仙台高等裁判所 昭和46年(う)227号 判決 1973年10月08日
主文
原判決を破棄する。
被告人両名はいずれも無罪。
理由
<前略>
控訴趣意第一、第二、第四および第五について。
所論は要するに、原判決は昭和四一年四月一九日から翌二〇日にかけ、日本放送協会(以下NHKという)山形放送局において、同局の局長西内正丸らと、山形県労働組合評議会(以下県労評という)の役員およびNHK委託集金者山形地区労働組合(以下集金者労組という)の役員らが行なつた交渉およびその際の被告人ら両名の所為につき、西内正丸に対する数人共同しかつ多衆の威力を示しての暴行に当るものとして、被告人両名に対し暴力行為等処罰に関する法律一条の刑責を認めた。しかしながら、原判決は集金者労組が憲法および労働組合法上の労働組合であり、したがつてNHKの集金者労組に対する組織破壊のための各種攻撃が不当労働行為に当ること、および四月一九日から翌二〇日にかけて行なわれた県労評役員らとNHK山形放送局との交渉が右不当労働行為をめぐる労働組合法上の正式な団体交渉であることの明確な認識がなかつた結果、労働組合としての正当な団体交渉を違法な集団の行為と解して、これを多衆の威力とし、また同じ団体交渉過程における被告人両名の正当な所為を数人共同しての暴行に当るとしたのであつて、県労評側の交渉参加者は被告人両名を含め、団体交渉における正当な行為の範囲を超え、違法な暴力的行為に及んだことは全くない。また仮りに、被告人らが原判示のように、こぶしで西内局長の顎を押し上げ紙片で顔面をすり上げるような所為に出たとしても、これが積極的な暴行の意思をもつてなされたものでなく、NHKの団結権侵害に対しこれを防禦するために文書による確約を迫つた団体交渉の過程における所為であつてみれば可罰的違法性を欠くといわねばならない。原判決は事実を誤認し、法令の解釈適用を誤り、何ら違法でない被告人両名の所為を有罪としたのであり、破棄されるべきである、というにある。
よつて所論にかんがみ原審取り調べの各証拠に、当審における事実取り調べの結果を合せ順次検討する。
まず、集金者労組の労働組合性の問題は、本件事実の認定およびその評価の前提となるので、この点から判断するに、<証拠>を総合すると、
NHKは放送法にもとづき公共の福祉のためにあまねく日本全国において受信できるように放送することを目的として設立された特殊法人で、NHKの放送を受信できる受信設備を設置したものは、除外事由に該当しない限りNHKとの受信契約を締結して受信料を支払うことが義務づけられ、その受信料がNHKを維持運営する殆んど唯一の財源となつているところ、受信料の徴集方法には本件当時において、NHKの集金職員による直接集金、NHKと委託集金契約を締結した委託集金者による委託集金、特定郵便局に対する郵政委託集金および受信者が銀行に直接払い込む口座払い込みの四種類があつて、直接集金は都市、委託集金は都市とその周辺および町村を対象地域とし受信者の各戸を廻つて集金する方法をとり、郵政委託集金は人口の閑散な山間地域等における郵便配達員による集金方法であるが、委託集金者には契約上の区別はないものの集金の難易により市街地区担当のAと町村地区担当のBの二種類に分けられ、これら委託集金者による集金額は全受信料の五〇パーセントを超えること、NHKの委託集金制度は昭和五年から始まり、受信契約者が極めて僅かでこれが全国に点在していたその当初においては、各地方の名望家等に対し僅かな手数料を支払つて受信料の徴集をお願いする名誉職的な意味をもつた集金委託であつたと思われるが、その後次第にラヂオが普及しはじめ、特に戦後のテレビの急速な普及によりテレビ、ラヂオを持たない家庭は殆んどない社会状況となつて、委託集金者に対するNHKの集金委託の契約様式自体は従前から変らないものの、委託集金制度の実質は変容し、委託集金者中B種のうちの副業的にこれを行なう極く僅かな者を除く殆んどの者はNHKの集金労務を専業とし、これによる規定の集金手数料と集金率により給付される報償金を唯一の収入として家計を支える労働者となり、一方NHKとしても大衆化した受信者から画一的効率的な集金を計めるため、委託集金者がNHK専属の集金労務者であることを前提として、各委託集金者に対しその稼働力の限界に達する受持ち区域内の受信料徴集と未契約者の発見および受信契約取次ならびにNHKの受信者に対するサービス業務に従事させ、なお他の区域に故障があれば業務命令により区域外集金を行なわせる場合もあり、集金には整理番号を付し統一化した領収証を使用させて、局の方針にもとづく画一的集金を行なわせ、週一度集金報告書を提出せしめて業務内容を監査するほか、局内営業部の外務監査員に委託集金者の指導監督をさせ、また随時研修会を開いて業務教育を行ない、委託契約の期限は二ケ年と定められているが業務上の不正等特段の事由のない限り更新されるのが慣行となつて、委託集金者の業務内容および指揮従属関係は、NHKの職員である集金人と定時出勤制の点を除いて殆んど差異がなく、なお委託集金者から集金職員あるいは外務監査員に採用される途も開かれていることが認められ、以上の事実からすると、委託集金者は、副業的に集金業務を行なう限られた一部の者については疑問があるものの、一般的にはその業務および従属性の実質からみてNHKと雇傭関係にある労働者と解するのが相当である。そして、山形放送局の委託集金者はAが七名、Bが二七名の三四名であるが、その殆んどは専業集金者であることからすれば、これらの者が結成した組合は労働組合法上の適法な労働組合と解するべきである。なお証人西内正丸、同飯垣国吉、同辻紫郎、同佐野弘吉の各証言中には、委託集金者の労働者性およびNHKとの実質的雇傭関係を否定する部分があるが、これら証言はいずれも委託集金者と締結されている受信料集金委託契約書を根拠に形式的にこれを否定するに過ぎず、弁護人の反対尋問に際しては結局殆んど前示事実に副う供述をするに至つているのであつて、これら各証言部分が前認定を左右するには足りない。
よつて次に山形地区集金者労組の結成から、NHK山形放送局と県労評および集金労組との本件当日における交渉の内容およびそれまでに至る経緯についてみるに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
NHK山形放送局の委託集金者数名は、委託集金者とNHKとの雇傭契約が締結されない結果、各種社会保険が適用されず、また労働条件も集金職員に比べ劣悪であることから、労働組合を結成してその改善を計ろうと考え、昭和四一年二月中旬ころ、山形県労評の事務所に赴いてその役員に相談したところ、県下未組織労働者の組織化を活動目標としている県労評がその結成を援助指導することとなり、同年三月二〇日委託集金者二一名が参加して組合結成準備会を開き、その席上で同年四月一一日組合結成大会を開催することに決定したところ、山形放送局の外務監査員高橋喜助が委託集金者の右動向を察知し、三月二一日同局営業部長飯垣国吉の指示のもとに組合結成に関する事実の調査とその阻止活動を始めたことから、委託集金者らは組合結成大会を急遽三月二三日に繰り上げて開催し、委託集金者二六名が参加して、NHK委託集金山形地区労働組合を結成する旨を決定し、組合規約、役員名簿、NHKに対する労働組合結成通知書および正式雇傭契約の締結や労働条件の改善を求める要求書を作成し、また同大会において同組合が県労評の単位組合としてこれに加入することおよび同組合とNHKとの今後の団体交渉につき交渉権限を県労評に委任する旨の決議がなされた。