仙台地方裁判所 昭和59年(タ)41号 判決 1985年12月19日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
佐久間敬子
被告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
小野由可理
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告と被告とを離婚する。
2 原告と被告との間の長男一郎(昭和五一年一〇月二六日生まれ)及び二男二郎(昭和五三年二月五日生まれ)の各親権者をいずれも原告と定める。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告と被告は、昭和五〇年一二月一八日結婚式を挙げ、翌五一年五月一七日婚姻の届出をし、同年一〇月二六日長男一郎が、昭和五三年二月五日二男二郎(以下両名を単に「子供ら」ともいう。)がそれぞれ出生した。
2 原告と被告は、結婚式の直後から被告の両親と同居して来たが、原告は、次のとおり婚姻直後から被告の借金に苦しめられて来た。
① 結婚式を挙げて一か月半後の昭和五一年二月ころ、被告は訴外○○電機商事株式会社への機械購入代金の支払のために必要と述べて、原告が婚姻前に貯えた貯金一八万円を原告から借り受けた。
② 昭和五一年一〇月、被告はその両親所有の田を売却して、勤務先の○○○研究所からの借金一〇〇万円の返済をし、そのころ同社を退職した。
③ 昭和五六年二月二一日、被告は右田の売却代金を一部返還しなければならないとの理由で、原告の父の訴外乙野丙郎(以下「原告の父」という。)から金一二五万円を借り受け、この借金は未だに返済されていない。
④ 昭和五六年四月、被告が訴外住友クレジットから金八〇万円を借り受けていることが判明したが、被告は右借金の理由を被告の勤務先の訴外○○温調工業株式会社への立替金であると言つただけで、詳しい事情を原告に説明しようとしなかつた。
⑤ 昭和五七年一〇月、被告は、借金の支払のため訴外○○金融から金二〇〇万円を借りるので、原告に保証人になつてくれと言つたが、原告はこれを断つた。そのころ、被告は右会社から金二〇〇万円を借り受けた。
3 右のような借金が判明する都度、原告は、自ら又は仲人の訴外丙野丁郎や原告の父を通じて、借金の理由を尋ねたが、被告は、「前からの借金だ」「弟(訴外甲野敏)を大学へやつた資金だ」「会社の立替金だ」などというだけで、借金の具体的な理由も返済の方法についても何ら納得のいく説明をしなかつた。また、原告の父が、被告に対し、原、被告夫婦や子供ら、被告の両親に乙野の家に住んでもらつてもよいので、現在の住居である土地・建物を売却して、高利の借金を返済したらどうかと勧めたことがあつたが、被告はこれを拒絶した。
4 昭和五八年一〇月ころ、原告は、被告が武富士、アルファ、大成、セントラルファイナンス等のいわゆるサラリーマン金融業者(以下「サラ金」という。)二十数社から総額約四二三万円余りの借金をしていることを知り、被告に業者名と借入金額を一つも漏らさず一覧表に書くように言つて、その一覧表を作成してもらい、任意整理をするために仲人の丙野夫婦に借金の申込みをした。ところが、その直後、被告宛に訴外日本信販株式会社から金一〇万円の請求書が届き、同会社分が右一覧表に載つていなかつたことから、原告は、右一覧表に記載されたもの以外に被告が隠している借金があるのではないかとの疑惑と不安を感じ、全債務を一度に清算するのでなければ無駄なことだと思い、右任意整理をとりやめた。同年暮から翌年の一月初めにかけて被告に対するサラ金からの催促の手紙や電話が相次いだ。
5 原告は、昭和五八年一月分の給料として、同月末に被告から金三万円しか受領していなかつたため、一家六人の食費にも事欠き、原告の父から米、味噌、野菜などを貰つて生活していたが、これら食料も翌二月二二日には全く無くなり、このままでは一家心中するしかないと思いつめるまでに至り、子供らを連れて実家へ戻つた。
6 三月一七日、被告が学校帰りの子供らを原告に無断で被告方に連れ帰つた。
