仙台高等裁判所 昭和50年(う)75号 判決 1978年1月30日
主文
原判決を破棄する。
被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内をいずれも懲役二月に、被告人千葉昭治、同千葉繁をいずれも禁錮二月に、それぞれ処する。
この裁判が確定した日から二年間被告人七名に対する右各刑の執行を猶予する。
原審ならびに当審における訴訟費用のうち、証人佐久間裕、同三浦慶男、同山崎俊秀、同鈴木重義、同熱海徳夫、同及川正に支給した分は、その五分の一づつを被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内の各負担とし、証人狩野五千夫、同菊地正俊に支給した分は、その二分の一づつを被告人千葉昭治、同千葉繁の各負担とし、その余の各証人に支給した分は、その七分の一づつを被告人七名の各負担とする。
理由
控訴趣意は検察官が提出した控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は弁護人斎藤忠昭、同沼沢達雄、同日野市朗、同〓橋治が連名で提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらをいずれも引用する。
一、公訴事実の第一に関する控訴趣意について
1. 本件公訴事実のうち第一の要旨は、「被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内らは、昭和四四年一一月三日午後五時二五分ころ、国鉄東北本線小牛田駅一番線ホームにおいて、乗務報告および終業点呼のため陸羽東石巻線管理所に赴く途中の機関士兼気動車運転士佐久間裕を認め、同人が先に国鉄動力車労働組合を脱退したことに憤慨し、ほか数名と共謀のうえ、右佐久間の右肩を押えてとり囲み『この野郎、裏切り者、裏切つてただですむと思つているのか』などと怒号しながら、同人の胸部、両肩を強く押し、ホームの柱に押しつけ、かわるがわる体当りし、あるいは襟首をつかんで椅子の上に押し倒し、さらに同人の右足を足蹴りにする等の暴行を加えて同人の職務の執行を妨害し、右暴行により同人に対し加療約一三日間を要する頭部、背部、右下腿挫傷の傷害を負わせた」というものである。
2. 右公訴事実について、原判決は、被告人らが暴力行為に及んだことを具体的かつ詳細に述べている佐久間裕の証言は、他の証人の証言によつても補強されず、その大筋においても具体的内容についても信用し難いこと、氏名不詳者が佐久間に暴行を加えた事実は認められるが、被告人らが右氏名不詳者と共謀したものとは認められないことなどの理由を挙げ、結局犯罪の証明がないことになるとし、被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内に対し無罪の言渡をしたのである。
3. 所論は、原判決は証拠の評価を誤り、採証法則に反する不合理な証拠の取捨選択をし、事実を誤認したものであつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである旨主張する。
そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実調の結果をも合わせ、所論の当否について判断すると、原審において取調べられた各証拠を総合すれば、以下のような事実を認めることができる。
すなわち、(一)昭和四四年一〇月ないし一一月当時において、被告人大場は国鉄仙台鉄道管理局陸羽東石巻線管理所(以下単に管理所という)に機関助士兼電気機関助士として、被告人〓橋は同管理局郡山機関区に機関士として、被告人森は前記管理所に機関助士として、被告人狩野、同福内はいずれも同管理所に機関助士兼電気機関助士として、それぞれ勤務していたものであり、右五名とも国鉄動力車労働組合(以下動労という)の組合員であつたこと、(二)佐久間裕は、昭和四四年一〇月ないし一一月当時、前記管理所に気動車運転士兼機関士として勤務していたものであり、同年一〇月二六日それまで所属していた動労(小牛田支部)を脱退し、同月二八日から鉄道労働組合の組合員となつていたこと、(三)動労においては、国鉄が実施しようとしていた機関助士