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仙台家庭裁判所 昭和60年(少)2568号 決定 1985年12月16日

少年 J(昭○.○.○生)

主文

1  本件を宮城県○○児童相談所長に送致する。

2  同所長は、少年に対し、昭和60年12月16日から昭和61年12月15日までの間に必要に応じて通算180日を限度として、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うような強制的措置をとることができる。

理由

(虞犯事由及び虞犯性)

少年は、シンナー吸引を中心に不純異性交遊、喫煙、バイクの無免許運転などを繰り返し、昭和59年9月12日父母が離婚したことから、昭和60年4月5日教護院a学園(以下「学園」という。)に措置されたものの、物品持出、髪の脱色、他児への暴行無断外出などの問題行動の挙げ句職員に対する暴行にまで及んだことから、強制的措置許可申請がなされ、昭和60年9月13日同措置が許可され帰園したが、その後も情緒不安定であり、職員に対する反抗的態度が続いていたところ、別紙記載のとおり同年11月16日から同月18日にかけて学園内で集団暴力事件が生じ、その際同別紙記載のとおり職員に対して暴行等を働いたものであり、このままではその性格及び環境に照らして、将来、暴行、傷害等の罪を犯すおそれがあるものである。

(適用法条)

少年法3条1項3号本文、同号イ

(処遇の理由等)

一  本件で問題となつている学園内の暴動(以下「本件暴動」という。)により当初少年を含む男子園児6名が同行状を発布されたうえ観護措置をとられ、その後初めは職員に協力的でさえあつた女子園児らが上記6名が鑑別所に入れられたことなどに抗議して暴力行為に及び女子園児3名男子園児2名が任意同行されたうえ観護措置をとられた(なお当時学園在園全児童数は18名で全員中学2年生以上であった。)。

本件暴動は計画的なものとはいい難く、学園が抱えていた構造的な問題が要因となり、偶発的ではあるが必然的に発生したものというべきである。

具体的に述べるならば、まず、昭和60年4月からの学園の陣容をみると、教護たる指導課職員は、課長以下12名(うち女子4名)で、すべて県の職員として新規採用されたか又は県の他の部署からの配転により学園に来た職員(そのうち教護経験年数3年未満の職員は8名である。)である。したがつて、園児の人数は少なく(ちなみに、学園の園児の現在の定員は50名(うち女子14名)であり、定員70名であつた昭和45年度から昭和51年度までの年度末園児在籍平均数は約33名である。なお、右当時から現在まで職員数の考慮に値する増減はない。)、個々の職員がいかに熱心に指導するにしても、教育に熟達している教員達が持て余した児童の集団(但し、学園側が指摘するような園児の目立つた質的変化は認められない。)に適切な対処を期待するのは困難であるといわざるをえない。さらに、職員間の足並みが揃わず、学園内の指導に統一性を欠いていたこともあつて、園児達に不公平観を植え付け、一部園児の専横を許容してしまつたことから、徐々に園児に対するりーダーシツプが崩壊していつたとの状況があつた。そして、その裏返しとして園児の間で「いじめ」がはびこり、特に日頃表面的には職員の指導に従つている園児に不平不満が蓄積し、このような中で、園児の職員への反抗、入室禁止場所(厨房など)への侵入、教護記録の盗み読みなどが常態化し、暴動はまさに一触即発であつた。これに対して、学園は、自力での解決に努力したが、有効な改善方策を見い出しえず、特に昭和60年4月以降いたずらに家庭裁判所への強制的措置許可申請や虞犯保護事件の送致を増加させて、手に負えない園児を力で押えこむか他の施設へ排除するとの措置を講じていたものである。

このような状況下で、同年11月13日から同月15日にかけて学園祭が催され、園児達の気分が開放的になつたことも契機となつて、本件暴動が発生し、学園の対応のまずさ(対策が首尾一貫性を欠いたり、後手に回つたり、見通しを誤つたことなど)も手伝つて騒ぎは頂点に達してしまつたということができる。

二  本件暴動で少年が行つたことは虞犯事由のとおりであり、他の園児と比較するとその程度は軽いといわざるをえない。しかし、日常的指導の点からいえば、入園当初から少年が園児の中でも最も手の掛かる児童の一人であつた。そして、学園職員の指導に従わず暴力を振るつて反抗していたため、観護措置を経たうえ、昭和60年9月13日に同日から昭和61年3月12日までの間に必要に応じて通算30日を限度とする強制的措置の許可を付されて学園に戻つた(学園は強制的措置を施しうる教護院である。)。それにもかかわらず、緊張感がなく職員に注意されると苛立ちふてくされる態度が目立ち、本来受け入れられるはずのない要求をし、これが受け入れられないと興奮して暴言を吐いたり、職員に絡んだりしていた。そのため同月30日から同年10月3日まで観護室で過ごしたりしていたものであり、結局学園での指導に乗つていたとは到底いい難い状況であつた。とはいえ、少年も少年鑑別所、少年院等への収容を恐れてか最後の一線は堅持してそれなりに自己規制していたということはできるし、この点は一応評価しうる。日頃粗暴であつた少年が、上記のように本件暴動ではさほど暴れなかつたことは、日常的暴行が愛情欲求と甘えに起因しているということにとどまらず、上述した収容への恐れからの自己規制があつたということを示している。

