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仙台高等裁判所 平成7年(行ケ)2号 判決 1995年10月09日

原告

検察官検事

藤河征夫

被告

齋藤道雄

右訴訟代理人弁護士

池田德博

山口新一

主文

一  平成七年四月九日施行の山形県議会議員一般選挙における被告の当選は、これを無効とする。

二  被告は、本判決が確定した日から五年間、東田川郡選挙区において行われる山形県議会議員選挙において、候補者となり、又は候補者であることができない。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  申立

原告は主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二  主張

[以下、「法」とは、平成六年法律第一〇五号による改正後の公職選挙法をいう]

一  請求原因

1  被告は、平成七年三月三一日告示され、同年四月九日施行された山形県議会議員一般選挙(以下「本件選挙」という)に東田川郡選挙区(以下「本件選挙区」という)から立候補して当選し、同月一二日、山形県選挙管理委員会からその旨告示され、現在、同県議会議員に在職中の者である。

2  樋渡直治(以下「樋渡」という)は、本件選挙における被告の選挙組織である選挙対策本部事務局員として、その選挙運動の計画を立案して実質的な決定をなし、このほか当該選挙運動に従事する者に対する指揮等を行っていた者であり、法二五一条の三第一項にいう「組織的選挙運動管理者等」に該当する者、大滝巌(以下「大滝」という)は、同本部の本部長兼総括責任者として同本部を代表していた者であるが、本件選挙に当り、樋渡は平成七年二月上旬頃、大滝は同月中旬頃、それぞれ被告との間で、同本部を組織してこれにより選挙運動を行うことにつき意思を通じ、以後、同本部においては、樋渡が中心となって、同年二月上旬頃から、被告のため選挙運動とその準備を行っていた。また、齋藤總子(以下「總子」という)は、被告の配偶者であり、同年三月上旬頃以降、被告と意思を通じて選挙運動をしていた。

3  樋渡及び總子は、本件選挙に際し、本件選挙区から立候補する決意を有していた被告に当選を得させる目的をもって、

(一) 共謀の上、同年三月一六日頃、山形県東田川郡余目町大字西袋字駅前六四番地の二所在の被告方において、被告への投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、本件選挙区の選挙人で、かつ、被告の選挙運動者である菅原冨雄及び齋藤二郎に対し、それぞれ金一〇万円を供与し、一面、立候補届出前の選挙運動をし、

(二) 菅原冨雄と共謀の上、同月一七日頃、同郡羽黒町大字手向(とうげ)字手向三五五番地の三所在の同人方において、前同様の趣旨の報酬として、本件選挙区の選挙人で、かつ、被告の選挙運動者である清野重松に対し、現金七万円を供与し、一面、立候補届出前の選挙運動をし、

もって、法二二一条第一項第一号等の罪を犯したところ(以下、これらを「本件選挙違反」という)、同年六月六日、山形地方裁判所鶴岡支部において、右の罪により、いずれも禁錮以上の刑である懲役一年二月(ただし、四年間執行猶予)に処せられ、それらの刑は同月二一日確定した。

4  よって、検察官である原告は、法二五一条の三第一項及び同法二五一条の二第一項により、本件選挙における被告の当選は無効であり、かつ、被告は、本件についての原告勝訴の判決が確定した日から五年間、本件選挙区において行われる山形県議会議員選挙において、候補者となり、又は候補者であることができないと認め、法二一一条第一項に基づき、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、大滝が被告の選挙対策本部の本部長兼総括責任者として同本部を代表していた者であること及び總子が被告の配偶者であることは認めるが、その余の事実は否認する。なお、選挙運動の計画立案は、被告の後援会であるマルミチ道和会の合議において決せられるものであり、樋渡は単なる事務的な分担者にすぎない。

3  同3の冒頭の事実は否認するが、その余の事実は認める。

4  同4の主張は争う。

三  抗弁

1  免責(法二五一条の三第二項第三号)

被告は、選挙浄化の責任を果すため、選挙対策本部事務所内、連絡所の各事務所内に、買収、供応行為等を禁ずる旨のポスターを貼付したほか、選挙対策本部役員、運動員及び各連絡所内の責任者、運動員等に対し、法に反することがあると、折角当選してもこれが無効になったり、五年間の立候補制限を受けることがあるので、絶対に選挙違反を起こさないよう訓示していた。また、事務所開きの際、参集した有権者に対し演説した場合も、同様に連座制の趣旨を説明して選挙浄化を訴えていたのである。したがって、本件選挙における被告に対しては、同法条第一項の適用はないというべきである。

