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仙台地方裁判所 昭和62年(行ウ)2号 判決 1992年3月04日

原告

畠山元司

右訴訟代理人弁護士

畠山郁朗

織田信夫

被告

地方公務員災害補償基金宮城県支部長

宮城県知事

本間俊太郎

右訴訟代理人弁護士

早川忠孝

中村健

右早川忠孝訴訟復代理人弁護士

野間自子

河野純子

濱口善紀

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立

〔原告〕

原告が昭和五七年一一月一二日付で被告にした公務災害認定請求に対し、被告が昭和五八年七月一二日付をもって公務外災害と認定した処分を取消す。

〔被告〕

請求棄却

第二  当事者双方の主張

〔原告の請求原因〕

一  原告(昭和二四年七月一二日生)は昭和五七年七月一五日当時三三歳、宮城県立高等学校の教諭であって、宮城県津谷高等学校の第三学年の数学を担任し、校務として男子庭球部の顧問を務め、放課後はいつも二時間程度テニスの実技指導に当たり、また、進路指導部長として生徒の進学、就職の相談、指導に当たっていたものである。

二  原告は入院加療を必要とする病気や怪我はなく極めて良好な健康体であり、昭和五五年ないし昭和五七年の各六月に受診した定期健康診断においても異常は認められなかったが、左記の経緯により本件疾病に至った。

1 昭和五七年七月一五日(木)午後、津谷高校校舎A棟の建設工事が完成し、翌七月一六日には一斉引越作業が予定されていたところ、原告は、その一斉引越に先立って進路指導部長として同校校舎B棟二階の進路指導室において、既にダンボール箱に入れて置いた書籍資料等を同室から約八三メートル離れているA棟一階の新しい進路指導室まで一人で一個(重さ約三〇キログラム)ずつ持ち運び始め、三個目までは何の支障もなく運び終え、四個目を運ぶためB棟二階の進路指導室に戻り、四個目のダンボール箱を持ち上げようとした途端、自己の背部に異常を感じた。原告がそのダンボール箱を持ち上げようとした姿勢は、膝を伸ばし腰を曲げる前傾姿勢をとったものであり、その背部の異常というのは、背部の一点がまるで氷が裂けて広がるような感じのものであった。

2 原告は、そのダンボール箱は一人で運び終えたが、その後は生徒一人の協力を得て小さ目のダンボール箱十数個を手押し車に積み、B棟二階の階段降り口まで運び、あとは手に抱えてこれらダンボール箱を二回に分けてA棟一階の新進路指導室まで運び午後五時頃その作業を終えた。その後二時間ほど男子庭球部顧問としてクラブ活動の指導に当たったが、当日は特に激しい運動はしなかった。

3 翌七月一六日(金)には午後一時頃から一斉引越作業が行なわれた。運搬作業は午後三時三〇分頃終了したが、原告は、その間軽い物を運んだりしたきりであり、その後午後五時頃まで持ち運んだ書籍資料を室内の書棚に整理する等の作業を行なった。しかし、その頃、右足には歩行には支障のない程度のしびれを感じた。

4 翌七月一七日(土)、原告は、宮城県庭球場で開催の国体予選に出場する津谷高校庭球部員の引率のため、午前五時頃自宅から自家用車で仙台市に向かった。しかし、同日は雨で試合が中止となり、仙台市内の宿泊先で休んだ。その頃右足のしびれ感は前日より強くなると共に、左足にもしびれを感ずるようになった。

5 翌七月一八日(日)宿泊先で朝食後便所へ行き排便したものの排泄感がなく、テニスの試合中も尿意は覚えても排尿できず、試合終了後自家用車に生徒二人を乗せて帰途につく頃には、前日両足にあったしびれ感は腰部付近にまで広がっていた。

6 翌七月一九日(月)、原告は、公立志津川病院で受診し、腰椎牽引等の治療を受け、その後は自宅で休養した。しかし尿意は覚えても排尿出来ない状態には変わりはなく両下肢のしびれ感は益々ひどくなった。

