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仙台高等裁判所 昭和54年(ネ)172号 判決 1988年9月26日

控訴人(原告) 青柳充

被控訴人(被告) 株式会社本山製作所

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  控訴人が被控訴人に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

3  控訴人が被控訴人の広島出張所において就労する義務がないことを確認する。

4  被控訴人は、控訴人に対し、八万二九三六円及び昭和四六年四月以降毎月二五日限り一か月八万二九三六円の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

6  第4項は、仮に執行することができる。

二  被控訴人

主文同旨。

第二当事者双方の主張

控訴人の補足主張及び当審における新たな主張と被控訴人の反論が次のとおりであるほかは、原判決事実摘示のとおりである(ただし、原判決一三枚目裏二行目の「決定に関する協定」の次に「(以下これを「本件事前協議条項」ということがある。)」を、同二六枚目表一行目の「書面」の次に「(以下これを「本件確認事項書」ということがある。)」を加える。)からこれを引用する。

(控訴人の主張)

一  労働契約違反(補足主張)

控訴人は、昭和四一年二月、被控訴人との間で、勤務場所を被控訴人仙台本社工場とし、職種を高度の技術上の研究、開発業務に従事する技術者とする旨の内容を含む労働契約を締結した。

このことは、次の事実から明らかである。

控訴人は、将来、控訴人の妻の父及びその未入籍の妻の世話をしなければならない立場にあり、仙台に永住するため転職の必要に迫られていた。そこで、控訴人は、被控訴人宛の就職申し込みの手紙において、第一に、「結婚及びその他それに付随する私事の都合から仙台に居れることが望ましい」と記載し、第二に「現在は……研究乃至会社方針及び開発に対する信念意欲(研究部乃至会社の)が感じられず技術的ポテンシャルの向上が望めないこと及び会社に漂う事勿れ主義……な雰囲気に私自信の性格が一致し得ない」旨記載した。この第一の理由をみれば、控訴人が仙台において勤務することを就職の前提条件にしていることがはっきりしているし、第二の理由をみれば、控訴人が技術的ポテンシャルの向上を望みうる高度かつ意欲的な研究、開発業務に従事する技術者として勤務することを当然の前提条件にしていることも明確に読み取れる。

これに対する被控訴人の返信において、当時の被控訴人の取締役総務部長の二郷精記は、何らの留保なしに控訴人を仙台本社の研究開発部門の幹部要員として採用したい旨の意向を表明した。

そして、控訴人は、被控訴人の工場を見学し、二郷精記の面接を経たうえ、被控訴人に就職したものである。もし、二郷精記から転勤がありうることを言い渡されていたならば、控訴人は、被控訴人に転職するはずがなかった。

1 勤務場所についての契約違反

本件労働契約は、勤務場所を被控訴人の仙台本社工場とするものであるところ、本件転勤命令は、被控訴人の広島出張所を勤務場所とするものであるから、本件労働契約に違反して無効である。

2 職種の変更についての契約違反

本件労働契約は、控訴人の職種を高度の技術上の研究、開発業務とするものであるところ、本件転勤命令は、小口、標準品受注を内容とする単純な営業活動に携わる営業マンとするものであるから、本件労働契約に違反して無効である。

二  労働協約違反(補足主張及び当審における新たな主張)

1 補足主張

昭和四五年の秋闘において、組合内には、労働条件の事前協議制を求める声が強く、これに応じて、当時の組合執行部は、被控訴人に対し、個々の従業員の労働条件を変更する場合の事前協議制を要求した。

被控訴人は、これに対して、組合員の労働条件について組合と協議することは当然のことであるとし、最終決定権は被控訴人にあることを明示したうえで、組合員に関して組合の要求を受け入れた。

その後、組合は、被控訴人の回答が、組合員に限定する趣旨であるところから、これを全従業員に及ぼすべきことを交渉したが、被控訴人が応じなかった。

そこで、組合の妥結大会において、執行部から説明があり、組合員全員は、個々の組合員の労働条件の変更については組合と事前協議するとの協定成立を承認し、被控訴人との間において、昭和四五年一一月三〇日付協定書が作成された。したがって、右協定書においては、本件事前協議条項は、「組合員の労働条件の変更に関しては会社は労働組合と協議する。」という無条件のものとなっているのである。

ところが、本件転勤命令は、組合との事前協議が行われなかったものであるから、労働協約である本件事前協議条項に違反し、無効である。

2 心裡留保(新たな主張)