2  憲法三一条違反

法(前記改正にかかる公職選挙法)の公布日は平成六年一一月二五日、その施行日は、同年一二月二五日であるところ、本件選挙の告示日は平成七年三月三一日であり、投票日は同年四月九日であって、法律の改正の場合、通常、その周知期間は、最低でも六か月を要するとされていることに比較すると、本件の法改正の周知期間は余りに短く、改正内容が選挙運動員や支持者に周知徹底されていたとは到底いえない状況であった。前記1のとおり、被告は選挙違反防止に努めていたにもかかわらず、本件選挙違反が起きたことは、右周知期間の絶対的不足が決定的要因となっている。加えて、本件の基礎事実たる違反行為は、その違法性の程度からして可罰性に疑問があり、このような選挙違反について連座制を適用することは、憲法三一条に違反する。

3  裁量棄却

本件選挙違反における金員の授受は、もっぱら経費であるとの認識の下になされ、かつ、後日、その領収証等が発行されることも確実であったし、清算も行われる予定であった。このような違法性の極めて小さい金銭の授受を刑事事件として立件し、その有罪判決が確定したからといって、それを基礎事実とする当選無効等の訴訟を提起することは権利の濫用であり、裁量権の逸脱である。また、被告は、本件の金銭授受行為の有無に関係なく、他地区の投票数によって優に当選を果しているのであって、この選挙人の意思を無視すべきではない。これらに前記2のような改正法の周知期間の絶対的不足や、本件の刑事事件の内容、被告の当選の状況その他一切の諸事情を勘酌すれば、本件請求は裁量的に棄却されるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁1ないし3の主張は争う。

第三  証拠の関係は記録中の証拠目録記載のとおりである。

理由

第一  争いのない事実と争点

一  被告が平成七年四月九日施行の本件選挙に本件選挙区から立候補して当選し、同月一二日、山形県選挙管理委員会からその旨告示され、現在、同県議会議員に在職中の者であること、大滝が本件選挙における被告の選挙対策本部の本部長兼総括責任者として、同本部を代表していた者であること、總子が被告の配偶者であることは、いずれも当事者間に争いがない。また、請求原因3の事実(本件選挙違反)中、冒頭の部分(樋渡と總子が被告に当選を得させる目的をもっていたこと)以外は当事者間に争いがなく、右除外部分の事実については、刑事事件の判決が確定している以上、当裁判所としては右判決内容に拘束され、その認定を前提として当選無効等の宣言をすべきか否かの判断をしなければならず、それで足りるのである。

二  したがって、本件の争点は、樋渡が法二五一条の三第一項にいう「組織的選挙運動管理者等」に該当するか、總子が被告と意思を通じて選挙運動をしたか、樋渡の選挙違反について被告主張の免責事由(無過失)が認められるか、本件当選無効等の請求が憲法三一条に反するか、右請求について裁量的な棄却をなすべきであるか否かの諸点である。

第二  認定事実

一  成立に争いのない甲第七ないし第四二号証、原本の存在とその成立に争いのない乙第六号証によれば、以下の事実が認められる。

1  被告は、以前、余目町議会議員をしていたが、その二期目の任期を残した昭和五四年に山形県議会議員の選挙に立候補し、その時は落選したものの、その後の昭和五八年の県議会議員の選挙で当選し、以後、昭和六二年と平成三年の選挙でも再選された。昭和五八年頃、被告の後援会としてマルミチ道和会(以下「道和会」という)が作られたが、これは従来の「齋藤道雄をはげます会」の名称を変えたものであり、「マルミチ」とは、被告の経営していた株式会社マル道砂利(現在の代表取締役は總子)からとったものである。道和会は、選挙がない時には、ゲートボール大会などの親睦行事を行ったり、会報を作る程度の活動しかしていないが、選挙が近づくと道和会の組織を利用した選挙対策組織を作り、被告を当選させるための運動を展開していた。道和会の本部事務所が置かれてある「マルミチ会館」は、被告の自宅と棟続きである。道和会には、本部のほか、各町村単位に総括支部があり、その下に地区支部、さらにその下に部落支部が置かれ、それぞれ総括支部長や、支部長が置かれていたが、総括支部は選挙の際、選挙運動の拠点となる選挙対策連絡所の責任者(総括支部長)を決めるだけの存在にすぎず、部落支部も普段は実体のない存在であった。