廃止に反対し、昭和四四年一〇月三一日と一一月一日の両日にわたりストライキをすることにし、動労小牛田支部もその拠点とされたため、同支部組合員が一〇月三一日ストライキに突入したのであるが、同日中に中央交渉が妥結しストライキは中止されたこと、(四)動労小牛田支部の組合員らは、ストライキを前にして動労を脱退しストライキに参加しなかつた佐久間裕その他の者に裏切者などと非難を浴びせ、組合の掲示板に右不参加者の氏名を書きそれを黒わくで囲むなどの厭がらせをしたりしたので、管理所においては一一月一日ころ動労脱退者の保護について協議をし、同所指導科長の三浦慶男を佐久間らの保護に当らせることにしたこと、(五)右佐久間は、同年一一月三日平常の列車運転勤務に就き、同日の最後の乗務として仙台発午後四時四六分の急行列車千秋二号を運転し、午後五時二三分ころ小牛田駅(宮城県遠田郡小牛田町字藤ケ崎一一七番地所在)二番線ホームに到着した後、同列車の運転室で別の運転士と勤務の引継きを行ない、自分の鞄や座ぶとん、ハンドルなどを携行して別紙見取図(原判決が用いたものと同じである)点付近に下車したこと、(六)佐久間は、同所に待機していた前記三浦と共に、運転当直助役の許に赴いて終業点呼をうけるため、右点から一、二番線ホームを横断して一番線ホーム側に移り、さらに南方に向かつて歩きはじめたこと、(七)被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内の五名(以下単に被告人大場ら五名という)は、いずれも同日午後一時ころから宮城県宮城郡松島町のヘルスセンターで開かれた庄司昭紘(前記管理所の整備係職員であり動労の組合員でもあつた)の結婚披露宴に出席し、その終了後午後五時すぎころ松島駅で前記急行千秋二号に乗車し、午後五時二三分ころ小牛田駅に到着して同駅二番線ホームに下車したのであるが、被告人大場において前記のように一番線ホーム上を南方に向つて歩いていた佐久間を認め、別紙見取図<2>点付近で同人の許に近寄りその肩を押え、「佐久間、この野郎、裏切り者」などと言いながら同人の胸元をつかんで押し、被告人狩野、同〓橋、同森、同福内らも、ほか数名の者(被告人らと同様に結婚披露宴から千秋二号で小牛田に戻つた動労小牛田支部の組合員)と共にその場に集まり、大場と同様に裏切り者、馬鹿野郎などと叫びながら、こもごも佐久間の肩や胸を押したりついたりし、同人を別紙見取図
4. 右の認定事実からすれば、被告人大場ら五名は、前記認定の日時、場所で佐久間裕を認めた際、同人がさきに動労を脱退したことに憤慨し、居合わせた数名の動労組合員との間で、佐久間に非難、抗議をし多少の有形力をも加えようとの共同意思を暗黙のうちに相互に形成したうえ、各人においてこもごも佐久間の肩や胸を押したりついたりし、同人をベンチの上に押し倒したり、その足を蹴つたりしたものであつて、右暴行により佐久間に前記認定の傷害を負わせたものであることが明らかに認められる。そして、被告人大場ら五名の右所為は公務執行妨害、傷害の各罪に当たるものというべきであるから、原判決は本件公訴事実の第一について有罪の認定、判断をすべきだつたのであり、これに反し犯罪の証明がないとして被告人大場ら五名に対し無罪の言渡をした原判決は明らかに事実を誤認したものといわなければならない。
5. 原判決は、原審における佐久間裕の証言について、他の証人の証言によつても内容が補強されず、その大筋においても具体的内容においても信用し難いとする。しかしながら、右佐久間の原審公判廷における証言(原審第二回ないし第五回、第二五回各公判におけるもの、以下単に佐久間証言という)は、原審における証人三浦慶男、同阿部勇一、同鎌田郁子、同鈴木美代子、同酒井かね子、同早坂輝夫、同熱海徳夫、同久保光男、同佐々木和夫ら多くの証人の証言に照らし、前記のような事実認定に添うかぎりにおいて十分に信用できるものと認められ、他の関係各証拠と対比してもその信用性が疑わしいものとは決して考えられない。原判決が佐久間証言を信用できないものとして詳細に説示している部分は、多くの点において相当ではないというべきである。