仙台高等裁判所 昭和30年(う)371号 判決
しかし、原判決挙示の証拠特に原審証人大友輝雄の証言によれば原判決認定の如く、石巻警察署勤務巡査大友輝雄が原判示の如き経緯で被告人に対し原判示清野酒店前路上で任意同行を求めたところ被告人は全然これに応ぜず、原判示西条巽方前路上まで来た上そこからそのまま行つてしまいそうな気配が見えたので、大友巡査において被告人の左手を押さえ、納得させようとしたところが、被告人は突然右手拳で同巡査の左顔面を殴打して逃走したことが認められるのであつて、更に当審における事実取調の結果を参照して布衍すれば、原判示三月五日午前十一時過頃前記大友巡査が前記清野酒店で予て内偵中の覚せい剤密売事件(首犯者大藤光男は逮捕、警察署に勾留中であるが否認)で同店主と対談中、偶々被告人と覚せい剤常用者として目星をつけていた金原偉夫とが同酒店前を通り過ぎた際被告人が右大友巡査にあてつけて大声で「警察に火でもつけるか」等と暴言を吐いたが、その後暫くして右両人が再び同酒店前に戻つて来たので、同巡査は両人が前記大藤光男方の方面に行つて来たものと思い、被告人も右密売事件に関係あるものと感じ、職務質問をしようとしたが、人通りも多くその場で質問することは本人にとつても不利であると認めて、大藤関係のことで一寸聞きたいからと告げて本署まで任意同行を求めたところ、被告人は逮捕状がなければ行かないと言つてこれに応じなかつたが、本署の方へ行く街路を歩いて行くので、同巡査は自転車を引きながらその後に従つて歩みつつ、更に数回同行を求めて、映画館文化劇場附近の原判示西条菓子店前の十字路まで来たが、本署へ行くにはそこから右折すべきであるのを被告人は曲らずに、そのまま真直ぐに行つてしまう態度に出たので、大友巡査は被告人を停止させて事情を話して納得させて同行を求めるために(記録第四九丁裏)、引いていた自転車を立てて置き、被告人に追いついて呼びかけ、後を振向いた被告人の左手肘附近を押さえて一寸引いたところ、被告人は突然右手拳で同巡査の左顔面を殴打して逃走したものであることが認められ、記録及び当審における事実取調の結果に徴しても、右事実認定に誤りがあることは認められない。
論旨は、原判決が「同巡査において被告人の左手を押さえて納得させようとした」と認めているのが誤認で、同巡査は柔道の逆手をかけて腕力を以て被告人を警察署まで連行しようとして、その左手首を押さえて後に逆に廻したものであつて、被告人に任意同行を納得させようと左手を押さえた程度のものではない旨主張する。しかし、現場が映画館附近で当時も人通りの多かったことは当審証人金原偉夫も認めているところであり、また、被告人と大友巡査は揉み合つたのではなく、同巡査が振向いた被告人の手を押さえて一寸引くや突然被告人が同巡査の顔面を殴つたもので、即ち被告人が抵抗したから同巡査が被告人の手を押さえたという関係でないことは、右金原証人の証言に徴し明かなところであるから、かかる人通りの多い路上でしかも特に反抗もしない被告人の手を大友巡査が最初からいきなり所論のように柔道の逆手をかけて後に捻上げなければならない必要があつたとは到底理解できないところであり、同巡査がかかる措置に出たとは全く考え難い。被告人が同巡査の顔を殴るやそのまま逃走したこと自体からみても、大友巡査(同巡査は柔道二段である)が被告人の手を押さえた力が所論のように柔道の逆手で強力に押さえていたものでないことが看取され、原審証人金原偉夫の供述でも、被告人は手を押さえられた際痛いとは少しも言わなかつた(記録第五五丁表)ことが認められ、被告人もただ癪に障つたのでいきなり殴つた(同第六九丁裏及び当審における供述)というのである。しかも、大友巡査は逮捕等の強制力を用いる場合における実力行使と職務質問の場合における暴行にわたらぬ実力を加えることとの差異につき、具体的に訓練を受けてきた者であることが認められる(同巡査の当審における証言)。これらの諸事情に照し、原審及び当審証人大友輝雄の証言は十分これを措信するに足り、その際大友巡査が被告人の腕を掴んで後に逆に捻廻した旨の原審及び当審証人金原偉夫の証言及び被告人の供述は措信し難い。殊に、証人金原偉夫は、原審では、大友巡査が被告人の腕を後に捻じ上げたと述べながら、当審では、後に捻じ上げたとはいわず、単に手を内下方に捻じた如く供述を変更しているばかりでなく、或は「この時大友さんは被告人の手を捻じるかどうかしたので、被告人が大友さんを引つぱたいて逃げたのです」と述べたり、「大友巡査は被告人の手首を捕えて引張りながら、内側か外側かよく覚えていませんがどちらかへ捻じつたのです。