仙台高等裁判所 昭和52年(ネ)435号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
<当事者、証人等は仮名>
一<証拠>によると、宮城県知事が昭和二四年一〇月自創法一六条の規定により被控訴人に対し、昭和二二年三月三一日を期日として本件土地を売渡し、昭和二四年一〇月二七日その旨の登記がなされたこと(なお、甲第一号証「売渡通知書」の名宛人は「岩渕輝雄」と記載されているが、右の被控訴人「岩淵照夫」の誤記であることは、<証拠>の各記載内容に照らし明らかである。)が認められる。もつとも、<証拠>によると、宮城県知事は昭和二二年一一月一日自創法一六条の規定により控訴人に対し、昭和二二年三月三一日を期日として本件土地を売渡す旨の売渡通知書を発行したことが認められるが、前掲乙第七号証の一ないし四によると、かえつて、右通知書が発行された時には、控訴人は出征したまま復員せず、生死も不明の状態であつたため、被控訴人の母である訴外甲野キヨの懇請により、宮城県知事は右控訴人宛の売渡通知書の発行を撤回し、あらためて、被控訴人を被売渡人とする前記農地売渡処分をしたことが認められ、他に右認定を履すに足りる証拠はない。そうすると、右売渡処分が取消されたとの主張も、他に右売渡処分の無効事由の主張もない本件においては、本件土地は自創法一六条によつて被控訴人に売渡され、同人の所有となつたものというべきである。
二昭和二九年五月一一日被控訴人と控訴人間に、被控訴人は控訴人に対し本件土地(甲)を譲渡し、控訴人は被控訴人に対し家屋を建築して提供するとの合意がなされたことは、右家屋の提供によりこれに居住すべき受益者が誰であるかの点を除き、当事者間に争いがなく、また同年六月一一日右土地の右譲渡につき宮城県知事から農地法三条の許可がなされたこと、その頃控訴人が被控訴人から右土地の引渡を受けたことも当事者間に争いがない。
三そこで、右家屋の提供による受益者及び控訴人の家屋提供の有無について判断する。
<証拠>を総合すると、
1 控訴人は訴外甲野正男・同キヨ夫婦の二男、被控訴人は六男である。本件土地はもと訴外片倉合名会社の所有であつて訴外正男が小作していたところ、同訴外人は昭和一八年三月二〇日死亡したが、推定法定家督相続人であつた控訴人は昭和一六年に出征し、軍務に服していたため、訴外キヨは控訴人以外の子供と訴外正男が小作していた本件土地を耕作していた。
2 終戦後農地解放が行われ、前記一に認定したとおり、昭和二四年一〇月本件土地が自創法一六条により被控訴人に売渡されたが、その当時の訴外キヨ(明治二三年一〇月八日生)の世帯は、新制中学校を卒業したばかりの被控訴人(昭和八年一〇月二三日生)、その盲目の姉である訴外ハナ(明治四二年五月二六日生)、被控訴人の兄(控訴人の弟)でやゝ智能程度の劣る訴外一郎(大正一五年三月一〇日生)との四人からなり(その他の被控訴人の兄弟姉妹は夭折するか、結婚又は就職により別世帯となつていた。)、右世帯に属する財産としては、売渡を受けた本件土地のほかには、訴外正男が残した大正初期建築にかかる草葺の百姓家(母屋の部屋数は一〇畳、八畳、七畳半、六畳の部屋各一があり、ほかに附属建物として、草葺、間口二間半、奥行五間の馬屋一棟があつた。)とその所在宅地以外に見るべきものはなく、極貧の生活状態であつた。被控訴人は新制中学校を終えてからは訴外キヨらと本件土地の耕作にも従事したが、主に各地の土木工事現場、亜炭炭坑等に土工、採炭夫等として出稼し、その賃金収入を母親の許に送金し家計を維持していた。
