仙台地方裁判所 昭和53年(わ)21号 判決 1981年7月02日
主文
被告人を禁錮二年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
差戻し前の第一審、控訴審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和二八年ころから宮城県塩竈市(以下、塩釜市と表示する)錦町一七番一八号において、かまぼこ等の魚肉練製品の製造及び販売を始め、昭和三九年に製品をさつまあげ(揚げかまぼこ、お好み揚げ等の名称でも呼ばれているが、以下、「さつまあげ」という)に一本化し、昭和四二年には同所に工場を新築し製造設備も新設したうえ有限会社「早坂僑師商店」を設立、自ら代表取締役に就任し、以後同工場の建物、製造機械・器具等を管理し、約二〇名の従業員らを指揮・監督しながらさつまあげを製造・販売する業務に従事していたものであるが、右のような業務に従事するものとしては、食品衛生法三条、八条及び同法二〇条に基づく同法施行細則一九条別表第三の第一二の三のイ等に則り、清潔で衛生的な設備・方法によつて食品を製造すべく、同工場内で病源微生物を媒介する鼠が俳徊することにより食品が病源微生物に汚染されることのないよう同工場における鼠の侵入するおそれのある個所に防鼠設備をし、あるいは工場内において鼠の駆除措置をとるなどして、もつて鼠の糞尿を介して病源微生物に汚染されたさつまあげを製造・販売しこれを消費者をして摂食させることにより生ずべき中毒事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、昭和四三年五月下旬ころから同工場の東側、道路との間に設置されている側溝と同工場一階中央を東西に通じている排水口との接続部分に取りつけてあつた金網、同工場一階東側車庫出入口部分に備えつけの鉄製シャッター下部のコンクリート床及び同工場一階製造場東南部の工場出入口部分に備えつけのシャッター下部に設置してある木板の、コンクリート床に接着している部分の三か所等が、それぞれ破損して鼠が侵入できる程度の間隙があつたのにこれらを放置し、また同工場内においても充分な鼠の駆除措置をとらず昭和四三年六月四日午後零時ころから午後一時ころまでの間に、同工場一階製造場内においてサルモネラ・エンテリティーデイス(Salmonella enteriti-dis)菌(以下、「サルモネラ菌」ともいう)を体内に保有する鼠を徘徊させ、その鼠の排泄した糞尿内に含まれていたサルモネラ菌を、さつまあげの製造工程中、筋取機から出された主原料である魚肉と、裁断された副原料である玉ねぎ、人参等をそれぞれ擂潰機(練り臼)まで運んですり身(形成機による成型前のものをいう)を作る段階で原料に混入させ、さらに以後の形成機による成型において不揃いが生じ通常よりも厚く成型されたものがあつたこと及び油の際に油温が低下したことがあつたことなどの当日の製造条件とも相俟つて、生き残つたサルモネラ菌を含有するさつまあげを、製品として他の同時に製造されたさつまあげとともに包装したうえ、同日及び翌同月五日に運送業者を経由して別紙一出荷・販売経路一覧表記載のとおり、卸売業者である宮城県栗原郡築館町字町屋敷八九番地有限会社丸大魚市場に七二〇枚、同県同郡栗駒町岩ケ崎字六日町二七番地株式会社岩ケ崎水産魚市場に四八〇枚、岩手県北上市青柳町一丁目五番三八号北上水産株式会社に二四〇〇枚同県紫波郡紫波町北日詰字白旗一一〇番地日詰水産物商業協同組合に四八〇枚、盛岡市菜園一丁目一〇番二〇号丸一魚類株式会社に二四〇〇枚及び仙台市宮城野二丁目一二の三仙都魚類株式会社に七二〇〇枚、合計一万三六八〇枚を消費者に販売すべく引き渡した過失により、これらの業者からさらに仲買人、小売人等を経て右サルモネラ菌を含有するさつまあげまたはそれらとともに包装されるなどしたことにより同菌に汚染されたさつまあげを購入して食用に供した別紙二被害一覧表記載の佐々木次男ほか三〇三名に対し、サルモネラ菌による食中毒に罹患させ、よつて同一覧表記載のとおり、右佐々木次男(当時一四歳)ほか三名をそれぞれ備考欄記載の各日時・場所で死亡させ、佐々木トシ子(当時二一歳)ほか二九九名に対しそれぞれ発病日時・発病場所欄に記載の各日時・場所において、加療または全治日数欄記載の加療または全治日数を要する下痢、発熱、腹痛、頭痛等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(被告人及び弁護人の主な主張に対する判断)
第一 被告人及び弁護人の主張
被告人及び弁護人(以下、弁護人らという)は、
一 検察官は、差戻し後の当公判廷を通じ、本件の鼠の糞尿によるさつまあげのサルモネラ菌汚染に関しては、単に被告人方工場(以下、単に工場ともいう)内の汚染と主張するのみで、それ以上その汚染の時期、原因、経路等を具体的に特定して主張・立証していないから、本件については特定された主張・立証がないことに帰し、そのこと自体からも被告人の過失を認めることはできず、犯罪の証明がないことになる、
このことは疫学的立証が要請される事件といわれるものであつても同様であつて、被告人方工場内における具体的な汚染経過が合理的に説明できない以上、たとえ工場外における汚染が積極的に認定できず、したがつて工場内の汚染の可能性が高いという疫学的判断がされたとしても、刑事裁判における事実認定の方法としては、それのみをもつて本件において被告人の過失責任を問うことは許されない、
二 被告人は、工場内に鼠を徘徊させないよう建物、工場の管理・衛生に注意を払い、工場内においても鼠の駆除措置をとるなど防鼠対策を充分にしていたものであつて、工場内にサルモネラ菌を保有する鼠を徘徊させたこと及び同菌に汚染されたさつまあげを製造・販売したことはないから注意義務の違反はなく、本件において被告人に過失は認められない、
三 本件さつまあげのサルモネラ菌による汚染経路等について、
1 昭和四三年六月四日、被告人方工場内においてさつまあげの原料または製品に鼠の糞尿を介してサルモネラ菌が付着したことはない、仮に、原料が同菌に汚染されることがあつたとしても、油による熱処理により、同菌は死滅するはずであるから、工場内における汚染の可能性は考えられない、
2 本件のさつまあげの原料である魚肉が被告人方工場に搬入される以前の各過程及びさつまあげの製品が被告人方工場から搬出された後被害者らの食用に供されるまでの各過程において、いずれも同菌による汚染の可能性がある、
したがつて、本件における被告人のさつまあげの製造・販売行為と各被害者らの死傷との間には因果関係は認められない、
四 仮に、以上の主張が認められないとしても、被告人は工場内の衛生管理、防鼠対策等において、他業者に優るとも劣らない注意を払い、実行してきたから、鼠によるさつまあげのサルモネラ菌汚染につき被告人の立場として予見可能性及び結果の回避可能性がなく期待可能性がないから、その刑事責任は阻却されるべきである、
旨、主張するので、以下において、検討することとする。
第二 本件の汚染原因及び汚染経路についての検察官の主張・立証について
弁護人らの、本件においては検察官としての特定した主張・立証がないという論旨は、結局、訴因としての特定された主張(及びその立証)がないというに帰すると解される。ところで、検察官は本件の起訴状において、被告人は昭和四三年六月四日(以下、とくに年を表示しない月日は昭和四三年のそれである)、工場内において製造中のさつまあげに鼠の糞尿によるサルモネラ菌を付着・媒介させたと主張し、また差戻し後の第一回公判において、本件さつまあげのサルモネラ菌による汚染の原因及びその経路につき、訴因としては本件起訴状の記載と同じく被告人方「工場内での汚染」ということであり、かつそれで特定している旨釈明しているところ、記録によれば、差戻し前の第一審判決は、その第二回及び第二三回各公判期日において、検察官が本件汚染原因及び経路につきさつまあげの製造工程中、午後零時ころから午後一時ころまでの昼休み時間中に放冷機上及びこれに付属するベルトコンベア上に放置されてあつた油後のさつまあげにサルモネラ菌を保有する鼠が接触し、その糞尿によつて同菌をこれに付着・媒介させたものである旨主張・釈明したことに基づき、右主張・釈明の内容を訴因と解したうえ、右訴因については証明不十分であるとして被告人に対し無罪を言い渡したこと、これに対し検察官から事実誤認及び審理不尽を理由に控訴の申立てがあり、控訴審判決は、検察官の主張を概ね容れ、本件はいわゆる疫学的立証が要請される事案であることにかんがみ、訴因としては起訴状記載の公訴事実程度でその特定・明示に欠けることはない旨、また検察官の差戻し前の第一審の公判期日における本件汚染の原因・経路に関する前記釈明も訴因たる事実を推知させる可能な個々の事実についての一応の見解の表明にとどまるものとみるのが相当である旨各判示したうえ、差戻し前の第一審判決が検察官の油後放冷機上等の汚染の主張を訴因と解し、右以外の工場内汚染の可能性が高いのにそれらの可能性を示唆するなどして当事者の立証活動を促すことなく証明不十分として無罪としたのは、審理を尽くさず事実を誤認したものであるとして右第一審判決を破棄し、本件を当裁判所に差し戻す旨の判決を言い渡したことが明らかである。
本件のような食品中毒事件における訴因として、汚染の経路等につきどの程度まで具体的な主張を要するかは問題であるが、右に述べた本件の訴訟経過に照せば、右控訴審判決中の本件訴因の特定についての判断部分は、いわゆる破棄判決の拘東力により当裁判所を拘束するものであるから、当裁判所としても本件の訴因の特定の問題としては起訴状記載の公訴事実の程度、すなわち差戻し後の第一回公判で検察官が釈明した程度をもつてその特定がされているものと解する。そうであるとすれば、検察官がそれ以上本件のサルモネラ菌による汚染経路を具体的に主張しないことをもつて訴因が不特定であるとするのは当らず、また検察官の立証についても、その訴因についての立証が尽くされているか否かの問題に帰着するといわなければならない。
しかし、他方、前記控訴審判決において、本件についてはさつまあげの油前工場内汚染の可能性があり、その点について当事者に立証の機会を与えるべきであるとの指摘があることにかんがみ、差戻し後の当裁判所は更に審理を進め、検察官は、差戻し後の第一回公判において、工場内における具体的な汚染原因・経路について、それ以外の工場内汚染も可能性としては否定しないとしながらも、サルモネラ菌が付着したのは魚肉入れ用バットの内のすり玉ねぎの可能性が高く、右付着したサルモネラ菌が油によつても死滅しなかつたと考えられる旨述べて、これらの点を中心に立証活動を行ない、また弁護人側も、右の点を中心に防禦活動を尽くしてきたものである。
なお、刑事裁判における疫学的な判断方法による立証について付言すると、いわゆる疫学的判断方法と刑事裁判における事実認定とは、その目的、機能及び法による制約等からくる差異のあるのは勿論であるが、刑事裁判における事実認定においても疫学的に証明された事実を有力な情況証拠として利用することは、各具体的な場合に応じて許されると解することができるところ、本件は具体的な因果関係を細部にわたつて直接証拠のみによつて立証することが困難な事案である反面、事案の性質上、事件直後から疫学の専門家らによりその原因の究明が進められ、疫学的な判断の基礎となる資料も数多く収集されており、疫学的判断方法にかなりの有効性を期待し得る事案であるから、本件因果関係の認定にあたつては、その活用に慎重さが要求されるものではあるが、疫学的な証明を情況証拠として他の証拠とともに事実認定の用に供することは許されるというべきである。
よつて弁護人ら主張一の、検察官の主張・立証自体が不特定である旨の主張は採用することができない。
第三 注意義務違反の有無について
一 注意義務の存在
