仙台高等裁判所 昭和54年(う)94号 判決 1979年7月17日
被告人 鈴木則男
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人鵜川隆明提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官園田幸男提出の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
所論は、原判決の理由のくいちがい及び事実誤認を主張するものと解されるので以下各論点につき当裁判所の判断を示す。
第一について
所論は要するに、原判決挙示の実況見分調書(添田指示にかかるもの)及び被告人の供述によると、添田一男の車は時速八〇キロメートル以上で被告人の車を交差点上において追越そうとしたことが合理的に推論され、添田一男の弁解と全く矛盾しているのに、原判決はこの点を無視し、挙示の証拠からの合理的推論の導き方を誤つており、判決の理由にくいちがい(刑訴法三七八条四号)があるから破棄を免れない、というものである。
そこで記録を調査、検討すると、所論が第一の一ないし三で指摘するように、右実況見分調書の添田一男の指示説明によれば、添田が被告人の車を初めて認めた地点から、車間距離がせまつた地点までの<イ>′~<イ>点間は一六七・五メートルであり、その区間を添田の車が走行する間に被告人の車は<1>′~<1>点間の七四・九メートルを走行したことになる。以上から計算すると、添田の車は被告人の車の二・二四倍の速度であると推論され、被告人の車が被告人の供述のように時速四〇キロメートルで走行したとすると、添田の車は時速八〇キロメートル以上とならざるを得ない。しかしながら、実況見分調書の右指示説明部分は、添田がかなり手前の地点で疾走中の自動車から先行車の位置、双方の距離を瞬間的に目撃した状況を記載したものであり、このような目撃供述には具体的な位置、距離につき正確さを欠くことが多いものであるから、右の点に関する指示説明は一応の目安と考えるべきであり、これをもとに双方の速度比を推定することはむしろ合理性を欠く。原審証人添田一男はこの間の事情を「四〇キロメートルの速度で走り、徐々に先行車に接近し、トツプギヤーのままアクセルを離してエンジンブレーキをかけた。事故のときは三〇キロメートル位の速度ではなかつたかと思う。」と証言している。同人は約五〇年間の運転経験を有し、無事故ですごし、自動車学校では教官として実技、構造、法令を約二〇年間教えたことのある老練な運転者であり、当時軽乗用自動車に老女を乗せておりことさら急ぐ目的もなかつたこと、現場の進行方向の先には大きなカーブがあることなどの情況に照らしても、添田が時速八〇キロメートル以上で交差点上を追越すような無謀な運転をしていたとは到底考えられない。
所論(第一の四)は、添田の車が衝突後暴走して石垣に激突したことをもつて、添田の車が高速で疾走したことの根拠の一つとするが、後述のように添田は、先行車が急に右折を開始したので、これとの衝突を回避するため自車を右に急転把して交差点上に出たものと認められ、急制動をとる暇もなかつたところと思われる。従つて衝突後車が一一・二メートルのころがり痕(被告人指示にかかる実況見分調書)を残し小学校敷地の石垣に激突したことをもつて、これが異常な高速度の証左とすることはできない。
以上のとおりで、原判決には所論の主張する理由にくいちがいの違法はないから、論旨は理由がない。
第二について
所論は事実誤認の主張で、要するに、被告人は後続車があることも、まして交差点を追越してくる車があることも予想できず、被告人に右折の合図が遅れたという運転上の不当はあつたが、これは本件事故と因果関係はなく、本件事故は後続の添田の追越禁止、車間距離保持等の義務違反によるものと思われるから、被告人は無罪である、というものである。
原判決挙示の証拠によれば、(イ)本件交差点は中央に白線が引かれた幅員六・七メートルのアスフアルト舗装の県道と、幅員六メートルのアスフアルト舗装道路が直交する交通整理の行われていない交差点であり、(ロ)被告人は右県道上を三春町方面から本宮町方面に向け、五十嵐絹子を同乗させて時速約四〇キロメートルで進行し、同女を家に送る途中であつたが、道が不案内のため減速しつつやや中央寄りに進路をとりつつ同女宅へ至る道路をようやくさがしあて、本交差点手前約七・五メートルのところで右折を決意し、時速二〇キロメートルないし一〇キロメートルに減速して右折を開始したこと、(ハ)添田は交差点に近づくにつれ車間距離をつめ、交差点直前では先行の被告人の車と約七・四メートル差に迫つていたところ、先行車が急に右折を開始したため、衝突の危険を感じ、右へ転把し、道路右斜め前方の交差点の県道右側に進出したところ、右折してきた被告人の車の右側面前部に自車左前部を衝突させ、そのまま暴走して石垣に激突し、本件事故の発生をみるに至つたことが認められる。被告人は右折の合図を交差点直前までなさず、右折を決意した交差点手前七・五メートルで右折の合図をしたと供述し、原審証人添田一男は右折の合図はなかつたと証言している。被告人の供述を採用したとしても、その合図は右折の直前になされたもので、当時の道路の状況からすると、添田としては右側に転把せざるを得なかつたところと認められる。また被告人は後続の添田の車がこのように迫つていることには気づかず、後方に対する注視はしていなかつたと認められる。
以上によると、添田が車間距離を正しく保持しなかつた点にも不注意が認められるが、同時に被告人にも右折に際し、以下に述べるとおり後方の安全確認義務を怠つた過失があるということができる。すなわち、右折自動車の運転者は、あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り(道路交通法三四条二項)、交差点の手前の側端から三〇メートル手前の地点で右折の合図をする(同法五三条一項、同法施行令二一条)法令上の措置をとらなければならないが、かかる右折の合図等がなされたときは、その後方にある車両は当該右折車両の進路の変更を妨げてはならない(同法三四条五項)。従つて右のような右折の合図をすることにより、運転者は後方の車両による進路妨害等はないものと信頼し、必ずしも、後方に対する安全確認義務をつくすことなく右折することができるものと解される。しかし、本件においては、被告人は交差点の手前三〇メートルの地点では右折をする考えはなく、従つて道路をやゝ中央寄りに進み右折の合図をしないまま交差点に近ずき、交差点の手前七・五メートルの地点で右折を決意し、その合図をして急に右折を開始しようとしたのであるから、このような右折をする運転者としては、後方の車両が先行車の右折はないものと信じて進行してくるかも知れないことを慮り、後方における車両の有無、走行状況等を注視し、後方の安全を確認した上右折すべき業務上の注意義務を負うに至るものと解される。しかるに被告人は、この後方安全確認義務を怠り、後方の添田の車両に気づかず右折を開始したため、これとの衝突を回避すべく右側交差点に進出した添田の車と衝突するに至つたものであるから、被告人には業務上の過失が認められ、添田の前記不注意にもかかわらず、過失責任は免れないものといわなければならない。
なお原判決が本件の過失につき「交差点の手前三〇メートルの地点から右折の合図をなしあらかじめできる限り道路の中央よりに進路をとり後続車両にその進行方法を伝えて安全を確認して右折進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り」と判示したのは、本件の過失の捉え方としては適切なものではなく、むしろ右のような右折の合図がないまま「道路不案内のため交差点手前約七・五メートルに至つてはじめて右折を決意し」たのであるから、このような右折をするにあたつては、運転者としては後方の安全確認義務をつくすことが要求されるというべきである。しかし原判決は続けて「後方の安全を確認しないまま右折しようとした過失により」と判示しているので、結局右に説示した後方安全確認義務違反を過失の内容としているものと解されるから、原判決には事実誤認の違法はないものといわなければならない。
以上のとおりで論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 中川文彦 小島建彦 清田賢)