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仙台高等裁判所 昭和47年(ネ)405号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一被控訴人は肩書住所地において医院を開業している医師であること、訴外伊藤正見は昭和四一年一二月一日被控訴人の診療を受け、更に同月九日胃カメラの撮影を受けたところ、同月一五日被控訴人から胃の一部を切除する必要があると告げられたので、同日被控訴人に対し胃の一部切除の手術とその術後の治療行為を依頼したこと、被控訴人は右依頼を受けて同月一九日正見の胃の一部を切除する手術を行なつたこと、及び右手術後、約一週間は経過良好であつたところ、正見は同月二九日死亡するに至つたこと、以上の事実は当事者間に争がなく、<証拠>を綜合すれば、正見は前記手術後もその死亡に至るまで被控訴人方医院において被控訴人の診療を受けていたところ、同月二九日午前一一時一五分頃死亡するに至つたことを認めるに足る。

二<証拠>を綜合すれば、次の事実を認めるに足る。

(1) 正見は昭和四一年九月八日被控訴人の診療を受けたが、その際、正見は約五日前から腹部重圧感と腹部膨満感がある旨訴え 被控訴人は急性胃炎と診断した。正見はその後、同月一六日、一七日、二二日の三回に亘り被控訴人の診療を受けたが、右一七日の診察に際しては、被控訴人はX線胃バリウム透視を行なつた。同年一二月一日正見は腹部重圧感、膨満感が夜間に強くて睡眠ができない旨訴えて被控訴人の診察を受け、被控訴人は同日X線胃バリウム透視の上、胃潰瘍と診断したが、同月九日更に胃カメラによる検査を行ない、胃潰瘍のため胃の一部の切除手術を要するものと診断し、同月一五日その旨を正見に告げた。正見は同日被控訴人に対し、前示のとおり、胃の一部切除の手術と術後の治療行為を施すことを依頼し、被控訴人は右依頼に基づき、同日正見を被控訴人方医院に入院せしめた上、同月一九日被控訴人執刀の下にビロート第二法による胃の幽門部の三分の二を切除する手術を行なつた。右手術前の同月一六日被控訴人は正見の血圧、赤血球、白血球の測定のほか、心電図による検診を行なつているが、その結果によれば、正見の血圧は一七〇―一〇〇、赤血球は四二〇万、白血球は六、二〇〇であつた。

(2) 正見の手術後の経過は良好で、手術後一週間目である同月二六日に抜糸がなされたが、抜糸後、同日昼頃に二名の見舞客があり、正見は同人らと約四、五〇分に亘り談笑した。ところが同日午後八時過ぎ頃に至り、正見は吐気を催し間もなく嘔吐したが嘔吐の量は茶腕一杯位で、その内容物は黄色を呈していて、糞性や胆汁性のものではなく、胃液および腸液の一部と考えられるものであつた。翌二七日には吐気が継続し、少量の嘔吐があり、腹部膨満感を訴えたほかは、見るべき変化はなかつたが、同日夜に至り腹痛を訴えるようになつた。翌二八日午前の回診時には腹痛と腹部膨満が見られ、自然排気のないことが認められた。正見は二六日夕食までは食事を摂つていたが、二七日は一日中食事を摂らず、二八日は夕食を約四分の一位摂つただけであつたところ、二八日夕食後約一時間位して腹痛を訴えるようになり、腹痛は次第に強くなり同日午後一一時頃には疼痛が激甚となつたため、付添看護中の控訴人伊藤ヨソエは被控訴人の妻を通じて被控訴人の診察を求めたところ、被控訴人は自ら診察をしないで住込看護婦の荒木千里に指示して注射をさせた。しかしながら正見の腹痛は翌二九日午前三時半頃再び激甚となつたので、控訴人ヨソエは看護婦荒木千里に被控訴人の診察を依頼したが、この時も、被控訴人は正見を診察することなく、住込看護婦の仁平多喜子に指示して注射をさせた。その後、正見は尿意を催すのに排尿できない状態が続いたので、控訴人ヨソエは同日午前六時三〇分頃から再三に亘り被控訴人方看護婦に排尿処置を依頼したところ、同日午前九時頃、被控訴人方看護婦の大場サクエにおいて排尿の処置を施したが、この時、大場サクエは正見がぐつたりしのいるのを見て被控訴人に正見の容態を急報した。被控訴人は時恰も外来患者の診療に当つていたが、急遽正見を診察し、直ちに注射や補液の処置を採つたが、正見は既にシヨツク状態に陥つており、被控訴人の採つた救急療法も効なく、同日午前一一時一五分腸管麻痺により死亡するに至つた。正見の腸管麻痺の原因は、手術後死亡までの症状経過に照し、腸間膜静脈血栓症である。被控訴人は前記二八日午前の回診により正見の腹痛の原因が腸管麻痺であることを診断し得たが、腸管麻痺の原因については、遂にこれを確認することができなかつた。