7 翌七月二〇日(火)午前五時頃、仙台市内の専門医の診察を仰ぐべくタクシーを呼んだが、立ち上がろうとしても立ち上がれない状態になっていたため、再び公立志津川病院に赴き受診したところ、脊髄損傷(脊髄内出血の疑い)と診断され、即時同病院に入院した。同病院で治療を受けたが好転せず、同月二三日仙台市台原の労働福祉事業団東北労災病院に転院した。同所で脊髄内出血による両下肢麻痺と診断され、更に同年九月二八日仙台市鈎取の国立療養所西多賀病院に転院し、同所で脊髄卒中(胸髄横断性完全麻痺の疑い)と診断された。

8 以後現在に至るまで、原告は、両下肢の全知覚麻痺、両下肢の運動完全麻痺、両下肢痙性麻痺、高度の膀胱・直腸障害、胸髄レベル五以下の自律神経障害と完全横断性脊髄障害が残っている。

三  以上の発症の経緯、疾病の内容から明らかなように、本件傷病は、昭和五七年七月一五日に原告が津谷高校の第三学年の数学の教科を担当する傍ら、校務である進路指導部長の職務遂行の一環として、同校校舎B棟二階旧進路指導部室において同所から同校校舎A棟一階新進路指導部室まで進路指導関係書籍並びに資料の運搬作業の遂行中、重量約三〇キログラムのダンボール箱を脊椎に瞬間的に強い力が及ぶ姿勢で持ち上げたこと、更にその後も同校庭球部長としての公務の遂行として、仙台市内県庭球場での国体の庭球試合に出場する生徒を引率するため、自家用車で同生徒らを仙台と津谷とを往復させる行為を継続したことによって発生悪化したものであり、公務の遂行中公務に起因して発症悪化したものである。

四  そこで、原告は地方公務員災害補償法の規定に基づき、昭和五七年一一月一二日被告に対し、右二の事実を根拠として公務災害の認定を請求したが、被告は昭和五八年七月一二日公務外災害の認定をした。

原告は右認定を不服として、昭和五八年九月地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会に対し審査請求をしたが、同審査会は昭和六一年一月二八日審査請求を棄却する裁決をしたので、昭和六一年三月三日地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は昭和六二年三月一一日再審査請求を棄却する裁決をした。

五  しかしながら、原告の本件疾病は公務に起因するものであって、被告がした本件処分は違法であるからその取消を求める。

〔請求原因に対する被告の認否〕

一  請求原因一の事実は認める。

二  請求原因二の事実につき

冒頭の「原告が本件疾病発症前は入院加療を要する病気や怪我はなく極めて良好な健康体であった。」との点は不知、その余は認める。

1のうち、昭和五七年七月一六日に津谷高校校舎A棟の建設工事が完成したことに伴う一斉引越作業が予定されていたことは認め、その余は不知。

2は不知。

3のうち、昭和五七年七月一六日(金)午後一時頃から一斉引越作業が行われ、運搬作業が午後三時三〇分頃終了したことは認め、その余は不知。

4のうち、翌七月一七日(土)、原告が、宮城県庭球場で開催の国体予選に出場する津谷高校庭球部員の引率のため自宅から自家用車で仙台に向かったこと、同日は雨で試合が中止となり仙台市内の宿泊先で休んだことは認め、その余は不知。

5は不知。

6のうち、昭和五七年七月一九日(月)、原告が公立志津川病院で受診し腰椎牽引したことは認め、その余は不知。

7のうち、翌七月二〇日(火)、原告が、再び公立志津川病院に赴き受診したところ、脊髄損傷(脊髄内出血の疑い)と診断され、即時同病院に入院したこと、同病院で治療を受けたが好転せず、同月二三日に東北労災病院に転院し両下肢麻痺と診断されたこと、更に同年九月二八日に国立療養所西多賀病院に転院し脊髄卒中(胸髄横断性完全麻痺)の疑いと診断されたことは認め、その余は不知。

