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仙台地方裁判所 昭和54年(ワ)92号 判決 1981年4月13日

原告

藤井芳子

ほか一名

被告

菊地正志

ほか一名

主文

一  被告らは原告藤井芳子に対し連帯して金二三二七万二六五一円及び内金二一二七万二六五一円に対する昭和五四年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告らは原告藤井景次に対し連帯して金一三〇万円及び内金一二〇万円に対する昭和五四年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告藤井芳子に対し金三七〇〇万円、原告藤井景次に対し金二二〇万円及びこれらに対する昭和五四年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告藤井芳子(以下「原告芳子」という。)は、昭和五一年二月四日午後八時二〇分ころ、広島県福山市笠岡町一番七号先の啓文社前の交差点(以下「本件交差点」という。)を北から南へ横断中、折柄、本件交差点を東から西へ直進通過しようとしてきた被告菊地正志(以下「被告正志」という。)の運転する普通乗用車自動車(富五五ふ四〇四三号。以下「事故車」という。)に衝突されて傷害を受けた。

2  傷害の部位程度、治療経過及び後遺障害

原告芳子は、右事故によつて、脳挫傷(脳幹損傷)、外傷性クモ膜下出血、左股関節臼蓋底骨折等の傷害を受け、その治療のため、右事故当日から昭和五一年二月七日まで山手整形外科病院に入院し、同日国立福山病院に転院して昭和五四年四月二七日まで入院を続け、退院後は国立福山病院から毎週一回の往診及び投薬を受けながら自宅において療養している。現在、意識は清明であるが、脳幹損傷の後遺症によつて、四肢挫性麻痺、重度言語障害、両側眼球運動麻痺の状態で、常に介助看護を必要とし、右麻痺等は将来も回復の見込みがないものである。

3  被告らの責任原因

(一) 被告菊地正助(以下「被告正助」という。)は、事故車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者である。

すなわち、事故車の所有者登録名義のみならず車庫証明上の名義、検査証名義、使用者届出名義、自動車損害賠償責任保険の契約者名義はいずれも被告正助となつており、事故車購入当時被告正志は独力で事故車を購入する資力も信用もなかつたもので、事故車は被告正助がその資力と信用で購入したものであるから、その所有者は同被告であり、被告正志は被告正助から事故車の使用を許されていたにすぎないものというべきである。

(二) 被告正志は、無免許で酒に酔つた状態で運転したうえ、本件交差点に進入するにあたり、同所は商店街にあり、常時人車の交通が激しいところであるから、前方左右を注視し、安全な速度と方法で運転して、危険の発生を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と時速七五キロメートルの速度で運行した過失により本件事故を発生させたものである。

4  原告らの損害

(一) 原告芳子は右傷害によつて次の損害を受けた。

(1) 治療費 一五八万三二三四円

原告芳子は、入院中の治療費として、山手整形外科病院に対し二一万二二七四円、国立福山病院に対し一三七万〇九六〇円(但し、昭和五三年一〇月三一日分まで)を支払つた。

(2) 入院雑費 七〇万七四〇〇円

原告芳子が山手整形外科病院及び国立福山病院に昭和五一年二月四日から昭和五四年四月二七日まで一一七九日の間入院していたことに伴い要した雑費(一日六〇〇円)。

(3) 付添看護料 一二九二万八七〇三円

原告芳子の受けた傷害は重いものであつたため、付添看護を受ける必要があつた(昭和五一年二月五日から昭和五五年一〇月三一日まで)。

(4) 休業損害

原告芳子は、本件事故当時、訴外菅波薬器株式会社(以下「訴外会社」という。)の取締役小売部長として年間三一八万円の給与を同社から得ていたが、前記受傷によつて本件事故の翌日(昭和五一年二月五日)から昭和五三年一〇月三一日まで一〇〇〇日間の休業を余儀なくされ、この間無収入であつたので、合計八七一万二〇〇〇円の得べかりし利益を喪失した。

