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仙台高等裁判所 昭和52年(ネ)401号 判決 1978年3月27日

控訴人(附帯被控訴人)

大堰土地改良区

右代表者理事長

相馬房夫

右訴訟代理人

柴田正治

控訴人(附帯被控訴人)

七戸町

右代表者町長

中野吉十郎

右訴訟代理人

渡辺大司

被控訴人(附帯控訴人)

成田操

成田トヨ子

右両名訴訟代理人

藪下紀一

主文

原判決を取り消す。

被控訴人(附帯控訴人)らの請求を棄却する。

被控訴人(附帯控訴人)らの附帯控訴を棄却する。

訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は、第一、二審を通じて被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人ら夫婦の長女明美(昭和四七年一〇月八日生)が、昭和四九年五月九日午前八時頃、当時被控訴人らの住居であつた青森県上北郡七戸町字七戸一八四番地先の本件用水溝に転落して死亡したことは当事者間に争いがない。もつとも、転落の情況については目撃証拠もなくその詳細は不明であるが、原審の検証の結果と被控訴人成田操本人尋問の結果によると、明美はまだ一人で遠出の困難な一才七ケ月の幼児であり、事故当日被控訴人操が新聞を読んでいた五分位の間に行方不明になつたという経緯が認められるところから、本件用水溝のうち被控訴人宅西側約2.65メートルのところを南北に流れる部分(本件事故現場)に転落したものと推定され、控訴人らもこの転落場所の推定を強いて争つてはいない。

二控訴人らは、本件用水溝の管理責任を争うので、順序としてまずこの点を判断する。

(一)  <証拠>によると、本件用水溝は、その設置された時期は古く(天明年間に遡ると推定されるがその詳細は不明である)、七戸町内の作田川字道坂堰堤付近の取水口(水門)を起点としてほぼ西から東に向つて流れ、同町市街地内の北部を貫流して、同町東側郊外や隣接する上北町の水田地帯にいたる延長約四キロメートルに及ぶもので、現在控訴人改良区に所属する組合員約八〇名が農業かんがい用排水に利用していること、同控訴人の定款には、本件用水溝を含む七戸川から引水するかんがい施設、七戸川への排水施設および地区全域にわたる農道の維持管理を控訴人改良区の実施する土地改良事業とすることが明記されており、同控訴人が昭和三九年六月八日に青森県知事に提出した土地改良事業計画変更認可申請書にも本件用水溝を含む七戸川流域の幹線用水路および分岐する支派線用水路の修理又は浚せつ、堰堤の補修等の維持管理をしてきた旨が記されていること、現に昭和三四年四月頃に新らしく設置された現在の取水口(水門)は、控訴人改良区がその事業として自ら費用の一五分の三(残りは控訴人町の補助による)を支出して施工したものであり、水門の開閉操作に使用するハンドルは、控訴人改良区が費用を全額負担して作り、昭和三八年に行なわれた本件用水溝の融雪災害復旧工事には控訴人改良区が、国と控訴人町の補助を受けながら自ら事業主体になつていること、控訴人改良区の組合員は、毎年四、五月の苗代時から田植時にかけて本件用水溝のうち市街地を除く下流の水田地帯を流れている部分を浚せつしていること、などの事実が認められるのであり、このような事実にてらすと本件用水溝は、公共団体である控訴人改良区がその権限にもとづいて管理する公の営造物であると解するのが相当であり、管理責任を否定する証人花松金一郎の証言の一部は採用しない。