8は不知。

三  請求原因三は争う。

四  請求原因四は認める。

五  請求原因五は争う。

〔被告の主張〕

一  原告は本件疾病の病名を脊髄卒中(胸髄横断性完全麻痺)と主張しているが、被告は特発性急性横断性脊髄症と主張する。本件疾病名としては、椎間板ヘルニア、脊髄出血、脊髄梗塞等も考えられるがいずれも医学上否定される。

二  原告主張にかかる脊髄内出血若しくは脊髄卒中の原因は、脊椎の外傷、出血性疾患、脊髄血管奇形、脊髄血管の硬化、腫瘍等であり、発病は急激で突然に両側又は四肢の弛緩性麻痺を起こすものである。原告は昭和五七年七月一五日午後書籍資料等の運搬作業中、ダンボール箱を持ち上げようとした途端、背部に異常を感じたと主張するが、原告の本件疾病が脊椎の外傷によるものであるとすれば、この時に外傷があったということになる。

1 しかしながら、原告がダンボール箱を持ち上げることによって背部に作用した力が本件疾病の原因となるような脊椎の外傷を生じさせたという因果関係は明らかでない。(一)一般に、書籍資料等が入ったダンボール箱を持ち上げて運搬するという作業は、引越等に際し通常に経験されている類の作業であり、これによって腰椎部に相当程度の負担がかかることがあることはともかく、背部に対し、通常の作業におけるとは異なる特別の力が突発的に作用し、又は通常の動作とは異なる動作により急激な力が作用するものではないし、このような作業によって、本件疾病の原因となるような脊椎の外傷を生じさせることは通常経験されていないところである。(二)脊髄内出血若しくは脊髄卒中の原因は前記のとおり脊髄の外傷のほかに、出血性疾患、脊髄血管奇形、脊髄血管の硬化、腫瘍等が考えられるがこのうち、本件においては脊髄血管の硬化、腫瘍によるものであることについては否定できるものの、出血性疾患、脊髄血管奇形によるものであることの可能性は否定し得ない。(三)したがって、原告の疾病が特発性急性横断性脊髄症であるならば、尚更右の作業と本件疾病との間の因果関係は否定される。

2 更に、原告は、昭和五七年七月一五日に背部の異常を感じた後も、当日は生徒一人の協力を得て、手押し車を利用しながら運搬作業を続け、男子庭球部顧問としてクラブ活動の指導に当たり、翌七月一六日も引越作業に際して軽い物を運んだり、書籍資料を室内の書棚に整理する等の作業を行い、翌七月一七日には庭球部員を引率して自宅から仙台市まで自家用車を運転し、翌七月一八日にはテニスの試合を観戦した後、生徒二人を乗せて仙台市から自宅まで自家用車を運転している。原告は、その間両下肢に痺れを感じるようになったとか、排尿が出来ないようになった或いは腰部付近まで痺れ感が広がってきたと主張するが、病院で受診することなく、漸く七月一九日になって公立志津川病院で受診したものである。

本件疾病は発病が特発的かつ急激に起こるものであるから、原告がダンボール箱を持ち上げたことにより受けたと主張する外傷は本件疾病の原因となるものではなく、本件疾病との間に相当因果関係を有しないものであることが明らかである。

三  したがって、被告の本件処分に何らの誤りはなく、適法である。

〔被告の主張に対する原告の認否反論〕

一  被告の主張はすべて争う。同二の2の原告の行動は認めるが、原告は自然に治癒するものと考えていたため、直ちに病院に行かなかったものである。

二  原告は、昭和五七年七月一五日の津谷高校における書籍資料等の移動運搬作業から同月一八日までの業務に起因して生じた請求原因二の8記載の疾病(災害)を、公務災害として認定することを求めているものであり、初めに病名を限定し、その病気の発症の機序をどうこう論ずるのは筋違いである。被告主張の「外傷」なるものは、「脊椎の外傷」なる概念への該当の有無を論じようとして述べるものと解されるが、外傷の有無が本件の問題ではないし、病名を特定してから公務と災害との因果関係を論ずることは、誤った結論を導きやすい。

