仙台高等裁判所 平成2年(ネ)405号 判決 1992年3月17日
控訴人
国
右代表者法務大臣
田原隆
右指定代理人
平尾雅世
外四名
被控訴人
泰平物産株式会社
右代表者代表取締役
原健次郎
右訴訟代理人弁護士
白石道泰
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか原判決記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の補足的主張)
仮に本件債権の実際の貸付日である債権発生日付が昭和五九年四月五日であるとしても、以下の理由により、配当の段階でこれを訂正することは許されない。
1 競売申立書等記載の被担保債権は、競売申立てに係る費用の基準にとどまらず、過剰競売の禁止や無剰余競売禁止の際の判断基準になるものであって、この基準が配当の段階において、債権の範囲の訂正により容易に変遷するのであれば、競売手続におけるこれらの制度の趣旨を没却しかねないから、配当を準備するに当たっての一資料として軽視することは許されない。
2 競売申立債権者が後に請求債権を拡張することは許されないとするのが現在の通説であり、実務の取扱であるが、その根拠の一つとされている民事執行規則一七〇条二号において「担保権及び被担保債権の表示」を、同四号において「被担保債権の一部について担保権の実行または行使をするときは、その旨及びその範囲」を競売申立書の記載事項と定めている趣旨は、申立債権者に申立段階での担保権実行の範囲を特定させる目的を有するものであるが、この債権の範囲の特定は、本件のような根抵当権において、その担保する複数の被担保債権のうちどの債権により競売申立てするかを特定し明示する趣旨を含むものであるから、同条は、申立債権の金額の拡張を禁止する趣旨のみならず、本件におけるような配当段階における債権の訂正を禁止する趣旨を含むものである。
3 一旦手続が開始された以上、特定された債権、さらに限定された債権金額を基準にして手続が進められ、債務者や後順位担保権者等他の債権者も、右債権を目安にして債権保全の措置を講ずるなどの行動を起こすのであるから、配当段階において請求債権の訂正を認めることは、手続の安定を著しく害するだけでなく、他の債権者や債務者との関係において、信義則ないし禁反言の原則に反する結果となり、請求債権の拡張と異なるところはないから、債権の訂正も認めるべきでない。申立書の記載が錯誤による誤記として安易に訂正を許すとすれば、過失のない他の関係者の犠牲の上に、過失により誤記したものを救済する結果となり不当である。
4 国税の滞納債権の場合、税務当局は、滞納者の財産を複数差押えても、競売の申立てに係る一件記録を検討し、当該不動産の競売による配当を十分受けられることが見込まれるときは、他の差押物件を解除しなければならない(国税徴収法四八条)から、配当段階に至って、競売申立書または債権計算書の債権発生日付の記載の訂正が認められることになれば、税務当局は、当初見込んでいた配当を受けられないだけでなく、前記のように、他の財産保全の機会を失い、その上さらに、その間に解除した差押物件をも失うことになって、滞納債権を確保する手段を著しく阻害されることになる。このような不利益を落ち度ある申立人ではなく、過失の全くない国が負担しなければならないということは極めて不当である。
ところで、競売申立債権者以外の届出債権者が故意、過失により不実の債権届出をした場合は損害賠償責任を負担するものとされている(民事執行法五〇条)。これとの均衡を考えると、債権を特定し、債権金額を限定する競売申立人はさらに強い責任を負担すべきであって、その責任の形態は、単に損害賠償責任にとどまらず、債権の訂正は原則的に許されないものとしなければならない。
5 競売申立書等の記載が真実に反する場合に、民事訴訟手続における自白の撤回に準じて訂正を認めることは適切でない。けだし、民事訴訟手続における自白の撤回の場合は、利害関係者が訴訟当事者だけであるし、ことの性質上、相手方当事者において、自白の内容が真実に反することを熟知している可能性が大であって、その意味で保護する利益が比較的小さいのに対し、本件のごとき競売手続においては、関係者が民事訴訟のように対立当事者に限らず、債務者や他の債権者等多数に及ぶとともに、これら関係者は申立書記載の内容が真実に反することを知り得る状況にないのであるから、競売申立書等記載の訂正が認められることにより被る不利益は、民事訴訟による自白の撤回の場合とは比較にならないからである。そもそも本件のように、最終段階において突然錯誤の主張をしている場合には、時期に遅れた攻撃防御方法の却下(民事訴訟法一三九条)の制限に服すると解するのが相当である。
