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仙台地方裁判所 昭和57年(ワ)34号 判決 1984年9月18日

原告

生井恒雄

原告

生井久美子

右原告ら訴訟代理人

八島淳一郎

手島道夫

松島忍

被告

茂木町

右代表者町長

笹島保

右訴訟代理人

中村光彦

主文

一  被告は、原告生井恒雄に対し金四七〇万五六六七円、原告生井久美子に対し金四五四万五六六七円及び右各金員に対する昭和五六年八月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告らの地位等

<証拠>を総合すれば、請求原因1の事実が認められる。

二本件事故の発生

1  <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告恒雄は、昭和五六年八月一四日午後四時過ぎごろ、亡圭吾を連れて、弟の訴外生井博(以下「博」という。)、甥の訴外五味渕郁章(以下「郁章」という。)と共に中川中学校に赴き、亡圭吾を除く右両名と本件テニスコートでテニスに興じ、その間、亡圭吾は、球拾いをしたり、校庭を走り回る等して遊んでいた。

(二)  ところが、同日午後四時三〇分ころ、突然の物音と共に亡圭吾の泣き声がしたため、原告恒雄らが見ると、本件テニスコートのネットの横、東側サイドラインの約一メートル外側に西方に向けて置かれてあつた(以下この位置、方向を「所定の位置等」という。)本件審判台が後方(裏側)に倒れていた。そして、亡圭吾は右審判台の下敷きになつて仰向けに倒れており、その両手は審判台座席後部の背当てを構成している左右のパイプを握りしめ、同人の顎は座席板のすぐ下にある鉄骨部に当たつていた。

(三)  そこで、博は、本件審判台を起こし、原告恒雄と共に亡圭吾を大兼病院に運んで手当を受けさせるなどしたが、同日午後六時一〇分ころ、脳挫傷のため死亡した。

2  <証拠>を総合すれば、亡圭吾の本件事故当時の身長は約一メートル七、八センチメートルと推認できる。更に、<証拠>によれば、本件審判台は、座席までの高さが約1.4メートル、背当て最上部までの高さが約1.8メートル、重量約二四キログラムを擁し、鉄パイプとL字型鋼によつて骨格を作り、座席部分に木製の板を渡したものであり、前面には昇降用の階段を配して傾斜をつけてあるが、後部の支柱はほぼ垂直(座席と後部支柱内側の接点から底面に垂線を下ろすと、底面後端線から1.7センチメートル台の内側に右垂線が達する。)の形状をしていることが認められる。以上の事実に前記1(二)、(三)で認定した本件事故直後の状況及び亡圭吾の死亡原因を合わせ考慮すると、亡圭吾は、本件審判台の前部階段を上つて座席部に至り、その背当てを構成している左右のパイプを両手で握つて審判台の後部から降りようとしたところ、本件審判台が後方(東側)に倒れたため、亡圭吾もそのまま仰向けに倒れて審判台の下敷きとなり、その際後頭部を地面に強打した結果死亡に至つたことが推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。

三被告の責任

1  本件審判台が被告の設置管理に係る営造物であることは当事者間に争いがない。

2  本件審判台の構造上の安全性

前叙認定した本件審判台の構造に、<証拠>を総合すると、本件審判台は、右甲第八号証の一ないし一二の被写体である各審判台に比して、後部支柱の垂直度が著しく高く、その限りでは後者の各審判台よりも安定度は低いこと、これを検証の結果により、東北大学農学部テニスコート備付けの審判台(以下「甲審判台」という。)との比較でみても、後方への転倒に要する力は、甲審判台が7.5キログラムであるのに対し、本件審判台は4.5キログラムであるうえ、両審判台の座席後部からそれぞれ亡圭吾の死亡当時の体重(前掲甲第一二号証に原告恒雄本人尋問の結果を合わせ考慮すれば約一九キログラムと推認できる。)とほぼ同じ重量の砂袋を吊り下げたときに後方への転倒に要する力については、甲審判台が一一キログラム、本件審判台が四キログラムであつて、安定度についての両者の差が更に拡大することが認められる。そうすると、審判台にも諸種のものがあり、それぞれ高さ、重量、後部支柱の地面に対する角度等の点で異なるとはいえ、このような差異を考慮してもなお本件審判台は、他種の審判台に比して後方に倒れ易い構造になつているものというべきである。

