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仙台高等裁判所 昭和52年(行コ)2号 判決 1979年9月10日

控訴人(原告) 佐藤洋子

被控訴人(被告) 相馬労働基準監督署長

主文

原決定を取り消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和四八年六月二〇日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定を取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、左記のほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の陳述)

佐藤仁は、農協職員として、本件事故当日、通常の勤務時間後に(午後六時から)通常の勤務場所以外の場所(清寿司)において行われた会議に上司の命令によつて参加し、午後九時半頃に及んだその会議の終了後に、自家用車を運転し、当日出勤途上で農協組合員阿部マスイに依頼された用務について同女に報告をする目的と、併せて、従前主張のとおり共済保険に同女を加入させるための勧誘の目的とをもつて、帰宅の順路上にある同女方へ向けて出発したところ、本件衝突事故に遭つたものである。仁が勤務時間外に共済保険の勧誘行為をなすべきことをかねて上司から包括的に命ぜられていたことのほか、仁の右退勤は通常の退勤時刻を大幅に遅れた点において特別な命令による退勤というべきものであり、その時刻では田舎のこととてバス等もなく自家用車に頼らざるをえなかつたこと、及び出退勤途上で地域の組合員から農協に関する用事を頼まれてこれを処理し、再び出退勤途上でその結果を同人に報告する等の一連の行為が農協職員としての業務範囲に含まれるというべきこと等に照らすときは、本件事故は単なる退勤途上の災害ではなく、業務遂行中の災害であることは明らかである。

(被控訴人の陳述)

控訴人の右主張はこれを争う。

(証拠関係)<省略>

理由

一  控訴人は、鹿島町農業協同組合(以下「鹿島農協」という。)の真野支所に勤務していた佐藤仁の配偶者であつて、同人の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者であり、かつ葬祭を行う者として労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の受給権者であること、仁は昭和四八年一月三〇日午後一〇時頃、同人所有の軽自動車を運転進行中、福島県相馬郡鹿島町江垂地内の国道六号線上の交差点において普通貨物自動車と衝突し、全身打撲により即死した(以下「本件事故」という。)こと、被控訴人は同年六月二〇日付で、控訴人に対し、仁の死亡は業務上の事由に基づくものであるとして控訴人がなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求につき、不支給とする旨の決定(以下「本件処分」という。)をしその頃右決定は控訴人に送達されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  被控訴人は、佐藤仁の死亡は退勤途上の災害に起因するもので業務上の事由によるものではない旨主張するのに対し、控訴人は、本件事故は単なる退勤途上における災害ではなく、当時仁は業務の遂行中であつたのであるから、同人の死亡は業務上の事由によるものである旨主張するので、以下に判断する。

いずれも成立に争いのない乙第一号証の一、一一及び一三、同第二号証の二、同第四号証の三、四、同第五号証の二、同第一〇、第一一号証、同第一二号証の一、二、同第一三号証の一、八、一二、甲第二七号証、いずれも原審証人田原口稔の証言により成立を認める甲第一号証の一ないし四、同第二号証、同第一一号証、同第一三号証、当審証人紺野重徳の証言により成立を認める甲第二八号証、原・当審証人阿部マスイ、同紺野重徳、原審証人田原口稔、同佐藤昌芳、同北原テル子の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実を認めることができる。

1  鹿島農協は、共済事業を重要な業務の一としており、その募集、勧誘については全職員につき各人別に目標達成額(いわゆるノルマ)を定めるように指導し、その目標達成のため毎年夏期に約一ケ月の一斉推進期間を設けて募集、勧誘を実施するが、同期間中に目標を達成する職員は稀であるため、右期間経過後の募集、勧誘も認めていた。

2  右の一斉推進期間経過後の募集、勧誘は、通常の勤務時間内に行なうことが建前とされていたが、職員は各自他に独自の担当業務に従事しており、勤務時間中はその業務に忙殺されるため共済の募集、勧誘を行なう余裕が少ないこと及び共済の募集、勧誘の対象者たる組合員が農家であるために夜間の募集、勧誘がむしろ実効を収めることから、多くの職員は、これを退勤後に実施していた。鹿島農協の当事者も、表面上は職員の勤務時間外の共済募集、勧誘業務の遂行は各人の自由意思に委せるとの態度を採りながらも、暗にかかる自由意思の発動を奨励する言動をとり、たとえば組合員から夜間の執拗な勧誘に対する抗議を受けても、農協の事業であるから是非加入してほしいと返答し、或いは当該職員に対し「余りしつこくしない方がよい」と注意する程度であつて、養蚕期及び米の収穫期以外には共済の夜間の募集、勧誘を禁じたことはなかつた。また、職員は、勤務時間外に行う共済の加入、更新等の勧誘につき、予め出張命令の申請をすることもしくは事前又は事後に勧誘の日時、対象者を報告することを指令されたことはなく、仁の上司である真野支所長も、随意に帰宅後夜間組合員宅を戸別訪問して各種共済の勧誘を行なうのを常としていた。また、右目標額の達成について、職員は日ごろ上司から督励を受け、その達成状況は当該職員の勤務成績として評価されていた。

