仙台高等裁判所 昭和27年(う)831号 判決 1953年4月13日
控訴人 被告人 長南栄吾
弁護人 中野忠治
検察官 馬屋原成男
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人中野忠治の控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書記載(但し同控訴趣意書中二枚目表末行に其とある下に「乗組」の文字を追加し、三枚目裏十一行目に「右は堀松四郎の供述調書」とあるを「渡返孫七の供述調書及び原審証人佐藤角蔵の供述記載」と訂正する)と同じであるから、これを引用する。
控訴趣意第一点の(一)について。
しかし、原判決挙示の証拠によれば、被告人が船の漂流前方が機関室に妨げられて全然見透のきかないところに居たことは、優にこれを認め得るのであつて、記録を精査しても原判決に事実誤認を窺うべき事由は存しない。論旨は理由がない。
同第一点の(二)について。
所論は、要するに、海上漁船の慣習としていか釣漁場における漁船の接触については後着の漁船が先着の漁船を避くべき義務があり、何れが先着か不明の場合には小型漁船が大型漁船を避くべき義務があるところ、被告人が船長として乗込んだ第一明神丸は本件被害船第一幸栄丸より先に漁場に到着しており、しかも第一幸栄丸より著しく大型であるから、第一明神丸は第一幸栄丸を避くべき義務なく、その船長たる被告人に過失の責はないというのである。しかし、仮に所論のような海上漁船の慣習があるとしても、その趣旨は後着の漁船又は小型の漁船により積極的な義務を負わせたに過ぎないものというべく、それがために先着の漁船又は大型の漁船に原判示の如き接触事故防止の義務がないという趣旨ではないこと条理上当然というべきである。従つて被告人がその船長たる第一明神丸が第一幸栄丸より漁場に先着したものとし、且つ第一明神丸の方が遙かに大型であつても、原判決挙示の証拠によれば、被告人はいか釣作業に熱中していたため、本件接触事故の発生するまで、自船が第一幸栄丸に刻々接近しつつあることに全然気づかず、何等の措置をも施さなかつたことが明かであるから、被告人に責むべき過失のあること勿論である。所論は独自の見解に基き被告人に本件事故発生につき過失の責なしと主張するもので、採るを得ない。論旨は理由がない。
同第一点の(三)について。
所論は、要するに、原審認定の如く逃げおくれた被害者菊地賢を接触した両船の間に押挟んで傷害を負わせたのではなく、同人は逃げれば充分逃げられる余裕があつたのに逃げないで自ら傷害を招いたものであるから、仮に被告人に船の接触につき過失の責任があるとしても、被告人の過失と被害者の受傷との間には因果関係がないから罪とならないというのである。しかし、原判決挙示の証拠を総合すれば、闇夜の当夜第一明神丸が押流されてきて五、六間の距離に接近した時はじめて第一幸栄丸の乗組員がこれに気づき、危いと呼んだので、これを聞いた被害者は逃げる機会があつたことは認められるが同時にその際側にいた者も逃げないので危険とも思わずにいか釣を続けているうち、第一幸栄丸より約一尺五寸も高く且つ二尺余りの幅に枠がかけてあつて張出している第一明神丸の海進具レールが己の身辺に押迫つてきて危いと判つた時は既に逃げる余裕がなく、右海進具レールと第一幸栄丸の機関室根屋角の間に押挟まれて傷害を蒙つたものであることが窺われ、記録を精査しても右認定に誤があることは認められない。されば、被害者にも或る程度の過失があつたことは認められるけれども、これがために前記被告人の過失と被害者の受傷との間に因果関係がないと断じ得ないことは勿論被告人の過失責任が消滅するものでないこと洵に明らかである。所論は独自の見解に立脚する主張であつて、採用の限りでない。論旨は理由がない。
同第二点について。
先ず、所論は原審が被告人の注意義務違背のみ責めて前記海上慣習等に何等顧慮しなかつたのは審理不尽理由不備であるというのであるが、前記第一点の(二)に対する判断で説明したとおりであるのみでなく、原審はこの点につき証人宍戸茂男を尋問し、また第一幸栄丸船長が本件接触防止の措置をとつたことを審理判断しているのであるから、原審には毫も所論のような違法は存しない。次に、所論はいか釣漁船の接触によつては怪我人を出さないのが通例であるから、原判決が船の接触につき被告人に責任がある旨判示しているのみで、その接触により傷害を負わせた理由を説示していないのは理由不備であるというのであるが、前記第一点の(三)に対する判断で説明したとおりであり、原判決の説示においてもこの点を判示しているのであるから、所論は採用の限りでない。論旨はいずれも理由がない。
同第三点について。
記録を精査し、被告人の経歴、過失の原因、態様、被害者に存する過失、その他諸般の情状を斟酌考量して、原審の量刑を検討するに、重きに失し不当であるとは認め難い。論旨は理由がない。
以上の次第であるから、刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松村美佐男 裁判官 蓮見重治 裁判官 細野幸雄)
弁護人中野忠治の控訴趣意
第一点原判決は事実誤認である。
(一)原判決によれば被告人が風下其他良く見透の利く処に居なければならないのにその見透の利く処に居なかつたと認定しているが此の認定は誤まつている。被告人の居た個処は船の漂流前面も下方の方も見ゆる処である。右は被告人の供述調書及公判調書等に依つて判るのである。弁論の際詳述する。