すなわち、(一)原審第六回、第七回各公判における証人三浦慶男の証言からは、同人が千秋二号から下車する佐久間を出迎えたこと、同人と共に歩行中、被告人大場が佐久間に声をかけ、被告人森、同福内、同狩野を含む一〇名くらいの者が佐久間をとり囲んだこと、三浦が佐久間と引離され、佐久間の許に戻ろうとするのを被告人大場、同〓橋らに制止されたこと、その後右制止をふり切り佐久間の許に赴き同人の腕をとり救出したことなどの諸事実を明らかに認定することができるのであり、これらの事実が前記佐久間証言の信用性を肯定すべき一資料となるものであることも明らかである。三浦が、佐久間に対する被告人らの具体的暴行について目撃せず、その点についてなんら証言をしていないことも、実況見分調書などから認められる現場の状況、各証拠から認められる佐久間をとり囲んだ者の数、三浦自身がうけた暴行の状況などからすれば、決して不自然ではないと認められる。三浦証人は「佐久間をとりまく者の行動については十分目撃しうるはずであり」、同証人がその点の供述をしていないのは、「現場を目撃したがそこに佐久間のいうような被告人らその他動労組合員による暴行を目撃しなかつた」からであるといわざるをえない、とする原判決の判断は、証拠に照らし失当というべきである。(二)原審第八回公判における証人阿部勇一の証言からは、四、五人の者が佐久間をとり囲んでいたこと、被告人福内が佐久間の前に立ち肩で同人をこづくようにしてその歩行を阻止していたこと、その後佐久間がベンチに腰をかけ、その前に三、四人の人がいて、一人の者が佐久間におおいかぶさるようにしていたことなどの事実を認めることができるのであり、右証言も佐久間証言と合わせて本件における事実認定の有力な証拠となるものであることが明らかである。「右証言からは被告人らを含む組合員が佐久間を囲んで騒いでいたということ以上に具体的なものは抽出できない」との原判決の判断は、阿部証言の証拠価値を過少に評価したものといわなければならない。(三)原審第一二回公判における証人早坂輝夫の証言についても同様であり、同証言からは、被告人福内を含む七、八名の者がベンチ付近において低い位置にいた者をこづいていた事実を認めることができる。「右証言によつては被告人ら又はその周辺にいた動労組合員によつて佐久間が暴行を受けたことを認めることはできないし、佐久間証言を補強するに足りない」との原判決の判断は、早坂証言の証拠価値を過少に評価したものというべきである。(四)原審第一〇回公判における証人鎌田郁子、同鈴木美代子、同第一一回公判における証人酒井かね子、同遊佐幸恵、同第一三回公判における証人高橋みつ江の各証言に関する原判決の判断について検討すると、右各証言のうち証人遊佐、同〓橋の各証言内容が具体性を欠くものであることは原判示のとおりである。しかし、証人鎌田、同鈴木、同酒井の各証言からは、機関士らしい人が一〇人くらいの者にとり囲まれ、その中の者から胸ぐらをつかまれたり、肩をつかれたり、ゆすぶられたりし、さらにベンチの上に押し倒され、立とうとしたがまた押し倒されたりしたとの事実を十分に認めることができるのである。右の各証言から直ちに被告人らが有形力を行使したと認めることができないのは当然であるけれども、右各証言と前記した佐久間、三浦、阿部、早坂の各証言、被告人大場ら五名の各供述その他の各証拠とを総合すれば、前記3において認定したような被告人らの共同暴行の事実を十分に認定することができる。原判決の判断は、各証拠の個別的評価に偏し、他の証拠との関連における総合評価を怠つたものといわなければならない。(五)また、原判決は、被告人大場が佐久間の胸倉をつかんだとする佐久間証言につき、当日結婚披露宴の引出物である状差しを携帯していたとする被告人大場の供述などからして、信用できないものとする。しかし、前記3の(七)で認定したように、被告人大場が佐久間の胸元をつかんで押した事実は、前記佐久間、三浦、鎌田、酒井らの各証言を総合すれば明らかに認定できるところである。被告人大場が当日結婚披露宴の引出物として状差しを貰つたことは、同被告人の供述その他の各証拠により明らかであるけれども、右各証拠と前記佐久間、三浦、鎌田、酒井らの各証言とを総合して考えれば、被告人大場は佐久間の胸元をつかんだりした際には右の引出物を他に預けるかどうかしていて所持していなかつたものとも推認されるし、そうでないとしても、引出物を所持したまま佐久間の胸元をつかむこともできたと考えられる(引出物は幅約一五センチメートル、長さ約三四センチメートル、厚さ約五センチメートルであり、それほど大きいものではなく、被告人大場が胸元をつかんだり押したりしたというのもそれほど高度の有形力を用いたわけではない)のである。