2  平成七年当時の道和会の会長は、總子の従兄弟にあたる余目町議会議員の佐藤利男であり、事務局長はかねてから被告と付合いのあった佐藤一雄で、他の役員としては、以前から被告を応援してきた日下部作右衛門(以下「日下部」という)、樋渡、大滝、佐藤栄、檜山久などがいたが、道和会の常勤の職員としては樋渡がいるだけであった。樋渡は、昭和五五年に余目町の職員を退職後、株式会社マル道砂利の事務員となり、昭和六〇年三月に同会社を退職後、道和会の職員となったものであるが、選挙がないときは、殆ど道和会の仕事がないため、必ずしも毎日出勤していたわけでもないし、出勤したときもマル道砂利の電話番のようなことをしていた。

3  被告の昭和五八年と昭和六二年の選挙に際しては、日下部がいわゆる選挙参謀となり、支持者の名簿などを活用して票読みをしたり、より幅広い支持を得るのにふさわしい選挙運動の進め方を計画したり、その計画に基づいて運動員の指揮をとるなどしていたが、平成三年の選挙の際は、日下部が高齢を理由に、参謀役から引退し、それまで同人の手伝いをしていた樋渡が選挙参謀役を務めることになった。同選挙に際し、樋渡は、自ら選挙対策組織作りをしたり、票読みやそれに基づく選挙運動の計画を立てたり、運動員を指揮したりする立場になったが、独断専行と見られるのを避けるため、道和会の役員会に意見を提案し、その承諾を得てから事を進める形をとっていた。もっとも、日下部が引退してからは、道和会には、選挙運動に精通している者が樋渡しかいない状態になったため、樋渡が役員会に提案したことはそのまま承認されるのが実情であり、樋渡は、その承認を受けたことを、直接あるいは總子を介して被告に報告しながら選挙運動を進め、被告は、殆どの場合このようにして決められた選挙運動の方針に従って行動していた。ただ、これら選挙運動の資金の管理は被告の妻である總子が行っており、樋渡は全く関与していなかった。

4  平成七年の本件選挙には、有力な新人の立候補が予想されたため、選挙戦は相当厳しいものとなる情勢であり、被告は、一時は立候補を断念しかけたものの、結局、立候補することを決意し、平成六年秋頃、その旨を樋渡に伝えた。樋渡は、前回の平成三年の選挙の際、年が明ける前から選挙対策組織を作り、選挙運動を事実上始めたところ、出足は好調であったものの、途中で中だるみし、選挙戦終盤で地盤の引締めを図るのに苦労した経験から、本件選挙に際しては、年が明けてから選挙対策組織作りをしようと考え、平成六年一二月頃、その方針を日下部のほか、阿部久一ら道和会の役員に伝えた。そして、平成七年一月中旬、樋渡は、道和会の役員会招集に先立ち、日下部に選挙運動の大まかなスケジュールを作ってもらおうと考え、その旨を依頼し、日下部が「選挙準備計画」と題する書面を作成した。同月一九日、本件選挙に向けての道和会の第一回の役員会が開かれ、選挙活動が開始されたが、同日の役員会では、選挙の総括責任者を前回と同じく大滝に頼むということが決まっただけで、各人の具体的な役割分担を決めるのは樋渡に一任される形になった。

5  その後、樋渡は、前回の選挙の際の組織等を参考にして、総務、庶務、街宣、ポスター等の八つの役割分担とその担当責任者を決めた別紙の「選挙対策組織図」を作り、同年二月上旬の二回目の役員会に諮ったところ、その内容がそのまま承認された。右組織図に出てくる者の中で、役員会に出席していなかった者については、樋渡が個別に協力を要請することになったが、選挙対策本部長兼総括責任者となる予定の大滝については、地位の重要性から被告自身に依頼してもらうこととし、被告が同年二月中旬頃、大滝を自宅に呼んで、就任を要請し、その了解を取り付けた。また、道和会の支部単位の組織については、樋渡が、前回の選挙で各町村の総括支部長として道和会の各支部の連絡所の責任者となってもらった者を中心に人選を行い、同年一月下旬から二月上旬にかけて個別に右道和会の連絡所(以下「連絡所」という)の責任者となることについての了解を得た。連絡所は実質は被告の選挙対策事務所であったが、選挙の告示前であったことから、道和会の連絡所という形にしていたものである。連絡所は、原則として各町村に一ケ所ずつ(余目、櫛引、立川、三川、朝日、藤島)置かれていたが、羽黒町だけは泉地区と広瀬地区の二ケ所に置かれており、今回はそれに加えて手向地区にも連絡所が設けられることになった。右手向地区の連絡所の設置については、その分、費用もかかることから、樋渡は事前に總子の了解を得ている。また、樋渡は、本件選挙の選挙運動について、個人演説会を中止し、その分、街宣活動に力を集中するという方針を打ち出し、第二回の役員会でその運動方針について了解を得た。これら選挙対策本部の役割分担と担当責任者の決定、道和会の総括支部長兼連絡所の責任者の人選、選挙運動方針の決定等についても、樋渡から直接あるいは總子を介して被告に報告されていた。