なお、同原告は被告らから支払がなかつたため、昭和五一年八月三一日、訴外会社との間で、同原告が被告らから損害賠償金の支払を受けたときを弁済期として、同原告が本件事故にあわなければ支給されたであろう給与と同一額の金員を借り受ける旨の契約をした。原告はこれに基づいて訴外会社から右金員を貸与されているが、同社の経理上の都合で名目上給与とされている。

(5) 後遺障害による逸失利益

原告芳子は、その病状が一応固定した昭和五三年一一月一日(当時六四年)から八年間は稼働が可能であり、その間一年あたり三一八万円以上の収入を得ることができたはずであるが、本件事故による後遺障害のためその労働能力を一〇〇パーセント喪失したので、その逸失利益は二〇九五万一七四八円(中間利息を控除するため八年のホフマン係数六・五八八六を乗ずる)となる。

(6) 慰謝料 二〇〇〇万円

原告芳子は、本件事故による前記受傷及び後遺症によつて大きな精神的苦痛を受けた。

(7) 損害の填補

原告芳子は自動車損害賠償責任保険から一二四三万円の支払を受けた。

(8) 弁護士費用 三五〇万円

(二) 原告藤井景次(以下「原告景次」という。)は本件事故によつて次の損害を受けた。

(1) 慰謝料 二〇〇万円

原告景次は原告芳子の夫であるが、原告芳子が前記傷害及び後遺障害を受けたことにより同原告が死亡した場合に比肩する大きな精神的苦痛を受けた。

(2) 弁護士費用 二〇万円

5  結論

よつて、被告両名に対し、連帯して、原告芳子は前項(一)の(1)ないし(6)の損害金の合計額から支払を受けた(7)の額を控除した額のうち三三五〇万円と(3)の賃護士費用三五〇万円の合計三七〇〇万円及び原告景次は前項(二)の(1)、(2)の損害金合計二二〇万円並びにこれらに対する本件事故発生の日の後である昭和五四年二月二二日(本件訴状が被告らに送達された日の翌日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は不知。

3  請求原因3の(一)の事実(被告正助の責任原因)は否認する。

本件事故車は被告正志が自己の通勤の用に供するため、父である被告正助に何の相談もなく岩沼自動車センターの畑谷秀男のもとへ行き、自ら交渉して代金額を決め、頭金も分割金も自ら用意して自己所有、自己使用の意思で購入したものである。たまたま、その当時、被告正志は被告正助と同居しており、出張がちで印鑑証明等の手続をとることが面倒と思われたので、車庫証明を簡単にとる便宜とあいまつて、被告正助を所有者名義、使用者名義として購入しただけであり、実質上の所有者はあくまでも被告正志であつた。ガソリン代等の維持費もすべて被告正志が負担し、被告正助は別に軽トラツクを所有しており、事故車を運転使用したことなく、事故車は被告正志の専用の車であつたのである。

そして、事故車は、昭和五一年正月すぎ、被告正助の住所地から遠く離れた広島県福山市に同被告に無断で持ち出され、被告正志は福山に就職して、事故車は被告正志の勤務する店の営業の用に供され、被告正助のもとに戻つてくることに予想されていなかつたのであるから、少なくともその時点では、被告正助は事故車に対する運行支配と運行利益を完全に失なつたものというべきである。

4  請求原因3の(二)の事実(被告正志の責任原因)のうち、事故車が時速約七五キロメートルの速度で本件交差点に進入しようとした事実は認めるが、その余の事実は否認する。

5  請求原因4のうち、(一)の(7)(損害の填補)の事実は認めるが、その余の事実は否認する。

原告芳子は、本件事故後も訴外会社から従前と同様に給与を支給されている。

三  抗弁(過失相殺)

本件事故は原告芳子の過失に起因するところが大である。

すなわち、被告正志は最高速度こそ超えていたが、自己の進路前面の信号が連続青であることを確認したうえ、それに従つて本件交差点を直進しようとしたのに対し、原告芳子は、夜間、幅員の狭い道路から出て、車両の往来の激しい幅員の広い道路を単独で横断しようとするに際して、自己の対面の信号が赤であるのにこれを無視し、疾走してくる事故車の直前に突然走り出たうえ、事故車を発見したのであるから、直ちにその場に立ち止まりその動静に注意を払つて安全に横断を続けられるかどうか見極めるべきであるのに、なおも強引に走つて渡り切ろうとしたため、同原告を避けようとして急ブレーキをかけ左へハンドルを切つた事故車に衝突したものである。