7 三月二二日、原告は被告の勤務先の○○温調工業株式会社仙台支店長に会つたところ、同人から勤務中の被告宛にサラ金からの催促の電話がしばしばあり、仕事に差し支えるとして、被告が東京の本社に呼ばれ、事情を聴かれた上、会社が四〇〇万円貸すのでサラ金からの借金を整理するようにと勧められたということ、被告はそれを断つたということ、右支店長としては四〇〇万円で不足ということであれば、不足分は自分が銀行に頼んで借入れの手続をしてあげてもよいと思つているということなどを聞かされた。そこで、原告は、翌二三日、被告方へ行き、「支店長さんにすべてお願いしたら。」と勧めたが、被告は、「土地を担保に借りるからいい」と言つて断つた。
8 原告は、被告方で暮らしている子供らの引取りを求めて、仙台家庭裁判所に調停の申立てをしたが、五月二一日不調に終わつた(同裁判所昭和五九年(家イ)第一七四号婚姻関係事件)。この調停の席で、原告は、被告から、これまでの各サラ金からの借金は日本総合ファイナンス株式会社からの金八〇〇万円の借入金で支払つたということ及び同会社への返済は一か月一〇万五〇〇〇円宛一五年間の延払いであるということを聞いた。しかし、被告の収入は手取り二〇万円程度であつて、右会社への支払分を除くと、一家六人が一か月僅か一〇万円の金で一五年間も暮らすことになり、原告としてはそうした生活にこれ以上耐えて行くことはできない上、借金を返済するまで子供らは原告に預けた方がよいとの調停委員の勧めにもかかわらず、「意地でも子供は自分が育てる」と頑張る被告の態度を見て、もはや婚姻生活を継続することは不可能と思い、離婚の意思を固めた。
9 以上述べた事情は、民法七七〇条一項五号に該当するので、原告は被告との離婚の裁判を求める。
10 原告と被告との間の長男一郎及び二男二郎の各親権者はいずれも原告と定められるのが相当である。すなわち、
(一) まず、原告側の状況について述べると、
(1) 原告はその父宅に身を寄せており(原告の母は既に死亡)、子供らを引取つた場合には、右父が子供らの養育に全面的に協力してくれることになつている。
(2) 原告の父は七二才で、健康であり、田五反、畑を含む土地約四〇〇坪及び家屋を所有しているほか、恩給、年金等年間一六〇万円余りの現金収入があり、また、米や野菜は十分自給自足でき、むしろ余る位である。
(3) 原告は○○高等学校卒業後、就職して二年間勤務した後、○○町○○女学院に五、六年通つて、和裁及び編物を習い、日本編物協会の講師の免状を取得した。そして、被告と婚姻後も暫く○○女学院の編物の講師として、生徒一五名程度を教えていたが、そこを辞めてからは編物の内職などをして、被告との婚姻生活を維持するため家計を補助して来た。
現在は、編物の内職のほか、山元ソックス株式会社の内職もして、一か月三、四万円程度の収入がある。
(4) 子供らは幼いため母親の監護を必要とすると考えられるが、原告の仕事は右のとおり家で行う内職であるから、子供らの養育のために十分手をかけることができる。
(5) 原告は子供らを連れて実家へ戻つたものの、一か月足らずで被告に子供らを連れ戻されたが、夫婦の間で子供らの奪い合いをしたのでは幼な心に悪い影響を与えると考え、法的な手続で子供らを引取りたいと、子供らの幸福を第一に考えている。
(二) ところが、他方、被告側の状況は次のとおりである。
(1) 被告は高利の借金をかかえ、両親と子供らを含めて五人が一か月一〇万円程度の収入で生活しなければならない。
(2) 借金の担保として、現在被告所有名義の居住不動産に抵当権が設定されているが、借金の支払ができなくなれば、右抵当権が実行されて、被告や子供らは住む場所を失つてしまうおそれがある。
(3) 被告の父は七三才で、昭和四九年脳溢血で倒れて以来寝たきりの生活であり、母親は七〇才で、寝たきりの夫の看護で精一杯であつて、子供らの養育までは手が回らない。
(4) 被告は、日中仕事のため不在であり、子供らに目が届かない。
(5) 高利の借金の返済に追われている被告の生活は決して子供らの教育上良いとは思えない。
(三) したがつて、原・被告の養育の条件、生活環境を比較すると、いずれの子供についても、原告を親権者と定めるのが適切である。
