仙台高等裁判所 昭和52年(ネ)230号 判決
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【判旨】
(一) 被控訴人は、昭和八年八月二六日札幌市で生まれ、北海道大学英文科を卒業し、昭和三二年A社に入社し、一方、控訴人は昭和一〇年九月二日、北海道夕張郡○○村で生まれ、札幌市内の私立○○女子高等学校を卒業後、札幌市内のデパートで店員をしていたが、被控訴人はA社札幌支店勤務当時、控訴人と知り合い、交際を続けるうち、やがて相思相愛の間柄となつた。そこで被控訴人は控訴人に結婚を申し込んだのであるが、その頃控訴人は被控訴人の女性関係を知つたので、一度はこれを断ろうとしたものの、被控訴人の熱意に動かされてこれを受け容れ、両名は昭和三六年一〇月七日結婚(同年一〇月一七日届出)した。
(二) 控訴人と被控訴人は、結婚後しばらくの間は、被控訴人の実家の近所に部屋を借り、被控訴人はA社札幌支店に勤め、控訴人は家事にいそしんでいたが、被控訴人はまもなく他から二〇〇万円程の金員の融通を得て札幌市郊外に建売住宅(敷地約七〇坪)を購入してここに新居を構え、昭和三七年七月九日、長男一郎(生後間もく死亡)、同三八年九月二二日、長女やよいが出生した。
(三) 被控訴人は潔癖かつ自尊心の強い独善的、独断的な性格で、控訴人との結婚生活についても、自らが控訴人に比し知識、経験ともに優れているものと自負していたので、その生活万般にわたり決定権は自らにあり、控訴人は自己の意見、方針を素直に受け入れ事を処理すべきものと考えていたのであるが、現実の結婚生活に入つて早々、控訴人から格別の理由なくして夫婦関係を拒まれ、あるいは信仰上の問題で違和感を感ずるなど、必ずしも控訴人が自己の意見、方針にそのまま服しようとしないことが重なるにつけ、自分の描いていた理想の姿との距りを感じて控訴人との結婚生活に失望を味わつた。しかし控訴人は特に自己主張の強い性格の持主でなく、どちらかといえば平凡な女性であつて、あくまで自説を押し通すというわけではなく、一応自己の見解を述べはするものの、最後は被控訴人の意見に従つていた。事実被控訴人はプロテスタントの信者であり、控訴人はカソリツクの信者であつてその信仰を異にしていたが、控訴人は被控訴人の言に従い、結婚に際してはプロテスタントの教会で挙式したし、カソリツクの秘蹟である幼児洗礼を見合わせ、亡一郎の墓地の選択も被控訴人に任せている。
(四) ところで被控訴人はA社に入社以来、第一組合に所属し、昭和三七年七月頃、同組合札幌支部執行委員長に就任するなど熱心な組合活動を続けていたが、控訴人は被控訴人の組合活動を喜ばず、かえつて被控訴人の母とともに被控訴人に対し組合活動への深入りを避けるよう勧めたりしたので、被控訴人は控訴人が自己の組合活動についての理解がないとして不満を持つた。しかし控訴人のかような組合活動への積極的態度も、唯被控訴人の将来を案じてのものに過ぎず、組合主催の座談会に出席するなど全く無理解、無関心であつたわけではない。
(五) 昭和三九年六月被控訴人はA社広島営業所勤務を命ぜられ、同年七月三日、家族とともに広島に着任したのであるが、従前に比し被控訴人の帰宅が遅く、これが度重なつたことなどから、控訴人は次第に夫の行動に不審を抱いて、ときには不快の感情を顕にし、あるいはその行状を問い詰めたりした。一方被控訴人は被控訴人でこのような控訴人の態度に接しこれを不憫に思うより嫌悪の念が先立つて、控訴人は自己の職務に対する理解がないもの、自己の行動への信頼を欠くものと、控訴人が一層疎ましいものに思われた。
なお広島在勤中、一日家族でボート遊びに興じた際やよいがにわかにおびえて泣き出したことから、控訴人が被控訴人に対して非難めいた口振りを示したことはあつたが、それはひとえに娘の気持を思つての母親としての感情の表出にほかならなかつた。
(六) 被控訴人は、昭和四一年六月、A社大阪支店に転勤となつが、その頃控訴人はふとした機会に被控訴人がひそかに避妊用具を所持していることを知つて、内心穏やかならぬ気持を抱いていたところ、昭和四二年一月三日夜被控訴人から夫婦関係を求められた際、これを拒否したため、被控訴人は立腹の余り、控訴人との夫婦関係を絶つ決心をし、爾来控訴人に対し一度なりとも夫婦関係を求めたことはなかつた。控訴人はかかる夫の仕打を平然と受けとめたわけではなく、夫の気持を和らげるべく自ら被控訴人を誘つたことがあつたが、被控訴人から頑にこれを拒否されたので控訴人は諦めた形でその後はあえて自ら被控訴人を誘うことをしなかつた。
