仙台地方裁判所 昭和49年(ワ)287号 判決 1979年12月13日
原告
水谷満
ほか一名
被告
大沼二男
ほか二名
主文
一 被告らは、連帯して、原告水谷満に対し金一六万〇二五〇円及び内金一四万〇二五〇円に対する昭和四六年五月八日から、原告水谷あやめに対し金三〇四万七九八四円及び内金二七四万七九八四円に対する右同日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、連帯して、原告水谷満に対し金八四万七〇〇〇円、原告水谷あやめに対し金一四七五万三二四三円、並びに右各金員に対する昭和四六年五月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生(以下「本件事故」という)
原告らは夫婦であるが、原告水谷満(以下「原告満」という)は、昭和四六年五月八日午前七時三〇分頃、有限会社東宏建設所有の一五人乗りマイクロバス(車両番号宮二二さ―二八、以下「原告車」という)を運転し、仙台市坪沼字北上一八番地先県道を柴田郡村田町方面から仙台方面に向けて進行中、道路前方にとび出た石があつたので軽くブレーキを踏んだところ、追従してきた被告大沼二男(以下「被告大沼」という)運転の車(車両番号宮五ね二一―六〇、以下「被告車」という)が原告車に追突し、原告車の最後部座席に同乗していた原告水谷あやめ(以下「原告あやめ」という)は前方に突き飛ばされ後記の傷害を負つた。
2 被告らの責任
(一) 被告大沼
被告大沼は、被告車の運転者であり、前方を進行していた原告車との車間距離を十分おかなかつた過失により本件事故を惹起させたものである。
(二) 被告株式会社佐藤組
訴外佐藤組こと佐藤勇次郎(以下単に「訴外佐藤組」ともいう)は、本件事故当時、被告車を所有し、かつその従業員であつた被告大沼が被告車を運転して本件事故を惹起させたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条の運行供用者に該当する。
被告株式会社佐藤組(以下「被告佐藤組」という)は、訴外佐藤組から同人が有していた財産上の権利義務一切を承継した。
(三) 被告鹿島建設株式会社
被告鹿島建設株式会社(以下「被告鹿島建設」という)は、以下の理由から自賠法三条の運行供用者に該当する。すなわち、訴外佐藤組は、本件事故当時被告鹿島建設の専属的下請であり、したがつて、訴外佐藤組所有の被告車の運行支配及び運行利益は元請である被告鹿島建設に帰属し、しかも本件事故は訴外佐藤組がその従業員を被告鹿島建設から請負つた工事現場まで運ぶ途中の事故であるから。
3 原告らの損害
(原告あやめ)
(一) 受傷及び入通院治療
原告あやめは、本件事故により首筋・腰部に激痛を感じ、直ちに国立病院へ行つたが、土曜日で医者がおらず、昭和四六年五月一〇日仙台市広瀬町三番四三号外科渋谷病院に項胸椎上部・腰部挫傷・第五腰椎亀裂骨折の病名で入院し同年八月四日退院し、同月六日まで通院し、耳鳴り・吐き気がするため、同月六日から同月一一日まで仙台市本町二丁目一七番二三号三好病院に通院し、同月二三日から昭和四七年五月三一日まで仙台市台原四丁目三番二一号東北労災病院に通院(通院実日数八二日)し、同年六月一日から同年八月五日まで六六日間同病院に入院し、その後通院を続け(通院実日数一七日)、同年一二月三〇日同病院に再入院し、昭和四八年一月一六日まで一八日間入院し、同年九月二六日まで通院し、その後は売薬等により治療をしていたが、なお難聴・耳鳴り・めまい・嘔吐・全身倦怠等の症状があるため、昭和五一年一二月六日から同月二〇日まで東北大学医学部付属病院に通院し、現在も東北労災病院に通院している(なお、現在は生活保護を受けているため、治療費は無料である)。
(二) 後遺症
原告あやめの現在の後遺症状は、自賠責保険後遺障害等級の八級に該当する。すなわち、原告あやめは、自賠責査定により後遺障害等級一一級に該当するものとされたが、その後昭和四八年七月二〇日当時の聴力障害は左が平均四九デシベル、右が四四デシベルであつて、一〇級の三の二に該当し、この他局部に頑固な神経症状を残しているので、後遺症は九級に該当するものと考えられ、更に昭和五二年一〇月二五日当時の聴力障害は左が六二デシベル、右が五四デシベルであつて、九級に該当し、他に局部に頑固な神経症状を残しているので、後遺症は八級に該当するものと考えられる。
