仙台高等裁判所 平成18年(ネ)349号 判決 2006年11月09日
控訴人
宮城県
同代表者知事
村井嘉浩
同訴訟代理人弁護士
三輪佳久
同指定代理人
横田豊
外1名
被控訴人
甲野一郎
同訴訟代理人弁護士
小野由可理
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は,被控訴人の妻の父である乙山太郎(以下「太郎」という。)が交付を受けた旅券の性別の記載が誤っていたため,太郎の定年退職を祝って計画した海外旅行を中止せざるを得なくなり,キャンセル料の支払を余儀なくされたとして,このキャンセル料を支払った被控訴人が控訴人に対し,不法行為又は国家賠償法に基づき,支払ったキャンセル料相当額48万2500円と弁護士費用5万円の合計53万2500円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成17年12月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。原審が,過失相殺をした上で被控訴人の請求を一部認容したところ,控訴人が不服を申し立てた。なお,被控訴人からの不服申立てはない。
2 前提となる事実
(1) 被控訴人の妻甲野一枝(以下「一枝」という。)は,太郎(昭和20年*月*日生)とその妻乙山二枝(昭和23年*月*日生。以下「二枝」という。)の長女であり,乙山二郎(昭和49年*月*日生。以下「二郎」という。)は,太郎,二枝夫婦の長男(一枝の弟)である。被控訴人と一枝の夫婦(以下「一枝夫婦」ともいう。)は,太郎夫婦とは生計を異にしている。(甲1,2,弁論の全趣旨)
(2) 太郎は,平成17年8月31日,旅券(以下「本件旅券」という。)の交付を受けたが,本件旅券には太郎の性別として女性を示す「F」と記載されていた。(争いがない。)
(3) 太郎夫婦,一枝夫婦及び二郎の5名は,平成17年9月19日,仙台空港から3泊4日のグアム旅行(以下「本件旅行」という。)に行こうとしたが,太郎の本件旅券の性別の記載が誤っていたため,太郎が出国することができず,本件旅行は中止された。(甲7,弁論の全趣旨)
(4) 被控訴人は,平成17年9月20日,本件旅行を中止したことによって旅行会社からキャンセル料48万2500円(ツアー代金の50%である34万7500円とオプション料金の全額である13万5000円の合計)を請求され,これを支払った。(甲4,弁論の全趣旨)
3 争点
本件の争点は,損害賠償義務の有無(争点1),損害賠償の範囲(争点2)及び過失相殺(争点3)の3点である。
4 当事者の主張
(1) 争点1について
ア 被控訴人の主張
控訴人の担当職員は,太郎の性別を誤って本件旅券に記載したものであり,過失があることは明らかであるから,不法行為又は国家賠償法1条1項に基づき損害を賠償すべき義務がある。
イ 控訴人の主張
本件旅券の発給につき控訴人の担当職員に過失があったことは認めるが,旅券発給の担当者は,旅券申請者に対する関係で注意義務を負うべきものであるから,太郎の同行者に対する関係では担当職員に違法な行為があったとはいえない。
(2) 争点2について
ア 被控訴人の主張
(ア) キャンセル料48万2500円
被控訴人は,本件旅行が中止されたため,キャンセル料48万2500円の支払を余儀なくされた。本件旅行は,太郎の定年退職を家族で祝う趣旨で計画されたもので,太郎を残して本件旅行を実施することは無意味であったため,全員分をキャンセルしたものであり,損害は太郎の分に限られるべきではない。
国家賠償(不法行為)における損害賠償の範囲は,民法416条の類推適用によるのではなく,損害賠償制度の基本理念である公平の観念に照らして加害者に賠償させるのが相当と認められる損害については賠償責任を認めるのが相当であり,これによれば,上記5名分のキャンセル料は,控訴人に負担させるのが公平というべきである。
仮に民法416条を類推適用するとしても,現在の海外旅行の形態は様々であり,家族旅行も珍しいものではない。そして,家族のうちの1名の旅券に不都合があって出国できないときに家族全員が旅行を中止することは十分に考えられることであるから,上記5名分のキャンセル料は予見することが可能な損害であって,通常生ずべき損害といえる。