6  本件選挙においても、資金面の管理は總子が担当することになり、同女は、平成七年二月下旬以降、夫である被告が所属政党からの公認料や支援者からの陣中見舞として受領した現金をその都度被告から預かり、これを必要の都度支出していた。樋渡は、各連絡所で必要とする事務所の賃料、水道光熱費、通信費、交通費等については、原則として後払いとし、各連絡所の責任者に立替払いをしてもらった場合も含めて、投票日のあとに請求書や領収書を添えて請求するように依頼し、その旨を各責任者らに指示していたが、投票日以前にも右請求が直接樋渡に対してされることも多く、樋渡はその請求を總子に取り次いで金員を預かり、それをこれらの責任者等に支払う場合もあった。なお、選挙運動に関する支出は、本来、出納責任者がすることが法の原則であるが、被告の選挙対策組織においては、出納責任者は、選挙管理委員会に報告する収支報告などの書類の作成に署名押印するだけの存在であり、実際の資金の収支管理は總子が行っていた。

7  同年二月二十八日に余目、立川、三川、泉の、同年三月一〇日に櫛引、朝日の、同月一三日に手向、藤島の、各連絡所の事務所開きが行われ、同月二二日には、広瀬の事務所開きと、既に事務所開きを終えていた余目の連絡所を選挙対策本部事務所に衣替えするための祈願祭等が行われたが、これら事務所開き等の日程も、樋渡が各連絡所の責任者に指示したものである。右余目の事務所は、前記道和会の本部事務所とは別の場所にあり、同所が表向きの選挙対策事務所となっていたが、実質的な選挙運動の指揮は、樋渡がマルミチ会館にある本部事務所でとっていた。樋渡は、前記各事務所開きに際し、道和会の各役員らに出席を依頼して、挨拶と被告への投票呼掛けをしてもらったほか、被告にも事務所開きの際の挨拶を要請した。ただ、三月一三日の手向の連絡所の事務所開きに当たっては、被告本人の都合がつかなかったため、代わって妻の總子に挨拶に出掛けてもらうことにしたところ、總子は、あまり人前に出たがらない性格で、当初その出席を渋っていたが、結局、樋渡に説得されて同連絡所に赴き、集まった支援者の前で挨拶をした後、同連絡所の責任者である菅原冨雄の依頼で、その近くにある数軒の有権者の自宅を訪問し、被告への投票を依頼した。

8  樋渡は、同年二月下旬から三月上旬頃にかけ、三川町の町議会議員で被告の支持者である和田進から、他の陣営では、候補者本人が有権者の家を回って支持を集めているので、せめて被告の妻に三川町に来てもらい有権者の家を回るようにしてほしいとの要請を受けたため、總子にその旨を伝えたところ、同女は最初は尻込みしていたが、樋渡を通じて再三和田からの要請があったことや、夫である被告に相談したところ、被告からもそれ位はするようにと言われたため、これに応ずることとし、同月上旬、三川町に赴き、和田の案内で、地元の有権者五〇ないし六〇軒位を回り、被告への投票を依頼した。また、總子は、やはり樋渡の要請で、同年三月二七日、羽黒町の手向地区にある二ケ所の公民館で、夫である被告への投票を呼び掛けたほか、同月三一日の告示日に余目駅前の神社で被告が選挙運動の第一声をあげた際、被告の隣に付き添い、集まった聴衆に頭を下げ、被告への投票を依頼した。