三  本件の審査庁及び再審査庁は、いずれもその裁決書において、本件災害発生の前後の状況について、ほぼ原告の請求原因事実記載の事実を認定しているところであり、既に提出された甲号各証、特に被告及び支部審査会よりの取寄記録を総合すれば、請求原因記載の災害発生の状況は容易に認定しうる筈である。

すなわち、「三〇キログラムの荷物を両手で持ち上げ、腕に抱えて持ったとすると腰椎部に最低六〇キログラムから一五〇キログラムの重量がかかり、更にこれを持って一〇〇メートル位歩いて運ぶとすると仕事量は相当なものになるから、胸、腰椎部への加重は、胸、腰椎部でのヘルニア、循環障害を惹起する可能性がある」ことは、鑑定の結果明らかである。原告は本件当時健康で身体に異状がなかったのであるから、本件疾病の発症は右引越作業以外に考えられず、そうすると、引越作業と本件発症との間に因果関係があるといわなければならない。しかるに、被告並びに本件審査庁及び再審査庁は、公務災害を認定するための要件として、「公務遂行中である」ことのほか、(1)「通常の動作と異る動作のあったこと」、(2)「急激な力の作用があったこと」、(3)「それが突発的な出来事として生じたこと」、(4)「その力と疾病の発症との間に医学上の証明が必要であること」を要件として掲げ、原告の場合右(1)乃至(3)の事情は認められず、鑑定の結果、本件疾病の原因は不明であるとして、原告の公務災害認定請求を拒否するに至った。

しかし、公務災害の成立につき、法文上右(1)乃至(4)の要件が必要であるとは解せられないし、また、何故にそのような要件が必要なのかということについても、何の説明もしていない。公務災害の要件に右(1)乃至(3)を求めるのは不当であり、また、「因果関係の立証は厳密な自然科学的証明でなく、経験則に照らして高度の蓋然性が証明されればよい」というのが、公害、医療紛争上確定している考えであって、常識にも合致するから、右(1)乃至(4)の要件を楯にして原告の公務災害認定を否定した本件処分は違法である。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因一及び四の事実は当事者間に争いがない。

二事実欄に摘示した請求原因二の事実中、当事者間に争いのない部分に、<書証番号略>、証人畠山吉郎、同菅原徳行、同菅原初代の各証言、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を加えると、請求原因二の事実を認めることができる。ただし、請求原因二の1、2乃至5に述べられた原告の身体に起きた感覚は、他覚的には証明されたというのではなく、原告に意識感覚として残り、以後原告が治療を受けた医師に対し主訴として述べたものという理解のもとに、その存在を認定するものである。

三<書証番号略>によると、重さ三〇キログラムの荷物を両手で持ち上げ歩いて運んだ場合に腰、胸椎への影響については、「被告の主張に対する原告の認否反論」の三に記載したとおりの鑑定がなされていることが認められ、その鑑定の結果は経験則に照らし妥当なものと考える。

四<書証番号略>によると、原告が昭和五七年七月一九日公立志津川病院に外来患者として受診し、同月二〇日同病院外科に入院した時以後の症状及び医学的諸検査の結果につき、次のとおり認められる。

1  昭和五七年七月一九日にやっと歩ける状態で、公立志津川病院外科で受診。三日前からの腰痛と両下腿のしびれ感があり、第五腰椎の叩打痛もあったので「腰椎症の疑い」として腰椎牽引を受けた。しかし、同日夕方から尿閉に至り、二〇日朝には歩行不能となり同病院外科に入院した。

2  入院時、身長一七一センチ、体重七二キロ、血圧130/72。尿、血液一般検査に著変はなく、背部痛を訴えた。両側性に上腹部以下の知覚障害、完全に近い運動麻痺、腱反射もほとんど消失、尿閉あり。