前記証拠の標目らんに掲げる各証拠(以下、本件各採証証拠という)、とりわけ被告人及び奥田博の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は判示のように有限会社早坂僑師商店の代表取締役として被告人方工場その他製造機械等を管理し、従業員らを指揮・監督してさつまあげの製造・販売業を営んでいたことが認められるから、同製造業者としての職務上から、また食品衛生法に規定される清潔衛生の原則(同法三条、八条)及び同法(二〇条)に基づく食品衛生法施行細則(宮城県規則第五七号)に規定されている食品製造工場等に鼠などが侵入することを防止すべき義務(同細則一九条、別表第三の第一二の三のイ)の趣旨等からも、被告人には判示のような防鼠ないし鼠の駆除の措置をとるなどして鼠の糞尿を介して病源微生物に汚染されたさつまあげを製造・販売することにより生ずべき中毒事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたことは明らかである。
二 注意義務違反の有無について
本件各採証証拠<証拠の各別列挙―略、以下、同じ>によれば、以下の事実が認められる。
すなわち、被告人方工場には、昭和四三年五月下旬ころから本件で問題とされているさつまあげの製造日である六月四日に至るまでの間、判示のとおり、①工場外の道路との間の側溝と工場内の排水口との接続部分にあつた金網、②車庫出入口部分のシャッター下部のコンクリート床及び③工場出入口部分のシャッター下部の木板のコンクリート床に接着している部分の三か所に鼠の侵入できる破損個所があつたこと、被告人は五月下旬ころにはこれら三か所の破損等に気づいていたが、六月一〇日ころからの休業期間に入つたら修理しようと考え、そのうち②の車庫出入口部分のシャッター下部のコンクリート床の破損部分について毎日の作業終了後砂利を詰める程度の応急措置をとつたが、それは翌日の作業中簡単にその砂利がとれる程度のものであつたこと、他の二か所については鼠の侵入を防ぐ効果的措置はなんらとつていなかつたこと、昭和四二年一二月一二日ころ及び本件が発生して間もない昭和四三年六月八日保健所員らによる立入検査等の際、いずれも被告人方工場内一階倉庫内板張り床上、油釜の裏側コンクリート床上、二階包装材置場、放冷機の脇付近、中二階魚箱置場等においてかなり多量の鼠の糞が発見され、また六月八日(保健所)及び同月一四日(警察官)の調査の際被告人方工場内で鼠がさつまあげ等を運んだと思われる形跡、鼠の巣様のものが発見されていること、本件後まもない六月一一日警察官の立入調査の際数人が同工場内で鼠を目撃し、そのうち一匹を捕獲していること、一方、被告人は、工場内における鼠の駆除対策として鼠取り籠、薬剤等を同工場内数個所に配置したこともあつたが、その時期等は明らかでなく、少くとも本件直前のころには殆ど鼠を捕獲しておらず、その効果はあがつていなかつたこと等が認められ、これらの事実によれば、本件当時被告人方の鼠の侵入防止対策は甚だ不充分で、その侵入可能個所があり、そのためかなりの数の鼠が工場内に棲息・徘徊していたにも拘わらず、被告人はそれらの鼠の有効な駆除措置を何らとつていなかつたことが明らかといわなければならない。
そして、後に詳細に検討するところであるが、もし本件の六月四日のさつまあげ製造の際サルモネラ菌を保有する鼠が工場内を徘徊し、その糞尿により同菌が製造中のさつまあげの原料に付着するに至り、かつそれがその後の製造工程においても生き残り、同菌の付着したさつまあげが販売されるとすれば、消費者がこれを摂食・発病することになるのは容易に予測されるから、被告人につき注意義務に違反した過失のあることは明らかであるといわなければならない。
三 結果の予見可能性ないし回避可能性―付期待可能性
すでに述べたとおり被告人はさつまあげの製造・販売の業務に従事していたものであるところ、そのような業務に従事するものにとつて、もし鼠の侵入防止、鼠の駆除の措置をとらず不衛生な設備・方法でさつまあげの製造・販売をするならば、鼠が工場内に侵入、棲息、徘徊するに至り、ひいては鼠の糞尿を介してサルモネラ菌等の病源微生物がさつまあげの製造原料や製品等に付着することがあり得べきことは見易いところであり、そのため病源微生物の付着したさつまあげが販売され、消費者がこれを摂食して中毒事故を起こすに至ることは十分予測されるところといわねばならない。もつとも、病源微生物が製品でなく原料段階で付着した場合においては、その後に油釜により油される工程があり後にも述べるようにこれが正常に行なわれるならばサルモネラ菌等は死滅することになるのであるが、後にも述べるように、油温や成型されたすり身の厚さは常に一定、不変というわけではなく、それらの製造条件のいかん(その点についても製造販売業者としての注意義務違反の問題があり得るが、本件ではその点は過失の内容とされていない)によつては、油による熱処理が不完全となつて、付着した病源微生物が生き残る場合もまた予測されるのである。関係証拠によれば、被告人方工場において油されたさつまあげの中にはね物と称するものが時折混じつていたこと、その中に生煮えの色のうすいものが含まれていたことがそれぞれ認められるが、このことは右のような油による熱処理が不完全なものがあり得たことを実際にも裏付けるものというべきである。したがつてさつまあげの製造販売業者として鼠の侵入防止、鼠の駆除措置をとらず不衛生な設備・方法でさつまあげの製造・販売をするならばサルモネラ菌等による食中毒事故の発生に至るべきことは十分予測され、また鼠の侵入可能個所の発見・補修、鼠捕獲器具、殺鼠剤の使用、鼠の駆除専門業者の利用等により鼠の侵入防止や鼠の駆除を充分に行なうことなどにより病源微生物の付着を防ぎ、ひいて食中毒を回避することが可能であつたと考えられるから、一般的にみて本件のような食中毒事故につき予見可能性、回避可能性のあることは疑いのないところでありこのことは被告人自身の立場にたつて見ても同一であるといわなければならない。したがつてまた期待可能性がなかつたなどといえないことも明らかである。
四以上のとおり、被告人につき判示のような業務上の注意義務が存在し、被告人がこれに違反して鼠の侵入防止、鼠の駆除の措置をとらなかつたことがいずれも明らかであつて、そのような場合に本件のような中毒事故の起り得ることについての予見可能性、回避可能性とも充分に肯認することができ、また期待可能性のあることももちろんであるから、もし本件の昭和四三年六月四日のさつまあげ製造中に鼠を介してサルモネラ菌が原料等に付着し、同菌の付着したさつまあげの製造・販売が原因となつて本件各中毒事故が発生するに至つたという因果関係が肯定されることになるならば、本件につき被告人が注意義務に違反した過失責任を負うべきことは免れないところといわなければならない。
よつて、弁護人ら主張二の過失がない旨及び四の予見可能性、回避可能性、期待可能性がなく責任が阻却されるべきである旨の各主張はいずれも採用できない。
第四 汚染原因と因果関係について
一 被告人方工場におけるさつまあげの製造・販売過程について
本件各採証証拠によれば、以下の事実が認められる。
1 工場設備 被告人方工場は、一部二階建の鉄骨トタン及び合成樹脂波板葺き、モルタル及びトタン板壁の建物で、東側において南北に通ずる道路に面し、一階の東側部分は、北に事務室、その南に車庫があり、一階中央やや東寄り部分は、北に第一次放冷機(一台)、南が材料置場となり、それらの西側部分は、北に冷蔵庫、物置、休憩室があり、南は製造場となつており、休憩室の西側は被告人方住居に接している。また二階には製品包装場、包装箱置場、包装物置場があり、さらに中二階と呼ばれる包装材等置場もある。一階床はコンクリート製で、製造場から車庫にかけて中央には排水溝が東西に連なつて設置されており、その東端は東側道路の側溝に接続し、右東西の排水溝の工場中央部付近から別の排水溝が分岐して工場内を南下している。一階の製造場をみると、その南寄りにほぼ東側から魚洗機(一台)、肉取機(一台)、晒し機(一台)、脱水機(三台)、筋取機(通称チョッパ機―一台)があり、製造場の中央やや西寄りに形成機(一台)があり、そのすぐ北側に四個(直径八〇センチメートル)、すぐ西側に三個(直径九〇センチメートル)の擂潰機(以下、通称にしたがい「練り臼」という)があり、製造場の北寄りに東から高温用の油釜(以下、通称にしたがい「仕上釜」という―一台)と低温用の油釜(以下、通称にしたがい「生釜」という―一台)が並んでいる。その他人参洗機、同裁断機、玉ねぎ切機(「専用擂潰機」ともいう)(以上各一台)、その他これらの機械を結ぶベルトコンベアーがあり、二階には第二次放冷機、選別台、包装台、梱包機が各一台ずつそれぞれ備え付けられている。
2さつまあげの製造工程 被告人方工場では、主原料である助宗鱈(多くは仕入れ前に既に頭部、内臓を取り除く作業―いわゆる無頭処理―が施されている)を工場一階の材料置場のコンクリート床上に置き、これを、ホークまたはスコップで魚洗機に入れて水洗いし(約一分間)、ベルトコンベアで肉取り機に送つて同所で皮及び骨を取り去り(約一分間)、再びベルトコンベアで晒し機に送つて水を混ぜて晒して(約一〇分間)から遠心力を利用した脱水機により脱水し(約五分間)、さらにベルトコンベアで筋取機へ送り、小骨、筋を取り除いたうえ、縦約六〇センチメートル、横約三七センチメートル、深さ約一三センチメートルの合成樹脂製の容器(昭和五三年押第八号の一八の1及び2と同種類のもの―以下、通称にしたがい「バット」という)に入れて練り臼にまで運ぶ(この間の所要時間約二〇分間)。他方、副原料である人参、玉ねぎは、水洗い、皮むきのうえ、機械で千切り(人参)あるいはみじん切り(玉ねぎ)し、人参は底に、穴をあけてある金属製のバットに、玉ねぎは右魚肉用バットと同様のバットに入れておく。練り臼では先に、魚肉に塩、角氷、グルコース、調味料等を加えて練り合わせ、これがすりあがるころ、澱粉、小麦粉、右人参及び玉ねぎ、胡麻等をさらに加え、合計約四〇分間練り合わせた後、練り上つたすり身をスコップでステンレス製の箱に入れて形成機に運び、同機械でさつまあげの型に成型(厚さ約八ミリメートル、横約一一センチメートル、縦約六センチメートル、重さ約八〇ないし八五ゲラム前後)し、生釜(適正油温摂氏一四〇度ないし一五〇度)及び仕上釜(適正油温一七〇度ないし一八〇度)で引きつづき油(両釜の所要時間合計約三分間)した後、上昇コンベアで第一次放冷機に、更に上昇コンベアで二階の第二次放冷機に順次運んで合計約一時間二〇分の送風放冷を行ない、さらにベルトコンベアで選別台に送り、同所で不良品を取り除き、一〇枚をひとまとめにして作業員の手で包装台に置き、別の作業員の手により木箱またはダンボール箱に詰め、梱包機によつて包装する。なお、選別台において選別が間に合わない場合には、「トロ箱」と称する木箱(深さ約一〇センチメートル、横約三八センチメートル、縦約六〇センチメートル―昭和五三年押第八号の六と同様のもの)に一時製品を入れ、後に手のすいた時に右箱より取り出して包装を行なう。包装は木箱詰めの場合は一箱に五〇枚を詰め、四箱を重ねてビニールテープで緊縛して一梱とし、ダンボール詰めの場合はビニール袋一袋に二〇枚を入れたもの一二袋を澱粉等の空袋を切つた紙の敷いてあるダンボール箱に詰めてビニールテープで緊縛して梱包する。(別紙三さつまあげ製造工程図参照)
本件当時、右作業の分担は、魚洗機を宍戸亨、伊藤栄三が、筋取機及び練り臼を重泉清美が、形成機及び両油釜を伊藤操が(以上いずれもいん唖者)それぞれあたり、その他の作業は女子工員が日によつて交替して(工場一階の作業の場合)あるいは固定して(同二階の作業)行なう。男子作業員は通常午前五時三〇分ころから、女子作業員は午前八時ころから作業を開始し、午後零時から一時までの休憩時間をはさんで午後五時ころ一日の作業(整理・清掃を含む)を終了するが、作業時間とくに終了時間は、当日の製造量により異なることがある。