仮に、本件事前協議条項が、被控訴人において、組合員一般の労働条件の基準を変更する際に、組合と協議を行うという趣旨を真意とするものであったとしても、被控訴人は、当時の組合代表者執行委員長吉田成雄と通謀して、個々の組合員の労働条件の変更につき事前協議制の合意が成立していないのに、あたかも成立したかのように装い、本件事前協議条項を作成した。被控訴人の本件事前協議条項に関する意思表示は、「表意者が、その真意にあらざることを知りてこれを為したるもの」(民法九三条本文)として、その効力を妨げられない。

そして、組合員は、被控訴人と組合代表者との間の右の通謀を知りえなかった。なぜなら、昭和四五年一二月三日の秋闘妥結大会において、控訴人が、本件事前協議条項につき、被控訴人において組合との協議なしに労働条件の変更を命じてきたときには、協約違反として拒否していけるか、と質問したのに対し、執行部の長柴惇夫副委員長は、個々の組合員の労働条件の変更に関して、被控訴人は組合と事前に協議しなければならず、これをしなかった場合には、本件事前協議条項を根拠に闘えると明言したからである。

このような場合には、組合代表者吉田委員長と通じて組合を欺罔した被控訴人は、組合代表者執行委員長吉田成雄が被控訴人の意思表示が真意によらないものであることを知っていたことをもって、控訴人に対抗できないものというべきである。

3 通謀虚偽表示(新たな主張)

被控訴人は、前記のように当時の組合代表者執行委員長吉田成雄と通謀して、個々の組合員の労働条件の変更につき事前協議をする旨の本件事前協議条項を作成した。しかし、控訴人は、前記のとおり、本件事前協議条項が虚偽であることにつき善意であったから、被控訴人は、本件事前協議条項の無効を控訴人に対抗できない。

仮に、控訴人が民法九四条二項の第三者に当たらないとしても、虚偽の外形を信頼する者の保護を図る民法九四条二項の趣旨により、控訴人は、被控訴人に対し、本件事前協議条項が、個々の組合員の労働条件の変更を対象にしたものであることを主張することができると解すべきである。

4 信義則違反(新たな主張)

被控訴人は、昭和四五年における組合との交渉過程で、労働条件の基準の変更について組合と協議する旨回答したが、組合執行部から、その趣旨で合意するが、基準の語を外して欲しい旨懇請されたので、基準の語を除いた本件事前協議条項が作成されたと主張する。

このような状況下において、被控訴人は、基準の語を削除すれば、本件事前協議条項が、組合員から、あたかも個々の組合員の労働条件の変更を対象にしたものであると理解される可能性があるにもかかわらず、あえて、そのように理解される外観を作出したものであるから、その真意を知り得ない控訴人に対して、信義則上、右外観と異なる主張をすることはできないものというべきである。

三  不当労働行為(補足主張)

本件転勤命令は、控訴人を中心とする者らが、従来の御用組合的組合活動を脱して、正常な組合活動を地道に進めていこうと努力するのに対して、これを極度に嫌った被控訴人が、その中心人物である控訴人に対して、報復的に行ったものである。

控訴人は、昭和四三年の春闘のストライキ中に営業所、出張所に行って従業員を組合員にしたりなどしたが、昭和四四年、昭和四五年にも、優れた組合活動指導者として活動した。そして、吉田執行部成立後も、下請けや関連会社の労働組合を組織し、それらを指導し、また、新組合員教育の講師をしたり、組合の打ち出す方針に関しては、意見を述べて影響力を行使し、吉田執行部に内部批判活動を行いつつ、組合活動の強化に努力を重ねてきた。このように、控訴人は、本件転勤命令発令時においても、厳然として組合活動を行っており、そのことを被控訴人は、十分に知っていた。

したがって、控訴人が本件転勤命令により、広島出張所に転勤すると、控訴人の右のような組合活動はほとんど不可能になる。また、本件転勤命令は、吉田執行部と控訴人らの二派の対立状況を一挙に展開させ、被控訴人に有利な状況をもたらすものである。よって、本件転勤命令の不利益取扱性、支配介入性は明らかである。

四  正当な理由による転勤拒否(新たな主張)及び人事権の濫用(補足主張)

控訴人には、次の事情があるため、本件転勤命令を拒否したものであって、右拒否は、被控訴人の就業規則七条二項の「正当な理由」による拒否であり、同規則九四条一号「正当な理由なく業務命令に従わないとき」に当たらないから、控訴人に対する解雇は、就業規則に反し無効であるのみならず、本件転勤命令は、人事権の濫用であるから無効である。