(三) 損害額
(1) 休業損害 金七八八万七七六四円
原告あやめは、有限会社東宏建設の従業員であつて、本件事故当時、月額二万八七九七円の収入を得、この他に東宏建設の元請会社である大成建設株式会社の現場監督から「切り投げ工事」を請負い、日当八五〇円、一か月二五日として二万一二五〇円の収入を得ていた。右日当は、昭和四七年一二〇〇円、昭和四八年一七〇〇円、昭和四九年二三〇〇円、昭和五〇年二五〇〇円、昭和五一年二七〇〇円、昭和五二年三〇〇〇円、昭和五三年三二〇〇円となつている。
原告あやめは、本件事故以後全く就業することができず今日に至つており事故以後昭和五四年二月末日までの休業損害は、次のとおり合計金七八八万七七六四円である。
(イ) 昭和四六年度
<省略>
(ロ) 昭和四七年度
(1,200×25+28,797)×12=705,564(円)
(ハ) 昭和四八年度
(1,700×25+28,797)×12=855,564(円)
(ニ) 昭和四九年度
(2,300×25+28,797)×12=1,035,564(円)
(ホ) 昭和五〇年度
(2,500×25+28,797)×12=1,095,564(円)
(ヘ) 昭和五一年度
(2,700×25+28,797)×12=1,155,564(円)
(ト) 昭和五二年度
(3,000×25+28,797)×12=1,245,564(円)
(チ) 昭和五三年度及び昭和五四年二月まで
(3,200×25+28,797)×14=1,523,158(円)
(2) 逸失利益 金二五六万三八六三円
原告あやめは、昭和五四年二月当時五〇歳であるが、今後控え目に見積つて五年間は就労できると考えられ、現在八級の後遺症により就労はできず、一〇〇パーセント稼働能力を失つているというべきであるが、控え目に見積りその稼働能力喪失率を四五パーセントとすると、逸失利益は金二五六万三八六三円である。
(3,200×25+28,797)×12×45/100×4.364=2,563,863(円)
(3) 治療費 金一一八万六二四六円
(イ) 金三五万八九一八円(渋谷外科病院の治療費)
(ロ) 金八一万九六三〇円(東北労災病院における昭和四六年八月二三日から昭和四八年九月二六日までの治療費)
(ハ) 金七六九八円(東北大学医学部付属病院における昭和五一年一二月六日から同月二〇日までの治療費)
(4) 入院雑費 金八万五〇〇〇円
渋谷外科病院の昭和四六年五月一〇日から同年八月四日まで、東北労災病院の昭和四七年六月一日から同年八月五日まで、昭和四七年一二月三〇日から昭和四八年一月一六日まで合計一七〇日間、一日当り五〇〇円の入院雑費
(5) 慰藉料 金四〇〇万円
原告あやめは、本件事故により被害を受けて以来、全く仕事ができないまま、嘔吐・めまい等に苦しめられ、後遺症として八級の重症のまま今後苦しい生活を強いられることになる。
よつて、慰藉料としては金四〇〇万円が相当である。
(6) 弁護士費用 金一三〇万円
(7) 損害の填補 金二二六万九六三〇円
原告あやめは、訴外佐藤勇次郎から金一〇一万九六三〇円、自賠責保険から金一二五万円を受領した。
(8) 以上によれば、原告あやめの損害は、合計金一四七五万三二四三円である。
(原告 満)
(1) 休業損害 金七四万七〇〇〇円
原告あやめは、本件事故当時、宮城県柴田郡村田町末広三〇番地に居住しており、昭和四六年八月二三日から昭和四七年五月三一日まで東北労災病院に通院したが、当時、精神的にも症状においても極めて不安定な状況にあり、医師から家族が必ず付添うように指示されていたので、原告満は、やむなく自己所有車をもつて原告あやめを右病院に送り迎えした。その期間は昭和四六年八月二三日から昭和四七年三月末日までであり、当時原告満は有限会社東宏建設の専属請負をなし、月額金一〇万二五〇〇円の収入を得ていたが、右送迎期間中の収入は皆無となつた。よつて、休業損害は金七四万七〇〇〇円である。
<省略>
(2) 弁護士費用 金一〇万円
(3) 以上によれば、原告満の損害は金八四万七〇〇〇円である。
