仙台高等裁判所 昭和26年(う)512号 判決 1952年3月26日
控訴人 被告人 岩沢喜代三
弁護人 平田半
検察官 西海技芳男関与
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人平田半の控訴趣意は記録中の同人提出にかゝる控訴趣意書の通りであるからこゝに之を引用する。
其第一点について。
原判示事実は、被告人は昭和二十五年四月二十五日………居宅に於て………の債務のため………福島地方裁判所執行吏二瓶武治のため、其所有にかゝる製繩機三台、一馬力モーター一台竝びに酒井勇寿より借受け使用中の桜井式製繩機一台を差し押えられ保管を命ぜられたが、右差押に標目公示を施さなかつたのに乗じ、(一)、同年五月頃………差押されたことの情を知らない根本与衛に………前記………製繩機四台及び再製機一台を見返りとして金策方を依頼するとともに物件の搬出方を依頼し、同人を通じ同年七月頃右製繩機四台及び再製機一台をほしいまゝに………居宅内より同郡門田村字徳久千二百四十番地峯岸徳意方に搬出させてこれを横領し、(二)、同年七月中永島徳衛に対し、前記………一馬力モーター一台を、ほしいまゝに同人に対する金一万円の貸金債務の担保として提供することを承諾した上、………差押されたことの情を知らない同人をして前記一馬力モーター一台を被告人の居宅内より同郡神指村大字中四合字小見百八十番地なる同人方に搬出させて之を横領したものである、となつて居り、被告人の此所為に刑法第二百五十二条が適用されて居る(是は勿論刑法第二百五十二条第二項を適用した趣旨であろう)。此判示事実に依れば其判示差押は債務者(即ち被告人)の占有中に在る有体動産の差押として民事訴訟法第五百六十六条以下の規定の適用を受くべきものに該当することは明である。ところで右民事訴訟法第五百六十六条第一項第二項に依れば、債務者の占有中に在る有体動産を差し押えるにつき、執行吏は之を債務者の保管に任ずることは許される(一定の条件の下に)が、其場合には封印其他の方法を以て差押を明白にするときに限り差押が効力を生ずるのであつて、執行吏が差押を明白にすべき何等の措置をも講じないときには差押は効力を生じないもの、従つて差押の目的物の占有は執行吏に移らないものと解するのが相当である(大審院判決、大正十年(れ)第一一〇〇号、同年十月四日宣告)。然るに原判示事実には、「被告人は………を差し押えられ保管を命ぜられたが、右差押に標目公示を施さなかつたのに乗じ………」とあつて、執行吏が差押の目的物たる原判示五箇の有体動産に「差押を明白にする」措置を講じたのではないことが原判示夫自体に於て既に明である。(本件の証拠上、差押を明白にする措置が講ぜられたことを認め得るかどうかについては後記に譲る)。従つて原判示事実に依れば、原判示差押は効力を生ぜず、差押の目的物たる五箇の有体動産の占有は執行吏に移らないことになる。然らば被告人は右五箇の動産を原判示(一)、(二)、の様に他に処分したとて刑法第二百五十二条第二項の横領罪に問擬される謂われなきものと謂はねばならぬ。然るに原判示は原判示被告人の所為を右法条に問擬して居るのであるから、原判決は罪となることのない事実を摘示して其上に有罪の法令を適用したのであり、摘示事実と適用法令との間にくいちがいがあるのであつて、此意味に於て原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。
仍て控訴趣意の他の点に対する判断をなすまでもなく、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百七十八条第四号に則り原判決を破棄し同法第四百条但書に従い当裁判所は更に次の通り判決する。
(当裁判所の自判)
本件公訴事実は、