1 控訴人は、仙台において技術者として働くために被控訴人に転職した。

控訴人は、被控訴人と勤務場所を被控訴人の仙台本社工場とし、職種を高度の技術上の研究、開発業務に従事する技術者とする旨の労働契約を締結した。

仮に、右労働契約が締結されなかったとしても、少なくとも、被控訴人は、控訴人が被控訴人に転職しようとした理由が、仙台において技術者として勤務することを希望したためであることを十分に知って控訴人を採用したものである。

かかる状況下において、たかだか五年程度経過したのみで、技術者としての職種を変更させてセールスマンの仕事を担当させ、遠隔地に転勤させることは甚だしく信義に反することであり、控訴人があえて転勤を拒否したのもまことにやむをえないものといわざるをえない。

2 控訴人は、転勤によって生計が維持できなくなる。

控訴人は、被控訴人に転職してのち、昭和四四年に、実父から九〇万円を借用し、旧宮城県宮城郡宮城町上愛子字松原所在の土地を自宅を建築する目的で購入し、昭和四五年九月に自宅を新築して同年一二月からそこに居住するようになった。控訴人は、右新築に当たり、労働金庫、住宅金融公庫から借り入れをしたので、昭和四五年九月から昭和四六年三月までは毎月二万三一〇〇円、同年四月以降同年中は毎月三万七〇〇〇円程度、同年以降においても逓減するもののほぼ右程度に近い額を返済しなければならない状況にあった。

このため、控訴人の毎月の給与からこれらの返済金のほか各種控除がなされると、手取額は、昭和四六年三月以前においては、多くとも月額三万二〇〇〇円余り、同年四月以降においては、更にこれを七〇〇〇円以上下回る金員を得るのみであった。このため、控訴人の妻の父親が昭和四五年一二月から毎月三万五〇〇〇円程度の援助をするようになっていた。ところが、右援助は、妻の父親が控訴人と同居することが前提となっており、控訴人が広島に転勤させられてしまうと、その援助は得られなくなるから、控訴人は、右借入金を返済しつつ生計を維持することができなくなってしまう。

なお、昭和四六年当時の状況では、辺鄙な場所にある控訴人の自宅を借りる者はいないし、いたとしてもせいぜい月額一万円の収入しか得られなかった。また、妻の父親が右自宅に転居することも、そこからの通勤距離及び通勤費用からみて不可能であった。

しかも、控訴人が、右の多額の借金をするようになったことは、既に被控訴人において、本件転勤命令を発する前に知っていた。

このような状況下において、控訴人が本件転勤命令を拒否したのは、まことにやむをえないというほかない。

3 本件転勤命令に必要性はなかった。

被控訴人は、研究、開発に従事する技術者である控訴人をあえてセールスエンジニアとして、広島に転勤させる必要性は全くなく、他の事務系の者をもって十分セールスの目的を果たしえた。

仮に、右必要性が肯定されるとしても、その必要性は、控訴人の生計を破壊し若しくは重大な窮状に陥れてまで強行しなければならないほど高度なものでなく、むしろ極めて希薄なものであった。

4 本件転勤命令には控訴人に対する内示がなされなかった。

被控訴人と組合との間において、昭和四二年一〇月二八日、遠隔地への異動については、対象者本人と事前に協議する旨の協約が成立していたが、本件転勤命令は、右協約に違反している。

仮に、右協約が有効に成立していないとしても、当時、被控訴人は、右の協議をしていることを理由に、組合からの事前協議の要求を拒絶する旨の回答をしたのであるから、信義則上右回答に拘束される。

5 本件転勤命令は組合と事前協議を経ていない。

本件転勤命令は、本件事前協議条項に違反するものであるが、仮に、そうでないとしても、昭和四五年一二月三日の秋闘妥結大会において、控訴人が、本件事前協議条項につき、被控訴人において組合との協議なしに労働条件の変更を命じてきたときには、協約違反として拒否していけるかと質問したのに対し、執行部の長柴惇夫副委員長は、個々の組合員の労働条件の変更に関して、被控訴人は組合と事前に協議しなければならず、これをしなかった場合には、本件事前協議条項を根拠に闘えると明言したから、控訴人が右答弁に依拠して、組合との事前協議を経ない本件転勤命令を拒否したのも当然のことである。

6 本件転勤命令は、組合弱体化を狙ってなされた。

本件転勤命令は、被控訴人が控訴人の活発な組合運動を嫌悪し、控訴人から組合活動の機会を奪い、組合を弱体化するためになされた。

(被控訴人の答弁)