9  同年三月一四日か一五日頃、羽黒町の手向連絡所の責任者であった菅原冨雄からマルミチ会館にいた樋渡のところに、連絡所を設置すると何かと金がかかるので、本部の方で面倒をみてほしい、羽黒町の三ケ所の連絡所の分をまとめてとりに行くとの電話があった。樋渡は、これを聞いて、菅原が要求している金は、連絡所の賃料や水道光熱費等ではなく、連絡所に集まる人に飲み食いさせる費用や、各地区の有権者に働き掛けてもらうことについての謝礼であろうとの察しをつけ、そのような金を渡せば選挙違反になるとは思ったものの、連絡所に地域の有権者を集めて被告への投票を依頼する際には、酒食のもてなしは欠かせないとの認識や、厳しい選挙戦となることが予想される状況下でこの要求を断れば、被告はけちだという悪評を立てられて得票にも響きかねないとの判断から、要求を呑むほかないと考え、菅原からの電話を總子に伝えるとともに、どうすべきかと相談する總子に、要求どおりに金を出さざるをえないのではないかと話した。そこで、總子も、樋渡の考えに同調し、同月一六日、自宅(被告の肩書住所地)において、樋渡が案内してきた前記菅原冨雄と泉連絡所の責任者の齋藤二郎の二人に、被告への投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬としてそれぞれ現金一〇万円を供与するとともに、右菅原を通じ、同月一七日、広瀬地区の連絡所の責任者であった清野重松に、同様の趣旨で現金七万円を供与した(この現金使途の事実は当事者間に争いがない)。右金員の交付に当り、總子がその金員の使途を指定したり、領収証を要求したことはない。

以上の事実が認められる。

二  もっとも、証人日下部作右衛門、同佐藤一雄、同樋渡直治の各証言及び被告本人尋問の結果中には、右認定に反し、本件選挙の選挙運動の企画、立案等は、日下部が全般を指導し、総括責任者の大滝と事務局長の佐藤一雄が参謀的な立場に立ちながら、道和会の役員会で決定されていたものであり、樋渡は、事務職員として、それら役員会で決定された事項を伝達、連絡していたにすぎず、別紙選挙対策組織図に記載された選挙対策本部の役割分担等も、日下部と佐藤一雄が相談して決め、それを樋渡が清書したものである旨の供述部分がある(成立に争いのない乙第七号証の菅原冨雄の陳述書の記載も同旨)。

しかしながら、前記一掲記の甲号各証によれば、右各証人らはいずれも、請求原因3の選挙違反の刑事事件の捜査段階においては、検察官の取調に対し、樋渡が本件選挙運動の計画の立案から実行に至るまで中心的な役割を果していた旨を一致して相当具体的に供述しているところ、これら供述調書の任意性や信用性に疑問を投げかけるべき事情も見当たらない。前記各証人らは、本件選挙違反についての刑事責任の追及が他の道和会の関係者に及ぶことを虞れるとともに、余目町の町議会議員の選挙に立候補していた被告の関係者に悪影響が及ぶことを懸念し、検察官に誘導されるまま、すべての責任を樋渡になすりつける供述をし、樋渡も責任を自分一人でかぶるつもりで同様の供述をしたなどと述べるが、前記甲号各証によれば、右捜査段階において、樋渡と總子以外の選挙関係者が刑事責任を追及される具体的な虞れがあったとは認め難いし、右各証言等によっても、右町議会議員選挙に及ぼす影響なるものは極めて抽象的で漠然としたものであり、そのような事情だけで、各証人らが、犯罪事実の成否に直接関わるものでもない事柄について、揃って虚偽の供述をしたとは考え難い。さらに、前掲甲第三七、第三八号証によれば、保釈後の刑事事件の公判廷においても、樋渡は、選挙に関しての大まかな計画は同人が決めていたものであり、事務所開きをいつ行うか、その際、道和会の役員の誰を派遣するか等も同人が決めて指示していたこと、手向の連絡所の事務所開きに總子が行ったのも樋渡の依頼によるものである旨述べているほか、總子も、本件の選挙運動は樋渡が取り仕切っていたのが実態であることを認めているのであって、これらの事実に照らせば、本件の選挙運動の組織と実態、その中で樋渡が果たした役割は前記のようなものと認めるほかなく、これに反する前記各証言等は採用し難い。