(二)  控訴人町が、本件用水溝について管理権限を有することを明らかにする法律、条例、規則その他令上の根拠は認められないが、<証拠>によると、控訴人町は、同町北部の高台方面から市街地内に流れてくる多くの沢水や降雨などによる余水を本件用水溝に流入させて処理する一方、本件用水溝沿いの同町内の家庭が廃水を本件用水溝に排出させ、控訴人町は下水道等を設置しないで済ませていること、控訴人町の所轄機関である同町消防署が消防法第三〇条所定の緊急措置等の範囲にとどまらず、常時本件用水溝の水量調査を行なうとともに、水門の開閉ハンドルを控訴人改良区から預つて保管し、同控訴人の指示する時以外にも適宜水門の開閉操作をして水量の調節を行なつていること、控訴人町は、右(一)で認定したように、控訴人改良区が施行した水門の建設工事や融雪復旧工事についてその費用を一部出捐しているほか、同控訴人には資金がないこともあり、本件用水溝の護岸壁の破損部分の修理とか駐車場を作るために一部暗渠にするなどの工事を控訴人町の費用で行ない、本件用水溝のうちとくに市街地を流れる部分(本件事故現場を含む)については日常の管理を事実上行なつていたことが認められるのであるから、これらの事実にてらし、控訴人町も控訴人改良区と共同して本件用水溝の管理責任を負うものと解するのが相当である。

三そこで、本件用水溝のうち、本件事故現場付近の管理に瑕疵があつたかどうかを検討する。

(一)  まず<証拠>によると、本件事故現場は、作田川の取水口から東方約六四〇メートルの地点で、本件用水溝が七戸町市街地にさしかかる付近にあり、控訴人町役場の南方にあたるが、用水溝の形状は、幅が約1.05メートルから0.62メートルであり、西側の護岸壁は高さ約1.40メートルの土手になつているが、明美が転落したと推定される東側は、約0.46メートルの石積みの護岸壁となつていて、右護岸壁は、被控訴人操の父親である成田八郎所有名義の同町字七戸三一番四の宅地に直接接しているほか、その水深は、本件事故当時を含めて平常は約0.15メートル程度の浅いものであつたことが明らかである。被控訴人操は、本件事故当時は降雨後で水深が三〇センチメートルをこえ、水流も相当速かつたと供述するが、右本人尋問の結果は、当時降雨がなかつたことを明らかにする乙第一七号証(成立は争いがない)、前掲野田証言、原審の検証の結果(立会人作田玉の指示説明)などにてらして信用性に乏しく採用し難い。

以上のように、まず本件用水溝は、その幅員も狭く、護岸壁の高さや水深の浅さからいつて、明美のような極く年少の幼児(被控訴人操本人尋問の結果によると、明美は家の中を歩き廻り日に何回か外に出る程度で保護者が常に目を離せないような発育の程度であつたことが明らかである)を別にすると、成人はもとより、幼児でも転落の危険は乏しく、かりに転落したとしても、容易に護岸壁にはいあがることができ、生命や身体に危害を受ける危険の少ない状態であつたというべきものである。<証拠>によると、明美は、転落後約一時間ぐらいの間に約三四〇メートル下流に押し流されているから、本件用水溝の流水は、水深の割合には流速が強いと考えられるが、その程度も右の危険性の程度に対する判断を左右するには足りない。

(二)  また、<証拠>によると、本件用水溝は、七戸町市街地に入ると、家庭用廃水の排水等に利用され、水質も汚れてくるが、本件事故現場付近では、まだ清流であるため、被控訴人ら宅では、その敷地と本件用水溝との間に塀や柵などを設けず、用水溝上に渡り板を渡して洗濯、野菜洗いなど日常の家事に流水を使用してきていたもので、控訴人町が本件事故後、本件事故現場付近一帯の本件用水溝の護岸壁に金網の柵を設けた際にも、被控訴人らはわざわざ金網の一部を空けてもらい、約1.5メートル位の間隔を空けてその間に自由に開閉できる木戸をもうけて本件用水溝の流水を使用する便宜を確保していたことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。したがつて被控訴人らは、本件用水溝の流水を、河川の流水などと同視して自由使用していたものであり、幼児の監護など自由使用に伴う危険防止の措置は自ら講じるべき立場にあつたことが明らかである。

