不当労働行為に該当し、違法である。

四  本件処分は団体交渉中における原告の所為に関してなされたものであるが、この団体交渉は、被告が一方的に直営工事を廃止して労務者を解雇しようとしたことによるところの労務者の生存にかかわる重大な問題を議題としていた。そして東北地建秋田工事事務所は前述のようにこの問題における交渉議題の内容、交渉手続について全く誠意を欠いていた。このような状況のもとでは論議が白熱し、労働者側の感情が高ぶって交渉の態度や言動にそれが表われてくるのは自然のなりゆきである。団体交渉の仕方、態度に一定の節度が要求されるのは当然であるが、右のような状況のもとで原告や組合員らに多少の行き過ぎがあったからといって直ちに原告を懲戒免職処分にするのは懲戒権の濫用であって違法である。

第五証拠(略)

理由

一  原告が昭和三七年四月一九日当時、建設省東北地建福島工事事務所に所属する建設事務官で全建労東北地本の執行委員であったこと、同日午前一一時三〇分頃から翌二〇日午前一時一五分頃までの間、秋田工事事務所内において同工事事務所長日下勝その他の東北地建管理者らと原告、全建労東北地本書記長遠藤正義その他の組合側関係者との間で団体交渉が行われたこと、被告が昭和三七年一〇月二〇日に原告を国家公務員法八二条により免職の懲戒処分にしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  (証拠略)によると、原告に対する右処分の理由として処分説明書には「昭和三七年四月一九日秋田工事事務所において、午前一一時三〇分頃から翌二〇日午前一時一五分頃まで長時間にわたり、多数の組合員および労務者とともに、不当な要求をかかげその容認を同所長に迫って所長等を吊し上げるとともに、更に同所長に対して、耳をひっぱる、襟元をつかんで頭を柱にぶつける、髪毛をねじあげる等の暴行を繰り返し行った。これらの行為は国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行であると認められるので、国家公務員法八二条の規定に基づき懲戒処分として免職するものである」と記載されていることが認められるところ被告は原告について右記載にかかる事実があった旨主張し、原告は当該事実の存在を否定しているので、まずこの点について以下のとおり判断する。

三  (証拠略)によると、昭和三七年四月頃における東北地建秋田工事事務所は、庶務課、用地課、工務課、秋田維持修繕出張所、追分国道出張所、本荘国道出張所、秋田国道出張所、茨島出張所に分掌され、各課には課長と一ないし四名の係長、各出張所には出張所長と事務主任、技術主任が置かれ、これら全体を統轄するものとして所長とこれを補佐する副所長が居り、職員数は所長を含め一六八名であることが認められる。

一方、(証拠略)によると、全建労東北地本は、本部を東北地建内におくほか、各事務所に支部を、その下に分会や班を組織し、本部役員として執行委員長、副執行委員長および書記長各一名、執行委員、会計監査委員各若干名を置き、各支部はそれぞれの支部規約により組織内容を決めることとなっていること、その支部の一つとして秋田支部があり、支部長、副支部長、書記長および執行委員を置いて秋田工事事務所長との交渉その他同事務所内の組合活動をしていたこと、が認められる。

四  (証拠略)を総合すると、次の事実が認められ(人証略)中以下の認定に反する部分は措信できない。

即ち、

東北地建秋田工事事務所は、秋田県内における国道(国道七号線、同一三号線)雄物川護岸の維持管理、改修工事を担当しており、昭和三六年一〇月から労務者二二ないし二三名を日雇いの形で雇用し、直営により昭和三七年三月末日竣工の予定で雄物川下流の護岸補修工事を実施して来た。そして右工事終了後も右労務者を雇用して提防の天端を補修するための工事をする予定であったが、昭和三七年二月になってこの天端が県道に認定されて秋田県で維持管理することとなったため、昭和三七年四月一日以降における東北地建秋田工事事務所の直営工事は無くなった。そのため、同事務所日下勝所長は昭和三七年二月二八日に右労務者に対し同年三月三一日限りで雇用が終了する旨の予告通知書を渡した。