これに対しNHKは従来から委託集金者とNHKとの関係は、その締結する契約書のとおりNHKの受信料の集金に関する委託、受託の請負的関係で、対等な事業者との契約関係であるとし、委託集金者の労働者性およびこれとの雇傭関係を一切否定する方針を貫いてきたが、本件の山形放送局委託集金者の労働組合結成に関しても、同局は上部局である仙台中央放送局の指示を受けて、飯垣営業部長が中心となり、NHKの基本方針に反する同組合を早期に崩壊させるとともに、隣接他局の委託集金者に組合結成の気運を伝播させないようにするため、組合結成に参加した各委託集金者に対し、委託、受託の本旨に立ちかえり相互の信頼関係を回復し人間関係を深めるとの名目のもとに、組合からの脱退を説得することを決定し、三月二四日まず飯垣部長が電報により業務命令として組合結成に参加した委託集金者二〇数名を出局させ、組合結成の経緯とその目的を聴取のうえ、NHKの基本方針を説き、委託集金者は労働組合を結成できない組合を作つても社会保険制度の適用はないとか、営業部長の顔に泥を塗るようなことはしないでほしいなどと数時間に亘り組合を解散するよう説得し、その翌日からは同部長ら局内の職制や外務監査員らが各委託集金者の自宅を戸別訪問し、集金者およびその家族に対し、組合脱退の説得活動を始めた。これに対し集金者労組は県労評の役員特に県労評事務局次長の被告人五十嵐恒男や同組織部長鈴木繁の指導のもとに、NHK山形放送局に対し、集金労組を正式な労働組合と認めさせ、NHKの支配介入を中止させるための活動を起し、まず三月二四日に労働組合結成通知書と役員名簿を、稲垣放送部長を通じて同局に提出するとともに、飯垣営業部長に対し、組合への支配介人をしないよう抗議し、同部長より、支配介人と誤解されるような行為はしない旨の返答を得、また同年四月二日にはNHK職員の労働組合で、県労評にも参加している日放労山形分会の要求により山形放送局の西内局長、飯垣営業部長らと同分会との間に開らかれた集金者労組の問題を主題とする団体交渉に際し、県労評役員もオブザーバーとして出席し、日放労の斡旋で西内局長らが、来週中に県労評の代表者と集金者労組に関し話合の会合を持ち、それまで局側の委託集金者に対する働きかけは凍結するとの約束を得るに至つた。しかるに、山形放送局にはその頃すでに仙台中央放送局営業部長辻紫郎の指示により、かつて山形放送局に勤務した際の上司として委託集金者と顔見知りの他局の職員二階堂秀雄、高橋重雄、松田一英ら六、七名の者が集められ、これと山形放送局の西内局長、飯垣営業部長をはじめとする各職制も加わつて、県労評の抗議を避けるため、山形市内や蔵王、上山の旅館に泊り込みながら、四月一日より委託集金者への戸別訪問による強力な組合脱退の説得活動を繰り広げ、連日連夜委託集金者の自宅を訪ね、組合から脱退しなければ契約更新が問題になると圧力をかけ、あるいは脱退すれば将来正式な職員への採用を保証すると働きかけ、また旅館や料理屋に連れ出して酒食を提供するなどして、組合からの脱退を強要説得し、四月九日前記約束にもとづいて開かれた西内局長らと県労評役員との団体交渉において、組合に対する支配介入を直ちに中止し今後一切行なわない旨の確約をせよとの県労評側の要求に対し、西内局長らは委託集金者は労働者でなく、各集金人に対し局との信頼関係を回復するために説得する行為は支配介入でないと主張し、同交渉は決裂するに至つた。そしてその後辻仙台中央放送局営業部長も山形に来て指揮するなどのこともあつて、組合切り崩し活動はますます熾烈となり、集金者労組員の中から次第に脱退意思を表明する者が増え、遂に一七名もの者が前記説得者に脱退の意向を伝えることとなつてNHK側はその目的をほぼ達し、また一方東京においてこの問題を取り上げた社会党所属の国会議員とNHK役員との政治的折衝もあつて山形放送局は辻部長の指示により同月一六日を限りに派遣の他局員を引きあげさせ、またそのころ日放労山形分会の仲介で同月一九日県労評および集金者労組の各役員と山形放送局との間で再び話合いの場が持たれることとなつた。