また、証人佐藤一雄、同樋渡直治、同齋藤總子の各証言及び被告本人尋問の結果中には、總子は、選挙資金の保管はしていたけれども、その管理をしていたのは被告自身であり、總子が支出するかどうかの決定、判断権はなかった旨の供述部分があるが、他方、總子は、右証言において、本件選挙違反にかかる金員は自己の判断で支出したことを認めている上、保釈後の公判廷における供述でも、同女が選挙資金の管理をしていたこと、その総額や使い途については、同女と樋渡は知っていたものの、被告には知らせていなかったことなどを供述しているのであって(前掲甲第三八号証)、これらの事実からすれば、右各証言等はこれを採用し難い。なお、証人齋藤總子の証言及び被告本人尋問の結果中には、總子が三川町の有権者の家を回ったり、手向連絡所の事務所開きや、手向地区の公民館に赴いたりしたのは、被告と何らの連絡も相談もなく、總子自身の判断で行ったものである旨の供述部分もあるが、本件の選挙運動中も、總子と被告は起居をともにしていたものであるし(右証言)、總子は、三川町の有権者の家を回ったのは、夫の要請もあったためである旨保釈後の公判廷の供述でもこれを認めていること(前掲甲第三八号証)などからして、右各証言等もこれを採ることができない。

以上のほか、前記認定を左右するに足る証拠はない。

第三  判断

一  樋渡の選挙違反による当選無効等について

1 前記認定事実によれば、本件選挙に関し、樋渡と大滝は、遅くとも平成七年二月中旬頃までには、被告のため、道和会の組織を利用した選挙対策本部により選挙運動を行うことにつき、被告と意思を通じていたことは明らかであるし、樋渡は、右選挙運動について、同本部の各部署や、その各支部に相当する連絡所の責任者を選任したほか、各連絡所の事務所開きの日時を決定して各責任者に指示するとともに、右事務所開きに際しては、道和会の各役員や被告らの出席を要請し、また、個人演説会を中止して、街宣活動に力を入れるという方針を立て、さらに、被告の妻である總子をして、三川町の有権者の家を回らせたり、現金供与をさせるなど、本件の選挙計画の立案・調整、運動方針の決定、運動員の指揮監督等を行っていたものであるから、法二五一条の三第一項にいう組織的選挙運動管理者等に該当することは明らかである。

2  被告は、抗弁1記載のとおり、被告が選挙浄化の責任を果すため、買収等を禁ずるポスターを貼ったり、選挙違反を起こさないよう訓示するなどしていたから、法二五一条の三第一項の適用はない旨主張し、乙第四、第五号証のポスター(遠絡所及び事務所内では飲酒を絶対に禁止するという内容のもの)を提出するほか、証人佐藤一雄、同樋渡直治の各証言及び被告本人尋問の結果中には、右主張に沿う供述部分がある。

平成六年法律第一〇五号で二五一条の三を追加し、連座制の対象者を組織的選挙運動管理者等(以下この項に限り単に「管理者」という)にまで拡げた法改正の目的は、選挙浄化の一層の拡充徹底を図る点にあり、したがって、総括主宰者等のみが連座制の対象者とされていた従前の場合以上に、公職の候補者等は選挙浄化のための努力をしなければならなくなったわけである。管理者の選挙違反を理由として当選を無効としたり、立候補の制限をするのは、右目的を担保し努力傾注に期待するための措置なのであるから、候補者等が選挙浄化のための努力を尽くし、その責任を果したといいうる場合には、同条二項三号の「(買収等の選挙犯罪を)行うことを防止するため相当の注意を怠らなかったとき」に該当するものとして、連座制の適用を免れることになる。右の目的と制裁とはこのような関係になっているので、右条文の解釈としては、如何に努力しても結果的に管理者による選挙犯罪が生ずれば連座制の適用を受けるのを免れることができないというのではない代りに、通り一遍の注意や努力をすれば連座制の適用除外となるというのでもなく、そのためには、管理者が買収等をしようとしても容易にこれをなすことができないだけの選挙組織上の仕組を作り、維持することがその内容になるものと考える。すなわち、右目的の達成をも念頭においた組織内の人的配置をして、管理者に役割・権限が過度に集中しないように留意し、選挙資金の管理・出納が適正明確に行われるよう十分に心掛け、その上で、対象罰則違反の芽となるような事項についても、この防止を計るために候補者等を中心として常時相互に報告・連絡・相談しあえるだけの態勢にしていたと認められることなどがこれに該当しよう。それでもなお管理者において買収等の選挙犯罪をしたとすれば、それはその者限りの責任であるとして、このような場合には連座制の適用が免除されうると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前記の被告主張どおりの事実があったとしても、それだけでは選挙違反を防止するための措置としては一般的、抽象的にすぎ、実効性に乏しいものというほかなく、そのような努力をしただけで、法二五一条の三第二項第三号にいう「相当の注意を怠らなかった」といいうるものではない。本件選挙違反は、被告の選挙運動を取り仕切っていた樋渡が、選挙資金の管理を委ねられていた被告の妻總子と共謀の上、本件選挙区の選挙人で、かつ、被告の選挙運動者である菅原冨雄らに、現金二〇万円を渡したほか、總子及び右菅原と共謀の上、同様の立場にある清野重松に七万円を渡したというものであるところ、前記認定事実によれば、樋渡が右のような違反をするに至ったのは、被告が選挙運動の計画の立案から運動員の指揮監督に至るまでの選挙運動の中心的役割をほとんど樋渡一人に任せ切りにし、その行動を適切に管理監督する態勢がとられていなかったことに加え、選挙資金についても、法の規定する出納責任者は名目上の存在にすぎず、被告の妻である總子に事実上資金の管理が委ねられていたため、樋渡と總子の意思連絡のみで、容易に本件のような違法な資金の供与をなしえたということが大きな要因となっているのであって、これらの事実に照らせば、組織的選挙運動管理者たる樋渡が本件の如き選挙違反を行わないように、これを防止するための相当の注意を被告が怠らなかったとは到底いえないから、抗弁1の無過失免責の主張は理由がない。