一  労働契約違反の主張について

被控訴人の就業規則七条は、「1 会社は業務の都合で従業員に転勤を命じ又は配置転換……を命ずることがある。2 前項の場合、従業員は正当な理由なくしてこれを拒むことはできない。」と定めている。そして、控訴人を採用する際に、被控訴人と控訴人との間において、就業規則の規定と異なる労働契約が締結された事実はない。

1 勤務場所について

控訴人は、被控訴人に対する就職申込の手紙において、「結婚その他それに付随する私事の都合から仙台に居れることが望ましい」と記載していたが、その具体的事情については、一切説明がなかった。そして、控訴人を採用する際の面接においても、被控訴人と控訴人との間において、勤務場所の特約に関する交渉はなかった。このような状況において、右手紙の記載のみをもって、就業規則と異なる特約を求めたとするには、根拠が薄弱極まるといわざるをえない。したがって、控訴人主張の勤務場所に関する労働契約の成立は到底認め難い。

2 職種について

被控訴人は、控訴人を採用するに当たって、職種を限定した事実はない。控訴人の被控訴人に対する就職申込の手紙においても控訴人主張のような職種の限定に関する記載は一切なく、控訴人を採用する際の面接においても、控訴人の職種を限定するやりとりは、一切なかった。

なお、被控訴人においては、かねてより、技術者を営業所に配置したり、派遣するなどして営業活動に従事させ、顧客の技術的要請に応えながら受注に努めさせていたものであり、セールスエンジニアとしての職務も技術関係の業務に従事する従業員の職種の重要な一部を占めていたものである。

二  労働協約違反の主張について

1 本件事前協議条項は、個々の組合員の労働条件の変更につき被控訴人と組合とが協議するということを定めたものではなく、組合員全体に共通する労働条件の基準の変更につき両者が協議するということを定めたに過ぎないものであり、このことは、後日本件確認事項書が作成された経緯によっても明らかであることは、原審において主張したとおりである。

なお、仮に、本件事前協議条項が控訴人主張のように解釈され得る余地があるとしても、被控訴人は、控訴人に対する本件転勤命令を発令する直前に組合三役に意見を聴取したが、その際、組合三役から何等の異論も出されなかった。したがって、被控訴人は、本件転勤命令に先立ち組合と事前協議を行ったものであるから、控訴人の主張は、その前提を欠く。

2 控訴人の当審における心裡留保、通謀虚偽表示の主張について

控訴人の右主張は、時機に遅れたものとして却下されるべきである。

また、集団的労働関係において締結される労働協約について、個々の組合員の意思を問題とし、民法総則の意思表示に関する規定、その他個人法的契約理論を適用することは、それ自体誤りである。

本件事前協議条項は、個々の組合員の労働条件の変更につき被控訴人と組合とが協議するということを定めたものではなく、組合員全体に共通する労働条件の基準の変更につき両者が協議するということを定めたものであり、控訴人主張のような通謀はなかったし、当時の組合員が、本件事前協議条項に関して、人事異動につき事前協議約款を定めたものと誤解したとか、当時の組合執行部が組合員にそのような誤解を与えるような答弁を行ったというような事実は全くないから、控訴人の右主張は、その前提を欠く。

三  不当労働行為の主張について

本件転勤命令は、業務上の必要性に基づいて発令されたものであり、人選においても誤りがない以上、不当労働行為の成否が問題となる余地は全くない。

控訴人は、本件転勤命令発令の前年八月まで組合の副委員長(二期)をしていたことがあるに過ぎず、本件転勤命令発令当時は組合役員は一切していなかったから、その勤務場所によって組合活動ができたり、できなかったりすることはない。また、少なくとも被控訴人において知り得た範囲内においては、組合活動に関してみるべきものは全くなかった。

しかも、本件転勤命令について、当時の組合は、何等の異議を申立てなかったばかりでなく、執行部を含む大部分の組合員は、一致して本件転勤命令の正当性を認め、組合大会においても不当労働行為はないという決議を行った。

四  正当な理由による転勤拒否及び人事権濫用の主張について

1 控訴人は、仙台において技術者として働くために被控訴人に転職したとの主張について

控訴人は、被控訴人に対する就職申込の手紙において、「結婚及びその他それに付随する私事の都合から仙台に居れることが望ましい。」と記載していたのみであったから、被控訴人としては、それがあくまでも「望ましい」という程度にしか受け取っていなかった。したがって、被控訴人は、控訴人のその程度の希望によって、その人事権や人事に関する裁量権を制限されるものではない。

2 控訴人は、転勤によって生計が維持できなくなるとの主張について

控訴人は、被控訴人に対して、本訴において主張するような家庭の事情について、何等具体的に説明しようとはしなかったから、被控訴人は、そのような事情が仮にあってもそれを窺い知ることはできなかった。