(イ) 弁護士費用5万円
本件の弁護士費用としては5万円が相当である。
イ 控訴人の主張
被控訴人の主張は争う。旅券を発給する職員は,発給の相手方に対して注意義務を負っているが,それ以外の者に対して注意義務を負っているわけではない。したがって,旅券の所持者本人と将来一緒に旅行に行くことになろう同行者があるとしても,本人が旅行に行けなくなったからといって同行者まで行かなくなるとは予測し得ないし,予測すべき義務があるものともいえない。本件のように,太郎が行かなければ意味がないなどということは,旅券発給の担当者に予見し得るものではなく,担当者の行為によりもたらされた損害とは評価し得ない。太郎以外の者に生じた損害についても,太郎との生活関係を同じくする場合や扶養,被扶養の関係にある場合などはこれを認める余地もないではないが,生計を異にする一枝夫婦は明らかにこれに該当しておらず,二郎もこれに該当するか疑問である。また,キャンセル料のうちレディースプランのキャンセル料は,本件旅行の目的である太郎の定年退職祝いとは関係のないものであって,通常損害とはいえない。
(3) 争点3について
ア 控訴人の主張
控訴人担当者が本件旅券の太郎の性別を誤って「F」と記載したのは,太郎が申請書の性別欄の「女」にチェックをしたことが大きな要因となっている。旅券の性別の記載は,申請書の性別欄に申請者が行ったチェックを機械で直接読み取る方法で行っているが,この性別欄のチェックを申請者が間違えるということは通常想定し難い。また,旅券を交付する際には,旅券とともに,「みやぎのパスポートガイドブック」という小冊子を渡し,パスポートの交付を受けたときには,旅券に記載された氏名,本籍地,生年月日,性別(男:M/女:F)などに間違いがないかを確認するよう依頼しているが,本件では,担当者の確認依頼に対して,誤記入の指摘がされなかった。
イ 被控訴人の主張
太郎が申請書の性別欄の記載を誤ったことは認める。しかし,太郎は,申請の際に,身元確認書類として,戸籍謄本,パスポート用写真及び運転免許証等の書類を提出ないし提示しており,これらを確認することにより,太郎が男性であることは容易に確認できた。旅券は,海外旅行者に必要欠くべからざる重要なものであるから,その作成,交付は慎重にされるべきであり,また,控訴人が作成,交付する以上,その内容に誤りがないものと考えるのが一般であるから,旅券の交付の際に上記ガイドブックが交付されたからといって,控訴人の担当者の過失が軽減されるものではない。
第3 当裁判所の判断
1 本件の事実関係
前記前提となる事実に証拠(甲3ないし7,10,乙1ないし4)及び弁論の全趣旨を総合すると,本件の事実関係につき,以下の事実を認めることができる。
(1) 被控訴人と一枝は,平成17年,太郎が満60歳で定年退職することを家族で祝い,太郎夫婦を慰労するために,太郎夫婦,一枝夫婦,二郎の5名で本件旅行をすることを計画し,旅行会社に本件旅行を申し込み,被控訴人は,オプション代金を含めた5名分の旅行代金86万7530円(ツアー代金69万5000円,オプション代金13万5000円のほか保険料,空港使用税等)を支払った。本件旅行は,一枝夫婦が海外旅行の経験のない太郎夫婦へのプレゼントとして計画されたものであり,その費用の全額は,被控訴人が負担した。なお,オプションは,シーウォーカーツアー(5名分5万円),プレジャーアイランドパスポートC(5名分で5万5000円)及びレディースプラン(2名分で3万円)であった。
(2) 本件旅行に先立ち,太郎夫婦及び二郎の3名は,初めての海外旅行であって旅券の発給を受ける必要があったことから,平成17年8月,戸籍謄本,写真,返信用はがき,身分を証明する文書及び所要事項を記載した旅券発給申請書を宮城県庁1階のパスポートセンターに提出して旅券の発給を申請した。その際,太郎が提出した上記申請書の性別欄には「女」にチェックがされていた。