いずれにしても、引出物所持の点から佐久間証言を信用できないものとすることは失当である。(六)原判決は、佐久間証言が「被告人大場、同〓橋が当初から最後まで佐久間のそばのベンチ付近にいたことを認めている」ものとし、右証言は、「被告人大場、同〓橋が三浦の許に行き同人が佐久間のところに行くのを阻止したりした」との三浦、阿部各証言や被告人大場の供述と対比し信用できないものとする。しかし、佐久間は、被告人大場、同〓橋が終始佐久間のそばにいたとは証言していないのであつて、原判決の前提自体失当というべきである。被告人大場、同〓橋の両名は、佐久間に対し種々の暴行を加えたほか、三浦に対しても同人が佐久間の許に赴こうとするのを阻止したりしていること前記3において認定したとおりであるが、右事実は佐久間証言の信用性を失なわせる理由となるものではない。(七)原判決は、佐久間がその携帯品を一度も手から離していないと証言していることからして、同人がその供述のような暴行をうけたかどうか疑問が生じるとする。しかし、前記3の(七)、(九)、(一〇)で認定した被告人らの暴行は必ずしも高度に強力なものではなかつたと認められるのであり、その時間もそれほど長いものではなかつた(佐久間が被告人大場に声をかけられてから、三浦に助け出されるまでの時間は一〇分くらいであつたと認められる)のであるから、佐久間が右暴行をうけながら携帯品を手から離さなかつたとしても、特に不合理なこととは考えられない。(八)、さらに原判決は、佐久間の受傷の点につき詳論し、証拠から客観的に認められる同人の傷害は事件直後に存した両下腿部の腫脹程度であるとする。しかし、前記佐久間、三浦の各証言、原審第九回公判における証人山崎俊秀、同第一〇回公判における証人武田寛、同第一四回公判における証人熱海徳夫の各証言、実況見分調書、診断書、押収してある健保カルテなどの各証拠を総合し、そのほかこれまでに挙げた各証拠により認められる本件共同暴行の状況をも考え合わせれば、前記3の(二)で認定したとおり、佐久間が本件の暴行により加療約二週間を要する頭部、両側下腿、背部挫傷を負つた事実を十分に認定することができる。佐久間証言に虚偽や誇張のあり得ることを考慮しても、右認定に添うかぎりにおいては、その信用性を肯定できるものというべきである。原判決は、佐久間の受傷の点についても、同人の証言や関係各証拠の証拠価値を過少に評価したものといわなければならない。(九)本件において、被告人大場ら五名がいずれも佐久間に対する暴行の実行行為に出ていることは、前記3の(七)、(九)、(一〇)において認定したとおりであり、被告人大場ら五名とその場に居合わせた動労組合員数名との間で佐久間に対する暴行についての共同意思が形成されたとみられることも、前記4において判断したとおりである。佐久間に対する暴行が被告人らによつて直接なされたと認めるに足りる証拠はないとした原判決の判断、および、被告人ら五名と氏名不詳者との間に共同加功の意思があつたと認めることはできないとした原判決の判断はいずれも失当といわなければならない。
6. 以上検討したとおり、原判決は、公訴事実の第一について証拠の評価、判断を誤り事実を誤認したものであつて、その結果有罪とすべき被告人に無罪の言渡をしたものであるから、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかというべきである。なお、当審における事実調の結果についてみると、当審において証人佐久間、同三浦はいずれも原審における証言とほぼ同様の証言をしているのであり、前記3の認定に添うかぎりにおいて同人らの証言を信用すべきこと、従つて原判決は事実を誤認したものというべきことは一層明らかになつたということができる。ただ、佐久間は当審において、被告人らによりベンチの上に押し倒されただけでなく、ホームのコンクリート上にも倒された旨証言しているところ、右証言は原審においては述べていなかつたことがらであり、他の証人の証言等からも右佐久間証言のような状況があつたことをうかがうことはできないから、これを直ちに信用することはできない。しかし、佐久間証言の中に信用できない部分があるからといつて、同人の他の証言部分まですべて信用できないものということはできない。これは原審における証言についてもいえることである。結局、原判決に所論のような事実誤認があることは明らかであつて、論旨は理由がある。