よつて、本訴請求に及んだ。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の冒頭の事実中原告が婚姻直後から被告の借金に苦しめられて来たとの点は否認し、その余は認める。
3 同2の①の事実は認める。
4 同2の②の事実中○○○研究所への借金返済の年月及び金額は否認、その余は認める。
被告は昭和五一年三月右会社に金七二万円を返済し、その後同年一〇月末に同会社を退職して、○○温調工業株式会社に入社した。
5 同2の③の事実中借金の理由は否認、その余は認める。
被告は土地を不動産業者に売る話をして、業者から手付金を受け取つていたが、当該業者以外の者にその土地を売つたため、同業者から手付金の返還を求められていたものである。
6 同2の④の事実中借金の理由を被告が○○温調工業株式会社への立替金であると言つたとの点は否認、その余は認める。
7 同2の⑤の事実は認める。
被告はサラ金からの借金の返済のために○○金融から金二〇〇万円を借り受けたが、保証人には被告の母の訴外甲野春子(以下「被告の母」という。)になつてもらつた。
8 同3の事実中「会社の立替金」と言つたとの点は否認、その余は認める。
被告は、原告に対し「弟を大学へやつたための借金」とか「前からの借金」と言つたが、弟の敏を○○大学体育学部に入れたため借金ができ、土地を売つて払つたものの五〇〇万円位の借金が残つたのである。また、乙野の家に住まわせてもよいという話は、被告が長男であり、両親まで引取つてもらうわけにはいかないので、それはできないと言つて断つたのである。
9 同4の事実中原告が借金の任意整理をするために丙野夫婦に借金の申込みをしたとの点は不知、その余は認める。
原告が被告に一覧表を書かせたのは、借金がいくらあるかを知るためと思われる。
10 同5の事実中一家六人の食費にも事欠いたとの点、食料が二月二二日には全く無くなつたとの点及び原告がこのままでは一家心中するしかないと思いつめたとの点は否認、その余は認める。
被告は、昭和五九年一月には「今月は苦しいんで取り敢えず三万円やる、追つてすぐに私の方で都合してやるから」と言つたのである。被告は、おかずなどは自分で買つて来たし、被告の母はイチゴ栽培をして家に金を入れており、一家六人の食費に事欠くとか食料も全く無くなつたなどということはない。したがつて、このままでは一家心中するしかないという状態ではなかつた。
11 同6の事実は認める。
三月一七日、被告は借金を一本にまとめる形でサラ金からの借金を整理する目途がついたので、原告に電話したところ、原告から「暇もらうから」と言われたので、学校へ行つて子供らを連れて来たのである。子供らは乙野家にいるのが嫌がり、喜んで被告宅に帰つて来た。
12 同7の事実は認める。
被告は会社から金を借りると頭が上がらなくなるので断つたのである。
13 同8の事実中調停申立ての趣旨、借金を返済するまで子供らは原告に預けた方がよいと調停委員が勧めたとの点及び原告としてはこのような生活にはこれ以上耐えて行くことはできず婚姻生活を継続することは不可能と思つて離婚の意思を固めたとの点は否認ないし争い、その余は認める。
被告は、日本総合ファイナンス株式会社から金八〇〇万円を借りて○○金融やサラ金からの借金を整理した。
被告一家の収入は、ほかに被告の母が年金を三か月ごとに七万円余、被告の父の訴外甲野春男(以下「被告の父」という。)が年金三か月ごとに金一七万円位もらうし、被告の母のイチゴ栽培による収入が年間五〇万円もあり、野菜も作つているので、都会と違つて田舎では何とか生活できるのであり、被告は更に夜間のアルバイトをして頑張つて行くつもりである。
調停において原告は離婚及び自己が子供らの各親権者になることを求めたが、被告は離婚の理由がないと主張した。調停委員は、「子供の将来もあるので離婚しない方がよい」と言つたのである。
14 同9の主張は争う。
15 同10の冒頭の主張は争う。
16 同10の(一)の(1)の事実中原告の父が子供らの養育に全面的に協力してくれるとの点は否認、その余は認める。
子供らは、「浜のおじいちやん(原告の父のこと)はいやだ。」と言つており、被告が子供らに「お母さん迎えに来たら行くのか。」と尋ねると、子供らは、はつきり「行かない。」と言つている。