右の直営工事のために雇用された労務者は全建労東北地本およびその下部組織とは別に独自の組合を組織しており、その代表者が同年三月七日に日下所長に対し四月一日以降も直営工事を実施するよう求め、これに対し日下所長は、雄物川護岸工事を業者に請負わせる予定があるのでその業者からの雇用を得られるようあっせんする旨返答して右要求を拒否した。

ところで、全建労東北地本はかねてより労務者組合と共闘体制を組んで、臨時職員の定員化、首切り反対などの活動をして来たので、右の直営工事廃止問題をとりあげ、労務者の解雇撤回、直営工事の維持などの要求を掲げて全建労東北地本秋田支部組合員をして昭和三七年三月二五日から秋田工事事務所内での坐り込み等の闘争を開始せしめ、これが同年四月一四日まで続いた。その間、同年四月七日、同月一二日、同月一三日に、日下所長と全建労中央本部書記次長秋田泰治との間で事態収拾のための話し合いが持たれ、また東北地建と全建労東北地本の間でも交渉がもたれた結果、昭和三七年四月一六日から東北地建秋田工事事務所で前記労務者を雇用して直営工事を再開することとなり、直営工事や労務者の雇用に関する問題は解決した。

同年四月一四日、日下所長は、全建労東北地本秋田支部および労務者組合と団体交渉しこれには右の秋田泰治書記次長が立会った。この団体交渉の過程において労務者組合からは未就労期間の賃金相当額の補償を、また全建労東北地本秋田支部からは坐り込み期間中の賃金カットを撤回することが要求され、日下所長はこれらを拒否したが、右の賃金カットに関し期間や金額の算出が適正に行われないのではないかという趣旨の指摘が組合側からなされたため、次回に東北地建秋田工事事務所と全建労東北地本秋田支部とで資料をもち寄ってこれを検討するための交渉をすることとし、その次回期日を四月一九日午前一〇時から秋田工事事務所の所長室で行う旨の合意が成立した。

五  昭和三七年四月一九日午前一一時三〇分頃から、東北地建秋田工事事務所合宿所食堂において、右事務所側から所長日下勝のほか庶務課長佐々木泰、工務課長斎藤辰英、本荘国道出張所長長谷部寛、茨島出張所長佐藤光定が出席し、組合側から原告および全建労東北地本書記長遠藤正義を含む約二〇名が出席して団体交渉が行われたことは当事者間に争いがない。

(証拠略)を総合すると以下の事実が認められ、(人証略)中以下の認定に反する部分は措信できない。

(一)  当日、日下所長は右の管理職の人達と共に午前一〇時頃に所長室において交渉開始のため組合側関係者の集合を待っていたところ、組合側から寒いとの理由で会場変更の希望があり、交渉場所を合宿所食堂に変更した。この食堂は畳敷一五帖の和室であり、事務所側と組合側とは食卓用の細長いテーブルをはさんで向い合った。

日下所長は組合側出席者の中に労務者組合の組合員がいるのを発見して退場するよう求めたが組合側はこれに応ぜず、正午過ぎ頃までやりとりが行われたが、日下所長の右要求は無視された。また、遠藤書記長は、労務者の未就労期間における賃金相当分を補償してほしい旨の要求をした。そこで日下所長はそのようなものは支払える性質のものではない旨答えるとともにこのような要求をすることは先に約束した本日の交渉議題と異なるので右要求を続けるなら本日の交渉を打切る旨告げた。しかし組合側は納得せず、同じことの押し問答が続いたため、午後一時頃になって日下所長は沈黙に入った。そうすると遠藤書記長が「なんとか返事しろ」と言ってテーブルを日下所長の方に押しつけたりテーブルの下から足をのばして日下所長の足をこづくなどした後にテーブルをとり除いた。ここにおいて原告は日下所長の後方に回ってその腰部付近に足をかけて前に押し出し、遠藤書記長において日下所長の耳元に口をよせて「何とか返事しろ」とどなった後に原告においてこれに引続いて、同所長の顔に煙草の煙を吹きかけたうえその耳に手をかけて口を近ずけ「しゃべれ、返事しろ」と言った。しかしそれでも日下所長が沈黙を続けていたところ、遠藤書記長が「お互に疲れたから休もう」といい出し、これにより日下所長ら管理者達は隣接の寮母室に移った。