同日、胸腰椎レ線撮影を施行。前脊髄動脈閉塞が疑われ、東北大学整形外科にコンサルトが試みられた。この後、脊髄損傷(脊髄内出血の疑い)と診断された。

3  翌二一日には、両側性に剣状突起レベルに達する知覚障害が認められた。

同月二三日、東北労災病院整形外科に転院し、「両下肢麻痺(脊髄卒中)」の診断を受けている。入院時所見は、剣状突起レベルの知覚麻痺とそれ以下の全知覚消失、両下肢の弛緩性運動麻痺とのことであった。

入院翌日まで、呼吸の際に背部重苦感があり、七月二五日から二日間、麻痺レベル胸部・背部に針で刺されたような痛みを訴えている。七月二八日には仰臥位での両下肢のつっぱり感を訴えていた。また、入院時より、顔面紅潮し、麻痺レベルより上方に多量の発汗があり、八月一五日頃から、発汗部位最下位が腹部の方へ下降気味であった。(看護日誌)

七月二七日、ルンバールによる髄液検査とアミパーク(水様性造影剤)によるミエログラフィーを施行。髄液水様透明、初圧二二〇mmH二〇、細胞数35/3、細胞種類はリンパ球と内皮細胞。蛋白32mg/dl。

八月四日、脊椎単純CTスキャンを施行。正常との結果。

八月六日、両側足クローヌス陽性で、すでに弛緩性麻痺から痙性麻痺に変わっていることが指摘された。

八月七日、(東北大学)木暮教授の診察で、「血管性病変も考えて」(脱髄性疾患ではなかろうか)、眼底検査が施行されているが、正常であった。

八月二〇日、痙性が増強し、膀胱の自排尿訓練では少しずつ出るようになっている。

八月二五日、ミエログラフィーCTスキャンを施行し、正常との結果。この時採取した髄液は初圧二一〇mmH二〇、水様透明、細胞数49/3、細胞種類はリンパ球、蛋白28mg/dl。

4  九月二八日、国立療養所西多賀病院神経内科に転院。同院において「脊髄卒中(胸髄横断性完全麻痺)の疑い」の診断がなされている。所見は、第四胸髄レベル以下の全知覚障害、高度の痙性対麻痺ほか。また、カルテには発症前、発症時に熱発がなかったことが記載されている。また、泌尿器科診察によれば、膀胱はまだ急性期にあると診断された。

一〇月六日、ミエログラフィー施行。また、この時の髄液の一部は、多発性硬化症を疑って、東北大学神経内科高瀬貞夫先生に届けられた。後日、IgG=7.92%、「正常範囲内」との記載あり。

一二月九日付けの髄液で、ウイルス八種類の中和抗体と免疫グロブリンの外部委託測定がされているようである。ウイルス検査の結果はコクサッキーA一六(陰性)を除き、カルテのコピーからは読み取れない。髄液免疫グロブリンの報告はみつからない。

5  翌五八年の退院時には、痛覚触覚レベルはやゝ下降して両側第六胸髄レベルとなっている。

6  昭和五八年五月三一日、国立身体障害者リハビリテーションセンターに転院した。

7  昭和六〇年、東北大学付属病院脳研神経内科高瀬貞夫医師の鑑定を受け、急性横断性脊髄障害、循環障害の疑いとの診断を受けた。

五ところで、益澤秀明医師(関東逓信病院脳神経外科部長)は、原告の本件疾病に関し、次のとおり鑑定する(<書証番号略>、同人の証言)。

1  疾病名

特発性急性横断性脊髄症と考えられる。いわゆる脊髄血管障害は考えにくい。すなわち、血管奇形破裂による脊髄内出血を含む特発性脊髄内出血や、海綿状血管腫の増大については、その可能性を否定できないが、考えにくいところである。そして前脊髄動脈症候群や静脈性脊髄梗塞はまず考えられない。その他の病変(椎間板ヘルニア、脊髄腫瘍など)については考慮の余地がない。

