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仙台地方裁判所古川支部 昭和32年(わ)96号 判決 1958年3月18日

被告人 松下力雄

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中六十日を右本刑に算入する。

押収してあるせいろ針一丁(証第一号)は没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十年二月十六日午後三時半ごろ静岡県伊東市川奈小浦六百六十ノ三伊東組初鹿野飯場附近において、同じ飯場の仲間の石川広夫(当時十九年)に対し、その前日防波堤工事現場の船上で潜水作業のポンプ押しをしていた同人を被告人がふざけて押し倒し、石川は海中に落ちズボンを濡らしたため、自分のズボンを石川に貸していたので「ズボンをよこせ」といつたところ、同人が「自分のズボンが乾いたら返す」といつたのに憤慨し、いきなり重量約五百匁の石を同人の背中に投げつけ、よつて同人に一週間以内で治癒する程度の背部挫傷を負わせ、

第二、昭和三十二年十一月十五日午後十一時ごろから宮城県玉造郡岩出山町字通丁九十六飲食店珍万こと佐々木志づ江方で千葉寛、佐々木金吾と飲酒していたところ、午後十一時半ごろ千葉の知合の佐々木正直(当時十九年)、加藤茂が来店したので一緒になつて飲酒しているうち、被告人と正直との間に口論が始まりそのあげく、互いにけんか斗争をすることを決意し連れ立つて珍万方の約六十四米東方にある国道と県道との交さ点の約二十米南方の県道上にいたり、そこで向い合い被告人は所携の刃渡り約十糎余のせいろ針(被告人がせいろの修理に使用していた小刀)(証第一号)を抜き正直めがけて振り廻して同人の顏面、左手背に切創を負わせ、さらに珍万方の方へ逃げる正直を追跡して同字百六十八の一飯田勝郎方前国道上までいたり午後十二時ごろ同所において、突然向きなおつて再び向つてくる正直めがけてせいろ針を突き刺したところ、針は同人の胸部に深く突きささり同人に胸部左側の刺創(心臓の刺創)を負わせ、同人をしてこれにより惹起された失血のため間もなくその場において死に至らせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法律の適用)

法律に照らすと被告人の判示所為中判示第一の所為は刑法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条に判示第二の所為は刑法第二百五条第一項に該当するところ、判示第一の傷害罪の刑につき所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文第十条により重い判示第二の傷害致死罪の刑に同法第十四条の制限範囲内で法定の加重をする。

すすんで刑の量定について考えるのに記録によれば、

被告人は飲酒めいていするとすこぶる狂暴性を発揮する性癖があり、本件各犯行もその例であるが、過去に数件飲酒のうえでの暴力事犯を敢行している事実が窺われる。本件各犯行の態容をみても判示第一の所為は重量約五百匁もある石を人体の背部に投げつけるという危険極まりないものであり、判示第二の所為は犯行前に被害者側に多分に誘発的な言動があつたこと、被告人はこれを相当こらえていたことは認められるが、ひとたびけんか闘争となるや、素手の被害者に対し兇器を振るい、逃げて行くのを数十米も追跡したあげく突き刺しているのであつて、殺意こそ認められないにせよ、傷害致死としてはすこぶる悪質な事案に属するといわなければならない。

のみならず被告人は公判の進行につれて判示第二の犯行当時のことは全然記憶がないと虚偽の供述を始め、その供述の内容、態度等からみて真しな反省、改悛の情を認めがたい。

以上にその他本件諸般の情状を総合考慮すると所定刑期の範囲内において被告人を懲役六年に処するのを相当とする。

なお刑法第二十一条により未決勾留日数中六十日を右本刑に算入する。

押収してあるせいろ針一丁(証第一号)は判示第二の犯行に供した物で被告人以外の者の所有に属しないから同法第十九条第一項第二号第二項本文により没収する。

検察官は判示第二の所為は殺人罪であるとして構成、主張している。

当裁判所は前判示のように検察官の主張を認めないのであるが、以下にこの点について若干説明する。

被告人の検察官、司法警察員に対する供述調書中には随所に被告人にすくなくとも殺人の未必の故意があつたことを認めている供述記載が存する。

しかし証拠を精査検討すると、

まず被告人に前々から被害者を殺害すべき動機の認められないことはいうまでもない。

そこで本件においては、前判示のように被告人は飲酒めいていするとすこぶる狂暴性を発揮する人間であるところから、けんか斗争を決意した以後において突然的に殺意を生じたものと考える余地がある。