3 ところが、昭和二八年八月中旬に至り、沖繩で終戦を迎えたが訴外キヨや被控訴人には音信をしていなかつた控訴人が、突然、現地で結婚した妻とその間に出生した子供三人を連れて訴外キヨの許に引揚げて来て、同訴外人や訴外ハナと同居するようになり、控訴人はトラックの運転手として働くようになつた。そして、間もなく控訴人夫妻と訴外キヨ、同ハナとの折合が悪くなり、また、控訴人が亡父の家督相続人であることを理由に本件土地の所有権を主張し始めたため、家庭争議に発展し、控訴人は飲酒しては訴外ハナに乱暴するなど訴外キヨ、同ハナにつらくあたつた。被控訴人は同年一一月頃、出稼先である福島県の只見川発電所工事現場に訴外キヨが迎えに来たので、控訴人らが引揚げて来たことを知つたが、右のような争いを聞き母と姉を連れて別家(分家)することを希望した。
4 そして、右争いの仲に入つた親族の調停により、同年一一月頃被控訴人・控訴人間に、控訴人は被控訴人に対し、訴外キヨ、同ハナ、同一郎及び被控訴人の居住する家屋を提供しこれを譲与するかわりに、被控訴人から本件土地(甲)の譲渡を受けるとの合意が成立し、同年一二月二日築館農業委員会を経由して宮城県知事に対し、右譲渡につき農地法三条の許可申請をした。同農業委員会は昭和二九年三月六日、同年五月一一日の会議において右申請を審議し、最終的に被控訴人の要請により、控訴人から、被控訴人に対し家屋を建築して与えることの意思のあることを確認したうえ、右申請を承認する旨決議し、その結果、宮城県知事から同年六月一一日付で本件土地(甲)の譲渡につき農地法三条の許可がなされた。
5 しかし、被控訴人は控訴人が家屋を建てる様子も見えないうえ、控訴人夫妻と折合が悪かつた母と姉が速かに別居することを望んだため、昭和二九年春、近所に畑を買い求め、そこへ前記2記載の馬屋を解体して移築し、訴外キヨ、同ハナと移り住んだ(なお、訴外一郎は後記火災時まで出稼等の関係で、この建物には時々しか住まなかつたようである。)。そして、被控訴人は右移住に際し、控訴人から金品の贈与その他の経済的援助を得られなかつたのみならず右馬屋の解体についても控訴人は殆んど手伝わず、運搬作業は部落の人が手伝つて行い、建物の敷地にした畑地の購入、大工、左官等の手間賃は、訴外キヨが飼育していた乳牛一頭を売つて得た金と被控訴人の賃金収入をもつて支払つた。しかし、被控訴人は最低限の費用しか出せなかつたので、移築した建物といつても、外壁として荒壁を塗つただけで、床も天井も窓も内部の間仕切りもなく、寝る場所も土間に藁を敷いて寝る状態であり、入口にも戸がなく、莚をぶら下げていた。その後入口の戸や窓は取付けたものの、内部は数年間建てた時と大差のない状態であつた。この建物は昭和三八年頃の春頃当時居住していた訴外一郎の子供の弄火により焼失したが、その時まで電燈も引いてない家であつた。
6 控訴人は被控訴人が移築した馬屋に、自己の出捐をもつて、内部に造作を加え畳・建具を入れる等人家らしい体裁を整えるように努めた形跡はない。前記のように右建物が焼失後今日に至るまで、控訴人が家を建築して被控訴人又は訴外キヨ、同ハナらに提供した事実もない。
7 訴外キヨ、同ハナは、前記火災後約二ケ月間程控訴人方に引取られて暮した期間(その間被控訴人は新しい家の建築のため奔走していた)を除き、訴外キヨは昭和五四年七月死亡するまで被控訴人の許で暮し、訴外ハナも現在に至るまで被控訴人方で暮しているが、その間の昭和四九年九月二〇日に被控訴人を養子とする縁組を結んでいる。
以上の諸事実を認めることができ、<証拠判断略>。
右に認定した諸事実によつて判断すると、被控訴人・控訴人間に、遅くとも昭和二九年五月一一日開催の築館町農業委員会々議の時までに、被控訴人は控訴人に対し本件土地(甲)を譲渡し、控訴人は被控訴人に対しこれに対する反対給付として、控訴人所有宅地の一部或は被控訴人が確保した土地に、訴外キヨ、同ハナ、同一郎及び被控訴人らが居住の用に供すべき家屋をすみやかに建築して譲渡する旨の契約が成立したものということができ、そして、右契約がなされたにもかかわらず、控訴人は右反対給付の履行をしていないことが明らかである。
