仙台高等裁判所 昭和34年(ラ)28号 決定 1959年6月30日
抗告人 菊池修二
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告人は、原審盛岡家庭裁判所が同庁昭和三四年(家)第三四五号改名許可審判申立事件につきした申立却下の審判に対し抗告を申立てその抗告理由は別紙記載のとおりである。
抗告理由(一)について
戸籍法第一〇七条第二項の規定による名の変更の許可に関する審判につき、家事審判官が申立人から直接申立の事情を聴取すべきことを定めた規定はないから、原審が抗告人から直接申立の事情を聴取しないでその申立を却下しても違法であるということはできない。
本件記録によると、原審は家事調査官小川恒子に事実の調査を命じ、同調査官は抗告人に面接して事実の調査を遂げその要領を家事審判官に報告し、また抗告人は戸籍謄本・論文その他の資料を提供して抗告人が名の変更するにつき許可するかどうか必要の調査並びに資料を集めていることが明らかであるから、原審判には手続上違法の点はない。
抗告理由(二)ないし(六)について
人の名はその氏とともに対社会的に人の同一性を表示するものであり、これを変更するときは多かれ少かれ混乱を来すことが免れないから、正当な事由がある場合のほか名の変更を許容すべきでない。
ところで、本件記録及び疎明資料によると、抗告人は小学校四・五年生のころ、抗告人の母菊池チヨノが姓命判断をしてもらつた結果「修二」という名では親子の縁が薄くなるというので、抗告人はそのころから今日まで三〇年余にわたり「脩二」という名を使用し、ことに大学卒業後発表した数多くの論文・著書には「脩二」の名を使用し、また学位記も「脩二」の名でされ、現在では「脩二」が通名となつたことが認められる。したがつて、抗告人がその名を「脩二」と改めることは、抗告人にとり社会生活上の利便があり、また感情的にも満足するであろうことが予測される。
しかし、名を変更するにつき正当事由がありとするためには、単に本人にとつて利益をもたらすというだけでは足りない。
抗告人は要するに、長年使用してきた通名「脩二」に変更することが便益であつて、今になつて本名を使用することは不利益であるというのであるが、「脩」の字は戸籍法施行規則第六〇条所定の当用漢字表及び人名用漢字別表になく、抗告人の名を「脩二」と変更することは名を常用平易な文字に制限しようとする戸籍法の趣旨に反するからこれを許容すべきでない。
抗告人は、当用漢字が告示された昭和二一年一一月以前から「脩二」の名を使用していたから、当用漢字に制限する理由にとぼしい旨主張するが、右告示前に本名以外の名を使用したことにより既得権を認める趣旨でないことはもとより、名の変更に当つては、変更当時の法令に準拠すべきであるから右の主張は当らない。
抗告人はまた、襲名の場合は当用漢字でなくても名を変更することを許容し、抗告人に当用漢字にない字を使用し名を変更することを許容しない原審判は片手落であると主張する。
なるほど、襲名の場合、当用漢字にない文字を使用した名に変更することを許容した事例がないわけではない。しかし、戸籍法五〇条は、子の名には命令で定める常易平易な文字を用いなければならない、と規定している。もちろん、この制限は、同法施行後に届出でられる子の名だけに関するものであつて、同法施行前に戸籍に登載された名に右制限外の文字が用いられてあつても、それは、同法の関するところではない。同法施行後に名を通名に変更することは子の命名に準じて考えられるから、たとい多年にわたつて使用してきた通名であつても、そのうちに右制限外の文字が含まれているときは、通名に変更することを許可しないのが相当である。ところが襲名は、父祖代々用いて、すでに戸籍にも登載されてある名をそのままにつぐことであるから、襲名による名の変更について正当な事由があると認められる以上、襲名される名に右制限外の文字があつても、それは、同法施行前に戸籍に登載された名に右制限外の文字があつても、そのまま認められているのと同視し、襲名による名の変更を許可するのが相当であると考える。いいかえると、名を通名に変更することは同一の人格者に全く新しい名がつけられるのに対し、襲名による名の変更は、すでに認められていた名に新しい人格者が合体してゆくのであつて、両者の間には微妙な差異がある。論旨は、この差異を見落とし、片手落であると非難するものであつて、採用できない。
その他抗告人の論旨は、原審と異なる立場から原審判を非難するものであり、採用することはできない。
以上の次第で、抗告人の変更しようとする名「脩二」の「脩」の字が当用漢字表及び人名用漢字別表にないことを事由に、抗告人の本件申立を却下した原審判は相当であつて本件抗告は理由がない。
よつて、家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民訴法第四一四条・三八四条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 斎藤規矩三 鳥羽久五郎 羽染徳次)
抗告の理由
(一) まず「本件申立を却下する」と審判した家事審判官が申立人から直接の申立を全然聞かずに却下したこと、或は申立人が実際に非常に困却している内容を直接審判官に申立てる機会を与えず却下したことは民主主義の常道に反すると考えたから。