17 同10の(一)の(2)の事実は知らない。
18 同10の(一)の(3)の事実は認める。
原告が編物の内職をしたことがあるといつても、一年に一着か二着である。
19 同10の(一)の(4)の主張は争う。
長男は小学校三年生、二男は小学校二年生で、必らずしも母親の監護を必要としない。子供らは原告になついておらず、被告になついており、被告のいない時は祖母である被告の母が子供らの面倒を見ているが、被告の母にもよくなついている。子供らは近所の友達と楽しく遊んでおり、友達のいない乙野家へ行くことを嫌がつている。被告は、○○地区で少年野球○○ファイターズを作つて世話をしており、子供らもそれぞれその一員となり、チームの皆から可愛がられている。
20 同10の(一)の(5)の事実中原告が子供らの幸福を第一に考えているとの点は否認、その余は認める。
21 同10の(二)の主張はいずれも否認ないし争う。
被告側の状況としては、前記のとおり、被告の両親の年金やイチゴ栽培による収入のほか被告のアルバイトの収入もあり、決して一か月一〇万円程度で生活しなければならないものではない。
被告の父は、右半身がきくので、食事も自分ででき、大小便も自分一人でできるので、被告の母はイチゴ栽培の傍ら子供らの養育も十分できる。
被告は、朝晩は子供らと一緒であり、休日には子供らと一緒に遊んでやり、子供らに目が届かないということはない。
被告は、現在は高利の借金の返済に追われていない。日本総合ファイナンスに毎月金一〇万五〇〇〇円宛支払つていけばよいのである。
22 同10の(三)の主張は争う。
原告の主張は、要するに被告が貧乏だから一緒に暮らせないというのであるが、本件は民法七七〇条一項五号の「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当しない。
第三 証拠<省略>
理由
一<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。
1 原告(昭和一九年三月二八日生まれ)と被告(昭和一五年六月一日生まれ)は、いわゆる見合いをした後、昭和五〇年一二月一八日結婚式を挙げて、被告の両親及び当時は弟の敏もいた被告の現住所地の甲野家で事実上夫婦としての共同生活を開始し、昭和五一年五月一七日、婚姻の届出をした。そして、昭和五一年一〇月二六日には長男一郎、昭和五三年二月五日には二男二郎が生まれた。
2 被告の父はもと農業に従事していたが、脳卒中で倒れて寝たきりの状態になつてしまつたことから、被告の母が僅かにイチゴの栽培を続けるほかは農業をやめ、田畑を少しずつ売るようになつた。被告は長男で、一家の柱として弟二人、妹一人の面倒を見て来たが、妹の結婚、父の入院費用、末の弟の敏の名古屋市内の私立大学への進学そして自分の結婚と多額の出費が重なつて、不足分を勤務先やサラ金等からの借金でその都度賄つて来たため、原告との共同生活を始めたころには、借金の総額は約六〇〇万円にもなつていた。
3 原告と被告が共同生活を始めた当時、被告の父は自宅で寝たきりの状態であつたが、被告の母は元気で、いわゆる財布のヒモは同女が握り、右父の世話や家事の傍ら畑でイチゴ栽培等をしていた。被告は、株式会社○○○研究所に勤務して営業の仕事を担当し、原告も長男が生まれるまで結婚前からの勤め先である○○町の○○女学院に編物教師として勤務していた。
4 昭和五一年二月三日、被告は、自宅に集金に来た訴外○○電機商会株式会社への支払分として、原告から金一八万二〇〇〇円を借り受けた。その際、結婚したばかりで被告が金銭面でどういう人間なのか分らず不安に感じた原告は被告に借用証の作成・交付を要求し、被告はその要求どおり収入印紙も貼つた借用証を作成して、原告に交付した。
5 被告は、同年一〇月末日、株式会社○○○研究所を退職して、翌一一月から○○温調株式会社仙台支店に勤務するようになつたが、右○○○研究所退職に先立つて同会社からの借金を返済し、その資金には被告の母名義の田の売却代金七二万円が当てられた。