4 よつて、被告らに対し、原告水谷満は損害金八四万七〇〇〇円、原告あやめは損害金一四七五万三二四三円、並びに右各金員に対する不法行為のあつた昭和四六年五月八日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
(被告大沼及び同佐藤組)
1 第1項の事実は認める。
2 第2項の(一)(二)の事実は認める。
3 第3項について
(原告あやめの損害について)
(一) (一)の事実中、原告あやめが、傷害を負い、渋谷外科病院、続いて東北労災病院、更に東北大学医学部付属病院に入通院したことは認め、その余の事実は不知。
(二) (二)の事実は否認する。
(三) (三)の事実について
原告あやめの本件事故による傷害は、少なくとも昭和四八年九月二六日までに症状が固定した。
したがつて、休業損害、治療費、入院雑費については、昭和四八年九月二六日以降のものは争い、それ以前のものは不知。
逸失利益、慰藉料、弁護士費用は争う。
損害の填補については、訴外佐藤勇次郎が金二〇七万九三七三円、自賠責保険が金一二六万九九八四円を原告あやめに対し支払つている。
(原告満の損害について)
休業損害は不知、弁護士費用は争う。
(被告鹿島建設)
1 第1項の事実は不知。
2 第2項(三)の事実は否認する。
3 第3項について
(原告あやめの損害について)
(一) (一)の事実は不知。
(二) (二)の事実は否認する。
(三) (三)の事実の認否及び主張は、被告大沼及び同佐藤組のそれと同じ。
(原告満の損害について)
休業損害、弁護士費用は不知。
三 抗弁(被告大沼及び同佐藤組)
過失相殺
1 本件事故は、原告満が原告車を急停車させたため、追従してきた被告大沼運転の被告車が原告車に追突して発生したものである。原告満は、急停車の措置をとる程危険が切迫していたわけではなかつたのであるから、仮に停車の措置をとる場合でも、後続車に警告しながら停車の措置をとるべきであつた。しかるに、原告満は、右措置をとらなかつたのであるから、停車の措置に過失があつたというべきである。
原告あやめは、原告満の妻であり、原告満運転の原告車に乗つて同じ作業場へ向かう途中傷害を受けたのであるから、原告満の右過失を原告側の過失として過失相殺を主張する。
2 原告車は、舗装の完全でない田舎のでこぼことカーブの多い道路を走行するのであるから、乗車する者としては、座席に腰をおろして身体の安定を保つよう努力すべき義務があるのに、原告あやめは、本件事故発生当時、特にさし迫つた急用もないのに座席から立ち上がつて通路を歩いていたものである。
よつて、原告あやめの右過失を原告側の過失として過失相殺を主張する。
四 抗弁に対する認否
否認する。
第三証拠〔略〕
理由
一 本件事故の発生
請求原因第1項の事実(本件事故の発生)は、原告らと被告大沼及び同佐藤組との間では当事者間に争いがなく、原告らと被告鹿島建設との間では、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二号証、証人佐藤勇一、同村山卓志の各証言、原告あやめ本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、認められる。
二 被告らの責任
1 被告大沼の責任
請求原因第2項(一)の事実(被告大沼の責任)は、原告らと被告大沼との間において争いがない。
よつて、被告大沼は、民法七〇九条に基づき、原告らに対し、本件事故により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
2 被告佐藤組の責任
請求原因第2項(二)の事実(訴外佐藤組の責任及び被告佐藤組の承継)は、原告らと被告佐藤組との間において争いがない。
よつて、被告佐藤組は、自賠法三条本文に基づき、原告らに対し、本件事故により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
3 被告鹿島建設の責任
被告鹿島建設が自賠法三条の運行供用者に該当するか否かにつき判断する。