(三)  つぎに、<証拠>によると、本件事故現場は、前示のように用水溝の東側護岸壁が成田八郎所有の宅地すなわち被控訴人ら夫婦の居宅敷地と接しており、右護岸壁から約2.65メートル位離れて被控訴人らの居宅が建てられていること、右居宅の南側には七戸幼稚園方向に通ずる公道があり、また居宅敷地北側には被控訴人らの車庫が設けられていて、本件事故現場の東側は、本件用水溝と車庫、被控訴人居宅で囲まれた狭い空地となつているが、被控訴人らが車庫への車の出し入れや物干などに使用するほか、特に不特定の幼児などが遊びに入りこむような場所ではないことが認められ、この認定を覆すに足る証拠もない。

そして被控訴人操本人尋問の結果によると、同被控訴人は、前示のように、居宅の敷地と本件用水溝との間に塀や柵などを設けずにその敷地や本件用水溝の流水を使用してきたことに加えて、控訴人らに対して、本件用水溝の危険性を訴え、転落の予防のための防護措置を要求したことはなかつたことが明らかである(したがつて、本件用水溝には被控訴人操の兄弟らも幼い時に転落したことがあり、その危険性は早くから認識されていたという同被控訴人本人尋問の結果は信用し難いところがあるといわなければならない)。

(四)  つぎに<証拠>によると、本件用水溝については、従来、本件事故現場も含めて、七戸町民の間から、控訴人らに対し、幼児等の転落防止の安全施設の設置を要望する請願や陳情は同証人らの知る限りではなかつた(証人高田宣孝、同高田正美は長く控訴人町に勤め、証人楢舘長吉は控訴人改良区の職員をつとめ、証人大下内尚は七戸町民である)ことが明らかであり、控訴人らは、本件事故後、本件用水溝の両側に金網の柵を設置したが、それは万一のことを考えて行なつたものであり、本件用水溝の危険性についてはなお否定的であることが明らかである(証人高田宣孝は、三、四才の幼児ならば危険がないといつている)。これらの証言は、前示の本件用水溝の形状や平常の流水量からいつて無理からぬところがあると考えられる。これに反して、本件用水溝に幼児が転落した事例があつたことをいう証人米田徳静、同野田宣児の証言は、その供述する転落場所が本件事故現場と異なるのみならず、転落事故そのものも伝聞による結果に過ぎないので、信用性に乏しいといわざるを得ない。

(五) 以上認定にかかる事実を総合すると、本件事故現場の本件用水溝は、その護岸壁の高さや水深からいつて、通常の幼児や成人にとつては、生命、身体に危険が及ぶという形状のものとはいい難いことに加えて、本件用水溝の管理者である控訴人らとしては、被控訴人らのように本件用水溝の流水を自由使用するものについては、自由使用に伴う危険は自ら防止することをある程度期待し得るとともに、明美のように、危険の認識能力も、その回避の体力もない乳幼児については、戸外を自由に遊び歩く年代に達した幼児とは異なり、当然保護者の監護のもとにあると信頼するのが自然であることに加えて、本件用水溝全体や本件事故現場については、従来から町民や被控訴人操から危険の指摘や安全設備の要求はなく、そのことは本件用水溝の形状から無理もないと思われるのであるから、控訴人らが、本件用水溝に一年七ケ月程度の乳幼児が保護者の監護を離れて転落するという不慮の事故を予見してその回避のために何らかの措置を講ずべき義務を負担していたものとは解し難く、したがつて本件事故現場に明美の転落を防止する設備をあらかじめ設けていなかつたことをもつて本件用水溝が通常備えるべき安全性を欠き、ひいて被控訴人らの管理に瑕疵があつたと解することはできない。以上のほか、本件事故が、控訴人らの管理の瑕疵にもとづくことを認め得る証拠はないから、控訴人らは、被控訴人らに対し、その主張のように国家賠償法第二条、第三条、民法第七一七条等を理由とする損害賠償義務を負担することはないというべきである。

四以上の次第で、被控訴人らの損害賠償の請求は、損害額の判断をするまでもなく、理由がないことに帰するので、被控訴人らの本訴請求ならびに附帯控訴を失当として棄却すべきである。よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(石井義彦 守屋克彦 田口祐三)

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