被告人は昭和二十五年四月二十五日自己の所有する一馬力モーター一台、製繩機三台、繩再製機一台、ベルト四本竝酒井勇寿より借受使用中の桜井式製繩機一台を福島地方裁判所執行吏二瓶武治より債権者井原仲蔵の為差押を受け、福島県北会津郡神指村大字黒川の自宅に於て引続き之を占有保管中の処、
一、同年七月上旬根本与衛に対し右物件中製繩機四台繩再製機一台を他に売却方又は之を担保に入れ金融を受くべきことを委嘱し、其頃同人をして右物件を右自宅より同県同郡門田村字徳久、峯岸徳意方に前記趣旨の下に搬出せしめ、
二、同年七月頃右自宅に於て、永島徳衛に対し、前示一馬力モーター一台を同人に対する債務の担保に供する趣旨で交付し、
以て夫々横領したものである。
と謂うに在る。
仍て案ずるに、記録に現はれた総ての資料に依るも、公訴事実に曰う「差押」に際し、執行吏二瓶武治が民事訴訟法第五百六十六条第二項に所謂「差押を明白にする」措置を講じたことを認めることが出来ないから、公訴事実に曰う「差押」は其効力を生じたものとは解されず、差押の目的物たる叙上動産の占有は債務者即ち被告人から同執行吏に移つたとは見られない。従つて右差押の目的物を被告人が公訴事実一、二に曰う様に他に処分したことがあつたとしてもそれは公訴事実にいうところの犯罪を構成するものではない。畢竟公訴事実はその証明がないことに帰するのであるから刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に対し無罪の言渡をする。
仍て主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 高橋雄一 裁判官 佐々木次雄)
弁護人平田半の控訴趣意
第一点原判決は証拠の取捨並価値判断を誤りひいて無罪とすべきものを有罪の認定をした違法の判決であると思料するから破毀せらるべきものと信ずる。
一、原判決に於て認定している「被告人は昭和二十五年四月二十五日福島県北会津郡神指村大字黒川四二六番地の居宅において、債権者井島仲蔵に対する金五万余円の債務のため同人の委任を受けた福島地方裁判所執行吏二瓶武治のため、その所有にかかる製繩機三台一馬力モーター一台並びに酒井勇寿より借受け使用中の桜井式製繩機一台を差押えられ保管を命ぜられた」との事実が果して引用の証拠によつて認め得るや左記証拠関係の御検討をお願いする。(一)被告人の原審第一回公判廷に於ける「私の処に執行吏が一度来たことはあるが差押の点は差押の封印もしなくて、又差押の表示もしませんでしたし、差押物件の目録をもらつたこともなく、私は差押されたことはわかりませんでした、又差押された品物の保管を命じられた事もありません」との供述。第三回公判廷に於ける「執行吏が何しに来たと思つたかとの裁判官の問に対し、最初来たときは執行吏かどうか判らなかつたのですが帰る時名刺を貰つて初めて執行吏と判つたのです。裁判官、執行吏が行つた時公正証書謄本を貰つたか、答、貰いました、裁判官、執行吏は何の為に来たと思つたか、答、借金が返せぬので金の支払を求めるために脅かしに来たと思いました、それは差押と言つても何もしなかつたので差押をした事はわからなかつたのです」との供述。(二)証人鈴木捨蔵の証言中「差押をするという事で封印も何もしなかつたと思います、問、執行吏は岩沢に対して何か注意しなかつたか、答、差押をしたから封印を破毀したり、又移動をしたりすると、罰になるという様な事を言いました。調書は現場では作りません」との供述。