原告らと被告佐藤組及び同大沼との間においては成立に争いがなく、原告らと被告鹿島建設との間においては証人村山卓志の証言により真正に成立したと認められる甲第一号証、原告満本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認められる甲第一二号証、成立に争いのない甲第一六号証の一ないし九、原告らと被告佐藤組及び同大沼との間においては成立に争いがなく、原告らと被告鹿島建設との間においては原告満本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認められる甲第一八号証、脱退前被告佐藤勇次郎本人尋問の結果により真正に成立したと認められる丙第一号証の一ないし一一、証人佐藤勇一、同村山卓志、同吉田松夫の各証言、脱退前被告佐藤勇次郎及び原告満(第二回)の各本人尋問の結果を総合すると
(1) 佐藤勇次郎は、昭和二四年頃から被告鹿島建設の下請業者の現場監督に従事していたが、昭和三九年四月独立して訴外佐藤組(非法人)を設立し、主に土木工事を行ない、昭和四九年一一月これを会社組織にして被告佐藤組を設立し、その代表取締役に就任し、今日に至つていること
(2) 訴外佐藤組は、設立された昭和三九年四月から会社組織になつた昭和四九年一一月までの間、その仕事量のほとんどを被告鹿島建設から下請けし、新潟火力発電所の工事を被告鹿島建設から下請けしていた昭和三九年から昭和四五年までの間、工事現場に自由に出入りすることができるように被告鹿島建設新潟出張所から右工事現場限りということで了解を得て貨物自動車の荷台の横に「鹿島建設佐藤組」と表示し、また取引関係上の便宜から同出張所の了解を得て佐藤勇次郎や訴外佐藤組の従業員の名刺に「鹿島建設株式会社佐藤組」と印刷し、右期間以後も被告鹿島建設の了解を得ることなく、前記貨物自動車を被告鹿島建設から下請けした工事現場で使用し、前記名刺も使用していたが、本件事故後、被告鹿島建設から被告鹿島建設の名称を使用することを禁じられたこと
(3) 訴外佐藤組が被告鹿島建設からの下請工事をする際には、被告鹿島建設は訴外佐藤組に対し工事の指揮・監督をしており、本件事故当時も訴外佐藤組は被告鹿島建設から下請けした仙台市内の伊勢吉成団地の造成工事を行なつており、被告鹿島建設は右工事現場に事務所を設置し従業員を派遣して訴外佐藤組に対し工事の指揮・監督をしていたこと
(4) 本件事故は、訴外佐藤組が従業員である被告大沼に被告車を運転させて従業員らを右の伊勢吉成団地の造成工事現場まで運ぶ途中に起きた事故であること
以上の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
右認定の事実によれば、訴外佐藤組は被告鹿島建設とはその専属的下請に近い関係にあり、かつ本件事故は訴外佐藤組が被告鹿島建設から下請けした工事のために被告車を運行中に起きた事故であつて、被告車の運行の支配及び運行の利益が元請負人である被告鹿島建設に帰属していたものと認めることができる。
したがつて、被告鹿島建設は、自賠法三条の運行供用者に該当し、原告らに対し本件事故により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
三 抗弁(過失相殺)について
1 抗弁第1項については、右事実を認めるに足る証拠がないから、失当である。
2 抗弁第2項について
前掲の甲第二号証、成立に争いのない乙第二〇号証、証人佐藤勇一、同村山卓志の各証言、原告あやめ本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告車は一五人乗りのマイクロバスであつて、本件事故当時は原告あやめを含め八人が乗つていたこと、本件事故当時原告あやめは座席に座らず立つていたこと、本件事故当時原告車はでこぼこ道を走行していたため上下に揺れ、原告あやめの体が宙に浮いた瞬間被告車が追突したものであること、本件事故により原告あやめの他に一名が受傷したが受傷の程度は軽かつたことが認められる。
右認定の事実によれば、原告あやめが座席に座つていなかつたことと原告あやめの本件事故による傷害の程度が後記認定のようになつたこととの間に因果関係が認められるので、原告あやめが原告車の中で立つていなければならない必要性の認められない本件においては、原告あやめにも過失があつたというべきであり、原告あやめの過失割合を一割五分と認めるのが相当である。