(3) 正見の前記症状に対し、被控訴人の採つた処置は次のとおりである。すなわち、二六日の嘔吐後被控訴人はピラビタールを注射し、経過を観察することとした。二七日の症状に対しては、ブスコバンを二回に亘り注射すると共にコントール錠を投与し浣腸を施した。二八日午前の回診時に腹痛と腹部膨満が見られ、自然排気のないことを確認したので、腸管麻痺と診断し、アリナミンF五〇ミリグラム、バントール五〇ミリグラムを注射し、経過観察をすることにした。同日午後一一時頃腹痛が激しくなるや、オビアル(麻薬)を注射し、右注射と同時にビタカンを使用し、翌二九日午前三時三〇分頃にも同様の処置をした。同日午前九時頃、正見の容態が悪化するや、救急療法としてビタカン、テラブチクを三ないし四筒使用したほか、デカドロンを二度に亘り投与し、グリコアルギン五〇〇CC、ESポリタミン二〇〇CCの補液を行なつた。

<証拠判断略>

三控訴人らは、手術前の正見の症状は胃炎程度のもので、胃潰瘍の症状ではなかつたのに、被控訴人は胃潰瘍と称して本件手術に及んだもので、医師としての誠実義務に反し、なすべからざる手術を行なつたものである旨主張する。

被控訴人が昭和四一年一二月一日正見を診察した結果、胃潰瘍と診断し、同月九日更に診断した上、胃潰瘍のため胃の一部の切除手術を要するものと診断し、本件手術を行なつたことは、前記認定のとおりであるところ、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)によれば、被控訴人は昭和二五年に医師の資格をとり、外科を専門とし、昭和三四年一〇月から医院を開業して今日に至つたもので、常時一三、四名に及ぶ入院患者を抱え、医院開業以来正見の手術まで既に一〇〇人に近い胃腸病患者の手術と臨床経験を持つていたものであることが認められ、この事実に、前記二(1)の前段で認定した正見が昭和四一年九月八日、約五日前から腹部重圧感と腹部膨満感がある旨訴え被控訴人の診察を受け、その後同月一六日、一七日、二二日の三回に亘り被控訴人の診察を受け、更に同年一二月一日腹部重圧感、膨満感が夜間に強く睡眠できない旨訴えて被控訴人の診察を受けた事実及び前記乙第一号証の記載を綜合すれば、正見は、本件手術前、胃潰瘍の症状にあり且つそのため胃の一部を切除する手術を要する状態にあつたものと認めるに足り、他に右認定を覆えして控訴人ら主張の事実を認めるに足る証拠はない。したがつて、控訴人らの右主張は採用できない。

次に、控訴人らは、被控訴人は本件手術前、正見の手術適応性につき術前調査を行わず、そのため手術適応性の有無を判定できなかつたにも拘わらず、安易に手術適応性があるものと速断して本件手術を行なつた旨主張する。しかし前記二(1)で認定したとおり、被控訴人は一二月一日にX線胃バリウム透視の上、胃潰瘍と診断し、更に同月九日胃カメラによる検査を行ない胃潰瘍のため胃の一部の切除手術を要するものと診断し、同月一五日正見を入院せしめた上、翌一六日血圧、赤血球、白血球の測定検査および心電図による検診を行なつて、同月一九日本件手術を行なつているのであるから、被控訴人は正見につき右のような術前調査を行なつた結果、正見に手術適応性があるものと診断した上、本件手術を施行したものであることが明らかであり、正見の手術後の経過は良好であつて、手術後一週間目の一二月二六日に抜糸がなされた事実に照せば、被控訴人が正見に手術適応性があるものとなした診断には、過誤はなかつたものと認めるのが相当である。したがつて、控訴人らの右主張も採用の限りではない。

