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仙台地方裁判所 昭和53年(ワ)874号 判決 1988年1月27日

原告

加藤滋

(ほか一六名)

右原告ら訴訟代理人弁護士

檜山公夫

鈴木宏一

松倉佳紀

右訴訟代理人鈴木宏一復代理人弁護士

松沢陽明

馬場亨

被告

日本電信電話公社訴訟承継人日本電信電話株式会社

右代表者代表取締役

真藤恒

右指定代理人

三輪佳久

金子政雄

下山政利

大内忠康

鈴木正

白沢徹

渋谷悦男

主文

一  被告がいずれも昭和五三年六月二〇日付けでした、原告加藤滋、同大内忠雄、同坂下正明、同相川克朗、同高橋喜一、同緒方哲夫、同三塚正一、同日野正美に対する各減給、並びに原告小川昌義、同松崎孝司、同古宮正道、同玉川悟、同中鉢勉、同佐藤隆に対する各戒告の各懲戒処分は、いずれも無効であることを確認する。

二  被告は、

1  原告加藤滋に対し、金五万三八四〇円及び内金一万一七〇〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万五二二〇円に対する同年七月二一日から、内金一万五二二〇円に対する同年八月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

2  原告大内忠雄に対し、金二万九三〇〇円及び内金七九四〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万三四二〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

3  原告小川昌義に対し、金六九七六円及び内金三四八八円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

4  原告坂下正明に対し、金七万七九七〇円及び内金二万一一二〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一九一〇円に対する同年七月二一日から、内金一万一九一〇円に対する同年八月二一日から、内金一万一九一〇円に対する同年九月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

5  原告松崎孝司に対し、金一万〇八五〇円及び内金五四二五円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

6  原告相川克朗に対し、金二万四九六〇円及び内金六七六〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一四四〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

7  原告古宮正道に対し、金三万〇二六二円及び内金五一三一円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

8  原告高橋喜一に対し、金三万〇九三〇円及び内金八七四五円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万三四四〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

9  原告緒方哲夫に対し、金七万七六一二円及び内金九八五六円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年七月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年八月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年九月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年一〇月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年一一月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

10  原告三塚正一に対し、金六万〇〇九六円及び内金一万四二八三円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万〇五一〇円に対する同年七月二一日から、内金一万〇五一〇円に対する同年八月二一日から、内金一万〇五一〇円に対する同年九月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

11  原告日野正美に対し、金二万九二六二円及び内金八八六六円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一五三〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

12  原告玉川悟に対し、金一万〇二七六円及び内金五一三八円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

13  原告中鉢勉に対し、金一万一一三〇円及び内金五五六五円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

14  原告佐藤隆に対し、金九八〇〇円及び内金四九〇〇円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

三  右原告らのその余の請求並びに原告長津章、同阿部直光、同新野正志の各請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、原告加藤滋、同大内忠雄、同小川昌義、同坂下正明、同松崎孝司、同相川克朗、同古宮正道、同高橋喜一、同緒方哲夫、同三塚正一、同日野正美、同玉川悟、同中鉢勉、同佐藤隆と被告との間に生じた分は被告の負担とし、原告長津章、同阿部直光、同新野正志と被告との間に生じた分は右原告らの各負担とする。

事実

第一申立

一  請求の趣旨

1  被告がいずれも昭和五三年六月二〇日付けでした原告新野正志に対する停職、原告加藤滋、同大内忠雄、同坂下正明、同相川克朗、同高橋喜一、同緒方哲夫、同三塚正一、同日野正美に対する各減給、並びに原告小川昌義、同松崎孝司、同長津章、同阿部直光、同古宮正道、同玉川悟、同中鉢勉、同佐藤隆に対する各戒告の各懲戒処分は、いずれも無効であることを確認する。

2  被告は、

(一) 原告加藤滋に対し、金五五万三八四〇円及び内金五一万一七〇〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万五二二〇円に対する同年七月二一日から、内金一万五二二〇円に対する同年八月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(二) 原告大内忠雄に対し、金五二万九三〇〇円及び内金五〇万七九四〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万三四二〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(三) 原告小川昌義に対し、金三〇万六九七六円及び内金三〇万三四八八円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(四) 原告坂下正明に対し、金五七万七九七〇円及び内金五二万一一二〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一九一〇円に対する同年七月二一日から、内金一万一九一〇円に対する同年八月二一日から、内金一万一九一〇円に対する同年九月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(五) 原告松崎孝司に対し、金三一万〇八五〇円及び内金三〇万五四二五円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(六) 原告相川克朗に対し、金五二万四九六〇円及び内金五〇万六七六〇円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一四四〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(七) 原告長津章に対し、金三一万〇二七六円及び内金三〇万五一三八円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(八) 原告阿部直光に対し、金三一万二二〇八円及び内金三〇万六一〇四円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(九) 原告古宮正道に対し、金三一万〇二六二円及び内金三〇万五一三一円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(一〇) 原告高橋喜一に対し、金五三万〇九三〇円及び内金五〇万八七四五円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万三四四〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(一一) 原告新野正志に対し、金六〇万〇七四六円及び内金五〇万九一九八円に対する昭和五三年六月二一日から、内金八万二三五〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(一二) 原告緒方哲夫に対し、金五七万七六一二円及び内金五〇万九八五六円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年七月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年八月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年九月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年一〇月二一日から、内金一万一五八〇円に対する同年一一月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(一三) 原告三塚正一に対し、金五六万〇〇九六円及び内金五一万四二八三円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万〇五一〇円に対する同年七月二一日から、内金一万〇五一〇円に対する同年八月二一日から、内金一万〇五一〇円に対する同年九月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(一四) 原告日野正美に対し、金五二万九二六二円及び内金五〇万八八六六円に対する昭和五三年六月二一日から、内金一万一五三〇円に対する同年七月二一日から、各完済まで年五分の割合による金員を、

(一五) 原告玉川悟に対し、金三一万〇二七六円及び内金三〇万五一三八円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(一六) 原告中鉢勉に対し、金三一万一一三〇円及び内金三〇万五五六五円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

(一七) 原告佐藤隆に対し、金三〇万九八〇〇円及び内金三〇万四九〇〇円に対する昭和五三年六月二一日から完済まで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2、3項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

一  請求原因

1  原告らは、いずれも訴訟承継前の日本電信電話公社(以下「被告公社」という。)の職員で、訴訟承継後の被告社員であり、原告らの昭和五三年五月当時の被告公社における勤務場所は、別紙職場目録記載(下表)のとおりである(以下、特に「年」を記さないものは昭和五三年を指す。)。

2  被告公社は、六月二〇日、原告らに対し、原告らが別表(略)(一)の指定日欄記載の各日に無断欠勤したとして、同表記載の各懲戒処分(以下適宜「本件懲戒処分」という。)をした旨の意思表示をし、右各意思表示はその頃原告らに到達した。

職場目録

<省略>

3  そして、被告公社は、原告らに対して六月二〇日に支給すべき六月分の各賃金から別表(二)の未払賃金のうち賃金カット欄記載の各金額を、その各欠勤分としてそれぞれ控除した(以下適宜「本件賃金カット」という。)。

4  また被告公社は、前記2の減給又は停職の処分を受けた原告らに対して別表(二)の未払賃金のうち減給処分(停職処分)欄記載の各日に支給すべき各月分の各賃金から同欄記載の各金額を、右各懲戒処分に従いそれぞれ控除(停職処分を受けた原告新野についても一部控除)した。

5  しかしながら、原告らはそれぞれ別表(一)記載のとおり被告公社が原告らの無断欠勤と主張する日を指定して年次有給休暇(以下「年休」という。)の請求(時季指定)をしているから、本件懲戒処分及び賃金カットは全く理由がない。

6  また、被告公社は、原告らの右年休請求に対して時季変更権を行使しているが、本件時季変更権の行使及び右懲戒処分は、五月二〇日がいわゆる成田空港の開港予定日にあたり、その反対闘争に被告公社の職員が参加することをおそれ、被告公社が同公社内の戦闘的労働者を弾圧する目的で、その違法であることを承認のうえ、敢えて決行したものであり、原告らは被告公社の右行為により甚大な精神的苦痛を蒙った。その損害は、停職、減給処分を受けた原告らについては金五〇万円、戒告処分を受けた原告らについては金三〇万円を下らない。

7  被告は、昭和六〇年四月一日、原告らと被告公社との雇傭関係を承継した。

よって、原告らは、各自被告に対し本件懲戒処分の各無効確認と別表(二)記載の各金員の支給を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4項の各事実は認める。

2  同5項中原告らがその主張のように年休請求をしたことは認める。但し、原告玉川が年休請求した日時は後記主張のとおりである。その余の事実は争う。

3  同6項中、被告公社が時季変更権を行使したことは認めるが、その余の事実は争う。

4  同7項は認める。

三  抗弁

1  本件懲戒処分及び賃金カットの適法性について

(一) 時季変更権行使と原告らの無断欠勤

別表(一)の請求の相手方欄記載の原告らの上司である被告公社の各管理者は、原告ら主張の各日時に(但し、原告玉川については五月一六日午前一〇時四五分ころ)、同表指定日欄記載の各日を時季指定した本件年休請求を受けたので、(但し、原告古宮は佐藤機械係長に請求し、同係長から佐藤中継交換課長を通じ同表記載の高橋次長に伝達された)、同表の時季変更権の行使日欄記載の各日時にそれぞれ時季変更権を行使するとともに(但し、原告三塚の五月一九日、二〇日両日の年休請求に対する時季変更権は引地電報課長が行使)、就労を命じたが、(但し、原告小川に対しては坂下次長が五月二〇日午前九時四〇分ころと同日午前一〇時一〇分ころに、原告長津に対しては高橋次長からも五月一九日午後五時二〇分ころ、それぞれ就労命令がなされた。また、原告阿部に対する就労命令は五月一九日午前九時一〇分ころになされた。)原告らはいずれもそれを無視して、同表記載の各年休指定日の日時にそれぞれ無断欠勤した(但し、原告緒方は、五月二三日についてはその時季指定と異なり午前八時三〇分から同一〇時一五分まで欠勤)。

(二) 時季変更権行使の適法性

原告らに対する前記各時季変更権の行使は、以下のとおりいずれも被告公社の事業の正常な運営を妨げる事情が存在し適法になされたものであるから、原告ら主張の各日について本件年休はいずれも成立しなかったものである。

(1) 被告公社の勤務体制全般

イ 電信電話のサービスは利用者が国民であり、極めて公共性が高いことに加え、電報部門や設備保守部門などは、貯蔵性がなく、(要求がないうちにあらかじめ電文を作成しておくことが不可能)、迅速さ(障害の修理など)を求められるため、二四時間サービスが原則となっており、これらの部門については職員の二四時間勤務体制をとっていた。

そこで、被告公社は、右勤務体制を円滑に実施するため、予め過去の時間帯別の業務量等を基礎にその予想される業務量を処理するに必要な所要人員を確保できるよう作成した、交替服務に従事する職員に関する服務線表(時間別要員配置予定表)を全国電気通信労働組合(以下「全電通」という。)との協議を経て決定したうえ、右服務線表に基づき、職員個々人の経験・技能等を勘案して、少くとも四週間を下らない期間ごと個々の職員に具体的な勤務割を定めて通知することとしていた。

この結果、被告公社は業務遂行に必要とする所要人員を確保できるとともに、他方職員においても計画的な生活が送れることができた。

ロ ところで、このような勤務体制の下で年休制度を利用することになるため、交替服務者が年休の時季を指定する場合は、原則として前々日の勤務終了時までに行うものとされており、また、所属長は代替勤務者の補充が必要であると判断すれば、職員に予定外の服務種別もしくは勤務時間の勤務を命ずることができるが、変更日当日もしくは前日になった場合には本人の同意を得なくてはならない取扱いとなっていた。

そこで、所属長は、年休の時季指定を受けた場合、これらのことを念頭におき当該職員の担当業務の内容、性質、作業の繁閑、代替者補充の難易及び欠務の状況等を考慮したうえ、事業の正常な運営を妨げる場合には、時季変更権を行使していた。

(中略――各原告についての事情等)

(三) 本件各年休請求権の濫用

(1) そもそも原告らの本件各年休請求は、その行使の時期、意図、態様からみて、形式的には労基法三九条の年休請求権を行使する形態をとっているが、一般の労働者として、さらには公共の利益と密接な事業を営む被告公社職員として職場の内外から要請される信義に著しく反し、年休権の趣旨目的を逸脱するもので権利の濫用であるから、同条項に定める時季指定の効果を生ぜず無効である。

(2) けだし、年休制度の趣旨、目的、その有給性(週休は無給である。)に思いを致せば、年休をどのように利用するかは、基本的には労働者の自由であるとしても、それは法的に許された範囲内の自由であるというべく、年休を違法な反社会的行為に利用し、使用者の信用を回復し難い程に著しく損ない、業務の運営にも多大な影響を与えるおそれが客観的に認められるときは、権利の濫用としてこれを否定するのが相当だからである。

(3) およそ、権利が社会的に是認されている趣旨、態様を超えて行使される場合には、その濫用があるとして権利本来の効力が否定されることについては異論のないところであり、権利請求権といえども、それが社会において法的に認められた権利である以上、その行使が全く無制約ではあり得ず、その利用目的と年休制度の趣旨、目的、信義則(労働者の誠実、配慮義務)企業の公共性、その行使が使用者に与える影響等に照らして、権利濫用と認められるような特段の事情が存する場合には、年休の時季指定自体無効なものとしてその法的効果を否定されるべきものである。

すなわち、<1>年休制度が設定された趣旨・目的は、本来、労働者の労働による精神的肉体的疲労を回復し、その効果として、労働力の維持培養を図るとともに、労働者に人たるに値する生活を得さしめんとするところにあり、また、年休は無給を原則とする休日と違って、その間は労働した日とみなして賃金を保障しているのであるから、労働者はその年休権の行使については、使用者に対し年休の有償性に由来するある程度の配慮をも要請されるというべきである。したがって、年休請求における時季指定に関しては、本来右のような趣旨・目的(労働力の維持・培養・有償性)に由来する内在的制約があり、右趣旨・目的に明らかに反する意図をもってなされる年休請求は、もはや権利として法的保護を受け得ず、権利の濫用というべきである。<2>また、年休権に関しては、右に述べたような権利に内在する制約にとどまらず、その行使に当たってもその労働者の法的地位、行使の時期、態様及び行使の際の客観的情勢等に即して一定の制約があることを肯認すべきである。

労働契約関係は、契約当事者相互間の高度の信頼と配慮の下にのみ成り立つ人的継続的な契約関係であるから、労働者は労働契約に伴う付随的義務として、企業の内外を問わず、使用者の利益を不当に侵害してはならないのはもちろん、不当に侵害するおそれのある行為をも慎むべき誠実・配慮義務を負うのは当然のことであり、この理は、労働者が年休権を行使するに当たっても当然に妥当すべく、労働者が右誠実・配慮義務に違反してはならないのであって、当該労働者の地位、年休権行使の時期、意図、態様及び行使の際の客観的情勢等に照らし、右義務に著しく違反する場合には、年休権の行使自体が権利濫用と評価され、その法的効果が否定されるものというべきである。

したがって、年休の利用目的との関係で、時季の指定が権利の濫用となり得る場合もあるのである。

(4) ところで、当初三月三〇日を開港予定として進められていた成田空港の開港に反対する、いわゆる過激派と称される集団及びその同調者らは、開港阻止闘争と称して開港計画が具体化するにつれて空港予定地附近で集会を行って諸工事の妨害をしていたほか、警備の警察隊に対し火災びんを投げつけるなどの無法な攻撃を繰り返す等の各種の違法行為を反復していたが、開港をあと四日後に控えた同月二六日に、右過激派の一部の者が同空港管制塔内に乱入してこの施設を破壊するなどの暴挙に出た(以下「三・二六事件」という。)。

右過激派集団ないしはその同調者として同事件に参加した者たちの中には被告公社職員五名を含む多くの公務員や公社職員らがいたため、右公務員らの服務規律に対し国民世論、国会等がこぞって鋭い批判と不信を表明し、その適正化、厳正化が強く要望されたところから、政府はかかる行動に公務員、公社職員が再び参加することのないよう、職員の管理、監督に十分配慮することを内閣官房長官名で各大臣宛通達し、これを受けた郵政大臣は、電気通信管理官を通じて被告公社総裁に対し、「貴公社においても遺漏のないよう更に配意されたい」旨の通知をなした。

被告公社副総裁は、右通知に先立つ五月九日、各電気通信局長宛に三・二六事件のような違法な行為に参加することのないよう職員の日常管理について十分留意するとともに、服務規律の厳正化を図るべき旨を指示したが、三・二六事件の被告公社職員の逮捕者五名のうち四名が宮城県管内の職員であったことから、宮城電気通信部、仙台搬送通信部、仙台無線通信部は右通達に接した東北電気通信局の指示を受けて五月一二日、三通信部長名をもって、「職員各位にのぞむ」と題する文書を発出し、過激派集団の行動の反社会性と被告公社職員としての廉潔性の保持を強く訴え、さらに同月一七日には再度、東北電気通信局長名の文書をもって伝達し、その趣旨の徹底を図った。

(5) しかるに、原告らの本件各年休請求はいずれも五月二〇日に開催が予定されていた反社会的な成田空港出直し開港阻止闘争に参加することを目的としてなしたものであり、それぞれの上司が右闘争への不参加を求め説得したがこれに応ぜず、右年休請求権を行使したものであって、到底許容さるべきものではないから、権利の濫用として、その本来の効力を生ぜず、原告ら主張の日に年休は成立しない。

(四) 本件懲戒処分及び賃金カット事由の存在

(1) 以上のとおり原告らは、原告ら主張の各日にいずれも年休が成立していないにもかかわらず、適法に年休を取得したとして、各上司の就労命令に反して前記三1(一)記載のとおり無断欠勤したものである。

(2) なお原告加藤は三月二五日に一時間三〇分無断欠勤したことにより四月二八日付で戒告の懲戒処分を、原告新野は二月二八日、三月一日、同月二四日、二五日とそれぞれ無断欠勤したこと等により四月二八日付で減給七月の懲戒処分を、原告緒方は二月二八日、三月一日とそれぞれ無断欠勤したことにより四月二八日付で減給二月の懲戒処分を、それぞれ受けていた。

(3) 原告らの前記無断欠勤は、被告の就業規則五条一項にいう「職員はみだりに欠勤してはならない」に該当し、同行為は、同規則五九条の懲戒事由のうち、一八号の「第五条の規程に違反したとき」に該当すると同時に、三号の「上長の命令に服さないとき」に該当する。

また原告加藤、同新野、同緒方については、右のほか前項の前歴に照らし同規則五九条一一号の「非行について再三注意されてなお改しゅんの情がないとき」に該当する。

そこで、被告は、右懲戒規程に則り原告ら主張の本件懲戒処分をそれぞれ発令したものである。

(4) したがって、前記無断欠勤を理由とする本件懲戒処分及び賃金カットはいずれも適法である。

2  賃金請求債権の消滅時効

(一) 原告加藤、同坂下、同緒方、同三塚が昭和五三年八月分、九月分の賃金請求をなしうる日は、八月分については同年八月二〇日、九月分については同年九月二〇日であり、原告緒方が同年一〇月分、一一月分の賃金請求をなしうる日は、一〇月分については同年一〇月二〇日、一一月分については同年一一月二〇日である。

(二) 右原告らが右各月分の未払賃金の支払請求をなしたのは、右各日から既に二年の消滅時効期間を経過した後の昭和六一年一一月二六日の本件口頭弁論期日においてである。

(三) よって、被告は、右口頭弁論期日において右時効を援用した。

四  抗弁に対する認否(略)

第三証拠関係(略)について

理由

第一原告らの身分及び本件懲戒処分等の存在について

原告らの身分、雇用関係の承諾などに関する請求原因1及び7の事実並びに本件懲戒処分及び賃金カットの存在に関する同2ないし4の事実はいずれも当事者間に争いがない。

第二本件懲戒処分等の適法性について

一  原告らの欠勤

原告らが被告から無断欠勤と扱われた別表(一)の各指定日欄記載の各日(但し、原告緒方は五月二三日について午前八時三〇分から同一〇時一五分まで)にいずれも出勤しなかったこと自体は当事者間に争いがない。

二  年休の時季指定と時季変更権行使の効力

原告らは前項の各欠勤をした日についてそれぞれ年休の時季指定(請求)をし適法に年休を取得したと主張しているのに対し、被告は原告らの右時季指定に対し時季変更権を行使したと主張するので、被告がなした各時季変更権の行使が適法有効かどうかについて、以下各原告について順次検討する。

1  原告加藤について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告加藤が五月一五日午後四時五〇分ころその所属する仙台統話中の加賀第二試験課長に対し同月一九日と同月二一日の両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が同月一七日午前九時一〇分ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使当時の被告公社とその周囲の状況

(証拠略)を合わせると、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 政府は、かねてから三月三〇日を開港予定日として成田空港の建設を進めていたが、三里塚闘争と称して同空港の開港に反対する闘争を続けていた第四インターを中心とするいわゆる過激派集団は、同月二六日にその一部が同空港管制塔内に侵入し種々の設備を破壊したほか、同空港周辺で警備に当たっていた警察官に対し火災びんや石塊を投げつける等の違法な開港阻止闘争を激しく展開して、公務執行妨害罪等の犯罪により多数の者が逮捕された。

その逮捕者の多くが被告公社職員五名を含めて年休を取得して参加した公務員ないし公共企業体職員であったことから、被告公社など公法人の服務規律に対して国会や国民世論の厳しい非難が浴びせられた。

(2) そのため五月二〇日に延期された同空港の開港を控え、抗弁1(三)(4)記載のとおり公社職員が再び右違法な開港阻止闘争に参加することのないよう職員の管理、監督に十分配慮するようにとの異例の内閣官房長官名の各大臣宛要請文が発せられ、被告公社でもこれを受けて、五月九日副総裁名の同趣旨の指示を発し各電気通信局長を通じ各現場機関に対しその指示の伝達徹底が図られた。

殊に被告公社の逮捕者五名のうち四名が宮城県に所在する公社機関に所在していたことから、管下職員に対する服務規律の厳正化措置への要請は一段と強く、前記抗弁記載のとおり「職員各位にのぞむ」と題する示達を提示するなど、その趣旨の徹底が図られた。

(3) 原告加藤の所属する仙台統話中でも、同所長が五月一一日の幹部会において上部機関からの右指示事項について説明するとともに、職員の年休請求を直接課長に申し入れさせるなど所定の手続を履践させ、これに対する時季変更権の行使は業務への支障のおそれを厳正に判断して行い、やむを得ない場合を除いて安易な勤務割変更を行うことのないよう、そして職員を前記闘争に参加させることのないよう指示した。

(4) なお前記過激派集団は、前記開港阻止闘争の一環として三月三一日成田地区で市外電話用同軸ケーブル三か所を切断しており、五月二〇日の開港日を控え、同開港の実力阻止を企図し再び被告公社の電気通信設備に対する無差別的破壊活動が懸念される事態であったことから、これに対処するため、被告公社では、同月一三日から二二日までの間を特別災害対策期間として、災害復旧用機器類の点検及び整備、災害復旧体制の確保、局舎警備並びに無人庁舎に対する夜間パトロールの実施等を行うこととしていた。もっともこれを一般職員には周知させず、管理者のみに伝達されたにすぎなかった。