3出荷、販売 右のように製造・梱包されたさつまあげには、冷蔵会社で冷凍保管のうえ、注文に応じて出荷するものと、非冷凍のまま工場から直接卸売業者等に出荷するものがあり(ただし、毎年一一月末から、翌年三月末までは全て非冷凍のまま出荷する)、冷凍にまわされる製品は全て木箱詰のもののみであるが、非冷凍のまま出荷されるもののうちには木箱詰めのものとダンボール箱詰めのものとがあり(ただし、ほとんどはダンボール箱詰め)、いずれも運送業者が被告人方の依頼により工場または冷蔵会社で自動車に荷積みし、各集荷地点等を経由して宮城、青森、秋田、山形、岩手、福島、栃木、群馬、東京、千葉、神奈川等各都県の得意先の魚市場などに出荷される。寒くない時期の非冷凍の出荷は、注文により非冷凍品と指定された場合にのみその数量に応じてダンボール箱等に梱包して、原則として製造当日行なわれるが、仙台市内の各市場へ販売される製品については、当日最後に製造したものを当日は被告人方工場内の電気冷蔵庫に保管し、翌朝午前五時ころ、前同様に出荷される。
二 被告人方で昭和四三年六月四日製造したさつまあげと本件サルモネラ菌中毒発生との因果関係
1サルモネラ菌及びサルモネラ菌中毒について 本件各採証証拠によれば、以下の事実が認められる。
すなわち、サルモネラ・エンテリティーディス菌は、病源となる腸内細菌の一つであるサルモネラ菌のうち、人体に急性腸炎等(いわゆる食中毒)をおこさせる種類の細菌で、鼠、その他犬、猫、豚等の体内に保菌されることが多く、これらの動物の糞尿を通じて体外に排出され、増殖後、人間の食物、手指等を通じて人体内に経口摂取され、腸内で更に増殖して腸炎等を起こさせ、発熱、下痢、頭痛、腹痛、吐気等の症状を生じさせる。ただし、菌数が一グラム当り一〇万個から一〇〇万個までに増殖しなければ人体内にあつても発病しない。増殖率は温度により異なり、最適温度である摂氏三七度前後で栄養条件の良い環境では、一時間に三回の割合で二分裂を繰り返し、約九時間経過後には一個が約一〇億個にまで達するという強い増殖率をもつが、増殖率のよいのは摂氏二〇度から四〇度までの間であり、それ以下では増殖しにくく、摂氏約一〇度以下では死滅はしないがほぼ増殖をやめ、また死滅に要する加熱温度は、証人白取剛彦の当公判廷における証言によれば、魚肉練製品等の加熱処理の過程では製品の中心温度が瞬間でも七五度に達すれば同菌は死滅すると考えられる。なお大腸菌の耐熱性も右とほぼ同様である。
2昭和四三年六月四日製造のさつまあげの数量及び販売先 本件各採証証拠によれば、以下の事実が認められる。
(一) 六月四日被告人方製造のさつまあげの総数は八万三四一〇枚であり、それぞれ以下のとおり木箱、ダンボール箱に詰められ、同日及び翌日中に全部卸売業者に出荷され、あるいは冷蔵会社に入庫されている。
(二) 木箱詰め分 木箱詰めのさつまあげは、木箱に記されている記号により、大印、印と通称されているものであるが、大印が三一六組(四箱一組、一組二〇〇枚)、印が五組(同上)、合計三二一組、六万四二〇〇枚が製造され、印五組は非冷凍のまま製造当日(六月四日)午後四時すぎころ字都宮に出荷された。大印中一〇〇組は、同日午前一一時ころ日本冷蔵株式会社塩釜支店に一時冷蔵保管のうえ、いずれも非冷凍のまま同日または翌六月五日朝、うち六〇組が岩手県水沢市及び福島県郡山市方面へ、残り四〇組も六月五日中に出荷(出荷先不明)され、二一六組は製造当日午後四時から五時ころまでの間に仙塩水産加工業協同組合事務所製氷冷凍庫に冷凍保存のため入庫された。以上の木箱詰め分からはサルモネラ菌が発見されたり、販売先でサルモネラ菌中毒が発生したことを窺わせるような事実は見受けられず、本件起訴の対象外である。
(三) ダンボール箱詰め分 右製造当日には合計七九箱(一箱は一二袋、二四〇枚、合計一万八九六〇枚)が製造・梱包され、同日午後二時ころに三箱が東北日通株式会社の自動車で白石市へ、午後三時ころ三二箱が東北菱倉運輸株式会社の自動車で岩手県盛岡市、北上市、紫波郡紫波町、宮城県栗原郡築館町、同郡栗駒町へ、午後四時ころに一四箱が第一貨物自動車株式会社塩釜支店の自動車で山形市ほか四か所へ、翌六月五日午前六時ころ三〇箱が千葉運送店の自動車で仙台市内へ、それぞれ各所の卸売業者に宛てて出荷されたが、うち午後二時発送分(白石市向け)及び午後四時発送分(山形市ほか四か所向け)については出荷先方面からサルモネラ菌が発見されたり、あるいはサルモネラ菌中毒が発生したことを窺わせるような事実は見当らず、本件起訴の対象外である。他方、午後三時ころ出荷分(三二箱)は、東北菱倉運輸株式会社の自動車により同日午後八時ころ宮城県古川市古川魚市場に五箱(一二〇〇枚)、午後九時ころ同県栗原郡築館町字町屋敷八九番地有限会社丸大魚市場に三箱(七二〇枚)、午後一〇時二〇分ころ同郡栗駒町岩ヶ崎字六日町二七番地株式会社岩ヶ崎魚市場に二箱(四八〇枚)、六月五日午前零時三〇分ころ岩手県北上市青柳町一丁目五番三八号北上水産株式会社に一〇箱(二四〇〇枚)、同日午前一時ころ同県紫波郡紫波町北日詰字白旗一一〇番地日詰水産物商業協同組合に二箱(四八〇枚)、同日午前一時二〇分ころ同県盛岡市菜園一丁目一〇番二〇号丸一魚類株式会社に一〇箱(二四〇〇枚)をそれぞれ運送し、また六月五日午前六時ころ発送分の三〇箱は、六月四日夕方から被告人方冷蔵庫で非冷凍のまま保管されていたものであるが、千葉運送店の自動車で仙台市宮城野二丁目一二の三仙都魚類株式会社に運送された。なお、六月四日午後三時ころ出荷分のうち、古川市へ運送された五箱については前同様サルモネラ菌に汚染されたことを窺わせるに足りる事実は見受けられず、本件起訴の対象となつていない。
(四) その他 以上の木箱詰め及びダンボール箱詰め分のほか、六月四日被告人方で製造されながら、形が整つていない、あるいは色着きが悪いなどの理由により商品価値が若干劣るが食用に供することのできるもの(いわゆるはね物の一部)は、ビニール袋(一袋一〇枚入り)二五袋(合計二五〇枚)に詰められ、六月五日午前四時三〇分ころ塩釜市内の塩釜水産物協同組合内安藤武志方に出荷されたが、同人方出荷分から一名の食中毒患者が発生したことを窺わせる証拠(安藤武志の司法警察員(昭和四三年七月一一日付)及び検察官に対する各供述調書)もあるが、詳細は不明で起訴の対象となつていない。
3食中毒の発生と被告人方で製造したさつまあげとの因果関係
本件各採証証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 別紙被害一覧表記載の各被害者が、同表記載の発病日時ころ、サルモネラ菌による食中毒に罹り、うち佐々木次男ほか三名が死亡し、三〇〇名が同表記載の加療またに全治日数を要する下痢、腹痛、嘔吐、発熱等の症状に陥つたことは明らかであるが、右被害者らは全て被告人方製造にかかるさつまあげを摂食していること、いずれも当該被害者自身につき検便または死体解剖によりサルモネラ菌が検出されたか、または当該被害者自身ではないが、当該被害者が摂食したさつまあげと同一機会に購入された被告人方のさつまあげを同一機会に摂食した家族等、もしくは同じ業者から同じ日に被害者が摂食したさつまあげと一緒に売られていた被告人方のさつまあげを購入して摂食した他の者からの検便あるいは食べ残したさつまあげの検査により同菌が検出されていること、各被害者とも症状はいずれも同菌による前記の一般的症状と共通の様相を呈し、またさつまあげを食べてから発病するまでの期間は同菌による食中毒の場合の潜伏期間と概ね一致すること、被害者中には検便によつてサルモネラ菌が検出されなかつたものもいるが、それは、同菌に感染した場合でも、抗生物質の投与による菌の死滅あるいは菌の早期の体外排出等により起こり得ること等に加え、本件食中毒がほとんど同時期に場所を異にした各地で多発しているが、外にこれらの原因となるような共通の食品は認められないことを考え併せると、各被害者が摂食した被告人方製造にかかるさつまあげにはいずれもサルモネラ菌が付着しており、右被害はこのさつまあげを摂取したことによるものと推認するに十分である。
(二) 右中毒の原因となつたさつまあげの製造年月日について
(1) 別紙被害一覧表番号九ないし一一、一三、一五の5ないし7、一七、二〇ないし二二(以上、とくに表示のないものは枝番号を含む、以下も同じ)の各被害者について、同番号九ないし一一(八六名)、同一三(一三名)、同二〇ないし二二(二六名)の各被害者が購入・摂取したさつまあげは、被告人方工場から前記東北菱倉運輸株式会社を経て前記北上水産株式会社、有限会社丸大魚市場、株式会社岩ケ崎魚市場にそれぞれ販売され、更に高橋参次郎、斉藤喜三郎ら卸売業者、小売業者の手を経て右各被害者に販売されたもの、同番号一五の5ないし7(三名)及び同番号一七(二名)の各被害者が購入・摂取したさつまあげは、被告人方工場から仙都魚類株式会社に販売され、更に株式会社大新、高橋源六ら卸・小売業者の手を経て(番号一五の5ないし7)あるいは菅原照夫、石田庄松ら卸・小売業者の手を経て(番号一七)右各被害者らに販売されたものであるが、右販売過程等を検討すると、当時の各業者の仕入れ販売状況、とくに前日(昭和四三年六月三日)仕入れ分の残りが右各被害者に売られる可能性がないこと等から、被告人方から六月四日に出荷された分以外のさつまあげが、右各被害者らに販売される可能性はなく、これらのさつまあげが被告人方で六月四日に製造された分であることが明らかである。
(2) 右以外の被害者について
右以外の被害者については、証拠上被告人方で六月四日に製造したさつまあげを購入・摂取する可能性のほかに、被告人方で同日以前に製造・販売し、卸・小売業者のもとで売れ残つたさつまあげまたは同日以降に製造・販売されたさつまあげを被害者が購入・摂取する可能性もあり得るので、以下に検討する。同表番号一ないし七及び一二の各被害者の購入・摂取したさつまあげは、被告人方工場から東北菱倉運輸を経て丸一魚類株式会社へ販売され、さらに米澤治郎吉、中村藤一ら卸・小売業者の手を経て直接あるいは矢羽々ミイら行商人らにより右各被害者に販売されたもの、同番号八、同一四の各被害者の購入・摂取したさつまあげは、東北菱倉運輸を経て日詰水産物商業協同組合に販売され、さらに吉崎啓三の手を経て右各被害者らに販売されたもの、また同表番号一五の1ないし4、一六、一八及び一九の各被害者の購入・摂取したさつまあげは、被告人方から仙都魚類株式会社に販売され、さらに大和水産株式会社、株式会社大新、株式会社みつわら卸・小売業者らから、沢口豊治ら小売業者の手を経て右各被害者らに販売されたものである。
ところで右の各さつまあげ販売経路及び六月四日前後の各業者の仕入れの日時、数量と販売の日時、数量等を検討すると、右の同表番号一の16ないし26、二の17、四、六、七、一二及び一五の1ないし4の各被害者の購入したさつまあげは、右丸一魚類株式会社あるいは株式会社みつわで前日の売れ残り分がある場合にはそれを当日仕入れ分より優先させて販売するという右各社の方針どおりに販売していたとすれば、右各被害者らの購入したさつまあげは、前日である六月三日以前に製造されたさつまあげの売れ残り分が販売された後、あるいは六月五日以降に製造されたさつまあげが販売される前に販売された被告人方で六月四日に製造したさつまあげであることになり、次に同番号一の1ないし15、二の1ないし16、三、五、一六、一八、一九の各被害者の購入・摂取したさつまあげは、同様に検討すると、いずれも各業者の仕入れの日時・数量と販売の日時・数量との関係にやや不明確な部分があり、六月四日以外の日に製造されたさつまあげである可能性が否定し切れない反面やはり、仕入れの順に販売されるとすれば六月四日製造のさつまあげである可能性があるものであり、一方同表番号八、一四の各被害者の購入・摂取した分については、その販売経路等からみて被害者らが被告人方で六月四日に製造したさつまあげを摂食する可能性はあるが、もしそれぞれ日詰水産物商業協同組合、大和水産株式会社が厳格に前同様の各社の方針(日詰水産については配給表―昭和五三年押第八号の一二)どおりに仕入れ日の順に販売していたと仮定すると、被害者らが購入・摂取して中毒を生じたさつまあげは逆に六月四日製造分でないことになるのである。