2  原告には、本件疾病に関しどのような素因又は基礎疾病があると考えられるか、また本件疾病の発生と原告の素因又は基礎疾病との関係如何

本例では全身的な基礎疾病があるとは考えられない。特発性急性横断性脊髄症の場合、素因は現時点では不明であるが、免疫応答の異常も学問的に推定されている。特発性脊髄内出血の大部分は幼少時より素因として潜在している血管奇形の破裂・出血によるものである。

3  本件疾病は日常生活の行為によっても発症するものか。

然り。

大部分の特発性急性横断性脊髄症は行為と無関係に発症しているが、力仕事、重量物運搬、妊娠、出産などの日常生活上の通常の行為のあと(直後〜数週間)に発症した例が少いながらも報告されている。しかし、因果関係については学問的に不明である。

血管奇形破裂を含む脊髄内出血では、日常生活上の力仕事などの通常の行為によって発症する例も多い。

4  昭和五七年七月一五日におけるダンボール箱運搬作業と本件疾病との間に医学的に明らかな相当因果関係が認められるか。

否。

特発性横断性脊髄症の場合、文献的に力仕事などが誘因になったかもしれない事例がいくつか報告されているが、学問的には両者の間に因果関係があるとは認められていない。したがって、本症例の場合、運搬作業と本症の発症との間に因果関係を認めることは医学的に不可能である。

一方、本症例が脊髄動静脈奇形や海綿状血管腫などの血管奇形である可能性は少ないが、仮にそうだとして、力仕事である運搬作業がこうした血管奇形の破裂・出血の誘因となる可能性は残る。ただし、この力仕事から神経症状発現まで約一日を要していることは、誘因としての可能性をほとんど否定するものである。仮に誘因だったとしても、この力仕事は重量物運搬、咳、排便、性交、妊娠・出産などの日常生活上一般に避けることができない行為の範囲内であり、これをもって本症の原因ということはできない。

六なお、本件審査請求手続における鑑定人高瀬貞夫医師(当時東北大学医学部助教授《附属脳疾患研究施設神経内科》)も、同手続において、原告の本件疾病を「根動脈あるいはより末梢(脊髄に近い部分)で急性に循環障害が生じたことにより発症した横断性脊髄症の可能性が考えられる。その原因として、発症前或いは発症時に発熱、下痢等の前駆症状なく、白血球増多、CRPであり、髄液蛋白、細胞数軽度増、免疫グロブリン等から脊髄炎、多発性硬化症、Devic病、脊髄硬膜外膿瘍等は否定的である。髄液でキサントクロミーなく、出血なく、蛋白増なく、胸、腰椎X線所見、ミエログラフィー所見、CTスキャン所見に異常のないことから、椎間板ヘルニア、脊髄腫瘍のヘルニア、転移性脊髄腫瘍等は否定的であり、また血管奇形に伴う髄内外での出血や硬膜外出血も否定的である。しかし、循環障害の原因は所与の資料からは解明できない。」と判断している(<書証番号略>、同人の証言)。

七しかして、証人益澤秀明の証言によると、同証人は三〇年間の医療経験の中で、原告と同様の症状を呈する患者を診療したことが一例ある、本症状は極めて稀なもので、ほとんどの医師はこのような症状の患者を治療したことがないであろう、旨供述している。そうすると、原告の疾病は他に例のない難病ということができる。そして、同証人の鑑定意見は、同証人の研究実績及び医学上の知見に照らし相当と認めるから、その鑑定意見を採用する。しかして、他に右鑑定意見を左右するに足りる証拠は存在しない。

八ところで、原告は右に認定した症状の推移及び鑑定の結果を前提としても、なお「被告の主張に対する原告の認否反論」三のとおり主張し、原告の本件引越作業と本件疾病との間に因果関係があるものとする如くである。しかし、その主張を是認することはできない。