(七) その後被控訴人はA社バンコク支店勤務を命ぜられ、昭和四四年一〇月単身彼地に赴任した。ところで被控訴人は、はじめ外地に控訴人母娘を迎えることには乗り気ではなかつたが、控訴人が極力同居を望んだたため、これを受け入れることとし、控訴人らが渡来するにあたつては、予め行き届いた指示を与えていた。そして昭和四五年一月二五日、控訴人は娘やよいを連れて現地に着いたが、それも束の間同年二月七日、被控訴人は突然原因不明の高熱を発して倒れ、入院して手当てを受けたが、いぜん高熱は去らなかつたので、急拠東京の慈恵医大病院に運ばれ、同年五月末頃まで入院生活を送つた。この間控訴人は被控訴人の重篤な病状が続く間文字通り寝食を忘れて看病につとめ、被控訴人が慈恵医大病院に入院するに際しても夫に附添つて帰国し、娘を東京都内の被控訴人の兄夫婦の許に預け、自らは、ほとんど夫の病床に附添つてその看病にあたつた。その後被控訴人の病状は快方に向つたので控訴人は娘を現地の小学校に入学させるべく、やよいとともにバンコクに戻り、異国でひたすら夫の早期回復を祈りつつ、その帰りを待ちわびていた。被控訴人はようやく病状が回復したので、同年五月、バンコクに戻つたが、まもなくA社霞ケ関営業所に配置換となり同年六月家族を連れ、帰国の途についた。
なお被控訴人が慈恵医大病院に入院の間、控訴人が被控訴人に対し兄夫婦宅に居辛い旨の心境を洩らしたことはあつたが、特に兄夫婦との折り合いが悪かつたわけではなかつた。
(八) かようにして被控訴人は昭和四五年六月から東京で勤務するようになつた。これより先被控訴人は娘の情緒教育上必要であるとしてエレクトーンを購入していたのであるが、その頃控訴人がやよいにピアノのレツスンを始めさせたことでひどく感情を害した。しかしエレクトーンは、被控訴人が控訴人に対し一言の相談もなく購入したものである一方、控訴人は娘の希望と将来エレクトーンを奏するにしてもピアノが基本であるとの教師の助言に従つたまでのことであつて他意はなかつた。なおピアノ購入の事実はない。
(九) 被控訴人は東京勤務の頃から控訴人との離婚を考えるようになり、双方の親戚を交え控訴人との間で数回にわたり離婚問題を話し合つたのであるが、一向に話合いは進展しなかつたので、A社仙台支店に赴任してまもない昭和四六年一一月、控訴人を相手方として仙台家庭裁判所に離婚調停を申し立てた。これに対し控訴人はあくまで離婚に応じなかつたので、右調停は不調に終つたのであるが、被控訴人はなおも離婚調停を繰り返えして申し立て、同四八年一月、当事者間に別居調停が成立した。そこでその頃、被控訴人はひとり社宅を出て仙台市内のアパートに一室を借り受け、そこに寝起きを始め、控訴人に対しては調停条項に従い婚姻費用として毎月五万五、〇〇〇円宛(六月、一二月のボーナス期に三万円及び四万円。)を現在まで支払つているが、その後両者間の往来は全くない。
(一〇) 別居後被控訴人はかねて面識のあつたB女に近附き、本件訴訟係属中の昭和五〇年八月腸炎を患い仙台市内の労災病院に入院した際には、この事実を控訴人に知らせず、右B女の看病を受けるまでの親密な間柄となり、その頃同女と肉体関係を結んだ。昭和五二年三月、被控訴人が再び東京勤務を命ぜられた際にも、右B女はその後を追う如く、被控訴人の住居に近い相模原市にある姉夫婦の許に居を移し、両名間には肉体関係が続いている。そして被控訴人は控訴人との離婚後の結婚対象として右B女を考えている。
以上のような事実を認めることができ、<る。>
二右認定の事実関係に基づき本件をみてみるに、まず被控訴人が本訴係属中、B女と肉体関係を結ぶ以前の段階においては、なるほど被控訴人と控訴人との婚姻生活はきわめて憂慮すべき状態にあつたことは否めないが、その原因は、もつぱらあるいは少くとも主に被控訴人の独善的、かつ独断的な性格に負うもので、もし被控訴人が謙虚に省みてその原因が奈辺にあるかを見極め、その非なる処を改めるに吝かでなければ、両名が再び円満な婚姻生活に復する余地も決してなかつたわけではないと思われ、いまだ婚姻関係が破綻状態に達していたものとは断ぜられなかつたのであるし、仮にこれが破綻していたものとしても、その破綻の原因は右のとおりひつ竟被控訴人の前記性格によるもの、換言すれば被控訴人はいわば自分好みの配偶者像を控訴人に期待する余り、これに親まない控訴人に対して失望、不満を抱き、これが昂じての不和にほかならない。控訴人はむしろ平凡な女性であり、妻として格別の落度はなく、概ね被控訴人の意に添うべく、努めて来たもので、特に控訴人に破綻の責を負わせることはできない。その破綻の原因はもつぱらあるいは少くとも主に被控訴人が負うべきものである。
しかして被控訴人とB女との関係が生じた現段階においては、控訴人はともかく被控訴人には控訴人に対する愛情の片鱗すら窺えず、もはや控訴人と再び円満な婚姻生活を送る意思は全く失つているものというべく、両名の婚姻関係はすでに破綻状態にあり、しかもその原因は被控訴人の女性関係にあるものといわなければならない。いずれにせよその破綻の原因は、もつぱらあるいは少くとも主に被控訴人にある。
なるほど愛情のない形ばかりの夫婦を残すことは無意味であり、ある意味では有害な結果を招くかも知れない。しかしもし本件のような場合にまで有責配偶者からの離婚請求を認めることは、その一方的な主張を認め、いわばその我儘を許すことになるし、他方さして落度のない妻からその座を奪うこととなり是認できない。やはり婚姻関係の破綻につき、もつぱらあるいは主として責任のある配偶者からの離婚請求は認めない(最判昭和三八年六月七日。家庭裁判月報一五巻八号五五頁参照)との立場は堅持されなければならない。
それ故本件は、民法第七七〇条第一項第五号にいう「婚姻を継続し難い重大な事由」に該当しないものと解するのが相当である。
(佐藤幸太郎 武田平次郎 武藤冬士巳)