したがって、右のような期間が設定されても、後記認定の一部の職場を除き一般職員の勤務に直接影響することはなかった。

なお同月二〇日所沢市などで航空管制回線の同軸ケーブルや一般電話回線が三か所現に切断された。

(5) 原告加藤に対する前記時季変更権の行使は以上のような背景のもとになされたものであるが、原告加藤は、「三里塚空港の廃港を闘い取ろう」などというビラなどにその有力な一員として常に名を連ねていた上、右成田開港阻止の現地闘争に参加し、同闘争に係る犯罪に関連した疑いで警察の家宅捜索を受けるなどしており、三・二六事件で逮捕された在仙台の被告公社機関に在席していた四名の職員と同じく成田空港開港阻止闘争において中心的役割を果した第四インター系の過激派集団の一員ないしその同調者と目されていたことから、加賀課長は、同原告が五月二〇日の成田における右反対闘争に参加することを懸念し、前記時季変更権行使の際、前記服務規律の厳正化に則って同原告に対し右闘争に参加しないよう説得した。

(三) 時季変更権行使の適法性について

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(2)イ(イ)の事実、すなわち原告加藤の所属する仙台統話中第二試験課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、原告加藤が係員として六輪番交替勤務に服し現場作業に従事していたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一九日について

(イ) 原告加藤の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右証人加賀秀夫の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 加賀課長が時季変更権を行使した五月一七日時点における同月一九日当日の同課の勤務及び休務予定者数、並びに原告加藤を含む勤務予定者について加賀課長が立てていた各担務予定は、いずれも抗弁1(二)(2)イ(ロ)記載のとおりであった。

もっとも同課では、右のように事前に担務予定が立てられていても、通常は職員の担務を事前に指示せず、当日朝に出勤者を確認した上で、工事係長などから黒板に掲記する方法により指示していた。

b 原告加藤の担務が予定された福島統話中局内移装に伴う切替作業とは、右中継所の通信設備の増設等の変動による同中継所と仙台統話中間の回線の移設に伴う両中継所の共同作業であり、通常相手局と打ち合わせする者、切替作業を行う者、レベル類の監視を行う者各一名宛三名の担務を必要とした。

c 当日予定業務の所沢、岩沼間航空回線障害に関する保全管理会議は、同月一〇日に三時間四〇分に亘って所沢、岩沼間航空局間の航空管制回線に異常障害が発生するという影響の極めて大きな障害事故があったことから、全国市外電話回線網を一元的に管理運用している本社保全局の仙台即時網保全管理室も加わって、仙台搬送通信部及び仙台統話中の三者間で、右障害の分析、回路切替方法等を検討し、再発防止を期して開くものであり、同月一三日に右三者間の打ち合わせで開催期日が決められたものであった。

d また仙台地区の障害手配についての打ち合わせ会は、仙台統話中と昭和五〇年秋に新設した榴ヶ岡統話中とが分担して行っていた仙台地区における伝送路の保守につき、その障害修理などを迅速、的確に行うためには、両中継所の緊密な連絡共同体制が必須であるところ、相互の保守エリアが入り組んでいる上に、回線ルートその他伝送路に変更が加えられたり、人事異動によって担当者が代わるなどによって、同地区の保守体制に齟齬をきたすおそれが出たため、五月一二日に両中継所間で日程を調整し、障害が発生した場合の迅速、的確な手配について遺漏のないよう行うことになったものであった。

したがって、右二つの会議は、いずれも他日に変更することは困難且つ不適当であった。

e 右二つの会議の目的からみると、工事係長を補佐し工事係長と共に現場作業の指導、監督を職務とする工事主任も、同会議に出席することは望ましいけれども、しかし現場作業の指導監督者であるそのどちらかが出席し、爾後課内への伝達を適切になせば右各会議の所期の目的を支障なく達成することができないではなく、必ずしも二人とも出席を必要とするものではなかった。

f ところで、加賀課長は、前記時季変更権行使の際、その理由として、当日保全会議や打ち合わせ会、前認定の切替作業などが予定され、原告加藤の業務が欠かせない旨説明した。

なお同課では、それまでデスク業務の担当者の応援を得て課員をやりくりするなどにより、業務上の支障を生ぜしめないことができたことから、日勤勤務予定者からの年休請求に対して時季変更権が行使された例はなかった。

g 当日原告加藤が出勤時刻になっても出勤しなかったため、加賀課長は、保全管理会議及び障害手配についての打ち合わせ会に出席を予定していた岡崎工事主任を前認定の切替作業に従事させ、右各会議には他の前記出席予定者のみが出席し、それ以外の予定業務はそれぞれ前認定のとおり担務して処理した。

これにより同課の業務には全く支障が生じなかった。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、加賀課長において原告加藤の担務と予定していた前認定の切替作業が、同原告の年休取得によって二名だけとなると、同作業の遂行に支障を生ずるおそれがあったといえるが、前認定の保全管理会議及び打ち合わせ会には工事係長が出席さえすれば工事主任がそれに出席しなくとも右各会議の所期の目的を達成することができ、特に支障もないことが認められるのであるから、原告加藤の年休請求に対する対応として、当初から当日朝の担務指示により岡崎工事主任を切替作業に回し、田代工事主任、小山内係員の三名で同作業を実施させるよう配慮さえすれば、右切替作業に支障を生ずることを避け得たものということができる。

そうすると、統制台勤務や障害調査試験担務予定者などからの切替作業への応援の可否について検討するまでもなく、原告加藤に当日年休を与えても、同課の事業の正常な運営に支障の生ずるおそれはなかったものということができる。

ロ 五月二一日について

(イ) 原告加藤の当日の勤務予定が午後四時五五分から翌日の午前八時四五分までの宿直宿明勤務であったこと、宿直宿明勤務に当たる者は二名で、これは全電通との協議によって定められている服務線表(時間別要員配置予定表)上最低配置人員とされていたことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 宿直宿明勤務は二名で、夜間時における障害受付、試験手配及び放送線の定期試験等に従事し、途中交替で仮眠、休憩、食事等を行っており、一名でも欠くと直ちに業務に支障を生じた。

b 宿直宿明勤務は、交替勤務者のみが輪番でこれに服していたので、被告公社は、宿直宿明勤務者から年休請求があった場合は、管理者に対し日勤勤務その他の服務に勤務割変更した上で年休を認めるよう指導していたが、交替服務者間の勤務割変更を行うと輪番が崩れて後の調整が困難になるし、さらに宿直宿明勤務者の代替者を捜さなければならないことになるため、同課では宿直宿明勤務者について勤務割変更をせずに直接年休を認め、その代替者を日勤服務者の中からその同意を得て勤務割変更し補充していた。

五月二一日当日は日曜日であるが、日曜日の場合でも同様に日勤服務の週休者の中から、その同意を得てその者の週休日を他日に振替えて出勤を命ずる方法により代替させ、年休取得を認めていた。

なお同課では、昭和五三年度中に本件年休請求を除き宿直宿明勤務者の年休請求が九件あったが、いずれも時季変更権が行使されず認められており、そのうち四件は週休者の週休日を他日に変更して代替勤務させている。

c ところで、被告公社の就業規則二六条に、職員の勤務割は業務上必要のあるときは変更されることがあるとし、右の勤務割の変更は原則として前前日の勤務終了時までに通知されると規定されており、同規則三一条には、週休日は業務上やむを得ない理由があるときは他の日に変更されることがあるとし、右週休日の変更は原則として前前日の勤務終了時までに通知されると規定されている。そして、被告公社と全電通との団体交渉において、勤務割を勤務の前日又は当日に変更する場合は本人の同意を必要とする旨の合意がなされていた。

したがって、被告公社は、前前日以前である限り右就業規則の定める要件のもとで勤務割又は週休日の変更を一方的になし得ることとなるが、勤務割変更、殊に週休日の変更は、その変更を受ける職員に少なからぬ負担を与えるものであるため、前認定のとおり実際の運用においてはやむを得ない事情がない限り常に同意を得て行っていた。

d 同課の日勤服務者は、加賀課長を除き九名であったが、当日は田村係員は研修のため出張中、田村、(ママ)岡崎両工事主任は翌二二日に実施法の会議があり、羽沢第三試験係長は試験の専門技術者で宿直宿明勤務の実務経験に乏しいため、結局右九名のうち当日週休予定の五名のみが勤務予定表上代替させることが可能であった。

e 年休請求があった場合の代替者の確保は、従前加賀課長が行っていたが、同課長は、週休者に代替させる場合には年休請求者から年休を必要とする事情を聴取しその事情を週休者に説明して代替勤務の同意を得るのを通例としており、年休請求がやむを得ない事情によるのに、代替要員を確保できない場合には、時季変更権を行使せず自ら代替し、年休を必要とする事情がさほどのものでない場合には年休請求を撤回して貰うようなこともあった。

もっとも、職員の側でも週休日の年休取得が週休者に迷惑をかける結果となることから、自粛する傾向にあったため、前記b認定のように週休者代替の事例は極めて少なかった。

f 加賀課長は、原告加藤が年休請求の理由を明らかにせず、また前認定のとおり服務規律の厳正化についての指示を受けていた折、同原告は年休を利用して、成田空港開港阻止の現地闘争に参加することが懸念されたため、前記五名の代替勤務可能な週休者に代替勤務の意向を打診するなど代替勤務者確保の配慮を全くすることなく、同原告に対し宿直宿明勤務は二名が最低配置人員であるとの理由を説明し、前記のとおり時季変更権を行使した。

g 原告加藤が当日出勤時刻になっても出勤しなかったため、加賀課長は自ら同原告に代替して他の一名と共に宿直宿明勤務をした。

(ロ)a 以上の事実に照らして考えると、同課の宿直宿明勤務は二名の最低配置人員となっていたので、原告加藤が年休を取得すると、その代替勤務者を確保できない限り直ちに同課の業務に支障を生ずることは前認定のとおりである。

したがって、前認定の当時の勤務体制や慣行等からみると、週休予定となっていた日勤服務者、そのうちでも当日前後の勤務予定上代替勤務が可能な前認定の五名の中から勤務割を変更して代替勤務者を確保する必要があったというべきであるが、加賀課長はそのような配慮を全くしないで、時季変更権を行使したものである。

b ところで、勤務割を定め変更することは本来使用者の専権に属するものであって、使用者の義務ではない。しかしながら、労基法の年休に関する定めの趣旨は、使用者に対しできるだけ労働者が指定した時季に年休を取得できるよう状況に応じた配慮をすることを要請しているものとみることができるから、使用者の右権限といえども労基法に基づく年休権の行使により結果として制約を受ける場合のあることは当然であって、勤務割によって予め定められていた勤務予定日につき年休の時季指定がなされた場合においても異なるところはなく、そのような勤務体制がとられている事業場においては、使用者として通常の配慮をすれば勤務割を変更して代替勤務者を配置することが客観的に可能な状況にあるにもかかわらず、使用者がそのための配慮をしないことにより代替勤務者が配置されないときは、必要配置人員を欠くものとして事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということはできないと解するのが相当である(最判昭和六二年七月一〇日労働判例四九九号一九頁参照)

c そこで、これを本件についてみるに、先のとおり勤務割変更についてはその対象者の同意を得て行っていたのが通常であったからその同意を得ることを要するが、従前の例からみて又勤務予定表上も代替勤務が可能な者が五名存したのであるから、予め代替勤務の意向がないことが何らかの事情で明らかであった等の事情が認められない限り、年休請求に対する従前と同じ対応をすることにより、勤務割を変更して代替勤務者を配置することが客観的に可能な状況にあったというべきである。

しかるところ、加賀課長は、それまでとは異なり右の者らに対し代替勤務の意向を打診すらしなかったというのであるから、その結果代替勤務者を配置できず原告加藤の年休取得により最低配置人員を欠くことになるため自ら代替勤務せざるを得なかったとしても、被告主張の管理業務の支障を含めて同課の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということは許されないというべきである。

なお原告加藤は年休を必要とする事情を明らかにしなかったところ、一般的にその事情を説明した方が代替勤務の同意を得やすいことは否定できないけれども、同じ職場の仲間のことであり、それだけでは右同意を得ることが困難な場合に当たるとまでは認め難いから、代替勤務者を配置することが客観的に可能な状況になかったものということはできない。

d ところで、前認定のとおり当時被告公社は、三・二六事件で逮捕者を出し服務規律の在り方について各方面から厳しい批判を受け、五月二〇日の成田空港開港日前後に再び右開港阻止闘争による破壊活動等の違法行為が激化することが予想されたことから、再び同様の批判を受けることのないよう、職員を違法行為に参加させないため、被告公社が一丸となって安易な勤務割変更をしないなど服務規律の厳正化を図っていた折であったところ、原告加藤は、前認定のとおり右反対闘争に深くかかわっていたことから、年休を利用し現地の右反対闘争に参加して違法行為に及びかねないことを懸念したとしても無理からぬものがあり、加賀課長が前認定のとおり勤務割変更の配慮をしないで時季変更権を行使した事情は理解できなくもない。

しかしながら、最低配置人員を欠く場合において、年休請求者に年休を取得させるために勤務割変更すること自体は決して安易な勤務割変更ということはできず、服務規律の厳正化にもとるものということはできないし、そもそも年休の利用目的は労基法の関知しないところである(最判昭和四八年三月二日民集二七巻二号二一〇頁参照)から、勤務割を変更して代替勤務者を配置することが可能な状況にあったにもかかわらず、年休の利用目的の如何によってそのための配慮をせずに時季変更権を行使することは、利用目的を考慮して年休を与えないことに等しく許されないものであり、右時季変更権の行使は結局事業の正常な運営を妨げる場合に当たらないものとして無効と解すべきである(前掲最判昭和六二年七月一〇日参照)。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告加藤に対する前記時季変更権の行使は、五月一九日、二一日のいずれについても労基法三九条三項旧書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

2  原告大内について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告大内が五月一七日午後六時ころ所属する仙台統話中の荒川回線統制課長に対し同月一九日、二〇日の両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性について

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(3)イ(イ)の事実、すなわち原告大内の所属する仙台統話中回線統制課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、原告大内が日勤服務で現場作業に従事していたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一九日について

(イ) 原告大内の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後四時五〇分までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると次のとおり認められ、(人証略)の各供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 荒川課長が時季変更権を行使した五月一七日時点における同月一九日当日の同課の勤務及び休務予定数、業務予定並びに原告大内を含む日勤帯の右勤務予定者について同課長の立てていた各担務予定は、いずれも抗弁1(二)(3)イ(ロ)記載のとおりであった。

b もっとも、同課は統計係、調整係、回線係の三係に分れ、原告大内は回線係に属していたところ、統計係の末永係長、長南係員、調整係の佐藤係長、伊藤工事主任はそれぞれの業務を専属的に担務していたので、予めその担務が定まっており、回線係の伊藤係長、丹野工事主任の担務も予め定められていたが、回線係の各係員の担務は、課長等において一応の担務予定が立てられていても、長期的業務でなければ当日の朝になって出勤状況により係長や主任から指示されていたのが実情であった。

c 右重要専用回線原簿の伝送路確認作業とは、警察線、放送局線など専用回線のうち国家公共の安全にかかわる重要な五五〇回線について、第二整備課で作成し回線統制課で保管して日常的に回線の変更事項があればその訂正を行うなど維持管理していた回線原簿上の伝送路の記載と、第一整備課作成保管にかかる回線収容表上の当該記載に相違がないかどうか突き合わせを行い、右原簿に遺漏などがあれば必要な是正を行う作業であって、これは重要回線が万一にも罹障した場合に、切替措置の正確を期するとともに、迅速且つ的確に予備伝送路に切替えできるようになっているかどうかなどの確認を目的として行うものであった。

なお回線原簿は障害修理などに使用されることは少ないが、基本となる原簿であり、その正確性を保持しておくべきことは当然の要請であった。また回線原簿の整備は回線統制課分掌事項であり、右確認作業は同課の業務に属していた。

d この確認作業は、従前は年に一度程度行っていたにすぎなかったが、五月一七日午後三時三〇分ころ、仙台搬送通信部から、右業務を実施して同月二〇日正午まで電話で報告するよう指示されて急遽行うことになったものであった。このような指示が急遽なされたのは、五月二〇日の成田空港開港を控え、前記第二の二1(二)(4)認定のとおり過激派集団による被告公社の電気通信設備に対する無差別的破壊活動が懸念されたためであり、万一の事態に備え、右認定の特別災害対策の一環として行うものであった。

e この確認作業は、前認定のとおり荒川課長によって原告大内と永沢の二名の担務予定とされていたが、右作業は一名で行うことも本来不可能ではなかった。

しかしながら、荒川課長は、回線収容表のうち方式別回線収容表との照合を企図していたところ、一名で行うのは非能率的で、後記認定のとおり同課長らが二名で実際に右確認作業を行い五時間要したことからすると、一名では相当長時間要し報告期限に間に合わないおそれがあり、正確性を期するためにも二名で担務する必要があった。同課長は、それ故に二名の担務を予定したものであった。

したがって、原告大内に年休を取得させるには、他に右確認作業を担務する者が存しなければならなかった。

f 当日の予定業務のうち所沢~岩沼航空局回線障害に関する保全管理会議は前記第二の二1(三)(2)イ(イ)c認定の経緯、目的で回線統制課が主宰し開催することになったものであり、伊藤回線係長の出席が予定されていた。

同会議は午後だけの予定であったが、同係長は、荒川課長から命じられた右会議の議題である右障害状況と経過、切替上の問題点と対策等について主管課としてなすべき資料の作成、整備や、会議場の設営、出席者名簿の作成などの準備で、当日午前中かなりの時間を要する見込みであった。

しかしながら、前日の一八日に原告大内の年休取得に備えて資料整備などをある程度進めておけば、同係長において当日午前中に二時間程度他の業務を担務することが不可能ではなかった。

g 当日予定業務のうち仙台地区における障害手配についての打ち合わせ会議は、前記第二の二1(三)(2)イ(イ)d認定の経緯、目的で開催されることになったもので、丹野工事主任がその出席を予定していたが、右会議は午前中のみの予定であった。

そして、右会議の主管は仙台統話中第一試験課であり、内容的にも障害手配を実際に行う試験課には直接関係するが、回線統制課は試験課に手配した後の障害手配がどのように行われるか把握する立場で参加するものにすぎなかったから、丹野工事主任が午前中の打ち合わせ結果の要旨を取り敢えず口頭で荒川課長に報告しておけば足り、午後一ぱいかけて直ちに整理し文書化して報告しなくとも業務に支障を生ずるおそれはなかった。

なお当日同工事主任は、荒川課長が午後の前記保全管理会議に出席したため、その終了後の午後四時に同課長に対して三〇分程で口頭報告しているが、右口頭報告の準備であればそれほど時間を要するものではなかった。

したがって、丹野工事主任は、当日午後三時間程度であれば、他の業務を担務することも不可能ではなかった。

h ところで、荒川課長は、前記時季変更権行使の際、その理由として五月一九日は年休取得者が既に二名ある上、当日会議その他の業務が多く業務繁忙である旨原告大内に対し説明した。

そして、同課長も加賀課長について認定のとおり服務規律の厳正化について指示を受けていたところ、原告大内は当時成田空港開港阻止を訴えるビラを配布したりしており、右開港阻止闘争に深くかかわっているものと見られたため、右時季変更権行使の際、同原告に対し成田に行ったら大変なことになるので右闘争に参加しないよう注意した。

なお同課ではそれまで時季変更権が行使されたことはなかった。

i 当日原告大内が出勤しなかったため、荒川課長は、前記確認作業を予定どおり行うことを断念して、その担務予定の永沢係員に統制台勤務を命じ、午後五時過ぎから第一試験課長の応援を得て自ら右作業を実施、同一〇時ころ完了した。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、当日荒川課長において原告大内と永沢係員の担務として予定していた前認定の確認作業は、当時の社会情勢のもとでは上部の指示に応じて緊急に行うべき業務ということができるし、正確を期し且つ効率的に行うためには二名で行う必要があったと認められるのであるから、他に担務すべき者が存しない限り、原告大内の年休取得により一名だけとなって、その業務に支障を生ずるおそれがあったものということができるところ、当日午後の保全管理会議に出席予定の伊藤回線係長と、当日午前の障害手配についての打ち合わせ会に出席予定の丹野工事主任において、それぞれ右会議のない時間帯に二名合わせて延べ五時間程度右確認作業を永沢係員と共に行うことができ、これによって同作業を同日、日勤勤務時間内に完了することが可能であったことは前認定のところより明らかである。

そうすると、原告大内が年休を取得しても、右伊藤係長らの代替補充によって予定どおり同課の業務を支障なく行うことができたものということができる。

右原告が出勤しなかったため荒川課長において現実になした措置は前認定のとおりであるが、右のような対応が可能であった以上、右判断の妨げとならない。

したがって、更に当日の他の業務予定者や週休者による代替勤務の可否について判断するまでもなく、原告大内に年休を与えても、同課の事業の正常な運営が妨げられるおそれはなかったというべきである。

ロ 五月二〇日について

(イ) 原告大内の当日の勤務予定が午前八時三〇分から正午までの短時間日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右原告大内の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 荒川課長が時季変更権を行使した五月一七日時点における同月二〇日当日の同課の勤務及び休務予定者数、業務予定並びに原告大内を含む当日の日勤帯の勤務予定者四名について同課長の立てていた各担務予定は、いずれも抗弁1(二)(3)イ(ロ)記載のとおりであった。

もっとも、同課における具体的担務は、既に認定のとおり当日の朝に指示されるのが通例であった。

b 原告大内の当日の担務とされた重要専用回線切替措置表の見直し作業は、重要専用回線の回線原簿と切替措置表の突き合わせを行って同回線が罹障した場合、迅速且つ的確に予備回線へ切替えることができるようにするために行うものであり、前認定の伝送路確認作業と同じく同月一七日付で仙台搬送通信部から指示され、当日正午まで同通信部に報告しなければならなかった。

この時期に右のような指示がなされたのは、伝送路確認作業の場合と同様に成田空港開港阻止闘争によって不測の事態が懸念されたことから、これに備えるためであった。

もっとも重要専用回線の罹障時の救済方法は、「異常障害措置作成要領」で優先順位が定められていてほぼ一〇〇パーセント救済されることになっており、しかもその大部分は、MGSW(MGスイッチャー)による自動切替によって救済されることになっていた。

c 右見直し作業は、具体的には警察、報道、消防等の重要な九〇回線を対象として回線原簿と切替措置表を突き合わせ、伝送路が自動、手動のいずれで予備回線に切替えられることになっているか点検し確認するものであり、正確を期し且つ報告期限との関係で三時間程度で完了する必要があったことから、荒川課長は原告大内と和賀係員との二名の担務予定としたものであった。

したがって、原告大内に年休を取得させるには、右見直し作業を代替して担務する者がなければならなかった。

d 当日予定業務のうち電算機システム統合のための打ち合わせ会は、本社から出された電気通信の各種施設に関する統計処理のためのコンピュータシステムと右各種施設にかかる障害の発生状況その他障害に関する統計処理のためのコンピュータシステムとの統合改善案について、東北としての意見を集約するために、上部機関である東北電気通信局保全部が、同月一六日付の招集通知により各現場機関を招集して行う会議でこれらの業務は統計係の分掌事項となっていたことから、末永統計係長が出席する予定となっていた。