3 本件転勤命令の必要性はなかったとの主張について

本件転勤命令に被控訴人の業務上の必要性があったこと及びその人選に誤りがなかったことは、原審において主張したとおりである。

4 本件転勤命令には内示がなされなかったとの主張について

組合は、昭和四二年一〇月二〇日、被控訴人に対し、人事異動の事前協議制の実施を要求する書面を提出し、被控訴人は、同月二八日、組合に対し、組合との事前協議をする意思はないが、遠隔地への異動については、本人に対し、事前に相談している旨を書面で回答したが、これは、その時点における現況説明を申し添えたにすぎず、組合に対し、一定の約束をしたり、将来もそのように行うという義務を認めたものではない。そして、被控訴人は、その後、人事異動に関し個々人に事前に相談することを取り止めたが、それ以後もその取り扱いについて、組合や組合員から何等の抗議も行われなかったのであるから、被控訴人と組合との間には、遠隔地への人事異動につき被控訴人が本人と事前協議の義務を負うという合意が成立していないことは明らかである。

5 本件転勤命令は組合との事前協議を経ていないとの主張について

本件事前協議条項は、個々の組合員の労働条件の変更につき被控訴人と組合とが協議するということを定めたものではなく、組合員全体に共通する労働条件の基準の変更につき右両者が協議することを定めたものにすぎないことは既に述べたとおりである。

なお、本件事前協議条項を含む協定書案が付議された昭和四五年一二月三日開催の組合大会において、控訴人がその主張のような趣旨の質問をし、副委員長長柴惇夫が答弁した事実はない。

6 本件転勤命令は組合弱体化を狙ってなされたとの主張について

被控訴人に控訴人主張のような意図がなかったことは、不当労働行為の主張に対する答弁において述べたとおりである。

第三証拠<省略>

理由

第一  当裁判所も控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却すべきものと判断するが、その理由は、原判決の付加訂正部分、控訴人の当審における主張に対する判断が、次項以下のとおりであるほかは、原判決の理由説示のとおりであるからこれを引用する(なお、当審における証人の証言及び控訴人本人の供述については、当審におけるものであることを明記するが、当審におけるものと記載のない証人の証言及び控訴人本人の供述は、すべて原審におけるものである。)。右引用にかかる原判決の認定判断に反する当審における控訴人本人の供述は採用することができないし、当審におけるその余の証拠調の結果によっても、右認定判断を左右するに足りない。

第二  原判決の付加訂正部分

原判決三七枚目表八行目の「乙第」の次に「三二、」を加える。

同三七枚目表一〇行目の「(右1の事実」から同三七枚目裏一行目の「そのことをもってしても)」までを削除する。

同三九枚目表四行目の「ところが、」の次に「昭和四五年一二月五日、」を加える。

同三九枚目裏八行目の「協約条項」を「本件事前協議条項」と訂正し、同九行目の「完成され」の次に「(ただし、作成日を昭和四五年一一月三〇日に遡及させた。)」を加え、同末行の「第一回」の次に「及び当審」を加え、同末行の「の各証言」の前に「並びに当審証人長柴惇夫」を加える。

同四〇枚目表二行目の「右協約成立後の」を削除し、同七行目の「又、」の次に「本件事前協議条項成立後の」を加える。

同四〇枚目裏二行目の「その後に」から同三行目の「始めたことから、」までを削除し、同四行目の「の後に、」を「において、昭和四四年一一月二一日付労働協約における労災補償に関する文書外の了解事項が問題になったため(これに反する証人二郷精記の証言は採用しない。)、」と訂正する。

同四一枚目表四行目の「第一回」の次に「及び当審」を加え、同四行目の「各証言」の前に「並びに当審証人長柴惇夫」を加える。

同四一枚目表七行目の「事前協議条項」の前に「本件」を加え、同七行目の「従業員」を「組合員」と訂正する。

同四一枚目表一〇行目の「、四八号証」から「斎藤利美、同」までを「号証、証人」と訂正し、同末行の「(12)右の」から同四一枚目裏五行目の「答弁したこと、」までを削除する。

同四一枚目裏五行目の「(13)」を「(12)」と訂正する。

同四一枚目裏八行目の「右臨時大会での」から同末行の「又、」までを削除する。

同四二枚目表五行目の「(13)」を削除する。

同四七枚目表末行の「ところ」から同四七枚目裏一〇行目までを削除する。

同四八枚目表一行目の「甲第四二号証」を「乙第四二号証」と訂正する。

同四八枚目表五行目の「ことが認められる。」を「が、その真意は、ストライキを刃物に例えて組合が従来の姿勢と変わってきたことを指摘しようとしたにとどまるものと認められる。」と訂正する。