二、公訴事実の第二に関する控訴趣意について
1. 本件公訴事実のうち第二の要旨は、「被告人千葉昭治、同千葉繁は、ほか数名と共謀のうえ、公訴事実第一と同じ日時、場所において、右第一の被告人らの暴行行為を制止しようとした鉄道公安官狩野五千夫の前に立ちはだかり『公安なんか用はない、帰れ』と申し向けながら、同人の胸部を押し、腕をつかんで引き、さらに胸ぐらをつかんで引つぱり、左大腿部を蹴りつける等の暴行を加え、もつて同公安官の職務の執行を妨害した」というものである。
2. 右公訴事実について、原判決は、被告人千葉繁は氏名不詳者と共に狩野公安職員の救出行為に対し押しとどめ袖を引つぱる等により阻止し、同人の公務執行を妨害したものであることが認められ、被告人千葉昭治も狩野公安職員の救出行為の際同人の胸倉をつかみ二、三回ゆすぶる暴行をし、同人の公務執行を妨害したものであることが認められ、それぞれ外見的には刑法九五条の公務執行妨害に該当するけれども、いずれも同条の予想する可罰的程度の違法性を有しないものというべきであるから、構成要件該当性を阻却し、犯罪は成立しないとの判断を示し、被告人千葉繁、同千葉昭治に対し無罪の言渡をしたのである。
3. 所論は、先ず、原判決は証拠の評価を誤り本来認定されるべき事実より縮少された事実を認定したものであつて、その認定の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張し、次に、原判決は可罰的違法性の法理を濫用し当然に適用されるべき刑法九五条一項の適用をしなかつたものであつて、明らかに判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤りをおかしたものであると主張する。
そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実調の結果をも考え合わせ、所論の当否について判断すると、原審において取調べられた各証拠を総合すれば、以下のような事実を認めることができる。すなわち、(一)昭和四四年一〇月ないし一一月当時において、被告人千葉繁は前記管理所に機関助士兼電気機関助士として勤務し、被告人千葉昭治は同管理所に機関士として勤務していたものであり、両名とも動労小牛田支部の組合員であつた(被告人千葉昭治は同支部副委員長をしていた)こと、(二)狩野五千夫は鉄道公安職員として小牛田鉄道公安室に勤務していたものであるが、昭和四四年一一月三日午後五時から小牛田駅一、二番線ホーム上で警ら勤務に当り、同駅一七時二五分発の急行千秋二号の出発を見送つた後、同ホーム上の水飲場(別紙見取図参照)付近に赴いたところ、その近くのベンチのあたりに機関士がいてその周囲を十数名の者が取り囲み馬鹿野郎といつたり機関士の肩をつついたりしており、その十数名の者の中には国鉄の労働組合員もいたので、一〇月三一日のストライキの際動労を脱退した機関士が吊し上げられているものと判断し、その囲みの中に入つて事態をしずめようと考えたこと、(三)そこで、右狩野が別紙見取図<イ>点付近に赴いたところ、被告人千葉繁は「いいから、いいから、公安じやまだから」などと言いながら両手で狩野の胸を二、三回押し、他の四、五人の者も狩野の周囲をかこみその袖を引いたりし、狩野がベンチの方に行くのを三、四〇秒の間阻止したこと、(四)狩野が右被告人千葉繁らの阻止をふり切り、ベンチに腰かけていた機関士佐久間裕の許に赴き、同人の手をとつて囲みの外に出ようとしたところ、佐久間の隣に腰をかけていた被告人〓橋が足を前の柱まで伸ばし狩野と佐久間が出られないようにしており(別紙見取図<ロ>点)、狩野がじやまだからどけろと言つたのにそのままにしていたので、狩野がひざで〓橋の足を押しのけて進もうとした際、押しのけた〓橋の足がそばに立つていた被告人千葉昭治の足に当り、同被告人は狩野に対し「