控訴人は右契約にいう家屋とは今日的な家屋の観念によるものではなく、契約成立時における控訴人及び被控訴人の資力、生活状態と譲渡を受けるべき本件土地(甲)の価格等を前提として判断すべきものであり、本件馬屋の移築によつて右契約にいう家屋の建築が完了し、被控訴人らがこれに入居したのであるから右家屋が提供されたことにより、控訴人の債務は履行されたと主張するが、右移築につき控訴人が被控訴人のためにした協力を挙げるならば、控訴人が家督相続により亡父より承継した前記馬屋を被控訴人が解体して移転することを黙認しただけであり、馬屋の解体の大部分の作業、運搬、移転先での組立て、屋根葺き、壁塗りその他の造作、は勿論建物の敷地の入手まで、すべて被控訴人側の出捐と近隣住人の奉仕によつてなされたもので、しかも、被控訴人が馬屋の移築により出来上つた建物は、前記5に認定したとおり人家というには程遠いものであり、控訴人は被控訴人らが右建物に移住後も、これに造作を加え世間並みの人家らしい構造にしたこともないのであるから、控訴人の右主張は採用の限りではない。
四<証拠>によると、被控訴人は本件土地(甲)を控訴人に引渡したが控訴人から家屋の提供がなかつたため、右土地の所有権移転登記手続を拒み、昭和二九年春以降控訴人から右登記手続を求められる度毎に、家屋の建築提供を催促し、これに応じないときは右土地を返還するよう申入れていたこと、そして、控訴人が昭和四九年七月二四日被控訴人を相手方とし仙台地方裁判所古川支部に本件土地全部の所有権移転登記手続等を求める農事調停を申立てたが、間もなく右調停は不調となつたこと、右調停の席上、被控訴人は控訴人に対し、前記三に認定した本件契約を債務不履行を原因として解除する意思表示をしたことをそれぞれ認めることができ、右認定を履すに足りる証拠はない。
そうすると、右契約の解除により、控訴人は被控訴人に対し、本件土地(甲)の引渡義務を負うに至つたものというべきであり、かつ控訴人の反訴における第一次請求は理由がないことに帰する。
五そこで、進んで、控訴人の本件土地(甲)についての取得時効の主張について判断する。
前記認定事実によれば、控訴人が昭和二九年六月一一日以降本件土地(甲)を占有していること、右占有が平穏かつ公然のものであることが認められる。
被控訴人は控訴人の占有が自主占有であること及び占有の始善意・無過失であつたことを争うので検討する。控訴人は本件土地(甲)を本件契約により譲受けたものであるから、権原の性質上その占有は自主占有であるというべきであるが、前記認定のとおりこれを譲受けるための反対給付を履行していないのであるから、占有開始の時に右土地が自己の所有に帰したものと信じるにつき善意・無過失であつたとはいえず、したがつて、民法一六二条二項の取得時効は成立するに由ない。よつて、控訴人の本訴の抗弁二のうち一〇年の取得時効の主張及び反訴の第二次請求はいずれも理由がない。しかし、被控訴人の本訴提起が昭和四九年九月三〇日であることは記録上明らかであるから、控訴人の自主占有開始の時期を宮城県知事による農地法三条の許可がなされた昭和二九年六月一一日としてみても、同条一項の取得時効は被控訴人の本訴提起前に完成しているものというべく、控訴人の本訴の抗弁のうち二〇年の取得時効の主張及び反訴の第三次的請求はその成立要件を満たしているものというべきである。
六しかしながら、当裁判所は、控訴人の本件土地(甲)に対する取得時効が完成しているとしても、控訴人が被控訴人に対し、右時効を援用して右土地の返還を拒否し、その所有権移転登記手続を求めることは、信義誠実の原則に反し、権利の濫用として、許されないものと考える。以下にその理由を述べる。