ところで四月一九日の交渉は午後四時過ぎころから山形放送局の応接室で開かれ、局側として西内局長、飯垣営業部長、丸山技術部長、稲垣放送部長の四名が出席し、県労評側としては渡辺事務局長、被告人五十嵐次長、被告人遠藤副議長と須藤集金労組委員長が代表格となり他の県労評傘下組合の役員ら三、四〇名がこれに参加し、縦約5.80メートル、横約四メートルの室内の中央に長方形のテーブルを置いて、その南側に西内局長ら局側四名が、北側に渡辺事務局長ら県労評側の右四名が対面して着席し、県労評側の他の参加者はその周囲に置かれた折りたたみ式のパイプ椅子に着席したが、県労評は同日の交渉をNHKと集金者労組との正式な団体交渉と理解し、NHKに対し、結成された集金労組が適法な労働組合であることを認めさせて、それまでの支配介入による不当労働行為を即時中止させるとともにこれを陣謝させ、今後かかる行為を一切しないことを内容とする確約書に署名を求め、それ上で正式な雇傭契約の締結や労働条件改善の要求書を交付してこれを爾後の団体交渉の主題とすることを同日の交渉目的としていたのに対し、山形放送局はNHKの基本方針どおり、集金者労組の労働組合性を否定し、組合脱退のための説得活動は局と委託集金者個人との人間関係を深めるためのもので支配介入ではなく、また同日は県労評役員との単なる話合であるとの立場をとつて同交渉に臨んだことから、同交渉はまず委託集金者の労働者性、集金者労組の労働組合性および不当労働行為の成否について議論が集中し、集金者労組の結成当初からこれに関与指導して来た五十嵐被告人や鈴木組織部長らが、右の立場を固執するNHK側に対し、委託集金者の業務内容と従属性を説いてその労働者性を説得し、局側の組合切り崩し活動を具体的に挙げてその支配介入を非難することが繰り返えされて、交渉の進展もなく午後八時三〇分ころ休憩となつた。そして第二回目の交渉は午後九時三〇分ころから開かれ、西内局長から、双方に誤解はあるが、一七日から委託集金者に対する説得活動は行なつていないし、今後支配介入と誤解されるような行為はしない、との意思表明がなされたが、県労評側は、局はこれまでも同様の約束をしておりながら全くこれを無視して支配介人を続けて来た。信用できない、約束を書面に書けと要求し、その結果書面を書くかどうか局側が検討するということで午後一〇時過ぎころ再び休憩となつた。右休憩中、西内局長、飲垣営業部長らは仙台中央放送局の辻営業部長と電話連絡をとり相談の結果、口頭で確約してもNHKとして委託集金者の組合を労働組合として認める如き書面を書くべきでないとの結論を持つて、午後一一時ころから再開された第三回目の交渉に臨んだが、一方県労評側は、右休憩中に、委託集金者の寒河江助哉と浦山幸夫の両名が来局し、同人らに対しさきに組合脱退の説得活動をしていた仙台放送局の営業係長二階堂秀雄から、同夜電話でさらに、組合脱退届を出したか、何故早く出さないのだ、と脱退を強要して来たことが、被告人五十嵐らに報告され、前記のように口頭で約束している同日の交渉過程においてさえ切り崩しを継続しているNHKの態度に憤慨し、強い不満と不信を抱いて第三回目の交渉に臨んだところ、その当初において、西内局長が、やはり口頭の約束で了承願いたい、と述べたことから、被告人五十嵐が憤激し、席を立ち語気を強め、一時間も待たせて零回答とは何事だ、支配介入と誤解される行為はしないと約束しながらまだやつているではないか、二階堂係長から今夜も切り崩しの電話がかかつて来ているではないか、と激しく抗議するや、これを聞いた他の県労評側の者達もすべて立ちあがり、嘘つくな、何故書けないんだなどと口々に野次をとばし、パイプ椅子で床を打つ者やステンレス製の灰皿を机に叩き、また金属製のスチームカバーを蹴る者も出て狭い応接室は騒然となり、そのうち県労評側の数名の者が、お前らも立て、と西内局長ら四名を順次椅子から立たせて、テーブルと椅子を隅に片づけ、ここに西内局長らNHK側四名と、五十嵐被告人ら前記四名が相対峙して立ち、その周囲を三〇名前後の県労評側の参加者が取りまく状況となつた中で、被告人五十嵐や渡辺事務局長がNHKの不信行為をなじり、その謝罪と確約書の署名を繰り返して要求し、西内局長はこれに対し、他局から来た職制は一七日に引き揚げたから切り崩しはしていない、NHKの方針として文書で支配介入をしないとの約束は出来ない、と答えたのみで、その後は五十嵐被告人らの事例を挙げての追及に答えるすべもなく、そうかといつて上部局の意向に反して確約書を書くことも決し兼ね、それまでの長時間の交渉による疲労も加わつて、両脇の飯垣、丸山両部長に腕を抱えられて立つたまま、ただ沈黙して追及に耐え時を過ごすに至つたところ、被告人五十嵐は西内局長のその態度に業を煮やし、西内局長の顎にこぶしを当て、返事をしろと数回に亘りその顔を挙げさせようとし、また確約書を書けと手にした紙片を同人の眼前に突きつきつけて、その紙片の端が俯く同人の顔面を下から上にすりあげる様に数回触れさせたこともあつたが、西内局長はなおも沈黙を続け徒らに時間を過ごしているうち四月二〇日の午前一時過ぎともなり、渡辺事務局長や放送局側各部長の再三の勧めもあつて遂に西内局長も午前二時過ぎころ休憩を取つて考え直すこととなり、その休憩中に西内局長は辻部長の了解を得たうえ、第四回目の交渉において、二階堂の件は連絡不充分による局側の手落ちであつた旨陣謝するとともに、西内正丸個人の名義で、今後委託集金者労組および組合員に対し支配介入と誤解されるような言動は行なわない旨の文書を作成して渡辺事務局長に交付し、今後改めて交渉の機会を持ち、今夜のことは互に一切水に流して当事者、双方とも協力しようという局長の発言で同日午前四時ころその交渉が終局するに至つたことが認められる。なお、所論中には、五十嵐被告人は第三回目の交渉の途中から退席し、日放労仙台支部委員長と同日の交渉を収束させるための方策を電話で長時間に亘り協議するなどしていたのであつて、西内局長をこぶしで押し上げたり、その顔面を紙片ですり上げるようなことはしていない旨主張する部分があるが、前掲の各証拠によると、同被告人は第三回目の交渉の際午前零時ころから退席したものの、その退席前において判示所為に及んだことが認められるのであつて右所論は採用できない。また、原判示中には被告人遠藤も被告人五十嵐とともに、手にした紙片で数回西内局長の顔面を下から上にすりあげる暴行を加えた旨の認定部分があるが、これに副う証拠は証人西内正丸の原審および当審における証言のほかにはないところ、同人の証言内容は誇張が多く具体性に欠け、特に第三回目の交渉に関しどの程度正確な認識を得たかは疑問があるところ、同局長とともに出席した飯垣、丸山、稲垣のNHK側三部長も、被告人五十嵐の判示所為については詳しく証言しているが、遠藤被告人が原判示の如き所為に及んだことは全く供述していないのであつて、西内正丸の遠藤被告人に関する右部分は信用するに足りず、結局同被告人が原判示の右所為に及んだと認めるべき証拠はない。