(二)  このように団体交渉が異常な状態のまま行き詰ったので、事務所側の斎藤工務課長、長谷部出張所長らはこれを憂慮し、打開の道を探るために、日下所長の了解を得て、組合側の遠藤書記長と原告を合宿所内の別の部屋に呼び出して午後三時四〇分頃から予備交渉を開始した。第一回目の交渉において、遠藤書記長と原告は労務者の未就労期間に対する賃金相当分を何らかの形で補償することにしなければ事態の収拾はできない旨主張したので、斎藤課長らは寮母室に戻り協議した。日下所長はこの補償については反対の意見であったが、斎藤課長ら他の管理者は補償の方法を考慮するよう日下所長を説得し、その結果五日分の賃金相当額を補償することに応じることとし、またこれについては団体交渉を正常な姿に戻して暴力的行為をしないことの条件を付することとした。そして第二回目の予備交渉においてこれを遠藤書記長と原告に伝えた。しかし、遠藤書記長と原告は、組合側は一五日分の補償を要求するものであること、またそのほか坐り込み期間中の一般職員に対する賃金カットをしないこともあわせて要求するものであることを述べたため話し合いはまとまらず、斎藤課長らは寮母室に戻った。そして事務所管理者側で再度協議した結果、労務者の未就労期間については七日分を補償し、職員の賃金カット問題については坐り込みした日を年次有給休暇扱いとすることの譲歩をすることとし、またこれについては前記のように団体交渉を正常な姿に戻すことの条件を付することとした。そして、事務所側から斎藤工務課長、長谷部出張所長、佐々木庶務課長が、組合側から原告、遠藤書記長、伊藤秋田支部書記長が出席して第三回目の予備交渉を始めた。

(三)  第三回目の予備交渉は午後六時二〇分頃から合宿所内の一室で行われ、まず斎藤課長が労務者に対する未就労期間の補償と職員に対する賃金カットの問題について事務所側の右譲歩案を説明したところ、原告ら組合側役員は黙って聞いていた。次に斎藤課長が団体交渉のあり方についてこれを正常な姿に戻すよう事務所側の考えを説明したところ、組合側の右三名は、「そのことは団交の席上できめよう」と述べると共に急に席を立って一斉に廊下に出た。そしてそのまま日下所長が休んでいた寮母室に入り、こもごも「交渉体制にこだわるな」「みんないる前でしゃべれ」などと申し向けたうえ、遠藤書記長において日下所長の右腕を、原告においてその背中を押したり左腕を引っぱるなどして廊下に出したうえ他の組合員がこれをとり囲むなかで前記の食堂内に連行した。そして、午後六時三〇分頃から、日下所長を柱の前に立たせ、組合員二〇人以上がとり囲む中で、まず遠藤書記長において約三〇分にわたり、沈黙している日下所長の襟首をつかみ、胸をこづくなどして「話に応じろ」などと申し向けた後、原告において「今度はおれの番だ」といって坐っていた位置から立ち上り、斎藤課長から「橋本君やめろ」と止められたのも無視して日下所長の前に立ち、そのワイシャツの襟元をつかんで柱に押しつけ、耳を引っぱって「聞えないか」と申し向けたり、腕組みをして体を押しつけ、あるいはその髪の毛を引っぱり又は日下所長の手をもってにぎりこぶしをつくらせて胸に振り当てるなどの暴行を加えた。

(四)  午後九時頃になって日下所長に対する暴行や暴言が止み、その後次第に雰囲気が静まって二ないし三回位事務所側と組合側とでやりとりや打合せが行われた後午後一一時三〇分頃になって最後の団体交渉が開かれ、労務者の未就労期間については七日分を補償すること、職員の賃金カットについては休暇願を提出した者には行わないこと、の合意が成立した。