6 仮に被控訴人の本件競売申立書及び債権計算書の債権発生日付の誤記が被控訴人担当者の錯誤に基づくものであり、かつ競売手続にも民事訴訟における自白の撤回の理論を準用すべきものとしても、手続の安定が強く求められる競売手続においては、その錯誤が重大な過失による場合には民法九五条但書の趣旨により撤回は認められないというべきところ、右誤記は、被控訴人担当者の重大な過失によるものであるから、過失のない控訴人等他の関係者の負担において、その訂正が許されるべきでない。
すなわち被控訴人は、不動産担保貸付等を営む金融業者であり、貸金債権回収は被控訴人の基本業務であるから、不動産競売申立書、債権計算書の作成提出等の重要な職務は、債権回収業務に精通し、不動産競売手続に十分な知識と経験を有する者に担当させるべきであり、社内組織としても、本店や上司による適切な管理システムを採用すべきであるのに、被控訴人はこれらの業務をいずれも怠った結果、競売申立書作成の段階において、大宮支店の担当者が本件債権が一つであるのに契約書が二通存在することを十分に認識していたにもかかわらず、右申立書の作成に当たる本店管理部に契約書が二通存在することを連絡せず、昭和五九年一二月二七日付の契約書のみ送付し本店管理部に誤った記載をなさしめ、また担保物件たる本件不動産の登記簿謄本を閲読し八戸税務署の差押登記を確認しながら、その意味を理解せず、優先する債権についての知識もなく、本店に問い合わせることもしないで、その誤記を配当段階まで放置していたものである。また債権計算書の作成提出の段階においても、契約書の確認を怠り、漫然、貸金債権は昭和五九年一二月二七日付のものと盲信し、登記簿謄本の八戸税務署の差押登記の確認をせず、また競売に関する一件記録を閲覧、謄写して内容を検討すらしなかったため、過誤を発見できなかったものであり、前記誤記は被控訴人担当者の重大な過失によるものというほかはない。
理由
当裁判所も本件配当表を原判決のとおり変更するのが相当であると判断するものであり、その理由は、次のとおり付加訂正するほかは原判決の理由と同一であるから、これを引用する。
1 原判決三枚目表六行目の「証人」を「原審及び当審証人」と改め、「甲二」の次に「甲八」を加える。
2 同三枚目表一一行目及び裏一二行目の「証人」を「原審及び当審証人」と改める。
3 同四枚目表一〇行目の「あったこと」の次に「や訴外会社の商号変更後の契約書の方が正確との考え」を加え、同一三行目の「証人菊地」を「原審及び当審証人菊地」と「証人平松」を「同平松」とそれぞれ改める。
4 同五枚目表三行目から同裏二行目までを次のとおり改める。
「しかしながら、執行裁判所は、右配当段階において、債権者から提出された競売申立書、配当要求書、債権計算書等や、配当期日における債権者、債務者に対する審尋、当日即時に取調べができる書証によって、配当すべき債権者、配当額を認定し、配当表を作成して配当を実施するものとされているのであり、この配当表に不服がある場合は、異議を契機とする配当異議訴訟によって、最終的に右債権者及び配当額を確定すべきものとされているのである。
したがって、競売申立書及び債権計算書は、執行裁判所が配当の準備をするに当たっての一資料となるに過ぎないものであって、その記載内容が執行裁判所を拘束することはなく、もとよりその記載内容如何によって実体的な権利関係が変更されるようなことはあり得ない。
そうすると、少なくとも異議を契機とする配当異議訴訟係属までは、申立債権者のなした競売申立書及び債権計算書の実体に符合しない債権発生日付の記載によって、他の債権者が確定的に有利ないし利益な地位を取得することはないというべきであるから、申立債権者が右訴訟係属の時点までに右債権発生日付の訂正をなしたとしても、他の債権者を害することは少なく、しかして必ずしも信義誠実ないし禁反言の原則に反するということもできないから、右訂正は許されるものというべきである。