しかしながら、<中略>本件審判台の重心の位置が本来の使用に耐えぬ程後部に偏つているものとは認めることができず、<中略>中川中学校では昭和三六年三月に本件審判台を購入、設置して以来、本件事故当時に至るまで、これを、たまに本件テニスコートが陸上競技のトラックとして使用される時他所に移動する以外は所定の位置等に置いて、同校生徒のクラブ活動等に使用してきたところ、右設置から本件事故発生までの二〇年間に本件審判台について人身事故が発生したことは一度もなく、また、その間本件審判台が倒れたのは中川中学校が把握しているものとしては一度だけであり、それは生徒がふざけて審判台を後方に引つ張つたためであることが認められる。

以上の点からすると、本件審判台がその本来の用法に従つて使用される限り転倒の危険を有するものとは到底考えられないから、本件審判台の構造のみに着目すれば、その設置、管理に瑕疵があつたとすることはできない。

3  地面の状態

<証拠>を総合すると、本件事故当時、本件審判台が置かれていた地面の付近には多少の凹凸が存したことが認められ、また本件審判台を所定の位置等に置いたとき本件審判台は後方(東側)に向かつて幾分低く傾斜していたことが窺われないでもない。しかしながら、右地面が東側に向かつて2.5度から三度低く傾斜していた旨の甲第一三号証の記載及び原告恒雄の供述は、その計算の基礎とされた資料、数値が右のような精密な計算を可能とするほど正確なものかどうか疑問の余地があるから、右記載・供述はたやすく措信できず、他に前記傾斜の程度を認めるに足りる証拠はない。以上の点に、前記2で認定した本件審判台の設置以来の転倒状況をも合わせ考慮すれば、前記地面の凹凸は、本件のような土の校庭には通常存しうる程度のものにすぎず、また本件審判台を所定の位置においた場合の傾斜も、これを本来の目的に従つて使用する限り本件審判台の転倒を誘発するようなものであつたとは認めることができない。

4  校庭の利用状況

(一)  中川中学校において校庭の門を日頃から閉鎖していなかつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、(1) 中川中学校が所在する栃木県芳賀郡茂木町は、人口約二万九〇〇〇人のいわゆる過疎地域であり、住民のための公共のレクリエーション施設として公民館はあるものの、それほど広くないうえ鉄棒等の遊具も設置されていないこと、(2) 本件校庭と外部とは、一部が柵等によつて仕切られているのみで、門以外の部分を全面的に囲うような境界施設は設置されていないこと、(3) 同校の敷地内にはもと中川小学校が併設されていて、昭和五五年に同小学校が他に移転した後昭和五六年ころまでは滑り台、ブランコ、遊動円木、登り棒、雲梯等の遊具が校庭に設置されていたこと、(4) 本件校庭その他同校の施設につき部外者がその使用を希望する場合には、本来、事前に茂木町教育委員会の許可を受けるべきことになつてはいたものの、実際には、近所の子供らや家族連れ、同校出身者等が右のような許可を受けずに本件校庭に立ち入り、キャッチボールやテニスをするなどして遊び、また幼児を遊ばせることは日常的にあり、この程度の利用については、たとえ無許可であつても同校においてこれを黙認していたこと、(5) 本件事故当日も、原告恒雄ら四名が本件校庭に赴いた際、既に家族連れ等七、八名が校庭のテニスコートでテニスをする等して遊んでいたことが認められる。以上の事実を総合すれば、おとなも子供も含め周辺住民にとつて、本件校庭は公共の遊び場ないしレクリエーション施設としての機能を果たしており、学校側もこれを十分認識していたことが窺われる。