何だ人の足を蹴つて」と抗議したこと、(四)右被告人千葉昭治の抗議の間に前記〓橋が再び足を伸ばして狩野と佐久間が出られないようにし、狩野が再びそれを押しのけようとしたところ、押しのけた〓橋の足がまたも被告人千葉昭治の足に当り、同被告人が狩野に「何だまた人の足を蹴つて」と抗議したこと、(五)右の抗議に対し、狩野が「自分が蹴つたのではない、〓橋のどけた足が当つたんだ」と弁明したのに、被告人千葉昭治はなおも「人の足を蹴つて、この野郎」と言い、狩野の胸元や服の袖をつかみ、ほか四、五名の者と共に同人を押したりついたりして、同人と佐久間との間を引離し、狩野を別紙見取図<ニ>点まで移動させたこと、(六)そして、狩野が右<ニ>点から佐久間の許に戻ろうとしたところ、被告人千葉昭治は「この野郎」と言つて狩野の胸ぐらをつかみ、同人を二、三回ゆすぶり、他の者が同人の足を蹴つたりしたこと、(七)そこで、狩野は、被告人千葉昭治を公安室まで連行し公務執行妨害として事情聴取をしようと考え、同被告人と共にその場から北方に向かい歩き出したのであるが、その途中被告人千葉繁ら四、五名の者によつて被告人千葉昭治との間を引離されてしまつたこと、以上のような事実が明らかに認められるのである。
4. 右に認定事実からすれば、被告人千葉繁は、狩野公安職員が佐久間の許に赴こうとした際、その行動を阻止すべく他の四、五名の者との間で暗にその意思を相互に共通にしたうえ、狩野の胸を押したり袖を引いたりしたものであつて、その所為が公務執行妨害罪にあたることは明らかというべきである(なお、前記3.の(七)で認定した被告人千葉繁らの所為は、原審記録全体からみて、本件の訴因には含まれていないものと認められる)。
原判決は、被告人千葉繁の所為について、おおむね右と同様の事実認定をし、それが外見的に刑法九五条の公務執行妨害に該当することを認めながら、行為の目的、程度、時間、被害の微弱性などからして、右法条の予想する可罰的程度の違法性を有しないものとする。しかし、原判決の理由とする諸点(ただし、被告人千葉繁らの行為が反射的、受動的なものとしている点は相当ではなく、前記認定のとおり、積極的なものであつたと認めるべきである)を考慮しても、同被告人らの所為が刑法九五条の予想する可罰的程度の違法性を有しないものとすることはできない。右所為につき、公務執行妨害罪の成立要件に欠ける点はないというべきである。原判決は結局において事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものであり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかといわなければならない。
5. 次に、前記認定事実からすれば、被告人千葉昭治は、狩野公安職員が佐久間の手をとつて囲みの中から救出しようとした際、右狩野が押しのけようとした〓橋の足が自分の足に当つたことを奇貨とし、狩野が直接被告人千葉昭治の足を蹴つたものではないことを知りながら、「人の足を蹴つた」と難詰することにより狩野の右救出行為を阻止しようと考え、居合わせた四、五名の動労組合員との間で右救出阻止の意思を暗に相互に共通にしたうえ、狩野の胸元や袖をつかみ押したりついたりし、同人を佐久間から引離し、さらに佐久間の許に戻ろうとする狩野の胸ぐらをつかんでゆすぶるなどしたのであつて、その所為が公務執行妨害罪にあたることは明らかというべきである。
原判決は、被告人千葉昭治の所為につき、狩野公安職員の胸倉をつかみ二、三回ゆさぶる暴行をして同人の公務執行を妨害したとの事実を認定したうえ、狩野の行為が妥当ではなかつたこと、被告人千葉昭治が狩野に直接蹴られたと誤信したのはむりからぬものがあること、暴行の程度が軽微であり、被害も微弱であつたことなどの諸点から、刑法九五条の予想する可罰的程度の違法性を有しないものとしている。しかし、原判決の右認定、判断は関係各証拠の総合評価を誤つたものといわなければならない。狩野公安職員が佐久間を囲みの中から救出しようとしたのは職務上相当であり(この点に関する原判決の判示―原判決五八頁以下―は正当である)、そのため被告人〓橋の足を押しのけようとしたことも、同人が佐久間をとり囲んでいた者の一人であり、故意に足を伸ばし佐久間が出られないようにしていたと認められること、狩野がじやまだからどけろと言つたのにそのままにしていたことなどからして、相当であつたと考えられる。