また平常業務である統制台勤務は、関係機関、他課あるいは専用回線利用者から市外電話回線についての障害申告、問い合わせ、施工を予定される工事の内容、工期などの連絡を受付け、関係機関、他課あるいは専用回線利用者への必要な修理の依頼、照会、通知など所要の指示その他情報連絡を行う業務で、鈴木係員の担務予定とされていたが、いずれも欠くことのできない業務であり、原告大内が担務予定の前記見直し作業と兼ねて行うことは不可能であった。

e 以上のとおり当日勤務予定の者が原告大内の担務予定の業務を代替することはできなかったが、当日週休予定九名のうち、少なくとも伊藤回線係長と丹野工事主任は、同じ回線係で且つ日勤服務者であり代替させることが不適当な輪番交替服務者ではなかったから、代替勤務させることは前記第二の二1(三)(2)ロ(イ)c認定の就業規則等に照らしても右勤務予定表上可能であった。

そして、先に認定のとおり従前同課で時季変更権を行使した事例がなかったにもかかわらず、荒川課長は、業務に見合う必要配置人員を欠くと判断していながら、その場合に通常なすべき代替勤務可能な者に対するその意向打診などの代替勤務者を配置するための配慮を全くしなかった。

f なお荒川課長は、前記時季変更権行使の際、その理由として当日は会議その他の業務で業務繁忙である旨原告大内に対し説明した。

g 当日原告大内が出勤しなかったため、荒川課長は、前記見直し作業を和賀係員だけで行わせることは適当でなく、また当日はたまたま所沢、成田間の航空管制回線が収容されている被告公社の同軸ケーブルがいわゆる過激派集団によって切断され、情報連絡が輻輳していたことから、和賀係員を統制台勤務に回し、仙台搬送通信部に事情を説明して見直し作業の報告期限の猶予を得た上、午後一時から自ら第一試験課長の応援を得て右見直し作業を実施し、午後五時ころ完了した。右のように長時間要したのは、作業途中、右ケーブル切断事故のためそれに関連する各種の業務が生じたためであった。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、荒川課長において五月二〇日当日に原告大内と和賀係員の担務として予定していた前認定の見直し作業は、当時の社会情勢のもとでは上部の指示に応じて緊急に行うべき作業といえるし、正確を期し且つ短日勤の限られた勤務時間内に完了して所定の期限までに報告するためには二名で行う必要があったということができるから、原告大内が年休を取得した場合、その業務を代行する者が存しない限り一名だけとなってその業務、したがって同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったということができる。

しかるところ、当日の日勤帯の勤務予定者が原告大内の担務予定業務を代行できなかったことは前認定のとおりであるが、その結果同原告の年休取得により必要配置人員を欠くに至り同課の業務に支障を生ずるおそれがあったとすれば、使用者はできるだけ労働者の指定した時季に年休を取得できるよう状況に応じた配慮をなすべきことは既に説示のとおりであるから、当日の勤務予定者以外の者から勤務割変更により代替者を配置できないかどうか検討し、代替勤務可能な者が存するのであればその代替勤務の意向を打診するなどの配慮をなすべきであったというべきところ、被告公社は、前認定のとおり勤務予定表上少なくとも二名の代替勤務可能な者が存したにもかかわらず、右代替勤務の意向を打診すらしなかったのであるから、右のような配慮をしないため代替勤務者を配置できない結果、業務量に見合う必要配置人員を欠くことになって業務に支障を生ずるおそれがあったとしても、同課の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということはできない。

なお荒川課長のなした現実の措置は前認定のとおりであるが、それは本来なすべき配慮を怠った結果にすぎないから、右判断の妨げとならない。

結局のところ荒川課長の前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件の存否にかかわらず、前認定の服務規律の厳正化について指示を受けていた折から、原告大内が年休を利用して現地における成田空港開港阻止闘争に参加することを懸念して行使したものと推認されるが、右の如く年休利用目的を考慮し時季変更権を行使することの許されないことは既に説示したとおりである。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告大内に対する前記時季変更権の行使は、五月一九日、二〇日両日のいずれについても労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

3  原告小川について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告小川が五月一九日午前九時五〇分ころ所属する仙台統話中の畑山第二整備課長に対し同月二〇日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が同日午前一〇時三〇分ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(4)イ(イ)の事実、すなわち原告小川の所属する仙台統話中第二整備課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、原告小川が日勤服務で係員として現場作業に従事していたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告小川の五月二〇日(土曜日)当日の勤務予定が午前八時三〇分から正午までの短時間日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 畑山課長が前記時季変更権を行使した時点における五月二〇日当日の同課の勤務及び休務予定者数、業務予定並びに当日の原告小川を含む勤務予定者四名についての同課長の立てていた各担務予定はいずれも抗弁1(二)(4)イ(ロ)記載のとおりであった。

もっとも同課では、平常業務についての担務は、当日朝に各課員に指示するのが通例であり、したがって当日の出勤状況により予め定めていた担務予定を変更して指示することもあった。

(ロ) 原告小川の当日の担務予定とされたMGDF、SGDFのデジグネーション見直し作業とは、MG(マスターグループの略号で市外電話回線三〇回線を束ねて集合する装置)及びSG(スーパーグループの略号で右の六〇回線を束ねたもの、なおDFとはデストリビューテングフレームの略号で右各装置を相互に接続するいわば接続盤)に収容されている回線の名称、区間、回線番号などの内容を記載したデジグネーション(表示板、MGDFやSGDFを搭載している架の上部その他必要な場所に掲示されている)の表示内容に過誤がないかどうか原本となる施設記録台帳とデジグネーションとを逐一突き合わせて、デジグネーションの表示内容に過誤があればそれを訂正する作業であった。

右デジグネーションの掲示は、市外回線に故障等の障害が発生した場合、当該罹障回線が無数にある機器類のどこに収容されているか外見上明示することにより、その迅速な回復措置を講ずることができるようにする目的でなしているもので、その表示に誤りがあると万一の事態に十分対応できないおそれがあったため、右作業を行う必要があった。

(ハ) もっとも、右点検作業は、本来は第一整備課の業務であるが、第二整備課が実施した回線の新増設工事や局内移装等に伴う回線の移設工事で変更したMG及びSGDFのデジグネーションについて、かねてから右回線の保守担当の第一及び第二試験課から誤りを指摘されその見直しを求められていたため、四月二〇日第二整備課内係長、主任打ち合わせ会において、同課の責任としてその誤記を是正すべく右見直し作業を行うことを決定していたものであり、他の建設工事等のため実施を見送っていたものを、前記第二の二1(二)(1)ないし(4)認定の当時の社会情勢から事前の予防復旧警備体制などについて特別の災害対策を講ずるよう指示され、仙台統話中でも全管理者を動員して警備体制をとるなどの緊迫した事態となったため、回線の迅速な復旧のため欠かせないデジグネーションの見直し作業を早急に実施することになり、五月一五日ころ工事係長に指示し、同課の作業計画上同月一九日(金曜日)から日曜をはさんで二二日(月曜日)までの三日間で実施することになったものであった。

(ニ) 右見直し作業は、二名でも実施できるが、三名で行う方が正確にできるし、効率的であり、予定の三日間で作業を終了させるために三名を配置する必要があった。

ところが、原告小川が年休請求した五月一九日には他の建設工事のため二名しか配置できなかったので、予定どおり作業を進めるには同月二〇日当日に三名の配置が欠かせない状況であった。

(ホ) 当日の勤務予定者は原告小川を含めて四名で、右見直し作業以外の担務予定であった千葉第一整備係長は、課内総括担当者としてその専担事項に属する六月分作業予定表の作成予定となっており、同予定表は同月二五日までに全電通仙台統話中分会に提示することになっていたところ、同係長は同月二三日から二五日まで出席予定の会議があったため、当日の作成業務を中断させて他の業務を行わせる余裕はなかった。

(ヘ) なお当日見直し作業担務予定の郷内工事主任が突発的に始業時から午前一〇時までの二時間の年休を請求してきたのに対し畑山課長は時季変更権を行使しなかったが、それは同主任の年休理由が「家の都合のため」ということであり、かねて夫婦関係が良くないと聞き及んでいたのでやむを得ないと判断したためであった。ちなみに同主任は六月に至り離婚するに至った。

(ト) 一方原告小川の場合は年休請求の理由を明らかにしなかったばかりでなく、当時成田空港開港阻止闘争関係のビラに支援者として名を連らねたり、毎日のように職場で同種ビラを配布するなど日頃から同阻止闘争に深くかかわっていたことから、年休を利用して現地の右闘争に参加することが懸念される状況であった。そのため畑山課長は既に加賀課長について認定のとおり服務規律の厳正化について指示を受けていたこともあって、前記時季変更権行使の際原告小川に対し、成田に行ったら大変なことになる旨同闘争に参加しないよう注意した。

(チ) ところで、当日の週休予定は一五名であり、全員が日勤服務者であった。したがって当日の勤務予定者で原告小川の担務予定の業務を代行できず業務に支障を生ずる場合には、週休予定者の勤務割を変更し代替勤務させることも、前記第二の二1(三)(2)ロ(イ)c認定の就業規則等に照らし可能であった。

もっとも従前週休者に代替勤務させた例はなかったが、それは年休請求があっても後記認定の担務等の調整によって十分対応できたからにすぎなかった。

しかるに畑山課長は、業務に見合う必要配置人員を欠くと判断していながら、右の者らに代替の意向を打診するなど代替勤務者を配置するための配慮を全くしなかった。

(リ) なお畑山課長は、前記時季変更権行使の際、その理由として前認定の見直し作業があり、年休を取得させると業務に支障が生ずる旨説明したが、同課では、従前当日の出勤状況によって担務や業務を調整し、時季変更権を行使した事例はなかった。

(ヌ) 当日原告小川が出勤せず、郷内工事主任は前認定のとおり始業時から二時間の年休、畑山課長も当日前記第二の二2(二)(2)ロ(イ)g認定のとおり過激派集団に同軸ケーブルを切断されその情報連絡などがあったため、結局当日午前一〇時三〇分から同課長も加わり三名で見直し作業を終業時まで実施し、ただ時間が少なく訂正まで作業ができなかったため、右訂正は五月二二日に行った。なお同月二二日にも三名で同作業を実施した。右見直し作業の結果二二件の過誤が発見された。

ロ 以上の事実に照らして考えると、原告小川が当日担務予定のデジグネーション見直し作業は、本来は他課の所管に属しているけれども、第二整備課でそれを行うことになったのは、同課所管である建設工事等の結果生じた誤りを是正するためであること前認定のとおりであるから、右作業は右建設工事に附随する作業の一環として同課の業務にも属するというべきところ、右作業は五月一九日から三日間で実施することが要請されたため、これを正確且つ効率的に行うには三名の担務で行う必要があったが、初日の一九日は他の業務が多忙で二名のみで実施せざるを得なかったこともあって、同月二〇日当日は三名で実施して作業を急がなければ予定どおり作業を完了できず時期を失するおそれもあったのであるから、当日原告小川が年休を取得すると、その業務を代替すべき者が存しない限り予定どおり右作業を完了することができないことになって同課の業務に支障を生ずるおそれがあったということができるところ(郷内に当日二時間年休を取得させているのは前認定の事情によるものであり、右判断を左右しない)、当日の勤務予定者は原告小川を含め四名で、そのうち唯一人見直し作業の担務予定のない千葉係長は当日他の業務のため原告小川の担務を代行できなかったことは前認定のとおりである。

しかしながら、使用者はできるだけ労働者の指定した時季に年休を取得できるよう状況に応じた配慮をなすべきことは既に説示のとおりであるから、当日の勤務予定者によってその業務を代行できず、その業務を行うための必要配置人員を欠くことになるというのであれば、当日の週休者で代替勤務可能な者にその代替勤務の意向を打診するなどの配慮をなすべきであったというべきところ、被告公社は前認定のとおり代替勤務可能な者が存したにもかかわらず右代替勤務の意向を打診すらしなかったのであるから、右のような配慮をしないため代替勤務者を配置できない結果、予定業務を遂行するための必要配置人員を欠くことになったとしても、同課の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということはできない。

畑山課長が部下職員である原告小川の予定業務を代行したことは前認定のとおりであるけれども、それは本来なすべき配慮をしない結果であるから、被告主張の管理業務の支障を含めて右事業の正常な運営を阻害されたことの証左となるものではない。

なお郷内の年休請求に対する時季変更権の行使を差し控えながら、その前になされた原告小川に対する時季変更権を行使したのは、服務規律の厳正化の指示を受けていた折、同原告が成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念したためで、年休の利用目的を考慮した結果であることが前認定のところから明らかであるが、年休の利用目的を考慮した時季変更権の行使の許されないことは既に説示のとおりである。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告小川に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効であるといわねばならない。

4  原告坂下について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告坂下が五月一六日午前九時二〇分ころその所属する仙台電話局第一施設部の佐藤第二電力課長に対し同月一九日から二二日まで四日間について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が同月一八日午後四時四〇分ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(5)イ(イ)の事実、すなわち原告坂下の所属する仙台電話局第一施設部第二電力課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、原告坂下が六輪番服務の係員として現場作業に従事していたこと、宿直宿明勤務は一名の最低配置人員であったこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一九日について

(イ) 原告坂下の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 佐藤課長が時季変更権を行使した五月一八日時点における同月一九日当日の同課の勤務及び休務予定者数、予定業務並びに当日の原告坂下及び同原告と共に年休請求した原告松崎(同原告の当日の予定勤務は午前八時三〇分から午後五時まで)を含む日勤帯の勤務予定者七名について同課長の立てていた各担務予定は、いずれも抗弁1(二)(5)イ(ロ)記載のとおりであった。

もっとも同課では、当日朝にその日の担務を指示するのが通例であり、したがって、出勤者の状況により予め課長の立てていた担務予定を変えて指示することもあった。

b 原告坂下が同松崎、菊池工事主任と共に当日午前八時三〇分から午後三時までの担務予定とされた有人無人局各種保安用具耐圧試験とは、第二電力課において高圧の電源を取り扱うことから作業をする職員の安全を確保するために、耐圧手袋、長靴、保安帽等を計画的に耐圧試験器を用いて性能試験するもので、四月末に作成された五月の電力保守計画線表において当日に実施が予定されていた。

この耐圧試験を実施するには、耐圧試験器の着脱、同試験器の操作、試験電圧の記録等の各作業に各一名は必要とするので、少なくとも三名の要員配置が必要であり、したがって原告坂下が同松崎と共に年休を取得すると、その業務を代行する者がない限り、右耐圧試験を実施することはできなかった。

c 右耐圧試験は、従前年に一、二回程度、通例三名で二日間に亘り、本局、分局分を一括して実施していたが、五月は同月一九日の一日だけ行うため、分局分のみを行う予定となっていた。

右試験は、前記第二の二1(二)(4)認定の成田空港開港阻止闘争として予想される無差別的破壊活動に備えての特別災害対策の一環として行うものではないので、右耐圧試験実施後、直ちに保安用具を分局に返戻する計画はなく、当初から一か月に一、二回実施している分局への巡回の折にこれを返戻する予定となっていた。

d なお同課では、前記計画線表上予定された業務であっても出勤状況などによって変更した前例がないではなく、右耐圧試験を延期した場合でも、五月中はともかく六月中に実施することは必らずしも困難ではなかった。

また本局の保安用具については、五三年度において一一月二一日、二二日の二日間実施した際に右耐圧試験を行っただけであり、年に一度でも支障が生じるというものではなかった。

e 原告坂下は、同松崎、菊池工事主任と共に前認定の耐圧試験に引続いて午後三時から終業時の同五時まで実施することが予定されていた非常用電源装置特別点検とは、電話交換機など電気通信設備等に必要な商用電力の供給が止まった場合に、これに代わって電力を供給する非常用電源(デーゼル機関)の発動発電機の動作機能試験、同じく蓄電池の容量試験、燃料系統の点検等を行うものであって、五月一三日に宮城電気通信部から特別災害対策に伴う特別保守体制の一つとしてバックアップ機器点検整備の指示を受け急遽実施することになったものであるが、必らずしも三名で行わなければならないものではなく、実際にも当日佐藤課長だけで実施した。もっとも耐圧試験に時間を要し時間がなかったため、五ないし一〇分程度一部起動試験を実施したにすぎなかった。

f 佐藤課長は、前記時季変更権行使の際、原告坂下に対しその理由として当日は業務の都合がある旨説明した。

なお仙台電話局でも当時前認定の仙台統話中と同じく服務規律の厳正化指示が全管理者に対しなされていたところ、原告坂下は昭和五二年五月に東京都内の代々木で開催された成田空港開港阻止闘争に参加して受傷したことがある上、右阻止闘争に関するビラを配布するなど右闘争に深く関与し活発に活動していたことから、五月二〇日の同現地闘争にも参加するものとみられたため、佐藤課長は原告坂下から年休請求を受けた際、同原告に対し右闘争に参加しないよう注意していた。

同課では、従前当日の出勤状況によって担務や業務を調整し、時季変更権を行使した事例はなかった。

g 原告坂下と同松崎は、当日出勤しなかったので、佐藤課長はやむなく菊池工事主任、第一電力課長の応援を得て、当初受放電記録運転監視を担当する予定であった津田社員らとともに、原告ら両名が担務予定の有人無人局各種保安用具耐圧試験に従事し、右受放電記録運転監視作業は、当日の大容量電源工事立合いが雨天で中止になったため、その立合い作業に予定されていた秋山工事主任がこれを行った。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、原告坂下が同松崎と共に当日年休を取得すると、その予定業務である保安用具耐圧試験を代行する者がない限り計画線表上予定された同試験を実施できなくなることは前認定のとおりであるが、右耐圧試験は特別災害対策の一環として行う業務ではなく、年一、二回程度行っている定例のものであった上、当日実施する対象は分局のものだけであって、試験済みの用具は後日の巡回を待って返戻すれば良かったのであるから、これを実施するに必要な三名以上の要員を確保できない場合には、従前当日の出勤状況によって予定業務を延期したこともあったので、その例に倣ってその実施を相当期間延期してもさほど支障を生ぜず、延期による他の業務に及ぼす影響もそれほど大きくなかったことが認められる。

そして、特別災害対策の一環として早急に行う必要のあった非常用電源装置特別点検は、一名だけで行うことが可能であったことは前認定のとおりであるから、耐圧試験を延期して原告坂下らと共に耐圧試験の担務が予定されていた菊池工事主任に右特別点検を実施させることにすれば、何ら支障を生じなかったと推認することができる。その他従前の年休請求に対する対応等前認定の諸事情を合わせ考えると、他の代替要員の存否について判断するまでもなく、原告坂下、同松崎の年休取得によっても同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれはなかったものというべきである。

被告公社が原告坂下らの欠勤に対してとった措置は前認定のとおりであるが、右のように対処することによって業務上の支障が生じない以上、右判断の妨げとならない。

ロ 五月二〇日について

(イ) 原告坂下の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 佐藤課長が時季変更権を行使した五月一八日時点における五月二〇日(土曜日)当日の勤務及び休務予定者数は抗弁1(二)(5)イ(ハ)記載のとおりであり、当日の業務予定は平常業務の受放電記録及び運転監視業務のみであったが、日勤帯の勤務予定者が原告坂下と伊藤係員のみで、同係員は午前八時三〇分から午後〇時三〇分までの短時間日勤勤務であり、午後〇時三〇分以降の日勤帯は一名のみの最低配置人員であったため、原告坂下が年休を取得すると、午後〇時三〇分から同五時一〇分までは配置人員が皆無となるので、右年休を取得させるには、右時間帯につき代替勤務者の配置ができなければならなかった。

b 当日の勤務割表上代替勤務可能な者は、当日短日勤予定の伊藤係員(但し午後のみ、同係員は同月一九日が週休で、同月二一日は日勤勤務の予定となっていた)と、当日週休予定の六名であったが、同課では、従前、土曜日一日の日勤勤務者が年休を取得する場合、年休請求者の側で代替勤務可能な者の中から自ら代替勤務者を捜し、その同意を取付けて課長に申し出るのが通例で(通常は短日勤勤務者が代替に応じ、午後も引続き勤務することが多かった)、課長はこれに対し勤務割変更し、代替者には次週以降に振替休日(短日勤勤務者が代替する場合半日休日)を与えていた。

c ところが原告坂下は、右通例にしたがった申し出をしなかったばかりでなく、年休を取得する理由を全く明らかにしなかった。また翌二一日の日曜日には、後記認定のとおり受電室清掃のため同日支障のない週休者六名に週休日勤務を命じており、同月二〇日の週休者に当日代替勤務をさせると、その者に二〇日、二一日の二日間連続週休を返上させることになった。

そこで、同課長は、二一日の週休勤務との関係も合わせ、年休を必要とする理由も明らかでない年休請求者のために週休を返上させることは適当でないし、殊に原告坂下の場合前認定のとおり当日の成田空港開港阻止の現地闘争に参加することが懸念されたため、前認定の服務規律の厳正化について指示を受けていた折でもあることから、代替可能な前記週休者などに代替勤務の意向を打診するなど代替勤務者配置の配慮を全くせず前記のとおり時季変更権を行使した。

d 佐藤課長は、右時季変更権行使の際、五月二〇日は一人勤務となることをその理由として説明した。

e 当日も原告坂下が出勤しなかったため、佐藤課長は自らその業務を代行した。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、当日の午後〇時三〇分から同五時一〇分までは最低配置人員の一名が配置されているだけであるから、原告坂下が年休を取得すると右時間帯の配置人員が皆無となり直ちに業務上の支障を生ずるおそれがあることは明らかであるが、使用者は、そのように年休取得によって最低配置人員を欠くに至る場合においても、それまで通常行っていた方法で勤務割変更により代替勤務者を配置することが客観的に可能な状況であるにかかわらずそのような配慮をなさなかった場合は、最低配置人員を欠くことを理由に事業の正常な運営を妨げる事情が存するということができないことは既に説示のとおりである。

通常年休請求者の側で代替勤務者の同意を取り付けていた職場であったとしても、そうしないと代替勤務者の配置が困難な事情でもあれば格別、そのような事情の存することは認められないから、別異に解すべき理由はない。

しかるところ、従前行っていたように、当日短日勤勤務の伊藤係員は午後に引続き代替勤務が可能であったことは前認定のとおりであり、又当日の週休者も翌日週休勤務を命じられていたので二日連続週休を返上することになるとしても、その振替休日は翌日以降に適宜与えられるのであるから、代替勤務に応ずる者がないとは断定できず、それだけでは代替勤務者の配置が客観的に可能な状況にないとは認め難い。

しかるに佐藤課長は、右代替勤務可能な者らにその意向について打診するなど何ら代替勤務者確保の配慮をしなかったのであるから、その結果最低配置人員を欠くに至るため自ら代替せざるを得なかったとしても、被告主張の管理業務の支障を含め同課の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということはできないといわねばならない。