(3) しかし、右各卸売業者らが前日仕入れ分を当日仕入れ分に優先して販売することは一つの方針であつてそれによることが多いと考えられる反面、実際の販売は仕入日分ごとに明確に区分けして順番に販売するものではないのであるから、時にはその順序が前後してしまう場合もあり得ることは容易に考えられるところであり、右の各仕入れ日・販売日の順序と販売数量のみをもつて六月四日製造分が、本件各被害者に販売されたか否かを判断する決め手とするのは相当でなく、その他の諸事情を総合して判断しなければならないのである。そこで検討すると、前記のとおり各販売経路からみて各被害者についてその摂食したさつまあげが六月四日製造のさつまあげである可能性があること、前記第四の二の3の(二)の(1)記載のとおり、すでに一三〇名という多数の被害者についてはその食中毒の原因となつたさつまあげが明らかに六月四日製造分であることが認められる反面、起訴の対象外となつたその他の被害者を含めて検討しても、明らかに同日製造分以外のさつまあげから発病したと認められる事例がない(もつとも、告発書添付の調査報告書によれば、同月七日製造分から発病したと思われる例が一例あげられているが、右を確認すべき証拠はほかになく、また右の被害は六月四日製造分のさつまあげを扱つた前記丸大魚市場から冷蔵庫保管ののち小売業者に渡され、さらに被害者に販売されたものであるから、被調査者の記憶違いあるいは流通経路における二次汚染の可能性も考えられ、明らかに六月四日製造分以外の汚染されたさつまあげが被告人方工場から出荷されたことを証明するものとはいえない)こと、後述するように被告人方製造の、六月四日の前後数日間の木箱詰め分の冷凍さつまあげの抜き取り検査の結果、六月四日製造分のみから大腸菌及び特異的に多量の生菌が発見されており、また六月四日分のみが後記のような成型されたすり身の厚さの不揃いや油温低下と相まつて製造工程においてサルモネラ菌が製品にも生き残り得る状況にあり、大量の汚染が生じうる合理的可能性が認められることを総合すれば、前記のように仕入れ順に販売されれば明確に被告人方の六月四日製造分を被害者らが購入・摂食したことになるものはもちろん、それほど明確でなくてもその可能性のあるもの、さらには厳格に仕入れ順に販売されると仮定すると疑いを生ずるものについても、やはり被害者らは被告人方の六月四日製造のさつまあげを摂食し、それが本件食中毒を惹起したものと認めるのが相当である。
三 具体的汚染経路について
1汚染されたさつまあげの枚数
本件各採証証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、別紙被害一覧表記載の各被害者が直接摂食したサルモネラ菌に汚染されたさつまあげの枚数は、各被害者方で購入したさつまあげの枚数から算出すると、丸一魚類株式会社販売分から合計一九二枚、日詰水産物商業協同組合販売分から五枚、北上水産株式会社販売分から一四〇枚、仙都魚類株式会社販売分から七〇枚、有限会社丸大魚市場販売分から二五枚の合計四五一枚である。しかし、本件各被害の発生状況をみると、六月四日製造のダンボール箱詰めさつまあげ七九箱(合計一万八九六〇枚)中白石市に出荷された三箱、第一貨物自動車株式会社を経て山形市ほか四か所に出荷された一四箱を除く六二箱(合計一万四八八〇枚)がそれぞれさらに数箱ずつに分けられて七業者に販売されているところ、そのうち古川市古川魚市場(五箱販売)を除く六業者の販売経路(五七箱合計一万三六八〇枚分)からすべて被害が発生しているなど被害は地域的にみてきわめて大きなひろがりをもつていること、被告人方で六月四日午後に製造したさつまあげのうち午後三時までに製造して発送した分(東北菱倉運輸株式会社運送分)及び同日最後に製造して翌六月五日午前六時に発送した分(仙都魚類宛)からそれぞれ被害が発生し、汚染の継続した時間もひろがりのあること、起訴の対象とはなつていないが、仙台市内等に六月八日前後ころに本件被害と同様の食中毒症状に陥つた者が相当数あり(このうちかなりの者からサルモネラ菌が検出されている)、その大部分は被告人方で六月四日に製造したさつまあげを摂食したことが窺われること、汚染されたさつまあげを熱処理して摂食したため菌が死滅ないし減少したり、比較的早期に摂食したため、菌の増殖がそれほど進まずあるいは摂食者の体力が優れていたため発病しなかつた例が窺えること、症状が軽いため医師の治療を受けず、受けても医師が食中毒として処理・報告しなかつた場合も考えられること、本件が保健所関係者に覚知されてからあるいは食中毒の報道があつてからかなりのさつまあげが廃棄されていることが窺われるが、その中に本件により汚染されたさつまあげが含まれていたことも考えられること等を総合すると、サルモネラ菌により汚染された被告人方六月四日製造のさつまあげは、数千枚またはそれ以上(証人門間洋の控訴審における証言によれば、同証人は疫学的調査の結果一万数千枚以上と推定している)であつて、前記の四五一枚をはるかに上回る数であつたことは十分推認できる。
2被告人方工場内を俳徊していた鼠とサルモネラ菌の保有 本件各採証証拠によれば、次の事実を認めることができる。
前記第三の二で述べたような被告人方工場内の各所から鼠の糞や鼠の巣様のものが発見され、また鼠そのものが発見された事実からみれば、昭和四三年六月四日及びその前後を通じて鼠が被告人方工場内をかなり頻繁に俳徊していたことは明らかというべきであり、また第四の二で述べたように、サルモネラ菌は一般に鼠等の体内に保有され、その糞尿によつて媒介されるものであるところ、塩釜保健所が同年六月から一〇月までの間に塩釜市内で実施した鼠の捕獲、駆除に伴う市内二地点における鼠のサルモネラ菌保有検査の結果、三七匹中六匹(いずれも二地点合計)、約一六パーセントという高率でサルモネラ菌を保有しており(一般的な鼠のサルモネラ菌保有率は約二パーセント)、本件当時塩釜市内の鼠の間に強いサルモネラ菌の流行があつたことが窺われること(なお、弁護人主張のとおり、右鼠の捕獲地と被告人方工場との間に二キロメートル余りの距離はあるが、他方サルモネラ菌が鼠の間に流行しやすいことが認められるから、鼠一匹の行動半径を二〇〇メートル程度と考えても、被告人方工場がその流行の範囲内にあつたと考えることは充分合理性がある)に加えて、本件後間もない六月一〇日に行なわれた塩釜保健所員らによる被告人方工場内の機械器具等のふき取り検査の結果及び同月一五日に塩釜警察署員が工場内で採取した鼠の糞、工場内で捕獲した鼠等につき宮城県衛生研究所が検査した結果、六月一〇日工場内一階製造工場に置かれていた清掃済みの合成樹脂製魚肉入れ用バット一個の内側及び六月一五日に同工場内で捕獲された鼠一匹の内臓からいずれもサルモネラ菌が検出されたことをも併せ考えれば、昭和四三年六月四日の前後にわたり、同工場内を俳徊していた鼠の少なくとも一部がサルモネラ菌を保有していたものと推認するに充分である。さらに、鼠の習性として、夜行性でかつ音に敏感ではあるが人間の生活習慣に順応する力が強く、日中でも一定の時間帯に人がいなければ室内を歩き回ることがあり、また常時発せられている音にも慣れ易いことが認められるのであるが(差戻し前の証人湯山洋介の証言参照)、被告人方工場では毎日昼休みの午後零時ころから午後一時ころまでの間は製造場は無人となり、その間に発せられる物音は放冷機備付けの送風機の単調な音だけであるから、鼠が昼休み時に工場内を俳徊することは充分可能と考えられるところ、本件後の立入検査時に、同工場二階において鼠の運んだと思われる腐敗したさつまあげ約三キログラムが発見されたが、さつまあげは夜間は一切冷蔵庫に入れられ鼠が運ぶことは不可能であることから、これは昼休み時間内に運んできたものと考えられ、以上を総合すれば、サルモネラ菌を保有する鼠が六月四日とくにその昼休み時間中に工場内を俳徊していた蓋然性は高いということができる。
3六月四日当日鼠の糞尿によりサルモネラ菌がさつまあげの原材料を汚染した事実
(一) 玉ねぎの汚染可能性 被告人方工場で製造・販売されたさつまあげからサルモネラ菌が検出されたことは前記のとおりであるから、まず被告人方工場内におけるサルモネラ菌による汚染の可能性が吟味されるべきである。その場合なによりも注目されるのは、前記のとおり被告人方工場内の清掃済みの合成樹脂製の魚肉入れ用バットから具体的にもサルモネラ菌が検出されているということである。もつとも、この菌の検出は前記のとおり本件製造当日の検査によるものではなく、その六日後の六月一〇日のふき取り検査の結果によるものであつて、本件当日の右バットのサルモネラ菌汚染を直接に証明するものではないが、しかし関係証拠上認められる被告人方工場においては右バット等の容器は毎日の作業後水洗いされていたことやすでに六月八日にはさつまあげの製造が中止されていた事実にかんがみれば、その後の検査時点においても右バットにサルモネラ菌が付着していたことは、単に右検査当日における同菌の存在を証明するに止まらず、本件製造当日の前後ころにも右バットの周辺が鼠の糞尿によるサルモネラ菌汚染の起り易い状況にあつたことを強く示唆するものというべきである。そして、関係証拠によれば、右バットは主原料である魚肉を入れるとともに副原料である刻み玉ねぎを入れるのにも使用されていたことが認みられるから、魚肉については後に見ることとし、ここで玉ねぎの汚染可能性を検討することとする。
本件各採証証拠によれば、次の事実を認めることができる。
さつまあげの副原料である玉ねぎは、女子作業員によつて皮をむかれ、水洗いされた後、専用刻み機(玉ねぎ切機、カッター、専用擂潰機とも呼ばれる)により細かくみじん切りにされて(被告人によれば二ないし三ミリメートル角くらい)魚肉入れ用バットに一杯に入れられ、金属製のバットに入れられた千切りの人参とともに、練り臼付近の床に台代りに置かれた魚箱(前記のとおり高さ一〇センチメートルくらい)の上に載せておいて、練り臼で魚肉が練り上がるころ作業員の手によりひとすくいずつ練り臼に入れられ、魚肉、人参等と練り合わせられる。通常一日の製造にバット一個分か二個分が使用される。この玉ねぎを刻んだ状態については充分明らかでない点もあるが、手ですくつて臼に入れるところからみて完全な溶液状態であるとは考えられないが、元来水分を多く含んでいる玉ねぎをさらに機械で細かく裁断するのであるから、水分がかなり出たものでバットの底部にゆくほど溶液状態に近いものであつたと考えられる。被告人の当公判廷における供述にも一部これに添う部分があり、また差戻し後の証人門間洋が同玉ねぎの状態について直接これを見た者からほとんど液体状態に近いものとの報告を受けていた旨述べていることからも、右の推測が裏付けられる。
そして六月四日の玉ねぎの係は斉藤しめ子であつた。同女は同日午前一一時ころと午後三時ころバット一個分ずつの刻み玉ねぎを作り、これが右の方法で当日のさつまあげの副原料として使用された。なお、刻み玉ねぎ入りのバットは作業中はもちろん昼休み時間中も蓋をされず、前記の魚箱の上に置かれたままであつた。
ここで鼠が刻み玉ねぎ入りバット及びその周辺を俳徊する可能性を考えてみると、これらは製造場内の排水口近く、鼠の俳徊しやすい場所であること、関係証拠によれば付近には鼠の好む人参が置かれ、また練り臼に入れる際にこぼれ落ちた澱粉などのあることが認められることから、鼠が食物を得やすい場所であること、鼠の運動能力(差戻し前の証人湯山洋介の証言、差戻し後の証人高田徹四郎の証言参照)からみて鼠が右魚箱上に置かれた刻み玉ねぎ入りのバットの縁にのぼり、あるいはバット内に出入りすることは容易であること等から判断すれば、昼休み時間などに鼠が餌を求めて右バットの付近を俳徊しバットの縁またはその内部にあがり糞尿をする可能性は十分認められるところといわねばならない。なお、鼠が玉ねぎを好んで食べるか否かは明らかでないが、右に述べたことは鼠が刻み玉ねぎそのものを食べるか否かと密接に関連するとは考えられない。