四本件手術後、殊に一二月二六日夜の嘔吐があつた以降正見死亡までの間における正見の症状経過及びその間における被控訴人の採つた治療処置は、前記二(2)及び(3)で認定したとおりであるから、この事実に基づいて被控訴人の治療行為に過誤があつたか否かについて判断する。

<証拠>を綜合すれば、次のように認められる。

(1) 腸間膜静脈血栓症は腹部内臓の炎症或いは胃切除手術後に稀に発生する疾患であつて、腸管または腸間膜に対する機械的刺激や炎症性変化により腸間膜静脈内に炎症性変化、血流の停滞、血液凝固性の亢進などが現われて静脈内に血栓が生じ、この血栓が広範囲に他の静脈内に拡大して門脈に達したり、或いは血栓の一部が門脈に流入して門脈閉塞を起し、その結果、かなり広範囲の腸管の血流が停止し、腸管の血流停止により腸管は壊死に陥る。これが発症すると壊死した腸管は運動機能を停止し、極めて急激な経過をとり腸管麻痺の状態で死亡するに至るのが通例である。本症は術後二ないし三週間以内に発生するのが通例であつて、急性あるいは亜急性に発症した場合には、これを確実に診断することは容易ではなく、また仮りにこのような診断を下し得て直ちに開腹手術により壊死に陥つている腸管を広汎に切除し得たとしても、その救命率は極めて低いものである。

(2) 一二月二六日午後八時過ぎ頃、正見は嘔吐したが、開腹手術後には、術後一週間目頃においても外界の理学的刺激、精神的因子、疲労などにより、あるいは明らかな原因なくして悪心、嘔吐の見られることがあり、この時点において軽度の嘔吐があつたとしても、特に処置をせずに経過を観察するのが普通であつて、軽度の嘔吐だけで何らかの異常を生じたと断定することは容易ではないのであるから、正見の嘔吐に際し、被控訴人が鎮静剤であるピラビタールを注射し、経過を観察することとしたのは適切な処置であつた。

(3) 一二月二七日夜、正見が腹痛を訴えるや、被控訴人はブスコバンを二回注射し、コントール錠を投与したほか浣腸を行なつているがブスコバンは鎮痛のため、コントールは鎮静のためである この時点では、腹痛の原因を断定できない段階であり、したがつて原因不明の腹痛の場合には、一応非麻薬性の鎮痛剤であるブスコバンなどを使用して、その効果の有無を見るのは、一般にしばしば試みられる処置であるから、被控訴人がブスコバン注射、コントール錠投与を行なつたのは適切な処置であり、浣腸を行なつたのも当然の処置であつた。

(4) 一二月二八日午前の回診時に、被控訴人は正見に腹痛と腹部膨満が見られ、自然排気のないことを確認したので、腸管麻痺と診断し、アリナミンF五〇ミリグラム、パントール五〇ミリグラムを注射しているが、アリナミンF、パントールは何れも腸管の蠕動を亢進させ腸管麻痺を除去させるに有効とされている薬剤であるから、右注射は異論のない適切な処置であつた。この時点においては、正見の腸管麻痺の有無はX線撮影あるいは腹壁上よりの聴診により推知し得るが、その原因である疾患の確定的な診断は困難であり、殊に腸管痳痺の原因疾患である腸間膜静脈血栓症は腹部単純撮影によるX線写真によつても容易に診断し得るものではない。したがつて、この時期においては、被控訴人が採つたような保存的処置を行ないつつ経過を観察するしか他に採るべき適切な方法はなかつたものである。正見は同日夕食後一時間位して腹痛を訴え、腹痛は次第に強くなり同日午後一一時頃には激痛となつたので、被控訴人はオピアルとビタカンを同時に注射している。腸管痳痺の症状が持続している場合、腹痛が比較的軽度のときは非麻薬性鎮痛剤(ブスコバン、レジタンなど)を投与するのが通例であるが、腸管痳痺の原因が不明で、しかも腹痛が激甚である場合には医師としてその疼痛を緩和させるため麻薬であるオピアル、オピスタンなどを使用せざるを得ない場合が稀ではないから、被控訴人がオピアルを投与したことは止むを得なかつた処置であり、オピアルと同時にビタカンを投与したのは、麻薬による血圧降下を予防するためのものであつて、適切な処置であつた。