被告人千葉昭治においては、遅くとも狩野が自分が蹴つたのではないと弁明した時点において、狩野が同被告人を直接蹴つたものではなく狩野を責めるべき理由のないことを十分認識していたと認められるのであり、それにも拘らず同被告人がなおも「人の足を蹴つて、この野郎」と言い狩野の胸元や袖をつかみ、ほか四、五名の者と共に同人を押したりついたりし、同人を佐久間から引離したというのは、前記のとおり、足を蹴つたことを難詰することに名をかり狩野の救出行為を阻止しようとしたものと認めざるを得ない。そして、右被告人千葉昭治の所為が刑法九五条の予想する可罰的程度の違法性を有しないものとは決して考えられない。結局、原判決は、被告人千葉昭治の所為の関係においても、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものというべきであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことも明らかといわなければならない。
6. 以上のとおり、原判決は、公訴事実の第二についても事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。なお、当審において証人狩野五千夫は原審における証言とほぼ同様の証言をしているのであり、前記認定に添うかぎりにおいて同人の証言を信用すべきことは、当審における事実調によつて一層明らかになつたということができる。
三、破棄自判
以上の次第であるから、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、さらに次のように判決する。
(被告人らの地位および本件に至る経過)
昭和四四年一〇月ないし一一月当時において、被告人大場は国鉄仙台鉄道管理局陸羽東石巻線管理所(以下単に管理所という)に機関助士兼電気機関助士として勤務し、被告人〓橋は同管理局郡山機関区に機関士として勤務し、被告人森は右管理所に機関助士として勤務し、被告人狩野、同福内、同千葉繁はいずれも右管理所に機関助士兼電気機関助士として勤務し、被告人千葉昭治は右管理所に機関士として勤務していたものであり、以上の七名とも国鉄動力車労働組合(以下動労という)の組合員であつて、〓橋を除くその余の被告人六名は動労小牛田支部に所属していた。
動労においては、国鉄が実施しようとしていた機関助士廃止に反対し、昭和四四年一〇月三一日と一一月一日の両日にわたりストライキをすることに決め、そのストライキの拠点として動労仙台地方本部の仙台、長町、小牛田各支部を指定したのであるが、そのストライキを前にして同年一〇月二六日前記管理所に気動車運転士兼機関士として勤務していた佐久間裕が動労を脱退し、同月二八日鉄道労働組合に加入した。動労小牛田支部の組合員は同月三一日ストライキに突入したが、同日中に中央交渉が妥結し、ストライキは中止された。動労小牛田支部の組合員らは、動労を脱退してストライキに参加しなかつた佐久間裕その他の者に対し、裏切者、脱落者などと非難を浴びせ、組合の掲示板に右不参加者の氏名を掲げそれを黒わくで囲むなどの厭がらせをしたりしたので、前記管理所においては、一一月一日ころ動労脱退者の保護について協議をし、同所指導科長の三浦慶男を佐久間らの保護に当らせることにした。
(罪となるべき事実)
被告人ら七名は、いずれも昭和四四年一一月三日午後一時ころから宮城県宮城郡松島町のヘルスセンターで開かれた庄司昭紘(管理所の整備掛職員で動労の組合員でもあつた)の結婚披露宴に出席し、午後五時すぎころ東北本線松島駅で仙台発秋田行の急行列車千秋二号に乗車したのち、午後五時二三分ころ小牛田駅(宮城県遠田郡小牛田町字藤ケ崎一一七番地所在)に到着して同駅二番線ホームに下車したものであるが、