ところで、すでに述べたとおり、当日午後一時ころから製造され午後三時ころ東北菱倉運輸株式会社により盛岡市ほか四か所に出荷されたダンボール箱詰め三二箱のさつまあげ及び同日最後に製造され翌早朝干葉運送店の自動車で仙台市内に出荷された同三〇箱のさつまあげから、広地域にわたり多量の本件サルモネラ菌中毒の被害が発生しているのであるが、かような広範な被害を生じさせるためには多量のさつまあげの汚染、換言すれば多量のさつまあげにサルモネラ菌が付着・混入することが必要となるが(前記第四の三の1の汚染されたさつまあげの枚数参照)、その原因として副原料である刻み玉ねぎの一部にサルモネラ菌を保有する鼠が糞尿をしたと考えるとき、それが前述したように水分を多く含むことから容易に同一バット内の刻み玉ねぎのかなりの部分に同菌が広がり、それが少量ずつ練り臼内のさつまあげのすり身に混入することによつて多数の成型されたすり身にサルモネラ菌が練り込まれて行くことが可能となるのである。また練り臼内での練り合わせ自体により一部の汚染がその全体にひろがり易く、さらに練り臼の使用方法として、一度の練り合わせが終つた後も、臼を洗うことなく、両手に一杯すくえる位のすり身が残つているまま次の魚肉等を入れて再び練り合わせていたことが認められるから、前に入れられたすり身の汚染が次に入れられるすり身にひろがることも可能となるのである。そして本件においては前述したように、一方において六月四日被告人方工場で製造されたさつまあげからサルモネラ菌中毒が発生し、他方において六月四日の昼休み時間中にサルモネラ菌を保有する鼠が工場内を俳徊した蓋然陛が高いことにかんがみれば、その昼休み時間中にその鼠がバット内の刻み玉ねぎの一部に糞尿をした可能性が高いと考えられる。それにより同日午後製造分のさつまあげの大部分がサルモネラ菌に汚染されるに至り、さらに後に詳細に検討するように同日断続的な成型不良があり、かつ少くとも同日午後二回以上にわたつて油釜の油温が低下したことがあつたとすればさつまあげに練り込まれていたサルモネラ菌が油にもかかわらず死滅しないで生き残つたものと考えられるのである。前述のような、同日午後一時ころから製造され午後三時ころ出荷された三三箱と同日の最後に製造され翌日早朝出荷された分から広範な被害が発生しながら、その両者の間の時間帯に製造され午後四時ころ山形市ほか四方面に出荷された一四箱等のさつまあげから被害が発生していないこと(このときには油の不完全さなどがなく成型されたすり身に練り込まれていたサルモネラ菌は死滅したと考えられる)も、事態を右のように見るときよく整理し、その関係がはじめてよく理解されるのである。
以上のように考えれば、六月四日の昼休み時間中に、サルモネラ菌を保有する鼠が被告人方のさつまあげ製造場内を俳徊してバット入りの刻み玉ねぎに糞尿をすることによりこれを同菌に汚染させた蓋然性はきわめて高いというべきである。
(二) 成型不良及び油温低下によるサルモネラ菌の生き残り 前項に述べたように、刻み玉ねぎがサルモネラ菌に汚染された蓋然性は高いのであるが、同菌の耐熱温度は摂氏七五度前後であることはすでに述べたとおりであるから、以後の油の過程でさつまあげの内部まで右の温度以上に加熱されていれば同菌は死滅し本件汚染の原因とはなり得ないので、その点につき検討するのに、本件各採証証拠によれば、次の事実が認められる。
(1) 形成機及び油釜について
形成機は製造場の練り臼のそばに一台置かれ、練り上げられたさつまあげの原材料をさつまあげを型どつた回転ドラムに押し込むことによつてさつまあげを成型するもので、縦、横の長さはそれぞれ六センチメートル、一一センチメートルとなるように固定されているが、厚みはハンドルで調整が可能で(通常は八ミリメートル程度に調節され、そうすれば製品もほぼ均一の厚さのものが製造でき、塩釜市内の同業者のほとんどは右厚さに調節している)、厚さを増すと製品に厚い部分と薄い部分のむらができ、均質な製品とすることが困難になる(廣田望の検察官に対する昭和四五年一月一三日付供述調書)。当時形成機を担当していたのは伊藤操である。
油釜は、製造場の北寄りに主に成型されたすり身を煮る役目を果たすいわゆる生釜と、色づけを主たる役目とするいわゆる仕上釜が各一台ずつ接続して設置されており、形成機で成型されたさつまあげのすり身はまず適温が一四〇度ないし一五〇度の食用油の入つた生釜に入れられ、その中に備付けてある金網コンベアにのせられ、約一分二五秒間かかつて移動したうえ(一部は生釜の終了間際で浮上し送り羽根によつて送られる)、適温が一七〇度ないし一八〇度の食用油の入つている仕上釜に入れられ、同所ですぐ浮上して反転送り羽根により順次反転させられながら約一分三五秒で、同釜内を送られて自動的に引きあげられる。これらの加熱は各釜に二個ずつ設置されている重油バーナーを燃焼させて行なう。本件当時右バーナーの調整を含む油の作業を担当していたのも伊藤操である。
(2) 成型不良及び油温低下の事実 まず六月四日当日のさつまあげの成型が不良であつたことについては、同日製造のさつまあげで仙塩水産加工協同組合に冷凍保管されていたもののうち、塩釜保健所が収去した六枚についてその形状、厚みを測定したところ、周囲が盛り上がり中央がくぼんでいるなど厚さが均一でないものが多く、一枚につき五か所を測定した平均値をさらに六枚につき平均するとその厚さは11.4ミリメートル、最も厚いさつまあげは最厚部16.4ミリメートル、中心部は13.4ミリメートルに達するものがあつたこと、(白地良一の司法警察員に対する昭和四四年三月一三日付供述調書)これらは油、冷凍、解凍の経過を経た末の厚さであるが、実験によれば右解凍後の原さはほぼ油前のさつまあげの原型の厚さと等しくなる(廣田望作成の昭和四四年二月二七日付「捜査関係事項の照会について」と題する書面)ことが確認されていることから、油前のさつまあげの原型も全般的に厚く、むらがあり、中心部においても一三ミリメートルを超えるような成型不良のあつたことが明らかに認められる。
次に油温が低下したことについては、油釜係の伊藤操が、六月四日少なくとも午前中には一〇時ころに一回、午後は一時から二時までの間及び二時から三時までの間に各一回ずついずれも四、五分程度以上釜の傍を離れ、右の伊藤操の各不在時にいずれも生釜の油温が摂氏一三〇度以下にまで下つていることが付近の作業員により、同釜に備付けられているメーターで確認され、同作業員らが伊藤操を呼びにいつたり、油釜の操作につき専門的な指導を受けたことのない宍戸亨ら別の作業員がバーナーの火炎を強くするなどしていること(伊藤はいん唖者でバーナーの音の変化を聞き取れないので平常被告人から他の従業員らに注意するよう指示していたこと、右バーナーは燃料のかす等がつまつて燃焼が不良になることがあり、また燃料と空気の調整が適正に行なわれないとうまく燃焼しないので経験の深い者が常に傍にいて油温に注意しバーナーを操作していなければ油温が下がる状態にあつたのに(小野仁喜治の差戻し後の第一一回公判証言参照)、伊藤操が油釜の係になつたのは昭和四三年二月ころでまだ経験不足であつたうえ、同人は本件の前にもしばしば釜の傍を離れるので、他の作業員がバーナーの炎が弱くなつたり消えたりしているのを目撃していること)などが認められ、これらによれば六月四日の午前、午後とも生釜の油温が下つたことが優に認められるところであるが、さらに廣田望作成の昭和四五年一月三〇日付「さつま揚鑑定に関する件」と題する書面、証人白取剛彦の当公判廷における証言、同人の控訴審(第七回、第八回)証言、同人作成の昭和四五年三月一六日付鑑定書によれば、さつまあげはその厚さを増すことにより、同じ油温で油した場合でもその中心温度は著しく低くなり白取剛彦の油実験によれば、被告人方の油と時間的条件を同一にすれば、生釜が摂氏一三〇度、仕上釜が一八〇度の場合にさつまあげの厚さを一二ミリメートルにすると、中心温度は79.5度まで達するが、一五ミリメートルにすると65.3度にしか達しない例が見受けられること、証人門間洋の当公判廷における証言、同人の控訴審(第五回、第六回)証言及び告発書添付の調査報告書によれば、被告人方で昭和四三年六月初旬の数日間に製造され木箱詰めとなつて冷凍・保存されていたさつまあげの一部を抜き取り検査した結果、六月四日製造分のみの内部から大腸菌及び他の日に比して特異的に多い生菌を検出したのであるが、右は冷凍されているため、さつまあげの外部に付着していた大腸菌が内部に及ぶとみることは困難である(これは同様の性質を有するサルモネラ菌についての実験で確認されている)から、右大腸菌はさつまあげの内部に練り込まれていながら油によつても死滅することがなかつたものと考えられるところ、大腸菌の耐熱性はサルモネラ菌と同じく摂氏約七五度前後であるから、少なくとも同日の午前中にはさつまあげの内部が摂氏七五度前後に達しないような油のトラブルがあつたことは動かし難い事実として認めざるを得ない。
(3) 以上を総合して判断すると、六月四日においては、形成機によるさつまあげの成型がかなりの時間断続的に不良に行なわれ、部分的に正常な状態よりもかなり厚いさつまあげが多数油に付され、他方、バーナーの不良、油釜係の不在等により、生釜の油温も午前、午後を通して数回にわたつて低下したため、これら両者のトラブルが相俟つて、油時にも内部の一部が摂氏七五度前後に達しないさつまあげが製品化され、その結果その一部にサルモネラ菌を生き残らせたものと推認できる。
ところで、弁護人らは、成型の不良につき、機械の構造等からそのような不良はあり得ないこと、油温の低下に関する伊藤操、重泉、宍戸らの供述には信用性がなく、また前記廣田望の油実験から、生釜の油温が一三〇度程度に下ればさつまあげが仕上釜で停滞するため作業に支障をきたす筈であり、作業に支障をきたさないままサルモネラ菌が生き残るような過程は有り得ない旨主張するが、六月四日に製造されたさつまあげの中に成型不良のさつまあげが、相当数客観的に存在している事実及び明らかに油温の低下があつたと認められることはすでに述べたとおりであるが、油温の低下について補足すればこれに沿う伊藤操、重泉清美及び宍戸亨の各供述は具体的で内容もほぼ一致しているうえ他の関係証拠とも大きな矛盾がなく、十分信用することができるし(なお、同人らは本件発生後油温低下の事実を捜査官に漏らさないように奥田博らに口止めされたことをも述べている)、廣田望の実験結果に関しても、弁護人の引用する資料はいずれも仕上釜を被告人方における通常の温度より低い一六〇度に設定した場合であり、六月四日に仕上釜の油温が下つたことを窺わせる証拠もないこと、なるほどヤマト水産加工研究所の実験によれば仕上釜が一八〇度であつても生釜が一三〇度以下であれば作業が停滞することは認められるが、宮城県水産加工研究所における実験によれば、さつまあげの形状が若干異なるとはいえ、仕上釜を一八〇度に設定すれば、生釜が一一〇度の場合なら厚さが一二ミリメートルから一六ミリメートルまでの各さつまあげの全てが、また生釜が九〇度でも一二ミリメートルから一四ミリメートルのさつまあげが仕上釜投入後直ちに浮上することが報告されているのであり、結局油温の低下が作業に支障をきたすか否かは、さつまあげの形状、厚さ、すり身の温度等の条件によりかなり異なることが考えられるので必ずしも右実験結果が前記の判断を否定するものとはいえない。このことは前記抜き取り検査の結果、内部が七五度前後に達しなかつたと認められるさつまあげが製品化されている事実からも客観的に裏付けられるといわなければならない。
(三) 玉ねぎの汚染可能性についての結論
以上によれば、六月四日の昼休み時間内において、被告人方工場の前記魚肉入れ用バット入りの刻み玉ねぎがサルモネラ菌保有鼠の糞尿により汚染され、それが当日の成型不良及び油釜(生釜)の油温の低下という製造条件と相俟つてその後の製造工程においても同菌が生き残り、これが本件食中毒の原因となつた蓋然性はきわめて高いと認めるのが相当である。