(二)  ところで、営造物の設置、管理の瑕疵とは、当該営造物が通常有すべき安全性を欠く状態をいうが、ここにいう通常有すべき安全性とは、本来の用法に従つて使用した場合の安全性にとどまらず、たとえ本来の用法と異なる方法で使用された場合であつても右使用方法が設置・管理者にとつて通常予測しうるものであるときはこれに堪えうるような安全性をも兼ね備えた状態を指すものと解すべく、右安全性の有無を判断するに際しては、単に営造物の構造のみならず、その用法、場所的環境、利用状況等諸般の事情を総合的に考慮すべきものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、確かに本件審判台は、座席に上つて審判をするという本来の目的に使用する限りその構造及び設置されていた地面の状態につき格別安全性に欠けるところがないことは前記判示したとおりである。しかしながら、一般にテニスの審判台はその前部に階段があるため子供でも容易に上ることができるうえ、一応の高さもあることが認められるところ、経験則に照らして容易に肯認しうべき高い所に上りたがる子供の好奇心、冒険心に鑑みれば、子供が遊ぶような場所にテニスの審判台が設置されている場合には、子供がこれに上る等して遊ぶことも十分予測しうるところであるから、設置管理者としては、審判台の転倒による事故を未然に防止すべく、故意に倒さない限り転倒のおそれのない程度に安定した構造のものを設置するか、その接地部分を地面に固定するとか、使用しないときには子供が遊具として使用する可能性がない場所又は状態に片付けておく等適切な措置を講じるべきであつて、このような措置が採られていない限り、その審判台につき通常有すべき安全性があるとは認められないものというべきである。ところで、本件審判台が被告の営造物であることは前記確定のとおりであり、前記(一)で認定した事実からすれば、子供が本件審判台に上つて遊ぶ等これを遊具として使用することは被告において予測することが困難ではなかつたものと認められ、前記第二項2で認定した本件事故発生の状況に前記2、3の本件審判台の構造及びそれが設置されていた場面の状態を勘案すれば、本件審判台は、幼児が遊具として使用するとき、故意に転倒させなくても倒れる危険のある状態にあつたことが窺われるのであつて、そうとすれば、被告としては、本件審判台の転倒による事故を未然に防止すべく前記のような適切な措置を講じるべきであつたといわざるを得ない(本件校庭において陸上競技用の二〇〇メートルトラックを確保するため、その都度本件審判台を移動されていたことは既に認定したとおりであるから、少なくとも本件審判台を前記の場所又は状態に片付けておく等の措置は容易に採り得たはずである。)。それにも拘わらず、被告はこのような措置を何ら講じることなく本件審判台を漫然と本件校庭に放置していたのであるから、その設置管理には瑕疵があり、本件事故も右瑕疵によるものというべきである。

5 してみれば、被告は、国家賠償法二条一項に基づき、本件事故により亡圭吾及び原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。

四損害

1  葬儀費用

<証拠>によれば、原告恒雄は亡圭吾の葬儀を執り行ない、そのため墓石購入費をも含めて約一〇〇万円の支出を余儀なくされたことが認められるところ、亡圭吾の年齢、境遇及び右支出内容に鑑みると、同人の葬儀費用としては金五〇万円をもつて本件事故と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。

2  亡圭吾の逸失利益

亡圭吾が昭和五〇年一〇月一〇日生まれの男子であることは、第一項で認定したとおりであり、右事実に<証拠>を総合すれば、亡圭吾は死亡当時五歳一〇か月の幼稚園児で健康に生活していたことが認められるところ、経験則に照らすと、亡圭吾は、本件事故により死亡しなければ、一八歳から六七歳まで四九年間稼働し、この間その労働に応じた収入を得ることができたものと推認できる。しかして、当裁判所に顕著な昭和五六年賃金センサスによる産業計企業規模計学歴計男子労働者(パートタイム労働者を除く)の全年齢平均賃金年額が金三六三万三四〇〇円であることに鑑みれば、亡圭吾は、前記稼働期間中、平均すれば右年額を下らない年収を得ることができたものと推認するのが相当であるから、同人は、本件事故により右の得べかりし収入を喪失したものであり、その間の同人の生活費は右収入の五割を超えないものと推認しうるから、以上を基礎とし、ライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除して亡圭吾の逸失利益の死亡当時における現価を算定すると金一七五〇万四四四九円となる。