3  鹿島農協の真野支所の管轄は烏崎部落など八部落であり、佐藤仁は貯金係として貯金の受払、共済掛金の処理等の窓口業務に従事するとともに、共済の募集に関しては、同人の住居地である烏崎部落を主に担当して勧誘に回つていた。

4  昭和四七年度(昭和四七年三月一日から昭和四八年二月二八日まで)の共済募集業務については、一斉推進期間が昭和四七年七月五日から同月二五日までと設けられ、仁は同年度の募集目標額として一二八〇万円の割当を受けたが、真野支所の職員数は支所長を含めて五名にすぎなかつたこともあつて、他の仕事で残業の日が続き、共済の勧誘に従事する余裕が少なかつたことなどから、昭和四八年一月頃における達成額は一〇〇万円にすぎなかつた。同月二三日午後五時より真野支所で行われた同支所部門会において、支所長紺野重徳から「共済の一〇〇パーセント募集達成に向かつて各自担当部落に赴き夜間推進を決行し全獲されよ。」との農協組合長の指示が職員一同に口頭で伝達されるに及び、年度末のいわば最後の追い込み時期を迎えて、仁も目標額の達成のため努力していた。

5  仁は同月三〇日朝出勤(自家用軽自動車による)の途中、かつて仁の勧誘により生命共済に加入したことのある組合員阿部マスイ方(同女宅は仁の共済勧誘担当地域たる烏崎部落内にあり、かつ通勤の順路上にあつて、真野支所までの距離は約四・七キロメートルある。)に立寄り、同女からの農協に関する用事の依頼を受けた際、同女において、生命共済の追加加入に応じてもよいとの意向を示したので、右のように年度末を控えて目標額の達成に苦慮していた折から、右共済加入について同女の確約を得るべく、同女に対し、「今夜は会議があつて遅くなるが、帰りに必ず寄るから寝ないで待つていて欲しい。」旨を後刻電話で連絡し、そのため同女は、当夜は平素の就寝時刻(午後八時頃)を過ぎて家中皆が寝てしまつたあとも独り無理して起きており、今か今かと仁の来訪を待つたが、結局同人が現われず、午後一〇時過ぎに至り本件事故発生の報に接した。

6  他方、仁は右同日、通常の勤務時間(午後五時まで)の後である午後六時頃から(午後五時三〇分からの開会予定が都合により若干遅れたもの)真野支所とは約一キロメートル離れた同じ町内の寿司屋の二階を借りて開かれた同支所全職員による昭和四八年度事業計画立案会議に出席し、夕食をはさんで午後九時三〇分頃に閉会となつたので、いつたん真野支所に戻り、同所に置いていた自己の軽自動車を運転して出発し、自宅及び阿部宅のある前示烏崎部落の方向へ進行中交差点において本件事故に遭つたもので、事故現場は帰宅の順路上ではあるものの、同人はその際共済募集用のパンフレツト、共済契約申込書、契約者に配付する共済加入記念タオル等を携帯しており、真野支所を出発する折にはいつもより帰りを急いでいる様子も窺われた。

7  なお、仁は常に前記の自家用軽自動車で通勤していたが、特に前記一月三〇日の通常勤務時間終了後の会議及び会食の開催は、その前日頃真野支所長から全職員に対し通告されたもので、約了時刻が遅くなることが見込まれた関係もあり、当日は仁のみならず支所長以下全職員が自家用の自動車又はバイクで出・退勤を行なつた。ちなみに、鹿島農協の管轄する福島県相馬郡鹿島町の地域は、その大半が農地及び山林によつて占められているが、共済業務用の自動車を保有していないので、共済契約を取りつけた職員を共済掛金の集金のため共済加入者の自宅に赴かせた際には、当該職員に対し「油代」と称する手数料を支払つていた。

以上のように認めることができ、この認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定の事実を総合考察するに、本件事故現場はなるほど佐藤仁の帰宅の順路上ではあるけれども、同人は、その際、阿部マスイを共済に加入させるにつき同女の確約を取り付けるために、同女宅に向けて自動車を運転進行中であつたものと認めるのが相当であつて、このことは右当日の朝以降同女との間に行われた前示のような交渉の経緯に照らして明らかというべきである。