同五四枚目表一行目の「の証言」を「、同千葉敬次(第一回)の各証言」と訂正する。

同六〇枚目表六行目の「乙第九」を「乙第七」と訂正する。

同六四枚目表八行目の「昭和四六年」を「昭和四一年」と訂正する。

同六八枚目表末行の「甲第一三号証、」を削除し、同末行の「乙第六号証」の次に「、証人千葉敬次(第一回)、当審証人工藤秀保、同長柴惇夫の各証言」を加える。

同六八枚目裏一〇行目の「地位にはなく、」の次に「被控訴人は、控訴人が」を、同末行の「わけでもなく、」の前に「と見なしていた」をそれぞれ加える。

同七〇枚目表六行目から七行目の「なり、両親に使用させる」を削除する。

同七五枚目裏三行目

第三  控訴人の当審における主張に対する判断

一  労働契約違反(補足主張)について

控訴人は、被控訴人宛の就職申し込みの手紙において、第一に、「結婚及びその他それに付随する私事の都合から仙台に居れることが望ましい」と記載し、第二に「現在は……研究乃至会社方針及び開発に対する信念意欲(研究部乃至会社の)が感じられず技術的ポテンシャルの向上が望めないこと及び会社に漂う事勿れ主義……な雰囲気に私自身の性格が一致し得ない」旨記載したこと、「その他それに付随する私事の都合」については全く記載がなく、被控訴人との面接の際にも、特にその説明をしなかったことは、原判決において認定されているとおりである。

そして、原判決三六枚目裏、同三七枚目表挙示の各証拠及び弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる乙第一一三号証、第一一六号証の一ないし三によれば、このような事情のもとにおいて、被控訴人としては、控訴人において、仙台に住むことが被控訴人に就職するための条件であり、これが容れられなければ、被控訴人に就職しないという意思を有していたと理解することは困難であったこと、被控訴人においては、その当時までに、技術者を営業所に配置したり、派遣するなどして営業活動に従事させ、顧客の技術的要請に応えながら受注に努めさせていたものであり、このようなセールスエンジニアとしての職務も技術関係の業務に従事する従業員の職務の重要な一部を占めていたため、必要に応じて、本社の技術部又は製造部の技術者にも、各営業所等にセールスエンジニアとしての転勤を発令していること、被控訴人の幹部は、昭和四三年一一月の被控訴人の社内報において、「いつ、いかなる場合に、どこへ転勤を命ぜられても、そのポストに適応できるように、他の部門に属する業務も勉強しておくのが、社員として大切な仕事のひとつであろう。」と述べていること、このように技術者に転勤を発令している従来からの取り扱い例及び被控訴人の就業規則七条の「会社は業務の都合で従業員に転勤を命じ又は配置転換、職種、職階の変更を命ずることがある。」という規定からみても、被控訴人は、控訴人のみに限って、その勤務場所を被控訴人の仙台本社工場に限定し、職種を高度の技術上の研究、開発業務に限定する特約をすることはありえなかったこと、したがって、二郷精記は、控訴人に対する返信及びその後の控訴人との面接において、そのような特約はしなかったし、かえって、控訴人との面接の際に、控訴人に対し、事務系の人に比較すれば少ないとはいうものの、技術系の人々にも当然に転勤がある旨を説明したが、これに対して控訴人からの特段の反論がなかったこと、以上の事実(一部は原判決において既に認定されているとおりである。)が認められる。控訴人は、もし二郷精記から、転勤もありうると告げられていれば、被控訴人に転職することはありえなかったと主張するが、控訴人としては、その当時は、転勤が現実の問題として起こりうることについての見通しが甘かったため、二郷精記に対し、転勤問題について、特段の反論をしなかったものと認めるのが相当である。

以上の事実関係によれば、控訴人は、被控訴人との間で、勤務場所を被控訴人の仙台本社工場とし、職種を高度の技術上の研究、開発業務に従事する技術者とする旨の内容を含む労働契約を締結したとする控訴人の主張事実を認めることはできず、したがって、右労働契約の成立を前提として本件転勤命令が右労働契約に違反するとする控訴人の主張は、その前提を欠くものとして採用することができない。