なお年休の利用目的を考慮して時季変更権を行使することができないことも既に説示のとおりである。

ハ 五月二一日、二二日について

(イ) 原告坂下の右両日の勤務予定が二一日午後四時四五分から翌二二日午前八時四五分までの宿直宿明勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 右両日の勤務及び休務予定者数は抗弁1(二)(5)イ(ニ)記載のとおりであり、宿直宿明勤務予定者は原告坂下一名だけの最低配置人員であった。宿直宿明勤務者は受放電記録運転監視などの業務を行っていたが、原告坂下が年休を取得すると配置人員が皆無となるので、右年休取得させるには代替勤務者を配置できなければならなかった。

b 被告公社は宿直宿明勤務者から年休請求があった場合、その者を日勤勤務その他の服務に勤務割変更した上で年休を認めるよう指導していたが、同課ではそのような勤務割変更をしないで直接年休を認め、その代替者を日勤者や週休者の中からその同意を得て勤務割変更を補充していたところ、当日は日曜日で日勤者は一名だけのため、右日勤者を代替させるとその又代替勤務者を捜さなければならないため、日勤者を代替勤務させることはできなかった。

c 結局同課の課員で当日代替勤務が一応可能といえる者は、当日の週休者八名であったが、当日受電室清掃を行うため(商用電力を切って行う必要があるため、電力需要の少ない休日以外に実施できない)、被告公社は四月末に計画を立て、五月一三日ころ全電通との間に休日労働についての事前協議をなした上、右週休者のうち後記認定の如く成田空港開港阻止の現地闘争に参加するとみられた原告松崎と、私用のため事前に週休勤務に応じられない旨申し出のあった菊池工事主任を除く六名に対し週休勤務を命じており、右業務は受電設備等の機器の安全性を試験するとともに機器をごみ等から防止するための清掃作業で、最低六名は作業要員として欠かせなかったことから、右業務を後日に延期でもしない限り右週休勤務を命じられた者に対して代替勤務させることはできなかった。

原告松崎は、右代替勤務に実際は応じられたかどうか必らずしも明らかではなかったが、同原告が前記闘争に参加することが予想されたため、佐藤課長は代替勤務の意向を打診しても応じないものと予測して右打診をしなかった。

菊池工事主任は午前八時三〇分から午後五時までの予定の週休勤務を予め都合があって拒否していたが、当日午後四時四五分以降の宿直宿明勤務についても都合が悪いのかどうか明らかではなかった。

しかし佐藤課長は、原告坂下が年休取得の理由を明らかにしていないなど五月二〇日の場合と同様の理由でその代替勤務の意向を打診するなどせず、前記のとおり時季変更権を行使した。

d 受電室清掃作業においては、その作業の必要上稼働している機器を止め予備エンジンなどのバックアップ機器に切り換えすることになるところ、機器の切り替えは障害発生の原因となることもあり得るが、必らずしも多くなく、しかも電力需要も少ないときに行われるので、特別保守体制がとられているときであってもこれを行うことは何ら差し支えなかった。

e なお佐藤課長が前記時季変更権を行使した際に原告坂下に説明したその理由も、五月二〇日の場合と同じく一人勤務となるので、業務上支障があるというものであった。

f 五月二一日当日原告坂下が出勤しなかったため、佐藤課長は自ら同原告に代替し翌二二日午前八時四五分まで勤務した。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、右両日に亘る宿直宿明勤務は最低配置人員の一名であったから、原告坂下が年休を取得すると最低配置人員を欠き直ちに同課の業務に支障を及ぼすことは避けられないので、代替勤務者の配置の可否が問題となるところ、先ず年休を取得させるため、二一日の予定業務である受電室清掃業務を延期することも考えられないではないが、同業務は四月から計画され労働組合との協議を経た上六名に週休勤務を命じて実施を予定した業務であるから、その及ぼす影響は少なくなく、これを延期することは同課の業務に支障を生じさせることにほかならないものというべきである。そして、受電室清掃業務には最低六名を必要とするので、当日の週休者八名のうち右週休勤務予定の六名については、代替勤務させることが客観的に困難であったこと前認定のとおりである。また当日週休予定の原告松崎についても、後記認定のとおり成田空港開港阻止闘争に参加することが推認される状況であったから、客観的にみて代替要員として期待できなかったということができる。

しかしながら、残る菊池工事主任については、当日二一日の日勤帯の週休勤務を拒否しているけれどもその拒否理由である私用の内容、所要時間等の如何によっては二一日から翌二二日にかけての宿直宿明の代替勤務が可能であったとも考えられ、その拒否の事実から直ちに右代替勤務にも応じないものとは速断し難く、他に同係長の代替勤務を困難とみるべき事情も特に存しないから、同係長については客観的に代替勤務が可能な状況になかったものと認めることはできない。

しかるに佐藤課長は、その代替勤務の意向を打診するなど何ら代替勤務者配置の配慮をしなかったのであるから、その結果最低配置人員を欠くに至るため前認定のように自ら代替せざるを得なかったとしても、被告主張の管理業務についての支障を含め同課の事業の正常な運営に支障を生ずるということはできない。

その他五月二〇日の場合と同様である。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告坂下に対する前記時季変更権の行使は、いずれの日についても労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、結局前認定の服務規律の厳正化の指示を受け、同原告が年休を利用して成田における前記阻止闘争に参加することを懸念して誤って行使したものと推認されるのであり、不適法で無効である。

5  原告松崎について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告松崎が五月一七日午前八時三〇分ころその所属する仙台電話局第一施設部の前記佐藤第二電力課長に対し同月一九日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が同月一八日午後四時四〇分ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

原告松坂が原告坂下と同じ職場である仙台電話局第一施設部第二電力課の係員であったことは当事者間に争いがなく、したがって、同課の業務内容等は、原告坂下についてと同じである。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告松崎の五月一九日当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、その他の事実関係は原告坂下について判示したとおりである。

なお(証拠略)を合わせると、原告松崎は、当時成田空港開港阻止を訴える各種のビラに呼びかけ人や代表者として名を連らねていた上、三・二六事件に参加して受傷し入院したり、右事件に関連する嫌疑で警察の家宅捜索を受けるなど右阻止闘争に深く関与し活発に活動していたものとみられたことから、佐藤課長は、同原告から前記年休請求を受けた際、現地の右闘争に参加しないよう原告坂下と同様に注意していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ロ 以上の事実に照らすと、原告坂下について説示の前記4(二)(2)イ(ロ)のとおり原告松崎に対して当日年休を与えても、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったものとは認められない。

結局佐藤課長の前記時季変更権の行使は、右事情が存在しないのに、当時原告坂下について認定のように服務規律の厳正化について指示を受けていた折、原告松崎が成田空港開港阻止闘争に深くかかわっていたことから年休を利用して右現地闘争に参加することを懸念してなしたものと推認されるが、これは年休の利用目的を考慮して行使したもので、違法である。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告松崎に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

6  原告相川について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告相川が五月一八日午後五時ころ、その所属する仙台電信施設所の渋谷第一宅内課長に対し同月一九日、二〇日の両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(6)イ(イ)の事実、すなわち原告相川の所属する仙台電信施設所第一宅内課の主たる業務、同課の配置人員、及び勤務体制、原告相川が日勤勤務で係員として現場作業に従事していたこと、昭和五三年四月一日に仙台電信施設所で組織改正が実施され、従来の整備課、加入電信宅内課が、整備課、第一宅内課、第二宅内課の三課に分課されたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一九日について

(イ) 原告相川の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後四時五〇分までの日勤勤務であり、渋谷課長が時季変更権を行使した時点における当日の同課の勤務及び休務予定者数、業務予定、局内担当の障害修理及び職場訓練関係の担務予定がいずれも抗弁1(二)(6)イ(ロ)記載のとおりであったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中、右認定に反する部分は措信し難く、他に認定を覆すに足りる証拠はない。

a 原告相川は、当日局内における宅内電信装置の障害修理を笠松係員と二名で担務する予定となっていたが、右局内における障害修理業務とは、局外担当者が現地修理不能のため完全な宅内装置と交換して利用者から持ち帰ってきた加入電信宅内装置(TEX)やデータ通信宅内装置(DT)の障害機について、調整、試験等の修理を行うもので、修理が完了したものは予備機として保管し、不時に発生する宅内装置の故障等障害の発生に備えていた。

b ところで、各職場の実態から局内担当と局外担当の相互応援は全く行っておらず、局内担当の中でTEXを修理する技能を有する者は日谷地ら三名が存したが、当日はTEXやDTの修理の職場訓練業務が予定されていたため、原告相川が年休を取得した場合、その業務を代行する者は存しなかった。

そもそも障害機の修理は、その性質内容上同一の機器は終始同一の職員で担当し完成させた方がよいので、局外担当と局内担当が入れ替えする場合などやむを得ない場合はともかく、年休取得の場合などに一時的に他の課員が修理を引き継いで行うようなことは適当でなかった。

c TEX等の宅内装置に障害が発生しその交換が必要な場合、予備機が不足するとTEX等の利用者に大きな支障を与えることになるため、被告公社では故障機との交換の用に供し得る予備機として何台の宅内装置を保有すべきかという「保全用工具・計測器等常備標準」を利用者が現用している宅内装置の数及びその障害発生件数に基づいて定めていたが、四月当時の第一宅内課管理のTEXA3号の加入件数は七五九件であったから(三月末で既にA2号は全く現用されていなかった)、右常備標準に照らすと、同課で保有すべき予備機は八台であった。

d しかるところ、当時予備機は一四台あったものの、うち二台は使用不能で、残り一二台を第一宅内課に七台、第二宅内課に五台それぞれ配分されていたにすぎなかった。しかも右七台のうち三台は先のとおり局内で修理中で、五月一八日終業時の午後五時までにそのうち一台が修理完了し、結局第一宅内課では五台の予備機を保有していたにすぎなかった。

e しかしながら、第一宅内課にはスプロケットの予備機や重複対策用の予備機もあったので、万一の場合はこれを予備機として使用することができたし、加除機(加入者が契約を解除したため引き上げてきた宅内装置)も予備機として事実上使用されていたところ、二月から五月までの加入解除件数は合計五七件であり、その中には二、三日程度の清掃と調整とにより応急的に予備機として使用し得るものが相当数あった。

また予備機不足の場合は、メーカー対応(新規納入)によることも可能であった。

f そして、TEXは大きく分けて八つのユニットから成り立っており、障害がその一部のユニットにすぎない場合には、当該ユニットの交換で足りるので、全体を交換することは少なく、三月から六月までの間のフルセット交換は多い月で一二件、平均一か月六件にすぎなかった。もっとも多い日で一日三件程度発生したこともあったが極めて稀れであった。

なお一台の障害機の修理には一〇日ないし三週間程度が必要であった。

g ところで、渋谷課長は、前記時季変更権行使の際、原告相川に対しその理由として当日は多忙である旨説明した。

なお仙台電信施設所でも、管理職に対し仙台統話中と同様に服務規律の厳正化の指示がなされており、三・二六事件で同課から逮捕者を出していたところ、原告相川は前記年休時季指定の際、渋谷課長に対し「捕まるようなことはしないから認めてくれ」という趣旨のことを述べており、また日頃成田空港開港阻止闘争に関係するビラを配布するなど同闘争に深くかかわっていたことから、同課長は同原告が五月二〇日の右現地闘争に参加することを懸念していた。

h 当日原告相川が出勤しなかったため、同原告の予定していた障害機の修理は当日全く行われなかった。

しかしながら、予備機が不足するなどの事態は当日もそれ以後も起らなかった。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、フルセットの交換を要する宅内電信装置の障害が発生した場合に予備機が不足しこれに対応できないときは、利用者に大きな支障を与えることになるから、年休取得によってそのような事態を招来するおそれがある場合は、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあるといえるところ、なるほど本件の場合、当時の本来の予備機保有台数が加入件数や障害発生件数に基づいて算出された常備標準を充たしていなかった上、修理には一台につき一〇日ないし三週間もの長期間を要すること、また原告相川に代行して修理に当たる者も局内担当の出勤予定者の中に見当らなかったこと前認定のとおりであるが、フルセットの交換が必要な障害は一か月平均六件程度であって一日三件も生ずることは稀有であり、万一本来の予備機に不足が生じても、重複対策用の予備機や加除機を応急的に予備機に当てるなどの措置が可能であったこと前認定のとおりである。また修理日数が長期であるとしても、原告相川が年休を取得することによる影響は欠勤した分だけ修理が延びる以上のものではない。そのほか現実にもその後何らの支障も生じていないことを考えると、同原告の年休取得により同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったとは俄かに認め難い。

却って、前認定の事実に照らすと、渋谷課長は、服務規律の厳正化指示を受けていた折、原告相川が五月二〇日の成田空港開港阻止の現地闘争に参加することが懸念されたため、事業の正常な運営にさしたる支障もなかったにかかわらず、時季変更権を行使したものと推認される。

ロ 五月二〇日について

(イ) 原告相川の当日(土曜日)の勤務予定が午前八時三〇分から正午までの短時間日勤勤務であったこと、渋谷課長が時季変更権を行使した時点における当日の同課の勤務及び休務予定者数、業務予定、局内担当の障害修理の担務予定はいずれも当事者間に争いがなく、前項認定の事実に(人証略)、原告相川本人尋問の結果を合わせると、当日も原告相川は前日に引き続き笠松係員と共に宅内電信装置の障害修理の担務予定、他の局内担当者はそれぞれデータ通信宅内装置の修理等の担務予定となっており、当日の局内担当の勤務予定者の中には原告相川の業務を代行できるものはなかったこと、当日も同原告が欠勤したため、その予定の障害機の修理は全くなされなかったこと、しかし当日もその以後においても予備機が不足して業務に支障を生ずる事態は起きていないこと、なお渋谷課長が時季変更権を行使した際の理由も前日と同じであったこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(ロ) 以上の事実と前記五月一九日について認定の事実に照らすと、五月二〇日についても、同月一九日について先に説示したところと同じ理由により同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったとは認め難い。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告相川に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

7  原告長津について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告長津が五月一六日午後四時五〇分ころ所属課長の前記渋谷第一宅内課長に対し同月一九日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

原告長津が原告相川と同じ職場である仙台電信施設所第一宅内課の係員であったことは当事者間に争いがなく、したがって同課の業務内容等は原告相川についてと同じである。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一九日当日の同課の勤務及び休務予定、局内担当の障害修理及び職場訓練の担務予定等が原告相川について前示のとおりであり、原告長津の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時までの日勤勤務で、同月一六日から一九日まで実施予定の職場訓練受講の最終日であったこと、右職場訓練は、仙台電信施設所の四月一日付組織改正により、従来の整備課、加入電信宅内課が、整備課、第一宅内課、第二宅内課の三課に分課されたことに伴い、旧整備課の行っていたデータ宅内装置に関する新設、移転、障害修理等の作業が分離され、第一、第二宅内課において、このデータ関係作業と加入電信(TEX)関係作業を担当するものとされたため、右第一宅内課の職員の中に、以前所属していた課によってデータ宅内装置あるいは加入電信宅内装置の業務知識に欠ける者が生じたことにより、職場訓練によってその知識、技能を修得することが企画されたものであり、原告長津も右組織改正に伴い分課される以前は整備課に所属していたため、他の二名と共に、同月一六日から職場訓練を受講していたこと、右職場訓練は、分課によって生じた技能未熟者の早期解消などにつき同月一六日に原告長津も全電通の交渉委員として参加して行われた職場団体交渉において、仙台施設所が約束したものであったこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

そして、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の各供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 右職場訓練は、年間を通じて策定する訓練計画に基づくもので、四月に六日間に亘って実施した第一段階の職場訓練を経て第二段階の職場訓練として前記のとおり五月一六日から一九日までの四日間、TEXの分解、注油、組立の訓練を行うものであった。その受講予定者は原告長津のほか松浦、平の三名であり、宮城工事主任が教官として指導することとなっていた。

(ロ) 右訓練は職場訓練であるから、もとより職場外に集合してテキストに基づき講習を受けるという形態のものではなく、いつもの職場において実際の障害機を教材として用い、その修理を兼ねて行うというものであり、教官も自ら別個の障害機を修理しながら指導するというものであった。したがって右受講者も、実際に障害機の修理作業を担当した場合に記入する障害修理券の作業時間欄に、訓練時間と同じ時間を記入する取扱いとなっていた。

なお原告長津らTEXの前記受講者は、職場訓練の期間外にも、訓練効果を上げるため、熟練者の助言や指導を受けながらTEXの修理を行っていたが、職場訓練はその場合の助言や指導とは異なり、訓練計画に基づく一定の修理課題について系統的、集中的に行うものであり、それなりの効果が期待できるため労働組合からも要求されて特に行っているものであって、それは通常の職場作業とは自ら実態を異にするものであった。

(ハ) ところで、職場訓練の対象であるPP式TEXは八つのユニットから構成されており、その組立調整を全て行うには約一〇日ないし三週間要するので、短い訓練期間でその全部の過程を全て修得することは不可能であり、そのためにこそ長期の訓練計画に基づいて各職場訓練期間毎にその一部の過程を順次重点的に訓練することとしていたものであって、TEXの障害修理の技能を完全に修得するには一年以上の経験が必要であった。

それ故、その間に、訓練を受けなかった修理過程が一部あっても、その気になればその後の職場訓練や日常の修理業務の中で修得することが必らずしも不可能ではなかった。

(ニ) なお従前被告公社では、職場訓練中の年休請求に対し時季変更権を行使しておらず、本件時季変更権行使後でも、例えば上山課員が職場訓練中の六月六日と同月九日の二度年休を取得しており、また同月七日の職場訓練中にその受講者も労働組合との協議に基づいて実施した所内リクリエーションに参加させていた。

(ホ) ところで、渋谷課長は、前記時季変更権行使の際、原告長津に対し当日は職場訓練の最終日なので出勤して貰いたい旨その理由を説明して出勤を命じた。

なお同課長は、前記原告相川について認定のとおり服務規律の厳正化について指示を受けていたところ、原告長津が日頃成田空港開港阻止闘争に関係するビラを配布するなどしていたことから、同闘争に深くかかわっていたことを承知しており、五月二〇日(同原告は週休)の現地闘争に参加することを懸念していた。

(ヘ) 当日は原告長津が欠勤したため、松浦、平の二名だけでTEXの職場訓練を実施し、同訓練を終了した。

ロ 以上の事実に照らして考えると、障害修理の職場訓練は、分課に伴う技能未熟者の早期解消のため労働組合の要求もあって行うもので、通常の障害修理の職場作業と異なり年間を通じた訓練計画に基づいて系統的集中的に指導を受けて障害修理の実習を行うものであって、第一宅内課が右訓練を要する所属職員にこれを受けさせることは、同課の事業に当たるものと解される。

そして、例え後日において修得可能であったとしても、当該職員をして所定の職場訓練に参加させその期間内に訓練計画において予定された技能を修得せしめることは、同課における事業の正常な運営を図ることにほかならない。

そうだとすると、TEXの障害修理について早期の技能修得が必要なため前認定のとおり非代替的業務である職場訓練を命ぜられていた原告長津が、その訓練期間中に年休を請求することは、同課における事業の正常な運営を妨げる場合に当たるものというべきである。

ところで、職場訓練中であっても年休が取得されている事例があり、また所内レクリエーションへの参加が認められた事例もあることは前認定のとおりであるが、(人証略)の証言によれば、レクリエーションの場合は、労働組合との協議により実施することになったものであるため時季変更権の行使を差し控えたものであることが認められるし、年休の場合は時季変更権を行使しなかった具体的事情は明らかではないが、いずれにせよ労基法所定の要件が存するにかかわらず、時季変更権制度を厳格に運用しなかった結果にすぎないものというべきであるから、右判断の妨げとなるものではない。

なお右に関連し、職場訓練の場合でも時季変更権を行使せず年休を取得させるという職場慣行の存在は、本件全証拠によるも認めることはできない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告長津に対する前記時季変更権の行使は、仮に前認定のとおり原告長津が成田空港開港阻止の現地闘争に参加することが懸念されたため、年休を利用してこれに参加させないようにする意図もあったとしても、前記判断のとおり労基法三九条三項但書所定の要件が客観的に存するのであるから適法であり、したがって有効というべきである。

8  原告阿部について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告阿部が五月一七日午前八時五〇分ころその所属する仙台電信施設所の白田整備課長に対し同月一九日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(7)イ(イ)の事実、すなわち原告阿部の所属する仙台電信施設所整備課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、原告阿部は日勤服務で工事主任三名のうちのひとりとして工事係長の補助を行い作業の指導的立場にあって、加入者宅に設置してある模写電送装置(FAX)や仙台中央電報局及び電報配達受託者宅に設置してある電報送受信用FAXの保守を主な担務としていたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告阿部の五月一九日当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時までの日勤勤務であったこと、白田課長が時季変更権を行使した時点における当日の同課の現場作業担当の勤務及び休務予定者数、業務予定が抗弁1(ニ)(7)イ(ロ)記載のとおりであったこと、すなわち五月一五日からの病休一名、同月一六日からの職場訓練二名(四月四日付転入者一名を訓練生とする基礎訓練で、他に教官一名)、同月一八日からの山形への災害復旧用搬送電信機器運搬のための出張二名があったため、当日の日勤帯の予定配置人員は六名であり、当日の業務予定として平常業務である障害修理、点検調整のほか、電話FAXの新設工事、高砂局加入電信開通工事立会などが予定されていたこと、右平常業務の障害修理、点検調整とは、加入者などからの故障の連絡を受け、電話FAX並びに搬送電信装置、電報受付装置などの障害を迅速に修理し(修理不可能のときは持参した別の機器と取り替える)、関連施設や加入者宅を定期的に巡回して障害を未然に防止するための点検調整を行う作業であり、通常二名が担務していたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)及び原告阿部の各供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 同課の担務は、前月二〇日までに作成される保全建設工事実施予定線表に記載されている宿泊を伴う出張、貸役、訓練会議、長期工事の専担については当日以前に予め決定して指示され、長期工事以外の建設工事や障害修理等は当日朝になって工事係長から担務を指示されるのが通例であったが、白田課長が予め立てていた当日の担務は、抗弁1(二)イ(ハ)記載のとおりであり、原告阿部の担務予定は前記平常業務であった。

(ロ) ところで、前記山形出張は、五月二〇日予定の成田空港開港に向けてその阻止闘争が激化し、三・二六事件と同様の無差別的破壊活動も予想されたところ、同月一六日に山形電気通信部から山形空港に災害復旧用機器を配置するため至急搬送するよう要請されてその搬送のため行うもので、目的物が搬送電信端局という一〇〇キログラムもの重量で形状も高さ一・五メートルあり、これに電源装置も加わるため、デスク要員から一名と樋口、鈴木の三名に一八日、一九日の日程で、一七日に出張が発令されたものであった。

同機器は、七月に山形で行われた総合防災訓練で使用されているが、右のとおり当初からそれに使用するため搬送したものではなかった。

なおその旅行命令簿には旅行事由が「建設工事打合わせ」、施工地が「山形電話局」と記載されているが、それは旅行命令を建設工事に関連して発令することが必要なため会計処理上の便宜からそのように記載されたにすぎなかった。

(ハ) また前記訓練は、宇都宮電報電話局から転入して間もない大友係員に対し単独で宿直宿明勤務できるように、千葉係員が教官となって、五月一六日から同月一九日までの予定で、整備課所管の整備回線系統などに障害が発生した場合に迅速に対応するために必要な事項について訓練を実施していたものであって、前記予定線表上でも予定されていた職場訓練であり、大友係員が同月二四日から六月七日まで仙台電気通信学園で訓練を受ける予定となっていたこともあって、右職場訓練を学園訓練直前の右時期に設定したものであった。

もっとも故障が発生した場合、その障害修理、調整修理は他の業務に最優先して行わなければならないため、他に要員がいない場合には、訓練中の教官、訓練生であってもその修理に従事しており、現に五月一八日にも右修理に出勤していた。

(ニ) 当日予定業務の作業手配、作業管理とは、毎日の作業分担、その作業の進行状況、指導のほか、加入者からの故障の申告を受けてその修理の手配等を行う業務で、菅原工事係長が専担で行っており、当日も右業務の担務予定であった。