右の事情の下では、本件事故の発生については被告芳子に七割を超える過失があつたというべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1の事実(本件事故の発生)については当事者間に争いがない。

二  被告正助の責任について

甲第一五号証、第二二号証、第三一号証、第三二号証(いずれも成立に争いがない。)及び乙第九号証、第一〇号証(いずれも原本の存在及び成立に争いがない。)乙第二号証の一ないし一三(証人畑谷秀男の証言によつて真正に成立したものと認められる。)並びに証人畑谷秀男の証言を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告正志(昭和二七年九月一〇日生)は被告正助の長男であること。

2  被告正志は昭和四七年四月一日運転免許を取得したが、昭和四九年七月二七日これを取り消されたものであること。

3  被告正志は、昭和四九年七月ころ、事故車を畑谷秀男(岩沼自動車センター)から買い受けようとして、その勤め先である重機会社に給料の前借りということで、右自動車購入用の手形を振り出して呉れるよう依頼したが、応じてもらえなかつたこと。当時被告正志は購入したテレビの割賦代金の支払を滞らせていたこと。

同被告は被告正助と生計を一にして同居していたが、食費等の生活費を入れてはいなかつたこと。

4  事故車は、昭和四九年七月三一日、畑谷秀男から代金五〇万円(一〇回払)で買受けたものであること。右買受の交渉、手続等には被告正志があたつたこと。事故車の移転登録は昭和四九年九月一九日になされ、所有者は被告正助の名義になつていること。右登録手続に必要な被告正助の印鑑証明書は同被告が自ら交付を受けてきたものとみられること。自動車検査証の使用者、自動車損害賠償責任保険の保険契約者、車庫証明書の差出人もまたいずれも被告正助名義となつていること。

5  畑谷秀男は右賦払金の支払に対して被告正助にも領収書を差入れていること。被告正助は事故車の自動車税を一回支払つたことがあること。

6  当時、事故車は被告正助宅の敷地内に置かれ、主に被告正志が前記重機会社への通勤に使用していたが、家族の者が買い物に行くときにも乗せて行つたことがあること。被告正助も運転免許を有していて軽トラツクを運転していたこと。

7  被告正志は、昭和五〇年五月ころ、仙台市内の洋服販売店に転職して、事故車を通勤に使用する必要がなくなつてからは、たまにしか運転をしていなかつたこと。

8  被告正志は、昭和五〇年一一月二八日、広島県福山市所在の六本木フアツシヨンアンヌという店に就職したが、昭和五一年の正月に被告正助のもとに帰郷した際、勤務の都合上事故車が必要であるとしてこれを福山市に持ち出したこと。

9  被告正志は福山市で事故車を運転するとともに、勤務先である店の営業の用にも供していたこと。

以上の事実が認められる。乙第九号証(被告正助の本人調書)、第一〇号証(被告正志の証人調書)のうち、右認定に抵触する部分は信用できない。

これらの事実を総合すると、本件事故当時、被告正助は事故車の所有者であつて、運行支配と運行利益を依然有しており、本件事故車を自己のために運行の用に供していた者であるということができる。

三  被告正志の責任及び過失相殺について

甲第九号証、第一一号証、第一三ないし第一五号証、第一七号証、第一八号証、第二四号証(いずれも成立に争いがない。)、甲第二八号証(証人占部雅宏の証言によつて真正に成立したものと認められる。)、甲第二九号証(原告景次の本人尋問の結果(第一回)によつて真正に成立したものと認められる。)及び証人占部雅宏、同宮田哲也の各証言並びに検証の結果を総合すると次の事実が認められる。

1  本件事故現場は、幅員約一一メートル(両側には約一・五メートルの路側帯が設けられていて自動車の通行が禁止されている。)のコンクリート舗装の東西道路と幅員約七・五メートルの南北道路が直角に交わる交差点であり、信号機が設けられていること。