(四) 人参、魚肉の工場内汚染の可能性 副原料である人参については、専用の裁断機で千切りにすること、穴のあいた金属のバットに入れておき、小さい練り臼の場合は一つに約三キログラム、大きい練り臼の場合はその倍量という多量を入れてゆくほかは、その加工、そのさつまあげ製造の際の使用過程はほぼ玉ねぎの加工、使用過程と同様であり従つてそのことからすればさつまあげの製造工程中ほぼ玉ねぎの場合と同じ段階で鼠の糞尿により汚染される可能性があり得ることになる。もつとも人参自体は玉ねぎに比べればやや水分が少ないうえ、バットに穴もあいており、溶液状態とは到底いえない状況で保存されること、一つのバットから一つの練り臼に配られる量が多く、したがつてそれが玉ねぎのように多数の練り臼に投入されることはないこと等から、菌のひろがり方は玉ねぎに比べてかなり劣るものと考えられその意味でサルモネラ菌による汚染の可能性は少ないともいえるが、小さな練り臼(魚肉四〇キログラム用)ならば七〇〇枚、大臼(魚肉八〇キログラム用)ならば一四〇〇枚分のすり身がそれぞれ一回の練り合わせで製造されること、練り臼の数(大日三個、小臼四個)、容量と、午後の製造枚数との関係から各練り臼は六月四日の午後に少なくとも二回以上使用された可能性が大きいこと、臼の使用方法は前記のとおり練り臼で練り合わされれば一部の汚染が練り臼全体にひろがり易く、また一回目の練り合わせ時に汚染があれば、二回目にもかなり強い汚染がゆきわたり得るようなものであつたこと、右のようにして汚染されたすり身はステンレス製のバットに入れられて形成機に運ばれる際同バットを汚染することによつて他の臼から運ばれるすり身をも汚染する可能性があること、包装段階においては女子作業員二人がそれぞれ別に袋詰めをしており、また、袋詰めが間に合わない場合には一時的にトロ箱へ入れ、後で手がすいた時に袋詰めするなどして別々に包装されて販売されることになるため汚染されたさつまあげが地域的にもかなり広がる可能性があること、後述のように当時の気温、湿度はかなり高く、包装状態等からも菌の増殖には良好な条件がそろつていたといえることなどから判断すると、人参についても玉ねぎほど本件被害結果に合致するとはいえないにせよ、相当数の成型されたすり身にサルモネラ菌が練り込まれて、その結果右本件程度の被害を生ぜしめることは不可能とはいえず、被汚染物質である可能性を全く否定することはできない。
次に主原料である魚肉については、鼠の糞尿により汚染される可能性のある過程は、後述のように脱水作業以前には考えられないが、差戻し後の証人重泉清美の証言(第七回)、同人の検察官に対する供述調書、小野京子の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、筋取機から細かく裁断された状態で出てきた魚肉は前記の魚肉入れ用バットにいれられるが、一個のバットに魚肉が一杯にいれられると、上のバットの底が下のバットに入れられた魚肉に接触するような状態で順次筋取機付近に積み重ねられ(ただし上のバットは下のバットの取手状の金具によつて支えられるため、上のバットの底部が下のバットに完全にはまり込むような状態になるわけでなく、下のバットに入れられた魚肉についても外部からの接触が可能である。)、また練り臼に魚肉を投入して空になつたバットは次に使用されるまで洗うことなく付近に立てかけておかれるが、これらの作業過程でバットを直接コンクリートの床上に置くこともある等の情況が認められ、さらにこれらの作業中に昼休み時になると右の状態のままで休憩に入ることが認められるので、以上のような魚肉及び魚肉入れ用バットの取扱い状況に鑑みれば、昼休み時間中にサルモネラ菌を保有する鼠がこれらの積み重ねられたバットの一部に昇るなどしながら糞尿をすることによつて内部の魚肉を同菌により汚染し、あるいは立てかけておかれた使用済のバットの内部あるいはコンクリート床上に糞尿をすることによつてその後同バットに入れられた魚肉または汚染された床の上に置かれたバットの底が積み重ねられた下のバットに入つている魚肉と接触することによりこれを間接的に汚染する可能性は認められるところであり、前記のように本件被害発生後のふき取り検査で魚肉入用バット一個の内側からサルモネラ菌が検出されたことは、これらのバットが日常的にも汚染され得る状況におかれていたことを示唆しており、この可能性を裏付けるものということができる。しかし、脱水処理後の魚肉にはそれほど水分が含まれていないこと、一個のバットから数個の練り臼に入れられることがないことなどからみて菌のひろがり方は玉ねぎはもちろん人参よりも劣る面もあると思われるが、他方一個のバットを洗わないまま(サルモネラ菌が付着していればそのままの状態で)これに数回魚肉を入れる可能性があること、人参よりも長時間練り合わせる事情があつて前記のような練り臼で練り合わされれば一部の汚染が練り臼全体にひろがる可能性はより強く、また一回目の練り合わせ時に汚染があれば二回目の練り合わせ時にも新たな汚染がゆきわたる可能性があることも前記のとおりであるから、脱水処理後の魚肉が鼠の糞尿によりサルモネラ菌に汚染され、その結果本件程度の被害が発生する可能性を全く否定することはできず玉ねぎ、人参と共に汚染源となる可能性がないとまでは断定できない。
四 その他の汚染経路の可能性の有無
弁護人らは、被告人方工場へ搬入する以前の原料魚の汚染の可能性及び製品の工場から搬出後の汚染の可能性がある旨主張するので、その可能性の有無並びに併せて原料魚以外の原材料の工場搬入前の汚染の可能性の有無及び工場内の、すでに述べたところ以外の製造工程等での汚染の可能性の有無について検討することとする。
1原料魚及びそれ以外の原材料の工場搬入前における汚染の可能性
(一) 助宗鱈汚染の可能性について
本件各採証証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 被告人方における主原料である助宗鱈の仕入れ量、さつまあげの製造量及び助宗鱈が水揚げ後被告人方に納入されるまでの概略については、被告人方では昭和四三年六月二日は休業したため同日残つた鱈はなく、翌六月三日に合計一六トン六四〇キログラムを仕入れ、うち約九トン六四〇キログラムを使用してさつまあげ七万六五六〇枚を製造し、残りの約七トンは翌六月四日に持ち越し、同日には合計一三トン三五〇キログラムを仕入れ、三日の残り分との合計二〇トン三五〇キログラムの一部を使用してさつまあげ八万三四一〇枚を製造した。右六月三日仕入れ分は斎和商店(和田元七方)から一〇トン二〇〇キログラムを(午前六時から八時までの間に被告人方に到着)、商店(鈴木喜助方)から三トン一七〇キログラムを(同日午前六時五〇分ころ到着)、庄司商店(庄司二郎方)から三トン二七〇キログラムを(同日午前一一時三〇分ころ到着)それぞれ仕入れ、翌六月四日分は右斎和商店から一〇トン一〇〇キログラムを(同日午前六時三〇分ころまでに到着)、右庄司商店から三トン二五〇キログラムを(同日午後零時ころまでに到着)それぞれ仕入れているが、右六月三日仕入れの斎和商店分、商店分及び六月四日仕入れの斎和商店分は、昭和四三年五月二七日から同月二九日までの間にいずれも漁船から青森県八戸港または北海道釧路港で水揚げされ、同所でいわゆる無頭処理を施されて、各同日または翌日に貨車積みされ(貨車の扉は封印される)、六月二日または六月三日に宮城県塩釜市塩釜魚市場駅に到着し、右各商店からいずれも被告人及びその他数名の業者に卸売りされ、被告人方には自動車輸送されており、次に右六月三日、四日の両日にわたる庄司商店からの仕入れ分は、いずれも六月三日及び四日漁船から宮城県石巻市石巻港に水揚げされ、各同日中に同所で無頭処理を施された後に被告人及びその他の業者に販売され、被告人方にはいずれも各同日中に自動車輸送されている。各仕入れ魚の鮮度は、商店仕入れ分が他のものに比べて単位重量あたりの価格も安く、若干劣つていたこと、また六月三日仕入れの庄司商店の仕入れ分が良好であつたことが窺われるほかは普通であつた。
(2) 六月四日における原料魚の使用状況 被告人方では、通常原料魚が到着するたびに、これを区別して同工場内コンクリート床上に置き、その仕入れの順序に従つて使用してゆく方針であつたが、鮮度の良くないものがある場合はこれを他の仕入れのものと混ぜて使うことがある。六月四日には、前日仕入れた原料魚が約七トン残つており、そのうちには斎和商店からの仕入れ分の一部と庄司商店からの仕入れ分の全部(三トン二七〇キログラム)が含まれることが認められるが、商店仕入れ分については六月三日中に全部使用されてしまつた可能性及び一部が持ち越された可能性がともに否定できない(商店仕入れ分については斎和商店仕入れ分との先後関係も不明であるうえ、その鮮度が他業者からの仕入れ分に比べ多少劣つていたことが窺われるため、他の仕入れ分と混ぜて使用された可能性もあるが、その間の詳細は不明である。)そしてこれら六月三日仕入れ分の六月四日への繰越しについては、六月四日の各仕入れ分についてはとくに鮮度が落ちていたことは窺えないため、前記方針どおりに前日の残り分から先に使用したことが考えられるところ、六月四日午前中に製造されたさつまあげの枚数は、ほぼ同日木箱詰めとなつた六万四二〇〇枚に近い数であり、右枚数の製造に必要な原料魚は前日の例からすれば八トンを超えることが認められ、右繰越し分のほとんど全てが六月四日の午前中に木箱詰め分として使用されてしまつたと認められ、六月四日午後からは主に同日朝の斎和商店からの仕入れ分を使用したものと思われる。もつとも、右は一応の方針であるから、六月三日仕入れ分のごく一部が六月四日午後にまで使用された可能性は少ないとはいえ、否定することはできない。
(3) 原料魚の工場搬入前の汚染の可能性 まず右の仕入れの過程において原料魚が汚染される機会を検討すると、鼠の糞尿により直接汚染される可能性として考えられるのは、捕獲されてから水揚げされるまでの漁船内、陸揚げされてから無頭処理を施され、貨車または自動車に積み込まれるまでの間、貨車または自動車による輸送の途中、貨車が塩釜魚市場駅に到着後封印を解かれてから原料魚が市場内の保管を経て被告人方に向う自動車に積み込まれるまでの間(庄司商店の各仕入れ分を除く)であり、また間接的な汚染の可能性は、少量なものも含めれば、右のほとんどすべての過程で考えることができないわけではない。
右のように工場搬入前の汚染の可能性が一応考えられるので、以下具体的に検討する。六月三日斎和商店からの仕入れ分については、昭和四三年五月二四日及び同月二五日ころ東カムチャッカ方面で捕獲された原料魚は、同月二九日青森県八戸港に約一八〇トン陸揚げされ、うち約七四トンが同市内武輪水産株式会社により同日中に同社処理場で頭部、内臓等の除去(無頭処理)、魚洗機による水洗いをされた後に、同社のトラックに氷とともに積載されて三時間ないし四時間内に貨車に魚の上下に氷を敷きつめる方法で積み込まれ、密閉された貨車により輸送され、六月二日午後三時ないし四時ころ塩釜魚市場駅に到着、貨車積みの状態のまま保管され、斎和商店により同月三日午前六時ころから八時ころまでの間に貨車から降されて被告人方ほか四、五名の業者に売り渡され、被告人方の分一〇トン二〇〇キログラムはそのころ被告人方に到着した。六月三日庄司商店からの仕入れ分については、六月三日午前七時ころ宮城県石巻港に約三〇〇トン以上が陸揚げされ、うち約二三トンが庄司商店により同店工場内で無頭処理及びその前後二回にわたる水洗いをされた後、同日午前一〇時ころには同店の自動車に積み込まれて同所を出発し、うち三トン二七〇キログラムが午前中には被告人方に運搬された(そのほか一か所にも販売されている)。六月四日の斎和商店からの仕入れ分及び同日庄司商店からの仕入れ分については、斎和商店仕入れ分につき五月二七日ころ釧路港に陸揚げされ右同様の無頭処理、水洗いをされた後、一旦タンクに保管され、翌日砕氷五トンとともにバラ積みされている点が異なるほかは、右各商店の六月三日仕入れ分の保存輸送状況とほとんど同一であつた。最後に六月三日の商店からの仕入れ分については、同年五月二八日ころ釧路港に水揚げされ、無頭処理のうえ魚洗機で水洗いされ、氷をかけて保管された後、翌二九日に砕氷1.6トンとともに貨車積みされて、六月三日午前五時ころに塩釜魚市場駅に到着、六月三日午前六時ころ被告人方に向け発送され、午前六時三〇分ころには到着している。右商店からの仕入れ分の貨車輸送については、貨車は厚さ一センチメートルの鉄板を使用した鉄製で、内部は木造冷蔵庫とされ、空気も簡単には入らないようになつており、さらに鉄製の扉には封印がされ、この封印は鮮魚の商品価値を示すものとして販売する時点まで解かれることはないという状態であり、また塩釜魚市場駅では原料魚を人の手によりフォーク等を使用して直接おろしており、これらは斎和商店からの各仕入れ分の貨車輸送の場合もほぼ同様な状況であることが推認される。