したがつて、原告あやめの損害を算定する場合には自己の過失ということで過失相殺されるべきはもちろんであり、原告満の損害を算定する場合にも、その損害の内容が後記のとおり妻である原告あやめが病院へ通院するのを送迎したことによる逸失利益であるので、原告あやめの過失を原告側の過失ということで過失相殺するのが相当である。
四 原告あやめの損害
1 受傷及び入通院治療の経過・後遺症等について
原告満本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認められる甲第四号証、甲第五、六号証の各一、二(但し、原告らと被告大沼及び同佐藤組との間においては成立に争いがない)、甲第七号証の一ないし三、甲第八ないし一一号証、原告あやめ本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一四号証の一、二、甲第一五号証の一ないし一七(いずれも原告らと被告大沼及び同佐藤組との間においては成立に争いがない)、成立に争いのない甲第一七号証、原告らと被告大沼及び同佐藤組との間においては成立に争いがなく、原告らと被告鹿島建設との間においては弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二〇号証の一ないし三、甲第二一号証、成立に争いのない乙第六〇号証、証人村山卓志の証言により真正に成立したと認められる乙第六二号証、証人湯浅涼、同山本昌夫、同村山卓志の各証言、原告満(第一回)及び同あやめの各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると
(1) 原告あやめ(本件事故当時四二歳)は、昭和四六年五月八日午前七時五〇分頃、本件事故により受傷し、直ちに国立病院へ行つたが、土曜日だつたため、医者がおらず応急手当を受けただけであり、その後の入通院治療は以下のとおりであつたこと
(2) 昭和四六年五月一〇日外科渋谷病院で診察を受け、項胸椎上部・腰部挫傷、第五腰椎亀裂骨折と診断され翌一一日同病院に入院し、同年八月四日退院し、同月六日まで同病院に通院したこと、原告あやめは、同病院において、頭部・背上部・腰部痛、左耳鳴、右耳難聴、右肘部痛、両手指のしびれ等を訴えていたこと
(3) 昭和四六年八月六日から同月一一日まで三好耳鼻咽喉科病院に通院し、内耳性耳鳴と診断されたこと
(4) 昭和四六年八月二三日から昭和四七年五月三一日まで東北労災病院に通院(通院実日数八二日)し、同年六月一日から同年八月五日まで同病院に入院し、その後も通院を続け、同年一二月三〇日から昭和四八年一月一六日まで同病院に再入院し、以後同年五月までは概ね継続して通院し、その後は同年九月二六日通院したこと
この間、原告あやめは、同病院の神経科、耳鼻咽喉科、眼科で診療を受け、神経科においては、頭痛、四肢のしびれ感、吐気、嘔吐などの症状を訴え、時折嘔吐は認められたものの、検査の結果により特に異常は認められず、昭和四八年六月二三日症状固定と診断され、耳鼻咽喉科においては、両側感音性難聴と診断され、聴力検査の結果昭和四八年一月当時聴力の平均損失が左四九デシベル、右四四デシベルであり、この他局部に頑固な神経症状を残しているとされ、同年五月三一日症状固定と診断され、眼科においては、昭和四八年九月二六日、両近視、左視野狭窄と診断され、同日症状固定と診断されたこと
(5) 昭和四八年九月二七日、仙台赤十字病院で診療を受け、両眼遠視及び眼精疲労と診断されたこと
(6) その後も頭痛や嘔吐などの症状はあつたが、病院へは行かず、売薬により治療していたこと
(7) 昭和五一年一二月六日から同月二〇日まで東北大学医学部付属病院の耳鼻咽喉科及び整形外科に通院し、耳鼻咽喉科では両側感音性難聴の疑いはあるがその原因は不明との診断を受け、整形外科においては頸椎症の病名で治療を受けたこと
(8) 昭和五二年四月二一日から同年一〇月二五日まで東北労災病院に通院し、嘔吐、頭痛、耳鳴を訴えたが、検査の結果、頸部の圧痛、頸部の運動制限、右上肢の知覚鈍麻が認められ、聴力の平均損失が左六二デシベル、右五四デシベルであることが認められ、両耳の聴力は一メートル以上の距離で普通の会話を理解できない程度であり聴力障害九級に該当し回復の見込はない他局部に頑固な神経症状を残していると診断され、その後も同病院に通院していること