三  佐藤仁が右のように退勤途上において阿部方に立寄り共済加入の勧誘をするについて、予め同人に対し個別具体的な明示の業務命令があつたことは、証拠上認められない。しかし、前示認定のとおり、鹿島農協はその全職員に対し共済の募集、勧誘業務を分担させるとともに、勤務時間外における戸別訪問の方法による右業務の遂行を事実上容認していたのみならず、昭和四七年一月二三日には組合長から目標未達成の全職員に対し、同年二月末の年度末に至るまでの間「各自担当部落に赴き夜間推進を決行し全獲されよ。」と指示したのであつて、仁の前記阿部マスイに対する勧誘が右組合長の指示に基づき企画されたものであることは、推認に難くない。

右の組合長の指示の拘束力の有無、程度等については、疑義なしとしないが、前示認定の諸事実のもとにおいては、仁に対して、その適当と認める組合員に対し通常の勤務時間外において共済加入の勧誘のための戸別訪問を実施せよとの趣旨の明示の業務命令があつたと同視しうる事情が存したものというべきであり、かかる事情のもとにおいて、退勤後共済加入の勧誘の目的のもとに前記阿部マスイ方に赴く途中生じた本件事故に因る仁の死亡は、同女方が仁の退勤の順路上にあると否とを問わず、業務上の死亡というを妨げないものと解すべきである。

四  被控訴人は、佐藤仁は自家用自動車を運転中本件事故に遭つたものであるところ、右自家用車の使用につき業務遂行性を肯定すべき事由がない旨主張する。

なるほど、仁が自己所有の軽自動車を運転中本件事故に遭つたことは、前記判示のとおりである。しかし、前記二7に認定した事実によれば、仁は少なくとも本件事故当日は上司である鹿島農協真野支所長から出、退勤のため自家用車を使用することを黙示的に許可されたものということができ、農協の支所長は客観的にかかる許可を与える権限を有するものと認められる。そして自家用車による退勤を許された農協職員がその退勤の途中において業務を行なうときは、自家用車の使用はその業務の遂行のためにも許容されたものと解しうるところ、本件事故は仁が退勤の途次阿部マスイ方を訪問して共済勧誘業務を行なうべく走行中に発生したものであることは前記判示のとおりである。したがつて、仁が自家用車を運転していたことにより本件事故が業務上発生したものであることを否定することはできないから、被控訴人の主張は理由がない。

五  そうすると、佐藤仁の死亡が業務上の事由によるものとは認められないとして被控訴人がなした本件処分は違法であつて、その取消を求める控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべきである。

よつて、右と異なり控訴人の請求を棄却した原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決を取り消したうえ控訴人の請求を認容することとし、第一、二審の訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大和勇美 桜井敏雄 渡邊公雄)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一 請求の趣旨

1 被告が原告に対し、昭和四八年六月二〇日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二 請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一 請求の原因

1 原告は、鹿島農業協同組合(以下「鹿島農協」という。)の真野支所に勤務していた佐藤仁(昭和四八年一月三〇日午後一〇時ころ死亡)の配偶者であつて、同人の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者であり、かつ葬祭を行う者として労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の受給権者である。

2 被告は、昭和四八年六月二〇日付で、原告に対し、佐藤仁の死亡は業務上の事由に基づくものとして原告がなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求につき、不支給とする旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、そのころ右決定は原告に送達された。

3 しかしながら、本件処分は違法であるので、その取消を求める。

二 請求の原因に対する認否

1 請求原因1、2の各事実は認める。

2 同3の主張は争う。後記のとおり本件処分は適法になされた。

三 被告の主張

1 (一) 佐藤仁は、昭和四八年一月三〇日午後一〇時頃同人所有の軽自動車を運転進行中、福島県相馬郡鹿島町江垂地内の国道六号線上の交差点において普通貨物自動車と衝突し、全身打撲により即死した(以下「本件事故」という。)。

(二) 佐藤仁は、勤務先である鹿島農協真野支所での業務終了後自宅へ帰る途中で本件事故に遭遇したものであるから右死亡は退勤途上の災害に起因するもので、業務上の事由によるものではない。

2 仮りに原告主張のように本件事故が共済保険加入の勧誘に向う途中の事故であるとしても、

(一) 本件事故は、勤務時間外において発生したものであるところ、勤務時間外の行為に業務遂行性が認められるためには、右行為につき事業主の個別具体的な業務命令がある場合若しくは右命令があつたと同視し得べき事情が認められる場合に限られるところ、本件事故は右のいずれの場合にも該当しないから業務遂行中の災害ではない。

(二) 次に自家用自動車は使用者自身の責任において使用されるものであるから、原則として右使用には業務遂行性はなく、例外として自家用車の使用につき上司の命令若しくは指示がある場合、又は具体的状況に照らして職務遂行上やむを得ない措置として使用が許される場合に業務遂行性が肯定できるところ、佐藤仁の自家用車の使用は右いずれの場合にも該当しないから本件事故は業務遂行中の災害ではない。