(三)証人二瓶武治の証言中「公示はしました、差押の表示をした事は間違いありません」と断定しながら後になつて………封印はしません、本人に警告をしたかどうか記憶ありません、差押を無効にする様な事をすれば刑罰に処せられるという事を話した記憶ありません、被告に差押物件の保管を口頭で命じました、どういうことを云つて命じたか本件の場合具体的に記憶ありませんが普通は差押されたものを「なくさないでおけ」と言つて来ます、裁判官の被告人は差押の表示もしなかつたし又保管を命じられたこともなかつたと述べているかどうかとの問に対し、答、過ぎ去つた事で記憶なくわかりません、裁判官の差押物件をなくさないでくれと被告人に言つたかとの問に対し、答、普通言いますが岩沢に対して言つたかどうかは記憶ありませんとの供述。(四)差押調書謄本は後日、他の場所の作成にかかる点、被告人に於て二瓶武治が執行吏であり事実差押されたものとすれば訴外桜井勇寿より借受使用中の桜井式製繩機一台に付その差押を拒否すべきは貸借人としての当然の義務であつて甘じて差押を受くべき謂なき点条理上首肯し難く、
二、原審に於て認定している「同年五月頃差押えされたことの情を知らない根本与衛に対し前記差押を受け保管を命ぜられた製繩機四台及び再製機一台を見返りとして金策方を依頼するとともに物件の搬出方を依頼し」た事実が果して五月頃であつたかどうか、左記事情並証拠関係を御検討して載き度い。(一)被告人の第一回公判廷における「根本与衛に対し製繩機四台、再製機一台を売却又は担保として金融を得ることを頼んだことはありますが、その日時は七月二十八日頃で七月上旬ではありませんし、それ等の品物は七月十七日頃に根本が私の不在中黙つて持つて行つて了つたのであります」との供述。(二)証第一号承諾書の記載に昭和二十五年八月五日と記載し在る点、右は動かし能はぬ物的証拠の存在。(三)右に反する証人根本与衛の証言は被告人岩沢喜代三に対する貸金弍万円の弁済を得るため、苦慮し居りたる同人が此の機械以外には他に弁済を得るの途なく己むなく被告人不在中にも拘らず無断にて搬出を強行したるものにしてその所為については場合に依りては刑事上の責任を負はざるを得ざる不利益なる立場に在りて自然その証言は被告人に不利とならざるを得ざるべく証言の信憑力は疑問であること。
以上証拠に依れば執行吏が判示日時場所に出頭して被告人に対し公正証書の謄本を交付した事実並差押物件として判示製繩機等を一応下見されたことは之を認めるに十分であるけれども、それ以上進んで該物件に対し適式な差押手続が履践されたか、又は執行吏が被告人に対し刑法に所謂「公務所より保管を命ぜられた」という法条に該当する事実が有つたか否か疑問視される。形式上の証言や調書は存在するけれども実体的な真実の発見という見地に於て原判決の証拠価値の判断の点に於て納得行かぬものがある。訴訟法が如何に自由心証主義を採つているとは言へやはり裁判は当事者を承服せしむる底のものであつて欲しい。"
第二点原判決は不当に法則を適用した違法の判決であるから破毀せらるべきものと信ずる。法律の不知は犯意の成否に影響なきことを原則とする、然し次の場合は右の例外として法律の不知が犯意を阻却する。(一)法律の不知に因り構成要件該当事実の認識を欠くときは犯意が成立しない。構成要件該当事実の認識は事実を物理的事実の侭に認識することではなくして事実を構成要件上の概念を以て認識することである。従て法律の不知に因り斯る概念的認識を欠くときは犯意は成立しない。例へば狩猟法を知らざりしため狢と狸とは別物なりと誤信し狸の認識なくして之を捕獲せる場合の如き之である。(二)自己の行動を法律上許されたるものと信じ且其の点につき過失なかりし時は犯意的責任が阻却される。即ち全く責任を生じない。本件の場合に於て執行吏が差押物件に対し封印も、公示も、標示も施さなかつたことは明かであつて被告人は勿論一般世人は差押とは物件に対し所謂赤紙を貼られるものと信じている。然るに本件に於ては此の点全然手続が採られていなかつたから被告人は差押されないものと錯誤したのである。口頭で差押えたと言はれた等でそれは単なる脅かしとしか考へられなかつたとの被告人の供述は錯誤していた一つの証左であると信ずる。