もっとも、配当表の作成によって、配当を受けるべき債権者、配当額が形式上確定され、この配当表の取り消し、変更を求めるには配当異議訴訟において異議事由を主張立証しなければならないこととされており、この配当表によって配当を受けるべきものとされた他の債権者もその限りにおいて利益を得ている点に鑑みると、申立債権者は、自白の撤回に準じて、競売申立書等の記載、したがってまたその記載を根拠としている配当表記載の発生日付が実体上存する債権と異なること、すなわち右記載が真実に反するとともに、その真実に反する記載が錯誤のためになされたことをも主張立証しなければ、その訂正は許されないと解するのが相当である。
ところで、競売申立債権者が競売申立書に記載した請求債権を後に債権計算書等によって拡張することは許されないものと解されている。しかしながら、この場合は、申立段階において請求債権を表示し、請求債権の上限を自ら画した以上、処分権主義の帰結として以後その手続ではこれに拘束されることになってもやむを得ないなどの理由によるものであるところ、債権発生日付の記載は債権額の記載と異なって、単に請求債権がいかなる債権であるかを特定表示する一つの方法に過ぎないし、実体と符合しない債権発生日付の誤記の訂正は、処分権主義とは無縁である。したがって、債権発生日付の誤記の訂正を請求債権の拡張と同視することは相当でない。」
5 控訴人の補足的主張について
(一) 主張1について
租税の法定納期限前に設定された根抵当権であっても、滞納処分による差押通知当時存在した被担保債権の限度で租税債権に優先するに過ぎないから、競売申立書等の債権発生日付の記載も、控訴人主張のとおり過剰競売や無剰余競売の判断基準となることは否定できないが、担保権者や一般債権者の間では、債権発生日時の如何によって債権の優先順位が決せられることはないから、請求債権額に比し、右判断基準としての重要性は極めて少ない。したがって、債権発生日付が過剰競売等の判断基準として機能する場合があるからといって、請求債権の拡張と同視し、その訂正を許さないものとすることは相当でないというべきである。
(二) 同2について
本件においては、既に説示のとおり、実体上存在する昭和五九年一二月二七日発生の債権を同年四月五日発生の債権に変更するというものではなく、競売申立書に被担保債権を表示するに当たって、昭和五九年四月五日発生の債権の特定表示を誤り、その発生日付を同年一二月二七日と誤記したというものであって、事後的にその誤りを実体に符合するように是正しようとするものにほかならないから、右訂正を許しても、民事執行規則一七〇条二号、四号の趣旨に反するものということはできない。
(三) 同3について
前記説示のように、担保権者や一般債権者の間では、債権発生日時の前後によって債権の優先関係が定まるわけではないから、担保権者や一般の債権者において、請求債権額のように債権発生日付を目安として行動するとは考えられず、その訂正によって担保権者や一般の債権者が損害を受けるような事態も殆どないと思われる。したがって、債権発生日付の訂正の場合は、この点からいっても、請求債権の拡張の場合に比して、信義則ないし禁反言の原則に背反するおそれは少ないというべきであって、過失のない他の関係者の犠牲の上に、誤記したものを救済するという結果を招くとは限らない。また前記説示のように、債権発生日付が過剰競売等の判断基準として機能する場合は少ないし、そもそも手続の安定は個別具体的に検討すべきところ、本件においては、債権発生日付の訂正によって手続が後戻りしたり取り消されたりすることはないと認められるから、右訂正によって手続の安定が著しく害されるということもできない。
(四) 同4について
控訴人主張のように、税務当局において、租税滞納処分につき、誤って記載された競売申立書又は債権計算書の債権発生日付を判断基準として超過差押えとなるため一部差押物件を解除した後、右債権発生日付が訂正されたため、当初見込んだ配当を受けられないだけでなく、他の財産保全の機会を失い、解除した差押物件をも失うこととなって損害を被った場合には、民法七〇九条により、もしくは民事執行法五〇条の類推適用によって損害賠償請求できるものというべきである。したがって、右の点も、債権発生日付を実体に符合させるための訂正までも許さないとする根拠とはなし難い。控訴人は、損害賠償請求にとどまらず、原則的にその訂正を許さないものとしなければならないと主張するけれども、採用できない。
(五) 同5について