四 被告の主張に対する答弁

1 被告の主張1の(一)の事実は認めるが、同(二)の事実は否認する。

2 同2の主張はいずれも争う。

3 佐藤仁の死亡は次のとおり業務上の事由によるものである。

(一) 鹿島農協は、共済保険事業を重要な事業の一つとしている。鹿島農協の職員は、一定の目標達成額を課され(佐藤仁の死亡時の目標達成額は一二八〇万円で、達成額は一〇〇万円であつた。)、一定期間を除いては、勤務時間以外、主に夜間を利用して勧誘に当ることとされ、右目標額達成の状況は当該職員の勤務成績として評価されていた。そして、共済保険勧誘行為は、その性質上勧誘に当る職員の人的関係に依存し、密行性が強いため本質的に個別的業務命令に親しまないところから、鹿島農協は、佐藤仁に対し包括的に勤務時間外に保険勧誘業務をなすべきことを命じていた。

(二) 佐藤仁は本件事故当日鹿島農協真野支所の昭和四八年度事業計画立案会議に出席し、右打合会終了後帰宅途中にある阿部マスイ方に共済保険の勧誘のため出かけたところ本件事故にあつたものである。

よつて、佐藤仁の死亡は業務遂行中の災害に起因することが明らかである。

第三証拠<省略>

理由

一 請求原因1、2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二 そこで以下被告の主張1について判断する。

被告主張1の(一)のように佐藤仁が本件事故により死亡したことは当事者間に争いがなく、そしていずれも成立に争いのない乙第一号証の一、二、一一、一三、同第二号証の一、二、同第四号証の三、四、同第五号証の二、同第一三号証の一、七、一二及び証人紺野重徳、同北原テル子の各証言によれば、佐藤仁は、昭和四八年一月三〇日午後六時ころから鹿島町鹿島字北畑七八番地所在の清寿司で開かれた真野支所全職員による昭和四八年度事業計画立案会議(同会議は佐藤仁の私的な都合により真野支所での通常勤務時間(午後五時)後に開かれた。)に出席し、同会議終了後の午後九時三〇分頃右清寿司を出て一旦真野支所に戻り、自己所有の軽自動車を運転して同所を午後九時四〇分ころ出発し、自宅のある烏崎部落の方向に進行中本件事故に遭つたもので、事故の現場は同人の通常の通勤経路上にあることが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、本件事故は佐藤仁の真野支所での勤務時間後に開かれた会議終了後の午後一〇時ころ、同人の通常の帰宅経路上で発生したことの事実からみると特段の事情のない限り佐藤仁は、帰宅中に本件事故に遭つたものと推認するのが相当である。

原告は、佐藤仁が阿部マスイ方に共済保険加入の勧誘に行く途上本件事故にあつた旨主張し、乙第七号証、同第一一号証、同第一二号証の一、証人阿部マスイ、同佐藤昌芳の各証言、原告本人尋問の結果中には、佐藤仁が前記会議終了後阿部マスイ方に農協共済保険契約締結の勧誘のため立寄る予定になつていた旨の右主張にそうが如き記載及び供述が存するが、これらは成立に争いのない乙第一号証の一、一一、第二号証の一、二、第三号証、第四号証の三、第五号証の二、第一三号証の一、証人田原口稔、同紺野重徳の各証言に照らして措信し難く、又証人田原口稔の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証の一ないし四、同第二号証、同第一一号証、同第一三号証、成立に争いのない乙第八ないし第一〇号証、証人紺野重徳、同北原テル子の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、亡佐藤仁は、昭和四七年度(昭和四七年三月一日から昭和四八年二月二八日まで)の農協共済保険勧誘目標額として一二八〇万円の割当を受けていたが、昭和四八年一月ころまでには一〇〇万円しか達成してなかつたこと、通常右勧誘は夏期の一定期間に勤務時間を利用して行うほかは、勤務時間外の早朝又は夜間を利用して行われ、右目標額達成については日頃上司から強く促されたり、勤務成績として評価されるため年度末にあたる時期には特に力を注ぐこと、佐藤仁は昭和四七年一〇月ころから真野支所での仕事に追われ、保険の勧誘に従事する時間が少なかつたこと、事故直前真野支所を出る際、通常より急いでいる様子が窺われたこと、事故当時も共済保険勧誘用のパンフレツト及び契約者に配付する手ぬぐいを携帯していたこと等の事実が認められるが、このような一般的状況事実のみでは未だ前記推認を覆すことはできず、他に前記推認を左右するに足る証拠はないので、原告の前記主張は採用できない。

そうすると佐藤仁の死亡は勤務終了後の退勤途中の事故によるものと認められ、その死亡は業務上の事由によるものではないというべきであるから、被告のなした本件処分は適法である。

三 よつて、原告の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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