起訴状によれば検察官は前判示県道上で被害者に切りつけるさい(以下便宜上同所を第一現場、被害者の胸部を刺した国道上を第二現場と呼ぶ)殺意を生じたという見解をとるのであるが、この見解には次のような難点がある。

(1)  けんか斗争に入るまでの被告人の被害者に対する言動は、過去の非行歴から推すと不思議なほど消極的で、むしろ被害者の方がはるかに被告人に対し種々挑発的、積極的な言動をなしていたことが認められる。このことは被告人がそれほどひどく酔つておらず、相当程度の自制心を有していたことを推察させる。そのような被告人が一瞬の間に殺意を生じたとみるのはいかにも不自然、不合理である。

(2)  兇器であるせいろ針は形も小さく、刃は鋭利でなく、せいぜい鉛筆削り程度の物である。

(3)  攻撃の態容は、ただ被害者に対し振り廻しただけで、とくに人体の重要箇所をねらつたとは認められない。

(4)  その傷害の結果も比較的軽微である。

以上の諸点を合わせ考えると、第一現場における殺意の存在は否定するのが相当である(なお、それ以前における殺意の存在はもちろん認められない)。

それではつぎに、第二現場まで殺害者を追跡する間において殺意を生じたと認めることができるか。

検察官は論告において追跡の事実をとらえて殺意認定の一根拠として主張する(もつともそれは第一現場において殺意が存在していたことを推認させる根拠としてのようであるが)が、通常、けんか斗争のさい逃げて行く敗者を勝利者がことさらに自己の権威、優越を顕示するため追いかけるということは往々ありうることであつて、たんに追跡という事実のみでは殺意認定の根拠とはしがたく(これに他の事情が附加されれば別である)、まして酔漢のけんか斗争にあつてはなおさらのことといわねばならない。

本件にあつては被告人が被害者を追跡したこと以外に、追跡の間に殺意を生じたことを認めるに足りる証拠は存しないから、追跡の間における殺意の発生もまた否定されるべきである。

最後に第二現場において被害者を突き刺すさい殺意を生じたと認められるか。

傷害の部位、程度からすれば一応そのようにみることが可能なように考えられないではないけれども、

(1)  被告人が第二現場で被害者に追いつこうとしたとき、被害者が逃走をやめて立ち向つて来たので、被告人は反射的に被害者に攻撃を加えたのであつて、そのさい瞬時の間にとくに被害者の胸部その他人体の重要箇所を突き刺すという認識があつたとは認めがたい。

(2)  かりにそのような認識があつたとしても、兇器の性質上被告人は致死というような重大な結果を招来するとは予見していなかつたものと認めるのが相当である。

(3)  刺創が極めて深いのは、(1)のような両者の関係からして追いかけて来た被告人の加速度の力と被告人に向つてくる被害者の力とが互に作用し合つた結果であつて、被告人が故意に深く突き刺したとは認めがたいものがある。

以上の観点からみると、被告人の検察官、司法警察員に対する供述調書中被告人が殺意の存在を認めている供述記載部分は、取調官の結果論的な取調と被告人のこれに対する迎合とによつて作成されたものと考えるのが相当であつて、不自然のきらいを免れず、ことの真相に合致したものとは認めがたい。

以上の次第であるから本件は傷害致死罪であつて、検察官の主張は理由がない。

被告人は、判示第二の所為については犯行当時酒に酔つていてわからなかつた旨供述するので、これは飲酒めいていの結果心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつたとの主張と解されるが、当時被告人が或る程度酒に酔つていたことは認められるけれども、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつたとはとうてい認められないから、右主張は採用できない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 秋山五郎 池羽正明 萩原金美)

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