したがつて、本件暴動を理由として、少年を少年院へ収容することとは、ただでさえ視野狭窄を来しやすい少年を自暴自棄に追い込みかねない。

三  本件暴動により学園は物的・人的に多大な損害を被り、物損だけでもその概算総額は少なくとも約400万円に上り、教護活動に必要な最小限の施設の補修は行われているが、職員の中にはいまだに通院加療中の者や視野障害等の後遺症に悩まされている者も存在するし、無理からぬことではあるが、職員達は精神的にも肉体的にも疲弊してしまつている。そして何よりも、職員達は、従来信頼していた園児からも肉体的暴力を受けただけでなく、宿舎の襲撃などにより私的な生活までも踏みにじられたため、職員と園児との信頼関係は徹底的に破壊されてしまつたといわざるをえない。

それゆえ、少年は学園での生活を希望しているが、少年の学園における従来の生活状況を考慮し、このような学園の現実を直視すると、少年を学園に帰すことは不可能と考えざるをえない。なお、少年の家庭状況は相変わらずとても少年を受け入れられる状況ではなく、保護者たる母親は少年の処遇を裁判所に一任している。

四  以上の諸事情や本件暴動により観護措置をとられた他の園児についての処遇内容を総合考慮し、少年が正常に機能する教護院であれば、教護児童として教育しうることに鑑みれば、少年を国立教護院であるb学院で指導していくことが現時点では最も適切な処遇であると考える。しかしながら、保護者が少年の上記教護院入所に反対することは考えられず、上記国立教護院への入所措置がとられるとの確約が得られていること(したがって、保護処分として教護院送致をしても少年に抗告する機会を付与する以外には特に意味を持たせることができない。)、少年は既に教護院に措置されているのであつて、主文で特定の教護院を指定することは理論上疑義があり、前述した本件暴動の背景や本件暴動で観護措置をとられた園児の中には強制的措置許可申請事件としてしか送致されていない者もいることなどを考慮すれば、保護処分として教護院送致をするのではなく、むしろ少年法18条1項による児童相談所長送致をするのが相当であると考える。

ところで、本件は児童福祉法27条1項4号により通常送致された虞犯保護事件であるが、本件受理後宮城県○○児童相談所長から少年については強制的措置を行使しうる上記国立教護院での指導も考えられるとして審判時点から1年間に180日を限度とする強制的措置の許可を求める旨の上申書が提出されている。したがつて、本件では通常送致と併せて強制的措置許可申請事件としての送致がなされていると解しうるので、強制的措置許可決定をなしうるというべきである。そして、少年が今後も職員の指導に従わず興奮して暴力を振るうおそれは顕著であるから、前回の強制的措置の許可に係る強制的措置可能日はいまだ存在するが(昭和61年3月12日まで通算21日)、これを考慮しても主文2項の限度で強制的措置を許可するのはやむをえないと考える(但し、昭和61年3月12日までに強制的措置をとつたときでもその日数は本決定による180日の強制的措置可能日数にも算入されるものとする。)。

なお、今回の事件は、教護院の死活にかかわる重大な事件である。既に指摘した問題(特に人員配置)については勿論、学園がいわゆる夫婦小舎制を採用せず、教育と教護の分離を図つている(昭和48年度から小中学校分教室が併設されている。)ことの功罪、学園の建物の構造配置の問題、学園と児童相談所や家庭裁判所との密接な連係などについては早急に十分な総合的検討がなされてしかるべきであると考える。

よつて、少年法23条1項、18条1項、2項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 大門匡)

別紙

昭和60年11月16日の夕食時(午後5時30分ころ)に園児の誰かがおかずのかぼちやを投げたこと及び園児であるAが土足で食堂内に侵入したことをB教護が注意したことに端を発し、男子園児の大部分が学園の本館、寮舎、食堂職員宿舎等におけるガラスの破壊を初めとする器物損壊並びに職員及び同月17日午後2時ころ学園の要請を受けて臨場した警察官(但し、それまで職員に協力的であつた園児さえも警察官導入に興奮して騒ぎ出したので、学園の依頼により、結局実力行使には及ばず、まもなく撤退した。)に対する暴行を同月18日午後1時過ぎまで継続的にかつ執拗に繰り返し、学園内は無秩序と化したが、その際少年は、<1>同月17日午後0時ころC教諭に対して足払いを掛けるなどの暴行を加え、<2>同日午後10時30分ころ園児であるD及びEと本館事務室において器物を損壊し、F教護を外に連れ出しEとともに殴る蹴るの暴行を加え、<3>同日午後11時ころ本館入口付近で園児であるG及びHとともにI教護に対し殴る蹴るの暴行を加えたものである。

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