(3) 太郎は,平成17年8月31日,本件旅券の交付を受けたが,本件旅券には太郎の性別として女性を示す「F」と記載されていた。なお,太郎は,本件旅券の交付を受けた際,申請時に渡されていた受領書(乙4)に署名押印して,これを受取窓口で担当者に交付したが,この受領書には「申請した内容と相違ないことを確認の上,一般旅券を受領しました。」との記載があった。また,太郎は,本件旅券と共に「みやぎのパスポートガイドブック」なる小冊子(乙3)を受け取ったが,これには,パスポートの交付を受けたときはパスポート表紙見返しの記載事項を確かめ,氏名,本籍地,生年月日,性別(男:M/女:F)などに間違いがないか確認するようにと記載されていた。しかし,太郎は,本件旅券の性別の記載を確認せず,本件旅行に出発する当日まで記載に誤りがあることに気付かなかった。
(4) 平成17年9月19日,太郎夫婦,一枝夫婦及び二郎の5名は,本件旅行のため,仙台空港で出国手続をしたところ,係官によって本件旅券の性別の記載に誤りがあることが発見され,係官から太郎を出国させることはできないと言われた。そのため,太郎以外の者も,本件旅行の趣旨に照らして太郎を残して旅行することはできないと考え,日を改めてグアム旅行をすることにし,全員が本件旅行を中止した。
(5) 太郎は,平成17年9月20日,性別の記載が正された新たな旅券の交付を受けられたため,被控訴人は,同日,旅行会社に赴き,同じメンバーで同月22日に出発のグアム旅行に行く手続をとったが,旅行会社から本件旅行のキャンセル料48万2500円の支払を請求され,同月21日,これを支払った。
2 損害賠償義務の有無(争点1)について
上記1で認定した事実によれば,本件旅券には性別の記載に誤りがあったものであり,そのため,太郎は,出国することができず,本件旅行が中止されたところ,旅券は,外国へ旅行する者の身分,国籍を国が証明する文書であり,そのため,旅券を発行し,交付するに当たっては,名義人が申請者本人であって,人違いでないことが確認されなければならず(旅券法3条3項,7条),性別は,氏名,生年月日等と共に旅券の必要的記載事項であって(旅券法6条1項,旅券法施行規則5条3項),旅券の名義人を特定する要素の一つとなっているものであるから,旅券を作成する者は,申請者本人や戸籍謄本等の記載を確認の上,性別を含めて旅券の記載事項を正確に記載しなければならないことはいうまでもない。そして,本件旅券の性別の記載に誤りがある以上,本件旅券の発行を担当した職員に過失があったことは明らかというべきである。また,旅券の発行に関する事務は,本来は国の公権力の行使に係る事務ではあるが,法定受託事務として都道府県が処理すべき事務とされており(地方自治法2条9項1号,10項の別表第一,旅券法21条の3),本件旅券の作成も控訴人の職員によって行われているのであるから,控訴人は,国家賠償法に基づき,本件旅券の発行によって生じた損害につきこれを賠償すべき義務があるものというべきである。
本件旅券の発行を受けた太郎ではなく,被控訴人が損害賠償を請求し得るか,請求し得るとしていかなる範囲の損害を請求し得るかについては後述のとおりである。
3 損害賠償の範囲(争点2)について
(1) 被控訴人が請求することの可否
ア 前記1で認定した事実によれば,本件旅行は,太郎が満60歳で定年退職するのを家族で祝い,太郎の娘一枝夫婦が海外旅行の経験のない太郎夫婦に海外旅行をプレゼントする趣旨で計画したものであり,その費用である旅行代金(オプション代金も含む。)全額を娘一枝の夫である被控訴人が支払ったものの,出発のための出国手続をした際に本件旅券の記載に誤りがあることが発見され,太郎の出国が不能になったため,太郎のみならず,旅行予定者の全員が本件旅行を中止し,そのため,被控訴人は,全員分のキャンセル料48万2500円の支払を余儀なくさせられたことが認められる。
イ ところで,記載の誤った本件旅券の発行を受けたのは太郎であり,そのため海外旅行ができなくなったのも太郎であるから,本件旅券の記載が誤ったことによる直接の被害者は太郎ということになる。しかるところ,上記のとおり,本件旅行は,太郎が満60歳で定年退職するのを家族で祝い,娘夫婦が海外旅行の経験のない太郎夫婦に海外旅行をプレゼントする趣旨で計画されたものであり,旅行代金は娘一枝の夫である被控訴人が全額を負担し,キャンセル料も被控訴人が負担したのである。