(二) 却下した理由書(昭和三四年(家)第三四五号による)を見ると審判官は次の事項を認めている。申立人が小学校四、五年頃から殆んど通命である「脩二」を使用していることを認めている。従つて本人は現在四四才であるから三〇年以上この通名によつて生活してきたことも認めていることになる。
申立人の現在非常に困却した事態に陥入つた理由が、この三〇年以上もこの通名によつて生活しているという事実から出発している。その一例をあげると、申立人が大学卒業後今日まで五〇編以上の研究論文と専門書に使用した名前は通名「脩二」であつた。そのような研究歴の結果として提出した学位論文及び学位請求書に対して戸籍名である「修二」を使用することができず、「脩二」の名において書類を作成せざるを得なかつた。かくして学位記が通名「脩二」で文部省から送られて来たわけであるが、その後文部省から岩手大学に履歴書の「菊池修二」と学位記の「菊池脩二」は同一人かとの問合せを受け、改名する必要を痛感したわけである。
申立人の研究面での通名「脩二」は、既に取消しのできない状態である。又研究面と関連する公文書は通名「脩二」でなければ通用しない状態である。少くとも公文書は戸籍名を使用するのが常道であるとするならば、常に公文書を偽らざるを得ない自責を感ずる。この点に関連して著作権の問題が最近起つてきている。その一つは五〇編以上の研究結果を戸籍名「修二」に訂正することは殆んど不可能であり、今後の研究で新たに「修二」を使用するのは非常に不利益を来す。などの問題がある。
(三) 改名の動機は「申立人の母が姓名判断をしてもらつたところ、「修二」という名では親子の縁が薄くなるといわれたため云々」と審判書にある通りである。動機そのものは全く迷信の範囲を出ない取るに足らないものではあるが、現在改名した申立人の母が健在である限り母に対する精神的な影響を考慮すると、通名「脩二」を戸籍名「修二」に帰することができず、今後何年間この通名の不便に堪えなければならぬ。それよりは通名を本名に改名した方が有利であると考えた。
(四) 審判官も改名する「正当な事由」があると認めている。しかし最終的には正当な事由に関係なく、改名する文字が当用漢字の範囲にないとの理由で却下した。切角「正当な事由」があると認めてきておりながら「改名する文字が当用漢字にない」との理由だけで却下するならば、なんのために審判したのかその理由が納得できない。改名しようとする文字が当用漢字にないということは申立の最初から判り切つた問題であつたはずで、「正当な事由」が当用漢字だけによつて抹殺された理由がわからない。
(五) そにで当用漢字なるものの成立の経過を考えて頂きたい。
申立人が通名「脩二」を使用し始めたのは三〇年以上前である。その当時は当用漢字なるものはなかつたはずである。当時名前の附け方に制限文字があつたとするならば、通名に対しても当然考慮したはずである。従つて、昭和三四年(家)第三四五号が最終的却下理由とした「通名」において使用した文字は、名に使用する文字としては許されない云々」の条文は当用漢字なるものが告示された昭和二一年一一月以後に命名した姓名の改名に対して適用されるのが原則であろうと考える。少くとも昭和二一年一一月の告示以前に命名された姓名の改名事件に対しては、改命する理由が正当であるか否かを考慮し、「正当な事由」であると認めるものに対しては審判結果に反映させてもよいはずではないかと考える。切角「正当な事由」があると認めておりながら、その事由のいかんにかかわらず「名に使用する文字としては許されない」という昭和二一年以降の法律によつて審判するなどということは、その根拠が甚だ不明確である。その一例として襲名ならば許可するという。襲名すべき姓名の中に「名に使用する文字として許されない」という文字があつた場合はどうするか、襲名の場合は殆んどの場合昭和二一年以前に命名された姓名であろうと考える。従つて「名に使用する文字」でない姓名があるはずである。襲名は無条件に改名を許可しておりながら、その他の場合の改名は「正当な事由」を認めながらも、その事由を何等顧慮することなく「名に使用する文字」でないとの法律だけで却下するという片手落な審判は考えられない。
(六) 当用漢字の制定した文字の範囲は、今日で数回訂正し、補正され、更に現在でもなお訂正案が提出される現状である。
昭和三四年(家)第三四五号の審判結果は、昭和二一年一一月告示の当用漢字表、同二六年五月告示の人名用漢字別表を根拠にしているが、現在使用する当用漢字表は昭和二九年三月出されたものが使用されているはずである。人名用漢字も昭和二九年三月に補正され四字が新に加えられているはずである。このように当用漢字そのもの人名用漢字そのものが混乱した時期にある時に審判の絶対的根拠として当用漢字制限を振廻すのは些か問題があるのではなかろうか。それよりも法を盾にして個人の利益を無視したり、本件の場合は申立人の研究の結果を見る人、申立人の著書を見る人達に迷惑を与える状態を呈するようなことは余りにも犠性が大き過ぎると考える。それよりは現在の通名「脩二」を戸籍名として認めて頂いた方が今後に何等の問題を残さないことから、戸籍名「修二」を通名「脩二」と改名することを主張するのである。
以上が前審判を不服とし、抗告するに及んだ理由である。