二  労働協約違反(組合との事前協議約款違反)の主張について

1  当審における補足主張について

控訴人の主張は、結局、本件事前協議条項は、個々の組合員の労働条件の変更について組合と事前協議をすることを定めたものであり、これは、組合の妥結大会において、その趣旨のものとして承認されたというにあるところ、右主張を採用することができないことは、原判決理由説示のとおりであるが、なお、次のとおり補足説明を加える。

乙第一四号証、当審証人工藤秀保、同長柴惇夫の各証言及びこれによって真正に成立したものと認められる乙第八二号証、証人吉田成雄の証言によれば、昭和四五年一二月三日、秋闘の妥結大会の朝に組合の執行部が出した教宣ビラには、被控訴人が労働条件の決定に関する組合の要求に応じなかった旨記載されていること、右妥結大会において、松崎茂書記長が、「労働条件の決定については、前の臨時大会で報告しているように、被控訴人からの回答は、労働条件の基準については協議するが、組合員一人一人の問題については協議できない、人事配転については、経営権に属するので組合と協議できないという回答が繰り返されて終始した。組合が要求した人事配転の事前協議制は、残念ながら勝ち取ることができなかった。」という報告をしたこと、その後、昭和四六年八月七日に開催された組合の定期大会議案書には、昭和四五年の秋闘の経過報告として、「特に労働条件の決定に関しては会社の抵抗が強く、人事・配転の事前協議制がとれず、個々の労働条件の変更に対する歯止めが出来なかった。」と記載されており、右定期大会において、右議案書に基づいて経過報告がされたことが認められる。右認定に反する当審における控訴人の供述は、採用することができない。

原判決の認定事実のほか、右の事実関係によれば、控訴人の右主張は、到底採用することができない。

2  当審における心裡留保、通謀虚偽表示、信義則違反の主張について

控訴人の右各主張は、要するに、被控訴人は、当時の組合代表者執行委員長吉田成雄と通謀して、個々の組合員の労働条件の変更につき事前協議制の合意が成立していないのに、あたかも成立したかのように装い、本件事前協議条項を作成したこと、控訴人ら組合員は、本件事前協議条項が、真実は、個々の組合員の労働条件の変更を対象とするものではなく、全従業員或は組合員全体に共通する労働条件の基準の変更を対象とするものであったことを知りえなかったこと、このことは、昭和四五年一二月三日の秋闘妥結大会において、控訴人が、本件事前協議条項につき、被控訴人において組合との協議なしに労働条件の変更を命じてきたときには、協約違反として拒否していけるか、と質問したのに対し、執行部の長柴惇夫副委員長は、個々の組合員の労働条件の変更に関して、被控訴人は組合と事前に協議しなければならず、これをしなかった場合には、本件事前協議条項を根拠に闘えると明言したことからも明らかなこと、以上の事実を前提とするものである。控訴人は、これらの事実関係を原審以来主張してきたところであるから、これを前提とする控訴人の右各主張は、必ずしも時期に遅れたものということはできない。

しかし、本件事前協議条項が作成された経緯は、原判決に認定されているとおりであって、控訴人主張のように、個々の組合員の労働条件の変更につき事前協議制の合意が成立していないのに、あたかも成立したかのように装って作成されたものではないことは明らかである。しかも、右1の事実関係によれば、控訴人ら組合員は、本件事前協議条項が、真実は、個々の組合員の労働条件の変更を対象とするものではなく、全従業員或は組合全体に共通する労働条件の基準の変更を対象とするものであったことを知りえなかったなどということは、ありえないものというべきである。

また、当審証人工藤秀保、同長柴惇夫の各証言によれば、昭和四五年一二月三日の秋闘妥結大会において、組合員の中野七郎が、不当配転、解雇が行われた場合の取組み方について質問した際に、当時の長柴惇夫副委員長は、協定とは関りなく、不当なものは不当として戦う旨答えたが、控訴人主張のような質問及び回答はなかったことが認められる(控訴人の主張に副う甲第四八号証、証人斎藤利美、当審証人千葉利秋の各証言、原審及び当審における控訴人の供述は、採用することができない。)。

したがって、控訴人の当審における右各主張は、いずれもその前提とする事実を欠くものとして、採用することができない。

三  不当労働行為(補足主張)について

本件転勤命令が、被控訴人の業務上の必要性に基づいて発令されたものであり(なお、この点については、後記四、3の補足説明も参照。)、人選においても誤りがなく、不当労働行為に当たるとは認められないことは、原判決の理由説示のとおりであり、当審における証拠調の結果をもってしても、右の結論を左右するに足りない。