前記三の1ないし3に認定した事実関係からすれば、本件契約は、単に、被控訴人が本件土地(甲)を控訴人に譲渡し、控訴人において被控訴人に対し同人らが居住すべき家屋を建築して譲渡するという財産給付約束を内容とするに止まらず、被控訴人及び控訴人の母及び盲目の姉と控訴人夫妻間の家庭争議を解決することを目的としてなされたものということができる。そうであるから、母と姉が控訴人夫妻との折合が悪いため一日も早く別居することを希望し家を出る決心をしたとすると、被控訴人は本件契約上の反対給付が履行されることを待つているわけにはいかず、すみやかに母と姉の住家の心配をしなければならないだけでなく母と姉の扶養も成行上被控訴人の双肩にかかることは当然に予想されたところである。しかしながら、被控訴人は戦後の混乱もまだ治まらない昭和二四年三月新制中学校を卒業した直後から、職業教育を受ける余裕もなく、農繁期以外の時期は土木工事現場、亜炭炭抗等に労務者として出稼し、その現金収入を送金して母、姉らの生活を維持してきたものである。他方、控訴人は沖縄で終戦を迎え同地で生活していたが、格別の事情もないのに長期間郷里に自己の安否を連絡せず、昭和二八年八月に至つて突然妻子四人を伴つて生家に戻つたものであり、被控訴人と異り社会経験も長く、自動車運転等の技術を有していたのであるから、楽でないとはいえ生家に入り込むことなく自活する途がなかつたとはいえなかつたものである。しかるに、控訴人は生家に落着き、亡父の家督相続人であるというだけの理由で、被控訴人が適法に売渡処分を受け耕作している本件農地の耕作権が自己にあると主張し、かつまた妻と母、姉間の折合が悪くなると飲酒して姉に乱暴する等してつらく当つたりしたのであり、結局、母、姉をして住み慣れた家から出て行くように仕向けたも同然の仕打をしたと非難されてもやむを得ないものがあるといわなければならない。しかも、被控訴人が母と姉を連れて移り住んだ建物が前記三5に認定したとおり粗末極まりないものであり、生活も困窮していたのに、控訴人が被控訴人に対し援助をした事実は認められない。昭和三八年頃の春頃被控訴人らの住居が焼失した後、被控訴人は控訴人から住家を建築して貰わないまでも、住家の建築に対し相当の援助がなされることを期待したであろうことは察するに難くないが、控訴人は被控訴人が住家を建築するまで、母と姉を二ケ月程引取つたに過ぎない。被控訴人としては、兄弟間の約束であるから本件契約上の債務の履行を控訴人に対して強く催促するようなこともせず、消極的に本件土地(甲)の所有権移転登記手続を拒否するに止めていたものと思われる。なお、<証拠>によると、被控訴人は昭和三四年結婚して一児を儲けたが、前記のように窮迫した生活環境の影響もあつて、結局結婚生活は破綻し、昭和四四年に離婚するに至つたことが認められる。かように、被控訴人は控訴人が生家に戻つてきてからも一〇数年間は、控訴人と比較して著しく不遇な生活を忍ばなければならなかつたことは疑いないところである。
以上に説示したような事情があるにもかかわらず、控訴人が被控訴人から譲受けた本件土地(甲)につき二〇年間の取得時効が完成したとして、これをもつて、本訴請求に対する抗弁とし、かつ反訴請求に及ぶことを許すことは、いかに兄弟の間柄とはいえ、信義誠実を旨とする社会観念に悖る行為であつて、正義衡平の観念からも是認することができず、権利の濫用として許されないものというべきである。したがつて控訴人の本訴の抗弁のうち二〇年の取得時効を援用する主張及び反訴における第三次請求も理由がなく、これを認めることはできない。<以下、省略>
(中島恒 石川良雄 宮村素之)