また、被告人方工場への搬入前のサルモネラ菌汚染の検討に必要な限度で被告人方工場への搬入後における原料魚の保管状況等についてみると、原料魚は被告人方に到着すると、朝夕の製造作業開始前及び終了後に水道水で洗われたコンクリート床上に仕入れ先ごとに区分されて直接積み重ねられ、順次使用されるが、当日使用の予定のないものは、右積み重ねの段階あるいは夕方の作業終了後原料魚の数量に応じて翌日まで溶け切らない程度の量の氷で覆われ、さらにその上全面に布のシートをかけられて保存される。被告人方工場内においても、最初に魚洗機内で水道水により二分間位洗われ、肉取機で皮、骨を取り除かれた後、晒し機のタンクの水中で攪はん、沈澱を二回にわたつて繰り返したうえ、脱水機において回転による遠心力を利用して脱水されるのである。
ところで、魚等の表面についたサルモネラ菌は通常水洗いによりかなり洗い落とされてしまうというのであるから(差戻し後の証人門間洋及び同白取剛彦の各証言参照)、仮に工場搬入前に原料魚の表面にサルモネラ菌が付着していたとしても、被告人方工場内の練り臼に入れられるころまでには右のような工程によりかなり洗い落とされてしまうことになるのであり、その後の油の過程を経ながらも本件のように多量でかつ広範な被害を生じさせるためには、原料魚が工場に搬入されるまでにその表面だけでなく、魚肉の内部まで高濃度に汚染されるか、水等では洗い落とせない程大量に汚染されていなければならず、さらに証人白取剛彦の当公判廷における証言によれば、原料魚(被告人方での加工前)の表面では蛋白質の偏在等により、さつまあげの上にある場合に比べてサルモネラ菌の増殖はしにくいというのであり、また前述のように同菌は摂氏二〇度から四〇度の間ではよく増殖するものの、低温になるほど増殖しにくく、一〇度以下ではほぼ増殖しないというのであるから、右のような高濃度でかつ魚肉の内部までの汚染あるいは大量の汚染を可能にするには、その運搬、保存の過程においてかなり密度が濃く、かつ広範・大量な汚染があつたか、増殖に適当な温度がかなりの時間継続したかのような状況がなければならないところ、全証拠によつてもそのような汚染の可能性を窺わせる状況は表われていないのである。
なお、商店から仕入れた原料魚については、他の業者から仕入れた原料魚に比し鮮度が若干劣つていたことが認められるから、他の原料魚よりもその輸送、保存のいずれかの段階で保存状態が幾分悪かつたものと推測されるが、原料魚の鮮度の善し悪しとサルモネラ菌による汚染の可能性とは本来別の問題であつて両者間に必然的な関連性はないのみならず、仮に原料魚の一部が工場搬入前の輸送、保存の過程でサルモネラ菌に汚染された後、保存状態の悪い時期を経て菌が増殖し、魚肉の内部までを高濃度に汚染するに至つたものと仮定すると、そのような原料魚の表面に付着した多数のサルモネラ菌は、バラ積みによる貨車輸送、トラックの積み降ろし、工場における積み重ねによる保存等を通じてともに輸送、保存された他の原料魚とたびたび接触することにより、単に被告人方工場に搬入された原料魚の汚染に止まらず、他の業者に納入された原料魚をもひろく汚染することになると思われるが、被告人方工場に搬入されたもの以外にサルモネラ菌汚染のあつたことを窺わせる証拠は全くない。また鮮度が良くなかつた商店からの仕入れ分の原料魚は、前述のように仕入れの順序にしたがうとほぼ六月四日午前中までにすべてが消費されることになるのであり(六月四日の午後に使用される可能性がある場合は六月三日あるいは六月四日午前中から他の業者からの仕入れ分にごく少量ずつ混ぜて使用されていつた場合のみである)、同日午前中にもかなりの数の内部まで高濃度に汚染された原料魚が製造に供されていることになるはずである。ところが前記のように関係者の供述、午前中に製造され、木箱詰めとなつたさつまあげの抜き取り検査の結果によれば、午前中にもサルモネラ菌が製品に生き残ることのできるような状況があつたことが明らかであるにもかかわらず、サルモネラ菌は検出されておらず、また右木箱詰めのうちの非冷凍のまま宇都宮、水沢市方面に向け出荷された木箱詰め分一〇五箱からも食中毒の被害が起きたことを疑わせるような証拠は全くなく、これらの事実に徴すれば同日の午前中にはサルモネラ菌により汚染された原料魚は使用されなかつたものと考えるのが妥当である。
以上により六月四日に使用される可能性のあつた六月三日及び同月四日斎和商店からの各仕入れ分(六月四日斎和商店からの仕入れ分については前日の残量と当日のさつまあげの製造枚数との関係から最低でも一トン程度は木箱詰め用に使用されたと考えられる)ならびに六月四日に使用される可能性のあつた六月三日の庄司商店からの仕入れ分及び六月四日に使用される可能性のあつた六月三日の商店からの仕入れ分の各原料魚について右工場搬入前の汚染がなかつたものと認めるのが相当である。
最後に積みおろしの際、フォークで原料魚を突き刺すことによつてフォークの先端に付着していたサルモネラ菌が原料魚の内部まで汚染する可能性については、そもそもフォークに付着するサルモネラ菌がそれほど多量であるとは考えられないうえ、数回突き刺すことにより魚肉によつてふき取られてしまい、多数の原料魚が汚染することは不可能であると考えられること等により否定される。
(二) 助宗鱈以外の原材料等の汚染の可能性について 本件各採証証拠によれば、さつまあげの製造に必要な副原料は、玉ねぎ、人参、澱粉、小麦粉、胡麻、グルコース、化学調味料、人工甘味料、食塩などであり、その他さつまあげの原料に接触するものとしては、練り臼で練り合わせるときに入れる角氷、原料魚を保存のために冷す氷、油用の食用油があるが、これらの材料の工場搬入前の汚染の可能性については、右材料の各仕入れ先関係者の証人としての各証言、検察官または司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人方工場への搬入前に右各材料がサルモネラ菌に汚染される機会は無かつたと思われること、右各関係者は被告人方に納入したものと同種の原材料を他の業者にも販売しているが、右業者の製品から食中毒の発生した形跡は全く認められないこと等から、その可能性は否定されるべきである。
2工場内における前記第四の三の3の各項で述べた段階の玉ねぎ、人参、魚肉以外のもののサルモネラ菌による汚染の可能性
本件各採証証拠によれば以下の事実が認められる。
(一) 油前の汚染の可能性
(1) 原料魚について 工場搬入後脱水機による脱水が終わるまでの段階で原料魚が直接、間接に、サルモネラ菌により汚染される可能性があるかどうかを検討するのに、魚洗機に原料魚を入れるのにフォークを使用する場合がある以外はすべて原料魚の表面汚染しか考えられないところ、六月四日朝の作業開始前までの汚染については、床は前日作業終了後清掃され、かつ水で洗われていること、原料魚は砕氷とともにシートで覆われ、低温で保存されていたこと等から一度に多量の原料魚が高濃度にまで汚染されることは考えられないこと、前記のとおり原料魚の表面ではさつまあげの上に比べてサルモネラ菌の増殖がしにくいこと、六月四日の朝作業開始後の汚染については、原料魚が魚洗機に入れられるまでの時間が短かく、いずれも広範で魚肉内部に至る高濃度の汚染は困難なこと、表面に付着した菌は前記の魚洗機から脱水機に至る工程でほとんど洗い落されてしまうこと等から、また、フォークについても前記貨車の積みおろしの際のフォークの場合と同じ理由で、いずれも本件程度の被害発生に必要な汚染源とはなり得ないと考えられる。
(2) 副原料等について すでに述べた裁断された玉ねぎ、人参を練り臼まで運んですり身を作る段階を除き、前記の各副原料等が、本件の汚染原因となり得ないことは、その夜間、昼休みにおける保存状況からみて明らかである。すなわち、夜間は冷蔵庫(小麦粉、グルコース、玉ねぎ、人参)、倉庫(澱粉、ゴマ)に格納し、昼間もあるいは容器に蓋をして(塩、小麦粉、澱粉の残り)おり、昼休みも玉ねぎ、人参以外は蓋をしておく等しており、その保存状況に照らし本件汚染をひきおこすほどの原因は見受けられない。
(3) 練り臼ですり身を練り上げた後油開始までの間について 練り臼及び練り上つたすり身を形成機まで運搬するステンレス製容器はいずれも数十センチメートルの高さがあり、さらに練り臼については外側に湾曲している形状などから鼠が内部に入りこんで汚染することは考えにくく、また形成機に練つた肉を入れるスコップは常時水につけてあり、いずれも本件の汚染原因となることは考えられない。
(二) 油後の汚染の可能性
(1) ベルトコンベア及び放冷機上の汚染の可能性 被告人方工場では午後零時から一時までの昼休み時間は、油されたさつまあげをベルトコンベア、放冷機上に残したまま休憩するので、この間における汚染の可能性を検討すると、午後一時から二時の間に木箱六〇組分のさつまあげが包装されていること、被告人方では六月四日も午前六時四〇分ころから油を開始し、油能力は普通一分間に一九〇枚程度であり、当日も製造枚数と製造時間からやはり一分間に一九〇枚ないし二〇〇枚程度製造していたこと、右を前提とすると午前中(午前六時四〇分ころより正午まで)の油枚数(前記の昼休み時間中にベルトコンベア上及び放冷機上にあるものを含む)は合計六万八〇〇枚ないし六万四〇〇〇枚位であり、他方同日木箱に詰められた枚数は六万四二〇〇枚であるので、昼休みにベルトコンベア上に載つていたさつまあげは午前中製造の木箱に詰められる分であつたこと、同日午後二時ころダンボール詰め三箱(七二〇枚)を白石市へ出荷しているが、右も製造に要する時間からみて午前中製造のさつまあげであること等から右昼休み時間にベルトコンベア、放冷機上に載つていたさつまあげは全て木箱詰めにされるか、白石市方面へ二時に出荷したダンボール箱に詰められたものと推認することができるところ、右木箱詰め分の抜き取り検査、白石市方面向けのダンボール箱詰め及び非冷凍のまま出荷された木箱詰めの各出荷分の検査の結果もいずれもサルモネラ菌による汚染を窺わせるような証拠は全く現われていない。また、ベルトコンベア上または放冷機上で汚染されたさつまあげの一部が前記のように選別の段階で手が間に合わないため、一時トロ箱に入れられ、木箱詰めが終わつた後に選別されたため、ダンボール箱に入る可能性及びさつまあげが汚染されたベルトコンベア上を通ることにより、またはベルトコンベア上または放冷機上で汚染されたさつまあげを手で選別するために手が汚染され、未汚染のさつまあげを二次汚染する可能性も考えられないではないが、そもそも六月四日の昼休み時間中に多数のサルモネラ菌を保有する鼠が一斉にベルトコンベア上に上り同所を大量に汚染することを想定することは困難であり、また少量の汚染ではトロ箱に入るさつまあげはごく一部で数が少なく、また汚染されたベルトコンベア、放冷機はその上をつぎつぎに通過するさつまあげにより菌が拭い去られベルトコンベア、手指の菌もつぎつぎに選別されるさつまあげに間もなくぬぐい去られてしまうから(控訴審及び差戻し後における証人門間洋及び同白取剛彦の各証言参照)、本件のような多量かつ広汎な汚染は起こり得ないと考えられる。