四  正当な理由による転勤拒否(新たな主張)及び人事権の濫用(補足主張)について

1  控訴人は、仙台において技術者として働くために被控訴人に転職したとの主張について

控訴人主張のような労働契約の成立を認めることができないこと、本件転勤命令が、被控訴人の業務上の必要性に基づいて発令されたものであり(なお、後記3の補足説明参照。)、人選においても誤りがないことについては、既に述べたとおりであるから、控訴人が本件転勤命令を拒否したことが、やむをえないものであるということはできない。

2  控訴人は、転勤によって生計が維持できなくなるとの主張について

控訴人の右主張を採用することができないことは、原判決の理由説示のとおりである。そして、そもそも、控訴人と被控訴人との間において、勤務場所を被控訴人の仙台本社工場とする労働契約の成立していないことは、前記のとおりであるから、控訴人が、仙台に永住することを前提として、自宅を新築し、その為の借金をしても、そのことをもって、被控訴人に対し、本件転勤命令を拒否する理由として主張することはできないものというべきである。

3  本件転勤命令に必要性はなかったとの主張について

本件転勤命令が、被控訴人の業務上の必要性に基づいて発令されたものであり、人選においても誤りがないことについては、原判決の理由説示のとおりであり(当審における証拠調の結果によっても右結論を左右するに足りない。)、なお、次のとおり補足説明を加える。

証人末永省一、同千葉敬次(第一回及び当審)の各証言によれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、控訴人が本件転勤命令を拒否したため、昭和四六年七月一五日付で、代替要員として、被控訴人の広島出張所に山田浩之を発令した。同人は、日本大学工学部卒業の技術者で、昭和三〇年三月に入社以来一貫して自動調節弁の組立、設計、苦情処理等に関与し、その知識、技能において有数の人物であった者であり、本件転勤命令発令と時期を同じくして行われた機構改革に伴い、技術部調査課主任の地位に就き、被控訴人のユーザーから寄せられる自動調節弁に関する苦情の処理に関する業務の全部を一括して担当することになっていた。しかも、同人は、当時、病弱なため入院、退院を繰り返していた六六歳の実母と同居してその面倒をみており、妻は、雑貨店を営みながら義母の看病をし、子供二人の世話もする状況であったうえ、自宅や店舗を大改造する必要があってその資金調達や建築計画の立案をする必要があったため、個人的に仙台を離れ難い事情があった。被控訴人は、このような事情があったにもかかわらず、広島出張所における控訴人の代替要員を派遣する必要性があったため、やむをえず、山田浩之を発令し、同人は、これに応じて、広島出張所に赴任した。そして、同人が、広島出張所に赴任した後、大口ユーザーの東京移転という不利益要因があったにもかかわらず、同出張所の受注が増大した。

右事実によっても、本件転勤命令が、被控訴人の業務上の必要性に基づいて発令されたものであることが裏付けられるものというべきである。

よって、控訴人の右主張は、採用することができない。

4  本件転勤命令には控訴人に対する内示がなされなかったとの主張について

被控訴人の組合に対する昭和四二年一〇月二八日付回答書(甲第四〇号証)は、組合からの人事異動の事前協議制の実施要求を拒否しつつ、人事異動の実施に当たっての処理状況は、事実上、本人と事前に相談しているとの事実を付言したものであり、その後、その取り扱いが廃止されたが円満に推移してきたこと及び被控訴人と組合との間において、人事異動につき本人と事前協議を為す義務を被控訴人に課した労働協約が締結された事実が認められないことは、原判決の理由説示のとおりである。そして、右のような事実上の取り扱い及びその廃止は、被控訴人の人事に関する裁量の範囲内の事項であるから、被控訴人が、右回答書に記載した事実上の取り扱いに拘束されるいわれはないというべきである。

よって、控訴人の右主張は、採用することができない。

5  本件転勤命令は組合との事前協議を経ていないとの主張について

本件事前協議条項の内容が控訴人主張のようなものでないこと、昭和四五年一二月三日の秋闘妥結大会において、控訴人主張のような質問及び回答がなかったことは前記二、1、2のとおりであるから、控訴人の右主張は、その前提を欠き、採用することができない。

6  本件転勤命令は、組合弱体化を狙ってなされたとの主張について

控訴人の右主張は、本件転勤命令が不当労働行為に当たるとする主張と内容において同旨であるところ、その主張が採用することができないことは、既に前記三において述べたとおりである。

7  以上によれば、正当な理由により本件転勤命令を拒否したものであり、かつ、本件転勤命令は人事権の濫用であるとの控訴人の主張は、その根拠がないことになるから、採用することができない。

五  よって、他に判断を進めるまでもなく、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 奈良次郎 伊藤豊治 石井彦壽)

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