しかして原判決は、四月一九日午後四時三〇分ころから翌二〇日午前四時ころまで行なわれたNHK山形放送局の西内局長らと渡辺事務局長ら県労評役員との交渉、特にその第三回目の交渉における県労評側約四〇名の所為を暴力行為等処罰に関する法律一条の多衆の威力に当ると認定し、また被告人両名の所為が数人共同しての暴行に当るとして、被告人両名が西内局長に対し、数人共同しかつ多衆の威力を示して暴行したものと認定しているのであるが、被告人遠藤が原判示のような暴行に出たと認定するに足る証拠のないことは前認定のとおりであり、またNHKの委託集金者が実質的にはNHKと雇傭関係にある労働者で、その結成した組合が労働組合法上の適法な労働組合であることもすでに認定のところ、実質上使用者の地位にあるNHKがその組合結成を阻止しようとし、また結成された組合の組合員に対し脱退を強要説得する行為が、組合に対する支配介入として不当労働行為を構成することはいうまでもなく、そしてかかる不当労働行為の阻止を主たる目的として行なわれた、集金者労組およびその上部団体でかつ団体交渉の委任を受けた県労評とNHK山形放送局との交渉が、適法な団体交渉であることも明らかである。そして団体交渉は本来暴力の行使は許されず、平和的に行なわれるべきものではあるが、それが経済的に優越する使用者に対し労働者の団結の力を背景としてその要求を対等に主張できるよう、相互の力関係の場を合法なものとして設定した制度であることからすると、当該団体交渉における主題や交渉に至る経緯、交渉の際の使用者側の態度、時にその挑発や誠実応答義務違反の如何によつて、労働者側の交渉態度も相対的に変化するのは当然で、ときに交渉過程におけるある所為が外形的には多衆の威力や強要等にあたると解せられる場合においても、その行為の違法性は団体交渉の全過程を検討のうえ決定されるべきものであるところ、本件についてこれをみるに、NHK山形放送局は、すでに認定のとおり、集金者労組結成のときからいまだ基盤の固まらない同組合に対し、その崩壊をめざし、極めて強力執拗な組合員の脱退説得活動を繰り返えし、県労評の抗議に対してその活動を凍結するなどと約束しながら、何らその約束も守らなかつたのであつて、かかる不当労働行為は、団結権に対する強い権利侵害性を持つとともに、それが直ちに阻止されない限り適法な労働組合が壊滅せしめられてしまうという点において、これに対する抗議交渉は他の労働条件の改善等を目的とする一般の団体交渉とは異なり、強い緊急性とある程度の自力救済性を帯びざるを得ず、またこの交渉において支配介入阻止の実効性を確保するため、使用者に対し書面による確約を求めるのも必然的な要求と解せられるところ、本件の交渉過程において、西内局長らはすでに認定のとおり、同局の所為が不当労働行為であることをなかなか認めようとせず、県労評役員らの脱得と追及で遂に、すでに切り崩しと解される行為は中止したし、今後支配介人と誤解されるような言動は一切しない、と口頭で約束するに至つたが、その約束をした団体交渉の最中に、内部的には連絡不充分の手違いがあつたにしろ、客観的にはなお支配介入を継続していた事実が発覚したという異常な事態において、交渉に参加している組合側の者が、その不誠実で挑発的なNHKの態度に不満と不信を爆発させたことは当然であつて、その際組合員らが前示のとおり、西内局長らを椅子から立たせ、パイプ椅子で床を叩き、灰皿を机に打ちつけるなどして口々に同局長を非難する野次をとばし、室内が騒然となつたことも止むを得ない交渉過程のなりゆきというべく、西内局長らがこれにより威圧を受けざるを得なかつたとしても、右の所為が正当な団体交渉の範囲を超える違法な多衆の威力と解するのは相当でない。