1 地方公務員災害補償法二九条にいう「職員が公務上負傷し若しくは疾病にかかった場合(同法一条にいう「公務上の災害」)」とは、「職員が公務の遂行に起因して負傷し若しくは疾病にかかった場合」を指すことは文理上明らかである。そして、「公務の遂行に起因して負傷若しくは疾病にかかる」とは、負傷又は疾病にはこれを誘発する原因がある筈であるから、長期間特定の職場環境のもとで継続して一定の作業に従事することによって発症する職業病の場合を除いては、(イ)職員の公務遂行中(換言すれば、公務としての拘束勤務時間中――同法が昭和四八年法律第七六号による改正によって、通勤途上災害を補償の対象に加えた点に照らしても、このように解するのが妥当と考える。)に偶発的な事故(災害、学説にいうaccident)が発生したこと、(ロ)その事故が災害性を内在する公務によって生じたこと、(ハ)職員の負傷又は疾病がその事故によって生じたこと、との要件を具備することが必要である。すなわち、公務と事故の間の因果関係と、事故と傷害又は疾病との間の因果関係の、二段の因果関係の存在を要求されるのである。ところで、地方公務員の職務は多種多様であり、拘束勤務時間中の職員の行動には公務そのものと関係のない事柄も含まれるうえ、公務と事故との因果関係の証明は困難であるから、勤務時間中に発生した事故は、公務と因果関係があるものと事実上推定され、この因果関係を否定する者は、その不存在につき挙証責任を負うとされているところである。もっとも、公務と事故の結びつきが強く、因果関係が明白な場合(たとえばある政策担当の職員がその政策に反対する者に襲われたような場合)には、事故の発生が勤務時間外であっても公務災害といえるから、(イ)の要件は絶対的なものとはいえないであろう。

2 原告の場合、勤務時間中に校務(公務)である引越作業に従事中、荷物である書籍、資料が入っている重さ三〇キログラム位のダンボール箱を両手で持ち上げようとした時、腰、胸椎部に加重がかかり、そのため脊髄に異状が発生したと主張するのであるから、(イ)引越作業の実行(公務の遂行)と腰、胸椎部への異常な加重の付加(事故、アクシデント)との因果関係の存在と右加重の付加と本件疾病との因果関係の存在が共に肯定されなければ公務災害とはいえない。ところで原告は本件当時身長一七一センチメートル、体重七二キログラムの成人男子で、身体に疾病その他の異状がなかったのであるから、重さ三〇キログラム程度のダンボール箱を持ち運ぶ程度の仕事は、日常動作の範囲内の動きであって、これにより腰、胸部への異常な圧力がかかる事故(アクシデント)があったということはできないであろう。要するに、アクシデントは公務に内在する災害性が発現したものであることが必要であって、日常動作と変らない行為から生じた事故は公務災害性を否定されるのである。たとえば、強いくしゃみをしたときにぎっくり腰の症状が起きるのは、よく知られていることであるが、公務遂行中にこのようなことが起っても公務災害とならないのと同様である。したがって、本件において第一段の因果関係の存在は否定される。確かに、右のような作業を行うことによって腰、胸椎部への加重がかかりヘルニア等の疾病を起す可能性のあることは鑑定の結果からも明らかである。しかし、本件において右作業によって腰、胸椎部への加重がかかったことに災害性があるとしても、前掲医師の鑑定及び証言によってその加重の付加と本件疾病との生理学的、病理学的な因果関係は否定されている。そうすると、第二段の因果関係を肯定することもできないのである。原告は、本件作業が腰、胸椎部の疾患を惹起する可能性があることは立証されており、本件疾病の真の原因が医学的には証明されなくても、その疾病の原因としては本件作業しか考えられないから、公務災害と認定すべきである旨主張するが、原告の作業が、本件疾病に至るべき高度の蓋然性さえ証明されない本件においては、右主張を容れることはできない。

九以上によると、被告の本件処分は相当であって、これに違法の点を認めることはできない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宮村素之 裁判官片瀬敏寿 裁判官青山智子)

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