なお、右田の売却に際して、当初売却先として予定していた不動産業者から受け取つていた金の返還を求められ、その支払に窮した被告は原告の口添えで、同年二月二一日、被告の母と連名で原告の父から金一二五万円を借り受けた(原告本人尋問の中で、原告本人は、右金員の借受日を昭和五六年の五月か六月ころと供述し、被告本人尋問の中にも右原告本人の供述内容に沿う供述部分があるが、甲第三号証の作成日付(昭和五一年二月二一日)及び弁済期(昭和五一年八月二一日)並びに右金員借受けの目的から考えると、右昭和五六年というのは余りにも不可解であり、原告本人の右供述部分は措信できない。)。
6 原告は、従前被告からその母に渡されていた生活費を昭和五二年一月以降は毎月一定額(当初のころは六万円、後に増額されて昭和五八年一二月当時は一三万円)原告が被告から受け取るようになつた。被告は勤務先から受領した給料のうち借金の返済分として必要な額をまず別にした上で、残りの金から右一定額の生活費を原告に渡していた。原告は、共同生活を始めた当初から、被告から結婚前にした借金が多少残つている旨の話は聞かされていたが、その額や借入先等についてまでの説明は受けておらず、被告自身も結婚前の借金なので原告には関係のないことと思つていたこともあり、毎月の借金の返済については原告は全く無関与の立場に置かれていた。
7 昭和五六年、原告の母の訴外(乙野秋子)が死亡し、そのころから原告はその父が一人で住んでいる○○町○○の乙野家へ毎日子供らを連れて出掛け、午前一〇時ころから午後三時ころまで同家で過ごすようになつた。その理由について原告本人は、自宅で編物をすると機械の音がうるさいと言われるので、実家に行き、そこで編物の内職をし、その収入を生活費の足しにしていた旨供述しているが、にわかに信じ難く、真相は、被告の母作成の乙第一号証に記されているとおり、原告の母が死亡して一人住まいとなつた原告の父の食事の用意や洗濯等を手伝うために実家に行くようになり、手の空いた時間には編物の内職もしていたものと推定される。
8 被告は、同年四月、借金の返済資金とするため住友クレジットから八〇万円を借り受けたが、同会社から被告宛に来た葉書を見て、原告は右借金の事実を知り被告にその理由を尋ねたが、詳しい説明はされなかつた。
9 被告は、昭和五七年一〇月、原告に対し、前からの借金の清算のため○○金融から二〇〇万円を借りたいので保証人になつて欲しいと頼んだが、原告はそれを断り、結局、被告の母に保証人となつてもらつて、右会社から二〇〇万円を借り受け、別の借金の返済に充てた。
10 原告は、被告の各借金が判明する都度、被告に対し借金をするに至つた理由や返済方法について尋ねてみたが、被告からは弟の敏を大学に通わせるための資金として借りたものである旨の説明がされた程度であつた。原告としてはそのような説明では納得できなかつた。
11 原告は、被告がいろいろな所から借金をしていることを知るようになつてから、被告に対し、早く借金を始末するようにして欲しいという希望を述べるようになり、その方法として自宅の土地・建物及び畑を売り、その金で借金の清算をするという案を強く主張し、原告から相談を受けて原告の父と仲人の訴外丙野丁郎が被告に対し右方法での借金の清算をしたらどうかということを言いに来るまでになり、更に原告の父は、自宅を売つて住む家が無くなつたら、自分のところへ一家揃つて来てもらつてもよいということも述べたが、被告は、自分は長男であり、また両親もいるので、そこまでしなくてもよいのではないかと考えて、右原告の父や丙野の助言を受け容れようとしなかつた。
12 原告は、昭和五八年九月になつて、被告がサラ金から借金しているということをサラ金からの取立てのための電話や電報を受けて知るに至り、被告に対し、どこからいくら借りているかを一覧表に書くよう求め、被告はその一覧表を作成して原告に渡した。ところが、翌一〇月、右一覧表に載つていなかつた日本信販株式会社(以下「日本信販」という。)から被告宛に金一〇万円の請求が届いたことから、原告は、まだほかにも隠している借金があるのではないかと被告に対し疑いの目を向けるようになつた。しかし、被告としては日本信販はサラ金ではないと考えていたため右一覧表への記載をしなかつただけで、他意はなかつた。
13 被告は同年一二月までの原告に対し毎月一三万円の生活費を渡していたが、翌年一月は、サラ金への支払のため、給料日から約一週間後にようやく原告に対し三万円を渡すことができたに過ぎなかつた。