2  右東西道路は直線で見通しは良く、最高速度は時速四〇キロメートルに規制されていること。本件交差点付近は商店街であり、人車の往来がひんぱんであること。

3  被告正志は、右東西道路の中央寄り(事故車の左後輪が道路の南端から約三・五メートルのところにくる位置)を時速約七五キロメートルで西進して来たものであるが、人と会う約束の時刻に遅れていたために急いでいたこと。そのために進路前方の信号が青であることを確認したのみで、他に格別の注意をはらうことなく、前方を走行する車両のないことに気を許して減速することなく運行したこと。そして約四六メートル前方の右東西道路中央線付近に、北(右)から南(左)に本件交差点の西側横断歩道の外側を横断していた原告芳子を認め、急ブレーキをかけるとともに左へハンドルを切つて避けようとしたが及ばず、右東西道路を渡りきる位置(道路南端から約一・五メートルの位置)まで来ていた同原告の腰部付近に事故車の前部バンパー左側付近が衝突したこと。そのときの被告正志の対面する信号は連続して青であつたこと。

4  原告芳子は、道路中央付近から早く横断をしおえようとして走つていたこと。

5  本件事故発生当時、現場付近は商店街の照明があり明るく、事故車の前照灯も上向きであり、事故車の進路前方の見通しを妨げるものは何もなかつたこと。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、原告芳子が対面信号が赤であるのに右東西道路を横断していたことからみて、同原告にも少なからぬ過失があつたといわねばならないが、被告正志についても最高速度違反、前方注視不十分の過失があることは免れない。

すなわち、被告正志は原告芳子との距離が約四六メートルになつたとき、はじめて同人を認めたというのであるが、その時同原告はすでに道路中央付近に達していたのであるから、もし被告正志において予め十分前方を注視し、制限速度を遵守して進行し、ブレーキ、ハンドルの操作を適切にしていれば、原告芳子は事故車に衝突されることなく右道路を横断することができたはずであり、本件事故は十分に回避できたものとみられるからである。

したがつて、被告正志は本件事故により原告らの被つた損害を賠償すべき責任があることは明らかである。しかし、前記認定した事実に照らせば、本件事故の発生については、原告芳子にも信号に違反した過失があるから、本件事故現場付近の状況、事故態様等をも考慮して、同原告の過失は四割とするのが相当である。

四  傷害の部位程度、治療経過及び後遺障害

成立に争いのない甲第二号証の一ないし九(一ないし七については原本の存在とも。)及び原告景次の本人尋問の結果(第一、二回)を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告芳子(大正二年八月三〇日生)は本件事故によつて、脳挫傷(脳幹損傷)外傷性クモ膜下出血、硬膜下血腫、左股関節臼蓋底骨折等の傷害を受けたこと。

2  これを治療するため、本件事故当日から昭和五一年二月七日まで山手整形外科病院に入院し、その間右骨折等に対する処置を受けたこと。

3  同年二月七日、脳神経外科的治療を受けるために国立福山病院に転院して昭和五四年四月二七日まで入院治療を続け、その間昭和五一年二月一六日には脳室ドレナージ兼硬膜下血腫除去手術等を受け、同年六月ころ意識がほぼ清明になつてからは物療訓練を受けるようになり、昭和五二年一一月五日右側の四肢振戦に対して定位脳手術を受けたこと。

4  昭和五四年四月二七日、右病院を退院し、その後は毎週一回の往診及び投薬を受けながら自宅において療養していること。

5  原告芳子は、意識は清明であるが、脳幹損傷の後遺症のため四肢痙性麻痺、重度言語障害、両側眼球運動麻痺の状態で、体位の変換、頸頭部の運動、合目的な四肢の動き等は一切廃絶し、意志の言語による伝達も不可能であり、食事・排尿排便等すべてにわたり終日介助看護が必要であること。右後遺障害は回復の見込みがないこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

五  原告芳子の損害

1  治療費

原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証の一ないし七並びに原告景次の本人尋問の結果(第一回)を総合すると、原告芳子は、山手整形外科病院に対し治療費として二一万二二七四円、国立福山病院に対し前記入院した日から昭和五三年一〇月三一日までの治療費、診断書料等として一三七万〇九六〇円を支払つたことが認められる。