このように,本件は,本件旅券発行による直接の被害者ではない被控訴人が損害を負担した場合であり,被控訴人は,講学上のいわゆる「間接被害者」ということになるが,間接被害者であるからといって,直ちに損害賠償を請求し得ないわけではなく,例えば,子供が負傷させられた場合に治療費を支払った親が加害者に治療費を請求することが許されるように,仮に被害者が負担したとすれば認容されたであろう損害については,民法422条の賠償者代位の制度の趣旨にかんがみ,被害者に代わって実際に損害を負担した者が加害者に請求することは許されるものというべきである(講学上のいわゆる「不真正第三者損害」に当たる場合)。このように解しても,加害者にとっては賠償金を被害者に支払うか,実際に損害を負担した者に支払うかの違いが生ずるにすぎず,その負担額に軽重はないからである。
ウ そして,少なくとも太郎の分のキャンセル料については,本件旅券の発行によって太郎に生じた損害であることは明らかであり,太郎がこれを負担したとして損害賠償請求をすれば認容される関係にあるから(なお,太郎は,娘夫婦から贈与を受けた旅行代金をキャンセル料の支払という形で一部失ったともみることもできる。),太郎に代わってこのキャンセル料を実際に負担した被控訴人が損害賠償を請求することは許されるものというべきである。
(2) 損害賠償の範囲
ア 太郎が本件旅行の費用を負担したと仮定した場合に,どの範囲の損害が賠償すべきものとして認められるかは,損害賠償の範囲としての相当因果関係の問題である。すなわち,賠償義務者は,加害行為によって被害者に通常生ずべき損害を賠償しなければならないのであるが(民法416条1項類推適用),本件旅行の中止による太郎の分のキャンセル料が通常損害になることは当然として,太郎と共にグアム旅行に行くことになっていた太郎の妻の分,長男二郎の分,更には娘夫婦の分のキャンセル料が太郎に通常生ずべき損害といえるか否かが問題となる。
イ そこで検討するに,旅券は海外旅行に行くためのものであるところ,海外旅行には,もちろん仕事関係の場合のように単身で行くものもあるが,夫婦,親子など家族で行くものも少なくないことは公知の事実である。そして,家族で海外旅行をする場合,家族の一人に旅行し得ない事由が発生したときには家族全体が海外旅行を中止することは通常あり得ることと思われる。例えば,両親と未成年の子で海外旅行を計画した場合に未成年の子が旅行に行けなくなったときは通常は両親も旅行を中止するであろうし,逆に両親に支障が生じたときには未成年の子も旅行を断念せざるを得ないであろう。夫婦の場合も,どちらか一方に支障が生ずれば他方も旅行を中止するのが一般である。このように家族で海外旅行を計画した場合,家族の一人に生じた事由のため全員が海外旅行を中止することは,通常あり得ることと思われるが,殊に本件のように旅券の記載に誤りがあるにすぎず,日程をずらしさえすればすぐにでも海外旅行が可能となる場合には,いっそうそのようにいうことができる。
ウ したがって,家族で海外旅行をする場合に,家族のうちの一人の旅券の記載に誤りがあってその者の海外旅行が不能になった結果,同行することになっていた他の者も海外旅行を中止せざるを得ないといった事態は通常予想されるところといわなければならないから,他の者も海外旅行を中止し,かつ,中止することがやむを得ないと認められる場合には,海外旅行を中止することによって生じた損害は,家族の他の者の分も含めて普通に予想される損害,すなわち,通常損害と認めるのが相当である。
本件では,太郎の定年退職を祝うということで,太郎と生計を共にする妻の二枝や子の二郎のほか,既に独立し,生計を異にする娘の一枝とその夫である被控訴人が同行することになっていたのであるが,太郎の定年退職を祝うために,娘夫婦が太郎夫婦にプレゼントした旅行であることからすれば,太郎を除く者のみで本件旅行をすることは考えられず,他の者も本件旅行を中止したことはやむを得ないものというべきである。控訴人が主張するように,太郎を除く者のみで本件旅行を実施することも,それ自体はもちろん可能ではあるが,社会通念に照らせば,太郎を除く者のみで本件旅行を実施すべきであったとは到底いうことはできない。そして,親が成年に達した子やその配偶者と旅行をすることもまれなことではなく,本件のように,成年に達し,生計を異にする子が親を海外旅行に連れてゆくということも珍しいことではないから,成年に達した二郎や既に独立し,生計を異にする一枝夫婦が参加する本件旅行も通常の家族旅行と同様に考えて差し支えなく,太郎の妻二枝や子の二郎,更には一枝夫婦について生じたキャンセル料に係る損害も,太郎に対する誤った本件旅行の発行と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