(ホ) また電話FAXの新設工事は、東日本小松ハウスの出張工事で、前記予定線表上予定されていた業務であり、二名の要員配置が必要なため、白田課長は、前認定のとおり二名の担務予定としていた。

(ヘ) また高砂局加入電信開通工事の立会義務とは、当日高砂局管内において、TEXの開通工事が予定されていたため、加入者宅のTEXから高砂局を経て仙台中央電報局の交換設備に至る回線のうち、整備課の所掌範囲である高砂局から仙台施設所の搬送電信端局装置までの区間について、その回線の良否を試験するものであって、高砂局への出張業務であり、やはり二名の要員配置が必要であった。

なおこの業務は、前記予定線表上には記載されていない業務ではあるが、整備課においては、TEXの開通工事の場合、その都度個々に工事命令を発出しないで、四半期ごとにあらかじめ工事内容が白地の「包括命令」を発出しておき、新規のユーザー(加入者)が確定し、開通日などが明らかになった都度、「新増設工事(回線)追加工程指示書」により工事内容を補充し、これに基づき開通工事が行われていたもので、右業務の場合も三月一四日に、既に五三年度第一・四半期の包括命令が発出されており、その後、新規のユーザーが確定した五月一五日に至り、具体的作業の命令(追加工程指示)がなされ、これに基づき五月一九日に開通工事の立合いを予定したものであった。

(ト) ところで、五月一九日当日、右(ホ)の業務は午後だけ行われ、その担務者の相沢は午前中三・五時間、同鎌田は同じく二・二時間(同人は午前二時間年休)自局内で待機しており、一方右(ヘ)の業務は午前中だけ行われ、その担務者の二名はいずれも午後三・五時間自局内待機していた。

しかしながら、原告阿部に対する時季変更権行使の時点において、既に右各業務の所要時間が明らかであったわけではなく、また、仮に右(ホ)の業務が午後になることが出張先との打ち合わせで右時点において既に判明していたとして、当日午前中その担務者に原告阿部の担務予定の前記業務を代行させることにすると、万一障害等が発生して加入者宅に出張しなければならない事態が生じた場合、当日午後の右(ホ)の業務に支障を生じるおそれがあることから、右担務者らをその代行要員として考慮に入れることは適当でなかった。

(チ) なお整備課では、課長等管理者が障害修理に出向くことは珍らしくなく、五月には障害件数一六件中三件、六月には同一一件中一件、七月には同一〇件中二件存するが、それは工事あるいは障害修理のため、現場部門の職員が全部出払った後に発生した障害でこれを放置できなかった場合とか、障害修理が勤務時間外に亘ると予想されるため一般職員に当てられない場合などやむを得ない場合に限られていた。

(リ) また同課では、デスク本来の固有の作業があるため、現場作業部門とデスク部門との相互応援は現実的に困難なため、緊急の場合やデスク要員が技術的に特殊な技量を有している場合に現場部門の要員では技術的に対応できない特異な障害が発生した場合など、極く例外的にデスク部門の要員が障害修理に出勤していたにすぎなかった。それ故、現場部門の業務が輻輳して障害修理要員が払底したときでも、デスク部門の要員には故障受付のため電話番を引受けて貰うだけで障害修理に出勤させられないため、課長自ら障害修理に出向き、課長のみで処理し切れないときは、他課の課長に応援を求めるなどの措置を講じていた。

(ヌ) なお白田課長は、原告阿部より後にデスク要員の兵藤係員からなされた五月一九日当日の年休請求に対しては時季変更権を行使していないが、それは右請求が娘の結婚式の準備というやむを得ない事情によるものと認めた結果もさることながら、前認定のようにデスクと現場作業とは縦割りとなっていて同人が年休を取得してもデスク業務自体には支障が生じるおそれがなかったためであった。

また同課で時季変更権を行使された事例はなかったが、話し合いで他の日に変更したことが何回かあった。

(ル) ところで、白田課長は、前記時季変更権行使の際、原告阿部に対し当日工事計画や出張、回線開通工事立会などの業務があって人手不足なので当日は就労するよう求め、また原告阿部が当日の午前九時過ぎ同課に顔を出した際就労するよう説得した。

なお白田課長も渋谷第一宅内課長と同じく服務規律の厳正化の指示を受けていたところ、原告阿部が、その頃成田空港開港阻止闘争に関係するビラに賛同人として名を連らねていたり、三・二六事件で中心的役割を果した第四インターの機関紙を配布するなど、同闘争に深くかかわっていたことから、同課長は同原告が年休請求をしたのは、五月二〇日の右開港阻止の現地闘争に参加するためと推測していた。

(ヲ) 当日原告阿部が出勤しなかったため、白田課長が当日発生したFAXの障害を自ら修理した。

ロ 以上の事実に照らして考えると、平常業務である障害修理、点検調整の担務は通常二名であったが、五月一九日当日は各業務が輻輳し、右担務予定者が実質的には原告阿部だけとなっていたところ、前認定のとおりデスク要員を含め通常の例による代替者の確保が困難であったため、同原告が年休を取得するとその担務者が無配置となり、必要配置人員を欠くため、万一障害発生などに対応できない場合には、FAXの利用者に大きな支障を与えるなど、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったということができる。

原告阿部の担務予定が他の業務であったとしても、他局や加入者との関係などに照らしそれらの予定業務を延期することが可能であったとは認め難いから、事情は変わらないというべきである。

もっとも、職場訓練の二名に障害修理等の平常業務を代替させることも考えられないではないが、原告長津について前記説示のおり右訓練を予定どおり実施することが同課の事業の正常な運営を図ることにほかならないので、年休者の業務を代替するため訓練を取りやめなければならないとすれば、右事業の正常な運営に支障を生ぜしめるおそれがあるものというべきである。

また白田課長が当日原告阿部の予定業務を代替しているところ、もともと同課では従前から管理者において障害修理を行うことが少なくなかったことが認められるけれども、それは前認定のような事情がある場合であって、年休を取得させるため管理者がその業務を代替する職場慣行があったとまでは認め難く、この点の原告阿部の主張は理由がない。

そして、白田課長が代替勤務可能な者がなくこれを配置できなかったことから、原告阿部の業務を自ら代行しなければならなかったことは、それ自体同課の事業の正常な運営を阻害するものであったというほかはない。

けだし、管理者たる同課長が所属の職員の職務執行の状況を把握し、適切な指導と監督を行うことは、同課の事業活動が組織的にその機能を発揮し円滑に運営されるために不可欠であり、同課長が部下職員の業務を代行していてはこれに障害を及ぼすことは必然だからである。

なお原告阿部は、高砂局加入電信開通工事立会は、同原告の年休請求を認めないために設けた業務であるかのように主張するけれども、右業務を行うことになった経緯は前認定のとおりであって、右主張を肯認するに足りる証拠はない。

また右原告の後に請求したデスク要員に五月一九日当日の年休を取得させている点も、前認定のような理由によるものであるから、前記判断の妨げとならない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告阿部に対する前記時季変更権の行使は、仮に前認定のとおり同原告が成田空港開港阻止の現地闘争に参加するものと推測し、年休を利用してこれに参加させないようにする意図もあったとしても、前記判断のとおり労基法三九条三項但書所定の要件が客観的に存するのであるから適法であり、したがって有効であるということができる。

9  原告古宮について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告古宮が五月一八日午前九時一〇分ころその所属する仙台電信施設所印刷電信課の佐藤機械係長に対し同月一九日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同係長から佐藤中継課長を通じ右請求の伝達を受けた同所の高橋次長が同日午後三時四五分ころ同原告に対し時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(8)イ(イ)の事実、すなわち原告古宮の所属する仙台電信施設所印刷電信課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制(全員日勤服務)、同原告が係員として現場作業に従事していたこと等は当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告古宮が年休の時季指定をした五月一九日当日の同原告の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時までの日勤勤務であったこと、高橋次長が時季変更権を行使した時点における当日の同課の勤務及び休務予定者数が抗弁1(二)(8)イ(ロ)記載のとおりであったこと、そのうち年休予定者は同月一〇日承認済みのもので、貸役は東京電信施設所の建設工事に同月八日から同月一九日まで一名、同月一五日から同月一九日まで一名となっており、出張予定は同月一八日、一九日両日に亘る石巻電報電話局障害修理の応援であったこと、結局当日の日勤予定者は一一名となり、その当日の業務予定及び各担務予定は抗弁1(二)(8)イ(コ)記載のとおり定められていて、原告古宮は印刷電信機器の点検調整及び障害修理を他の六名と共に担務することが予定されていたこと、右印刷電信機器の障害修理作業とは、障害の生じた同機器を早急に修理してこれを稼働状態に保持する作業であるが、原告古宮が修理を分担していた線路送信機(LT)は、当日現在同課が運転用機器として保有していた二八台のうち修理を要するもの一三台で、使用可能台数は一五台であったこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 原告古宮の担務する印刷電信機器の点検調整及び障害修理は、仙台中央電報局及び仙台電話局長町分局に設置されている電報中継用印刷電信機器を対象として行うのが通常の作業で、その故障の内容によっては修理機器を現場から仙台電信施設所へ持ち帰って修理に当たっており、その場合の修理日数は三日から四〇日位要していた。

(ロ) 原告古宮が障害修理を分担していた当時のLTの現用数はおよそ三七台であったから、被告公社の定める前認定の「保全用具・計測器等常備基準」によると、その場合に予備機として常備すべきLTは六台となるが、同基準によると、その外に点検整備用三台、調整試験用三台、巡回運転用一台が必要であり、また右基準外に社会事象の変化等突発的な需要の発生に備えるための臨時回線用として一ないし二台確保して置かなければならないものとされていたので、少なくとも一四、五台の使用可能な予備機を常備しなければならなかったところ、五月一九日当時、その使用可能台数は先のとおり丁度一五台であった。

(ハ) もっとも当時使用されていたLTは、製造年月が古く、その機能が劣化しているのが数多く存したため、使用開始後約一か月以内という短期間のうちに障害が発生し他の予備機と交換を要するものも珍しくなく、中には予備機そのものが故障になりさらに他の予備機を再充当する場合もあり、障害発生件数は多いときで一日三件発生することもあった。

そして、五月一七日に障害機が一一台であったものが、本件年休請求時には一三台に増加していた。

(ニ) しかしながら、昭和五二年から五四年までの年間を通じてのLTの障害発生件数は、それぞれ七二件、七二件、八〇件であり、したがってその一か月平均はそれぞれ六件、六件、六・六件にすぎなかった。

(ホ) また予備機が不足する場合は、各機種の修理担当者全員で不足する機種の障害機から先ず修理し、それでも対応できないような場合は超勤あるいは廃休で対処しなければならないが、五月一九日以降そのような事実はなく、翌二〇日(土曜日)の短時間日勤者四名も障害待機しただけでLT修理を行っておらず、その指示もなされなかった。

(ヘ) その上、障害修理担当者の高橋係員は、前記のとおり五月一〇日に同月一六日から一九日まで友人と旅行のため年休を取得していたが、その旅行が延びたということでさらに同月二二日までの年休取得が認められ、また庄子工事主任も同月二二日に家庭の事情との理由で年休取得が認められ、予備機の常備が逼迫していることを理由に時季変更権が行使されることはなかった。

そもそも同課では従前時季変更権が行使されたことはなかった。

(ト) なお五月一三日から同月二二日までの期間は、被告公社において前記第二の二1(二)(4)認定のように特別災害対策期間として過激派集団から公社施設を防護するため種々の措置をとっていた時期であり、特に仙台電信施設所では、三・二六事件における公社職員の逮捕と懲戒処分に対する抗議として仙台中央電報局に対し右施設所の保守する通信施設を爆破する旨のTEXによる予告があったため、右電報局と一体となって右防護の措置を一層強める緊迫した情勢のもとにあったが、それとの関連でLTの予備機の常備を緊急に増加させなければならない要請は特になかった。

(チ) ところで、高橋次長は、前記時季変更権行使の際、原告古宮に対しその理由として年休等の欠勤や出張等で人手不足である旨説明した。

なお同次長も服務規律の厳正化の指示を受けていたところ、原告古宮がその頃成田空港開港阻止闘争に関係するビラに賛同人として名を連らねこれを配布したりするなど右闘争に深くかかわっていたことを承知していたので、右現地闘争に参加することを懸念していた。

(リ) 当日原告古宮が出勤しなかったため、同原告が担務予定の障害機の修理作業は行われなかった。

しかしながら、それ以後において、予備機が不足し業務に支障を生ずる事態は起きなかった。

ロ 以上の事実に照らして考えると、被告公社の定める予備機の常備基準によれば、常備すべき使用可能な予備機は、原告古宮が修理を担当しているLTのそれが点検整備用、調整試験用などを加えても約一五台とされていたところ、当日使用可能なLTの予備機数が丁度一五台存した上、障害発生件数も多いときは一日三件であるが、一か月平均六件程度の発生頻度であること前認定のとおりであって、一日三件の発生は稀有であるということができるから、原告古宮の一日だけの年休によって予備機不足が生じるおそれはまずないものと考えられる。

そして、予備機不足の場合は、従前各機種の修理担当者が全員で不足する機種の障害機を集中的に優先して修理し、それでも対応できない場合には超勤、廃休によって対処していたところ、五月一九日以降そのような形跡はなく、また現実にもLTの予備機が不足して支障を生じたこともなかったこと前認定のとおりであるから前記時季変更権行使当時に予備機不足が逼迫した状況にあったとは到底認め難い。

その他前認定の諸事情を合わせると、その代替要員の存否について判断するまでもなく、原告古宮がその指定どおり年休を取得したとしても、同課の正常な運営に支障を生ずるおそれはなかったものというべきであり、むしろ高橋次長は、そのようなおそれがなかったにもかかわらず、原告古宮が年休を利用して成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念し、右時季変更権を行使したものと推認される。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告古宮に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであるから、不適法で無効である。

10  原告高橋について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告高橋が五月一八日午後三時三〇分ころその所属する仙台市外電話局佐々木第三機械課長に対し同月二〇日、二一日の両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(9)イ(イ)の事実、すなわち原告高橋の所属する仙台市外電話局第三機械課の主たる業務、同課の配置人員、同課の現場作業は、TOS担当とTTS―A担当に分かれ、各六名で日勤、宿直宿明勤務の交替服務とする勤務体制をとっており、原告高橋はTOS担当の係員として六輪番交替服務に服していたこと等は、当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月二〇日について

(イ) 当日は土曜日で、原告高橋の勤務予定が午前八時三〇分から午後〇時三〇分までの短時間日勤勤務であり、TOSの担務予定であったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 佐々木課長が時季変更権を行使した五月一八日時点における同月二〇日の同課の勤務及び休務予定者数は抗弁1(2)(9)イ(ロ)記載のとおりであり、また予定業務はTOS、TTS―A等各交換台の試験、点検、監視、修理等の保守業務とデスク業務であった。

そして、当日勤務予定者のうち原告高橋と菅野係員がTOS担当、飯田、溝田両係員がTTS―A担当で、DSAの直接の担当係長である伊藤第三機械係長がデスク業務を、加茂工事係長が現場作業の総括者としてその指導監督を、それぞれ担務予定であった。もっとも佐々木課長は、土曜は平日に比し出勤者が少ないことから、伊藤係長をTTS―A担当、加茂係長をTOS担当と一応割当て随時応援できる予定を組んでいた。

なお右菅野、溝田の両名は日勤、その他の者は短日勤勤務であった。

b ところが、当日の勤務予定者のうち菅野係員が原告高橋より前の五月一七日に五月二〇日当日の午前八時三〇分から午後一二時までの半日について年休の時季指定をしており、原告高橋に請求どおり年休を取得させると、当日の午前のTOS担当の現場要員は無配置となり、加茂係長の応援担務が期待されるだけであった。

c ところで、同課では、服務線表に基づき勤務割表を作成していたが短日勤勤務の時間帯である土曜の午前中は、同表上TOS、TTS―A各担当とも現場要員二名配置し、土曜午後と日曜、祝日、宿直宿明については最低配置人員の各一名配置していた。

右のとおり土曜の午前は平日より電話の利用が少ないことから平日より配置人員を少なくしていたが、土曜午後、日曜等よりは電話の利用が多いので、平日と同様に障害修理を含めた業務を行う建前となっており、障害が発生した場合、一名ではその障害修理に対応できないため二名の配置としていたものであった。そのため土曜午前中は、現場要員だけでなく、前認定のとおり担務割当ての係長一名を含めて少なくとも二名の要員を確保することとしており、TOS担当については、従前現場要員が年休取得で無配置となることはなかったので、右二名を欠くことはなかった。

もっとも、土曜の午前は、土曜の午後や日曜、祝日に比し特に障害が多いわけでなかった。

d 前認定の一名の最低要員配置の場合は、度数計の集計や警報盤の監視作業を最低限の業務とし、回線に障害が発生した場合はその回線を閉塞し、他の回線を使用して当面の障害を解除していた。すなわち、交換機の回線を多重にして、万一障害が発生しても電話交換サービスに支障を生じないよう取り敢えず右のように措置さえすれば足りるように設備されており、その障害箇所は、要員の多い時に修理しても特に支障を生ずることはなかった。それ故、要員が少ないときは、平日でも障害修理を後回しにし、警報盤の監視作業のみを行うこともあった。

なお障害の発生はアラームによって知らされ、またそれによって障害発生箇所も分る仕組となっていたので、デスク業務の係長でも、常時現場に待機することなく監視作業をすることが可能であった。

e ところで、TOS担当の勤務場所は南棟の四、五階、TTS―A担当の勤務場所は南棟の二、三階となっていた上、専門技術分野も異なるためそれぞれ専担保守していたことから、相互応援はできず実際にも行われていなかった。

そのため同課で年休請求者の代替要員が必要な場合は、当日の週休者の勤務割を変更し(他日に週休日を変更)代替勤務させるのが通例で、通常管理者が年休請求者から年休を必要とする事情を聞き、その事情を週休者に説明して勤務割変更の同意を得るか、年休請求者の方から予め週休者の同意を得て年休請求の際に代替者の申出をするかのいずれかで、後者の場合が多かった。

このように勤務割変更について当該職員の同意を得て行うこととしていたのは、同課の現場作業担当者は全員六輪番交替勤務を行っており、各職員の勤務日、週休日がそれぞれ規則正しく繰り返されるように事前に勤務割表によって指定し、これによって各職員が計画的に生活を営むことができるように配慮していたためであった。

なお五月二〇日当日の週休者は前認定のとおり一三名であった。

f 佐々木課長は、原告高橋が前記年休請求に際し自ら代替者を申出なかったばかりか、年休を必要とする理由も明らかにせず、また仙台市外電話局でも仙台統話中などと同じように服務規律の厳正化指示を受けていたところ、原告高橋はその頃成田空港開港阻止闘争に関係するビラを配布するなどしていたので、年休を利用して右現地闘争に参加することが懸念されたため(ちなみに原告高橋は、五月二二日に出勤した際、頬にガーゼを当てるなどしていた上、目が充血していたことから実際にも参加した形跡があった。)代替勤務可能な五月二〇日当日の週休予定者に代替勤務の意向を全く打診しようとしなかった。

g なお佐々木課長は、前記時季変更権行使の際も、原告高橋に対し同原告が年休を取得すると、必要配置人員を欠くので業務に支障を生ずる旨説明した。

同課では、従前TTS―A担当について現場要員が年休取得のため無配置となったことがあるが、工事係長とデスク業務担当の係長が業務を代行し、無配置を理由に時季変更権を行使したことはなかった。

h 当日原告高橋が出勤しなかったため、佐々木課長がその業務を代行し加茂係長と共に度数計の集計や監視作業を行った。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、同課は現場要員のTOS、TTS―A担当のいずれも各一名が最低配置人員となっていたが、土曜の午前は平日と同様に障害修理も行うこととなっていたため、これに対応するには右現場要員各二名が必要で、少なくともTOS担当についてはそれまで工事係長を含めて右二名を欠いたことがなかったところ、当日原告高橋に先じて年休を取得したTOS担当者があったため、同原告の年休請求を認めると同担当現場要員は無配置となり、工事係長を従前の慣例どおりTOS担当としても、午前中の右要員が一名だけとなって必要配置人員を欠き、同課の本来なすべき予定業務に支障の及ぶことが明らかであったということができる。

しかしながら、土曜の午前は土曜の午後や日曜、祝日に比し特に障害の発生が多いわけではなく、また万一障害が発生した場合でも直ちに障害修理せず後日要員の多いときに修理しても電話交換業務に支障が生じない仕組みとなっていたことは前認定のとおりであって、土曜午前の配置人員が一名だけであっても同課の事業である電話交換機の保守監視に格別支障を生ずることはなかったのであるから、工事係長がTOS担当の応援としてその業務を代行する限り同課の事業の正常な運営に支障を生ずることはなかったというべきである。

のみならず、原告高橋に年休を与えると必要配置人員を欠くことになるとしても、従前の例からすると、当日の週休者に代替勤務させることは可能であったというべきであるし、年休を必要とする理由を明らかにしていなかったとしても、必らずしも勤務割変更による代替勤務の同意を得ることが困難であったとは認め難いから、その代替勤務の意向を打診するなど通常なしていた代替勤務者配置の配慮をすれば代替勤務者の配置が可能であったということができるところ、佐々木課長は前認定のとおり右意向を打診するなどの配慮を全くしなかったのであるから、既に説示のとおりその結果必要配置人員を欠くことになるとしても、そのことを理由に同課の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということは許されないところである。

なお佐々木課長は、当日原告高橋の業務を自ら代行したことは前認定のとおりであるが、それは右のような配慮をしない結果であるから、被告主張の管理業務の支障を問題とすることも許されないというべきである。

ロ 五月二一日について

(イ) 原告高橋の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務で、前記のとおりTOS担当であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実と前項認定の事実に、(証拠略)並びに原告高橋本人尋問の結果を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 当日の勤務及び休務予定者数は抗弁1(二)(9)イ(ハ)記載のとおりで、当日は日曜のため、予定業務は、前項d認定のとおり度数計の集計と監視作業のみであり、TOS担当は原告高橋、TTS―A担当は飯田係員のみの最低配置人員であった。

したがって原告高橋が年休を取得すると、TOS担当は無配置となった。

b それ故同原告に年休を取得させるためには、代替勤務者を確保しなければならなかったが、佐々木課長は前日の場合と同様の理由で、当日代替勤務可能な週休者一七名に代替勤務の意向を打診するなどのこれまでもなしていた代替勤務者配置の配慮を全くせずに、時季変更権を行使した。

c なお佐々木課長が時季変更権を行使した際の理由も前日と同じものであった。

d 五月二一日当日も原告高橋が出勤しなかったので、佐々木課長が前日に引続いて同原告に代替して勤務し、前日と同様の業務を行った。

(ロ) 以上の事実に照らすと、当日は日曜日で各担当それぞれ一名の最低配置人員であったから、原告高橋が年休を取得すると右最低配置人員を欠き業務に支障を生ずることが明らかであるが、前認定のところによれば、従前から行っていたと同じく当日の週休者に勤務割変更による代替勤務の意向を打診するなど代替勤務者配置の配慮をすれば、代替勤務者を確保することも可能な状況にあったということができるところ、佐々木課長は当日についても右意向を打診するなど全く右配慮をしなかったこと前認定のとおりであるから、その結果最低配置人員を欠き同課長がその業務を代行することになったとしても、被告主張の管理業務についての支障を含め、前日の場合と同様の理由により同課の事業の正常な運営に支障を生じさせるおそれがあったということはできない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告高橋に対する前記時季変更権の行使は、五月二〇日、二一日両日のいずれについても、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、前認定のとおり服務規律の厳正化について指示を受けていた折から、同原告が年休を利用して成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念してなしたものと推認されるのであり、いずれも不適法で無効である。