(9) 原告あやめは、昭和四八年頃、自賠責査定により自賠法施行令別表の後遺障害等級一一級に該当するものとされたこと以上の事実が認められる。
2 損害額について
(一) 逸失利益
証人柴田武の証言により真正に成立したと認められる甲第三号証、証人小島能男の証言により真正に成立したと認められる乙第五八、五九、六一号証、証人柴田武、同小島能男の各証言、原告あやめ及び同満(第一回)の各本人尋問の結果によれば、
(1) 原告あやめは、本件事故以前は、健康体であり、夫である原告満と共に有限会社東宏建設の下請仕事をし、仕事の内容は事務員としての仕事と人夫としての仕事であり、本件事故当時、事務員として給料月額金二万八七九七円と人夫賃として日給金八五〇円(一か月二五日間)の収入を得ていたこと、右人夫賃としての日給は、昭和四七年四月から金一二〇〇円、昭和四八年四月から金一七〇〇円、昭和四九年四月から金二三〇〇円となつたこと
(2) 原告あやめは、本件事故後は、外科渋谷病院を退院した後東北労災病院に入院するまでの間に少し原告満の手伝い程度の仕事をしたことがあつた他は、仕事をせず、現在もしていないこと
以上の事実を認めることができる。
右認定の事実及び前記1認定の事実に基づき、逸失利益につき検討する。
まず、前記認定の傷害の部位、程度、治療の経緯、原告あやめの職業によれば、原告あやめは本件事故発生日である昭和四六年五月八日から昭和四八年五月までは概ね継続して入通院治療を受けており、しかも右治療が不必要なものであつたと認めるに足る証拠はないのであるから、原告あやめは本件事故により事故後二年間稼働による収入を得ることができなかつたものと認めるのが相当である。
次に、右期間以降についてみると、なるほど原告あやめは東北労災病院において遅くとも昭和四八年九月二六日までには症状固定と診断され、以後三年余り入通院治療を受けておらず、しかも症状のうち聴力障害が悪化しているので、昭和四八年九月二六日以後の症状が本件事故と因果関係があるかどうか問題となるが、入通院をしなかつた三年余りの間も症状が回復したわけではなく売薬により治療していたのであり、昭和四八年九月二六日以後の症状も同日以前と同様の症状を示しているのであるから、同日以後の症状につき本件事故がすべての原因をなしているとはいえないが、因果関係自体を否定することはできない。よつて、前記認定の傷害の部位、程度、症状及び後遺症の程度、昭和四八年九月二六日以後の症状につき本件事故がすべての原因をなしているとはいえないこと、原告あやめの職業と後遺症との関係、原告あやめの年齢(本件事故当時四二歳)などを考慮して、本件事故後二年間の後については、八年間に限り原告あやめは労働能力を三割喪失したものと認めるの相当である。
そこで、逸失利益の額を算定するに、前記認定の事実によれば、原告あやめの月収は、事務員としての給料金二万八七九七円と人夫賃として二五日間の日給とであり、右日給は、本件事故後一年目が金八五〇円、二年目が金一二〇〇円、三年目が金一七〇〇円、四年目以降が金二三〇〇円であると認めるのが相当であり、これに基づき逸失利益の本件事故時の受取額を計算する(中間利息の控除方法はホフマン法による)と、次のとおりである。(なお、一円未満は切り捨て。以下同じ。)
(1) 本件事故後二年間の逸失利益
一年目
(850×25+28,797)×12×0.9523=571,917
二年目
(1,200×25+28,797)×12×(1.8614-0.9523)=641,428
(2) 本件事故後三年目ないし一〇年目の間の逸失利益
三年目
(1,700×25+28,797)×12×0.3×(2.7310-1.8614)=223,199
四年目ないし一〇年目
(2,300×25+28,797)×12×0.3×(7.9449-2.7310)=1,619,798
(3) 逸失利益合計 金三〇五万六三四二円
(二) 治療費
前掲の甲第六号証の一、二、甲第一五号証の一ないし一七、甲第二〇号証の一ないし三、乙第六〇号証によれば、原告あやめの治療費が次のとおりの金額であつたことが認められる。
(イ) 少なくとも金三五万八九一八円(外科渋谷病院の治療費)
(ロ) 金八一万九六三〇円(東北労災病院における昭和四六年八月二三日から昭和四八年九月二六日までの治療費)