エ 控訴人は,オプション相当分のキャンセル料,特にレディースプランのキャンセル料は,旅行の目的である太郎の定年退職祝いとは何らの関係もなく,通常損害とはいえないと主張するが,ツアーとして設定された海外旅行に多少のオプションが付加されるのは通常のことであり,本件において被控訴人が支払ったオプション代金はレディースプランを含めても5名分合計で13万5000円(一人平均2万7000円)であって,海外旅行のオプションとしてさほど高額なものとはいえないし,レディースプラン(2名分で3万円)は,太郎の妻二枝と一枝のためのものと推認されるが,太郎の定年退職の祝いは,太郎の妻であり,一枝らの母である二枝に対する慰労の趣旨も含まれているものと解されることからすると,本件におけるオプション相当分のキャンセル料は,レディースプランの分も含めて,通常損害とみるのが相当である。
オ 以上によれば,被控訴人が旅行会社に支払ったキャンセル料48万2500円は,その全額が本件旅券の発行と相当因果関係にある損害と認められ,仮に太郎が負担したとすれば,太郎が請求し得る損害といえる。したがって,これを現実に負担した被控訴人は,この48万2500円を請求し得るものといえる。
4 過失相殺(争点3)について
(1) 被控訴人は,太郎が負担したとしたら認容されたであろう限度で実際に負担した分を請求し得べきものであるから,本件旅券の発行に関して太郎に過失があれば,被害者側の過失として過失相殺が適用され,被控訴人の請求も制限されるものというべきである。
(2) そこで,この点につき検討するに,前記1で認定した事実によれば,太郎は,本件旅券の発給を受けるに当たり,その申請書の性別欄の「女」にチェックしたものであり,また,本件旅券の交付を受けた際,性別まで含めた旅券の記載に誤りがないかを確認するよう記載された小冊子を受け取っていたにもかかわらずこの確認を怠り,本件旅行における出国時に係官に指摘されるまで本件旅券の記載の誤りに気付かなかったというのであるから,本件旅券の交付を受け,これを使用しようとしたことに関して,太郎にも過失があるものといわざるを得ない。しかし,旅券は,外国へ旅行する者の身分,国籍を証明する公的な文書であって,旅券の発行に関する事務を担当する者は,申請者が本人であって,人違いでないことを確認した上で性別も含めた必要的記載事項を旅券に正確に記載することを職務としているのであって,出頭した太郎本人のほか,戸籍謄本,写真,身分を証明する文書等を確認すれば,太郎の提出した申請書の性別の記載が誤記であることが容易に確認し得たのであるから,担当者の過失は大きいものといわざるを得ない。以上のようなことを勘案すると,太郎の過失割合はせいぜい3割と認めるのが相当である。なお,乙第2号証によれば,旅券発給申請書の記載事項を機械で読みとることから申請書に記載された性別の誤りがそのまま本件旅券の記載の誤りになったという事情があったことがうかがわれるが,そうであったとしても上記判断は左右されない。
(3) したがって,被控訴人は,支払ったキャンセル料48万2500円の7割である33万7750円につき控訴人に請求し得ることとなる。
5 弁護士費用について
本件に現れた諸般の事情を勘案すると,本件旅券の発行と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は4万円と認めるのが相当である。
6 結論
以上の次第であるから,被控訴人の本件請求は,キャンセル料の7割である33万7750円と弁護士費用の4万円の合計37万7750円とこれに対する損害発生の後である平成17年12月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきものである。
よって,当裁判所の上記判断と同旨の原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・大橋弘,裁判官・鈴木桂子,裁判官・中村恭)