11  原告新野について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告新野が五月一七日正午ころその所属する資材配給局の大高第一線材課長に対し同月一八日、一九日の両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(10)イ(イ)の事実、すなわち原告新野の所属する資材配給局第一線材課及び同課運用係の主たる業務、同課の配置人員、勤務体制、同原告が同課運用係員であったこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告新野の勤務予定が五月一八日は午前八時三〇分から午後五時一〇分まで、同月一九日が午前八時三〇分から午後四時五〇分までの各勤務であり、前記時季変更権行使の時点における運用係の勤務予定者は抗弁1(二)(10)イ(ロ)記載のとおり両日とも四名であって、そのうち出張予定者は一八日が三名、一九日が二名であったこと、右両日の業務予定は、施設用物品のうちケーブル、接続工具類の受入れ、払出を行う平常勤務のほか、資材護送のための市内出張及び福島電気通信部へ資材業務打ち合わせのための出張が発令されていたことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)、原告新野の各供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 原告新野は、同課運用係員として主として施設用物品の電話用ケーブルの出納記録、棚卸記録、端末機による受入処理を担当していた。

(ロ) 原告新野は、武者運用係員と共に五月一七日に同月一八日、一九日両日の予定で福島電気通信部へ資材業務打ち合わせのための出張を命ぜられたが、それは主に同部に保管依頼していた原告新野担当の災害用予備ケーブルの棚卸とケーブルに封入してある窒素ガスのガス圧の点検を目的とするものであった。棚卸はもともと数量の確認のみでなく合わせて保管状況をも点検することを目的とするものであるから、保管されているケーブルの状況についても調査する必要があった。

もっとも当時はガス圧を計測するマノメーターの備えがなく、ガス圧点検といってもケーブルのバルブの先を押してガスの噴出音を確かめる程度であり、実際は殆んど実施されていなかった(ガス圧測定器によるガス圧点検実施要領が作成され、同点検が実施されたのは昭和五八年一二月一日から)。

なお武者係員に対してはガス圧点検まで明示しておらず、同係員は実際にもガス圧については点検しなかった。

(ハ) 右棚卸の出張は、従前通常二名であった。そして、これまで右二名とも運用係ということはなく、出納係や利材係の者一名と出張していたが、出納係のみで出張したこともあり、運用係のみの出張でも支障があるわけではなかった。現に本件年休請求のあった翌週にも運用係のみで同様の出張がなされた。

(ニ) ところで、出張者の調整をしていた資材護送出張と違い、一般出張である棚卸の出張はそのような調整は必要でなく、したがって課内会議で出張者を決めていたわけではなかったし、また一週間ないし一か月位前に当人に通知されるのが通例ではあったが、余裕がない場合は直前の発令もないではなかった。

原告新野に対する右出張命令は、成田空港開港をめぐる過激派集団の無差別的破壊活動を警戒し、その対策の一つとして被告公社各機関において一斉にバックアップ機器の点検整備を実施することになり、五月一六日に急遽局長からガス圧点検を含めた災害用ケーブルの棚卸実施を指示されたため、大高課長が出張の前日である同月一七日に至ってたまたま右原告から年休請求を受けた際に命じたものであり、同課長は同月一八日、一九日と次週に各地に保管されている右ケーブルについて順次棚卸を実施する業務計画を立てこれを実施した。

なお一般出張の場合は、必らずしも当該出張者の同意を得て行っているわけではなかった。

(ホ) 五月一八日当日は運用係四名のところ、出羽係長は資材護送のため市内の出張を、室月係員は運用係の平常業務をそれぞれ担務予定であり、翌一九日は出羽係長、室月係員が平常業務の担務予定であった。

そして、両日とも出納係八名のうち出張二名、年休一名、利材係六名のうち年休一名(一八日はそのほか時間年休一名)で、出勤予定者にはそれぞれ受け払いの業務が予定され多忙であったため、原告新野に代替して出張できる課員は存しなかった。

(ヘ) 大高課長は前記時季変更権行使の際、原告新野に対し出張命令のあることをその理由として説明したが、資材配給局においても仙台統括中などと同様服務規律の厳正化の指示を受けていたところ、原告新野は、その頃成田空港開港阻止闘争に関係するビラに賛同人として名を連らね、三・二六事件で中心的役割を果した第四インターのビラを配布したりそのビラ張りをして逮捕されたことがあった上、三月二七日に成田に行き催涙ガスに当った旨告白していたことから、大高課長は同原告が再び成田の現地闘争に参加することを懸念しており、五月一五日ころ同原告にこれに参加しないよう説得したほどであった(ちなみに同原告は、実際にも成田に行き右闘争に参加した。)。

(ト) 原告新野は、五月一八日、一九日出張せずに欠勤したため、武者係員は、出張先である福島電気通信部配給課の職員に保管場所に案内して貰い、持参した棚卸表と突き合わせて数量を確認したが、ケーブルの保管状況の良否を調査するなどのことはせず帰仙した。

ロ 以上の事実に照らして考えると、原告新野に対する前認定の出張命令は出張の前日発令という異例のものであるが、成田空港開港をめぐる当時の社会情勢のもとでは、ガス圧点検等を含めた災害用ケーブルの棚卸を緊急に実施する必要のあったことは否定できず、右棚卸業務がその必要に応じて的確迅速になされることは、同課の業務内容に照らし同課の事業の正常な運営に欠かせないものということができるところ、そのためには従前の例にも徴し二名の出張が必要であったということができるから(結果として武者係員のみ出張し棚卸を実施しているけれども、災害用ケーブルは原告新野の担当していた物品である上、二名で行うことにより右作業をより適確迅速になし、その保管状況の良否についても念入りに行うことが期待できたことが明らかである。)、原告新野が年休を取得すればこれを代替する者がない限り右事業の正常な運営を阻害するおそれがあったというべきである。

しかるところ、前認定のとおり他の課員は当時多忙であり、同課には他に代替出張するものが存しなかったことが窺われる。

原告新野は、そもそも右出張は同原告を成田空港開港阻止闘争に参加させないため発令したものであるとして業務命令権の濫用であるかのように主張するけれども、これに符号する原告新野本人尋問の結果は前掲証拠に照らして俄かに措信し難く、他に右主張を肯認するに足りる証拠はない。

また同原告は、右棚卸出張は作業を名目とした慰労出張であった旨主張するけれども、従前は仮にそうであったとしても、前認定の事実に照らすと、本件出張がそれと同じものであったとは認め得ず、右主張も又採用できない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告新野に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件が存するのであるから、適法有効である。

なお前認定のところによれば、大高課長は、原告新野が成田空港開港阻止の現地闘争に参加することが懸念されたため、年休を利用してこれに参加されたくないこともあって時季変更権を行使したことが窺われるけれども、仮にそうであったとしてもその行使の要件が客観的に存するのであるから、右判断を左右するものではない。

12  原告緒方について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告緒方が五月一七日午前八時三五分ころその所属する資材配給局の相田用品課長に対し同月一九日、二二日の両日について年休の時季指定をしたところ、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したこと、また右原告が五月二三日午前八時三五分ころ右相田課長に対し同日午前八時三〇分から二時間の年休の時季指定をしたところ、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(ロ)イ(イ)の事実、すなわち原告緒方の所属する資材配給局用品課及び同課出納係の主たる業務、同課の配置人員、勤務体制、原告緒方が出納係員であったこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一九日について

(イ) 原告緒方の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時までの日勤勤務であったこと、相田課長が時季変更権を行使した五月一七日の時点における同月一七日の用品課出納係の勤務予定者数及び各担務予定、原告緒方に対して同月一八日、一九日両日に亘る出張命令が発令されていたことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右原告本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 原告緒方に対する右出張命令は、五月一六日に資材配給局長の指示に基づき同月一七日に発令されたもので、福島電気通信部及び福島電報電話局に出向いて、これまで用品課から発送した物品の到達状況を調査して今後の資料にするとともに、資材配給局に対する要望事項を調査して今後の業務運営上の参考にしようとする目的で実施するものであり、各県単位で数局を選んで出張計画していたものであった。

原告緒方に右出張が命じられたのは、同原告が事業用式紙の検収保管等の担当者であり、同月一八日、一九日には被服担当者に被服の払出準備に専従させるためと、出張先から事前に式紙について尋ねたいことがある旨の連絡があったからであった。

なお相田課長も右両日に管理業務のため福島への出張を予定していた。

b 右目的の出張は、原告新野の所属していた同資材配給局第一線材課と同じく一般出張といわれるもので、資材護送のように出張者の調整はしないので、課内会議で出張者を決めるというものではなく、日程に余裕があれば事前に通知するが、余裕がなければ直前に発令することもないではなかった。

また出納係のみの出張も過去にあり、本件出張以後も度々あった。右出張命令を発令する場合、当該出張者の同意を得て行うということもなかった。

なお東北通信局管内の一般出張は、これまで繁忙期を避けて二月から三月、六月から七月、一〇月から一一月の各間に実施されていた(昭和五二年五月の課内の打ち合わせでも、局の方針として六月から七月、九月から一〇月に出張するよう要請されていた。)。

c 右一般出張においては、出張先の担当者から運送期間、物の過不足の有無、荷物の損壊の有無などを聴取するが、一日かかることもあれば、半日で済むこともあった。

d 予定線表上四月二七日から五月二五日までが夏服払出準備の業務予定となっており、五月一八日、一九日両日も同業務が予定されていたが、同業務は被服のメーカーから納入されて開梱、検収の上資材配給局三階の用品課倉庫に保管されていた夏服を、各機関から払出伝票により種類、号型毎の数量を確認の上運送委託業者に引渡すという業務であった。

在仙台機関を除く宮城県内各機関分の引渡予定は同月二三日で、その払出準備作業は同月一三日から三日間程度の予定であり、同月一八日はそれと福島県内の各機関への引渡、同月一九日は右宮城県分と在仙台機関分の払出し準備作業が予定されていた。右宮城県分は五三〇〇点、在仙台機関分は五七〇〇点もの品数であり、この払出時期は極めて繁忙のため、臨時雇二名を雇用しており、同月一八日、一九日両日は出納係五名のほか右臨時雇二名で右払出業務等行う予定となっていた。

なお出納係員は、右両日、右夏服払出業務の合間に、事務用物品の受入れ、払出し、保管などの平常業務をも行うことが予定されていた。

e ところで相田課長は、原告緒方が前記年休請求のため年休簿を取りに来た際に五月一八日、一九日両日の出張を命じたもので、同原告からその場で同月一九日、二二日両日の年休請求を受けたのに対し、同月一八日、一九日の出張は業務命令であり、福島と打ち合わせ済みで変更できない旨、同月一九日の時季変更権行使の理由を説明した。

なお相田課長も服務規律の厳正化の指示を受けていたところ、同課長は、その頃原告緒方が三・二六事件で中心的役割を果した第四インター関係のビラを配布しているのを目撃しており、また過去にも成田の現地闘争に参加した形跡があったことなどから、五月二〇日の成田空港開港を控え、再び同開港阻止の現地闘争に参加することを懸念し、同月一五日に同原告に対し右現地闘争に参加しないよう説得し、また同月一七日の時季変更権行使の際も同様に説得したほか、同原告の実家や親戚にも電話で右参加を思いとどまらせるよう説得を求めていた。

f 原告緒方は、五月一八日に出張せず、用品課に出勤し、夏服の払出業務を行い、翌一九日には欠勤した。右一八日の午後三時三〇分ころ相田課長が原告緒方に対し業務命令に違反するので出張に応ずるよう説得したが、これに応じなかったため同課長のみ福島に出張し、その管理業務を行ったほか原告緒方の出張要務を行った。

g なお被告公社と全電通との間の労働協約により、出張期間中であっても通常勤務の場合と同様に年休を附与することが合意されており、年休請求を受けて出張を取消すこともあった。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、当時同課は夏服払出準備等で業務多忙のため前日一八日からの原告緒方の出張業務を代替するものがなかったことが窺われるが、当該出張目的や従前の出張時期などに照らすと、五月一八日、一九日両日に当該出張を発令するのは不自然で、右両日に緊急に出張しなければ同課の業務に支障を及ぼすおそれがあったとは認め難い上、仮に出張先と打ち合わせて日程が決められていたものとしても、右打ち合わせは時季変更権が行使された五月一七日になされたばかりと考えられるから、当日直ちに右日程を変更したとしても、その及ぼす影響は少なく、変更することが困難とは考えられない。

そうすると、右出張命令(業務命令)が適法有効か否かはともかくとして、原告緒方が出張期間中の五月一九日について年休を取得し、その結果当該出張業務を予定どおり実施することができなかったとしても、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれはなかったというべきである(同月一八日に出張に応じなかった業務命令違反の点は、本件訴訟の争点ではない。)。

なお相田課長が右両日原告緒方の出張業務を自ら代替したことは前認定のとおりであるが、右のとおりもともと右両日に行わなくとも同課の業務に支障がなかったというべきであるから、右判断の妨げとならない。

ロ 五月二二日について

(イ) 原告緒方の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いがない事実と前項認定の事実に、(証拠略)の結果を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 相田課長が時季変更権を行使した五月一七日の時点における同月二二日当日の勤務及び休務予定者数と各担務予定は抗弁1(二)(11)イ(ロ)記載のとおりであった。もっとも、右記載の出張予定者に対して出張命令が発令されたのは同月一九日であり、右時季変更権行使当時は、前認定のとおり同月一六日の局長の指示に基づき右出張予定者について出張計画が立てられていたのみであった。

b 五月二二日当日は、結局勤務予定者は五名で、そのうち三名が出張予定のため、残る原告緒方を含めた出納係員二名が、臨時雇二名と共に事務用品の受入れ、払出し、物品整理等の平常業務を行う予定となっていた。

しかし、後記認定のとおり同月二四日に他の者が出張のため原告緒方一名のみで、臨時雇二名と共に被服払出業務と平常業務を行っており、原告緒方が同月二二日当日年休を取得した場合でも、右平常業務のみであれば特に支障はなかった。

なお被服払出準備作業の進行状況から右当日までにはその払出準備作業は終了する予定であった。

c 相田課長が前記時季変更権行使の際に原告緒方に説明した当日についての行使理由は、当日も出張計画があり業務上支障があるというものであった。

d 原告緒方は当日も出勤しなかったため、相田課長が同原告の行うべき業務を代行した。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、当日は原告緒方が年休を取得すると、同課出納係員は一名のみとなるが(他に臨時雇二名)、当日は平常業務のみが予定されていたところ、被告公社は、五月二四日には週休一名で五名が勤務予定のところ原告緒方のみを残し他の勤務予定者全員に出張命令を出しており、平常業務のみであれば、一名の係員だけでも業務上支障が生じないことを前提として右出張命令を出したものと考えられるし、現に右二四日には一名だけでも特に支障が生じなかったことを考え合わせると、二二日当日原告緒方が年休を取得しても同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれはなかったというほかはない。

当日相田課長が原告緒方の業務を代行していることは前認定のとおりであるが、右欠務の補充が業務上の支障を阻止するため必要不可欠なものであったとは認め難く、右判断の妨げとならない。

ハ 五月二三日について

(イ) 原告緒方の当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務であったこと、相田課長が時季変更権を行使した当日朝の時点における同日の用品課出納係の勤務予定者数及び各担務予定が抗弁1(二)(11)イ(ロ)記載のとおりであったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実と前記イ(イ)ロ(イ)認定の事実に(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 当日の出張予定者は前日に引続く出張中の者であり、当日の予定業務である夏服払出業務と前認定の平常業務は、原告緒方を含めた三名と臨時雇の二名の担務予定となっていた。

右払出業務としては、仙台を除く宮城県内各機関への引渡が予定されていた。

b 右引渡業務は、先に認定のとおり運送業者の搬出に立会って品数と伝票を突き合わせるだけの作業であり、通常は被服担当者が一名で行っていたもので、一名でもできるが、数量が合わず品不足の場合などには一名では対応できないので、予備的にもう一名が待機している必要があった。

当日式紙担当の原告緒方が年休を取得しても被服担当の係員を含め二名の係員が存したが、そのうちの高橋係員は五月一日付で関東資材配給局から転入してきたばかりで不慣れであった。

c 相田課長は、当日出張者があって人手不足のところ、被服払出業務も予定されており、その業務に不慣れな係員もあったことから、前記時季変更権行使の際、その理由として原告緒方に対し当日も業務上支障ある旨説明した。

d ところで、右時季変更権行使後引渡業務が用品課とは関係のない事情で翌二四日に延期となり、翌日、原告緒方以外の係員は全員出張あるいは週休のため不在で結局同原告一名と臨時雇二名のみで右引渡業務と平常業務を行ったが、特に支障がなかった。

e 原告緒方は、二三日当日の午前八時三〇分から同一〇時一五分まで出勤しなかったので、相田課長が自ら同原告の行うべき業務を代行した。

(ロ) 以上の事実によれば、夏服引渡業務は被服担当者一名によって処理できるが、ただ品不足などの場合に一名では対応できないので、万一の事態を考えると二名の要員を要するということができるところ、当日原告緒方が年休を取得しても、被服担当の係員を含めて二名の係員が勤務していたのであるから、そのうちの一名が転入間がなく不慣れであったとしても、これを待機要員として考えれば、右引渡業務に支障を生ずるおそれがあったとは認め難い。しかもその他に二名の臨時雇が存するのであるから、原告緒方が当日午前八時三〇分から二時間だけ年休を取得したとしても、同課の事業の正常な運営に支障が生ずるおそれはむしろなかったというべきである。

当日相田課長が自ら原告緒方の業務を代行したことは前認定のとおりであるが、右判断を左右するものでないことは五月二二日の場合について説示するところと同じである。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告緒方に対する前記時季変更権の行使は、いずれの時季指定日についても労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、前認定の事実に照らすと、相田課長は、服務規律の厳正化の指示を受けて、右要件が存しないにもかかわらず、右原告が年休を利用して成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念して右時季変更権を行使したものと推認されるから、不適法で無効である。

13  原告三塚について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告三塚が五月一一日午後二時五分ころその所属する石巻電報電話局運用部の蔵俣電報副課長に対し同月一九日、二〇日両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し引地電報課長が同月一二日午後四時四五分ころ時季変更権を行使したこと、また同原告が同月一七日午後四時ころ右引地課長に対し同月一八日午後九時から同一一時までの二時間と同月二二日の全一日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が直ちに時季変更権を行使したことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(12)イ(イ)の事実、すなわち原告三塚の所属する石巻電報電話局運用部電報課の主たる業務、同課の配置人員、勤務体制、原告三塚が内勤担当で宿直宿明勤務を行う組に入り六輪番交替服務を行っていたこと等は、当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 五月一八日について

(イ) 原告三塚の当日の予定勤務が午後二時三〇分から同一一時までの夜勤勤務であり、引地課長が時季変更権を行使した同月一七日時点における、同原告の時季指定した同月一八日当日の午後九時から同一一時までの時間帯の同課の勤務予定者は抗弁1(二)(12)イ(ロ)記載のとおりで、夜勤者が原告三塚を含めて三名宿直二名合計五名であったこと、ただ夜勤者一名は午後二時から同一〇時までの勤務のところ特例休息により午後九時に退局できることになっており、他の原告三塚を含む夜勤者も午後二時から同一一時までの勤務のところ特例休息により午後一〇時に退局できることになっていたこと、したがって、結局原告三塚の年休請求は実質的には午後九時から一〇時までの一時間だけであり、またこの時間帯の勤務者は実質四名であったこと、午後九時から同一〇時までは服務線表必要配置人員が四名となっていたので、原告三塚が年休を取得するとその必要配置人員を欠くことになること、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

右及び前項の争いのない事実に(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 原告三塚が当日午後九時以降二時間(実質一時間)の年休を取得すると、同九時以降は実質三人だけとなるが、右のように九時以降の二時間の年休請求は例がなく、その時間帯だけの代替勤務者を確保し配置することは事実上困難であり、後補充は管理者が行うほかはなかった。そのため引地課長は、原告三塚の右年休請求を受け、代替勤務の意向を打診するようなことは全くしなかった。

なお四月から六月までの三か月間に夜勤勤務者の一日欠勤により右時間帯において宿直宿明勤務者を含め四名の配置要員を欠くに至った事例は八件中二件あるが、右二件は突発的な年休請求のため代替勤務者を確保できず、またやむを得ない事情があるとして時季変更権を行使しなかった事例であった。

しかし、右のように後補充しない場合でも特に支障は生じなかった。

b 原告三塚が前記のような時間年休の申出をしたのは、同原告が五月一一日に同じ六輪番の横尾と一三日から一八日までの一週間単位で交替する勤務割変更の申出をしたところ、それまで度々あったそのような勤務割変更の申出を一度も拒否したことがなかったにもかかわらず、拒否されたためであった。

c ところで、午後九時以降の業務は、一一五番受付と至急電報や石巻漁業無線局への電報送信作業などで作業量が少なく、三名でも支障を生ずるおそれはなかった。それ故これまでも歓送迎会などのときはできるだけ多くそれに参加させるため夜勤勤務者を一名とすることもあった。

d 引地課長は、前記時季変更権行使の際、その理由として原告三塚に対し年休を取得されると最低配置人員を欠くことになる上、代替者の確保も困難で業務上支障がある旨説明した。

なお石巻電報電話局でも仙台統話中などと同様に服務規律の厳正化の指示がなされていたところ、引地課長は、原告三塚が成田空港開港阻止闘争に関するビラを配布したり、「成田に行っても捕らないから大丈夫だ。」などと広言しているのを聞き及び、五月二〇日の右空港開港阻止の現地闘争に参加することが懸念されたため、同月一二日、一三日の両日に成田に行かないよう説得していた。そして同課長は、原告三塚を成田に行かせないようにすることが先決と考え、横尾との勤務割変更も認めなかった。

e 原告三塚は、当日午後二時三〇分から夜勤勤務に従事していたが、同九時に至り引地課長と蔵俣副課長の制止を振り切って職場を離脱し早退したため、引地課長は蔵俣副課長を同原告に代替して業務に従事させた。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、服務線表上午後九時以降一〇時までは五名(特例休息により実質四名)、同一〇時から一一時までは四名(同実質二名)の配置人員となっており、被告主張のように原告三塚の当日の午後九時以降二時間の年休請求により右時間帯の必要配置人員を欠くとすれば、その場合は代替勤務者の配置について配慮することを要するところ、確かに午後九時から実質一時間だけの年休請求は過去に例がなく、引地課長において代替勤務の意向を課員に打診したとしても僅か一時間の右時間帯の代替勤務に応ずる者があることは期待できないというべきであるが、原告三塚からこれまでも度々行われていた勤務割変更の申出があったのであり、これに応じていれば、代替勤務者を確保することができたのであるから、それが困難であったということはできない。