2  入院雑費

原告景次の本人尋問の結果(第一、二回)に先に認定した原告芳子の傷害の部位程度、治療の経過等を総合すると、原告芳子は、昭和五一年二月四日から昭和五四年四月二七日まで一一七九日の間入院したため、入院一日について六〇〇円の入院雑費を要したことが認められるから、同原告の入院雑費は七〇万七四〇〇円と認められる。

3  付添看護料

原告景次の本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一ないし八五(一ないし三一については原本の存在に争いがない。)原告景次の本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第三五号証の一ないし一八、第三六号証の一ないし五、原告景次の本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告芳子は症状が重篤で付添看護を必要としたため、職業的付添人を利用し、昭和五一年二月五日から昭和五五年一〇月三一日までの間の付添看護費として合計一二九二万八七〇三円の支払をしたことが認められる。

4  逸失利益

原告景次の本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告芳子は本件事故による受傷の結果労働能力の全部を喪失したものとみられるところ、昭和五〇年分の同原告の給与所得(同原告は夫の原告景次の経営している訴外菅波楽器株式会社の取締役である。)は三一八万円であつたことが認められるから、原告芳子の稼働可能期間を八年として、三一八万円に八年のホフマン係数六・五八八六を乗じた額の二〇九五万一七四八円が同原告の逸失利益であると認められる。

なお、調査嘱託の結果によれば、同原告は、昭和五一年分として三一一万四〇〇〇円、昭和五二年分として三三〇万六〇〇〇円、昭和五三年分として三四五万六四〇〇円、昭和五四年分として三六一万円の給与所得を有する旨の申告をしていることが認められるが、原告景次の本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告芳子が会社からこれらの支払を受けたのは、被告らから損害賠償金の支払を受けるまでのつなぎとして借り受けたものであることが認められるから、同原告の損害(休業損害および逸失利益)はこれによつて填補され消滅したものということはできない。

5  慰謝料

原告芳子が本件事故による受傷及びその治療のため長期の入院を余儀なくされ自宅療養を続けていること、本件事故の結果残つた重度の後遺障害により多大の精神的苦痛を受けたことは前記認定したところから明らかであり、将来も苦痛を受けつつこれに耐えて生きて行かねばならないこと、その他本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を考慮すると、原告芳子の右精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇〇万円が相当である。

6  以上によれば、原告芳子は、本件事故により1ないし5の合計五六一七万一〇八五円の損害を受けたものというべきであるが、前記説示の原告芳子の過失を斟酌し、右損害額の四割を減額すると、被告らが各自原告芳子に対し賠償しなければならない額は三三七〇万二六五一円となる。ところで、原告芳子が本件事故の損害賠償として自動車損害賠償責任保険から一二四三万円を受領したことは当事者間に争いがないから、これを右賠償すべき額から控除すると二一二七万二六五一円となる。

7  弁護士費用

原告芳子が弁護士に本件訴訟の遂行を委任したことは当裁判所に顕著な事実であるが、本件事案の内容、審理の経過、認容された損害額その他諸般の事情を考慮すると、弁護士費用としては二〇〇万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

六  原告景次の損害

1  原告景次は原告芳子の夫であつて、原告芳子が本件事故により前記傷害を負いその結果重度の後遺障害を受けたことによつて、その死にも比肩すべき大きな精神的苦痛を受けたことは前記認定したところから明らかであり、将来もこれに耐えて妻である原告芳子とともに生きていかねばならないこと、その他本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を考慮すると、原告景次の右精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇万円が相当である。

2  右損害額に過失相殺をすると、原告景次が被つた精神上の損害に対する賠償額は一二〇万円となる。

3  弁護士費用については一〇万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

七  以上によれば、被告らは、各自、原告芳子に対し金二三二七万二六五一円及び内金二一二七万二六五一円に対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和五四年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告景次に対し金一三〇万円及び内金一二〇万円に対する昭和五四年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務があることは明らかである。

よつて、原告らの本訴請求は右の限度において理由があるからこらを認容し、その余は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武田平次郎)

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