しかして、第一項で認定した原告らの身分関係に弁論の全趣旨を総合すれば、亡圭吾の相続人は原告らのみであり、原告らは法定相続分に応じて各二分の一ずつ亡圭吾の右逸失利益の損害賠償債権を相続したことが認められるから、過失相殺による減額を考慮に入れなければ、原告らはそれぞれ右金額の二分の一にあたる金八七五万二二二四円を相続したことになる。

3  過失相殺

原告久美子本人尋問の結果によれば、亡圭吾の行動は日頃から慎重であつたことが認められ、更に原告恒雄本人尋問の結果によれば、原告恒雄は、本件事故当日、中川中学校に赴いてから本件事故に至るまでの間にも、亡圭吾に対し、危険な箇所では遊ばないよう注意を与えていたことが認められる。

しかしながら、五歳の幼児といえば、いまだ十分な判断能力を有しないうえに、好奇心もおう盛になりつつある遊び盛りの年ごろである。このような幼児にとつて、テニスの審判台に一人で上つて遊ぶことは危険な行為であり、それが審判台本来の用法に属しないこともいうまでもない。そのうえ、原告恒雄が本件審判台の傍らでテニスをしていたことは前記認定したとおりであるから、亡圭吾の保護監督者たる原告恒雄としては、同児の行動を十分監視、監督し、一人で本件審判台に上ろうとしているときにはこれに注意を与え、とりわけ、本件で亡圭吾がとつたような危険な降り方をしようとするときはこれを制止する措置を採るべきであつたし、また容易に採れたはずである。にも拘わらず、原告恒雄本人尋問の結果によれば、原告恒雄は、亡圭吾が本件審判台に上つて遊んでいたことに全く気が付かなかつたことが認められるのであつて、五歳の幼児が審判台の階段に上り座席後部から降りようとするまでに要する時間をも考慮すれば、原告恒雄は、テニスに熱中していたため亡圭吾の行動につき監視、監督を怠つたものと認めるのほかはなく、原告恒雄には保護監督上の過失があつたといわざるを得ない。

したがつて、本件損害賠償額の算定をするにあたつては、原告恒雄の右過失を被害者側の過失として斟酌すべきであつて、本件審判台の瑕疵の内容、程度をも勘案すると、前記1及び2の各損害額の七割を過失相殺として減ずるのが相当である。

4  そうすると、被告に対して賠償を請求しうる損害額は、(一) 原告恒雄が葬儀費用として金一五万円、亡圭吾の逸失利益の相続として金二六二万五六六七円、(二) 原告久美子が亡圭吾の逸失利益の相続として金二六二万五六六七円となる。

5  慰藉料

原告らが、本件事故の結果亡圭吾が死亡したことにより多大な精神的苦痛を受けたことは推認するに難くないところ、本件事故の態様、亡圭吾の死亡当時の年齢、原告らの家族構成、その他本件口頭弁論に現われた諸般の事情(前記3で判示した事情を含む。)を総合斟酌すれば、原告らの右苦痛を慰藉するためには、それぞれ金一五〇万円をもつて相当とする。

6  弁護士費用

<証拠>を総合すると、原告らは、被告が本件事故による損害賠償金の支払に任意に応じないため、やむなく弁護士である原告ら訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任し、相当額の費用を負担し、かつ報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の難易、審理経過、認容額等に鑑みると、弁護士費用としては、(一) 原告恒雄につき金四三万円、(二) 原告久美子につき金四二万円をもつて本件事故と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。

五結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告恒雄が前項4(一)、5及び6(一)の合計金四七〇万五六六七円、原告久美子が前項4(二)、5及び6(二)の合計金四五四万五六六七円並びに右各金員に対する本件事故発生の日である昭和五六年八月一四日からそれぞれ完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項の規定を適用し、仮執行の宣言の申立については、相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(櫻井敏雄 信濃孝一 古部山龍弥)

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