(二)被告人はいか釣作業に熱中して居たため目船と風下にいか釣をしていた第一幸栄丸と刻々に接近しつつあることに全然気付かず第一幸栄丸に接触したと認定し被告人に対してのみ一方的注意義務を要求しているが此点は誤まりである。即ち、いか釣作業は広汎な海域でやるものでなく狭い範囲に「いか」が密集して居るのを釣上げるのである。しかも其の時間も短いのでいか釣船は常に作業中は船長も作業に従事するのである。然らば船の操縦は如何にするかと云へば船はストツプ廻転のままであるから他船と折触するも別段船には損傷が生じない、又乗込員は船が接触する状態に立至る前に一寸待避するので是迄はいか釣船の接触によつて船の損傷や乗込員の怪我等は出したことは全然ないのである。従つて被告人は勿論第一幸栄丸の船長も共にいか釣作業に従事して居たものである。しかし第一幸栄丸の船長並に其員は第一明神丸が接近しつつあることに気付かず作業に従事してり五六間位に迫つたとき初めて気付いて接触を避け様としたものである。若し釣船接触によつて船の損傷や怪我人を出すことがあつたとすれば第一幸栄丸の船長は勿論乗込員も第一明神丸か五六間に接近する以前に之を発見し(互に点火して居るから直く判る)避難の行動をとるべきである。之をしなかつたのは前記の様に接触することあるも何等損傷等が生じた例がないからである。然らば若し接触を避けなければならない義務があつたとすれば夫れは第一明神丸に義務があるか否やである。
此点に付いては (イ)、いか釣漁場に何れか先着したかによつて異なる。此場合には後着の漁船が避けなければならない義務がある。右は海上漁船の慣習である。(ロ)、何れが先きに漁場に着したか不明の場合には小型船が避けなければならない義務がある。右は小型船は運転が早く利くからである。尚ほ一般海上規則もそうである。右の事実は原審証人宍戸茂男の証人調書及び各関係人の供述調書其他証人調書によつて判るのである「弁論の際詳述する」。本件に付いて検討するに被告人の乗込ている第一明神丸は先きに漁場に到着していか釣に従事していたものである。右は堀松四郎の供述調書で立証する。然らば第一幸栄丸に於て避くべき義務があることは言ふまでもない。第一明神丸には避くへき義務がないから被告人に過失の責任はないことに帰着する。仮りに何れか先に漁場に着いて操業に従事したか不明の場合でありとするも第一明神丸は第一幸栄丸より著しく大型であるから之亦第一幸栄丸が避くべき義務がある。記録を精査するに第一幸栄丸の船長を初め乗込員が大型船が来たから逃げなければならないと騒いだ一事によつても小型船が避くべき義務があることは推知されるのである。「此点も弁論の際詳述する」 堀松四郎供述調書参照 以上の点からするも被告人には過失の責任はないものである。
(三)原判決によれば、逃げおくれた同船の乗込員菊地賢を船と船との間に挟んで怪我させた趣旨を認定している。右は菊地賢が「逃げおくれた」のではない逃ければ逃けることが充分出来る余裕があつたのに逃けなかつたのである。
此点が事実誤認である。菊地賢は漁夫としての経験ないため船長から逃げろと命じられた外、他の漁夫も危いから逃ろと云うたにも拘わらず海上生活の経験ないため危険がないものと固く信じ船長の命令や他の漁夫の言に従わず傍観して居たため挟まれたのである。右の様な場合においては例令船の接触による怪我と雖も自ら招いた怪我であり被告人の不注意の結果ではない。従つて仮りに被告人に於て船の接触に付いて過失の責任ありとするも菊地賢の怪我に関しては過失の責任はないのである。即ち菊地賢の怪我と因果関係がないと信する。右の事実は各関係人の供述調書及び証人菊地賢の証人調書で立証する。弁論の際詳述する。尚原判決によれば右に関して被害者側の過失と被告人の過失と競合したとするも犯罪の成立に関係がないと認定しているが弁護人の主張並に事実は因果関係がないと云うことを強調するのである。
第二点原判決は審理不尽理由不備である。
原判決によれば単に被告人に注意義務違背であると言うだけで有罪の認定をしたのであるがしかし前示(ニ)(イ)(ロ)で説明した様に海上の慣習や法規に付ては少しも顧慮判断をしていない若し(イ)(ロ)の如き事実であれば被告人には過失の責任がなく却つて第一幸栄丸船長にあることは当然であるから此点に付いて先ず判断をしなければならないのであるに拘わらず之をしないのは審理不尽理由不備であると信ずる。従つて原判決は破毀さるべきである。次に密集しているいかを釣上げる時には多数の船が其海域にいしゆうするのであり従つて船長初め船員全部操業に従事する結果船と船とが接触することは当然であるが未だ曽て船の損傷は勿論怪我人を出したことはない事実は常識上発見されない又事実ないのである。従つて本件の如く船の接触によつて怪我人を出した場合には其理由をも判決に表示すべきである。単に船と船との接触に関して被告人に責任があるとだけでは満足が出来ないのである。本件に関連して別件損害賠償訴訟がある。之れによると原告代理人の主張として接触したのではなく第一明神丸が進航して来て第一幸栄丸を乗り切つたのであり菊地賢は逃げる暇がなかつたと云うて居る。之れは接触しただけでは怪我人が出来ないことが普通であるからである。従つて斯る稀有の出来事に付いては怪我したことに付いての説示が必要である。
第三点仮りに被告人に過失があつたとするも前記の事実であり幸栄丸にも其責任が充分ある。又被害者にも責任があるから罰金刑に付いては執行猶予の判決が妥当である。