そもそも右年休請求は、特例休息により実質同九時から一時間の時間年休にすぎない上、これまでも事情はともあれ、夜勤勤務者の全一日の年休請求に対し代替勤務者を配慮しなかったことや、歓送迎会などにいくらでも多く課員を参加させるために実質四名の配置人員を欠くことも珍しくなく、その場合でも、午後九時以降の業務が一一五番受付や至急電報等の限定された業務であったため、特に業務上の支障が生じなかったこと前認定のとおりであるから、服務線表上はともあれ、右四名が実際の業務遂行上の必要配置人員であったとは認め難い。

そうすると、原告三塚に右時間年休を与えたとしても、直ちに同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれはなかったというべきである。

蔵俣副課長が当日原告三塚の欠務を補充しその業務を代行したことは前認定のとおりであるが、そもそも右欠務を補充するまでの必要がなかったことは右判断のとおりであるから、そのような事実があったとしても、被告主張の管理業務の支障を含め、同課の業務に支障が生じたものということはできない。

ロ 五月一九日、二〇日について

(イ) 原告三塚の右両日の勤務予定が五月一九日午後四時三〇分から同月二〇日午前八時四五分までの二日間に亘る宿直宿明勤務であり、宿直宿明勤務の最低配置人員が二名であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実と前項イ(イ)認定の事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 原告三塚が右両日に亘る宿直宿明勤務について年休を取得すると、最低配置人員を欠くので、これを取得させるには代替勤務者の配置を要するところ、五月一九日当日の週休予定者は六名存するが、その中から補充することは、当時の同課の六輪番交替服務の勤務体制からみて複雑な調整を必要とすることから困難であった。すなわちそれまで週休者に代替勤務させた事例は全くなく、日勤者の中からその同意のもとに勤務割変更して宿直宿明勤務を代替させるのが通常であり、場合によっては先に認定のとおり同じ輪番の者と一週間丸ごと交替する勤務割変更などにより対処していた。

b ところで、五月一九日は、原告三塚らの内勤担当二七名のうち、前認定のとおり週休六名で、その他出張四名、学園訓練二名、加入電信受託訓練一名、デスク作業担当(係長)二名、夜勤三名、宿直宿明勤務二名、早勤一名、日勤四名となっており、これに学園訓練後補充として二名の熟練した臨時雇が稼働を予定していた。

通常は、平常日の日勤勤務者九名、早勤者一名配置され、繁忙日の場合は日勤勤務者が一一名、早勤者が一名配置されていたが、右によると、当日の内勤担当業務である電報受付、模写通信などの電話サービス業務に従事する日勤勤務者は、早勤勤務者を含めても五名であり、臨時雇を含めても七名にすぎなかった。

もっとも繁忙日には、デスク作業担当の前記係長二名と計理担当二名計四名のうち二名を、日勤帯の前記電報サービス業の手伝に振り向ける措置がとられていたので、右二名を加えると、ようやく平常日の日勤帯の通常の配置人員である九名となった。

c そして、五月二〇日が土曜で大安日、翌二一日が日曜のため、多数の結婚式が予想され、それに伴って慶祝電報も事前に多数発信、着信するのが通例であったから、大安の前日の五月一九日と二〇日は繁忙が予想される「繁忙日」とされていた。そのため五月二〇日にはその対策として日勤帯にさらに二名の臨時雇(合計四名)を雇用していた。

d 五月一九日の出張は、江ノ島郵便局の自動改式が同月二四日に予定されていたためそれに伴う業務指導を目的とする二名と、職場の環境整備のため他局の整備状況を研修し参考とする目的で同月一七日から一九日まで八戸、同月二二日から二四日まで山形の二班に分れて実施することになっていた最初に出発する班の二名であった。

右他局研修の出張は、石巻電報電話局が清掃や物の整理整頓が他局に比して劣ると考えた引地課長が五月上旬に局長の了承のもとに計画立案し、同月一〇日に決裁手続に付し同月一二日に決裁されたものであった。これまで右のような趣旨の他局研修は、年度末に予算消化のため慰労的に行われていたものであり、その出張目的からしても緊急に実施しなければならないものではなかった。

e 前記加入電信受託訓練とは、東海カーボン株式会社石巻工場の依頼を受けて行っていた同社の加入電信取扱者に対するいわゆる受託訓練で、五月一五日から二七日まで実施予定であった。

f なお五月二〇日に電報受付等の業務に従事する日勤勤務者は、早勤勤務者を含めて一一名であった。

g ところで、五月一九日当日の日勤勤務者四名のうち、松川、岡部の二名は翌二〇日が勤務割表上週休となっており、前記a認定のとおり右二名に原告三塚の代替勤務をさせることは輪番を崩すことになって困難であった。また一九日当日日勤勤務者のうち翌二〇日に夜勤勤務予定の池田に右代替勤務させることも、さらにその者の代替勤務者を確保する必要があり困難であった。しかし当日日勤勤務者のうち早勤勤務の片倉の場合は、原告三塚の同月二二日の年休請求の場合と同様の問題が生じるが、後記認定のとおり代替勤務させることは必らずしも困難ではなかった。残る阿部係員は翌二〇日も日勤であり代替勤務の支障は特になかった。

h 引地課長は、五月一九日当日は業務多忙で日勤勤務者を含め代替勤務者の確保は困難であると考え、また原告三塚が年休請求の理由を明らかにしないばかりか、先に認定のとおり年休を利用して成田の現地闘争に参加することを懸念して、日勤勤務者に対し代替勤務の意向を打診するなど代替勤務者配置の配慮を全くせず、前記のとおり時季変更権を行使した。同課長は右行使の際、その理由として原告三塚の年休請求により最低配置人員を欠く旨説明した。

i 原告三塚は、五月一九日の出勤時刻に出勤しなかったため、引地課長は前日の場合と同じく蔵俣副課長に同原告に代替して宿直宿明勤務することを命じ、同副課長が右勤務を代行した。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、右両日に亘る宿直宿明勤務は二名の最低配置人員であり、原告三塚が年休を取得すると、右最低配置人員を欠き同課の業務に支障を及ぼすことは明らかであるが、被告公社において代替勤務者を配置することが可能である限り、その配慮をしなければ最低配置人員を欠くとして事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということができないことは既に説示のとおりであるところ、同課では年休取得による欠務を通常週休者の中から補充せず、日勤勤務者の中からその同意を得て勤務割変更し代替勤務させていたことは前認定のとおりであるから、日勤勤務者の中から代替させることが可能であったかどうかが問題であるが、五月二〇日は土曜日で大安日であったことから、その前日の一九日を含めて多数の慶祝電報の発信、着信の予想される繁忙日であり、繁忙日の場合は通常早勤務者を含め日勤勤務者一一名、平常日でも同一〇名配置されていたところ、同月二〇日は一一名で問題はないが、同月一九日は五名で学園訓練後補充の臨時雇二名を含めても七名、デスク業務からの二名の応援を得たとしても九名の配置となるにすぎず、その中から一名が原告三塚の欠務を補充し代替勤務することになると多少とも手不足となることは否めないということができる。

しかしながら、右一九日は、その出張目的からみてさして急を要するとは思われない他局研修の出張に二名発令するなどして当初から繁忙日の通常の要員を配置していなかったのであり、また二〇日には臨時雇二名を繁忙対策として雇用しているのに一九日にはこれを雇用していないところからみると、一九日は大安日の前日とはいえ、被告公社自体当初からそれほどの繁忙を予想していなかったことが窺われるから、当日の日勤勤務者の中から原告三塚の欠務を補充しデスク業務の応援を含めた残る八名だけでは業務に支障を生ずるものと断ずることに躊躇される。

仮に日勤勤務者の中から代替させると必要配置人員を欠き業務に支障を生ずるに至るとしても、原告三塚の五月一九日、二〇日両日についての年休請求は同月一一日になされていたのであるから、同月二〇日と同じように繁忙対策として臨時雇を更に雇用することも時間的に十分可能であったということができるし、また前認定のところによれば、少なくとも五月一九日当日の日勤勤務者である阿部、片倉の両名については、従前のとおりその同意を得て勤務割変更により代替勤務させることに勤務予定上格別支障は認められなかったのであるから、代替勤務者の配置も可能であったということができる。

しかるところ、引地課長は、前認定のとおり原告三塚が成田の現地闘争に参加することを懸念し、むしろその参加を阻止する意図のもとに右の者らに代替勤務の意向を打診しようとせず、代替勤務者を配置するための配慮を全くしなかったのであるから、その結果最低配置人員を欠き管理者において年休請求者の業務を代行せざるを得なかったとしても、被告主張の管理業務の支障を含め、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあるということは許されないというべきである。

ハ 五月二二日について

(イ) 原告三塚の当日の勤務予定が午前七時三〇分から午後三時三〇分までの早勤勤務であり、引地課長が時季変更権を行使した五月一七日時点における同月二二日の午前七時三〇分から同八時までの早朝時間帯の勤務予定者が宿明勤務の二名(前日から引続いて当日午前八時四五分まで勤務予定)と、早勤勤務である原告三塚の三名だけであったこと、当日が陰陽道の先勝日であったことは当事者間に争いがなく、右及び前記(1)(所属課の業務内容等)の争いのない事実と前記(2)イ(イ)、ロ(イ)認定の事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

a 服務線表に基づく服務割表上、原則として右早朝時間帯は、宿明勤務者二名と早勤勤務者一名合計三名の配置人員となっていたが、二〇週に九回は週休日の設定と勤務時間の調整上早勤勤務者を配置できないことから、比較的業務量の少ない日曜日に限って二名のみの配置となっていた。

しかしながら、早勤勤務者に全一日の年休を取得させその欠務を補充しないため早朝時間帯が二名のみとなったことが度々あった上、早勤勤務者の申出で午前八時三〇分からの日勤勤務に勤務割変更した例が年間数回程度、宿明勤務者に午前六時四五分から二時間の年休を取得させた例が月一回程度あり、この場合もその欠務を補充しなかったため、早朝時間帯が二名のみの勤務となっていた。右早朝時間帯の欠務を補充しないのは、早朝のため引受け手が少なく、また三〇分だけであることから、副課長など管理者が早目に出勤することにより支障なく対応することができたためであった。

b 当日は、前認定の他局研修のため二名出張者があったことなどから、日勤勤務者は早勤勤務予定の原告三塚を含めて五名の予定となっていたが、先勝日で過去の実績から繁忙日と考えられたため、学園訓練後補充の前認定の臨時雇の外に臨時雇二名を雇用し、また蔵俣副課長に早朝出勤を命じ、予想される繁忙に備えていた。

c 引地課長が時季変更権を行使した際、原告三塚に説明した理由は、前認定の他の指定日の場合と同じであった。

d 当日も原告三塚が出勤しなかったため、蔵俣副課長が原告三塚に代替してその業務に従事した。

(ロ) 以上の事実に照らして考えると、原告三塚が一日年休を請求した当日の勤務予定は早勤でその勤務時間のうち午前七時三〇分から同八時までの時間帯は服務線表上三名の最低配置人員となっており、原告三塚が年休を取得すると、右時間帯は宿直宿明勤務者の二名のみとなって右最低配置人員を欠くことになるが、右二名となるのは業務量の比較的少ない早朝の三〇分だけである上、日曜に限ってはいるが、二〇週に九回は服務割表上も二名のみを配置しているし、早勤者が一日年休を取得した場合とか、宿直宿明勤務者が午前六時四五分以降二時間年休を取得した場合などにも、代替勤務者を配置することが困難なため特にその欠務を補充せず、管理者が早目に出勤することによって対処しており、そのことによって従前業務に支障を生じた形跡は窺われない。そして右の管理者の早目の出勤がその管理業務に支障を及ぼすとも考えられない。

そうすると、右早朝時間帯は、必らずしも三名が実際の業務遂行上必要な最低配置人員であったとは認め難く、またその後の時間帯についても、当日は繁忙日であったとはいえ、当初から前認定の他局研修の出張発令などにより通常の繁忙日に比し日勤勤務者の配置が少なかったのであるから、被告公社自体それほどの繁忙を予想していなかったというべきであるし、そもそも当日は原告三塚が年休を取得しても、日勤勤務者四名、学園訓練の後補充の臨時雇二名繁忙対策の臨時雇二名が勤務予定で、それにデスク業務から二名の応援を得れば合計一〇名が電報サービス業務に従事できるのであるから、原告三塚の年休請求により必要配置人員を欠くに至るものとは俄かに断じ難い。

そうすると、原告三塚に当日年休を与えても、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったとは認められない。

なお蔵俣副課長が当日原告三塚の業務を代行したことは前認定のとおりであるが、そもそも同原告の欠務を補充する必要があったとは認め難いから、右判断の妨げとならない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告三塚に対する時季変更権の行使は、いずれの指定日についても労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、前認定のところによれば、引地課長は、その要件が存しないにもかかわらず、服務規律の厳正化の指示を受けていた折から、同原告が成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを阻止する意図のもとにこれを行使したものと認められるから、不適法で無効である。

14  原告日野について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告日野が五月一五日午前九時ごろその所属する石巻電話中継所の飯田所長に対し同月一九日、二〇日の両日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同所長が同月一八日午後四時ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属所の業務内容等

抗弁1(二)(13)イ(イ)の事実、すなわち原告日野の所属する石巻電話中継所の主たる業務、同所の配置人員、及び勤務体制、原告日野が五輪番交替服務を行っていたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告日野の五月一九日、二〇日の勤務予定が一九日午後四時五五分から翌二〇日午前八時四五分までの宿直宿明勤務であり、右宿直宿明勤務が一名だけの最低配置人員であったこと、同所では同月一九日と同月二六日の二回に分けて所内レクリエーションを実施することに決せられていたことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 飯田所長が時季変更権を行使した五月一八日の時点における同所の当日の勤務及び休務予定者数、業務予定、同所の予定していた勤務予定者の各担務予定はいずれも抗弁1(二)(13)イ(ロ)記載のとおりであった。しかし、同所の平常業務である統制台勤務については宿直勤務前日の者一名が慣行的に担務する外、故障発生の場合は他の日勤者が随時調整してその修理に当たっており、デスク業務についても予め担務者が定められていた。それ以外の具体的担務指定は当日朝の出勤者の顔振れによって調整し周知させるのが通例であった。

(ロ) ところで、宿直宿明勤務は、前記のとおり一名の最低配置人員となっていたため、年休請求があった場合は、これまでも必らず代替勤務者を補充していたところ、同所では宿直宿明勤務の欠勤補充のため代替勤務が必要な場合は、日勤勤務者や週休者の中からその同意を得て勤務割変更して補充するのが通常で、代替要員がいない場合には管理者において代替勤務したり、非組合員の係長に時間外労働として代替勤務させ、時季変更権を行使したことはなかった。代替勤務者は年休請求者から申出のある場合もあり、その申出のない場合には管理者側で捜していた。

(ハ) 前認定のとおり当日の日勤の勤務予定者が一般職員一八名のうち九名のみとなったのは、前記所内レクの実施が予定されていたためで、右レクは五月一二日に被告公社と全電通との間になされた協議により一九日当日と同月二六日の二回に分けて実施することが決定され、一九日実施分の七名については同月一二日に既に特別休暇各一日が付与され、就労義務が免除されていた。

レク実施当日でも勤務予定者に年休を取得させていたが、右レク参加者の中から年休請求者の代替勤務を行わせることは、右の如く労働組合との協議に基づいて一旦付与したレク参加のための特別休暇をそのために取消さなければならないことになって適当でなく、また第一回目のレク参加者を第二回目に繰り下げることは、第二回目実施当日の勤務予定者がそれだけ減少し業務に支障を生じかねないことから、これまでその特別休暇を取消して代替勤務に当てた例はなかった。もっとも、班編成後所員同志で班メンバーを変更し合うことはこれまでも行われており、これによって年休を請求する代りに特別休暇を利用して所用を果すものもあった。

(ニ) 五月一九日午前の予定業務であった等化度試験とは、仙台榴ケ岡統話中と石巻電話中継所との間において、有線による伝送方式の一つである同軸ケーブル(CP12MTr)が安定した回線状態を維持しているか否かを試すために定期的に行う試験で、右CP12MTr方式が五二年六月に開通して以降、一度も行われていなかったことから、同方式の回線を統制している仙台榴ケ岡統話中において翌年の五月と一一月に試験の予定を組み、その旨五三年四月二一日付け文書により石巻電話中継所に通知されていたが、同月二四日に至り、五月試験分が当初の五月九日から同月一九日に変更されたものであり、四月末に開催された所内打ち合わせ会において五月一九日に行うことが周知されていた。右業務は通常二名だけで実施しているものであるが、飯田所長は開通以来初めて実施する試験で所員に早く慣れさせるため訓練の趣旨を兼ねて原告玉川を含めて三名の担務を予定していた。

右のような定期試験ないしその訓練は、後記統制台勤務の傍ら行わせることも可能であった。

なお従前レク実施の日には、凡そ半分の所員が右レクに参加するため、統制台勤務以外の業務はできるだけ押えるように配慮していた(逆にいえば、そのような業務予定のある日にレクを実施することは避けていた。)。

(ホ) 五月一九日午前の予定業務の無線機の搬入は、江良試験係長一名の担務とされていたが、それは三〇分程度の作業であった。

なお右機器が重いため、実際は右係長だけでなく、前記第二の二1(二)(4)認定の特別災害対策の一環として航空レーダー回線用の通信用ケーブルを中心とするパトロール強化のため、たまたま仙台搬送通信部から応援派遣されていた渡辺調査員と、佐藤巡回保全長の三名が右作業を実施した。

(ヘ) 統制台勤務は、二四時間体制で市外電話回線の故障の受付け修理をする業務であり、受付に一名、故障が発生した場合の修理要員として少なくとも一名が必要で、夜間帯、土曜の午後、日曜以外は合わせて二名以上配置していたが、前認定のとおりその一名は宿直前日の者が慣行的に右業務の専担者となり、他の一名については特に専担者を定めないで他の業務があればそれを行いながら故障が発生した場合はその修理を最優先して適宜分担して修理に当たるというのが通常の体制であった。

故障の発生は一日平均一件程度であった。

なお市外回線は、一度故障が発生すると全国的に多くの利用者に不便を与えることになるため、予備の伝送路を備えて故障の場合これに自動もしくは手動で切り替えて対処できるようになっており、故障が発生しても直ちに市外電話中継に支障を生じない仕組となっていた。

(ト) また五月一九日の予定業務である給与支給事務は、本来は太田係員の専担業務であるが、当日は給与支給日で通勤費、旅費、物品代の支払日とも重なって多忙であり、現金を扱う業務で間違いがあってはならないため、庶務一般をも分掌する熊谷整備係長がこれを手伝う必要があった。また当日阿部工事主任は、デスク業務として建設工事の事後処理を行う予定となっていた。

しかしながら、従前故障などで統制台の業務が多忙な場合は、太田係員を除くデスク担当者も右業務を応援しており、万一故障発生の場合はその応援を期待することができた。

(チ) 五月二〇日は土曜日で、短日勤三名を含む日勤勤務予定者四名、宿直、宿明勤務各一名、他は全て週休であり、右日勤勤務予定者のうち三名は前日一九日のレク参加予定者であったが、短日勤の田中係員は前日も日勤勤務予定者となっていた。

そして、土曜の午前は、平常業務の統制台勤務に二名の要員を配置すれば、前認定の(ヘ)のとおり業務上支障はなかった。したがって、一九日、二〇日を通じると、両日の週休者を除いても、田中係員についてはその勤務予定からみる限り代替勤務をすることに格別支障はなかった。

(リ) 飯田所長は、代替勤務要員は存しないとして、原告日野が年休を必要とする理由を明らかにしなかったこともあり、五月一九日勤務予定の日勤勤務者に代替勤務の意向を打診するなどの代替勤務者を配置するための配慮を全くしなかった。

なお同所長は、右時季変更権行使の際、原告日野に対しその理由として五月一九日はレクがあり、二〇日は土曜で週休者が多く代替勤務者を確保できないので業務上支障がある旨説明した。

また同中継所に対しても仙台統話中など他の被告公社機関と同じく服務規律の厳正化の指示がなされていたところ、原告日野は、原告三塚らと共に成田空港開港阻止闘争に関するビラにアピール賛同人として名を連らねたり、日頃ビラを配布するなどしていたことから、飯田所長は同原告が右闘争に深く関与しているものと考え、同原告に対し前記年休請求を受けた際や前記時季変更権行使の際に成田の右現地闘争に参加しないよう説得していた。

(ヌ) 原告日野は、五月一九日に出勤時刻になっても出勤しなかったので、飯田所長はやむなく自ら右原告を代替して宿直宿明勤務をなした。なお石巻電話中継所では、従前から度々同所長が自ら宿直宿明勤務等を代替しており、代替勤務者がいない場合は同所長において代替勤務することが半ば職場慣行化していた。

ロ 以上の事実に照らして考えると、原告日野が五月一九日、二〇日に亘り勤務予定の宿直宿明勤務は、一名の最低配置人員となっていたから、同原告が年休を取得すると、右最低配置人員を欠くことになるので、かかる場合通常行っていた方法によって代替勤務者の配置が可能であったかどうかが問題となるところ、五月一九日当日のレク参加者に右宿直宿明勤務を代替させることは前認定のとおり何かと支障があるため、これまでもそのような例がなかったというのであるから、右参加者から代替勤務者を配置するためその意向を打診するなどの配慮は通常なされていなかったものということができる。

しかしながら、五月一九日当日の予定業務である等化度試験は、通常二名だけで実施できるものであって、さらに一名を加えてその訓練を急がなければならない差し迫った事情は認められず、右担務者は午後には他の業務を担務することができる上、統制台勤務は必ずしも常時二名がその業務を専担する必要があるわけではなく、一名がその業務に当たれば後は故障が発生した場合に対処すれば足りるので、他の業務を行いながら待機しても支障のないこと前認定のとおりである。そして無線機搬入作業も所要時間は三〇分程度の作業で実際も他局の者などの応援を得て予定どおり終了しており、その担務者の江良係長は午前については右作業以外の予定がなかったので、右作業の前後には統制台勤務や等化度試験等を担務することができ(原告玉川について後記認定のとおり、江良係長は実際にも等化度試験を実施している。)、太田係員を除くデスク担当者も万一の場合には統制台勤務の応援が可能であったことは前認定のとおりである。

加えて、五月一九日、二〇日両日の勤務予定上右両日に亘る原告日野の宿直宿明勤務の代替勤務について格別支障のない課員があったのであるから、原告玉川に年休を与えてもなお代替勤務者の配置は可能であったというべきであり、したがって飯田所長は、従前行っていたように、同原告から代替者の申出がなければ、右代替勤務のための勤務割変更に同意する課員を自ら捜すなど代替勤務者配置の配慮をなすべきであったということができる。

しかるところ、同所長は、代替勤務の意向を打診するなど代替勤務者配置の配慮を全くしなかったのであるから、そのため最低配置人員を欠くことになったとしても、同所の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということができないことは既に説示のとおりである。

なお飯田所長が原告日野の宿直宿明勤務を代替したことは前認定のとおりであるが、所長の代替勤務は度々で半ば職場慣行化していたことは前認定のとおりであるから、このような場合は管理職とはいえ同所長も代替要員として代替勤務者の配置が可能か否かの判断に当たって考慮することができると解するのが相当であり、また自ら右代替勤務せざるを得なかったのは、代替勤務者の配置について配慮しなかった結果にほかならないから、いずれにしても被告主張の管理業務の支障を含め、同所の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということはできないというべきである。

却って、前認定の事実によれば、飯田所長は、服務規律の厳正化について指示を受けていた折から、業務上の支障が格別存しないにもかかわらず、原告日野が年休を利用して成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念して時季変更権を行使したものと推認される。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告日野に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