そうしたら、被告人は大友巡査を殴つて逃げたのです」と述べたり、「被告人は大友さんに捻じられて、このようになつたと思います」とて、右腕を稍々後に引き、手の甲を内側下方へ向ける所作を示すなど、その供述は区々で、殊に、大友巡査が手をかけた被告人の腕は左であることは、被告人の供述と大友巡査の証言とが一致していて疑いがないのに、金原はそれは被告人の右手であると繰返して述べるなど、その供述は極めて不正確で、果して同人は大友巡査が被告人に手をかけた状況を明瞭に目撃していたか何うか疑われるのである。成程、被告人と金原偉夫とが金原か原審証人となる事前に連絡をしたとの確証のないことは所論のとおりであるが、本件検挙後被告人に対し特に接見及び書類授受の禁止の措置がとられた事跡もないのであつて、直ちに所論のように被告人と金原との間に何等の連絡もなかつたものとは断定し難くこの点に関する当審証人金原偉夫の証言は信用できず、これを以て何等原審認定を妨げるものではない。また、所論原審証人渡辺つや子の「大友巡査と連れの若い人とが何か引張り合いをしているうちに、その若い人が大友巡査を殴つて逃げた」旨の供述中「何か引張り合いをしているうち」との部分(同証人は西条菓子店の店員で、菓子壜越しに顔だけ出してみたというのである)は、前顕証拠に対照し特に正確な観察ないし表現とは認められず、遽かに信を措き難いのであつて、原判決が原審証人渡辺つや子の証言を挙示したのは原判示に副わない右供述部分を援用した趣旨ではないとみるのが相当である。叙上の次第で、大友巡査が被告人の左手肘の辺を押さえて一寸引いたのは、被告人の意に反して無理に連行するための強制にわたつたものとは認め難く、被告人に同行を求める事情を告げて納得させ飜意を求めるために被告人を停止させる措置としてとつたものとみるのが相当である。
ところで、警察官等職務執行法第二条によれば、警察官等は異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何等かの犯罪を犯し若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者、又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができ、その場で右の質問をすることが本人に対して不利であり又は交通の妨害になると認められる場合においては、質問するためその者に附近の警察署、派出所又は駐在所に同行することを求めることができるのである。従つて、右同行を求める場合、その者を停止させてその事情を告げることも亦許されるものと解すべきである。そして、これらの停止というのは強制力を加えて停止させることを認める趣旨でないこともちろんであるが、同法の立法趣旨に鑑みれば、およそ停止させるということは、単に言語のみによるべきであつて物理的方法によることはすべて許されないものと解すべきではなく、言語による場合でも語調や態度の如何によつては許されないことがあり得ると同時に、物理的方法であつても、少くとも注意を捉し又は飜意を求めるために単に身体に手をかける程度のことは、それが強制にわたらない限り許されるものと解するのが相当である。同法条第三項はその意に反する連行の許されないことを明かにしているが、相手に同行を求める事情を告げて納得させ飜意を求めるために相手を停止させる措置をとることも、右に述べた限界を逸脱しない限り、右第三項の趣旨に反するものではないと解すべきである。
本件において、前叙認定の次第で、大友巡査が被告人の左手肘の辺を押さえて一寸引いたのは、被告人に同行を求める事情を告げて納得させ飜意を求めるために被告人を停止させる措置としてとられたものであること、同巡査が被告人の左手肘の辺を押さえた程度はさして力の入つたものではなく、飜意を求め注意を促す限度に止まり強制にわたつたものとはみられないことが認められる。されば、同巡査のとつた措置は多少行き過ぎの譏りを免れないとしても、警察官としての職務行為の範囲内であつて、これを以て所論のように法に基かない強制処分行為ないし刑法第百九十五条違反の違法行為であるとなすを得ない。従つて又、被告人の所為を以て所論のように正当防衛行為となすは当らないこともちろんであつて、被告人の所為は公務執行妨害罪を構成すること明かである。縷述する所論は畢竟、独自の見解であつて、採用できない。
以上の次第で、原判決には所論のような事実の誤認や法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。
(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 細野幸雄 裁判官 岡本二郎)