(2) 選別台、包装台の汚染の可能性 昼休み時間中に二階の選別台または包装台が汚染されていた場合も、一時から二時ころまでの間に木箱詰めされる分のさつまあげの選別、包装に右各台が使用されることから、ほぼ菌はふき取られてしまい、本件汚染の原因となる可能性がないと考えられることは前項と同様であり、またそれ以前の時間帯における汚染については、さらに他のさつまあげによつてふき取られることによる菌の減少が大きいこと、作業中は鼠の徘徊による汚染は考えられないことからやはり同様と考えられる。
(3) 包装材の汚染の可能性 ダンボール箱詰めに使用された材料は、ポリエチレン袋、使用済粉袋の紙、ダンボール箱、ビニールテープ等であるが、いずれもその保存の態様、数量、乾燥していることにより菌が増殖しにくい条件であること等から、一斉に大量に汚染されることは不可能であると考えられ、本件の汚染原因としては否定されるべきである。
(4) 包装後出荷前の汚染の可能性 ダンボール箱詰めのさつまあげは、仙都魚類への出荷分を除き、六月四日午後の作業時間中に包装後時間を置かずに順次出荷されているので直接汚染の可能性はなく、仙都魚類への出荷分についても作業終了後冷蔵庫に保管されてから翌朝の出荷まで汚染の機会はなく、またダンボール箱の外部から大量にさつまあげを間接汚染するような状況も認められないから、その可能性はすべて否定される。
なお、以上の油前及び油後の汚染の各可能性につき、差戻し後の証人白取剛彦の証言のうちには、ベルトコンベア上の汚染その他も、当時の気象条件、サルモネラ菌の増殖率を考慮するとその可能性を否定することはできない旨供述している部分があるが、同証言のその他の部分及び同人の控訴審における証言と対比すると、右は細菌学者として細菌学上はその可能性を否定し切ることはできないことを述べているに止まり、それらが本件の合理的な汚染原因と考えられるという趣旨で言及したとは解されないから、当裁判所の右の判断と矛盾するものということはできない。
(三) ふき取り検査等について
本件発生後間もなく塩釜保健所員によつてなされた工場内の機械器具等のふき取り検査及び警察官により採取ないし捕獲された鼠の糞や鼠についての検査の結果、工場内の合成樹脂製の魚肉入れ用のバットからサルモネラ菌が検出されたが(なお、捕獲された鼠からも同菌が検出された)、その他の検体からは同菌が検出されなかつたことはすでに述べたとおりである。もつともこれらの検査は六月四日から数日あるいはそれ以上を経て行われたものであり、またふき取り検査も工場内の機械器具の全面をふき取つたものでないから、検査により菌が検出されないからといつて細菌学上は直ちに菌がなかつたと断定できないことは前示白取証言のいうとおりであるが、本件各採証証拠、とりわけ差戻し前の証人佐藤春雄の証言(第一〇回)、同人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、差戻し前の証人村田甲子郎の証言(第六回)、司法警察員早坂光作作成の「中毒事件捜査報告書」と題する書面、宮城県警察本部刑事部鑑識課長作成の「検査結果の回答について」と題する書面(昭和四三年六月二〇日付、同年七月一七日付)、告発書添付の調査報告書等によれば、これらの機械器具等のうち毎日洗滌する床、バット、練り臼等を除けば、ベルトコンベア、包装台その他の機械、施設等は、普段は掃除をせずに原材料や製品のかす等が付着したまま置かれて菌の生き残りやすい状態にあつたから、もしこれらの個所が六月四日当時サルモネラ菌により汚染されていたとするならば、後日までその汚染がつづく可能性が大きかつたと思われるのに、それから一切同菌が検出されなかつたことは、汚染原因が前記のように油前のバット内の玉ねぎ等であることを強く示唆する反面において、工場内における右に述べた他の汚染原因の可能性がないことを窺わせる一資料ということができる。
3工場搬出後の汚染の可能性
すでに述べたとおり、昭和四三年六月四日被告人方工場で製造されたダンボール箱詰めさつまあげ七九箱(一万八九六〇枚)のうち本件被害に関するものは、六月四日午後三時ころ東北菱倉運輸株式会社(三二箱)を経て宮城県栗原郡築館町、同郡栗駒町、岩手県北上市内、盛岡市内、同県紫波郡紫波町へ、六月五日午前五時ころ仙都魚類株式会社(三〇箱)を経て仙台市内、さらにその周辺の郡部へと出荷された分であるが、全く異なる経路で運送された異つた地方において、同時多発的にサルモネラ菌による食中毒被害が生じていること、各運送経路においてとくにダンボール箱詰めにされたさつまあげをその外部から大量に汚染させるような状況はいずれも認め難いこと、本件当時他に東北地方一帯にサルモネラ菌による食中毒発生の事実も認め難いこと、各運送経路や小売業者、被害者宅等で偶然に同時期にサルモネラ菌による大量汚染があつたことを推測することは不合理であることなどから、工場搬出後の汚染の可能性も認めることができない。
五 具体的な汚染原因についての結論
以上から、本件さつまあげは、昭和四三年六月四日午後零時から一時までの間に、さつまあげの副原料として細かく刻まれ、バットに入れられていた玉ねぎが、同工場内を徘徊していた鼠によつてその糞尿により汚染され、右糞尿に含まれていたサルモネラ菌を付着されこれが成型されるすり身に練り込まれていつた蓋然性がもつとも大きいが、なお成型されるすり身にサルモネラ菌が練り込まれる原因として金属製バット内に保存されていた千切りにされた人参あるいは脱水の工程以後練り臼に入れられるまでの間右玉ねぎと同様のバットに入れられるなどしていた魚肉が、右同様の時間帯において鼠の糞尿に含まれるサルモネラ菌に汚染された可能性も、右玉ねぎの場合に比較してかなり低いとはいえ、本件の汚染原因として否定し切れないものであり、結局六月四日のさつまあげの製造工程中、右に述べた成型されるすり身を作る段階で、さつまあげの原料に鼠が糞尿をし、これに含まれていたサルモネラ菌が右原料に付着したと認めるのが相当であり(右に述べた以上に、刻み玉ねぎ、千切り人参及び右の段階の魚肉のいずれが汚染されたかまでは確定できないが、訴因の特定の見地からはもちろん、被告人側の防禦の立場を考慮に入れても、右の程度に具体的に汚染原因が認定できれば本件の汚染原因が十分証明されたものと解される)、他方その他の想定し得る汚染原因は、それぞれ関係各証拠により認められる諸事実に照らすといずれも不合理であつて、これを否定すべきものといわなければならない。
六 因果関係についての結論
以上説示してきたとおり、関係各証拠により本件各被害者が被告人方工場で昭和四三年六月四日に製造されたさつまあげを摂食したことによりそれぞれサルモネラ菌による食中毒に罹患して、別紙被害一覧表記載の各傷害を受けあるいは死亡したこと、右被害者らが摂食したさつまあげは、右に述べたように六月四日の昼休み時間中に被告人方工場内の製造工程において、成型されるすり身を作る段階でその原料が当時工場内を徘徊していた鼠の糞尿中に含まれていたサルモネラ菌に汚染され、なお一部は右のように汚染されたさつまあげとともに包装、梱包されたことによつてさらに汚染され、その後形成機による成型の一般的不良と油釜中生釜の断続的な油温の低下という当日の製造条件と相俟つて、油後も内部にサルモネラ菌が生き残つたままさつまあげに製品化されて包装・出荷され、以後各被害者に摂食されるまでの間当時の高温・多湿な気象条件、菌の増殖、汚染の拡大に好適な包装状態などの環境の中で激しい増殖を繰り返したサルモネラ菌により高濃度に汚染されたうえ、そのさつまあげの内部から表面に至つた同菌をともに包装されていた未汚染のさつまあげにも広く付着させてその汚染を拡大した結果、本件のような大量のサルモネラ菌による食中毒を発生させるに至つたものである。これらによれば被告人の本件過失と各被害発生との間の因果関係を十分肯認することができる。
よつて、弁護人ら主張三の本件サルモネラ菌による汚染経路等に関する主張はいずれも採用できない。
第五 結論
以上第二ないし第四に述べてきたとおり、本件における検察官の主張自体について違法とすべき点はなく(実質的にみても被告人の防禦権が不当に制限を受けているものとはいえない)、被告人の判示の注意義務、過失、各結果の発生及び因果関係がすべて認められ、また責任を阻却する事由も認められない。
よつて、弁護人らの前記各主張はいずれも採用することができない。
(法令の適用)<省略>
(量刑の理由)
本件は、さつまあげ製造業者であつた被告人がその業務上の注意義務を怠り、被告人方工場への鼠の侵入可能な破損個所等を放置するなどして同工場内に鼠を徘徊させ、その糞尿に含まれるサルモネラ菌をさつまあげの原料に付着させ、かつその後の製造工程にも生き残つた同菌の付着したさつまあげを製品として出荷・販売し、そのためこれを食用に供した消費者合計三〇四名を食中毒症状により死傷させたという事案である。
本件においては、何よりもまずその結果の重大性に注目しなければならない。すなわち、右さつまあげを摂取した三〇四名という多数の者に激しい下痢等の症状を与えた末、ついには少年を含む四名の貴重な生命を奪い、そのうちには一家の支柱たる父親と娘との二人を一時に失つた家庭もあり、遺族らの無念さは察するに余りあるものであること、その他重症患者も多く、中には一時危篤状態に陥つた者、他の持病を併発して死亡した者(訴因としては非死亡者)もあること、被害者の中には生活に余裕のない者が多く経済的にも大きな打撃を与えたこと等に鑑みれば、その結果はまことに重大である。本件が宮城、岩手両県下に多数の被害者を出したこと、被告人が当時東日本一帯の多数の得意先と取引してきたことに徴し、本件の社会的影響が甚大であつたことも推測するに難くない。この本件食中毒の原因は、前述のとおり工場内への鼠の侵入・徘徊の防止策を怠り、かつ適切な鼠の駆除措置をとらなかつたことにあり、本件後工場内から発見された多数の鼠の糞、鼠が運んだとみられる腐敗したさつまあげ、鼠の巣様のもの等に照らし、かなりの程度まで鼠の徘徊するに任されていたことが明らかであるから、被告人の過失もまた軽軽しく看過することは許されない。そして本件被害発生後間もなく被告人方製造のさつまあげが中毒の原因である可能性を保健所関係者らに指摘されていたにも拘らず、被告人は死亡した被害者らの遺族に対してさえ直接慰謝に赴くこともせず、僅かに被告人の親類らにより些少の見舞金が支払われたのみであり、その他の被害者らには何らの慰謝の措置が講じられていないことをも勘案すると、被告人の刑事責任が重大であることは否定できない。
しかし、ひるがえつて考えると、塩釜市は全国有数の練製品加工業都市であり、その全国的な製造量、出荷先に鑑みれば、同市内における十全な衛生管理、練製品加工業者に対する有効な衛生指導が期待されるが、本件当時同市内には多数の鼠が棲息・徘徊し、かなりのサルモネラ菌の流行があつたことが本件後の調査により明らかになつたが、本件以前にはとくに効果的な駆除対策、サルモネラ菌対策がとられた形跡は窺えないこと、等関係監督官庁による行政指導にも若干問題があつたといい得ること、当時被告人方工場が他の製造業者に比して特に劣悪な環境でさつまあげを製造していたとも認められないこと、被告人は新工場設立後二年を経ずして発生した本件により会社は倒産し、工場・機械を人手にわたすなどの打撃を受けたこと、本件が広く報道されたことにより社会的制裁も受けていること、本件の特殊な訴訟経過もあつて起訴後一一年間被告人の座にあることを余儀なくされ、社会的に大きな制裁も受けつづけてきたこと等被告人のために酌むべき有利な情状も認められるので、これら及びその他一切の事情を総合考慮したうえ、被告人を主文掲記の刑に処し、その刑の執行を猶予するのを相当と考える。
(犯罪の証明がない部分の判断)<省略>
(渡邊達夫 北野俊光 富岡英次)
別紙一、二、三<省略>