(5) 翌二九日午前三時三〇分頃にも、被控訴人はオピアルとビタカンを投与しているが、これも同様の事情によるもので、前夜効を奏したのと同じ薬剤を投与するのが通例である。同日午前九時頃、正見はシヨツク状態となつたが、シヨツク状態が発生した場合には、まず輸液路を確保しつつ補液を行ない、デカドロンなどの副腎皮質ホルモンを投与し、これにより循環血漿量の増大、末梢血管の拡張をはかりつつ、同時にビタカンテラブチクなどの強心剤の投与を行なうのが通例であり、被控訴人がビタカン、テラブチクを三ないし四筒、更にデカドロンを二度に亘り投与し、グリコアルギン五〇〇CC、ESポリタミン二〇〇CCの補液を行なつたのは、適切な処置であつた。

(6)  被控訴人は一二月二八日午前の回診により正見の腹痛の原因は腸管痳痺と診断し、正見の症状を経過観察しつつ前記のような対症治療を採つたのであるが、腸管痳痺の原因が究明されないまま極めて急激な経過をとつて、一二月二六日夕食後の嘔吐から僅かに六〇時間で正見の死亡を見るに至つたことから見れば、正見の腸管痳痺の原因は腸間膜静脈血栓症であり、それが急性に発生したものと認められ、したがつてその診断は極めて困難であるから、被控訴人が腸管痳痺と診断しながら、その原因を確認できなかつたことにつき医師としての注意義務を欠いた過失があつたものとはいえない。また腸間膜静脈血栓症が急性に発症した場合には、直ちに開腹手術を行ない得たとしても、その手術は極めて困難であるばかりでなく、その救命率も極めて低いものであるから、再手術を控え保存的治療に止めることは、外科医として通例のことであるから、腸管痳痺の原因を確認できない状態において正見の腸管痳痺の症状に対する治療として被控訴人の採つた処置に適切を欠くところはなく、被控訴人の採つた措置のほか、他に採るべき適切な措置はなかつたものである。

右認定を左右するに足る証拠はない。

右に認定したところによれば、一二月二六日夜正見の嘔吐以後同人死亡に至るまでの間になした被控訴人の治療処置には過誤はなく、医師としての注意義務を欠いた点はなかつたものと認めるのが相当であり、また本件手術後一二月二六日までの被控訴人の治療処置につき医師としての注意義務を欠いた点のあつたことを認めるに足る証拠はない。

五控訴人らは、一二月二八日夜半から翌二九日早朝にかけて控訴人ヨソエが二度に亘り被控訴人の診察を求めたのに拘わらず、被控訴人は自ら正見を診察しないで無資格の看護婦に注射させたことは、医師としての義務に違反する旨主張する。

控訴人ヨソエが正見の腹痛を見て一二月二八日午後一一時頃と翌二九日午前三時三〇分の二回に亘り被控訴人の診察を求めたが、被控訴人が二度とも自ら正見を診察することなく、看護婦に指示して注射をなさしめたことは既に認定したところである。しかし前に認定したとおり、被控訴人は二八日午前の回診により正見の症状を腸管痳痺と診断し、その対症療法として腸管の蠕動亢進剤を注射して経過を観察することとしているのであるから、控訴人ヨソエから診察を求められたのに自ら診察せず看護婦に指示して注射をなさしめたことを以て、直ちに医師法第一九条、第二〇条の規定に違反するものとはなしがたく、右二回に亘り看護婦になさしめた注射が、その時点における正見の症状に対する治療として適切なことであつたことも既に認定したところである。また二八日午後一一時頃の注射は看護婦荒木千里が、翌二九日午前三時三〇分頃の注射は看護婦仁平多喜子が、それぞれ行なつたものであることは前記認定のとおりであるところ、原審証人荒木千里、仁平多喜子、大場サクエ、高橋成子の各証言によれば、右看護婦荒木千里、仁平多喜子の両名は、当時いずれも厚生大臣の免許を受けていない無資格者であつたことを認め得る。しかし本件に顕われた全証拠を検討するも右両名の看護婦のなした前記注射の処置に過誤のあつたことを認めるに足る証拠はないから、被控訴人が無資格の看護婦に注射をなさしめたことを以て被控訴人の治療行為に過失があつたものとはなしがたい。

六以上によれば、正見の死亡は彼控訴人の診療上の過失に基づくものではないというべきである。したがつて被控訴人に診療上の過失あることを前提とする控訴人らの主位的請求並びに予備的請求は、その余の点の判断をなすまでもなく、いずれも理由のないことが明らかであるから、いずれも失当として棄却すべきである。

(兼築義春 守屋克彦 田口祐三)

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