前記説示のように、配当すべき債権者及び配当額は、執行裁判所が競売申立書や債権計算書のみならず、配当期日における審尋等によって認定すべきものとされており、その結果作成された配当表の記載に異議がある場合は、異議を契機とする配当異議訴訟において、最終的に配当すべき債権者及び配当額を確定すべきものとされているのであるから、右競売申立書等に記載された実体に符合しない債権発生日付を実体に符合させるための訂正は、右配当異議訴訟の係属までは許されるというべきであるが、ただその誤記に基づいて配当表が作成された段階においては、自白の撤回の場合と同じくその誤記が錯誤に基づく場合に限定してその訂正を認めようとするものであるから、民事訴訟における自白の撤回の理論を競売手続に安易に準用しようとするものとの批判は当たらない。また配当表の記載に対する異議を通じて、錯誤を理由に債権発生日付の訂正を求めたとしても、時期に遅れたものといえないことは、右説示に照らして明らかである。
(六) 同6について
被控訴人の錯誤による債権発生日付の誤記が被控訴人担当者の重大な過失に基づく場合、右誤記の訂正は許されないと解すべきかどうか問題であるが、仮にこれを積極に解するとしても、本件においては、被控訴人に右重大な過失があったとは認めることができない。
すなわち、被控訴人の担当者は、本件競売申立書作成の際、本件債権に関して作成されている二通の金銭消費貸借契約書について、昭和五九年一二月二七日付の契約書は、単に債務者会社の商号が同年四月五日付契約書作成後に変更されたため新しい会社名義で書き改めたに過ぎないものであって、本件債権の発生日付は昭和五九年四月五日が正しいにもかかわらず、右昭和五九年一二月二七日付の契約書によって改めて金銭消費貸借契約を締結したものと誤信し、しかも同年一二月二〇日に控訴人から国税の滞納処分による債務者会社所有の本件土地に対する差押通知を受け、また本件土地の登記簿謄本によって本件土地に右滞納処分による差押登記がなされていることを確認していながら、国税の法定納期限前に設定された根抵当権の被担保債権であっても、差押等の通知を受けた当時存した債権額を限度として優先するに過ぎないことを看過して、競売申立書に本件債権発生日付を昭和五九年一二月二七日と記載したものであり、債権計算書も、漫然と右のとおり誤記された競売申立書に基づいて記載したものであることが認められる(<書証番号略>、原審及び当審証人菊地、同平松、弁論の全趣旨)から、被控訴人担当者に過失があったことは否定できないが、右のように租税との優先関係を看過したのは、被控訴人において金融業を営んでいたものの、当時の従業員に右優先関係についての知識が十分でなかったためであることが認められ(原審及び当審証人菊地、同平松)、どの従業員にも右のような知識までも完全に周知させることは必ずしも容易なこととは思われないから、たまたま本件競売申立書作成に当たって担当者が右優先関係を看過したとしても、重大な過失があったと評するのは相当でない。また被控訴人担当者が、競売申立書や債権計算書の作成に当たって、その債権発生日付を昭和五九年一二月二七日と誤記したのは、租税債権に対する根抵当権の優先限度に思い至らずに、右日付の契約書に「再締結した」旨の記載があったことや、債務者会社の商号が変更された以上そのためにわざわざ作成された契約書に従って債権発生日付を記載した方が良いと速断した結果であることが認められる(前同証拠)のであって、それも無理からぬ面があったというべきであるから、右誤記が重大な過失によるものとまでは認め難い。
(七) 以上のとおりであって、控訴人の主張はいずれも理由がない。
よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないので、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官石川良雄 裁判官山口忍 裁判官佐々木寅男)
別紙根抵当権目録
一 極度額 六〇〇〇万円
二 被担保債権 金銭消費貸借取引、手形割引取引、手形債権、保証取引、小切手債権、保証委託取引
三 債務者 十和田市大字相坂字高見一三三番地一 有限会社双葉商事
別紙債権目録
一 昭和五九年一二月二七日付金銭消費貸借による貸付金三〇〇〇万円の残元金一八一〇万円
二 昭和六〇年二月四日付金銭消費貸借による貸付金八五万円
三 昭和六〇年三月四日付金銭消費貸借による貸付金七五万円の残元金三五万円
四 一の残元金に対する昭和六〇年九月四日から、二の元金及び三の残元金に対する昭和六〇年九月三日から、いずれも支払ずみまで年三〇パーセントの割合による遅延損害金
別紙物件目録
所在 青森県三戸郡階上村大字道仏字耳ケ吠
地番 九番一
地目 宅地
地積 3122.14平方メートル