第一、そのころ、前記佐久間裕は、右急行列車千秋二号を仙台駅から運転して小牛田駅に到着し、同列車の運転室内で他の運転士と勤務の交代、引継を行ない、自分の鞄や座ぶとん、ハンドルなどを携行して別紙見取図点付近に下車し、同所に待機していた前記三浦慶男と共に、運転当直助役の許に赴いて終業点呼をうけるため、右点から一、二番線ホームを横断して一番線ホーム側に移り、同ホーム上を南方に向つて歩いていた。被告人大場は、右のように一番線ホーム上を歩行中の佐久間を認めるや、別紙見取図<2>点付近で同人の許に近寄り、「佐久間、この野郎、裏切り者」などと言いながら同人の胸元をつかんで押し、被告人〓橋、同森、同狩野、同福内も、ほか数名の動労組合員と共にその場に集まり、以上の被告人五名ならびに動労組合員において、動労を脱退した佐久間に非難、抗議をし、多少の有形力をも加えようとの共同意思を暗黙のうちに相互に形成したうえ、各人こもごも裏切り者、馬鹿野郎などと叫びながら佐久間の肩や胸を押したりついたりし、同人を別紙見取図
第二、(一)右のように佐久間裕がベンチの上に押し倒されたりし、その周囲を動労組合員らにとり囲まれていた際、小牛田鉄道公安室に鉄道公安職員として勤務する狩野五千夫が右の囲みの中に入つて事態をしずめようと考え、別紙見取図<イ>点付近に至つたところ、被告人千葉繁は、ほか四、五名の動労組合員との間で狩野に有形力を加えその行動を阻止しようとの共同意思を暗黙のうちに相互に形成したうえ、同被告人において「いいから、いいから、公安じやまだから」などと言いながら両手で狩野の胸を二、三回押し、四、五名の動労組合員らも狩野の周囲を囲みその袖を引いたりするなどの暴行を加え、もつて右狩野の職務の執行を妨害した。
(二) 右狩野が右被告人千葉繁らの制止をふり切つてベンチに腰かけていた佐久間の許に赴き、同人の手をとつて囲みの外に出ようとした際、佐久間の隣に腰をかけていた被告人〓橋が足を前の柱まで伸ばし、佐久間と狩野が出られないようにしていたので、狩野がその足を押しのけたところ、その押しのけた足がそばに立つていた被告人千葉昭治の足に当り、同被告人が狩野に「何だ、人の足を蹴つて」と抗議する間に〓橋がまた足を伸ばしたため、狩野がその足を押しのけようとしたところ、押しのけた足がまた被告人千葉昭治の足に当つた。被告人千葉昭治は、このことを奇貨とし狩野が同被告人の足を蹴つたものと難詰することにより狩野の行動を阻止しようと考え、ほか四、五名の動労組合員らとの間で狩野に有形力を加えその行動を阻止しようとの共同意思を暗黙のうちに相互に形成したうえ、「人の足を蹴つて、この野郎」などと言いながら狩野の胸元や服の袖をつかみ、四、五名の組合員らと共に狩野を押したりついたりして同人と佐久間との間を引離し、狩野が佐久間の許に戻ろうとした際にも、「この野郎」と言つて狩野の胸ぐらをつかみ二、三回ゆすぶり、他の組合員において狩野の足を蹴るなどの暴行を加え、もつて右狩野の職務の執行を妨害した。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内の判示第一の所為のうち、佐久間裕の職務の執行を妨害した点は刑法九五条一項、六〇条に、同人に傷害を負わせた点は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に、それぞれ該当し、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により重い傷害罪の懲役刑により処断することにし、その所定刑期の範囲内で被告人大場、同〓橋、同森、同狩野、同福内をいずれも懲役二月に処し、諸般の情状により刑法二五条一項一号を適用してこの裁判が確定した日から二年間右被告人五名に対する刑の執行をいずれも猶予する。
被告人千葉繁の判示第二の(一)の所為および被告人千葉昭治の判示第二の(二)の所為はそれぞれ刑法九五条一項、六〇条に該当するので、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人千葉繁、同千葉昭治をいずれも禁錮二月に処し、諸般の情状により刑法二五条一項一号を適用してこの裁判が確定した日から二年間右被告人両名に対する刑の執行をいずれも猶予する。
原審ならびに当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用し、主文第四項記載のとおり各被告人に負担させる。
以上の次第であるから、主文のとおり判決する。
(別紙「小牛田駅一、二番線ホーム見取図」は第一審判決添付見取図と同一につき省略。)