14 原告は、右のとおり一月分の生活費を三万円しか渡してもらえなかつたことに強い不満を抱くとともに、当時サラ金からの取立ての電話にも苦しめられていたこともあつて、たまたま翌二月一八日の晩帰宅せず翌朝帰宅した被告に対し、「生活費も入れないのに、タクシーで帰つて来るとはどういうことですか。あなたがそうであれば私にも考えがあります。離婚してもらいたい。」ということを述べて、実家に行き、原告の父と話をして来た後、同月二二日子供らを連れて実家に戻つてしまつた。
15 被告は、翌三月一七日、原告には無断で、子供らを自宅に連れ戻した。
16 原告は、三月二二日、被告の勤務先の○○温調株式会社仙台支店に赴き、支店長と会つて、被告の借金の問題等について話し合つた。支店長は、原告に対し、被告は同月一二日から二四日まで休暇願を出して休んでいるということや会社の方から、被告に対し、四〇〇万円融資してもよいという話があつたが、被告はそれを断つたということを話した。
17 原告は、その後被告に会い、土地を売つてでも借金を清算した方がよいと言つたが、被告は、土地を担保に金を借りることにしている旨述べ、原告の言うとおりにしようとはしなかつた。
18 原告は、その後仙台家庭裁判所に調停の申立てをした(同裁判所昭和五九年(家イ)第一七四号婚姻関係事件)が、結局、調停は不調となつた。
右調停の席で、原告は、終始、被告に対し、早く借金を整理してもらいたいということを述べた。
19 右調停事件係属中の同年四月半ば、被告は自宅の土地・建物を共同担保として日本総合ファイナンス株式会社(以下「日本総合ファイナンス」という。)に対し極度額一二〇〇万円の根抵当権を設定した上で、同社から金八〇〇万円を借り受け、その金で他社からの借金の大部分を返済し、日本総合ファイナンスからの右借金の返済は、毎月一〇万五〇〇〇円宛一五年間で支払う約束となつた。
20 昭和五九年五月三一日、本訴が提起されたが、被告は勤務先で右訴訟のことを話題にされたり、原告と別居中であることを支店長に知られたことが苦痛で、同年九月末日限りで○○温調を退職し、その後は朝早くから夜遅くまでアルバイトに精を出し、昭和六〇年一月四日から○○生命仙台支店に外務員として勤務するようになつた。
21 被告の毎月の収入は平均約一七万円程度であるが、そのほか被告の父は三か月ごとに約一八万円の障害年金、被告の母は同じく三か月ごとに約七万二〇〇〇円の国民年金の各支給を受け、更に右母はイチゴの栽培で年間約五〇万円の収入を得ている。
他方、原告は、編物教師の資格を有し、現在実家で行つている編物の内職だけでも月七万円程度の収入を得ている。
二以上認定の事実によれば、原告と被告の関係は、借金の問題以外には婚姻生活を継続していく上で特に支障となるような事情は全く認められないこと、また、借金の問題にしても、確かに被告一人の収入で月々一〇万円を超える借金の返済をしていくことはかなり困難と考えられるものの、原告も編物関係の仕事をするなり、或いはパートタイマーとして勤務するなりして、いわゆる共働きをし、その収入を家計に入れるようにしさえすれば右借金の返済も生計の維持も楽になるものと考えられること(夫が困つている時に妻が助け、夫の収入が少なければその不足分を補うため妻も働いて収入を得るというようなことは広く世間一般の夫婦の間では当然のこととして行われているものであり、それは公知の事実である。)、また、その借金自体もそれが生じた主たる原因は被告の弟の大学進学や被告と原告との結婚等であつたというのであるから、被告にとつてはやむを得なかつたともいえ、その点につき被告を責めることはできないこと、以上の諸点を総合考慮してみると、本件においては民法七七〇条一項五号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとは到底認められないものである。
三以上の事実によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないことからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 遠藤きみ)