六  以上認定したところによると、原告は遠藤書記長とともに、日下所長に対し長時間にわたり不当にその自由を拘束して要求を承諾するよう迫ったのみならず、その身体に対しくり返し暴行を加えたものであり、右のような人の身体に対する有形力の行使や身体的自由を拘束する行為は団体交渉の過程における行為として是認し得る言動の域を超えているものであり、これらの行為が団体交渉の過程において行われたからと言って、正当な組合活動ということができないことは明らかである。

原告の右のような行為は国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行であり、国家公務員法八二条三号に該当するものといわなければならない。

七  原告は、本件懲戒処分の事由は団体交渉中における原告の言動をとりあげたものであるが、この団体交渉において官側が従前からの労使関係を無視したためこれが組合側の反撥とひいては原告の言動を誘発せしめたものである旨主張する。

前記認定事実に徴すると、団体交渉における事務所側の出席者五名の管理職のうち原告や遠藤書記長による暴行の対象とされたのは日下所長のみであり、同所長は団体交渉の組合側出席者の中に少数の労務者が混っていたのを見つけて退場を求めたりまた労務者の未就労期間に対する補償の要求が出されるや予定された議題でないとして交渉に入るのを拒否し押し問答の後には沈黙を通すなど一徹でかたくなといえる態度をもって組合側と相対したため他の管理職らが原告や遠藤書記長と予備交渉をもったり日下所長を説得するなど仲に入り、結局は労務者の未就労期間七日分に対して補償すること等で交渉がまとまったという経過になる。そうすると、日下所長の組合に対する右の応待(ママ)の仕方が原告や遠藤書記長において前記暴行事件を発生させた動機となったことは否定できないが、しかし団体交渉において、如何なる理由があろうとも身体的な自由の拘束や人の身体に対する有形力の行使が許されないのは言うまでもないところであり、組合側で節度をわきまえずにその要求を一方的に押しつけようとしたためにこれに対して日下所長が右の態度をとったからといってその日下所長に違法又は不当があるということにはならないし、またそのために原告の行為が正当化されるものでないことも言うまでもないところであるからこの点をとりあげて原告の行為を違法でないとする前記主張は理由がない。

八  原告は、本件懲戒処分と遠藤書記長に対する懲戒免職処分とによりこの二名を特に他の組合員と区別して重い処分にしたものであってこれは組合の弱体化をねらった支配介入であり不当労働行為である旨主張する。しかし前記認定事実にてらすと原告と遠藤書記長とが強く執拗に日下所長に暴行を加えまたその自由を拘束したものであり、他の組合員はこれに加担し助勢したにすぎないから、原告と遠藤書記長が重い処分を受けるのは固より当然であると認められるし、また被告において本件懲戒処分にあたり組合の弱体化を意図したということを認めるに足る証拠もない。従ってこの点に関する原告の主張も採用できない。

九  原告は、団体交渉において東北地建秋田工事事務所側が不誠意な態度をとっており乍らこれに反撥した原告の言動をとりあげて懲戒免職処分としたのは懲戒権の濫用である旨主張する。日下所長の一徹な態度が原告らにおいて本件暴行を発生せしめた動機であるが日下所長の態度に違法又は不当がなく原告の行為が正当化されるものでないことは前述のとおりである。しかして、国家公務員法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときに如何なる処分を選択するかは懲戒権者の裁量に委ねられており、その裁量権の行使に基づく処分が社会通念上いちじるしく妥当を欠いた場合に裁量権の濫用として違法になるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日判決、民集三一巻七号一一〇一頁参照)。本件において、団体交渉における日下所長の態度に違法又は不当性がなく、原告の同所長に対する暴行等が前記認定のように長時間にわたりくり返し執拗に行われたというその程度、態様をみるとき、これが団体交渉の過程で発生したものであること等を考慮しても、本件懲戒免職処分が社会通念上いちじるしく妥当を欠き裁量権を濫用したものであるとは到底認められない。

従ってこの点に関する原告の主張も採用できない。

一〇  以上のとおりであるから、本件懲戒免職処分が違法であるとしてその取消しを求める原告の本訴請求は理由がない。よってこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤和男 裁判官 斎藤清実 裁判官 荒井純哉)

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