(ハ) 金七六九八円(東北大学医学部付属病院における昭和五一年一二月六日から同月二〇日までの治療費)
(ニ) 治療費合計金一一八万六二四六円
(三) 入院雑費
前記認定によれば、原告あやめは、外科渋谷病院に昭和四六年五月一〇日から同年八月四日まで、東北労災病院に昭和四七年六月一日から同年八月五日までと同年一二月三〇日から昭和四八年一月一六日まで合計一七〇日間入院したことが認められ、前記認定の原告あやめの受傷の程度等によれば、入院雑費は一日当り金五〇〇円が相当である。そうすると、入院雑費は合計金八万五〇〇〇円である。
(四) 慰藉料
前記認定の原告あやめの傷害の程度、入通院の期間、後遺症の程度、原告あやめの過失等諸般の事情を考慮すると、原告あやめの慰藉料は金一五〇万円が相当である。
(五) 損害の填補
前掲の甲第六号証の一、二、甲第二〇号証の一ないし三、甲第二二号証、成立に争いのない乙第一ないし五七号証、前掲の乙第六〇号証、証人佐藤勇一、同村山卓志の各証言、原告満本人尋問の結果(第二回)に弁論の全趣旨を総合すると
(1) 原告あやめは、自賠責保険から合計金一二五万円(内訳は、治療費等金五〇万円、後遺症補償金七五万円)を受け取つたこと
(2) 原告あやめは、佐藤勇次郎から、合計金一一八万〇四六五円(内訳は、東北労災病院の昭和四六年八月二三日から昭和四八年九月二六日までの治療費合計金八一万九六三〇円を支払つてもらつたこと、借入金名目で合計金二〇万円を受け取つていること、諸経費等合計金一六万〇八三五円(但し、乙第二〇号証の金員については原告あやめの分として金一八〇〇円のみ認めた)を支払つてもらつたり受取つていること)を受け取つていること
以上の事実が認められる。
したがつて、填補額は合計金二四三万〇四六五円である。
(六) 弁護士費用
本件事件の内容、認容額等を考慮すると、弁護士費用は金三〇万円が相当である。
(七) 合計額
右の(一)ないし(三)の合計額に一割五分の過失相殺をした金額に(四)及び(六)を足した金額から(五)を引くと、金三〇四万七九八四円となる。
五 原告満の損害
1 逸失利益
前記四1で認定した事実に前掲の乙第六二号証、原告満(第一、二回)及び同あやめの各本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると
(1) 原告あやめは、東北労災病院に昭和四六年八月二三日から昭和四七年五月三一日まで(通院実日数八二日、なお昭和四七年三月末日までのそれは七五日である)通院していたこと
(2) 右当時、原告両名は宮城県柴田郡村田町末広三〇番地に居住しており、しかも、原告あやめの症状が悪かつたので、原告あやめは汽車やバスで仙台市内にある東北労災病院へ通院することが困難であり、そのため、原告満は、昭和四六年八月二三日から昭和四七年三月末日頃までの間、原告あやめを自家用車に乗せて東北労災病院に送り迎えしたこと
(3) 原告満は、右当時、有限会社東宏建設の下請けの仕事をし、人夫賃として日給金二二〇〇円を得ていたが、右のとおり原告あやめを送り迎えしたため、人夫仕事をすることができなかつたこと
以上の事実を認めることができる。
右認定の事実によれば、原告満は本件事故により原告あやめを送り迎えした期間人夫賃一日当り金二二〇〇円を得ることができず、その送り迎えをした期間は合計七五日間であると認められる。
そうすると、原告満の逸失利益は金一六万五〇〇〇円である。
2 弁護士費用
本件事件の内容、認容額等を考慮すると、弁護士費用は金二万円が相当である。
3 合計額
1の金額に一割五分の過失相殺をした金額に2の金額を足すと、金一六万〇二五〇円となる。
六 結論
以上によれば、原告らの本訴請求のうち、原告あやめについては損害金合計金三〇四万七九八四円及び弁護士費用を除いた金二七四万七九八四円に対する不法行為のあつた昭和四六年五月八日から、原告満については損害金合計金一六万〇二五〇円及び弁護士費用を除いた金一四万〇二五〇円に対する右同日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これらを認容し、その余の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 今井理基夫)