そしてまた右の事態に至つてもなお書面による確約を拒否し、県労評側の要求に俯いて沈黙を続け、まともに交渉に応じようとしない西内局長に対し、交渉に応ずるようにと同人の顎にこぶしをあてて顔をあげさせようとした被告人五十嵐の所為、および確約書を書けと手にした紙片を西内局長の眼前に突きつけて、その一端を俯いている同人の顔面を下から上にすりあげように接触せしめた同被告人の所為は、西内局長の身体に対する有形力の行使として暴行罪の構成要件の充足性を全く否定することはできないが、これらの所為は前示の如き相手方の挑発的で不信義な行動に対し、これを非難してその責任を追及し、現にいまだ行なわれている不当労働行為を阻止すべく誠実な応答と書面による確約を求めてなした正当な団体交渉権の行使に際しこれに随伴してなされたものと解せられるのであつて、かかる状況下における右程度の軽微な有形力の行使を、本件の正当な団体交渉の全過程の中から、特にその部分のみを抽出してとりあげ、これをあえて処罰すべきまでの違法性があるものとはいまだ認められない。
以上のとおり原判決は事実を誤認し、行為評価を誤つた違法があり、破棄を免れない。論旨は理由がある。
(なお、弁護人は控訴趣意第三として、本件公訴は正当な労働運動を弾圧するために提起された公訴権の濫用行為であるから、不適法として棄却されるべきであるのに、弁護人の公訴権濫用の主張を排斥し、有罪判決を言い渡した原判決は不法に公訴を受理した違法がある旨主張するが、原審記録を検討しても、検察官が所論の如き不当の目的で公訴を提起したものとまでは認められないのみならず、すでに判示のとおり、控訴審において、審理を尽くし被告人らの本件所為が犯罪の証明を欠くものとの結論に達した以上、被告人らの権利保護のためにも当然のちに判示するとおり破棄自判して無罪判決を言い渡すべく、この段階において公訴権濫用の有無を取り上げて原判決が実体判決を言い渡したことの当否を判断するのは相当でない。)
よつて刑事訴訟法三九六条、三八二条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、さらに次とのおり判決する。
本件公訴事実は、「被告人五十嵐恒男は山形県労働組合評議会事務局次長、同遠藤史郎は同評議会副議長であるが、かねて、日本放送協会山形放送局から受信料の集金業務を委託されている集金者が日本放送協会委託集金者山形地区労働組合と称する組合を結成したところ、同放送局幹部等が集金者に対し組合からの脱退を勧めたことを右組合に対する切り崩しと考えて憤慨し、昭和四一年四月一九日午後山形県労働組合評議会傘下の労組員数十名と共に山形市緑町四丁目一五番一二号所在の同放送局に押しかけ、同日午後四時三〇分ころから翌二〇日午前四時ころまでにわたる同局応接室における右放送局長西内正丸等に対する抗議に参加したものであるが、その際、被告人両名は、他数名と共同し、右抗議中の一九日午後一一時ころから翌二〇日午前二時三〇分ころまでの間、同応接室において、長時間無理に立たされたまま、数十名の前記組合員から取巻かれて抗議され、労組員多数による、馬鹿野郎等という罵声、床を踏み鳴らし、灰皿の机上への叩きつけ、金属製スチームカバーの蹴りあげ等の不当の威圧を受け、疲労その極に達して吐気を催しながら同局営業部長飯垣国吉、同技術部長丸山幸雄、同放送部長稲垣勝彦等により交々支えられている西内局長に対し、右多衆の威力を示しながら、西洋紙半分大の紙片数枚をその顔面に突きつけ、「確約書に署名しろ、書け」等と要求し、同紙片で十数回同局長の顔面を下から上にすりあげ、更に同様十数回、同局長の顎をこぶしで下から押し上げ、頭を上から小突く等し、もつて数人共同し、かつ、多衆の威力を示して暴行を加えたものである。」というにあるが、すでに認定のとおり犯罪の証明がないので、刑事訴訟法三三六条に則り、被告人両名に対しいずれも無罪の言い渡をすべきものとし、主文のとおり判決する。
(山田瑞夫 野口喜蔵 鈴木健嗣朗)