仙台高等裁判所 昭和42年(う)208号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判決理由】二、被害者の誘導開始時における被告人の注意義務の範囲についての事実誤認の主張について
所論は、まず、原判決は、誘導者である阿部正典に自動車運転の経験があるから、被告人の同人に対する注意義務が免責されるとしているものと非難するけれども、原判決は、同人に自動車運転の経験があることのほか、同人が前にも工事現場における自動車誘導に従事したことがあり、被告人運転の本件自動車に対しても、同人がみずからすすんで声をかけながら誘導を継続したこと、被告人もこれらのことを熟知していたことを認定したうえで、特段の事情がない限りは、被告人が左側後方の安全の確認を同人に委せ、また、同人の安全については、みずから身の安全を守り、みずからその危険に身をさらすような行動をとらないものと期待して運転するのも当然であると判示しているのであつて、検察官の前記非難はあたらない。
さらに、<証拠>によれば、被告人は、その運転する自動車を後退させるにあたり、他の工事現場においては、阿部正典の誘導を受けたことがあり、本件事故当日も、前に後退運転した際、茂木賢二及び阿部正典の誘導を受けたことがあること、本件事故当時の被告人の後退運転に際しては、当初茂木賢二が本件自動車の右側に位置して誘導していたが途中から、阿部正典が、同車の左後方に位置して、同車から二、三メートルの距離を置き、歩行しながら「オーライ」と声をかけて誘導を開始したため、茂木賢二は、阿部正典が自動車運転の経験をも有するところから、後退運転に対する誘導を同人に委せる趣旨で、自らの誘導を中止するに至つたこと、阿部正典は通常人よりかん高い声の持主であり、また、本件自動車は、本件舗装工事を施行していた小沢工業株式会社所有の車両ではないため、被告人に対し後退運転に際して右後方より誘導を受けるべきことが徹底していなかつたことをそれぞれ認めることができるのであつて、これらの事実関係からすると、被告人が、阿部正典の声だけを頼りに、同人の位置が本件自動車の後部から二、三メートル左後方にあると判断し、左側バックミラー等で同人の位置を確認し続けることなしに、同人の誘導に従つて後退運転を継続したことをもつて、被告人に注意義務の懈怠があるとすることは相当ではない。
三、被害者の誘導中における被告人の注意義務についての事実誤認の主張について
<証拠>によれば、原判示道路舗装工事現場は、原判示国道一一五号線道路(通称土湯街道)の南半分で、工事関係者以外の立入り通行が排除されていたこと、右道路の南端にはコンクリート製側溝があり、これに接する南方一帯は畑が広がつていて、同所付近は見通しのよい、ほぼ直線の道路で、路面も平坦で乾燥しており、路上には本件事故当時格別の障害物もなかつたこと、被告人は、道路中心線から南に約三〇センチメートルの間隔をおき、東方に置かれたアスファルト・フイニッシャーまでアスファルト合材を運搬するため、右フイニッシャーに向つて真直ぐに後退を開始し当初は茂木賢二の誘導に従つて、時速約八ないし五キロメートルの速度で約三七メートル後退し、ついで、阿部正典の誘導に従い、速度を人の歩く速さか、それよりも遅いぐらいの速さ(時速約四キロメートル)に落して、約二一メートル後退したこと、右後退運転にあたり、本件自動車左側面と道路南端側溝までは、常に、少なくとも幅一・三五メートルにわたる余地が存し、阿部正典を誘導当初は道路南側から〇・四ないし一・三メートル北方の位置を歩行していたこと、阿部正典が最後の「オーライ」の声をかけた地点から、本件自動車に轢過された地点までの距離は約一五・九メートルで、本件自動車を時速約四キロメートルの速度で後退運転すれば約一四・四秒を要することとなるが、前記フイニッシャーの置かれていた地点までは、阿部正典が最後の「オーライ」の声をかけた地点から東方に約二六メートル、同人が転倒した地点からいえば、東方に約一〇メートルの距離しかなく、被告人運転の本件自動車は、阿部正典が最後に「オーライ」の声を発した地点から、真直ぐに、つまり、それまで後退してきた体勢のままで東方に進行しさえすれば、障害物に衝突することなしに、前記フイニッシャーに到達することができる状況にあつたこと、阿部正典が転倒した地点は道路南端より一・五メートル北方であることがそれぞれ認められる。
これらの事実関係をもとに考察すると、阿部正典が「オーライ」という誘導の声を発しないまま、被告人が一六メートルにわたり本件自動車の後退運転を続けたことをもつて、被告人に注意義務の懈怠があるとすることも、また、相当ではない。
これを要するに、記録を精査し、当審における事実取調の結果を検討しても、被告人に業務上の注意義務の懈怠があつたことを肯認するに足りる資料はなく、原判決に所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の疑いは何ら存しない。論旨は理由がない。