二  總子の選挙違反による当選無効等について

總子は被告の配偶者であるところ、前記認定事実からすれば、同女は、被告のため選挙運動の資金を管理し、必要の都度これを支出していたほか、被告と相談の上、三川町の有権者の家を回るなどしており、本件選挙に当り、被告と意思を通じて被告のため選挙運動をしていたことは明らかであるし、同女の選挙違反について、なんらかの免責事由があることの主張、立証はない。

三  憲法三一条違反について

被告は、本件の法改正の周知期間が通常の場合に比して短く、改正内容が選挙運動員らに周知徹底されていたとはいえないこと、被告が選挙違反防止に努めていたにもかかわらず、本件違反が起きたのは、このような周知期間の不足が決定的要因となっていること、さらに、本件違反行為は、違法性の程度が低く、可罰性に疑問があることなどから、本件選挙違反に連座制を適用することは憲法三一条の精神に反すると主張する。

しかし、被告が必ずしも選挙違反防止のための努力を尽くしたといえないことは前記一2のとおりであるし、本件選挙違反が決して軽微なものではなく、違法性が低いものでもないことは、刑事事件の判決(成立に争いのない甲第二号証の一、二)が指摘するとおりであり、被告主張のように法改正の周知期間が必ずしも長くなかったことを考慮しても、本件選挙違反により被告の当選を無効とすること等が憲法三一条に反するとはいえない。

四  裁量棄却について

被告は、本件程度の選挙違反があったからといって、当選無効等の訴訟を提起するのは権利の濫用であり、裁量権の逸脱である旨、また、被告は本件の金銭授受行為の有無にかかわらず優に当選するだけの投票を得ており、このように被告を県議会に送り出した選挙人の意思を無視すべきではなく、さらに、改正法の周知期間の不足などの諸事情を考慮して、本訴を裁量的に棄却すべきであるとの趣旨の主張をするが、本件の選挙違反が決して軽微なものとはいえないことは前記のとおりであるし、そもそも、右のような事柄が法に基づく当選無効等の請求を裁量的に棄却すべき事由になるとは解し難い。なお、被告は、本件選挙違反における金員の授受は、もっぽら経費であるとの認識の下になされ、かつ、後日、その領収証が発行されることも確実であったし、清算が行われる予定であったとも主張するが、右金員の性質についての認識は、前記一の9のようなものであったとみられるし、右金員授受の際、その領収証の発行や、清算が予定されていたとも認め難い(乙第八、第九号証が後日作成されたものであることは被告自身説明しているところであるから、右認定を左右するものではない)。

したがって、この点についての被告の主張も理由がない。

第四  結論

よって、法二一一条第一項に基づく原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林啓二 裁判官及川憲夫 裁判官小島浩)

別紙<省略>

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