15  原告玉川について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

(人証略)によれば、原告玉川から五月一二日午前一〇時四五分ころその所属する石巻電話中継所の佐藤巡回保全長に対し同月五日の代休を同月一九日に取得したい旨申出があったが、飯田所長が同月一六日午前一〇時四五分ころ右代休は別の日にするよう伝えたところ、同原告から同月一九日について年休の時季指定をしたものであることが認められ、右認定に反する原告玉川の供述は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、同所長が右時季指定に対し同月一八日午後四時ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属所の業務内容等

原告玉川が原告日野と同じ職場である石巻電話中継所の係員であったことは当事者間に争いがなく、したがって、同所の業務内容等は、原告日野についてと同じである。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告玉川の五月一九日当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時一〇分までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、その他の事実関係は原告日野について判示したとおりである。

なお(証拠略)を合わせると、当日の原告玉川の担務予定とされていた等化度試験は必らずしも同原告に担務させなければならないものではなかったこと、当日原告玉川が出勤しなかったので、飯田所長は江良試験係長を同原告に代り等化度試験に従事させたこと、なお同所長は、前記時季変更権行使の際、その理由として当日は所内レクが予定されており、原告玉川は等化度試験の担務が予定されているので業務上支障がある旨説明したこと、また同所長は、原告日野について前認定のとおり服務規律の厳正化について指示を受けていたところ、原告玉川が原告三塚らと共に成田空港開港阻止闘争に関するビラにアピール賛同人として名を連らねたり日頃ビラを配布するなどしていたことから、同原告が右闘争に深く関与しているものと考え、同原告から前記年休請求を受けた際や前記時季変更権を行使した際に、成田の右現地闘争に参加しないよう説得していたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ロ 以上の事実に照らして考えると、原告玉川が当日担務予定の等化度試験は、同原告を除く二名で実施しても格別支障はなく、また職場を同じくする原告日野について先に説示のとおり、原告玉川に年休を与え、更に同原告を除く当日の日勤者八名の中から原告日野の年休による宿直宿明勤務の代替要員として一名を振り向けても、当日の予定業務に格別支障を生ずるおそれはなく、業務量に見合う必要配置人員を欠くことになるとは認め難い。

そうすると、原告玉川にその請求にしたがって年休を与えても、同所の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれがあったということはできない。

却って、前認定のところによれば、飯田所長は、右のように格別業務上支障がなかったにもかかわらず、服務規律の厳正化について指示を受けていた折から、原告玉川が年休を利用して成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念して時季変更権を行使したものと推認される。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告玉川に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

16  原告中鉢について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告中鉢が五月一八日午前一一時ころその所属する古川電報電話局の松橋電報課長に対し同月二〇日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が同月一九日午後四時二五分ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(二)(14)イ(イ)の事実、すなわち原告中鉢の所属する古川電報電話局電報課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、右原告が内勤担当の係員で六輪番服務を行っていたこと等は当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告中鉢の五月二〇日当日の勤務予定が午前一〇時から午後六時までの日勤勤務であり、当日は大安日であったこと、当日臨時雇の雇用を計画していたことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、(人証略)の供述中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 松橋課長が時季変更権を行使した五月一九日時点における同月二〇日当日の電報課内勤担当の勤務及び休務予定者数は抗弁1(二)(14)イ(ロ)記載のとおりで、原告中鉢を含め日勤勤務者は八名であった。当初の日勤勤務予定配置人員は一四名であったところ、同月一五日に年休請求をした一名、病休者二名、それに他局研修のための出張が四名発令され、残る八名となったものであるが、右出張は、主に繁忙対策の一環である後記認定の前日送信の実施状況を研修するため五月から六月に分けて電報課全職員を対象として計画されたもので、同月一二日に同月一八日から二〇日の日程で弘前局、八戸局に各二名宛出張させることが決定され、同月一五日に旅行命令が発令されていた。

原告中鉢の同月二〇日当日の担務予定は、菅原主任、臨時雇三名と共に一一五番受付となっていた。

(ロ) ところで、五月二〇日は大安日で、慶祝電報が多く、繁忙日とされていた。服務線表に基づいて作成されている服務割表、勤務割表は、いずれも予想される繁忙を考慮しないで作成されているため、繁忙日対策として通常臨時雇の雇用、管理者による応援、あるいは電報の前日送信(繁忙分散のため配達日の前日に配達受託者に送信しておくことをいう。)などが行われていたが、当日も臨時雇六名を雇用し、しかも右六名中三名については通常午前八時三〇分から午後四時三〇分までの雇用のところ、午前八時から午後四時までと三〇分繰り上げ雇用するという繁忙状況に合わせた雇用が予定されており、また同月一九日に前日送信として七三通を送信して繁忙を極力分散するように図られていた。

また同課の各担務者は、日頃繁忙の状況に応じて相互に応援し合っていた。

(ハ) 四月から六月までの三か月間に日勤帯が七名以下となったのは二一日あり、そのうち繁忙とされている大安日は五月二〇日を除くと同月一四日と同月二六日の二日間のみであった。

しかし同月二〇日の電報総取扱件数が一六五五通であったところ、四月二日は日勤勤務者七名で一六九二通、五月一四日が同六名(うち一名半日年休)で一一九六通、同月二六日が同六名で一一七六通、六月一八日が同七名で一九六一通、同月二四日が同六名(うち一名午後二時間年休)で一五三二通の実績であった。右五月一四日は元電報課の職員の結婚式出席のためやむなく三名に半日年休を与えたものであり、また右同月二六日の場合は、全電通と協議により決定した所内レクリエーションに計画的に四名を参加させたため、右人数となったものであるが、右のとおり繁忙日に八名を欠くに至る場合でも、時季変更権を行使したことはもとより、年休者の欠務補充のために代替勤務させたことはこれまでなく、そのために業務に特に支障を生じたこともなかった。また右のとおり繁忙日でない日にも繁忙日に劣らない多数の電報を取扱っていたが、やはり八名の人員を欠いても特に業務に支障を生じたことはなかった。

なお五月は四月に比して一般的に電報取扱件数は少なかった。

(ニ) 松橋課長は、前記時季変更権行使の際特にその理由を説明しなかったが、古川電報電話局でも仙台統話中など他の被告公社各機関と同じく服務規律の厳正化についての指示を受けていたところ、原告中鉢が成田空港開港阻止闘争に関するビラにアピール賛同人として名を連らね、そのビラを配布したりなどしていて、右闘争に深く関与しているものとみられたことから、五月二〇日の成田における右現地闘争に参加するのではないかと懸念し、右時季変更権行使の際、同原告に成田に行かないよう説得した。

(ホ) 当日原告中鉢が出勤しなかったため、松橋課長は、同原告の欠勤を予測し上部機関である宮城電気通信部から応援に来局していた管理者蓬田と共に同原告が担務予定の一一五番受付を行った。

ロ 以上の事実に照らして考えると、五月二〇日当日は繁忙日であるのに、日勤勤務予定者が原告中鉢を含めて繁忙日の通常最低配置人員の八名のみであったため、臨時雇を六名も雇用する計画となってはいたが、被告公社はその出張目的からみてさほど緊急に実施する必要があるとは考えられない他局研修の出張に当日四名も発令していることからすると、それほどの繁忙を予想していなかったことが窺われるし、また前認定の四月から六月までの三か月間の電報総取扱件数と日勤勤務者に関する実績や被告公社が同月一四日、二六日の大安日に日勤勤務者が八名を欠くに至ることを承知しながら、代替勤務者を補充することなく年休を与えたり、レクの実施日とすることを労働組合と合意し実施しているなど前認定の諸事情を合わせ考えれば、原告中鉢に請求どおり年休を与え日勤勤務者が七名となっても必要配置人員を欠くことはなく、同課の業務である電話サービスに支障を生ずることはまずなかったものと認められるから、代替勤務者の配置が可能であったかどうかについて判断するまでもなく、同課の事業の正常な運営に支障を生ずるおそれはなかったものということができる。

なお当日松橋課長や宮城電気通信部の管理者が原告中鉢の業務を代行したことは前認定のとおりであるが、もともと右代行をせずとも業務に支障が生じたとは認められないのであるから、右事実は右判断の妨げとならない。

前認定のところによれば、結局、松橋課長は、右のように格別業務上支障がなかったにもかかわらず、服務規律の厳正化について指示を受けていた折から、原告玉川が年休を利用して成田空港開港阻止の現地闘争に参加することを懸念して時季変更権を行使したものと推認するほかはない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告中鉢に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

17  原告佐藤について

(一) 年休の時季指定と時季変更権の行使

原告佐藤が五月一七日午前八時三五分ころその所属する古川電報電話局の大友線路宅内課長に対し同月一九日について年休の時季指定をしたこと、これに対し同課長が同月一八日午後五時一〇分ころ時季変更権を行使したことは当事者間に争いがない。

(二) 時季変更権行使の適法性

(1) 所属課の業務内容等

抗弁1(2)(15)イ(イ)の事実、すなわち原告佐藤の所属する古川電報電話局線路宅内課の主たる業務、同課の配置人員及び勤務体制、原告佐藤が工事係員であり、同課の現場作業に従事する課員は「線路班」と「宅内班」に分けられていたこと、右各班の業務内容、原告佐藤が右宅内班に属していたこと等は、いずれも当事者間に争いがない。

(2) 事業の正常な運営を妨げる事情の存否

イ 原告佐藤の五月一九日当日の勤務予定が午前八時三〇分から午後五時までの日勤勤務であったことは当事者間に争いがなく、右及び前項の争いのない事実に、(証拠略)を合わせると、次のとおり認められ、右原告佐藤の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 古川電報電話局線路宅内課の宅内班は、工事係長以下一六名で構成されていたが、大友課長が前記時季変更権を行使した五月一八日の時点における同月一九日当日の勤務予定、業務予定、右勤務予定者の各担務予定はいずれも抗弁1(二)(15)イ(ロ)記載のとおりであって、宅内班全員が勤務予定であった。

右各課員の担務予定等を表わした作業予定線表は、四月末に各課員に配布され、課内会議においても各課員に周知されていた。

(ロ) 五月一九日当日は、右に認定のとおり、同月一五日から同月二四日までの山形における訓練に参加していた青木係員を除く宅内班全員が出張業務であり、いずれも同月一五日から同月一九日までの宿泊を伴う旅行命令が通例どおり前週の同月一二日に発令されていた。

もっとも、障害修理、オーダー工事等のための出張については、「泊」を伴う場合でも、実際は宿泊をする必要はなく、時間外手当等に相当するものを出張手当という名目で付与する便法にすぎなかった。

(ハ) ところで、障害修理は二名、電話機の移転等のオーダーによるサービスオーダー工事は三名宛班編成して業務を行っているのが通例であり、五月一九日も同様で、原告佐藤の場合は、同月一五日から右同月一九日までの中新田、小野田、宮崎、岩出山、真山地への出張業務を右三名の班編成で命じられていた。

そして、右当日に同原告の班が三名で実施すべき作業は、同月一五日付の工事通知書によって、宮崎、小野田地区のサービスオーダー工事と予定されていた。

三名一班の班編成で作業予定が立てられている場合は、これに見合う工事量、工事内容を予定していたことから、一名を欠いて二名となると、作業を予定どおり実施し完了することは困難で、直ちに業務に支障を与えるものであった。

(ニ) そこで、障害発生が多く障害修理優先によってSO工事班を障害修理の班に担務替えして対処する必要のある場合や年休請求(出張期間中の年休請求も労働協約により認められていた。)等によってSO工事が三名構成で行えない場合は、班の編成替えが可能であればその編成替えを行い、単価請負契約を締結している下請業者に下請できる場合は右業者に予定工事を振り分けていた。また二名に見合ったオーダーの件数、内容に工事予定を組替えることが可能であれば、オーダーの客と応対の上、予定工事の一部について工事日の延期(約日変更)をなし、工事予定を組替えて対処していた。もっとも右の約日は客の都合とも合わせて定めたものであるから、その変更は最後的手段というべきものであった。

同課では、従前右のような対処により時季変更権が行使された事例はなかった。

(ホ) ところが、五月一九日は、先のとおり山形へ出張中である青木を除く宅内班全員が班編成の上本件年休請求前の同月一五日から引続いての出張業務を予定しており、右請求は右出張業務の中途で当日の二日前でもあったため、班編成替えができる状況ではなかった。

また当日SO工事予定の小野田、宮崎地区については、当時被告公社と下請業者との間に締結しているSO工事に関する単価請負契約の対象エリアに含まれておらず(その後、時期は不明であるが含まれるようになった。)、予定工事を下請に回すことはできなかった。したがって、原告佐藤の年休請求を認めるには、約日変更によるより外なかったが、大友課長は、そのために客と折衝するようなことは全くしなかった。

(ヘ) なお従来から線路班と宅内班の相互応援は行っておらず、またデスク業務担当者もその専担の業務内容から応援は困難であり、従来から行われていなかった。

(ト) ところで、大友課長は前記時季変更権行使の際、その理由として、原告佐藤はサービスオーダー工事のため班編成のうえ出張予定となっているし、代替勤務者の確保も困難で業務上支障がある旨同原告に説明した。

なお古川電報電話局でも、原告中鉢について認定のとおり服務規律の厳正化指示を受けていたところ、大友課長は、五月一六日朝に原告佐藤が三・二六事件に関係した容疑で警察の家宅捜索を受けたとの連絡を受け、無理な行動を慎しむよう話しており、また同原告が同僚に同月二〇日の成田闘争に行くと話していることを聞き及んでいた。

(チ) 原告佐藤が当日出勤しなかったため、大友課長は、吉田副課長を同原告に代替して前記予定工事に従事させた。

ロ 以上の事実に照らして考えると、原告佐藤がその請求どおり年休を取得すると、当日同原告を含めた三名の班編成で出張業務として行う工事予定があったのであるから、直ちに業務に支障を生じるおそれがあったということができるが、従前同課では、そのような場合、班編成替えや請負業者への下請、約日変更による工事予定の組替えによって業務に支障が生ずることがないように対応し、数年来時季変更権を行使した事例がなかったところ、当日は班編成替えや請負業者への下請による対応は困難であったが、最後的手段として行っていた約日変更による工事予定の組替えについては、本件の場合従前の場合と異なりそれが困難であったと認むべき格別の事情も存しないので、これによる対応が可能であったと認められるにもかかわらず、大友課長は、右約日変更について客と折衝するなどの措置を全くしなかったことは前認定のとおりである。

同課長は、服務規律の厳正化の指示を受けていた折、原告佐藤が成田空港開港阻止闘争に深くかかわっていることを窺わせる前認定の諸事情から、年休を利用して現地の右闘争に参加することを懸念して、同原告の年休請求に対し従前なされていた右のような対応をせずに前記時季変更権行使したものと推認されるが、年休利用目的の如何によって従来の対応と異にすることは、その利用目的を考慮して年休を与えないことに等しく許されないというべきであり、またその結果業務量に見合う必要配置人員を欠き当日の業務に支障を生ずるおそれがあったとしても、同課の事業の正常な運営を妨げる場合に当たるということができないことは既に説示のとおりである。

そうすると、原告佐藤が本件年休を取得したとしても、同課の事業の正常な運営を妨げる事情が存するということはできない。

なお吉田副課長が原告佐藤の業務を代行していることは前記のとおりであるが、年休請求に対処し通常なしていた配慮をしない結果右のように管理者において年休請求者の代務をせざるを得なかったとしても、同課の事業の正常な運営に支障を及ぼすものということができないことはいうまでもない。

(3) 以上検討したところによれば、被告公社の原告佐藤に対する前記時季変更権の行使は、労基法三九条三項但書所定の要件を欠くものであって、不適法で無効である。

三  本件各年休請求権の濫用について

被告は、各原告らによる本件年休の時季指定は、一般労働者として、さらには被告公社の職員として要請される信義に著しく反し、年休制度の趣旨、目的に反する違法な反社会的な行為をするために年休を利用しようとしてなしたものであるから権利の濫用であって無効であると主張するので判断するに、各原告らはそれぞれについて既に認定のように、いずれも当時成田空港開港阻止闘争を支援する活動を行っており、その時季指定にかかる日時等からみても五月二〇日の成田空港開港日を焦点とした右開港阻止の現地闘争に参加するため年休を利用することを意図して本件各年休請求をなしたものと推認し得ないではないが、仮にそうだとしても右闘争に参加するからといって、右反対闘争自体が即違法な反社会的行為とはいえないことはもとより、必然的に反社会的行為に出るとも断定し難く、進んで原告らが右反社会的な行為をするために本件年休請求をしたものとまではこれを認めるに足りる証拠はない。

さらに敷えんすれば、休暇をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由であると解すべきであるから(前掲最判昭和四八年三月二日参照)、原告らが年休を利用して反社会的行為に及ぶおそれがあるというだけでは、その年休取得を否定することは許されないというべきである。

そうすると、被告主張の被告公社の置かれた当時の情況等を考慮に入れても、原告らの本件年休請求が権利の濫用であるとは到底認め難く、他に右権利濫用の事実を認め得る証拠もないから、被告の右主張は理由がなく採用できない。

四  年休の成否

以上の次第で、原告らの本件年休請求はいずれも有効になされたものというべきところ、被告公社が原告加藤、同大内、同小川、同坂下、同松崎、同相川、同古宮、同高橋、同緒方、同三塚、同日野、同玉川、同中鉢、同佐藤に対してなした本件各時季変更権の行使はいずれも無効であるから、右原告らの本件各年休請求により同原告らがそれぞれ時季指定した日数(時間)の範囲内で年休が成立し、就労義務が消滅したものというべきであり、一方被告公社が原告長津、同阿部、同新野に対してなした各時季変更権の行使は先のとおりいずれも有効であるから、右原告らのなした本件各年休請求はその効果を生せず、同原告らがその時季指定に係る日に出勤しなかったことはいずれも無断欠勤に該当するものといわなければならない。

五  本件懲戒処分等の効力

1  原告加藤、同大内、同小川、同坂下、同松崎、同相川、同古宮、同高橋、同緒方、同三塚、同日野、同玉川、同中鉢、同佐藤については、前記説示のとおり年休が成立し就労義務が消滅しているにもかかわらず、被告公社は右原告らが各年休の時季指定した日(時間)に出勤しなかったことが無断欠勤であるとして本件懲戒処分をなしたものであるから、右処分はその前提を欠き違法、無効であるというべきであり、本件賃金カットも同様違法であるというべきである。

2(一)  原告長津、同阿部、同新野については、前記説示のとおり被告公社のなした右原告らに対する適法な時季変更権の行使によって同原告らがした各年休の時季指定はその効力を生ぜず、同原告らがその時季指定に係る日に出勤しなかったことは無断欠勤に該当するものであり、また同原告らに対する右時季変更権の各行使は、その行使した右原告らの上司である各課長が同原告らに対しそれぞれその各年休の時季指定日に当初の勤務予定に従って勤務することを命ずる職務上の命令にほかならないから、結局同原告らは、右就労命令に背反して無断欠勤したと評さざるを得ない。

(二)  ところで、(証拠略)によれば、原告新野は、右無断欠勤より前の同年四月二八日に、同年二月二五日にビラ貼りに関連して逮捕されたこと、及び同日と同月二八日、同年三月一日、同月二四日、同月二五日に無断欠勤したことが被告公社の就業規則五九条三号、一八号、二〇号に該当するとして被告公社から減給八月の懲戒処分に付されていたことが認められ(右懲戒処分を受けたこと自体は当事者間に争いがない。)、右認定に反する証拠はない。

(三)  そうすると、右原告らの所為は、それぞれ被告公社の就業規則五条一項、五九条三号、一八号、原告新野については他に同条二〇号の各懲戒事由に該当するものというべきであるから(右規則が存在し、その内容が被告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。)、これに基づいて被告公社が同原告らに対してなした本件各懲戒処分は、事案に鑑みいずれも裁量の範囲内にあるものとして適法、有効というべきであり、また前記無断欠勤を理由とした本件賃金カットも適法、有効であるということができる。

そうすると、右原告らに対する本件懲戒処分が違法であることを前提とする同原告らの不法行為の主張もまた失当であるといわねばならない。

してみると、右原告らの被告に対する本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がない。

第三未払賃金及び附加金請求について

一  右各請求の成否について

原告長津、同阿部、同新野を除くその余の原告らに対する本件各懲戒処分及び賃金カットが違法、無効であることは既に説示したとおりであるから、被告は、右原告らに対し、未払賃金として別表(二)の「減給処分」及び「賃金カット」欄記載の各金員(但し、原告小川、同松崎、同古宮、同玉川、同中鉢、同佐藤については「賃金カット」欄記載の金員のみ)とこれに対する各支払日の翌日である同表遅延損害金欄記載の各日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務がある。

そして、労基法一一四条に基づく附加金として、被告に対し、右各未払賃金額の範囲内である右各原告らの請求にかかる別表(二)の「労基法一一四条に基づく附加金」欄記載の各金員をそれぞれ右原告らに支払うべきことを命ずるのが相当である。

二  被告の消滅時効の抗弁について

原告加藤、同坂下、同緒方、同三塚の未払賃金請求のうち、昭和六一年一一月二六日の本件口頭弁論期日において拡張した請求部分に関する右抗弁事実のうち(一)、(二)の事実は当事者間に争いがなく、被告がその主張のように消滅時効を援用していることは訴訟上明らかである。

しかしながら、右請求に係る未払賃金とは、本件訴訟においてその効力が争われてきた減給処分によって各月分の賃金から控除され未払となっている賃金であって、消滅時効期間経過前に提起したことが記録上明らかな本件訴訟によって、右のように未払賃金請求権の成否に係る、その基本というべき減給処分の効力を当初から争ってきたのであるから、右原告らがたまたま消滅時効期間経過後に右未払賃金請求をするに至ったとしても、権利の上に眠り権利行使を怠ったものとして時効の援用を許すことは、著しく公正の原則に反するというべきであり、被告の時効援用は権利濫用として許されないと解するのが相当である。

したがって、右抗弁は採用できない。

第四不法行為による慰藉料請求について

被告が原告長津、同阿部、同新野を除くその余の原告らに対し前記説示のように違法無効な懲戒処分をするについては、右各原告らについて既に認定の各事実関係に照らすと、被告に少なくとも過失があったということができるところ、右原告らの各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、同原告らは右違法な本件各懲戒処分によりある程度の精神的苦痛を被ったことが認め得るけれども、右各懲戒処分の内容や本件における諸般の事情を総合すれば、右精神的苦痛は、本件訴訟において本件懲戒処分の違法、無効が確認宣言され、さらに減給処分を受けた原告については同処分額に相当する未払賃金が支給されることによって慰藉され得る程度のものと認められ、同原告らがそれ以上の精神的苦痛を受けたとの事情はこれを認めるに足りる証拠はない。

したがって、右各原告らの被告に対する慰藉料の請求はいずれも理由がない。

第五結語

以上の次第で原告加藤、同大内、同小川、同坂下、同松崎、同相川、同古宮、同高橋、同緒方、同三塚、同日野、同玉川、同中鉢、同佐藤の本件各請求は、いずれも一部理由があるからその限度で認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、原告長津、同阿部、同新野の本件各請求はいずれも失当であるからこれを全部棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言は必要がないものと認めこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐々木寅男 裁判長佐藤貞二、裁判官浦木厚利は転補のため署名押印することができない。裁判官 佐々木寅男)

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